KCP地球市民日本語学校校長・金原宏のブログです。
5月17日(木)
Sさんは理科系の大学進学を目指す学生です。去年の4月入学で、受験講座ももう2年目です。去年のうちは、理科系大学進学希望と言いつつも理科の実力がまだまだでした。理系科目の勉強に打ち込む気になっていないように見えました。今年の1月には、場合によっては引導を渡してもいいと思いながら、理科系に進む意志を確認しました。これが刺激になったのでしょうか、今年4月になってから、毎週受験サポートでやってくるKCP卒業生のW大学生Oさんを捕まえては盛んに質問しています。いよいよ尻に火がついたかなと思いながら見ていました。
そのSさん、今日は数学のM先生を捕まえ損ねて、私のところに数学の問題を持ってきました。EJUの過去問ですが、極端に難しい問題ではありません。書きかけの答案を見ると、数学に対するカンのよさは感じましたが、いかんせん真正面から取り組みすぎです。力でねじ伏せようというにおいがしました。でも、EJUは力業だけでは点が稼げません。短時間にいかに多くの問題を処理するかで勝負が決まります。そのためには、搦め手から攻めることも考えねばなりません。
今日の質問も、ちょっと工夫を加えれば力業で解くよりずっと短い時間で解けます。それを教えてあげると、胸のつかえが取れたのか、実にすっきりとした顔をしていました。Sさんのことですから、このちょっとの工夫を他に応用していくことはできるでしょう。難問をねじ伏せるだけの力はもっているのですから、テクニックを身に付ければ鬼に金棒でしょう。
Sさんの質問の内容を聞いていると、今力をつけている最中という感じがします。テクニックを身に付けた上で、さらにもう一ひねり必要な問題を聞いてくるようになったら、Sさんの実力も本物です。私が余裕をかましていられなくなるような質問が出てくる日を、楽しみにしています。
5月16日(水)
中間テストをあさってに控えて、再試験や追試験を受ける学生が授業後大勢やってきました。中間テスト前に実施されたテストは、中間テスト前までに追再試を受けなければすべて0点扱いになりますから、受けるほうも必死です。
Pさんは束になるほどのテストを受けましたが、全部済ませることができませんでした。「もう、頭に何も入らない」という言葉とともに、未受験テスト2つを残して帰っていきました。私の年の半分にもなっていないはずなのに、疲労困憊しきった顔をしていました。Eさんも疲れ果てた顔で、明日もテストを受けることにして職員室を去りました。それに対してCさんは根性で大きなテストを片付けていきました。しかも、どのテストも決して悪い点数ではないのです。どうして決められた日に受けなかったのでしょうか。
この3人は、みんな、いやなことは先延ばしするという留学生にありがちな悪い癖を発揮してしまったに違いありません。「水と学生は低きにつく」とは古くからの箴言ですが、こういう性質は世代を問わず同じなのだなと思わせられます。そして、「のど元過ぎれば熱さを忘れる」という名言の通り、こんなに苦しんで懲りたはずなのに、中間テスト後また同じことを繰り返し、期末テスト直前に断末魔の苦しみをまた味わうのです。
学生が苦しむだけなら自業自得ですから、ある意味、当然のことです。しかし、その追再試に付き合わされる教師は、言っちゃあなんですが、とんだとばっちりです。「あれほどしつこく早く受けろと言ったのに…」とぼやきたくもなります。指導力が弱いからこういうことになるんでしょうかね。
5月15日(火)
物理、化学、生物と、毎週理科を3科目も教えていると、他の先生方と生きる世界が違うような気がしてきます。
まず、私の机の上には、物理、化学、生物の教科書・参考書・問題集がずらりと並んでいます。EJUの過去問とその解説でパンパンに膨らんだファイルが、机の上に収まりきらずにカラーボックスに並べてあります。日本語の授業で使う教科書類は、理科のファイルの下の段です。
また、授業前の準備にかける時間が違います。理科は教科書や参考書、図版などをじっくり読み込み、必要に応じてインターネットからの知識も利用して授業に備えます。何せ、日本人の高校生が受ける授業時間数の1/3か1/4ぐらいで同じだけの知識を伝え、演習もせねばならないのです。授業はスピードが要求され、必然的に効率よく教えていくことが求められます。唯一の救いが、学生たちは国で勉強したことがあるという点です。でも、その内容を日本語に置き換える作業のお手伝いという仕事が追加されます。言うまでもないことですが、学生たちの理解度を見ながら授業の進め方を調節しています。
