Monthly Archives: 9月 2018

束の間の好天

9月28日(金)

通勤電車から、わずかにオレンジ色に染まった東の空が見えました。学校に着いたら、青空。1日中快晴で、久しぶりに明るく伸びやかな気持ちになりました。午前中病院へ行きましたが、このままピクニックでもしたくなるような陽気でした。最高気温は26度でしたが、湿度が低くてさわやかでした。きのうとおとといは最高気温が20度を割り、9月に2日連続で最高気温20度未満というのは10年ぶりだったとか。秋らしさの復活といったところでしょうか。

今朝の最低気温は14.1度でした。私が家を出た頃この気温を記録したはずですが、明日はお休みの私にとって夏装束最終日ですから半袖で出勤しました。肌寒さは感じましたが、我慢できないほどではなく、むしろ気持ちがピリッとして、眠気が覚めました。でも、14度といえば3月ぐらいならコートを着ているかもしれません。人間の感覚って、いい加減なものですね。

ただ、この好天も明日の未明までで、その先は台風の接近にともなって雨模様となるようです。なんだか信じられないというか、信じたくないというか、名残惜しいというか、もう少しこのきれいな青空を見ていたいです。それにしても、今年は台風が多いですね。この台風も含めて、異常気象が定番になりつつあるような気もします。長期予報によると暖冬だということですが、暖冬にもすっかり慣れてしまいました。

病院から戻って来て、午後は期末テストの作文の添削をしました。進歩を感じさせてくれる学生もいれば、同じミスを繰り返している学生もいます。そういうことを最後のコメントで指摘しようと思っています。

涙のかなたに

9月27日(木)

Kさんは7月までは欠席もほとんどなく、成績も優秀で、何の問題もない学生でした。しかし、7月末に体調を崩してからというもの、なかなか健康を取り戻せず、しかも、熱がある時に体を動かしたら階段から落ちてけがまでしてしまいました。精神的にも参ってしまい、今月もほとんど登校していませんでした。

そのKさんが、期末テストを受けに来ました。テスト範囲の授業をほとんど聞いていないのですから、テストを受けてもできるはずがありません。並の学生なら「どうせ…」と思って休んでしまうものですが、Kさんは出てきたのです。顔を見ると明らかに調子が悪そうだったのですが、テストを受けるとともに、今までの事情を説明に来たのです。

Kさんは来学期以降もKCPで勉強したいと言いました。私も、こうしてきちんと現状を明らかにしようというKさんなら、このままずるずると長欠に陥ることはないでしょう。健康状態が回復すれば、勉強を続けてほしいと思います。しかし、「健康を回復すれば」という大きな条件が付きます。今、日本で勉強を続けるよりも、一旦帰国して体を完全に治してから再挑戦したほうが、Kさんにいい結果をもたらすかもしれません。勉強を継続するか帰国するか決められるのは、Kさん自身です。Kさんならその判断ができると思います。

そういう話をしたら、Kさんは泣いてしまいました。涙の理由は聞きませんでしたが、自分自身に対して涙していたことは確かです。国で勉強していたら流すことのなかった涙でしょう。同じ国から来ている同級生のYさんが慰めていました。どういう結論に至っても、この涙が無駄にならないことを祈るばかりです。

SSSSSSS

9月26日(水)

久しぶりというか、初めてかもしれませんね、あんなにいい成績表を見たのは。だって、Aがたった2つですよ、残りの10科目ぐらいが全部Sで。Aが2科目であとがBとCというのは何回も見てきましたが、Sがずらずらっと並んだのを見せ付けられると、圧倒されて言葉を失ってしまいます。こういうのを眼福というのでしょうか。

今年、R大学に進んだYさんが、成績表を見せに来てくれました。R大学は、Yさんにとっては余裕のある大学で、事実、留学生の中では絶対1番だと胸を張っていました。日本人にはかなりできる学生もいるけど、学年全体で上位にいることは確かだと言います。これだけ成績がよかったら来年の奨学金は堅いねと言うと、まんざらでもなさそうに笑っていました。それでも、レポートを始めとする課題は大変だとのことでした。留学生向けの日本語は楽勝だと言っていましたが、KCPの最上級クラスで卒業ですから当然ですね。

