Category Archives: 作文

これも作文?

10月26日(木)

遅ればせながら、今週の月曜日に書いてもらった上級クラスの作文を読みました。先週の金曜に課題を与え、週末に何についてどんな構成で書くか考えておくようにと宿題を出しておきました。しかし、作文を見る限り、その宿題に全く手を付けてこなかったと思われる原稿用紙が何枚か紛れていました。

文章そのものが稚拙ならば、まだ救いようがあります。鍛えれば伸びる可能性があります。添削のし甲斐もあるというものです。しかし、明らかにどこかの文章を丸写しというのは、あーあと嘆くほかありません。その学生が考え出したとは思えない論理展開なのですが、ところどころにいかにもといった感じの間違いがあります。一生懸命写したのでしょうが、内容を理解していませんから誤字脱字初歩的な文法ミスが浮かび上がってきます。

さらに困ったことに、そういった学生の多くがこれから入試などで作文・小論文などを書くことになっているのです。彼らの頭には想像力・創造力というものがないのでしょうか。また、文章を書いた(写した)後で読み返すという基本的な習慣も持ち合わせていないに違いありません。もっとも、すぐスマホに頼る学生たちですから、こういう心の働きなど思い浮かびもしないのです。

クラスのみんながこういう作文だったら、課題設定が悪いとか授業の進め方が学生のやる気を誘うものになっていないとか、こちらの反省材料もあります。しかし、すばらしい作文を書いた学生も、しょうもない作文を書いた学生と同じくらいいましたから、やっぱり丸写し組は何かが欠けているのです。

来週の月曜日、どうやって返却しましょうかねえ。

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かあしん

9月25日(月)

朝、出勤して私が最初にする仕事は、先週まではエアコンをつけることでした。でも、今朝はエアコンをつけませんでした。出勤した方が暑いと思ったらつけてもらえばいいと思っていましたが、誰もつけずに夕方まで。先週のこの稿で「季節が少し進んだ」と書きましたが、今朝は「だいぶ進んだ」と言いたくなる涼しさでした。

みなさんは、「暑い」の反対語は何だと思いますか。レベル1の漢字の期末テストに出ました。レベル1で習う感じの範囲では「寒い」なのですが、何人かの学生が「涼しい」と答えました。これも今朝の涼しさの影響でしょうか。この漢字は未習ですが、習った漢字で答えろとは書いていなかったので、〇にしました。

その漢字テストの別の問題に、「かあしん」と答えた学生がいました。もちろん誤答ですが、どんな漢字の読み方だと思いますか。私もこういう誤答は初めて見ました。その学生は「母親」をこう読んだのです。点数はあげられませんが、座布団は3枚ぐらいあげたいですね。

私は上級クラスの作文の採点をします。試験監督をしたA先生のメモに、「Eさんがスマホで漢字の読み方を調べようとした」と書かれていました。確かに、「漢字にはふりがなをつけること」という指示を出しました。しかし、スマホで調べてもいいとは言っていませんし、そもそもテスト中にスマホをいじること自体、厳禁です。Eさんは授業中でもすぐスマホに頼ろうとしていました。それが体に染みついているんですね。いや、漢字の読み方なんて、まるで気にしていないんですよ、きっと。

明日は、その作文を、気合を入れて読みます。

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違い

9月7日(木)

午後からレベル2のクラスの代講でした。つい先日、私が教えているレベル1のクラスの学生もいろいろなことが言えるようになったとこの稿に書きましたが、やっぱりレベルの学生たちは一段上です。レベル1の学生たちに比べて3か月長く勉強しているだけあって、複雑な文法も知っていれば、日本語に対する勘も鋭くなっています。こちらの話の通じ具合が全然違います。名詞修飾が既習ですから、話す際の制約がかなり緩くなっています。何より、冗談と冗談でないことの区別がつくようになっているところが、私のような無駄話の多い教師にとっては、教えていて面白みのあるところです。

私のレベル1のクラスにも、次の学期にレベル3に上がろうと考えてそのための勉強をしている学生がいます。その学生が、あと1か月後にこのクラスの学生たちに交じって勉強するのかと思うと、それが本当にその学生のためになるだろうかと、少々心配になります。レベル2では、大事な文法を数多く勉強します。それを独習するとなると、練習が足りなくなるおそれがぬぐえません。レベル2の学生たちは、そうやって険しい岩場をよじ登ってきたからこそ、冗談も理解できるのです。

