Monthly Archives: 11月 2018

懐かしい香り

11月30日(金)

上級の読解テキストに、“鰹節削り”という単語が出てきました。私は親の手伝いで鰹節を削った世代ですから、当然どんな物かわかります。学生は無理だろうなと思いながら、「鰹節は何ですか」と聞いてみると、「お好み焼きにかけます」「ふわふわ」という声がすぐに上がりました。彼らが思い浮かべたのは、“鰹節”ではなく“削り節”です。

鰹節を口で説明するのは難しいので、インターネットの画像検索に引っかかった写真を見せました。「鰹節」で画像検索しても、真っ先に出てくるのは「削り節」です。画面を何回かスクロールして「鰹節」を発見し、それを教室のモニターに映し出すと、クラス全員が「エーッ!!!」となりました。だれも本物を知らなかったようです。「これを鰹節削り」で削ったのが、みんなの知っている『鰹節』だよ」と説明すると、一様に驚いた顔をしていました。

私は、こんなふうに、学生が知らなさそうな物事に当たると、検索してあっさり画面を見せてしまいます。百聞は一見にしかずだし、学生に各自スマホで調べられるとみんな下を向いてしまうし、よけいな話をせずに学生の注意をひきつけたままにできますから。せっかく便利なものがあるのですから、使わなければ損です。

鰹節削りを見せて、「さっきの鰹節をこれで薄く削ったのがみなさんの知っている鰹節です」と説明を付け加えると、みんな感心しつつ納得していました。そんな学生の顔を眺めつつ、“削りたての鰹節は香りが立っておいしいんだよなあ”なんて、半世紀近く昔の子ども時代を思い出していました。

厳しい戦い

11月29日(木)

授業終了直後、Sさんが教卓に近寄り、「先生、J大学の1次試験に通りました。今週末が面接なので、面接練習をしていただきませんか」と、緊急の面接練習依頼をしてきました。Sさん自身、1次に通るとは思っていなかったので、面接練習を申し込むのが当日になってしまったとのことでした。2時ぐらいから先は夕方まで手すきでしたから、引き受けました。

昼休みに想定質問への答えを準備したのでしょうか、Sさんはこちらの質問にハキハキと答えました。ちょっと意地悪な質問にも、言いよどむことがほとんどなく、態度も堂々としたものでした。文法や語彙の間違いもいくつかありましたが、大勢に影響を与えるものではありませんでした。私はけっこう手応えを感じましたが、Sさんが受ける学部学科はJ大学の看板ですから、そう簡単には入れてくれないでしょう。

同じ頃、AさんはB大学の出願準備を大急ぎで進めていました。E大学に落ちたので、締切日当日にB大学に持ち込むべく書類を書いていました。推薦書が必要なので、私も最大至急で書き上げました。

E大学の入試直前に面接練習の相手をしたのは私でした。Aさんは大学で勉強しようと思っていることに関しては詳しいのですが、話す力が若干問題でした。文法ミスなどを細かく指摘していたら、Aさんは萎縮してしまい、本番で力が発揮できなくなると考え、専門に対する意気込みを存分に語らせる作戦に出ました。それが効果を発揮しなかったようです。私の見通しが甘かったです。

12月卒業のAさんは、1月以降日本に残ることはビザの上から認められません。だから、どうしても12月中に合格を決めなければなりません。こちらは、Sさん以上に厳しい戦いが続きます…。

やる気

11月28日(水)

午後の授業の前に、Oさんの面談がありました。Oさんはクラスの平常テストをあまり受けていません。受けたテストも不合格ばかりです。追試や再試も、いくら促してものらりくらりと言い逃れをして、結局どうにもなっていません。当然、中間テストは悲惨きわまる成績でした。

まず、この点を追及すると、今学期はやる気が湧かないと言います。だから、一時帰国して心機一転を図りたいと言い出す始末です。一時帰国ではなく永久帰国のほうがOさん自身のためだと言ってやりました。でも、一時帰国から戻ったら、絶対にやる気が戻り、期末テストまで一気に突き進めるのだそうです。私の感覚では支離滅裂な話ですが、Oさんの頭の中では論理性があるのでしょう。

