Monthly Archives: 10月 2016

わかる、わからない

10月17日(月)

Wさんは理科系の学生です。午後、物理の問題がわからないと、私のところへ聞きに来ました。問題を見ただけでどこでつまずいたか見当がつきましたが、一応本人にわからないところを説明させました。ところが、この日本語がさっぱりわからないんですねえ。最終的には、私が見当をつけたところがわからないとわかったのですが、そこに至るまでに、Wさんも私もずいぶん苦労しました。

わからないところがわかってから、そのわからないところがわかるように説明しましたが、わかるように説明したつもりでも、なかなかわかってくれませんでした。Wさんはそんなに物分りの悪い学生ではありません。では、なぜなかなかわからなかったのかといえば、私が思うに、わからないことに焦りを感じて、1秒でも早くわかろうとして、かえってわからなくなってしまったのです。私がちょっと説明すると、わかったということを示したいのか、すぐ式を書いたり図を描いたりしました。でもその式は私の言わんとしたことと違っていましたし、図は的を射ていませんでした。

Wさんがわかったという顔をすると、ホッとするのと同時に、じっくり話を聞いてくれれば半分か三分の一の時間で済んだのにという気持ちが交錯していました。EJUまで4週間を切り、焦るなと言うほうが無理かもしれませんが、こんな調子じゃ実力の伸ばしようがないじゃないかと思いました。急いてはことを仕損じるという言葉通り、こういうときこそじっくり腰を据えて、落ち着いて問題文を読む、考える、人の話を聞くということが、何より重要なのです。

青空お預け

10月15日(土)

朝、マンションの外に出ると、思わずぶるっと来ました。あっという間にコートの季節だなあ…などと思いながら駅へ来ると、改札口のところのデジタル温度計が13.6度と表示していました。この温度計はいつも気象庁の発表より2度ほど高い温度を示すので、「今朝の最低気温は11度か12度か。寒いわけだ」などと思いつつ電車に乗りました。車内は、まだ暖房は入っていませんでしたが、乗り込むとちょっぴりほっとしました。それだけ気温が下がっていたのです。

調べてみると、今朝の東京の最低気温は11.8度で、この秋一番の冷え込みでした。多摩地方は10度を割り、北関東の山沿いは氷点下だったようです。鹿児島、沖縄を除いた日本中が、今シーズンで一番低い気温を記録しました。

でも、冷え込んだということは空に雲がないということであり、日中もきれいな青空でした。私はEJU対策の受験講座をしましたが、5階の教室の窓から見える空はあくまでも青く、室内でちまちま授業しているのがもったいなく感じました。学生に問題を解かせている間、こんなに空気が澄んでいるのなら、京都の西山辺りを歩いてみたいなどと、らちもないことを考えていました。

遅いお昼を食べに外に出ると、陽射しがあるおかげで今朝よりもだいぶ気温が上がった感じがしました。この秋は天候不順だったので、なおのこと、青空をじっくり味わいたくなりました。御苑の芝生に寝ころんで、ひなたぼっこ兼昼寝ができたらどんなによかったでしょう。

EJUまであと4週間。それまでは散歩も昼寝もお預けです。EJUが終わったら、羽を伸ばすことにします。

どの面下げて

10月14日(金)

Iさんは学期が始まったばかりなのに、家族が来日するからということで、来週いっぱい欠席するとメールで連絡してきました。無断欠席よりはましですが、1週間以上も授業に出ないと、せっかく進級したレベルの勉強についていけなくなるおそれがあります。この間に平常テストが3つありますから、今学期全体の成績にも影響が出かねません。こういうことを書いて返信メールを送ったのですが、これに対する返事はなく、Iさんは粛々と休み始めました。

Iさんのご家族も、何でわざわざ学期が始まって3日目なんていう日に来日したのでしょう。KCPの学期休みに合わせることはできなかったのでしょうか。自分の子どもの勉強を邪魔しているという意識がないのでしょうか。極端なことをいうと、通訳代わりとして家族と一緒に観光地を歩いていたIさんが、在留カードの提示を求められ、そこに記された「留学」という文字から、ビザの発給目的に反する行為をしているとして捕まっても、文句は言えません。授業時間中にアルバイトしているのと、本質的には変わるところがありませんから。

Iさんの例に限らず、歯医者の予約を入れたとか、インターネットの工事があるとか、そんなの授業時間外にまわせるだろうという理由で欠席する学生が後を絶ちません。人間は楽なほうへと流されていくものですから、そうやって気安く休むと、休み癖がつきます。無為に過ごすことへの罪悪感も薄れてきます。負のスパイラルにはまり込んで、有意義な留学からどんどん遠ざかっていきます。

