Monthly Archives: 4月 2018

思い出

4月4日(水)

3月に卒業した学生たちの進路をまとめました。進学した人が一番多いですが、就職した人もいれば帰国した人もいます。夢を叶えた人もいれば、夢が破れた人もいます。計画どおりに歩んでいる人もいれば、入学した時とは全然違う方向に進んだ人もいます。努力が報われた人も、報われなかった人もいます。

概して言えることは、自分自身ときちんと向き合った人は、たとえ来日時の思いとは違っていても、将来に向けて着実に進んでいるのに対して、行き当たりばったりだったり自分を正しく評価できなかったりしていた学生は、いったいどうしちゃったんだろうっていう進路になっています。CさんやGさんやLさんは、残念ながら、どうしちゃったんだろう組です。

この3人は、入学の学期に私のクラスでした。Cさんはしっかり者のZさんと友達になりました。でもZさんのいいところを見習うことなく、1年で大学進学したZさんと離れてからは、がたがたと崩れていきました。Gさんの辞書には「完璧」という言葉はないようで、何もかもが中途半端でした。何度叱られても蛙の面に水で、卒業後の進路も中途半端なままでした。Lさんはどこか斜に構えたところがありました。自分では冷静なつもりだったのかもしれませんが、自分の将来に対しても熱くなれず、流されるままに進学したように思えてなりません。

鉄を熱いうちに打たなかった私が悪かったのかなあと思いながら、3人のデータを入力しました。3人はKCPでの留学生活をどう思っているでしょう。新しい世界では、同じ轍を踏まないようにしてもらいたいです。

もちろん、そのクラスはそんな学生ばかりではありません。Lさんと仲のよかったDさんは、山あり谷ありの留学生活でしたが、大きく成長したと思います。最後の学期も私が受け持ち、大人になったと感じさせられました。最上級クラスに上り詰めて進学もきちんと決めての卒業ですから、立派なものです。

今週末は、新入生のプレースメントテストです。どこかのクラスで新入生を受け持つことでしょうが、卒業までに学生自身が成長を実感できるように育てていきたいです。

初授業

4月3日(火)

2018年度初の授業をしました。学生相手の日本語の授業ではなく、日本語教師養成講座の文法の授業でした。養成講座は、日本語は存分に通じる方たちへの授業ですが、日本語の出力を抑える訓練という一面も持っています。属性形容詞とか連用修飾とか連体詞とかという用語は、日本人に対しては使えても、KCPの学生のような日本語学習者には使えません。また、「カリナさんの髪は長いです」よりも「カリナさんは髪が長いです」のような形の文が日本語には多いことを、学習者に対して理屈をこねて説明しても意味を成しません。練習を重ねて後者のタイプが口をついて出てくるようにしていくことが肝心です。

教える内容の10倍の知識を持っていないと教えられないと言いますが、10倍の知識を持っているとそれを全部披露したくなるものです。どうだすごいだろうと威張りたくもなります。しかし、それをしたら、特に日本語学校の初級でそんなことをしようものなら、クラス全体が「???」で包まれます。そして、教師としての信頼を失うことでしょう。だから、出力を抑える訓練をしなければならないのです。

養成講座の授業をしている私も、自分用のメモにはあれこれいっぱい書き込みをしています。また、書き込み以外のネタも頭の中には仕込んであります。しかし、受講生にはそれを全部伝えているわけではありません。そうするには時間が足りませんし、そうしても聞いている皆さんの頭に残るのはそのごく一部です。

要するに、養成講座受講中に、日本語文法の思考回路を脳内に築き上げてほしいのです。これさえあれば、日常生活で目にしたり耳にしたりする日本語を自分で分析し、そこから学習者の理解を助ける教材を自分で見出せるようになるでしょう。そうなれば、もう一人歩きできる日本語教師です。

新年度

4月2日(月)

ついこの前卒業したKさんが、ビザの資料をもらいに学校へ来ていました。進学したD大学の学生カードを、少し自慢げに見せてくれました。Suicaもついているカードで、Kさんもそれを手にして大学に進学した実感が湧いてきたようです。これまでは、宿題は重荷だったかもしれませんが、これからは自分が本当に勉強したいことが勉強できるわけですから、宿題も楽しくなる…かもしれません。

同じく3月に卒業して就職したCさんは、入社式を迎えたはずです。社長の訓示をきちんと理解できたでしょうか。社会人ともなれば、学生時代とは違って、たとえ新入社員でも責任が伴います。「日本語はまだまだです」では済まされません。KCPで身に付けた日本語力を駆使して、日本人同期の上を行く有能な社員になってもらいたいです。そういう人物だと見込まれて、入社試験に合格したんでしょうけどね。

こういうふうに、KCPは留学生にとって通過点に過ぎません。KCPで日本語を勉強して上手になっただけでは、まだ半人前です。その日本語を使って何をするかに、それぞれの留学生の将来がかかっているのです。KさんがD大学を卒業した後どうするつもりか知りませんが、活躍の場は日本に限りません。Cさんだって、一生この会社で過ごすかといえば、おそらく違うでしょう。どこへ行っても、何をするにしても、日本語を軸に人生を考えてくれたら、KさんやCさんに教えた立場の人間として、この上に喜びです。

今週末には、また大勢の新入生がやってきます。この学生たちは、来年あるいは再来年の4月を、どこでどのように迎えるのでしょうか。