卒業したら、大学で入学したかったK大学あたりの大学院に進もうと思っているそうです。R大学にもK大学出身の先生がいらっしゃるそうですから、そういう先生に渡りをつけていただくことも考えておいたらいいでしょう。

鶏口となるとも牛後となるなかれと言います。無理してK大学に入って超低空飛行を続けるよりもR大学でトップを争うほうが、Yさんの人生を長い目で見た場合、よい結果をもたらすかもしれません。いい大学に入っても、ドベを争ううちに負け犬根性が染み付いてしまったら、何の意味もありません。たとえそのいい大学の卒業証書を手にしたとしても、そんな学生をほしいと思う会社はないでしょう。リーダー経験もさせてもらえないでしょうから、起業だってあやしいものです。入学から卒業まで好成績を続けると、プライドも風格も身についてきます。周りから頼りにされることが当たり前となり、リーダーシップも自然に身につきます。

YさんがR大学しか受けないと言ってきた時には少々がっかりもしましたが、こうしてSばかりの成績表を見せられると、これでよかったんだねと思えてきました。

ぽかん

9月25日(月)

期末テストが近づき、授業中に行われる平常テストで不合格だった学生が大量に再テストを受けました。なぜ、「大勢」ではなく「大量に」という言葉を使ったかというと、同じ学生が複数の再テストを受けたからです。複数でも何でも、再テストで合格点を取ってくれればいいのですが、再テストをしても合格点に手が届かない学生がいました。それどころか、最初のテストよりも成績が下がる例すらありました。

勉強せずに再テストを受けたということはないでしょうから、冷たく言い切ってしまえば、実力がないのです。こういう学生には、もう一度同じレベルをやってもらおうと、私の心の中では思っています。サボっていて実力が伸びないのなら、もう一度、こんどはまじめに勉強しなおしてもらいましょう。教師の説明がわからなかったのなら、二度目に聞けばわかるようになるでしょう。今学期わからなかったところを整理しておいて、来学期そこを集中的に聞いて理解することができれば、1回目で理解したつもりになっている学生より確かな実力となることでしょう。

最も厄介なのが、もう限界組です。努力しても、語学に対するカンを持ち合わせていないため、実力が頭打ちになってしまっている人たちです。助詞の用法でも動詞の活用の使い分けでも、理論的に説明できないことはありません。しかし、教師の説明だけで理解しようと思うと、膨大な量の日本語を聞かなければなりません。その日本語を聞いて理解するほうが、そこで説明されている文法を理解するよりよっぽど難しいです。ですから、カンによってそれを補い、少しの説明から応用範囲を広げていく才能が必要なのです。その才能がない人は、そこで打ち止めです。

残念ながら、私のクラスにもそれらしき学生がいます。初級の終わりぐらいの段階でもうそれが来てしまったとは、本人も認めたくないでしょうし、こちらとしてもどうにかならないものかと思ってしまいます。学期の初めはそれ程でもなかった差が、今は歴然としています。教師の地の語りが理解できるようになった学生がいる一方で、それを聞いてもぽかんとしている学生もいます。ぽかんの人たちに、どこかで引導を渡すのも、私たちの仕事です。

知られざる大天才?

9月22日(土)

朝、パソコンを立ち上げると、Yさんからメールが来ていました。土曜日だから欠席の連絡じゃないし、何だろうと思いながら開くと、自分が書いた小論文を見てくれというものでした。Yさんは初級の学生ですが、1000字弱の文章を送ってきました。

内容は、日本人の言う「恥」について書かれていて、ユニークな切り口で考えさせられるところが多かったです。もちろん、文法や語彙の面では突っ込みどころが満載でしたが、発想そのものは興味深いものがありました。

Yさんは授業の時でも他の学生とは違った毛色の例文を書きます。教師が授業で示した文にちょっと手を加えただけの、安全運転の例文は書きません。日本語で日本の小説、それも芥川とか川端とかを読んでいるそうですが、その一場面を題材に選んだり、小説で覚えたと思われる単語を使ったりして例文を作ってくることもあります。今朝のメールは、その大掛かりなものだと考えれば自然な流れだと思います。

