Monthly Archives: 6月 2016

ねぼった

6月15日(水)

「先生、Sさんったら、今学校へ来て、ねぼったって言うんですよ」と、前半の授業を終えて職員室に戻ってきたF先生が嘆いていました。Sさんは寝坊したと言いたかったのですが、「ねぼう」を名詞ではなく1グループの動詞だと勘違いし、“買う⇒買った”と同様にた形を作ってしまったのでしょう。

漢字で“寝坊”と記憶されていれば、おかしげなた形を発明することもなかったのですが、読み方の“ねぼう”だけが一人歩きしてしまったため、上述のような悲劇が起きたと考えられます。また、Sさんができる部類の学生だったことも災いしてしまいました。なまじ応用力があったため、ねぼってしまったのです。これが単語レベルのコミュニケーションしかできないJさんだったら、ぶっきらぼうに「ねぼう」と言ったでしょうから、かえって意思疎通が図れたと思います。

これで思い出したのが、私が日本語教師を始めたばかりの頃に教えたMさんです。意向形の作り方を教えたら、しばらく黙り込んでいました。そしておもむろに、「先生、『ごります』は何ですか」と、真剣な顔で聞いてくるではありませんか。もちろん、「ごります」なんて初めて聞く言葉です。内心の動揺を抑えつつ、「どこで聞きましたか、見ましたか」と聞くと、「イトーヨーカドー」という答えと同時に、「ゴリヨー、ゴリヨー」とだみ声で魚売り場かどっかのおじさんのまねを始めました。

「食べます⇒食べよう」という説明を聞いて、よく耳にするけど意味がわからない「ゴリヨー」はこれだと思い、「X⇒ごりよう」という変換方程式から「X=ごります」という解を得て、私に質問したわけです。この変換方程式を解くために、しばらく黙り込んでいたという次第だったのです。

確かにMさんは勘違いしていましたが、私には頭脳の明晰さが印象に残りました。Sさんの間違い方にもMさんの勘違いに通じるものがあります。Sさんの作文には読んでいて引き込まれるような飛躍があります。「ねぼった」と聞いて、Sさんの今後が楽しみになってきました。

同じ地平

6月14日(火)

五行歌を知っていますか。俳句や短歌ほど厳しい縛りはなく、見たもの、聞いたもの、感じたことなどを五行の詩にしたものです。S先生がこの五行歌の創始者の草壁焔太氏と親しく、今までにも五行歌を取り入れた授業が行われたことがありました。今学期は上級の選択授業に五行歌が登場し、このたびゲストとしてお誘いを受けたのです。授業は、いわば句会のようなもので、参加するからには作品を提出しなければなりません。先週苦吟して作品をS先生に送り、いよいよ本番を迎えたわけです。

教室に入ると、見慣れた顔が7割ぐらい。おかげでほっとしたと言いたいところですが、この期に及んで、急に、こいつらに負けたくないと思い始めました。でも、作品を読むと、どこかに私の心をつかむフレーズがあり、あっさり兜を脱いで、作品を楽しむことに徹しました。

授業は自分以外の人の作品に点をつけ、各人がその作品を選んだ理由を述べ、最後に作者がその作成意図を語る形で進められました。4月からすでに2か月こういう合評会を続けているとはいえ、学生たちが堂々と論理的に、合理的に、時に情熱を込めて作品を評する姿に驚かされました。聞いていてひたすら感心するばかりでした。作者の作成意図を聞くと、その深さにさらにうなりをあげました。私の考えなど遠く及ばず、すでに兜を脱いでいますから、頭を丸めねばならないほどでした。

学生たちが他の学生の歌を熱く評する姿にも、自分の歌を語る口っぷりにも、私が今まで見たことのない学生の一面がうかがえて、非常に新鮮でした。これは、一つには、合評会においては学生も私も同じ地平にいたからだと思います。上から目線ではなく、むしろ学生を見上げていたからこそ、見えなかった点が見え、学生の考えが直に伝わり、それが新鮮に感じられたのです。

とても清々しい気持ちで、午後の授業に向かうことができました。

プリントが出てこない

6月13日(月)

代講でふだん入らないクラスに入ると、できる学生とできない学生の区別がつきません。賢そうな顔をしていても勉強は全然だったり、ボーっとしているようで実は鋭かったりということがよくあります。そんなときは、すでに配ってあるプリントを用意させると、見当がつくことがあります。

