努力家とは

10月24日(月)

秋が深まるとともに、学生の推薦書のシーズンも最盛期を迎えつつあります。今、私は3人分の推薦書の宿題を抱えています。こういうことになるだろうと思って、始業日に「自己推薦書」なるものをクラスの学生に書かせましたが、それに助けられています。

自己推薦書とは、自分で自分を志望校に推薦するとしたら、自分のどんなところを売り込むかを書いてもらったものです。自分の長所とか、学業に対する姿勢とか、そういったことで私に見えていないことや、学生自身が自分をどう見ているかを知りたかったのです。

3人とも、表現は違いますが、自分は努力家だという意味のことを書いています。他の学生のを見ても、頑張るとか努力とかいう言葉が目立ちました。今の学生は、努力することにかなりの価値を置いていることがわかります。私が推薦書を書く3人は本当に努力家ですが、中にはそうとは言いかねる学生もいます。そういう学生は、努力家を装うというよりは、努力家にあこがれているのではないかと思います。

最後は努力家が勝つという寓話やことわざは、世界中にあります。これは、どこへ行っても努力が続けられる人が少ないことを意味していると思います。一発勝負のギャンブルに出て、それに勝ってしまうことを夢見る人たちが無数にいるからこそ、こういう戒めがあるのです。学生たちも、自分のそういう傾向にうすうす気付いて、こういう心持は他人には見せられないと思って、私は努力家だと言い張りたくなるのでしょう。

私も学生たちのことを笑えません。「努力かたらんと努力している」というのが、精一杯の私の現状です。すきあらば低きにつこうとする自分に鞭打って、かろうじて厳しい世間を生き抜いています。怠けている学生を叱りつつも、その心根にどこか共感してしまう自分がいます。

3人の学生は、無理に下駄を履かせなくても推薦に値する学生です。自己推薦書から学生自身の自分観を読み取り、それを参考にして、推薦書を書き上げました。

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