Monthly Archives: 4月 2017

塗って泳ぎきる

4月15日(土)

今学期の受験講座が始まりました。EJU読解の過去問をやらせました。解答用紙を回収して採点したところ、課題が2つ浮かび上がってきました。

まず、規定の40分で25問解けない学生が少なくありませんでした。最後の5問ぐらいが白紙だったり3番ばかり塗られていたり、後半の正答率がガクッと落ちたりという解答用紙が目立ちました。学生たちの内心の焦りと無念と屈辱と困惑と…が伝わってきました。

それから、時間が足りなかったこととも関係があるでしょうが、マークのしかたが雑な学生も多かったです。マークシート方式のテストは国でも受けたことがあると思いますが、解答番号を塗りつぶすのではなくチェックを入れただけという学生すらいました。そこまでいかなくても、おざなりのマークで番号が透けて見えるような、どう考えてもコンピューターに採点してもらえないような塗り方がある解答用紙が半分ぐらいでした。

特に今学期の新入生がひどかったですね。ほぼ全員が“問題あり”の答案でした。この学生たちは、40分で25問を解くというのが初めてだったかもしれません。時間配分がわからず、また、わからない単語が1つでもあると、それに引っかかって前に進めなくなっていたのではないかと思います。受験のテクニック以前の、心構えの段階がまだまだなのです。

そう考えると、KCPで何学期も勉強してきた学生は、実によく訓練されています。とにかく25問まで泳ぎきっています。マークシートも几帳面に塗っています。新入生の多くが6月のEJUを受けますが、あと2か月と3日で点が取れるマークシートに仕上げていかなければなりません。月曜日に私の辛辣コメント付きの解答用紙を受け取り、それをばねに伸びていってもらいたいです。

桜吹雪の中で

4月14日(金)

朝、誰もいない職員室に入ると、机の上に置かれた袋の列が、まだ薄暗い空気の中に浮かび上がりました。どのレベルも御苑へ花見に行くことになっていて、そこで食べるお菓子が入っているのです。

こういう日は、えてして学生は気が緩みがちになるものですから、私は朝から気合を入れてガンガン授業を進めました。いつもの半分しか時間がないのですから、密度を高く、集中しなければなりません。学生も、振り落とされないように、歯を食いしばってついてきました。

御苑に向かって歩き始めると、スーツの上着が邪魔くさく感じられるほどの陽気でした。今学期の学生たちはわりとパキパキ歩いてくれて、列が崩れることなく御苑まで行けました。明日が首相主催の観桜会だからでしょうか、大木戸門の前で全入場者の荷物検査をしていました。私が持っていたのはお菓子の袋、学生のかばんの中に入っていたのはみんなの日本語という調子ですから、もちろん、無事通過。

苑内はソメイヨシノの桜吹雪と満開の八重桜が重なり、まさに春爛漫。仕事とはいえウィークデーに花見ができるのが、KCPに入ってよかったと思うことの1つです。学生たちは入場するやそんな桜を写真に撮っていました。中には趣味の本格的なカメラをわざわざ持ってきて、いろんなアングルからレンズをのぞいている学生もいました。教室での少し緊張した顔つきとは違って、日本の春ののどかな日を楽しんでいるように見受けられました。

今週は新学期が始まったばかりですから、まだテストもなく、受験講座も始まっていませんが、来週からはテストもあれば授業後に受験講座も待ち構えています。学期の終わりにはEJUやJLPTもあります。ここで勢いをつけて、志望校まで一気に駆け上がってほしいものです。

竹内(たけのうち)街道

4月13日(木)

5月の連休はまた関西へ行って、今年は竹内街道を歩きとおそうと思っています。竹内街道は、今から約14年前の推古天皇のころにつくられた、難波と飛鳥を結ぶ日本最古の官道とされています。数年前に街道名の由来ともなった竹内峠の前後だけを歩き、峠のてっぺんから見下ろした大阪平野の雄大な景色に感動したものです。今回は、難波側の基点となる堺から竹内峠を越えて、最低でも竹内街道の終点の葛城市磐城まで、可能なら横大路と名を変えたその延長線も歩いて、桜井まで行けたらと思っています。