きちんと整理されていて、「〇〇のプリントを出してください」と言われたらすぐ机の上に出せる学生は、だいたいできる学生です。こちらの言葉が聞き取れないのは論外として、しっかり聞き取ったものの、ノートの間やら昨日かおとといの教科書のページやら、果てはかばんの中からポケットの中までまさぐり始めるような学生は、推して知るべしです。おのれはドラえもんかと言ってやりたいです。

今日の代講のクラスも、発音練習のプリントがすぐ出てきた学生は、概して今日返却した漢字テストの点がよかったです。すぐ出てこなかった学生は、返されたテストを2つに折って(しかも雑に)、いつの間にかどこかに挟み込んじゃうんですねえ。あれじゃあ、テストの反省もできませんよ。

もちろん、学校では指導していますよ、もらったプリントはきちんとファイルしろとかって。時には手取り足取り教えることだってあります。それでもできない、またはやろうとしないというのは、その人の性格か感覚の問題なんだと思います。カオスの状態に慣れてしまうと、そこに問題意識など生まれません。それゆえ、整理整頓しなければという向上心も芽生えません。いや、整理整頓された状態が想像できないのでしょう。

やっぱり、いつまでたってもプリントが見つからなかった学生は、授業中に指名してもパッとしませんでした。整理整頓すれば自動的に成績が上がるわけではありませんが、そういう指導をもっと厳しくしなければと思いました。

地震こそ日本

6月10日(金)

避難訓練をしました。地震発生という想定で、机の下にもぐって、揺れが収まってから、整列して外に逃げるというものです。ごく当たり前のパターンでしたが、私が入った初級クラスは来日から日が浅いため、すべてが新鮮だったようです。

頭を保護しなければならないのに、机の下が窮屈だからでしょうか、お尻ばっかり隠して、頭が机の外に出てしまう学生が何名かいました。建物外への避難は、比較的整然と行っていました。「ハンカチかタオルで口と鼻を隠して」とくどく言ったのに、数名はおざなりに手を口と鼻に当てただけでした。

訓練修了後、本当に地震が発生した時の対処法を話しました。学校にいるときは教師の指示に従えばいいですが、自分の家にいるときだったら、自分で身を守らなければなりません。かばんでも布団でも鍋でも何でもいいから、まず頭を守り、この近辺における新宿御苑のように、自分が住んでいる地域で指定された避難場所に逃げるように伝えました。

日本は地震が多い国で、特に関東地方は1923年の関東大震災以来、大きな地震が発生していないので、いつ熊本地震並みの地震が起きてもおかしくないと言ったら、教室中が静かになってしまいました。「あんたたち、どうしてこんな危ない国に留学に来ちゃったの?」と、今までもいろんな学生に尋ねてきましたが、このクラスの学生はみんな正面から考えてくれました。

1人でも多くの留学生に日本へ来てもらいたいですが、日本で暮らすからには常に地震と背中合わせだという覚悟が必要です。地震もまた、日本の文化や日本人の精神を形作ってきた重要な要素の1つです。地震を避けていては、日本の真髄に触れることはできません。

化学の教科書

6月9日(木)

受験講座の受講生Mさんが中国の化学の教科書を持ってきていたので、見せてもらいました。私は中国語ができませんから、すぐにわかるものといえば、NaClなどの物質名や反応式やグラフなどです。それを追いかけていけば、だいたいどんなことが書かれているか、おぼろげながら見当がつきます。もう少し丁寧に読むと、多少はわかる漢字がありますから、教科書に書かれている理論や解説がちょっぴり見えてきます。

「先生はこの教科書がわかりますか」とMさんに聞かれました。「Mさんが日本語の教科書の漢字を見てわかるのと同じくらいはわかると思うよ」と答えると、とてもよく納得できたような顔をしていました。

私が配っているプリント、見せているパワポ、やらせている問題は、すべて日本語で書かれていますから、日本語が完全ではない学生にとっては、さぞ頼りない資料に映るでしょう。Mさんの教科書で化学の授業を聞いたら、化学の基礎知識があっても理解はあまり進まないと思います。学生たちはこれと全く同じ感覚を抱いているのだと思うと、資料を見せたりあげたりしただけで終わりにしてはいけないと、気持ちを引き締めずにはいられませんでした。漢字を使わない国から来ている学生にとっては、私が中国語の教科書を読む以上に困難を感じているはずです。学生にわかってもらえる授業を心がけてきたつもりですが、「つもり」止まりでは意味がありません。

学生が持っている力を十二分に引き出すには、どんな授業をすればいいのでしょうか。学生にとってわかりやすい資料、役に立つ資料って、どんな資料なのでしょう。問題を解かせたあとに何をすれば学生の力を伸ばしていけるのでしょうか。改めて考えさせられました。

