Monthly Archives: 7月 2015

大学の模擬授業

7月31日(金)

上級のクラスは、大学の模擬授業を受けました。H大学の先生がいらして、文系・理系別に授業をしてくださったのです。

私は理系志望の学生たちと一緒に講義を聞きました。理系向けの講義と言っても、バリバリに最先端の科学研究のお話ではなく、具体的な事例に基づいたわかりやすい内容でした。また、日本語学校の学生相手ということで、日本語はだいぶ気を使ってくださったようでした。ですから、学生たちは最後まで集中して耳を傾けていましたし、先生からの問いかけにも答えていました。

講義の後、学生に感想を聞くと、やはり日本語はよくわかったといっていました。しかし、学際的分野の話でしたが、理系の学生にとっては内容が社会科学方面に寄りすぎていたように感じたようです。私も、日本語は手加減しなくてもいいですから、もう少し抽象度の高い理系っぽいテーマでもよかったんじゃないかなと感じました。

もちろん、H大学の先生が本気で大学2年生か3年生あたりの専門科目の授業をしたら、いくらKCPの上級の学生の日本語力が高くても、ついてはいけないでしょう。そこまでは望みませんが、大学の講義を聴くにはもっと日本語力を伸ばさなきゃって、学生たちに新たな目標を作らせるくらいのレベルでもよかったと思います。背伸びすれば手が届きそうな高さだと、学生のやる気に火が付いたと思います。

今回は初めてでしたが、これから回を重ねていけば狙いどころも見えてくると思います。こういう企画を通して、日本語学校の教師が生教材かなんかでする授業では味わえない、学問するおもしろさ、難しさみたいなものを学生たちに味わわせていけたらいいと思っています。

書類不備

7月30日(木)

HさんはW大学に出願しましたが、書類不備で受理してもらえませんでした。国の高校の卒業証明書、成績証明書に生年月日が記載されていないという理由です。来週の月曜日までに生年月日の記載された書類を提出しないと、出願は無効になってしまいます。しかし、今、Hさんの出身校は夏休み中で、学校に誰も出てきていないのだそうです。したがって書類の再発行もできず、W大学への出願は絶望的な状況です。

その学校の正式な書類様式に生年月日の記載がなかったら、その学校の卒業生は自動的にW大学に出願できないということなのでしょうか。W大学の出願に関する書類を読む限り、生年月日が必要だとは書かれていません。W大学にとっては、卒業証明書などに生年月日が記載されているのは改めて書き記すまでもない常識なのでしょうか。その常識が通用しない世界の存在は認めないというのでは、了見が狭すぎると思います。

Hさんの学校にとっては、生年月日を記載した卒業証明書などは非正規の様式です。非正規であるという点においては偽造書類と同列だ、というのは極論すぎるでしょうか。私などうかがい知れない事情があるのかもしれませんが、融通が利かないなと思います。悪意に受け取れば、そんなにまでしてでも学生をふるい落とさなければならないのかという気もします。

書類の戦いは、毎年何らかの形で発生します。私は受験生側の人間ですから、そういうトラブルが起こるたびに、もう一歩譲ってもらえないだろうかと思います。受験生たちは、郷に入れば郷に従えで、すでにかなり譲歩しているのですから。

留学生に便宜を図ってくれないW大学は入学しても苦労するだけかもしれないよー―とHさんに言ってやりました。W大学を目指して日本まで来たHさんに対しては慰めにもなっていないでしょうが、私の心の中ではW大学の株は大きく下がってしまいました。無理してまで入る大学ではないっていう評価です。

蝉時雨

7月29日(水)

丸ノ内線四ッ谷駅でドアが開くと、蝉時雨がなだれ込んできます。四ッ谷駅は春は桜を楽しませてくれます。赤坂御所に近いですから、自然が豊かなのでしょう。赤坂御所のほかにも、都心は皇居、新宿御苑、明治神宮など、けっこう緑に恵まれています。そういうところがカラスの供給源になっているという説もありますが。それにしても、今年の蝉の鳴き声は例年になく激しいような気がします。夏らしい夏でいいんじゃないでしょうか。