Iさんは、私が何を言っても予定通り休み続けるでしょう。再来週の月曜日に久しぶりに学校へ出てきたとき、どんな顔をするでしょうか。

吸収する

10月13日(木)

新学期は、新しい学生も来ますが、新しい先生方のデビューの時期でもあります。新人の先生は、自分のクラスの担任か、そのレベルの責任者である専任教師に事前に教案を提出し、チェックを受けます。そして指導を受けてから、授業に臨みます。

教えた経験がない先生の場合は、90分間20人の学生の前に立ち続けるということがイメージしづらいものです。学生から受けるプレッシャーも、自分の一挙手一投足が学生に与える影響も、計算できません。その強さ・大きさに驚き戸惑うことも多いです。

授業は演劇ではありませんから、教案は台本ではありません。常に予想外の反応があります。注文どおりの答えが返ってくるとは限りません。時には態度の悪い学生を叱る必要にも迫られます。「ここで学生を叱る」なんて教案に書き込んであるはずがありません。でも、最終目的地は決まっています。紆余曲折があっても、何とかその近くにまでたどり着かなければなりません。

しかも、ただたどり着けばいいというものではありません。学生に授業内容を理解させる、進歩したという実感を与えることが先決です。ことに、学生との関係が確立していない学期初めは、その理解の度合いを推し量るのも、結構難しいものです。そうすると、自分はゴールに到達したのか、まだその手前なのか、自分自身にもわかりかねることだってあります。

私もあっちこっちに引っ張りまわされて、新しい先生方の様子をじっくり観察できていませんから、どんな調子なのかわかりません。でも、レベル1の新入生と同じくらい、毎回の授業から何でも吸収して、3か月後には実力も度胸もつけていることと思います。

期待と夢と

10月12日(水)

新学期の初日は、教科書販売があります。私が担当した超級クラスでも、高いとか何とか言いながら、結局全員買いました。そして、ふだんより少々神妙な顔つきで、名前を書き込んでいました。新しい教科書を手にすると、未知の世界に飛び込むわくわく感が沸いてくるのでしょう。

私も小学校から大学まで、新しい教科書のインクの匂いをかぐと、気持ちが高揚したものです。時にはその教科書は苦難の道への案内書だったりもしたのですが、初めて教科書を開くときは、その教科書をマスターすれば万能の力を手に入れられるような、今思うと実に前向きな勘違いをしていました。

学生たちも新しい教科書にそんな期待をかけているのでしょう。学生は教科書に夢を映して一生懸命勉強すればいいのですが、教師としては、その教科書を使って、学生たちが寄せた期待や描いた夢を実現させていかなければなりません。教科書の字面を2倍にも3倍にも膨らませて、学生たちが想像も及ばなかった景色を眺めさせることが、私たち教師に課せられた責務です。

ところが、前学期の成績が思わしくなく、今学期も同じ教科書で勉強しなければならない学生もいます。その中には、やる気を失ってしまう学生も少なくありません。一度勉強して書き込みのある教科書には、確かに新鮮味はありません。でも、その教科書に見えていなかったところがたくさんあるから、合格点が取れなかったのです。「また同じ勉強だ」ではなく、一回目には見落としたり聞き落としたりしていた点をしっかり自分のものにするんだという気持ちで教科書に接すれば、きっと新たな発見があり、それが高揚感をもたらしてくれます。

幸い、私のクラスは、全員新しい教科書でした。早速、その教科書を使って授業をしました。今までにない刺激を感じたのか、活発な授業になりました。この勢いを期末テストの日まで持続していきたいです。

問題集

10月11日(火)

明日から新学期が始まりますが、毎年10月期ともなると頭を痛めるのが、超級クラスの教材です。留学生向けの教材では歯ごたえがなさ過ぎ、かといって毎日生教材を用意するのでは、教師のほうが身が持ちません。今学期は、日本人の高校生向けの市販問題集を読解の教科書にすることにしました。

独自試験を課する大学の試験問題は、日本人の高校生向けの問題よりはいくらか易しいものの、留学生向けに書かれた文章はもちろんのこと、EJUクラスの文章よりも読むのに骨が折れます。どこで骨が折れるかというと、まず、十数年日本で暮らしていれば知っていて当然だけれども、日本語に触れ始めてから数年にも満たない外国人にとっては理解が難しい内容が取り上げられることがある点です。

