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KCP校長ブログ

  KCP地球市民日本語学校校長・金原宏のブログです。

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今学期最終日

3月25日(月)
 今学期は、今日が授業の最終日で、あとは明日の期末テストを残すのみとなりました。授業が最終日ということは、今学期でおやめになる先生方は今日が最後ということになります。
 R先生もそんなお一人です。完全におやめになるのではなく、近い将来また復帰なさるつもりのようですが、しばらくお休みなさいます。R先生はKCPの日本語教師養成講座出身ですから、講座の理論コースを担当している私は、R先生の成長をずっとそばで見てきました。養成講座に入ったときは、もちろん、右も左もわかりませんでした。理論武装していくにしたがい、自分の頭の中の日本語が系統だってきました。演習コースで理論を実践する難しさを感じ、人間相手の難しさを知り、壁にぶつかり、それを乗り越えて教師になりました。
 KCPに入ってからも、順調に教師としての力を伸ばしてきました。去年、選択授業が始まったときに、授業内容を積極的に提案してきてくださった時は、R先生も一人前の教師に成長したなと感じました。若いですから吸収する力が強いことも確かでしょうが、吸収しようという意志がそれ以上に強かったのだと思います。こうして、R先生は貴重な戦力になっていきました。
 どこの会社でもそうですが、即戦力を求めると言いながらも、その新人を自分のところで育てるという要素が必ずあります。R先生にもこれからもっともっといろいろな経験をしていただいて、さらに一回り大きく成長してもらいたいと思っていました。ここでお休みというのは残念ですが、いずれ戻ってきてくださるということなので、その日を待つことにしましょう。

  • 2013年03月25日(月)19時28分

試験を受けてるTさん

3月22日(金)
 Tさんが追試か再試を受けています。期末テストが来週の火曜日に迫っていますから、今日中に受けておかなければなりません。追試にしても再試にしても、学校を休んだか成績が悪かったかのどちらかですから、あまり名誉なことではありません。
 Tさんは進学コースの学生で、受験講座を受けています。のみならず、塾にも通っています。少しでもたくさん勉強して、来年の大学進学につなげたいという気持ちはよくわかります。しかし、Tさんは、先日、「塾がありますから、受験講座の数学をやめてもいいですか」と聞いてきました。塾の日本語の授業の時間と受験講座の数学の時間が重なるそうです。
 理系を志望しているTさんにとって、数学は非常に重い意味を持っています。その授業を放棄してまでも受けなければならないほど、塾の日本語の授業は大切なのでしょうか。担任の先生の話によると、Tさんは塾の勉強を優先するあまり、学校の予復習や宿題をおろそかにしているとのことです。それは本末転倒です。KCPでの勉強を最優先し、空き時間に塾に通うならわかります。学校の勉強だけでは物足りないから塾でも勉強するのなら、それをやめろと言うつもりは毛頭ありません。でも、塾の勉強のためにこちらの勉強に悪影響が出るのなら、見逃すわけにはいきません。
 塾ではTさんの国の言葉で授業をしてくれます。KCPで日本語で数学や理科の授業を受けるよりも効率的だと感じるのでしょう。しかし、大学の講義は日本語ですし、EJUの日本語試験では測りきれない日本語力をつけていくのが日本語学校の授業です。大学に入った後のことまで考えて授業をしているのが日本語学校です。この時期にテストを受けているところを見ると、Tさんの日本語力は順調に伸びていないのかもしれません。学校の勉強も満足にできない学生が塾に通ったって、オーバーフローするだけです。
 Tさんには自分の足元を見てもらいたいです。焦って難しい勉強をしても、本当の実力にはなりません。Tさんの話す日本語は初級レベルの文です。また、数学では、工夫をせずに何でも力任せに解こうとし、ひっかけ問題にたやすく引っかかってしまいます。そういう自分を冷静に見つめ、基礎をきちんと固めることが、今のTさんに何より必要なことです。

  • 2013年03月22日(金)16時25分

Fさんの挨拶状

3月21日(木)
 ここ数日の暖かさとは打って変わって、今朝は冷え込みました。平年の最低気温は上回りましたが、暖かさに慣れた体には冷たく感じられ、コートを着て出勤しました。何より、風が強かったのでよけいに寒さを感じたのでしょう。それでも日中は15℃近くまで上がり、やっぱり桜の季節なんだなと思いました。でも、油断大敵です。「花冷え」「寒の戻り」など、春になったと喜びすぎることを戒める言葉には事欠きません。日曜日は日中でも10℃という予報が出ています。
 そんな中、先日S先生に着付けの手ほどきを受けて専門学校の卒業式に臨んだFさんから、卒業の挨拶状が届きました。袴をつけたりりしい姿の写真がついていました。FさんはKCPでもいろいろな活動に顔を出し、専門学校に入ってからも震災の被災地に救援に行くなど、大いに活躍していました。ちょくちょく学校に顔を見せてくれましたから、私たちもそういうことを知っているのです。Fさんはまもなく他の国へ行ってしまいますが、日本を十二分に味わい尽くしたのではないでしょうか。その集大成が、卒業式での袴姿であり、それを挨拶状にして送るという実に日本人らしい行動です。
  しかし、残念ながら、Fさんの半分も日本を知ろうとしないのが、留学生の平均値ではないでしょうか。新聞を読むことはおろか、テレビさえ見ず、インターネットは国のサイトばかりというのでは、何のための留学なのでしょう。そんなんじゃ、物価の高さに辟易するために日本へ来たようなものじゃありませんか。「私は日本語がまだまだですから…」というのは、理由にも何にもなりません。その下手くそな日本語なりに何かに挑戦していくことが、留学の意義なんじゃないんですか。
 花の季節は良くも悪くも「日本」が色濃く表れる時期です。それを少しでもたくさん観察して、自分自身の見聞と人間の幅を広げていってもらいたいものです。