中間テストの文法は、合格点に遠く及ばない点数でした。明らかに勉強しておらず、正解だった答えも今学期新しく覚えた事柄ではなく、始業日の時点でOさんの頭の中にあったと思われる語彙や文法で書かれていました。書の証拠に、今学期習った文法を使って会話を作る問題は、規定の長さを超えたからその分の点数がもらえただけで、会話のセリフはレベルが低すぎる内容でした。

こちらを指摘すると、Oさんは押し黙ってしまいました。「このテストの結果は、10月、11月、この2か月、あなたは全然進歩しなかった、日本語のレベルが少しも上がらなかったということです。無駄な時間を過ごしたということです。日本にいただけ、教室にいただけで、ぼんやり時計を見ていたのと同じです」と、その傷口に塩をすり込むようなことを言ってやると、さすがにこたえたようでした。

Oさんは、今度の日曜日、ろくに勉強しないままJLPTのN2を受けます。そしてそのまま一時帰国します。教師からのプレッシャーから解放され、のびのびできて、活力が戻るのでしょうか。

言葉の重み

11月27日(火)

各クラスで、中間テストの結果を見ながらの面談が始まっています。私も授業後に3名の学生の面談をする予定でしたが、そのうちの1名、Kさんが欠席でした。電話をかけると、体調が悪いから休んだとのことでした。面談の人数が減れば仕事がそれだけ少なくなりますから楽になりますが、Kさん自身が決めた予定を連絡もせずにキャンセルするのはいかがなものでしょう。ドタキャンされた側としては、若干腹立たしいものがあります。

もう1つの私のクラスでは、やはり自分で火曜日なら時間があると言ったCさんが欠席しました。Cさんの都合を考慮して予定を組んだのに、空振りになってしまいました。担当のR先生は、半ばあきらめ顔でした。明日私が入るクラスでは、やはり面談予定のJさんが欠席だったそうです。

どうして面談予定を平気ですっ飛ばすのでしょう。約束したという意識がないのでしょうか。私がお昼過ぎに電話をかけたKさんは、いかにも寝起きという声で電話に出ました。体調が悪いと言っていましたが、果たして本当でしょうか。夕べ寝付けなかったようなことを寝ぼけた声で言っていましたが、メールぐらいは送れたはずです。

先学期も、当日欠席の学生が多数現れ、予定表の体をなしていませんでした。ケータイが普及するにつれて、簡単に約束したりそれを変更したりできるようになりました。その変更の連絡がいつのまにか省略されるようになってしまったのが、現在のありようだと思います。みんなそういう迷惑をかけたりかけられたりしているうちに、ドタキャンに対する迷惑の感度が鈍くなったのではないでしょうか。

世の中には気安く取り消すことのできない言葉があるんだということ、すなわち、ことばの重みを教えることも、語学教師の役割だと思い、学生に対していきたいと思います。

遅い報告

11月26日(月)

授業が終わるとBさんが駆け寄ってきて、「ご報告したいことがあります」と神妙な顔つきで話しかけてきました。「何ですか」「先生、C大学に合格しました」「おめでとう」…という具合で喜ばしい報告でした。

しかし、C大学の合格発表は先週の前半でした。ずっと何も言ってこなかったので、“落ちて恥ずかしくていえないのだろうか”とも思いました。普通の学生は、受かったら欣喜雀躍として報告に来るものですから。でも、Bさんは、性格的に、もし落ちたらすぐ次をどうするか相談に来るはずだから、何も言ってこないということはきっと受かっているんだろうとも思っていました。

困ったのはKさんです。高望みばかりしていて、EJUの成績などから見てほぼ絶望的なT大学を受験することにしています。しかも、滑り止めなしです。次の大学はT大学に落ちてから決めると豪語しています。普段から勉強しているならまだしも、遊んでばかりのくせして、この強気はいったいどこから出てくるのでしょう。

対照的なのはJさんです。第一志望のG大学の発表を明日に控え、ダメだった場合に備えてN大学の出願書類の準備を始めました。何が何でも日本で大学に進学するんだという強い意志があります。でもKさんとは違っていたって慎重です。N大学以外にも二の矢、三の矢を番えている様子です。

夕方からは2020年進学を目指す学生たち相手の受験講座。こちらはまだ具体的にどこの大学という声は上がっていません。あこがれレベルです。でも、そこに至るまでにどんな山坂が待ち構えているかは、少しずつ見えてきているようです。第二のKさんだけは生み出さないようにしなければと思っています。