推古天皇と言えば、聖徳太子です。竹内街道の大阪府の東端に位置する太子町には、墓所である叡福寺を始めとして聖徳太子ゆかりの史跡がたくさんあります。われわれの世代にとっては1万円札の顔であり、親しみが湧きます。去年は法隆寺から飛鳥までの太子道を歩きました。太子が馬をつないで休んだとされるところで、私も汗を拭いて冷たいお茶を飲んで一服しました。

聖徳太子は推古天皇の皇太子として摂政を務めました。推古天皇より早く没したため天皇にはなれませんでしたが、十七条憲法制定など、日本の歴史に大きな足跡を残しています。それゆえ、「太子」とは帝位を継ぐべき皇子、皇太子を指しますが、その中でも聖徳太子を指すことが多いです。

昨日、今上天皇が退位して皇太子さまが天皇となったあと、その次の天皇となるべき秋篠宮さまを「皇嗣殿下」と呼ぶことに決まったと報じられました。「皇太子」とは次期天皇を意味すると思ってしまうこともありますが、上述のように天皇の子どもというのが本来の意味です。確かに秋篠宮さまは皇太子さまのお子さんではありませんから皇太子はおかしく、別の呼称が必要です。そこで皇嗣という言葉を作り出したわけです。

うまい言葉を作ったと思いました。皇位を嗣ぐべき人物という意味を的確に表しています。漢字とは、本当に便利な文字ですね。

ロビーで花見

4月12日(水)

午前の学生たちが教室に納まって少し静になったころ1階のロビーに出てみると、階段の上り口に桜の花びらが3枚落ちていました。学生の家の近くに咲いていた桜が、靴の裏にでもくっついて運ばれてきたのでしょう。

四ッ谷駅の桜は今が盛りで、今朝も、ほんの数十秒でしたが、花見をさせてもらいました。そして、お昼は花園小学校の校庭の桜を見に行きました。こちらも満開で、見とれるような淡い桜色でした。仮校舎のころは、花園小学校は通勤経路でしたから、朝のみずみずしい桜と夜桜と、毎日2回眺めていましたが、現校舎が完成してからは、とんと足が向かなくなりました。1月末に卒業クラスを連れて合同授業に行って以来です。

新宿通りから御苑に目をやると、大木戸門前の桜が見えました。あした、あさっては、各レベルが御苑へ花見に行きます。ソメイヨシノは散り初めぐらいかもしれませんが、御苑にはいろいろな桜がありますから、いや、そもそも桜以外にも多種多様な花がありますから、何かきれいな花が見られるに違いありません。

そんな昼食がてらの散歩から帰ってくると、卒業生のYさんが来ていました。Yさんは事情があって先月の卒業式に出られなかったので、証書と文集を受け取りに来たのです。職員室にいらした先生方の前で証書をもらい、拍手を受け、ちょっぴり照れていました。

その後、大学の様子を聞いたら、「留学生の新入生の中では、日本語が一番上手です」と胸を張って答えてくれました。そりゃそうですよ、KCPの超級で鍛えられたんですから。

雨の初日

4月11日(火)

御苑の駅で降りて地上に出ると、ちょうど雨がぽつぽつ降り出してきました。かばんの中から折り畳み傘を取り出して開くのも面倒くさいので、早足で学校まで来てしまいました。雨の新学期とは景気が悪いですが、自然現象には逆らえません。「傘は水を切って、ひろがらないようにまとめてから校舎に入ること」という注意の看板を出したのが、今学期の初仕事となりました。

先学期は超級の担当でしたが、今学期は初級クラスを教えます。初日はオリエンテーションですが、上級になってもこんなこともできない学生が山ほどいるんだという例を示し、だから初級の勉強はとても大事なんだと強調しまくりました。私は作文の担当だから、細かいところまできっちり見て、バシバシ減点して、遠慮なく不合格点を付けるよと脅しもしました。