  • 2013年03月21日(木)21時05分

皇居東御苑へ課外授業

3月19日(火)
 課外授業で皇居東御苑を見学してきました。「皇居」という名前にひかれるからでしょうか、集合場所の大手門には外国人と思しき人たちが次から次へとやってきました。我々の集合時刻の9時半までを見る限り、日本人よりも多そうでした。大手門のほり際は、すでに早咲きの桜が五分咲きほどになっていましたから、それをバックに写真を撮るグループも少なくありませんでした。
 9時半に学生が集まったところで、江戸城の正門である大手門をくぐり、皇居東御苑へ。江戸城の石垣や百人番所などの建物の説明をしながら本丸跡へ。今日は朝から暖かかったですが、このあたりまで来ると、上り坂だったこともあり、うっすら汗ばんできました。JさんやWさんは上着を脱いで半袖になりました。
 Sさん、Zさん、Cさん、Oさんは、石垣の積み方や、石室の役割や、兵隊はどこにいたのかとか、大奥についてとか、いろんな質問をしてきます。その質問の回答に、他の学生も耳を傾けていたところを見ると、思ったよりも興味を持って見ていたのではないかと感じました。
 本丸跡でも桜をカメラに収めている人たちがいました。椿も咲いていました。花を見たり、江戸城の遺構に感心したりしながら、天守台に登りました。天守閣の跡地で他より1段高くなっているので風が抜けるかと思ったのですが、今日は風がそよともしません。日差しを遮るものが全くありませんでしたが、学生たちはベンチに腰掛けて一休みしました。すぐ北側に見える日本武道館が、意外に学生に人気でした。
 「マリア様が住んでいるんですか」などと学生が言っていた桃華楽堂の前を通り、「ここはマリア様の家じゃなくて音楽堂だよ」なんて説明しながら大手門へ戻っていきました。みんな暑かったのでしょうね、大手門近くの休憩所でジュースをたくさん飲んでいました。
 解散後、昨年復元工事が完成した東京駅を見たいというWさんと一緒に行幸通りと内堀通りの交差点まで歩きました。東京駅が真正面に見えるところで少し解説。Wさんは大学院で建築の研究をしようと考えていますから、東京駅は見逃せないのでしょうね。
 今日は、桜を始め春の花を愛でながら、初夏の陽気を味わいました。上着が鬱陶しかった課外授業でした。

  • 2013年03月19日(火)15時56分

花咲く季節を迎えるには

3月18日(月)
 先日のこの稿で取り上げた通りに、土曜日、東横線の地上の渋谷駅と入れ違いに、東京の桜の開花が発表されました。この週末に、九州全域と四国の高知・松山、そして静岡、横浜で咲き始めました。東京は今日も20度を上回り、順調に花が開いていくことでしょう。
 来年の「サクラサク」を狙う学生たちに向けた受験講座は、今日も先週に引き続き大学独自の日本語試験問題をやりました。今日の問題文には、野球に関する新聞記事がありました。日本は世界の中では野球が盛んな国であり、野球ファンも多いです。ですから、必然的に、野球に関する文章も多いです。そんな文章の中から入試問題が作られたとしても文句は言えません。今日の問題も、野球の盛んな国の学生はそれほど抵抗がなかったようですが、野球があまり一般的でない国からの学生にとっては、背景がつかめずいくぶん難儀だったかもしれません。
 読解の問題文を理解するには、単語や文法を知っているのみならず、文化的背景の理解や基礎的な専門知識もまた必要なことがあります。今日の野球などは前者の例であり、EJUによく出てくる生物関連の問題は後者の例と言えます。いずれも、ただ闇雲に問題を解けば身に付くというものではありません。求めてそういうものを吸収していかねば、自分のものとはならないでしょう。
 専門知識はさておき、日本人一般が持っている文化的背景は、新聞を読むことでかなり補えます。政治や経済の記事をガッツリ読むのではなく、数百字程度のコラムを毎日読み続けていくだけで、半年後の受験シーズンにはかなりの貯金ができます。学校の中間や期末なら、範囲も決まっていますから、頭のいい学生なら一夜漬けでもどうにかなるでしょう。しかし、大学入試は、受験生の頭脳の総合力が試されますから、継続的に力をつけていくことが何より重要です。
 桜の花も、単に暖かければ咲くというわけではありません。つぼみの時までの蓄えがなければ、最高の季節は迎えられないのです。