6月のEJUが終わったら、大学の2次試験に備えて演習問題をバリバリやっていかなければなりません。EJU向けの理科の問題集はどうも頼りないので、日本人の高校生向けのを使います。そうすると、問題集の解答がそのままでは使えないことがよくあります。その時には、留学生が読んでもよくわかる解答を作り直します。
…という仕事は、私以外に代わりにやってくれる先生がいないので、すべて私が一人でやっています。そういうわけで、他の先生方とは違う世界を生きていかざるを得ないのです。「ざるを得ない」と書きましたが、私は楽しみながらやっています。物理の公式をいじくり回して答えを出すのも、反応式をあれこれ考えるのも、生命の神秘に思いを馳せるのも、私にとっては至福のひとときです。
今日も免疫反応の世界に旅をしました。今週は金曜日が中間テストのため、物理と化学はお休みです。だから、木曜日まではまっとうな日本語教師に戻ります。
5月14日(月)
選択授業の会話クラスは、来週が中間テストです。私が入っている中級クラスは、4人1グループであるテーマについて会話をしてもらうことにしています。4人で会話を作るのですから、1人だけがやたらとしゃべりまくるのは認められません。しゃべりまくった人は、他のメンバーを無視したということで減点、そのグループは会話が作れなかったということで減点になります。そうではなく、各メンバーが他のメンバーの話に耳を傾けて適切に反応し、メンバー全員が気持ちよくしゃべり、なおかつ内容のある話をするというのが理想の姿です。
会話という限りは、自分のことばかり話していてはいけません。他人の話もしっかり聞くという態度が必要不可欠です。学生はとかく話すテクニックばかり追いたがるのですが、相手の話に耳を傾けることによって気持ちよく話してもらい、より多くの有益な情報を得たり、相手との関係をより深めたりするのが、私たちが狙っている会話の最終形です。
そもそも、会話とはコミュニケーションの一手段です。コミュニケーションはそれに参加する人たち双方向または多対多のやり取りです。ですから、自分の主張だけすればいいというわけにはいきません。相槌をはじめ、聞く態度、聞き出す技術にも重きを置きます。語学の最終目的はコミュニケーションを取ることですから、会話のテストもそれに沿ったものにしていきます。
今日は、来週の中間テストの形を説明し、その練習をしました。こちらとしても、学生の出来具合によってテストのやり方を微調整しようと思っていますから、4人で会話をする学生たちをじっくり観察しました。私のクラスは、おおむね私の考えたとおりの運びとなりましたので、来週は今日の延長線上で進めます。会話の選択授業は今学期からの試みですが、何とか半分までたどり着きました。学生たちの実力が上がっているか、それを学生たちに実感させられているか、来週の中間テストで私たちも試されます。
5月11日(金)
今日は夕方から卒業生が次々来ました。重なることもあるもんだなあ、なんて思っていたら、卒業生が集まって新宿で食事会をするそうです。Jさんが発案者で、Wさんが実質的な幹事で、いろんな人に呼びかけてけっこう集まるんだとか。みんなそろそろ就活の心配をし始めなければならない時期です。そんな情報交換もするんでしょうね。
Bさんを初めて見た時は、失礼ながら山出しという感じでした。でも今はもうすっかりF大学の学生になりきり、顔つきもずいぶんと大人らしくなりました。フェイスブックを見ると、日本人の学友に完全に溶け込み有意義な留学生活を送っているようです。レポートが大変と言いつつも、その顔は自信に満ちていました。Jさんも幼さがすっかり抜けて、大人の雰囲気を醸し出していました。職員室にいた先生みんなから「やせたね」と言われて、うれしそうにしていました。KCPにいた時にはまだ幼児体形だったんでしょうね。Yさんは連休に京都へ行っていたとかで、お土産を買ってきてくれました。そんなふうに気を回すあたりに、成長を感じました。
みんなそれなりに成長していますが、それは同時に苦労もしていることなのでしょう。苦労を糧に大人への階段を上ってきたのだと思います。国にいた時から考えると、日本で1人暮らしを始め、日本語の勉強で苦しみ、進学までに挫折も体験し、進学してまた新たな環境でゼロからのスタートを切り、日本語学校とは一味違う学問の厳しさにもまれ、現在に至っているわけです。Bさん、Jさん、Yさんと同じ年頃の私に比べて、数倍も厳しい道を歩んでいる気がします。でも、その苦労を感じさせないどころか私たちに元気をくれるのです。見上げたもんですね。
