Monthly Archives: 4月 2015

引導を渡す

4月16日(木)

受験講座が始まっています。新しくやる気にあふれた顔が加わり、教師のほうも気合を入れ直しています。私の担当している理科は、今週は各科目のオリエンテーション。今日の化学では少し脅しをかけました。

この講座を受ける学生たちは、理系大学への進学を目指しているくらいですから、国でもそれなり以上に理科の勉強をしてきています。でも、その勉強や実力がそっくりそのまま日本で通用するとは限りません。そうでない例を多数見てきました。少なくとも、現時点で学生たちが狙っている大学に入るには、平坦な大通りではなく険阻な山道を歩まねばなりません。そのことをわからせたかったのです。

化学といえば、何はともあれ周期表であり元素ですが、その元素名にはナトリウム、マンガン、ニッケルなど、カタカナ語が主力です。有機化学となると、ベンゼン、エチレン、アセチルサリチル酸、ポリエチレンテレフタラートなど、さらにカタカナ語の度合いが進みます。その他、ハーバー・ボッシュ法、ファンデルワールス力など、いくらでも出てきます。これをどばっと見せると、楽勝と思っていた学生たちの顔色が変わり、頬を引きつらせたりあきれて笑ってしまったりと、十人十色の反応でした。

毎年、カタカナ語がどうにもならなくて理系の進学をあきらめる学生が何名かいます。あきらめるのはしかたがない面もありますが、文系へと方向転換する時期が遅くなると、文系の勉強も間に合わなくなり、日本での進学自体をあきらめざるを得ない状況にも追い込まれかねません。今、思い切って理系を捨てて文系に進むと決断すれば、11月のEJUには何とか間に合います。どんなに遅くても連休明け直後がクリティカルポイントです。

だから、理系がいかに大変かということを示して、あきらめる人にはすぐに新しい道に進んでもらおうと思ったのです。消去法で理系を選んだ学生には、点を取るためにカタカナ語を覚えるという勉強はしんどいでしょう。一刻も早く方向転換したほうが、本人のためです。

今のところ、誰もやめるとは言ってきていません。今学期はファイトのある学生が集まったと思っていいのかな。

クルマより人

4月15日(水)

京都市が市内随一のメインストリートである四条通の車道幅を半減するそうです。その分、歩道を広げます。今の歩道幅は狭くて、車いすも満足に通れなければ、バス待ちの人がいると歩行者のすれ違いにすら苦労します。これでは日本を代表する観光都市として恥ずかしいということで、車道をつぶして歩道を広げようというわけです。

1980年代ぐらいから、日本は目に見えてクルマに優しい国になっていきました。クルマに乗ることを前提に国づくりが進められたと言ってもいいでしょう。中心街がさびれ、郊外の幹線道路沿いに広い駐車場つきの大規模なショッピングモールが造られ、数十キロも離れたショッピングモールどうしがクルマで来る客を奪い合うようになりました。安房トンネルを始め、峠道を貫くトンネルがどんどんできています。高速道路は国の隅々まで通じているように思われますが、それでもまだ建設されつつあります。街中でも、自転車は車道から歩道に追いやられ、歩行者はその自転車と歩道を貫く電柱を避けながら細々と歩く始末です。クルマなら1回の信号待ちで入れる道に、歩行者は2回の信号待ちが必要なことはよくあります。

そうではなく、歩行者や自転車に優しい街づくりが必要だと思っていました。京都市の方針は、まさにわが意を得たりと言ったところです。減ったとはいえ、去年も4000人以上もの命が交通事故によって奪われています。クルマを全面否定するつもりはありませんが、現状はクルマに甘い国になりすぎていると思います。道って本来は歩く人が主役なんじゃないでしょうか。

KCPの前の道は、学生たちがわがもの顔で振舞うせいか、ほかよりはだいぶ歩く人のための道になっていると思います。でも、クルマが来ると学生たちはあわてて道端によけます。この界隈、無理にクルマが通らなくても生活や業務に支障ないんじゃないかな。ですから、生活道路とかっていうのにして、指定車両以外通行禁止にできないものでしょうか。これは、クルマを持たない人間の発想かな。

花見ができる?

4月14日(火)

新学期が始まって以来、お天気があまりよろしくなく、各レベルともお花見に行けなくて困っています。4月期は初級から上級まで1回ぐらいは新宿御苑へ出かけるのが毎年の恒例なんですが、今年はどうも具合が悪いようです。天気予報によると木曜日あたりがベストで、それを逃すと今年はお花見なしになりそうです。

お花見と言っても、もちろんソメイヨシノは散っていて、今は八重桜が盛りだそうです。八重桜もソメイヨシノに負けず劣らず美しいです。私も御苑で何回か見たことがありますが、ソメイヨシノが内蔵しているはかなさみたいな、華やかさの裏側に隠された陰影がありません。こちらのほうが春の明るさを素直に表しているように思えます。

新宿御苑は、今週の土曜日、安倍さんたちのお花見があります。お天気はパッとしなさそうですが、おとといの統一地方選前半戦の結果から、きっとわが世の春を謳歌するのでしょう。東京は知事選も都議選もなく、どこで選挙をやってるのっていう感じでしたが、投票率からすると全国的にも盛り上がりに欠いていたようです。安倍さんは自分が推した候補者がどんどん当選を決めたといっても、40%か50%ぐらいの投票率の中で支持されたということについてはどう考えているのでしょう。私だったら不安でならないでしょうね。肝の太さの違いかな。