  • 2013年03月18日(月)16時28分

話を聞く

3月15日(金)
 Sさんは授業後毎日のように職員室へ来て勉強しています。これだけならいい学生のように聞こえますが、Sさんの最大の問題点は、他人の話をよく聞かない点と自分の考えをなかなか変えようとしない点です。M先生やT先生が一生懸命アドバイスしたり注意したりしても、それがSさんの心の底までしみわたりません。「はい」とか「わかりました」とか言いますが、その直後に出てくる言葉やその後のSさんの行状を見る限り、本当にわかっていたとは思えません。自分の考えを変えるつもりがないから、他人の話をよく聞かないのだと思います。
 今日も、国の言葉の考え方を日本語に持ち込んではいけないとT先生に注意されていましたが、同じ注意を先週ぐらいにM先生からも受けていました。初級の「食べます」とか「寒いです」とかなら国の言葉に置き換えてもいいでしょう。でも、Sさんのように中級まで進んだら、それでは伸び悩んでしまいます。日本語を日本語で理解できるようにならなければ、上級レベルには到達しません。テストの点だけ良くて進級したとしても、上級の授業にはついていけません。
 今日の私のクラスでは、「ご両親はあなたの希望を認めてくれました」と「ご両親はあなたの希望をきっと認めてくれました」とはどう違うかを話し合いました。これなんかは、国の言葉にとらわれていたら、全く理解が進まないでしょう。逐語訳ではすまない部分が出てきています。今のSさんのままなら、到底このレベルまでたどり着けません。
 まだ若いのに、なんて頭が固いんだろうと思ってしまいます。外国語は異文化の言葉なんですから、自分の身についている考え方だけでは対処できません。“I study English to understand the other people all over the world.”という文が、私の使った英語の教科書にありました。これこそが外国語学習の真髄だと思います。今、Sさんに言ってもわかってもらえないかもしれませんが…。

  • 2013年03月15日(金)16時49分

予想通りに咲くかな

3月14日(木)
 昨日発表された桜の開花予想によると、東京は今週末に開花だそうです。なのに今日は日中の気温が10℃を下回り、真冬に戻ったかのような寒さでした。三寒四温は春の習いとはいえ、一度暖かい日を経験してしまうと、寒さがより一層身にしみます。でも、週間予報ではこれから週末にかけて気温が上がっていくことになっていますから、開花予想通りに咲き始めるのかもしれません。
 東横線の地上の渋谷駅は、明日が最後です。あさってから副都心線と直通運転となり、地下に入ってしまいます。私は学生時代は大学も住んでいたところも東急の沿線でしたから、地上の渋谷駅には非常にお世話になりました。就職して東京を離れてからも、東京出張のたびに用もないのに渋谷まで足を伸ばしたものです。ホームグラウンドに帰ってきたという感じがしていました。渋谷駅は使いにくいという声をよく聞きますが、コツをつかめばとっても便利にできた駅だと思います。周りのビルは、東口も西口も南口もいろいろと変わりましたが、東急の渋谷駅は、確かに改札口の主役は駅員さんから自動改札機に変わりましたが、30年以上前の面影を色濃く残しています。
 その渋谷駅にお礼とお別れを言いに行こうと思っていましたが、どうやら行けずじまいになりそうです。閉鎖された渋谷駅を見るのは忍びないものがありますから、ホームを覆う屋根があるうちは行きたくないですね。
 週末に桜が咲いたら、ちょうど地上の渋谷駅と入れ違いになります。まさに引退の花道ですね。

  • 2013年03月14日(木)21時28分

再挑戦に向けて

3月13日(水)
 授業後、Nさんが来学期以降の相談に来ました。Nさんは去年の4月入学ですから、ちょうど1年になります。入学した学期も私のクラスでしたが、本気で勉強に身を入れているようには見えませんでした。それからずっと、先生たちからの注意をよそに、遊び半分、勉強半分みたいな学生生活を送ってきました。受験した大学に落ち、もう1年続けたいのだが、というのが相談の趣旨です。
 ここ半月ばかりは、大学に落ちたことで尻に火がついたのか、勉強への取り組みが今までとは違いました。Nさんの最大の問題は、そういう前向きの姿勢が長続きするかどうかという点です。今まではいい時と悪い時の波が大きく、勉強しようという気持ちがあっという間にしぼんでしまいました。
 語学的センスがあるのがかえって災いして、今まではこんな取り組み方でもカンが働いてテストでは点が取れてしまい、進級はできました。進級できているから、自分は力をつけてきたと思っていたのかもしれません。しかし、他流試合はそんなに甘くありませんでした。その点が本当にわかっているのかどうか、落ちたことによって受験に対する考えがどのように変わったか、そういうあたりを確認しました。
 Nさんの受験計画を聞くと、今年はきちんとしたプロセスで志望校を選ぼうとしてることがわかりました。Nさんなりの葛藤があったようで、計画を立て直し、それを家族に話して理解を得るつもりだと言っていました。心を入れ替えて再挑戦しようとしていることはわかりました。私からもNさんを1年見てきた感想と、これからの1年で成し遂げてもらいたい課題とを話しました。
 Nさんは何かを持っている学生ですから、この1年で是非とも花咲かせてもらいたいです。それが、Nさんの人生自体を決定づけることにもなるのですから。