感覚を磨け

6月8日(水)

受験講座は、あと11日に迫ったEJUに向けての追い込みにかかっています。私が担当している理科は、課顧問をやらせて、その解説を通して知識や理論などを入れています。また、EJUは時間との勝負でもあるので、過去問を実際に解きながら、時間節約のテクニックも教えています。

毎年感じていることですが、学生たちは几帳面に計算しすぎます。EJUは有効数字2桁ですし、しかも選択式ですから、選択肢の数字によっては、上1桁が出れば答えが選べちゃうことだってあります。それなのに、学生たちは掛け算のたびに桁数を増やして、所要時間と間違いも増やしています。

こんないい加減な計算は、本当はしてはいけませんが、拙速を旨とするなら、これもまた1つの立派な解法です。でも、科学者としては、詳しい計算に取り掛かる前に、ざっくりどのぐらいの数字になりそうかということを概算する能力も欠かせません。そこには有効数字の処理法も含まれています。EJUがこういう能力を求めているのだとしたら、非常に奥深い出題だと思います。

今は電卓をたたけば、あるいはコンピュータープログラムによって、いくらでも細かい数字が計算できます。でも、出てきた数字をもとに何かを判断するのは、最終的には人間です。電卓やコンピューターがはじき出した数字が妥当なものか、その数字を基に次のステップで何をするか、こういったことを考察し、結論を出す際に必要なのが、数字に対する感覚です。この感覚は、手計算をすることによってしか磨けないと思います。

理系志望の学生の多くは、将来、エンジニアや研究者になるでしょう。そこでは、この感覚なしには、大きな仕事はできません。私はこういうことまで学生に伝えようと思っています。

さりげなくVサイン

6月7日(火)

久しぶりに、一番下のレベルの授業に入りました。このレベルに入ると、今、受け持っている初級クラスの学生たちも結構話が通じるなと思ってしまいます。1つ上のレベルと比べても、かなり意識して語彙や文法を選ばないと話が通じなくなります。ましていわんや、ダジャレなど通じるわけもありません。

例えば、助詞の「に」を強調する時、私は空いている手でVサインをします。もちろん、数字の「2」に引っ掛けてのことです。これが、下から2番目のレベルだったら、頭が柔軟な学生には通じますが、一番下のレベルでは、全く通じません。みんな、こちらの話を聞き取るので精一杯で、指のほうになど目が行かないのです。たとえVサインに気がついたとしても、「2」が「に」と結び付くことはなく、そのままスルーされます。

おそらく、学生たちは「2」を母語で意識するため、音に結びつけるとしても“two”とか“er”とかにしかならず、この先生は何でVサインなんかしているんだろうとなってしまうのでしょう。「2」と「に」が結び付くということは、学生が日本語で考え始めているということでもあるのです。ですから、「電車『に』傘を忘れました」と言いながら出したVサインに学生が反応したということは、教師としては大いに喜ぶべきことなのです。

「ここ『に』お金を入れます」のVサインを見逃していた学生たちも、来学期の今頃は目ざとく見つけて笑ってくれることでしょう。下のクラスで持った学生を上のクラスでまた受け持つと、こんな形で学生の成長が実感できることもあります。心の中で密かに手をたたき、授業が終わってからにんまり笑うのです。

始まりました

6月6日(月)

朝、出勤して受信トレイをのぞくと、Qさんからのメールが来ていました。この時間に届いている学生からのメールは、ほぼ間違いなく欠席の連絡です。読んでみると、案の定、欠席連絡でした。きちんと欠席連絡をしてきたのはほめられますが、「今日は休んでいただけませんか」はいただけません。「勉強したがっている学生がたくさんいますから、休むわけにはいかないんですけど…」と返信してやろうかとも思いましたが、この切り返しがQさんに通じるとは思えず、誤文を訂正するにとどめました。週の最初から脱力感をたっぷり味わわせてもらいました。

夕方、受験講座が終わって職員室に戻ってくると、午後の私のクラスのSさんが書いたW大学の志望理由書を渡されました。W大学の出願は今月末ですから、もう準備を始めないといけません。先週の面接の時に、SさんはW大学を受けたいと言っていましたから、まあ、予定の行動です。志望校について一生懸命調べて書いたのはよくわかりましたが、そこ止まりでした。調べた内容をSさんなりに咀嚼した跡が見られません。Sさんの人となりがうかがえる部分がないのです。