梅雨が明けて以来、猛暑日になるかならないかぐらいの暑さが続いていましたが、今日は一息ついた感じです。そんな中、毎学期恒例のバザーがありました。湿度は高かったものの、カンカン照りではありませんでしたから、バザーをしていた方々も少しはましかなという顔をしておいででした。

いつものように学生たちはバザーの商品に群がり、掘り出し物はないかとあれやこれやとひっくり返していました。買いたいものがあってそれを探すというよりは、たくさんのものの中から光るものを見つけ出すことを楽しんでいるようにも見えます。誰にとってもすばらしいものでなくても、自分にとっての宝物が手に入れば、それで満足なのでしょう。そこまでいかなくても、友達とわいわいやりながら物を見ることが、学生たちには息抜きであり、時節柄暑気払いなのかもしれません。

新宿御苑のすぐそばは、御苑の木陰から吹き出す風のおかげで多少は涼しいそうですが、KCPの周りは夜でもむっとするような暑さです。これに四ッ谷駅並みの蝉時雨が加わったら、暑苦しくてたまりません。

伸び盛りだから

7月28日(火)

Zさんは中級の学生です。理科系の学生ですが、この前のEJUで思い通りの成績が挙げられませんでした。物理と化学は時間が足りなかったと言っていました。おそらく、問題文の日本語を理解するのに時間がかかりすぎたのでしょう。

Zさんの日本語力は今が伸び盛りです。でもそれは逆からいうと、日本語が未完成だということです。来年の4月入学を狙っていますが、今回の結果で、6月のEJUしか使えないところはほぼ絶望的となりました。

理科系は国立大学を除くと、私立大学の有力校が少ないです。文科系のように、多くの大学の中から併願先を決めるということができません。したがって、その数少ない大学をどう組み合わせるかがポイントとなります。Zさんが相談を持ちかけてきた大学も、その中の大学でした。その大学は入試が比較的遅いので、発展途上のZさんも本気でがんばれば試験日の頃にはどうにか勝負ができるくらいになっているかもしれません。

Zさんにしたら、きっともどかしいことでしょう。国の言葉で出題されていたら十分解けたはずの問題が、日本語で書かれているがゆえに解けずに苦杯をなめたわけですから。日本語の勉強のスタートがもうちょっと早かったら、Zさんの戦いの様相もだいぶ違ったものになったことでしょう。でも、今は所与の条件の中で最善の結果を追い求めることに集中すべきです。

11月のEJUの締め切りは今週金曜日です。今度は失敗は許されません。

7月27日(月)

初級クラスのGさんは、授業中「そんなことはわかってるよ」といわんばかりの態度を取り、先生方の評判がよくありません。今日は、先週の文法テストを返却してフィードバックをしましたから、この機会を利用して思い切り鼻をへし折ってやりました。

70点が合格点のテストで84点ですからね、悪くはないよっていう程度の成績です。わかっているつもりできちんと勉強していないから、思ったほど点が取れないのです。早いうちにたたいて、自分はできないんだ、わからないことがまだまだたくさんあるんだ、という自覚を持たせなければなりません。今ここでそういう自覚を持てば、これから伸びていく可能性も大いにあります。でも、大天狗様のままだったら、いずれ大けがをすることになるでしょう。

中途半端にできて、いい気になって、勉強をおろそかにしていると、正しい日本語、きちんとした言葉遣いが身に付きません。そして、それが本当に必要な受験本番で失敗するのです。そうならないうちに、自分のできなさ加減に気付かせるのも、教師の大事な仕事です。もちろん、学生を励まし勇気付けることも教師の根本をなす仕事ですが、自分の力を正確に伝え、現実の厳しさを教えることは、それ以上に大切だとも思います。

鼻がへし折れたのかどうかわかりませんが、今日のGさんはいつもより神妙に授業を受けていたように思います。少し謙虚になって、自分を見つめ直し、必要な勉強を確実にしていく気持ちになったでしょうか。

よすぎるのも困りもの

7月25日(土)

6月のEJUの結果が届きました。24日発送とJASSOのEJUのページに出ていましたから、受験講座を受けに来た学生はもちろんもらって帰りましたが、わざわざ取りに来た学生もいました。希望が持てる結果だった学生もいれば、思わしくなかった学生もいるというのは、いつもの光景です。