  • 2013年03月13日(水)19時23分

学生たちにとっての震災

3月12日(火)
 昨日が東日本大震災からちょうど2年ということで、今日の上級クラスではそれに関連した新聞記事を取り上げました。読解に助けになるような問題もつけておいたので、学生たちはその問題を解きながら読み進みました。
 問題の答え合わせをしながら内容理解を進めていくと、次から次へと震災や原発事故に関する質問が出てきました。2年経っているとあって、震災直後の感情的というか切羽詰ったような質問はありませんでした。被災者の現状を心配するような質問、復興の現状を知りたいという質問が多かったです。質問が多すぎて、予定の時間内で授業が終わらなかったほどです。この件に対する学生たちの関心の強さを改めて感じました。
 東京に住んでいる私たちは、電気料金が多少上がったり、節電に気をつけるようになったりしたぐらいで、震災前とあまり変わらぬ生活をしています。いまだに仮住まいの人が大勢いることは言うに及ばびません。今日の新聞記事によれば、「復興」という言葉には災害が過去のものになったというニュアンスがあるため、福島の原発事故の地元では事故がまだ現在進行形であるため、被災者に向けてそれを使うのもためらわれるとのことです。学生たちはそういうことにも驚いていました。
 震災直後は、こちらもまなじりを決して「東京は安全だ」「全日本が放射線汚染されたわけじゃない」と叫び続けました。でも、今は、この2年間非常に厳しい状況に追い込まれ続けている人たちが大勢いるんだ、津波や原発事故がいかに恐ろしいものかということを、世界に向けて発信していくことが私たちに課せられた責務だと思います。学生たちにもその一端を担ってもらいたいです。そのためには、私たち教師がこの災害を正しく理解し、自分なりの感想と意見を持たなければなりません。

  • 2013年03月12日(火)17時56分

寒いけど暖かい?

3月11日(月)
 昨日は、最高気温が25度を上回り、夏日となりました。史上最も早い夏日で、3月の最高気温の記録を更新しました。しかし、最高気温(25.3度)を記録して30分ほどで風向きが変わり、気温が急に下がりました。最高気温を記録したのが13:10で、14時には17.7度まで下がりました。今日は、昨日とは打って変わって寒い日になるという予報でした。確かに、朝は真冬並みの寒さでしたが、日中は12.4度まで上がり、さすが3月といったところでした。先月までなら8度かそこらで止まってしまうところだったでしょうが、日差しが強くなったおかげで、「寒い」といっても10度は確保するようになりました。
 先週までは、朝の職員室はまさに先生だらけでしたが、上級クラスが半分以下に減った今日は、スペースにも余裕がある静かな雰囲気で始まりました。卒業生が去ってクラスを組み直したところはどこもまあまあ以上の出席率で、出てきた学生も気が抜けている様子はなく、勉強する気になっているとのことでした。今日からの上級のメンバーが今年の主力になるのですから、そういう学生たちがやる気に満ちているというのは朗報です。
 受験講座は既に1月からメンバーが入れ替わっていますが、いよいよもって自分たちが受験の主役だという気持ちになってもらわなければ困ります。しかし、Gさんは欠席。噂によると、ゆうべ、国へ帰る友達と遊び回っていたとか。見つけ次第、厳しく説教しなければなりません。
 今日の受験講座は、大学独自試験の日本語の問題をしました。学生たちは、EJUの日本語の練習問題はすでに経験していますが、独自試験でどんな問題が出されるかはよく知りません。20分ほどで解ける問題をしましたが、記述式試験に苦戦していました。学生たちは、かなりレベルの高い大学の問題を解いたつもりでいたようですが、今日の問題は、学生たちにとって名前も知らないような、志望校の候補には全く挙がっていない大学です。そんな大学の問題すら満足に解けなかったということで、多少は勉強しなきゃという気になってくれたでしょうか。
 陽気は春に向かっていますが、学生たちの春はまだまだずっと先です。