授業の後半は作文でした。そんな学生たちも、文章を書くとなるとまだまだという感じがします。「3か月東京で住んでいます」「日本は楽しいの国です」などという、レベル1の文法の間違いが至る所に見られました。授業で習った文法が定着し正しく使えるようになるまで、2学期ぐらい要するものです。書き上げたつもりになっている学生の作文を読み、そんな間違いを見つけて、「はい、レベル1」と言って指摘する、意地の悪い教師になりました。

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電気をつけます

9月5日(火)

レベル1も3か月目に入ると、すでにいろいろなことを勉強していますから、一見(一聞?)上手な日本語が話せるようになります。例えば、レベル1の最初の自己紹介は、「トーマス・エジソンです。アメリカから来ました。どうぞよろしく」程度ですが、今なら、「トーマス・エジソンです。アメリカのメロンパークから来ました。毎日、いろいろなものを発明していますから、とても忙しいです。家族は、妻と子供が3人います。今、アメリカに住んでいます。…」ぐらいはいけちゃいます。

そんな自己紹介をしてもらいました。中には「小岩で住んでいます」などという、初球の学生が犯しがちなミスをやらかす学生もいましたが、概してよくできたと思います。昨日この稿で面接練習の際に発音が悪くて困ったという話を書きましたが、このクラスの学生はそんなことはありませんでした。レベル1は日本語を話すのが楽しくてしょうがないのですが、レベルが上がるにつれてだんだん飽きてきてだんだんしゃべらなくなり、それに伴って発音が悪くなってしまうのでしょうか。

その後、昨日の宿題を回収しました。習った単語・文型を使って例文を書いてくるというものでした。例えば「~方」が課題だったら、「この漢字の読み方を教えてください」とかと書いてくれば〇です。

集めた例文を見てみると、「つけます」の例文として「電気をつけます」「エアコンをつけます」など、最低限の構造のものが目立ちました。自己紹介に比べると貧弱すぎます。せめて、「暗いですから電気をつけます」「暑いですからエアコンをつけましょうか」ぐらいは書いてほしいところです。

そうです。初級のうちから複文を考える癖をつけておかないと、中級・上級になったとき、作文で苦労します。それはすなわち、入学試験で苦戦するということにほかなりません。せっかく初級に入っているのだからと、力こぶをこしらえて添削しました。

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思考回路

8月23日(水)

中間テスト直後から、夏休みを目いっぱい遊び惚けてしまいましたから、夏休み明けの月曜日から今朝までかかって、私が受け持っている上級クラスの作文の採点をしました。今回は作文のテーマを事前に予告していましたから、みんな書くべき内容を下調べしてから中間テストに臨んだようです。そのため、論旨がはっきりしていて、結論もきちんと述べられている作文が多く、採点は比較的順調に進みました。

読み手が読みたくなるようなタイトルを付けろと言っておいた効果があり、興味がそそられるタイトルの作文が多かったです。面白そうなタイトルの作文から順に読んでいきました。すると、タイトルに引かれる度合いと中身の濃さとがおおむね比例していました。凝ったタイトルを付けた学生は、内容についてもよく考えてきたということでしょうか。テーマに関して深く考察したからこそ、その考察を凝縮した珠玉のタイトルが生まれたのかもしれません。

その作文を学生に返す前に、全員のタイトルの一覧をパワーポイントにして見せました。どのタイトルの作文から読んでみたいかと聞いたら、私が選んだのとほぼ同じになりました。おざなりなタイトルを付けた学生の顔つきが、少し変わりました。

Aさんもそのおざなり組でしたから、読むのが後回しになっていました。1行目から誤表記があり、不吉な予感に襲われました。3行目に意味不明の単語が出現し、それ以降は“文字は日本語でも、文は日本語ではない”状態になりました。もはや添削どころではありませんでした。我慢して読み続けましたが、最後まで読んでもAさんの主張はさっぱりわかりませんでした。

他の学生が赤の入ったところをなぜ直されたか考えながら清書している間に、私はAさんに作文で何が言いたかったのか直接聞きました。根掘り葉掘り聞いていくとAさんの主張は十分うなずけるものでしたが、その主張と作文との落差には愕然とせざるを得ませんでした。よくわかったのは、Aさんの思考回路はいまだに母国語で回っているということでした。

Aさんの志望校には小論文の類の入試科目はありませんが、このまま合格・進学したら、進学してから苦労するでしょうね。あと半年余りの間に、どうにか鍛えなければなりません。

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明日に備えて

8月9日(水)