例えば、今の高校生は、渥美清が亡くなってから生まれていますから、フーテンの寅さんは生では知りません。しかし、彼らが持っている寅さんに関する情報量は、一般の留学生に比べればはるかに多いはずです。「日本文化が好きです」と言っても、日本文化のいいとこ取りをしてきた留学生と、それにどっぷり漬かってきた日本人とは、おのずと受け取り方が違います。外国人から見た日本観が日本人にとって新鮮なように、日本人がごく当たり前に書いた文章も、留学生にとっては不思議というか時には意味不明なことさえあります。

そういうギャップを埋めるためにも、高校生向けの易しめの問題集は超級の学生にもってこいなのです。単に読解のテクニックを磨くだけではどうしようもない谷間に橋をかけ、学生たちを向こう岸に渡そうと考えています。思惑通りにうまく事が運ぶか、私たちの腕の見せ所です。

入学式挨拶

皆さん、ご入学おめでとうございます。このように、世界の国々から多くの若者が、このKCPに集ってきてくださったことをとてもうれしく思います。

今年は、NHKの大河ドラマ「真田丸」が人気を集めています。主人公の真田信繁は、真田幸村という名で世にすでに知られた人物でしたが、その父親・真田昌幸にもスポットライトを当てていることが、このドラマの特徴だと思います。

ドラマの中での昌幸は、戦国時代を生き抜く策士として描かれています。昌幸の領国は小国でしたが、昌幸は周囲の大国からの侵略を防ぎ、逆に大国から一目置かれる確固たる地位を築き上げました。自分の領地を一族を家族を守るためにあらん限りの知恵を振り絞り、置かれた状況において考えうる最善の手を選び、そして、万難を排してそれを実行に移そうとしました。もちろん、いつも事がうまく運んだとは限りません。選んだ手が裏目に出たこともあれば、動きすぎて失敗を招いたこともあります。それでも、決してあきらめることなく、失敗を取り戻す手立てを考え、また動き出しました。真田信繁が、大坂夏の陣で寡兵をもって徳川家康をあわやというところまで追い込み、現代にまで名を残しているのは、この父親の生き様をつぶさに観察し、大いに学んできたからに相違ありません。

私が、今ここにいらっしゃる皆さんに望みたいのは、真田昌幸のこの生き方です。昌幸のように自ら動いてチャンスを作っていく気持ちがなければ、留学は成功しません。人に言われて何かをするのではなく、主体的に動くのです。状況に応じて最善策を考え、それを実行するために、周囲の協力を得ていくことが肝要です。

ことに日本での進学を考えているのでしたら、10月入学生は、入学試験までの時間が4月入学生などに比べて短いですから、これがハンデになりかねません。自分で工夫し、周りを動かし、有利な状況へと持ち込まなければ、皆さんが国で思い描いてきたような留学生活は送れないでしょう。棚から牡丹餅を期待しているようでは、「こんなはずじゃなかった」という結末を迎えてしまいます。

この中には、親に言われたから日本へ来たという方もおいででしょう。そういう方も、流れに身を委ねるだけでは進歩も発展もありません。誰かが何かをしてくれるだろうという受身の姿勢では、「日本はおもしろかったです」が留学の唯一の成果ということになってしまいます。そうではなく、これから半世紀かそれ以上続く皆さんの人生の基礎を打ち立てるために、皆さん自身の頭脳を最大限に回転させ、必要とあれば私たち教職員に援助を求め、自分の手で有意義な留学をこしらえていってください。

本日は、ご入学、本当におめでとうございました。

うん

10月7日(金)

Lさんは今学期の新入生です。プレースメントテストだけではレベルを決めることができず、本人にインタビューしました。

「国でどのくらい日本語を勉強してきたんですか」「半年ぐらい」「大学進学希望ですよね」「うん」「大学ではどんな勉強がしたいんですか」「アニメ。アニメ描きたい」という調子で、どっちが先生かわからない話しっぷりでした。Lさんの表情を見る限り、悪気があるとは思えませんでした。日本語学校にも通ったとのことでしたが、話す練習はろくにさせてもらえなかったんでしょうね。発音もひどかったですし…。

半年の勉強でJ.TESTのE級に受かったのですから、語学のセンスはあるはずです。でも、TPOに合わせた話し方は全くできません。もしかすると、教えてもらわなかったのかもしれません。テストで点数を取る勉強はしてきても、コミュニケーションを取る勉強はしてこなかったようです。