  • 2013年03月11日(月)16時44分

かたいきずな

3月8日(金)
 9:28、卒業生の入場が始まると、いつもの破れたジーパンなんかとは違って、ぱりっとしたスーツを着た学生が1列になって入ってきました。馬子にも衣装なんて言ってはいけませんが、見慣れた顔の学生が大人に見えました。
 証書は、昨日新宿御苑で練習した甲斐があり、最上級クラスの学生たちは型通りのもらい方をしてくれました。おかげで、それ以降の学生たちも大きなミスを犯さずにすみました。渡すときは、名前を呼んで「おめでとうございます」と声をかけますが、それ以外に1人1人に心の中でささやきかけました。「よくやった」「合格おめでとう」「もうちょっと頑張れたはずだな」「君はこれで満足してちゃいけないよ」……私との関わりの中で感じたことをつぶやきました。
 今年は式の最後に校歌を歌いました。スクリーンに歌詞を映し出し、歌クラブの学生のコーラスに合わせて会場全体で歌いました。教室で練習した時より声が響いたからなんでしょうか、この校歌は大勢で歌うほど歌い栄え(?)がするなと思いました。こういうイベントで歌うにぴったりの曲なのかもしれません。
 うっすら汗をかくほどの陽気の中、元のコマ劇場の近くにある食事会会場に向かいました。12時半過ぎに乾杯して、名残を惜しむ食事会が始まりました。去年の卒業生を送り出した直後は、今日の卒業生たちはまだ海のものとも山のものともつかず、「卒業生のAさんに似ているBさん」なんていう認識のしかたでした。いつしか、私の中のBさんの存在がAさんを追い越し、今では1つのくっきりとした輪郭を持った個性になりました。そこに学生の成長が感じ取れます。
 1年間かけて堅い関係を築いてきた学生たちを見送るのは、私たちにとっても寂しいものです。明日から(土曜日ですが受験講座がありますから、まさに「明日」から)新たな関係を築き始めます。そして、1年後にまた送り出す…。なんだか、寂しさを感じるために営々と絆を結び続ける感じがします。

  • 2013年03月08日(金)18時06分

新宿御苑にて

3月7日(木)
 今日の東京の最高気温は18.7℃で、4月の中頃の陽気でした。そんな暖かさに誘われて、卒業生クラスの学生を連れて新宿御苑へ行きました。卒業式を明日に控え、KCPを出たら新宿御苑に入ることなど滅多にないでしょうから、花見としゃれ込みました。
 早咲きの桜がいくらか咲いてるかなと思っていましたが、つぼみはわずかに膨らんだ程度でした。昨日と今日が暖かい程度じゃ、こんなあたりが精一杯でしょうね。梅はピンクと白の花を咲かせていました。まだ観梅シーズンなんですね。
 園内の芝生であすの卒業証書授与の予行練習をしました。このクラスの学生たちが最初にもらうので、手順を間違えられるとずっと尾を引いてしまいます。だから、きっちりもらい方を確認してもらいました。1番にもらうことになったOさんは、えらく緊張していました。
 予行演習が終わると、お決まりの写真撮影。みんなで一緒に撮ったり、仲良し2人組でフレームに収まったり、思い思いのポーズで写っていました。4月以降も学校に残る学生も、卒業生と芝生に寝転んだりしてケータイやカメラに記憶を残すことに余念がありませんでした。
 はしゃいでいるみんなからちょっと離れて、Lさんが1人で立っていました。Lさんは地方の国立大学に進学します。しかし本人としては東京の大学に進めなかったことで、心の底から卒業を喜べないのです。自分が進学する大学は有名じゃないと言います。確かに、Lさんが入学時に希望した大学は、進学することになっている大学より有名でしょう。でも、その大学は、その地方ではピカイチの大学で、そこの学生と言えば絶対に尊敬を集めるでしょう。東京のちょっとばかり有名な大学の学生などより、はるかに敬意を払われることは間違いありません。尊敬されるというプレッシャーを感じながら、尊敬されるにふさわしい学生として振舞う、そういう4年間を送ることは、Lさんの人生にとって有意義だと思います。
 そんな話をしながら、早春の新宿御苑を歩きました。Lさんの自信は少しは回復したでしょうか。明日は、1年の総決算の日です。

  • 2013年03月07日(木)21時02分

校歌の練習

3月6日(水)
 今日は暖かな1日でした。いつの間にか、職員室のエアコンが止まっていました。教室の窓も開けられていました。それでも全く寒さを感じませんでしたから、春といってもいいのではないでしょうか。そりゃそうですよね、昨日は啓蟄、春分の日までちょうど2週間ですから、もういい加減に春めいてくれなきゃ困りますよ。
 卒業生がいるクラスでは、昨日から校歌と応援歌の練習をしています。去年、歌詞を募集して、作曲を頼んで、夏のスピーチコンテストの際に披露した歌です。今日も、せっかく開けた窓を閉めて、みんなで歌いました。最初は恥ずかしがってささやくような歌声だったのが、だんだん大きな声になり、最後に歌った時はPさんなどはシャウトしていました。隣の教室が迷惑しなかったかなと心配になったほどでした。
 一緒に歌を歌うということには、心をつなげる働きがあると思います。共同で何か作業をするのと同じぐらいの一体感が生まれます。議論をし合うほど頭も使いませんし、料理みたいに形あるものを残すわけでもありませんが、歌は連帯感を作り出します。今日も、ささやいているうちはそうでもありませんでしたが、繰り返し歌っているうちに、学生たちはアイコンタクトを取るようになりました。歌詞を覚えて歌詞カードを見なくても歌えるようになったこともあるでしょうが、そばで観察していた私には、学生たちが絆を感じているように思いました。
 卒業式では卒業生・修了生、教師全員で歌います。KCPをベースにより大きな連帯感が生まれ、それが世界に広がっていけばと思っています。