私はYさんのクラスの作文も見ていますが、Yさんは細かいところに気を使わなさ過ぎるところがあります。主張は立派なのですが、文法や表記のミスが多くて点数が伸びません。磨けば光るものを持っているのですが、Yさんには磨く気がないように思っていました。ですが、小論文を送ってきたところを見ると、何がしかの決意をしたのかもしれません。その決意を鈍らせないために、朝の予定を変更して、すぐに添削して返信しました。

Yさんも進学希望ですが、今年は受験しません。今から訓練を積んでいったら、Yさん固有の独創性と相まって、来年の受験期には読み手を引き付ける文章が書けるようになっていることでしょう。

まかぬ種は生えぬ

9月21日(金)

来週木曜日が期末テストですから、毎週金曜日のレベル1の授業は、今週が最終回。で、最終回にふさわしい華々しい授業をしたかというと、私はほとんど突っ立ったままでした。期末タスクの準備をしたからです。

各グループでテーマを決めて、そのテーマについて他のクラスの学生にインタビューし、回答をまとめてクラス内で発表するというものです。そのインタビューと回答のまとめをしたのですが、みんなの日本語の赤い本がまだ終わっていない程度の日本語で何とか意思疎通を図ろうとしている姿が、とても健気に感じられました。

7月の始業日のころはかたことにも至らないくらいだったのが、曲がりなりにも自分の意見が言えるまでになったんですからね、大したものですよ。インタビューでもその後のまとめの時間でも、知っている単語と文法を組み合わせ、時にはジェスチャーを交え、時には絵を描き、どうにかコミュニケーションを図ろうとしていました。実生活でも同じような場面に出くわしているに違いありません。たくましいなあと思います。

このクラスの学生の大半は、日本での進学を考えています。来年の今頃は受験準備に追われていることでしょう。そこに至るには、今の10倍ぐらいの日本語力をつけなければなりません。胸突き八丁の坂道がいくつもいくつも待ち構えています。へこたれずに登りきってもらいたいと思います。

3連休の宿題は、発表のスクリプトを覚えてくることです。発表当日は、私は受験講座がありますから、応援に行けないのが残念です。でも、レベル1で種はまきました。来年、中級か上級で刈り取る日を夢見ながら、教室を後にしました。

出番なし

9月20日(木)

受験講座の時間が終わってもLさんはなかなか帰ろうとしません。私が帰り支度を進めていると、「先生、今からT大学に電話をかけます。ちょっと一緒にいてください」と声をかけてきました。Lさんは、今、ビザ更新中のため、手元に在留カードがありません。ですが、T大学の出願に在留カードのコピーが必要なのです。この場合、どうすればいいかということを聞こうとしているのです。

Lさんは上級の学生ですから、日本語で電話をかけたこともあるでしょうし、たとえかけたことがなくても教師が手伝ってやる必要などありません。でも、大学出願という一生がかかってくる手続きに関する問い合わせですから、いざというときの保険として教師を1人確保しておこうという気持ちもわかります。というわけで、しばらくそばで話を聞いていることにしました。

Lさんは少しびくつきながらも、話し方に多少強引なところもありましたが、在留カードがない場合はどうしたらいいかという一番肝心な質問の主旨は、きちんとT大学の担当者に伝えられていました。向こうからの返答を聞き取って理解するのに多少苦労していたようですが、住民票の写しで代替可能だということがわかり、ホッとしていました。すると今度は住民票の写しをもらうにはどうしたらいいかという疑問が湧いていましたが、これは私にでもどうにか答えられます。

最後まで私の出番はありませんでした。結構なことです。Lさんは初級から見てきており、会話がなかなかうまくならないと思っていましたが、この件に関しては当初の目的を立派に果たしました。成長を感じさせられました。

朝の電話

9月19日(水)

「はい、KCPです」「Jと申しますが、熱があるので学校を休んでいただけませんか」

電話の主は、上級の私のクラスのJさんです。自ら名乗ったところはさすが上級ですが、“休んでいただけませんか”はいただけません。ボケをかましてやることにします。

「休んでいただけませんかと言われても、休みにするわけにはいきませんねえ」「でも、体の調子が悪いです」「はい、そういうときは何と言えばいいんですか」「熱があるので学校を休んで……大丈夫ですか」