上のレベルを教えていると、年功序列じゃありませんが、“暗記の日本語”で進級してきちゃったとしか思えない学生に出くわすことがよくあります。中間テストや期末テストで各レベルの合格点をきちんと取ってきたことは確かですが、それはいうなれば瞬間最大風速みたいなもので、その学生の本当の日本語力を表しているわけではありません。そういう、テストにやたらと強い学生は、間違ってどこかの大学に受かっちゃうことはありますが、そんな貧弱な日本語力では進学してから苦労することは明らかです。

上っ面だけの日本語力しかない学生になってほしくないので、学生にきついことを言ったわけです。初級のうちに、いい加減な日本語を書いたり話したりするクセを消し去り、上級クラスでこの学生たちと再び見えることがあったら、彼らの口から美しい日本語を聞きたいものです。

人身事故

4月10日(月)

今朝7時半頃、仕事をしていると電話が鳴りました。「小田急線が人身事故で止まっているので、学校に着くのが遅くなりそうです。すみませんが、2階のラウンジの鍵を開けておいてくださいませんか」とMさんから頼まれました。しばらくすると、今度はF先生から「小田急線が止まっていて、迂回ルートで行きますから遅れます」。

人身事故は、踏み切りで起きたようです。小田急線は代々木上原から登戸までは立体交差化が進み、踏み切りはなくなりましたが、その前後は、新宿駅の南口を始め、数多くの踏切が残されています。ホームでの人身事故は、ホームドアによってほぼ完璧に防げるでしょうが、踏切での人身事故は踏み切りをなくさない限り撲滅できません。これは何十年も前から言われていることですが、いまだに解決できずにいる問題です。

立体交差化には多額の費用を要し、一企業の手には容易に負えません。高架化による立体交差は日照権や騒音の問題が生じ、地下化するには高架化よりも工費がかさみます。路線が通過する自治体の協力なしには計画は進みません。でも、計画を立てたからと言ってすぐに実施できるわけでもなく、工事を始めても短期間に終えることはできません。小田急の立体交差化も、都市計画の段階から考えると、半世紀もの年月が流れています。着工からでも30年以上です。

小田急の歴史を紐解くと、昭和の初期に新宿ー小田原間の80km余りをわずか1年半ほどで一気に開通させています。ですから、たらたらと仕事を進める風土の企業とは思えません。その小田急をもってしても、30年とか半世紀とかという時間を要しているのですから、これがいかに難事業であるかがわかると思います。

小田急が開通したおかげで都市化が進み、都市化が進んだせいで立体交差化が進まなくなったという皮肉な図式があります。小田急にしても、立体交差化が完成しても乗客が増えるという見込みはありません。立体交差化に伴って行われた複々線化によってスピードアップが図られ、それによる乗客増はいくらか望めるでしょうが、小田急の経営にどれだけ資するかはわかりません。

踏切事故は、法律的に見ると、ほとんどの場合、鉄道側に責任はありません。でも、はたから見ると鉄道側が悪く見えてしまうこともよくあります。日々、かげながら恩恵をこうむっているのに、事故が起きると「まったく小田急はどうしようもない」なんて言ってしまうものです。

日本は、鉄道など交通機関を公共財と考える発想が薄いです。小田急は利潤も追求しているでしょうが、儲け第一主義だけでは半世紀にわたって粘り強く立体交差化を進めることなどできません。明日からまた多くの学生たちが電車で学校に通ってきます。鉄道会社には安全運転を望みますが、万一人身事故が起きたとしても、鉄道会社だけを悪者にするような学生には育てたくないです。

入学式挨拶

皆さん、ご入学おめでとうございます。世界の各地からこのように多くの方々がKCPに入学してくださったことをうれしく思います。

皆さんはどういう夢を持ってこのKCPに入学したのでしょうか。そして、その夢を実現するために、どういう目標を立てているのでしょうか。これからその目標に向かって進んでいこうとするでしょうが、その道は決して平坦ではないことを予告しておきます。向かい風の中、坂を上っていくような場面もあることでしょう。また、悪魔のささやきに負けて道ならぬ道に迷い込むこともあるかもしれません。残念なことですが、こうして夢をどこかに置き忘れ、目標がいつの間にかすり替わってしまう学生が後を絶ちません。日本で一流大学に進学し、一流企業に就職するつもりだったのが、今日のアルバイトをどうこなそうかということしか考えられなくなる、などという学生が現実にいるのです。