  • 2013年03月06日(水)21時53分

地鎮祭

3月5日(火)
 新校舎建設の地鎮祭がありました。
 前の校舎は跡形もなく消えていましたが、思った以上に基礎が頑丈で、壊すのにだいぶ苦労したということです。コンクリートやら鉄筋やらの破片は全く残っていませんでしたが、重機でほじくり返して再び埋め戻したことはてにとるようにわかりました。
 更地となった敷地の真ん中に結界を張って、儀式用の神棚がしつらえられていました。定刻のちょっと前に、上級の学生が見学に来ました。神官の祝詞で儀式が始まると、写真を撮ってもいいことになっていましたが、厳かな雰囲気の中ではシャッターを押しにくかったのでしょうか、携帯・スマホを構える学生は予想したほどいませんでした。普通の地鎮祭なら、鍬入れのあたりが写真の撮りどころなのでしょうが、学生たちはじっと見ているだけだったようです。
 私自身、地鎮祭に最前列で参加するのは初めてでしたから、神官の一挙一動を興味深く注視していました。一番感心したのは、神官の柏手の音の良さです。声が通る神官ではありませんでしたが、柏手は敷地全体にピーンと響きました。さすが毎日柏手を打っているだけのことはあると思いました。その次に柏手の音が良かったのは、施工業者の工務店の代表の方です。私のようにたまの旅行で神社を訪れた時ぐらいしか柏手を打たないのでは、いざという時に気持ちのいい音など出せません。
 最後にお祝いのお神酒を口に含んで、それから学生も一緒に記念写真を撮って、地鎮祭は無事お開きになりました。
 職員室に戻ってほどなく、卒業生のFさんがきました。Fさんは明日が進学した専門学校の卒業式で、袴姿で出席することにしています。袴は貸衣装で、今日はS先生に袴の着付けの手ほどきをしてもらいに来たのです。Fさんは、剣道も初段を取るなど、日本の文化に興味を持ち、自ら進んでその文化に浸ろうとしてきました。そんなFさんが今日の地鎮祭を見たら、どんな反応を示したかなと思いを巡らせました。

  • 2013年03月05日(火)18時06分

Aさんが来ました

3月4日(月)
 午前中の授業が終わった頃、K大学に進学したAさんがやって来ました。「先生、就活中です」と言うではありませんか。つい昨日卒業したように思っていました、もう3年も前のことなんですね。現在、関西の大学にいるAさん、東京の会社を回るついでに顔を見せに来てくれたのです。
 Aさんは、漢字がない国の出身ですから、日本語を身に付けるのにはかなりの苦労がありました。文法にしても読解にしても、常に漢字との戦いがありました。多少なりとも感じに親しみのある国からの学生の2倍も3倍も苦労し、努力もしていました。でも、コミュニケーション能力は抜群でした。性格的にひねくれたところがなく、誰からも愛され、友人も多かったです。はっきり言って、ペーパーテストだけではK大学に入れたかどうかわかりませんが、面接で持ち前のコミュニケーション能力を発揮し、素直さ、明るさ、積極さが面接官に伝わったのでしょう。
 大学に入ってからも、授業にサークル活動に活躍したようで、とても充実したキャンパスライフを送ったようです。そういうAさん自身の人柄や、それがもたらした密度の高い生活を訴えれば、就職試験という難関もクリアできるんじゃないかと期待しています。
 Aさんは日本への留学生が少ない国の出身です。KCPでは入学から卒業までAさんの国の先輩も後輩もいませんでした。しかし、Aさんは自分の国などという狭い範囲で物事をとらえる学生ではありませんでした。目の前の人がどの国の出身かは、Aさんにとっては些細な問題で、その人とこれからどうやって良い関係を築いていくかが最大の関心事だったのではないかと思います。こういう人こそ、本当に国際人なんだろうなと思います。
 就職試験は学校の試験とは違う要素がいっぱいあって、Aさんといえども苦戦するかもしれません。でも、Aさんなら落ちた経験さえも自分自身の成長の糧にできると信じています。そして、最後にはきっと笑っていることでしょう。