入学試験の小論文は、多くの場合、社会的問題を取り上げます。課題文を読んでその内容について何かを論じたり、それをもとにして自分の意見を書いたりすることが多いです。課題文がなくても、テーマが与えられ、それに対する意見を書くなどというのが標準的です。そういう場合、ただ漫然と既定の字数になるまで原稿用紙のマス目を埋めたり、全体の構成を何も考えずに論を展開したりすると、高い評価は得られません。

KCPの学生は社会を知らないというのが、最近の上級担当教師連の共通認識になっています。自分が関心を持っているごく狭い範囲しか見ようとせず、それ以外は関心を持たない傾向があると感じている教師が多いです。これでは、入試でも困りますし、進学してからさらに苦労することは火を見るより明らかです。

今学期、私のクラスでは、読解の内容に関連した作文を書いています。教科書を参考にすることはもちろん、作文の時間中に課題についてスマホで調べることも認めています。中間テストもその線で行こうと考えました。さすがにテストの最中にスマホを使わせるわけにはいきませんから、中間テストの作文のテーマをあらかじめ教えておくことにしました。そういうわけで、中間テスト3日前の月曜日から中間テストの作文テーマを言い続けています。そして、それについて十分に調べて、文章の骨格ぐらい決めておくようにと指示を出しています。

中間テスト前日の授業は、先週の作文のフィードバックでした。課題に対する結論がはっきりしない作文はばっさり斬り捨て、犯してほしくない文法や語彙の間違いはクラス全体で共有しました。これをもとに、帰宅してから明日の課題について論旨をまとめておいてくれれば、中間テストは期待できそうですが、どうなることでしょう。

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得がたい知識

8月5日(土)

昨日は午後からも授業があり、なおかつ夕方歯医者の予約を入れていたので早帰りしたため、午前中の中級クラスの授業で集めた文法の例文を添削する時間がありませんでした。というわけで、朝一番の仕事は来週の行事の準備でしたが、それに続いてその例文添削をしました。

中級クラスともなると、手の施しようのない例文はだいぶ少なくなりますが、その代わり、一刀両断にダメと決めつけられない、ストライクゾーンにボールの縫い目が引っ掛かるかどうかというような例文が現れてきます。クラスの中ではできのいい学生Cさんが書いた例文は、「私は一生懸命勉強して、得がたい知識を積んだ」というものでした。

昨日このクラスは、「信じがたい」とか「理解しがたい」とかの「~がたい」を勉強しました。「得がたい経験」も扱いましたから、その応用として「得がたい知識」としたのでしょう。「知識を積んだ」はちょっとおいといて、この「得がたい知識」、この稿をお読みのみなさんはどうお感じになりますか。

私は、「一生懸命勉強」したぐらいで手に入る知識なら、それは「得がたい知識」ではないと思います。特別な人に会って、その人から授かった知識なら、「得がたい知識」と言ってもいいかもしれません。でも、その特別な人って誰だろう、授かった知識ってどんな知識だろう…などと考えると、「得がたい知識」の輪郭はぼやける一方です。特別な人に会うことも含めて、得がたい経験を通して得た知識なら、かろうじて「得がたい知識」のような気がします。

結局、Cさんの例文は〇にはしないで、上述の内容をギュッとまとめたコメントを付けました。Cさんにとって、私のコメントは得がたい何かになるのかなと思いながら、他の例文を見ていきました。

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うますぎる作文

7月25日(火)

Yさんは、レベル1のクラスの学生です。自分のことについて作文を書きなさいという課題に対して、上級の学生も顔負けの長さと内容の文を書いて提出してきました。こちらが期待していたのは、「私はYです。中国の北京から来ました。KCPの学生です。国の大学で経済学を勉強しました」などというレベルの作文でした。しかし、Yさんの作文は「国の大学では経済学を専攻したものの、アニメをはじめとする日本文化にも興味を抱くようになり、…」というような格調高いものでした。

用紙をひっくり返すと、Yさんが書いた作文メモがありました。ところどころわかる漢字を組み合わせると、このメモを和訳したのがYさんの作文だということが容易に想像できました。Yさんに確かめると、そうだとのことでした。この和訳をYさん自身がしていたら立派なものですが、レベル1の学生ができる範囲をはるかに超えています。案の定、アプリに助けてもらったようです。

Yさんは明るく積極的で、国籍にかかわりなくどんどん日本語で話しかける学生です。宿題もきちんとしてくるし、テストも好成績です。うちでもよく勉強していることがうかがえます。だからこそ、なのでしょうか、自分の思いをどうにか教師に訴えたくて、わかってもらいたくて、思いっきり背伸びしてしまったのでしょう。

先週のコトバデーで、初級の学生向けの通訳翻訳を担ったのは、最上級レベルの学生たちでした。この学生たちは、私たちの書いた日本語をたちどころに自分たちの母語に直し、また、会場で教師の放ったことばを同時通訳並みに学生たちに伝えてくれました。

そういう超級の学生も、今のYさんのように自分の頭や心の中身を日本語にできずにもどかしい思いをした時もあったのです。ですから、Yさんも、まずは機械に頼らず自分の原点を認識してもらいたいです。

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いい例文?