これは、立派な挫折です。しかし、挫折を味わったからといって、がっかりする必要はありません。生まれてから生涯、挫折がない人などいません。問題は、その挫折からいかに立ち直るかです。早く立ち直らなくてもいいですが、その挫折から何かを学ぶことが肝心です。挫折から何かを得るたびに、その人の人格は厚みを増し、その人の人生は豊かになります。人は挫折によって鍛えられるものです。そして、いつの日か、挫折をものともせずに成功へとつなげていける人物に成長していくのです。

4月から大学生になったGさんは頭のいい学生で、学校の授業に出なくてもまずまずの成績が取れてしまいました。東京の有名大学の一角を占める大学への進学も決まりました。しかし、KCPの卒業試験の日に欠席したため、「卒業」とは認められなくなりました。Gさんは、私に何とか卒業試験を受けさせてくれと頭を下げてきました。Gさんの実力なら卒業試験に合格することはたやすいです。しかし、私はGさんに卒業試験を受けさせませんでした。ここで卒業試験に合格してKCPの卒業証書を手にしてしまったら、今後Gさんは世間をなめてかかるだろうと思ったからです。

KCPの卒業証書がもらえないくらい、Gさんのこれからの長い人生の中では小さな挫折です。この挫折を通して何かをつかむほうが、卒業証書をもらうより重い意味があります。頭を下げればどうにかなると思うようになるより、頭を下げても願いが通じないことがあるのだということを、身をもって学んでほしかったのです。

このように、KCPは、時には皆さんに挫折を強いることすらある学校です。皆さんがこれから味わう挫折を乗り越えて目標に向かって進み、夢を実現させることで、より強い人間に成長してください。挫折から立ち上がる際に私たちの支援が必要だとあれば、私たち教職員一同は喜んで力をお貸しします。

皆さん、本日はご入学本当におめでとうございました。

におい

4月7日(金)

昨日のプレースメントテストに続いて、新入生へのオリエンテーションがありました。私も進学コースの学生に向けて、大学院や大学に進学するまでの心構えを述べました。しきりにうなずいている学生もいれば、大口を開けてあくびをしている学生もいました。1日かけて、勉強のしかたや学校内外での生活の注意などを聞かされてきたのですから、脳が疲れていたとしてもやむを得ません。

一部の学生の面接もしました。志望校学部学科まで明確に決めてきて、出願日まで調べている学生もいれば、漠然と来年日本で進学するとしか決めていない学生もいて、新入生は人柄がわからないだけに、より一層十人十色だと感じます。中級や上級に入った学生たちの多くは、来年の3月に卒業していきます。去年の4月に入学したOさんやLさんも、最初は海のものとも山のものともつきませんでしたが、濃密な信頼関係が築けました。今年の学生たちともそういう間柄になりたいです。

そんな新入生のほとんどが、日本へ来てまず美味しいと思うものが、パンです。コンビニで安く簡単に手に入り、バラエティーが豊富で、おなかが膨れてと、学生にとってはいいことずくめです。もちろん、パンばかり食べているとぶくぶくと太ってしまうという副作用もありますが…。自分にとってパンは寿司なんか以上に日本を代表する食べ物だと語っていた学生も少なくありません。

そういう環境で暮らしているせいか、巷間を騒がせているパン屋和菓子屋騒動は、パン屋に肩入れしたい気持ちが強いです。旅先でパンの焼ける香ばしいにおいに出会うと、それだけでその町がいい町に思えてしまいます。そこに住んでいる人たちにとっても、そのパン屋さんは町の誇りなのではないでしょうか。

新入生たちは、日本でどんなにおいをかいだのかな。

文明の利器

4月6日(木)