  • 2013年03月04日(月)18時17分

いちごとピザと

3月1日(金)
 「7時50分にバスの中で出席を取ります」といくら強く言っておいても、毎回、遅れてくる学生が何名かいます。私のクラスのPさんは新宿三丁目駅からタクシーで来ました。8時を少し回ったところで初級のFさんが乗り込んで、私たちのバスは全員揃いました。Fさんにしても、走ってきたのですから、努力は認めましょう。
 首都高に乗ると、ガイドさんは車窓案内をしてくれました。日本語があまりわからない学生にも気を使った話し方で、初級の学生も力いっぱい反応していました。ガイドさんの中にはこういう工夫をしてくれない人もいますから、今日のガイドさんは当たりと言えます。
 ガイドさんはバスの中のレクリエーションでも活躍してくれ、S先生の小気味よい司会と相まって、あっという間に成田空港近くのいちご狩りの農園に着きました。今回の農園は、1メートルぐらいの高さのところにいちごの苗床にあり、腰をかがめなくてもいちごが摘み取れるようになっていました。これはとても助かりました。胸のあたりにいちごの実が来るので、とてもつまみやすかったです。私のような年寄りだけでなく、膝の悪いCさんにとってもありがたかったようです。Cさんの通ったあとにはいちごの実が全然ありませんでした。
 農園からバスで20分ほど、成田山新勝寺の近くの土産物屋で休憩しました。予定外のことで、新勝寺までどのくらいかがわからず、私1人で偵察に行こうとしたところ、WさんとHさんがついて来ました。10分もかからず新勝寺に着きましたが、時間がありませんからお賽銭を入れて手を合わせてすぐ戻ってきました。Wさんは、参道の店で売られていた黄色や青のだるまが気に入ったようでした。でも、今日はゆっくり選んでいる時間がありません。「東京から成田までどのくらいかかりますか」なんて聞いてきたので、進学してからまたきて、今度は時間をかけて成田を見るつもりなのでしょう。
 それからまたバスに乗ってポティロンの森へ。日光が取りやめになって文句を言ってたわりには、ピザ作りに熱が入っていました。中には、自分の作ったピザを最悪なんて言っている学生もいましたが、大失敗をしたグループもなく、お腹が膨れたのではないのでしょうか。
 動物との触れ合いはいつもの通りでしたが、今年はプラスチックのそりで丘を下るそりスキーが大人気でした。貸しそりが全部で払ってしまって、空くのを待たなければならないほどでした。
 帰りのバスは、みんなよく寝ていました。卒業式までちょうど一週間です。もうすぐ離れ離れになってしまう友人とのいい思い出になったでしょうか。

  • 2013年03月02日(土)07時04分

寒かった2月

2月28日(木)
 2月も今日で終わりです。今日は最高気温が15.7度と、本当に久しぶりに暖かくなりましたが、全体を通してみると、今月は寒いひと月でした。最高気温が10度を超えた日は今日も含めて10日ありますが、そのうち7日は上旬に集中しています。中旬以降は真冬の寒さが続いたのです。気温のグラフを見ると、上旬から中旬、下旬にかけて緩やかに下がっています。もしかすると、今年の気温の谷底は2月下旬になるかもしれません。
 3月になると、多少は暖かくなるようですが、まだしばらくは油断ができないようです。長期予報によると、平年より低めに推移するようです。各気象予報会社は、東京の桜の開花予想日を平年並みの3月25日としていますが、今の感じでは本当にその頃咲くんだろうかと思ってしまいます。桜が咲くにはある程度の冬の寒さが必要だと言われていますから、寒さが厳しい今年は、一度暖かくなると一気に咲くのかもしれません。
 明日はバス旅行です。前線が接近するため今日のような青空は望めそうもありませんが、いちご狩りやピザ作りをしている間は、辛うじてお天気はもちそうです。茨城県まで足を伸ばすんですから、筑波山ぐらいは拝みたいですね。気温も今日と同じぐらいかそれを上回るくらいだそうで、何年か前に、半分凍えながら東照宮を見学したような悲惨な目には陥らずにすみそうです。ポティロンでうさぎやヤギと戯れるにはいい日になるんじゃないでしょうか。バスによっては、卒業式で歌うことになっている校歌の練習をするそうです。目的地が急に変更になりましたが、それなりにムードが盛り上がってきました。

  • 2013年02月28日(木)20時18分

風評被害?

2月27日(水)
 月曜日の夕方に、日光市を震源とする最大震度5強の地震が発生しました。日光といえばバス旅行の行き先です。気象庁は余震には1週間程度注意しろと言っているし、地震を気にかけている学生もいるし、万が一にも日光へ行って地震に遭いけがでもしたら大変なことになるということで、行き先を変更しました。
 学生には、今日、そのことを伝えましたが、私のクラスは不評でした。Sさんなど、「親は子供を日本に送り出している時点で、子供がいつ地震にあってもいいという覚悟をしているのだから、多少の地震の危険性で日光を取りやめてほしくない」とまで言いました。日光の陽明門は修理のためこれから6年間見られなくなる、と言って学生たちを誘いましたから、Sさんの言い分にも一理あります。
 学校の責任者という立場からすると、Sさんの意見ににわかに賛成するわけにはいきません。地震に慣れていない学生は、小さな地震でも怯えてしまいます。これは学校の中で、今まで嫌というほど見てきました。旅先だったらそれが倍加されるでしょう。だから、地震が頻発しそうな方面へは行きづらいのです。
 しかし、個人の立場で言わせてもらうなら、日光へ行っても問題ないだろうと思っています。そもそも、日光市で地震があったといっても、震源地は東照宮などのある日光市街地から山1つか2つ向こうなのです。「日光」というよりも「尾瀬」といったほうがいいくらいのところです。平成の大合併以前は、そこは日光市ではなく栗山町でした。現在、日光市は日本で3番目に広い市になったため、東照宮もこの地震の震源地のように標高2000mの地域も、全部「日光市」になってしまったのです。
 合併前だったら、地震は栗山町で起きたと報じられ、日光市の震度は4となり、バス旅行の行き先も違った結論になっていたかもしれません。こういうのが風評被害なのだなと思いました。風評被害に手を貸す側に回るのは本意ではありませんが、やはり安全サイドの選択をせざるを得ません。
 Sさんも、こちらの胸中は察してくれていると思います。ただ、日光へ行けなくなった悔しさをどこかにぶつけたかったのでしょう。新たな行き先は、ポティロンの森でピザ作りです。精一杯学生を盛り上げたいです。