今ごろは食事会が大いに盛り上がっていることでしょう。お互い刺激しあってパワーアップし、さらに有意義な留学生活を送ってもらいたいです。
5月10日(木)
中級クラスの漢字の授業で、「突」を扱いました。みなさんは「突」を使った単語というと、どんなのを思い浮かべますか。KCPの漢字の教科書では、突然、突発的、衝突などを取り上げています。こういう漢語は辞書で調べれば意味もわかるし、意味の範囲もさほど広くはありません。ところが「突」の訓読み「つく」はどうでしょう。同訓異義語の「付く、着く、就く」などを除いたとしても、まだまだいろいろな意味があります。
学生たちに「『突く』ってどうすること?」と聞いてみると、まず基本的な「棒状の物を何かに強く当てる」という意味が十分に理解されていないようでした。私が動作で示すと、「じゃあ、『刺す』とどうちがうんですか」。別の学生は「たたく」「なぐる」動作をしながら「これは何というんですか」。しばらくは基本的な動詞の解説コーナーとなってしまいました。
以前も、「触る」と「なでる」と「こする」と「さする」の違いを聞かれたことがあります。見たり聞いたりするんだけどもう一つスカッと理解できない単語が、学生の周りにうじゃうじゃいるのでしょう。ここで挙げたような単語は、学校の授業では系統立てて教えることはないでしょう。しかし、こういった単語は、日本人なら子どもでも知っています。そこが中級の学生が苦しいところなのです。
私は中級と上級の最大の違いは頭の中の語彙数だと思っていますから、中級のクラスでは1つの単語からそれに関連付けてできるだけたくさんの単語を紹介するようにしています。それらを全部使えるようにするのはとても無理ですが、聞いてわかる、見てわかるという理解語彙のレベルにはしてあげたいと思って授業をしています。今日の学生たちは、「突く」が理解語彙になったでしょうか。
5月9日(水)
Tさんは理系の大学院進学を目指している学生です。研究計画書の骨格となる文章を書いてきて指導担当のM先生に出しました。M先生にそれを見せてもらいましたが、理系出身の私にとっても、かなり想像力をたくましくしないと言わんとするところがつかめませんでした。今日は、雷が来るちょっと前ぐらいに、Tさんと話をする機会がありました。1時間ぐらいTさんに文章を説明してもらい、こちらから質問し、Tさんの答えを私がもう一度まとめ、という作業を繰り返し、ようやくTさんが大学院で研究しようとしていることの中核部の輪郭が見えてきました。
Tさんが書いた文章は大学院で研究したいことについてですから、どうしても専門用語が多くなります。Tさんはその専門用語を、辞書を使って日本語に直していました。辞書は理系の専門用語をそのまま理系の専門用語に翻訳してくれません。専門用語としての意味のほかに一般語としての意味があると、そちらを優先してしまいます。Tさんはそれに気づかずに辞書の言葉をそのまま文章の中で使ったため、何とも不思議な文章になってしまったのです。
みなさんは「嫌気」を何と読みますか。日本人の99%は「いやけ」と読むでしょう。しかし、生物学の世界では「けんき」と読みます。もちろん意味も全然違います。「嫌気呼吸」を「いやけこきゅう」などとしてしまったら、意味は永久に理解できないでしょう。また、「power」を「力」と和訳してしまっては、物理学の論文は意味不明に陥ります。ことほど左様に専門用語が含まれている文章の翻訳は難しいのです。
大学院進学希望者のサポートをしていくとなると、あらゆる専門分野でこのような苦労を重ねていくことになります。でも、それこそが学生の真に望んでいることにほかなりません。教師は常に辞書を超えた存在でなければならないのです。
5月8日(火)
Hさん、Gさん、Lさんは同じクラスの学生で、大学受験を目指して受験講座を取っています。通常の授業料に加えて、受験講座の受講料を支払っています。しかし、3人とも受験講座をよく欠席します。私の感覚では、受講料を払ったのなら1回たりとも休みたくない、休んだらもったいないと思うのですが、どうなのでしょうか。
先日、Lさんには話を聞きました。進路の相談に来た時に私が勧めたK大学がEJU不要だから、というのが受験講座欠席の理由だそうです。Lさんの希望に合う大学の1つとしてK大学を勧めたことは確かですが、K大学に絶対合格できる保証はどこにもありません。また、K大学について私からの情報以外に調べた形跡もなく、つまり、Lさん自身の目でK大学を吟味しているとは思えません。それなのに、EJUなしの入試でK大学に合格し、自分の夢がかなった気になっているのです。その辺の思考回路には理解しがたいものがあります。