55年ぶり

11月24日(土)

大阪で2025年に再び万博が開かれることになりました。前回が1970年でしたから、55年ぶりの開催となります。東京オリンピックの56年ぶりとちょうど同じくらいの間隔となります。

70年の万博は、当時京都に住んでいた親戚のうちに泊まって見に行きました。夏休みの真っ最中で60万人以上も入場した日だったので、米国館の月の石をはじめ“目玉”はすべて長蛇の列で、数時間待ちと聞き、見るのをあっさりあきらめました。だから、本当に会場に入ったというだけで、人ごみを見て帰ってきたというに等しく、万博に対する思い出はこれといってありません。でも、国全体が万博の熱気で盛り上がっていたことははっきり覚えています。幼心にとにかく万博を見なければと思い、また、親戚も是非見に来いと言ってくれたので、夏休みの京都行きとなったのです。まだ若かった両親も、好奇心満杯で見に行きました。

さて、25年の万博は何が目玉になるのでしょう。AIが何かするのでしょうか。そうだとしても、ちょっとやそこらのことでは、私たちは驚きません。見学者の耳目を引くには、相当なことができなければなりません。私なら、そうですねえ、AI搭載ロボットが頭のてっぺんから足の裏まで、文字通りツボを押さえたマッサージをして快感に浸らせてくれたら、驚いてあげてもいいでしょう。

日本語学校の教師としては、2025年に向けて日本語学習者が増えるかどうかが気になるところです。世界中で日本に興味を持つ人が増え、その一部でもこちらに回ってきてくれたらありがたいところです。通訳は機械がするようになっているでしょうから、外国人を引き付けるだけの魅力がこの国にあるかどうかが問われます。7年後、どんな答えが返ってきているのでしょうか。

安全運転は困ります

11月22日(木)

今週末に入学試験という大学が多いため、午前中の授業が終わってから、4連発面接練習でした。全員が女性だったこともあり、最後の頃は前の学生がした答えと今の学生の言葉とがごちゃごちゃになり、頭を整理するのが大変でした。

面接はただ単に日本語を話す力をチェックするだけではありません。コミュニケーション能力を見ます。つまり、受験生は、面接官の質問内容を理解し、その質問によって何を知ろうとしているかを察知し、それに対して試験官に理解できる的確な答えを返す力が試されるのです。立て板に水でも上滑りしていたら点数になりません。

また、おざなりの答えではいけないことは言うまでもありません。他の受験生でも誰でも答えられる内容の答えだったら、いくら上手な日本語で語っても点数にはなりません。独自の答えが求められます。志望校にどれだけほれ込んでいるか、その勉強にどれだけ打ち込もうとしているかが、面接官によって吟味されているのです。その大学、その学問にどれだけ人生を賭けようとしているか…といったら大げさかもしれませんが、それぐらいの気持ちで取り組んでもらいたいものです。

そういう観点からすると、全体的に安全運転でした。ミスをしないようにという気持ちが先に立ち、インパクトの強さや思い切りのよさがあまり感じられませんでした。4人の志望校を聞くかぎり、競争率が低いとは思えません。自分を売り込むつもりで答えるように、面接官からのメッセージをしっかり受け止めるようにとアドバイスしました。

ここまでしたら、残された私の仕事は、祈ることだけです。

寒い朝

11月21日(水)

今朝は寒かったですねえ。最低気温が5.8度だったそうです。今シーズン最低ですが、平年より1.3度低いだけです。ごく普通の変動範囲内です。それでも、結露でぐっしょりぬれている窓を見て、思わずワードローブからコートを引っ張り出し、あわてて洗濯タグを取り外し、がっちり着込んで家を出ました。マフラーを巻いていない首筋がスースーしました。

札幌は、平年よりだいぶ遅れて、今シーズン初積雪・3cmを記録したそうです。それも、記録上はお昼にはゼロに戻ってしまいました。やはり全国的に冬の歩みが遅いようです。気象庁のページで全国の積雪状況を見ると、どこも雪は少ないです。積雪の最大値が青森県の酸ヶ湯で15cmです。平年の1/4ぐらいにとどまっています。日本で一番雪の積もるところですから、さすがといえばさすがです。

この冷え込みを一番厳しく感じているのは、きっとゴーンさんでしょう。留置場とはいえ暖房なしということはないでしょうが、一夜にして世界一の辣腕敏腕経営者から容疑者に転落ですから、心の中は寒々しいものがあるに違いありません。