新入生のプレースメントテストがありました。最初の科目の答案用紙と問題用紙を配り、試験を開始して間もなく、教卓のまん前に座った女の学生が手を上げました。彼女は答案用紙に名前を書いただけで、答えは何も書いていませんでした。問題の答え方がわからないのかと思ったら、スマホを出して彼女の国の言葉で何事か入力し、チョンとタップして私に見せてきました。「私は日本語が全然わからないので、初級のクラスに入るつもりなの」と表示されていました。

こういうスマホの使い方もあるのかと、試験中だからスマホはダメだと注意するのも忘れて感心してしまいました。それと、どういうアプリを使っているのか知りませんが、“初級のクラスに入るつもり『なの』”と、女の子っぽい表現になっているのにもほほーと思ってしまいました。

試験と採点が終わったら、もうお昼を大きく過ぎていました。中華料理屋で定食を注文し、料理が出てくるまで本を読んでいると、隣のテーブルのお客さんが店員さんを呼びました。「はーい」と元気よく応じた店員さんでしたが、お客さんからメニューについて英語で質問されたら顔色が変わってしまい、急いで別の店員を呼びました。その店員さんはスマホを取り出すや、何事か入力し、画面に表示されたであろうと思われる英文を読みました。それを聞いたお客さんは、「OK」とか言いながら何かを注文しました。出てきたものを見たら、麻婆豆腐ラーメンでした。

スマホの翻訳通訳アプリの威力を見せ付けられていたら、就職する直前に、3週間ほどヨーロッパを一人旅したときのことを思い出しました。ミラノのホテルで会話集の通りに「今晩部屋が空いているか」と聞いたのに全く通じず、その会話集を見せて何とか部屋を確保したこともありました。今なら、スマホの音声でどうにかなってしまうのかもしれません。そもそも、事前にインターネットで予約するからこんな事態には陥らないのでしょう。パリのハンバーガー店で、フランス語で注文しようとしても通じず、留学生と思われるアルバイト店員に“Hey, can you speak English?”と聞かれました。私にとっては助け舟で、予定外のポテトまで注文してしまいました。これも、今ならスマホでスマートにこなせるのでしょうね。

新入生の彼女、顔と名前はしっかり覚えましたよ。今度会ったときはスマホなしで話しましょうね。楽しみにしていますよ。

早いもので

4月5日(水)

私がKCPにお世話になり始めたのは、ちょうど2000年のことです。今年は2017年ですから、来年あたりはそのころ生まれた子どもが新入生として入学してくる計算になります。私が社会人として働き始めたころに生まれた世代は、既に学生適齢期を過ぎ、今では見かけることもまれです。前の会社に勤めていたころは、一回り下の新入社員が同じ部署にやってきたとき腰を抜かすほど驚いたものですが、今では三回りよりももっと下の学生を相手に右往左往しています。

夕方、私がKCPの教師になって間もないころの学生Sさんが、姪を連れてやってきました。国の高校を出たばかりで、今学期からKCPで勉強し、日本で大学進学を目指すといいます。日本語は多少はわかるようでしたが、私たちの話のスピードにはついていけず、ニコニコ笑っているばかりでしたが、1か月もすれば日本語の勉強も進んで、緊張もほぐれて、教師にも普通にしゃべれるようになっているでしょう。

SさんはKCP卒業後、大学に進学し、そして誰もが知っている有名企業に就職しました。日本人ならその会社に定年までいることでしょうが、Sさんは周りからの慰留を振り切って辞めてしまいました。最近でも当時の上司から復帰しないかと声をかけられているそうですから、よほど優秀な社員だったのでしょう。

Sさんの日本語は日本人と変わるところがありませんが、どんなに引き止められても大企業からポーンと飛び出してしまうあたりは、変なふうに日本の色に染まっていないなと思いました。姪御さんはSさん宅に住まわせるそうですから、学生時代のSさん同様、きちんと勉強させてくれるでしょう。Sさんの目尻のしわに、時の流れとともに頼もしさも感じました。