  • 2013年02月27日(水)18時42分

冷戦

2月26日(火)
 Iさんが、今、とても困っています。進学先は決まったのですが、国のご両親はその大学ではダメだとおっしゃって、学費を出してくださいません。急にアルバイトを探し始めました。
 Iさんはいい加減な気持ちで大学選びをしたわけではありません。自分がやりたいことが勉強できる大学を探し、B大学を見つけ、そこを受験し、合格したのです。B大学より名の通っているJ大学にも受かりましたが、B大学こそ自分の学問的興味にぴったりの大学だということで、J大学を捨ててB大学を選びました。国立大学も受けましたが、Iさんが本当にほれ込んだ大学はB大学でした。
 要するに、Iさんは名より実を取りました。しかし、ご両親は名を取ってほしかったようです。国立大学以外は認めてくださいません。学費は出さないと言われたIさんは、日本にいる親戚からもお金を借り、自分でもなんとかしようとアルバイトを探し始めたのです。
 Iさんのご両親が国立大学への進学を望んでおいでだということは耳にしていました。ですが、国立大学ではIさんのやりたいこととはちょっと違うことしかできないので、B大学を勧めたのは私です。こんなにまでIさんのご両親の国立大学志向が強いとは思いませんでした。
 「親は子供の希望を第一に考えるべきだ」と言って、Iさんのご両親を切り捨ててしまうことはたやすいです。しかし、それでは問題の解決にはなりませんし、この事例を今後の糧とすることもできません。ご両親と密に連絡をとり、Iさんの希望とご両親のお考えとをきちんとすり合わせておけば、こういうことは防げたと思います。日本の高校でなされている進路指導のようなことを、海をまたいで行うのは骨が折れることです。でも、それをきちんとやっていくことが日本に留学する外国人学生を増やすことにつながるのではないかと思います。
 Iさんのアルバイト探しは、まだ続いています。アルバイトが見つかることも祈っていますが、ご両親との関係が元に戻ることを願ってやみません。

  • 2013年02月26日(火)18時50分

この1年をバネに

2月25日(月)
 今日と明日は、今シーズンの受験の最後の山場です。何校かの国公立大学で入試があります。上級のクラスでは受験のために欠席という学生が目立ちました。
 NさんはF大学の受験を済ませて、夕方学校に顔を出しました。手応えがよくなかったようで、もう1年勉強することを覚悟したようです。しかし、Nさんは出席率が悪く、学校を続けたいというだけでは授業料を受け取るわけにはいきません。
 Nさんは、国立大学に挑むほどですから、決してできない学生ではありません。でも、入学以来本気で勉強してきたとは思えません。本気で勉強しなくても、KCPの校内試験もEJUも何とかなってしまったのです。Nさん自身、大学入試を甘く見ていたと反省していました。
 国いた時から、日本に留学している学生たちのネットワークから入試情報を仕入れ、それに基づいて行動してきました。それが甘かったと、今になってようやく気づいたと言っていました。こちらがいくら注意しても、明らかに聞き流していました。授業に集中せず、目標に向かって計画的に行動しているようには見えませんでした。入学した時から順調に力を伸ばしていけば、F大学に手が届いたかもしれません。まだ不合格が決まったわけではありませんが、本人としては惨敗という感じで、この1年の自分自身を振り返ってみたのでしょう。
 後悔先に立たずという言葉の通りで、受験が終わってから後悔しても、過ぎ去ったこの1年は取り戻せません。Nさんは若いとはいえ、1年という時間は小さなロスではありません。今は、そのロスを1年だけで食い止めるには何をすべきか真剣に考えてもらいたいです。この1年の自分自身を反面教師としてこれからの1年に臨めば、1年のロスがロスではなくなる可能性もあります。あの1年があったからこそ今の自分があるんだ、と思えるようになれば、これまでの1年は金にもダイヤモンドにもなります。まず、明日のNさんの顔を見てみましょう。

  • 2013年02月25日(月)18時12分
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