それにしても、毎年数億円から十億円以上も報酬をもらっているのに、さらに世界中に自宅を持つとは、いったいどこまで財産を築けば気が済むのでしょう。私だったら、1年だけ数億円の収入があったら、あとは遊んで暮らしちゃいますがねえ。死ぬまで働かずともよいお金を手にしたら、それ以上の財産は求めません。だから、一攫千金を求めて、もうすぐ発売開始の年末ジャンボを今年も買います。

紙くずが落ちていました

11月20日(火)

10時半に前半の授業が終わり、外階段を使って1階の職員室まで戻ろうとしたら、私の少し前をSさんが歩いていました。Sさんは私に気付いていないようで、1列に並んで前の学生の後について黙々と階段を下りていました。

5階、4階、3階と下りて、2階に着く直前の階段の上に紙くずが落ちていました。Sさんの前を歩いていた学生たちは気付いていないのか、気付いても無視しているのか、誰も拾いませんでした。私が拾わなきゃと思っていたら、Sさんが軽く腰をかがめて拾い上げました。そして、それをポケットに突っ込み、1階に下りたらそのまま学校の外へ行ってしまいました。コンビニへでも行ってくるのでしょうか。

Sさんは、入学後しばらくは毎朝早く学校へ来て、ラウンジで勉強していました。出席率は100%でした。しかし、最近は欠席が目立ち、ついに先月は1か月の出席率が80%を割り、欠席理由書を書く事態に陥ってしまいました。進学先が決まり、いくらか気が緩んだ面もあったと思います。

このまま悪い学生に落ちぶれて卒業していくのかと危ぶんでいただけに、さりげなく紙くずをつまみ上げた姿がより一層輝いて見えました。先週、最近校舎のあちこちに汚れが目立つようになったので、校内美化に努めてもらいたいという話を全校的にしたばかりでした。それに応えてくれたSさんの根本の部分は、決して腐ってはいなかったのです。すぐそばで見ていた私まで、心が洗われる思いがしました。

おかげで、清々しい気持ちで後半の選択授業、午後の面接練習と受験講座に取り組めました。

受験後方支援

11月19日(月)

土曜日休んだため、今朝はメールが山ほど届いていました。まず、Tさんからのメールから。Tさんは金曜日に志望理由書を見てほしいと言っていましたが、私の退勤時までにその志望理由書が送られてきませんでした。週末はずっとそれが気になっていたのですが、メールの受信時刻を見ると、私が帰宅してから間もなく送られてきたようです。大急ぎで添削しました。

Tさんの志望理由書は、文法的な間違いはほとんどなく、少なくとも今シーズン最高の文章でした。しかし、局地戦にのめりこんでしまい、戦局全体を見る目を欠いていました。つまり、専門の勉強がしたいという気持ちは伝わってきましたが、その勉強をその大学でする必然性が見えてこなかったのです。これだと、その勉強ができれば大学はどこでもいいのかなと思われてしまいかねません。

専門的過ぎる部分をばっさり切り捨てたら短くなってしまったので、どんなことを書いて字数を増やすか指示を出して、Tさんに送り返しました。それが7時過ぎ。授業前に見てくれていれば授業後に質問に来るかなと思っていたら、ラウンジでばったり会いました。Tさんはにこやかに「大丈夫です」と言っていましたから、あさってが締め切りでもありますから、ちょっと手を加えて出願するのでしょう。

授業後にはMさんからも志望理由書の添削を頼まれました。ワープロで打った原稿を持って来られたので、即手直し。こちらも語彙や文法の破綻はないのですが、流れがスムーズではないので段落の一部を入れ換えました。また、インパクトが弱いので、少々強気の言葉も加えました。あとは面接でこの志望理由書の本意を補ってもらうだけです。

Mさんの志望理由書の添削を済ませてロビーに下りると、先週さんざん面接練習したLさんがいました。練習した質問が出てきたそうで、それはうまく答えられたとのことです。ただ、「ここまでどうやって来ましたか」という質問に変な答え方をしたとか言って、気に病んでいました。それは、Lさんの緊張をほぐすためのやりとりで、直接合否にかかわらないよと言ってあげたら、多少は安心したようでした。

明日も、面接練習が2件入っています。