赤からの出発

11月6日(火)

先週の選択授業で学生たちに書かせた小論文を返しました。でも、その前に、各学生の文章から1つずつ選んだ誤文を並べ、それを直させました。先週書き上げたときには、書いた本人は気がつかなかった間違いを、違った目で見て直すのです。

他人の間違いは蜜の味なのでしょうか、思いのほか真剣に取り組み、岡目八目なのでしょうか、わりと要領を得た答えが返ってきました。書いた本人にどこまで響いたかはなかなか測り難いのですが、同様のミスが少しでも減ってくれればやった甲斐があるというものです。

私が担当しているのは中級クラスで、前回が初めての小論文でした。ですから、まず、小論文の型ができているかどうかで成績をつけました。客観的な論理や深い考察があればそれに越したことはありませんが、いきなりそれを求めるのは無理というものですから、上級の文章を見る目は封印しました。

そんなふうに甘めの採点でしたが、ほとんどの学生は原稿用紙が血まみれになりました。前後を入れ換えたほうがいいとか言い方を変えたほうがいいとか、もちろん、誤字脱字とか、隙間なく赤が入って変わり果てた自分の小論文を見て、呆然としていた学生もいました。

ひとつ気になったのが、「~と思う」の多用です。日本語の限らずどんな言語でも、言い切りの形が主張を最も強く表現するものです。しかし、学生たちの小論文にはいたるところに「~と思う」があり、ひ弱な印象を受けました。上述の間違い探しにも入れ、読み手の印象を薄くする「~と思う」について解説しました。

もし、学生たちが批判を恐れて言い切りを使わなかったとしたら、由々しきことです。批判も起きないような意見は存在意義がありません。万人受けする意見は、毒にも害にもなりません。学生たちには、毒にも害にもなるスパイキーな小論文を書いてもらいたいです。

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