出た! どんな場面でも通用するオールマイティーワード・ダイジョウブ。初級の学生ならともかく、上級の学生には使ってほしくありません。困らせてやることにします。

「何がどう大丈夫なんですか」「熱があるので学校を休みたいです」「休みたいです? はい、レベル1」「ええっ? …休んでくださいませんか」「私が休むんですか。いやです」「いいえ、休むのは私です」「じゃあ、何と言って断ればいいんですか。もう一度きちんと言ってください」「休みたいんですがいいでしょうか」「私の後について一緒に言ってください。『熱があるので休ませていただけませんか』」「熱があるので休ませていただけませんか」

病人相手にちょっとかわいそうだったかもしれませんが、声の張りからすると微熱で念のため休む程度でしょうから、ちょっと訓練してやりました。上級には上級らしい話し方をしてもらいたいですから。Jさんにしてみれば、電話を取ったのが私だったというのが、運の尽きだったというところでしょう。

さて、Jさん、今度休む時はちゃんと言えるかな…。

質問を見極める

9月18日(火)

「じゃあ、次の課に進んでもいいですか」「先生、ちょっと待ってください。今の問題の6番がわかりません」「あ、そうですか。じゃ、もう一度説明します」…というように、初級クラスのGさんはわからないところは遠慮なく聞きます。教師としては、わからないところはわからないとはっきり言ってもらったほうがありがたいです。わかったふりをしてテストでひどい点を取るのはやめてもらいたいです。

Gさんの質問は、教科書などに出てくる、あまり初級っぽくない言葉や文法の使い方に関することが多いです。初級の先生だったら、そういうのに敏感に反応してきちんと説明なさるのでしょう。でも、上級をずっと教えていると、中級や上級で習うことになっている表現があまりにも自然にはまり込んでいると、ついつい見逃してしまいます。Gさんはそういう私の暴走を止めてくれるのです。

Gさんの質問に答えるべく、説明を追加したり例文を書いたりすると、他の学生たちも一生懸命ノートに取ったりしきりにうなずいたりします。逆にいうと、Gさんが質問しなかったら、他の学生は私の追加説明を聞くことはなかったのです。そういう意味で、Gさんはクラスへの貢献度大です。

私は教師からの質問に答える学生よりも、教師にどしどし質問してくる学生を評価します。その質問が的を射ていれば、さらに評価は高くします。的確な質問ができる学生は、頭の中がきちんと整理されています。Gさんの場合、作文にその頭脳明晰さが現れています。きちんと順序だてて文章が書かれていますから、文法の間違いがあったとしてもすぐわかりますし、だからその間違いが理解の障壁になりません。

そのGさんも受験が近づいています。筆記試験や面接試験のときに、この頭脳明晰さを遺憾なく発揮してもらいたいです。

活力源

9月14日(金)

今週は異常に忙しかったです。連日午前午後みっちり予定が詰まっていて、そのわずかな隙間にスポットのあれこれが入り込み、毎日夕方には精根尽き果てた状態でした。受験の山場はこれからなのにこんな状況では、先が思いやられます。

1人1人の学生は、先生には、例えば自分の書類を作るぐらいの時間はあるだろうと思っているでしょう。実際、本当に1人の書類だけならそれを作る時間は捻出できます。しかし、ちりも積もれば山となるとはよく言ったもので、そういうのが集まると、めまいがするほどの仕事量になります。でも、これを確実に処理していかないと、学生が進学できなくなったり学校全体の仕事が滞ったりしてしまいます。

そんな中、金曜日のレベル1の授業は貴重な息抜きです。いや、授業を息抜きだなどと称してはいけないのですが、学生の力の伸びを肌で感じられるのは何と言ってもレベル1であり、それが快感につながるのです。学生のほうも授業前まではできなかったことが授業後にはできるようになったと実感できるので、その喜びを味わおうと授業に集中するのです。こちらも、今勉強している文法や言葉はこんなところにまで使われているんだよ、これがわかればこんなこともできようになるんだよということを伝え、学生の顔に達成感が浮かぶのを見ると、力が湧いてきます。

しかし、学生たちから得た力を説教に費やすことほどむなしく、同時に力を与えてくれた学生たちに申し訳なく思うことはありません。幸いにも今週はそういうことはありませんでしたが、これからどうなるかまだまだ予断を許しません。無事平穏を祈るばかりです。