Sさんはおそらく前者の学生でしょう。初級ですが日本語の点数が300点を上回りました。でも、私は結果がよすぎたと心配しています。天狗になって学校の授業をまじめに受けなくなるおそれがあるからです。本番の直前にあった模擬試験で高得点を取り自信を持ったSさんは、今学期になってからわがままな振る舞いが目立ちます。授業中に内職をしたり、志望校へ見学に行って欠席したりしています。そういうところへ持ってきて今回の好成績とあれば、今まで以上に暴走しかねません。

確かにSさんは初級の中ではよくできます。しかし、EJUが300点以上なのに、なぜKCP初級では初級なのでしょう。それは、いろいろなところに抜け落ちがあるからです。EJUのような選択式のマークシートではいい点数が取れますが、KCPの初級の平常テストでは合格点すら取れないこともあります。KCPのテストは、文法や語彙などを正確に身に付けていないと点が取れない記述式なのです。

たぶんSさんは今回の点数で出願して、受かってしまうでしょう。基礎部分の抜け落ちを埋めることなく進学して、大学で本当に自分のしたい勉強ができるでしょうか。ここらで痛い目にあっておいたほうがよかったんじゃないかな。KCPにいるうちに、Sさんが自分の日本語力を見つめ直す機会にめぐり会えるでしょうか。

遅刻とEJU願書

7月24日(金)

Hさんが教室に入ったのは、9:52ごろでした。出欠席のルールにより、10:30までの授業は欠席という計算になります。そうでなくても悪いHさんの出席率が、また下がってしまいました。

理由を聞くと、バスがなかなか来なかったからと言います。でも、時間をよく聞くと、最大の理由は寝坊です。次のビザが危ないくらいの出席率なのに、危機感が感じられません。Hさんを受け持ったどの教師からも注意され続けているはずなのに、一向に改善の兆しが見られません。

学校でまとめて購入したEJUの願書が昨日届いたので、各クラスで購入者に配りました。Sさんはその願書を受け取ると、授業中なのに早速記入を始めました。机の上には英語のテキスト。教室に存在しているだけで、授業に参加しよう意識がありません。

この時期にそんなことをしているとは、すでに精神的に余裕を失っているということであり、いい結果など望むべくもありません。教師の目を掠めながら勉強した英語など、身に付くはずがないじゃありませんか。

朝寝坊している余裕などないはずのHさんがのんびりしており、どっしり構えていいはずのSさんがこそこそしています。2人とも能力はありますが、このままではそれを発揮することなく終わってしまいかねません。かといって今説教したところで効き目があるとも思えません。Sさんあたりはかえって反発して、心を閉ざしてしまいかねません。こちらも肝を据えて長期戦を覚悟で行くほかないようです。

日本語文法脳

7月23日(木)

水曜木曜は初級クラスを教えますが、どちらのクラスも以前勉強したことを忘れてしまっている学生が多くて、頭が痛いところです。レベル2の学生は「ています」を使ってほしいところで使ってくれないし、レベル3の学生は「てしまいます」を使わずにちょっと間抜けな文を作ってしまいます。まあ、「てしまいます」は中級や上級の学生もなかなか使ってくれないんですけどね。

ほとんどの学生が、今、目の前の文法項目を使うことで精一杯なのです。習ったばかりの文法をどこでどう使うかばかりを考えていますから、以前に習った文法にまでは頭が回りません。でも、これじゃいけません。一段高いところに立ち、視野を広く持って、今までに勉強した文法や語彙を総合的に見渡して、最善の文の形を作っていってほしいです。

そうはいっても、「てしまいます」を使うべき場面かどうかが判断できなければ、いつまでたっても「てしまいます」が使えるようにはなりません。そこで、教師の地の言葉をじっくり観察してほしいのです。教師はそのクラスのレベルに合わせて既習の文法を使って話しますから、学生が耳を澄ませて教師の言葉を聞き取っていくと、「あっ、『てしまいます』こういうところで使うんだ」という発見が必ずあるはずです。そういう発見を1つでも多くした学生が、学生たちのよく言う「日本人のような日本語」に近づいていくのです。

