涙の向こうに

1月21日(月)

職員室の入口にRさんが立っているのが私の席から見えました。こっちを見ているような見ていないような微妙な視線だったので、急ぎの書類作成中だったこともあり、無視していました。A先生から「Rさんがほんのちょっとだけ用事だそうです」と呼ばれたので、Rさんのところへ。「先生、S大学に合格しました」という報告がありました。

S大学は、午前の授業中に、Yさんからはだめだったという結果を聞いていました。RさんとYさんを比べるとYさんのほうが日本語力がありますから、Rさんも落ちたのではないかと覚悟していました。それだけに、よくやったと思いました。

でも、別の見方をすると、RさんはS大学の試験直前、毎晩遅くまで面接練習をしていました。志望理由から将来計画まで、Rさんの専門を取り巻く現況も含めて、入念に想定問答を繰り返していました。A先生からもH先生からも私からもさんざんダメ出しを食らい続けましたが、それでもへこたれることなく練習を続け、受験に臨みました。

一方、Yさんは、どこかで面接練習をしていたのかもしれませんが、私は直接相手をしていません。頭の中でのシミュレーションだけで本番に臨んだとしたら、この結果は当然です。慢心があったのでしょうか。それを見逃していたとしたら、「面接練習しようか」なんて、一言声をかければよかったと心が痛みます。

やはり面接練習をせずに専門学校を受験したWさんも、落ちてしまいました。Wさんの性格から考えて、専門学校をなめていたわけではないでしょうが、どこかに油断があったに違いありません。半べそをかきながら面接練習を受け続けることには、立派に意味があるのです。

私立大学の定員厳格化の影響が各方面に及び、厳しい受験競争が繰り広げられています。Yさんはすぐに体勢を立て直さねばなりませんし、明日はZさんの面接練習が入っています。気合を入れて鍛えなければ…。

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