7月15日(土)

昨日の中級クラスで書いてもらった文法の例文を添削しました。中級も後半となると、普段あまり見聞きしない表現を勉強するようになります。初級文法のようにどんな場面でも使えるような文法ではなく、ある条件がそろうと威力を発する表現が中心となります。文法の授業も、その“ある条件”を強調して、こういう場面で使うんだよという練習をします。

そのうえで例文を書くのですが、そうすんなりこちらの思い通りの例文が仕上がるわけではありません。勘のいい学生は思わずニヤリとしてしまうような例文を書きます。その文法の特徴をつかみ、それを上手に応用します。助詞を間違えるくらいはしますがね。教科書の例文を少しいじったのを書いてくる学生もいます。こちらは想像力がないのかもしれません。想像力はあるけれども、そちらに走りすぎて“ある条件”を忘れてしまった学生も、必ず出てきます。軌道修正すれば、使えるようになる可能性を秘めています。

Cさんが気の利いた例文を書いてきました。本筋から外れたところでミスがありましたが、ポイントは押さえていました。その後何人かの例文を見た後で、Wさんの例文を読むと、どこかで読んだような例文でした。Cさんと、間違え方まで同じ例文でした。2人は隣の席ですから、助け合ったのかもしれません。さらに、Tさんもほぼ同じ例文でした。Tさんは席が離れていました。ということは、私に隠れてスマホで検索したのでしょう。そして、3人が同じサイトを見たに違いありません。

私の授業が伝わらなかったところは反省すべき点です。でも、スマホから拾った例文を書いても、力はつきません。この3人がどうかわかりませんが、中には自分が書いた例文はネットの辞書・文法書に載っていた例文なのに、どうして〇じゃなくて直されるんだと、返却された例文を見て訴えてくる学生がいます。こういう理由でこの例文は間違っていると説明しても、そういう学生に限って、納得しようとしません。

学生たちがAIに頼って例文を書いたらどうなるんだろうと考えることがあります。もしかすると、私がにやりとした例文は、AIが作っていたのかもしれません…。

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AIと教師

7月4日(火)

文部科学省が、小中高校の作文などの創作活動で生成AIを使用するのは不適切だという指針を発表しました。使いこなすことの重要性にも触れつつ、小中高校では自分の頭で考えることを優先する姿勢を示しています。同時に、情報モラル教育を推し進める必要性も訴えています。

当然ですね。AIに考えてもらって原稿用紙に書くのだけ自分でするなんて、剽窃と言われてもしかたがありません。それが高じると、読みもしないのに「東野圭吾の『放課後』の感想文」などと入力して、感想文だけ“書いて”しまうなどということすらやる子供が現れてくるかもしれません。

しかし、よく考えたら、今までも夏休みの宿題に親が手を入れることがありましたよね。親の代わりにAIが手助けをしたと考えれば、AIに頼るのだけ禁じるのは不公平だと言えないこともありません。宿題には、親も絶対に手出しをしてはいけないということになっていくのでしょうか。

そこまで言うのなら、私たちだって危ないです。今まで何人の学生の志望理由書を書き換えてきたでしょう。志望校と志望学部学科、日本留学に至るまでの学生の生い立ち・心の動き、進学してから、そして卒業してからの構想、そういったことを聞き取って、根本的に書き直したこともありました。それほどではなくても、志望理由書のサンプルを示してこういう書き方をしろという指導は、今年もすでにしています。

こういうのって、AIが作文を書くのと大して変わりませんよね。ということは、この仕事はAIに代替可能だということでしょう。各大学に合わせた志望理由書が書けるレベルまでAIを鍛えるのに時間と労力を要するかもしれませんが、できない話ではなさそうです。

いや、それよりも先に、志願者本人が書いた文章かどうか判定するAIの方が先に開発されるような気もします。狐と狸の化かし合いみたいなことは、したくないものです。

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