こちらは、脱力感というよりは、どうやって指導していけばいいのだろうかという、道のりの遠さに圧倒されそうでした。Sさんの志望理由書を読んで、今年も受験シーズンが始まったなと思わずにはいられませんでした。学生たちはEJUの勉強で戦闘開始でしょうが、進学指導をしていく教師は、志望理由書が書けるまでに学生を引っ張り上げていくことが、受験シーズンの最初の大仕事です。Qさんの志望校の出願はまだだいぶ先ですが、いずれこういう場面を迎えることになります。

東京地方は昨日梅雨入りしましたが、じとじとしている暇なんかありません。

上手に話せるように

6月4日(土)

今週私が面接した初級クラスの学生の何名かから、上手に話せるようになるにはどうしたらいいかという質問を受けました。毎日日本人と話すのが一番いいに決まっていますが、日本に住んでいても日本人と話すチャンスはそんなにないのが現状です。KCPは日本人ゲストを呼んで、ゲストと話すチャンスを作っていますが、それだって各学期数回の前半どまりです。

アルバイトをしても、多くの場合、職場で使われている日本語は限られていますから、学生たちが望むような会話力はつきません。居酒屋敬語と称する、日常会話や入試の面接などでの日本語とはかなり様相の違う話し言葉だけが身につく結果に終わります。

相談を受けた学生には、授業前でも後でも、職員室で先生と話す練習をしてみたらどうかと言いましたが、毎日何人もの学生の会話相手をするとなると、こちらの仕事がさっぱり進まなくなります。このアドバイスは、そういう矛盾を含んでいます。また、日本語の文章を音読してみろとも勧めました。授業中に毎日音読の練習をしていますから、その成果を応用して、多様な日本語に触れ、日本語のリズムに慣れるのです。音読チェックぐらいなら、私たちも毎日できるでしょう。

Sさんは、国にいたときの日本語の先生から、公園へ行っておばあさんに話しかけなさいと教えられたそうです。内気なSさんはこれまでその教えを実行していませんが、実行しなくて正解です。変なガイジンに話しかけられたとかって誤解でもされたら、大騒ぎになりかねません。誤解を解くのに持てる日本語力を総動員し、話す力が向上するかもしれませんが、労力のわりに効果は薄いと思います。

Sさんの先生がどんな方かは存じませんが、公園でおばあさんに話しかけて会話力を磨いたとすると、まだのどかな日本が残っていた頃に勉強なさったのでしょうね。サザエさんかちびまる子ちゃんの時代なら、公園で留学生に話しかけられても暖かく迎え入れてくれる人が大勢いたんじゃないかな。今はグローバリズムの時代と言いつつも、人を見たら泥棒と思えという発想のほうが勝ってしまっているように思えます。

帰っちゃうの?

6月3日(金)

Eさんは、とうとう今週1週間、休み続けてしまいました。腰に古傷があり、その具合が悪くなると休むことはありましたが、1週間ぶっ通しというのは初めてです。週の始めに1度だけメールで連絡がありましたが、それ以降は電話をかけてもつながりません。中間テストはかろうじて合格点を取っていますが、こんなに休んでしまったら、もはや進級も覚束ないでしょう。

Eさんも進学を希望していますが、1週間も連続して休まなきゃならないような爆弾を抱えているのなら、それもはかない夢になってしまいます。日本留学を決意した時に、爆弾のことは考えなかったのでしょうか。自分の体と相談して、日本に留学したいのは山々だけど、断腸の思いであきらめようという方向に議論が進んでもおかしくなかったはずです。

私は海外留学をしたことがありませんからあんまり偉そうなことは言えませんが、私がEさんだったら、怖くて留学なんかできなかったと思います。言葉も満足に通じない国に、時折暴れる古傷とともに留学してしまう度胸は、私にはありません。

じゃあ、Eさんにはそういった恐怖心を押さえつけるほどの向学心や克己心があるのかと問われると、それほど強固な精神性は感じられません。薄ぼんやりとした憧れで来ちゃった口だと思います。噂によると、治療のため一時帰国するかもしれないとも言われています。治療が長引いたら、退学も考えなければなりません。今までにも欠席がありますから、ビザ更新が問題になりかねません。

昼休みは、校内で開かれた進学フェアに出て、各大学から来てくださった担当者から話を聞く学生でにぎわいました。Eさんの志望校のブースにも学生が集まっていました。Eさんが参加していたらどんな話を聞くのだろうと、学生たちの後姿を見ながら思いをめぐらしました。