そういうことをしていくうちに、頭の中に日本語文法のネットワークができ上がっていきます。このネットワークを手に入れれば、「てしまいます」も自然に出てくるようになります。私が教えている上級クラスには、そういう学生が何人かいます(残念ながら「何人か」でしかないのですが)。その何人かは実に自然な日本語を話します。例文もこなれています。よく英語耳って言いますが、さしずめ日本語文法脳を持ったと言えるでしょう。

せっかく日本に留学しているのですから、感度を最高にして、「あっ、こういうところで使うんだ」をどんどん見つけて、自分の頭を鍛えていってもらいたいです。

9本のジュース

7月22日(水)

ロビーの受付のところに缶ジュースが9本置かれていました。「どうしてこんなところにジュースがあるんですか」とK先生。「それですか。さっき自動販売機の前で学生が抱えて立ってたんですよ。ボタンを押したら続けざまに10本出てきたって言ってました」と事務のTさん。「もらっちゃえばよかったのに」「でも10本は多すぎるでしょう」「自動販売機の会社の落し物だとしたら、1割の1本はもらう権利があるんじゃない?」…などと、午前中の職員室でどうでもいい議論が行われました。

学生にしてみたら、1本買うつもりで10本も出てきたら相当戸惑うでしょうね。ごまかそうっていうレベルを超えていたのかもしれません。Tさんが事情を聞いたときに「友達の分も買いました」と答えることもできたはずですが、そう言わずに正直に話した点は評価できます。

それに対して、頭が痛いとかお腹を壊したとか言って休む学生は、実際のところはどうなんでしょうか。授業後電話を掛けて、明るい声で「もう直りました」と答えられると、疑念が頭をもたげてきます。毎日のようにJRの遅延照明を持ってくる学生にしたって同様です。何時何分にうちを出て、何時何分に電車に乗って、という足取りを厳しく追及したくなることもあります。

社会に出たら否が応でもうそにまみれた生活を送らざるを得なくなります。「うそも方便」という便利なことわざをフル活用して、保身したり他人の足を引っ張ったりというのが常態になります。そうしつつもそれが異常なんだという感覚だけは忘れたくありません。忘れると東芝の歴代社長のようなことになってしまうのです。

今日の学生は、正直に9本のジュースを届けたことをどう思っているでしょうか。ごく当たり前のことをしたまでだというのであれば、立派な心がけです。その気持ちを忘れないでいてもらいたいです。

誰の志望理由書?

7月21日(火)

W大学の出願締め切りが迫り、出願予定者は大忙しです。いや、出願予定者を受け持つ教師のほうが学生本人以上に忙しいかもしれません。学生は自分のだけ考えればいいですが、教師は自分が受け持っている学生全員の面倒を見なければなりませんから。国の高校から取り寄せる書類や機械的に埋めていけばいい書類は、学生自身でもどうにかなりますが(というか、学生自身以外でどうにかできる人はいません)、志望理由書だけはそう簡単にはいきません。

YさんもWさんも私を忙しくさせている学生たちです。それぞれ書き上げては教師のチェックを受けて、ということになりますが、それが集中するこちらは結構な仕事量になります。YさんもWさんも、いまひとつ文章に切れがありません。それぞれ自分独自の決めぜりふがないんですね。これは誰でも書けるよねっていうことか、これと志望学科がうまくつながればすごいんだけどっていう内容とか、どうも詰めが甘いのです。

多くの日本語学校の先生方が、私と同じようにW大学に出願する学生の指導をしておいででしょう。教師の力に大差がないとすれば、合否の分かれ目は、結局は志願者本人実力に負うところが大きいというわけです。私が想像力をたくましくすれば、あるいは不合格になるはずの学生を合格させることもできるかもしれません。火のないところに煙を立てるがごとく、単に憧れでW大学と言っている学生の志望理由をでっち上げることだってできます。しかし、そうまでしてW大学に入ることが学生自身の幸せにつながるとは思えません。

わたしたちは進学のお手伝いはしますが、主体的に動くのはあくまで志願者本人です。志望理由のタネを持ってくれば、それをまいて肥料をやって、芽を出し葉を出すぐらいまではどうにかしてあげられるかもしれませんが、花を咲かせるのは学生自身の手によってです。それ以上手助けしたら、誰が大学に入るかわからなくなってしまうではありませんか。

W大学が第一陣で、この後いろいろな大学の出願が続きます。戦いは始まったばかりです。