Hさんは連休の谷間の5月1日・2日に学校を休みました。今日はそのときに行われたテストを受けに、授業後職員室へ来ました。GさんはHさんの付き添いです。Hさんのテストが終わったあと、2人に話を聞きましたが、欠席には大した理由はないようでした。私から注意されたからなのかどうか、2人とも今日の受験講座には出席しました。
3人にとって受験講座はオプションなので、絶対に出席しなければならないものではありません。また、出てみたけど受験講座は役に立ちそうもないというのであれば欠席するのもうなずけますが、そうでもないようです。受験講座以外で勉強しているかといえば、そうでもなさそうです。今学期の受験講座が始まってまだ1か月も経っていません。それなのにこんなようでは、先が思いやられます。
キリギリス状態のこの3人を、何とかアリに変える方法はないものでしょうか。
5月7日(月)
月曜日の朝1番の授業は会話です。今日は連休明けですから、連休中の出来事を話してもらいました。中級ともなると、6月のEJUを意識している学生も多く、勉強と答える学生が目立ちました。
私は、勉強とは縁の薄い連休後半を送りました。前半も関西を歩き回りましたが、後半も金物の町・三木(みき)、御坂(みさか)サイフォン橋、高取城址(たかとりじょうし)、壷阪寺(つぼさかでら)、根来寺(ねごろじ)など、またもやマイナーなところばかりめぐってきました。おかげで、混雑には全く出会わず、快適な連休でした。
この中で一番良かったのは、御坂サイフォン橋でしょうか。山から向かいの山へ用水路を通す時、谷を越えなければなりません。そこで、山肌に沿って水道管を下ろし、谷底に流れる河を橋でまたぎ、再び向かい側の山肌を上らせるのです。両側の山の高低差約2mを利用し、サイフォンの原理で谷を越えるのです。橋の上から両側を見ると、この人工物の雄大さがよくわかります。明治時代に造られた物ですから、すでに100年以上が経過し、自然景観ともマッチしています。この用水路ができたおかげでこの近辺は水の便がよい土地となり、住民に富をもたらしました。今でも現役というところがうれしいじゃありませんか。
この御坂サイフォン橋の近くに、志染の石室(しじみのいわむろ)があり、そこに湧き出る水にヒカリモ(光藻)が生息しています。ヒカリモが輝くのは早春だと言われていたので、あまり期待していませんでしたが、私が行った時には、きれいに輝いていました。実った稲穂をもう少し金色に近づけて、透明感を持たせたような色です…ではあまりいい説明ではありませんね。何はともあれ、眼福でした。
今日の会話の時間に、もし私に話を振られたらこんなことを話そうと思っていましたが、学生たちが自分の連休をたくさん語っていたので、私の出番はありませんでした。教師がしゃべらないのが、いい授業なんですよね。
5月2日(水)
ちょっと気が早いですが、5日が祝日で学校がお休みですから、端午の節句をしました。クラスごとに、講堂に飾り付けられた5月人形を見て、写真を撮って、それから柏餅とお茶をいただきました。
5月人形はひな人形ほど華やかではありませんが、質実剛健と言いましょうか、目立たずとも主張すべきことはしっかり主張しているという感じがします。学生たちからも、おひな様に負けず劣らず質問が飛んできました。というか、ひな人形ほど海外には知れ渡っていないので、みんな知りたがるのかもしれません。私のクラスでも、いつもはあまり発言しないHさんが最前列に陣取って、人形が身に付けているものなど、いろいろと聞いてきました。こういう形で学生の意外な一面が垣間見られるのも、行事の面白いところです。
柏餅を食べてお茶を飲むと、柏餅の葉っぱや使った湯飲みが出てきます。葉っぱは集めて捨てるだけですが、湯飲みは使い捨ての紙コップではなく瀬戸物ですから、洗って次のクラスに回さなければなりません。ということは、当然、湯飲みを洗う人が必要となります。「湯飲みを洗ってくれる人」と私が聞いた時に、真っ先に手をあげてくれたのがWさんとAさんでした。他の学生が教室へ戻るとき、2人はクラスの人数分の湯飲みが入ったバケツを下げて、洗い場へ向かって行きました。
ほかの国はどうか知りませんが、日本ではこういうふうにみんながしたがらない仕事を進んですることが高く評価されます。2人が何かの折に推薦書が必要になったら、私は必ずこのことを書きます。私たち教師の仕事には、学生のいいところを1つでも見つけて、それを役立てるべき時に役立てることも含まれています。逆の意味で「天網恢恢疎にして漏らさず」というところでしょうか。WさんやAさんの書類に今日のことを書いてあげる日が来るのでしょうか。