Lさんへのインタビューの前に、ここ1年ばかりの新入生のプレースメントテストのデータを見ていました。Lさんの半分どころか、そのまた半分にも遠く及ばない点数だった学生が、今では実にきれいな日本語を話すようになっている例が少なからずありました。Lさんが国で勉強し始めた半年前に入学していたら、J.TESTのE級はどうだかわかりませんが、話すことにかけては今の100倍も上手にさせることができたと思います。

KCPは進学に力を入れていますが、テストで点を取ることだけを目標にしているわけではありません。それ以上に、学生にはきれいな発音できちんとした話し方ができるようになってもらいたいと思って、教師は日々頭と体を使っています。

3か月後、半年後、1年後、そして卒業する時、Lさんはどんなふうに成長しているでしょうか。

明日までにお願いします

10月6日(木)

新学期の準備でどたばたしている時、Bさんが明日までに学校の書類がほしいと申し込んできました。志望校のH大学の出願締め切りが明日だと言います。書類の発行には3日かかると、入学の時から再三再四言ってきています。先学期末の授業でも、書類発行申請には余裕をもってと注意しました。Bさん同様H大学を志望する学生たちは、とうの昔に書類申請し、その書類を受け取り、もう出願しています。

Bさんは級にH大学出願を決めたわけではありません。先学期の最初のころから志望校として挙げていました。それなのに、出願締め切りの前日に至って必要書類の申請をするとは、今までいったい何をしてきたのでしょう。下手をすると、願書などの記入もいい加減かもしれません。おとといも、Bさんと同じクラスのGさんの出願書類に不備があったと、H大学から電話がかかってきました。Gさんはすぐに対応して、事なきを得ました。Bさんの出願書類に不備があったら、出願締切日を過ぎているからと書類を受け取ってもらえなくても、文句は言えません。

どうしてこういう計画性のないことをするのでしょう。確かに、人は追い込まれないと仕事をしたがらないものです。でも、進学は自分の人生がかかっているのです。それも第一志望の大学への出願です。それなのにこんなことをしているとは、本気度を疑いたくなります。申請書に書いた生年月日を見ると、Bさんは子供の年齢ではありません。苦労もせず、痛い目にも遭わず、この年になってしまったのでしょうか。

いろいろと厳しく注意して、Bさんの申請書を受理し、事務の方々に頭を下げて、新入生の対応で忙しい中、Bさんの書類を作ってもらいました。でも、こうしてBさんの願いを叶えてあげることが、果たしてBさんにとって幸せなのだろうかと思えてきます。私のきつい言葉もBさんの心に響いていなかったようだし…。

地図がほしいです

10月5日(水)

朝、誰もいない職員室で物理の問題を解いていると、「スミマセン、エーゴ、ワカリマスカ」と声をかけられました。顔を上げると、いかにもアルファベットの国から来ましたという男性がカウンターの向こうに立っていました。筆談もできるようにペンとメモ用紙を持ってカウンターへ行って話を聞くと、彼は10月の新入生で、1キロほど離れたホテルから歩いてきて、東京の地図がほしいということがわかりました。彼のスマホは地図が出てこないので、原宿や渋谷やいろいろなところへ行くので地図を買いたいとのことでした。彼が持っていたホテルからここまでの地図の上に紀伊国屋を示し、開店は10時だと教えてあげました。「ドモアリガト」と笑顔で去っていきました。

文章にすると長くなりますが、この程度の英会話なら今の私でもできます。かつては英語で日本語を教えていましたが、今は英語を話すのも、こんなシチュエーションで年に数えるほどです。日本語教師は、きちんとした日本語を話すことが本務で、それ以外の言語を使うのはサービスだなんて、言い訳していますけど…。

今朝の彼にしてみれば、日本語では自分の意志の1%も表現できないでしょうが、英語なら、受け取る側の能力に大いに問題はあるものの、伝えたいことの大半は伝えられると思ったのではないでしょうか。そして、地図が手に入る場所を知るという、私が思うに彼の最大の目標は達せられたと思います。

この、自分の思いを伝える術があるという感覚は、異国の地においては非常に大きな安心感をもたらします。共通言語がボディーランゲージだけというのは、心細いものです。

明日は、新入生のプレースメントテストがあります。心細さを感じている人たちが大量にやってきます。言葉の面ではどうすることもできませんが、せめて心を目いっぱい開いて、新入生の心を少しでも和らげてあげたいです。