学生たち、特に来年は日本にいないかもしれない人たちには、桜を存分に堪能しておいてもらいたいです。先生方はぎりぎりまでお花見の可能性を探っています。

傘を持ち歩く

4月13日(月)

午前の授業が終わると、学生が続々と傘を借りに職員室へ来ました。雨が降り出したのが彼らが学校に着いたころからだったので、傘を持って来なかった学生が大勢いたのです。もう1時間早く降り出していたら、学生たちの多くは傘を差してきたでしょう。

教室などの忘れ物の傘を回収して貸し出し用の傘にしていますが、何十本もあるわけがありません。ですから、傘を借りようと思った学生の大半が借りられませんでした。そういう学生は、コンビニまで走っていって、傘を買ったのでしょう。

午後のクラスの学生たちは、登校時に雨が降っていましたから、みんな傘を差してきました。でも、教室で学生に聞いてみると、雨が降っていなかったら傘は持って来ないと言っていました。国籍を問わず、雨が降っていなかったら傘など持ち歩くものではないという考えを持っています。お天気のいかんによらず折り畳み傘を持ち歩く私など、彼らの目には異星人に映るかもしれません。

日本は雨の国であり、学生たちの母国の多くは日本より降水量が少ないです。だから、傘を持つことに抵抗を感じるのでしょう。または、雨に濡れても体が冷えないくらい暖かいので、そういうところから来た学生には冷たい雨という概念がないのかもしれません。

私は事あるごとに傘を持ち歩くことの利点を説いています。折り畳みなら教科書1冊分ぐらいの重さのもありますよ。学生の大きなかばんに傘1本も入る余裕がないとは思えません。でも、学生の行動様式を変えることはできません。三つ子の魂百までというやつですよ。

傘は持ち歩かなくてもいいですから、雨に降られて体調を崩すことだけはやめてくださいね。

電王戦で勝った

4月11日(土)

プロ棋士とコンピューターの将棋ソフトが戦う電王戦で、プロ棋士チームが3勝2敗で団体戦を制しました。去年までは負け越していたのですが、今年初めて勝ち越すことができました。

プロ棋士3勝のうち2勝は、プロ棋士がコンピューターのプログラムの穴を突く形で勝ちました。プロ棋士側は事前にソフトを借りて研究しました。そこで見つけたプログラムの欠陥を攻め立てるように本戦で指し、勝利を得たのです。今日行われた最終戦は、わずか21手でコンピューター側が投了しました。

なんだか正々堂々としていないような感じもしますが、相手の弱点を攻めるのは戦いの基本です。負けに直結するような弱点があるということは、コンピューターはまだ人間の域に達していないということなのです。

また、そういう弱点があることが満天下にさらされたのですから、ソフトの制作者はその穴をふさぐべく努力するに違いありません。今回の敗戦は、ソフトの更なる発展につながるのです。そういう意味では、弱点を突いたプロ棋士は、自ら強敵を作る手助けをしたことにもなります。真の勝負師なら、戦い甲斐のある敵を求めるものです。

プロ棋士を負かすほどの力量を持ったソフトが意外なもろさを見せるあたりは、なんだか人間くさくて親しみが持てます。弁慶の泣き所みたいなところがあるんだなあと思うと、プログラムという抽象物が実体を伴ってまぶたに浮かんできます。電王戦はとりあえず今回で最後だそうですが、コンピューターがプロ棋士を完全に抜き去る日までは、どこかで何らかの形で、プロ棋士対コンピューターソフトの戦いは続けられていくでしょう。

電話を取る

4月10日(金)

新学期が始まってからの数日は、午前も午後も授業の終わった直後は、いろんな手続や問い合わせなどの学生が大勢訪れて、事務所の前は大混雑です。事務職員総出でその学生たちをさばきます。私などは事務手続きには詳しくないので、電話番なんかの形で事務職員の後方を支えます。

4:45に午後の授業が終わるや否や、初級の学生の大波が押し寄せました。そのときに電話が鳴りました。

「はい、KCP地球市民日本語学校でございます」「私は今年の3月に卒業したEと申します」。お、私のクラスだったEさんじゃありませんか。「この前インターネットで申し込んだ書類が10日にもらえることになっていましたが、もうできていますか」「はい、10日となっていたら受け取れると思います」「では、これから取りに行ってもよろしいですか」「はい。でも、本当に今すぐですとちょっと混雑しておりまして、少しお待ちいただくことになるかもしれませんが」と、ちょっと他人行儀に。「1時間ぐらいかかりますが、まだやっていますか」「それぐらい後でしたら、もう窓口もすいているかと思います」「わかりました。では、その頃行きます。ありがとうございました」

風邪をひいて声がしゃがれていたせいか、Eさんは最後まで電話の相手が担任だった私だったとは気がつかなかったようです。でも、立派な電話の受け答えでした。どこに出しても決して恥ずかしくありません。こういう話し方ができるように、私たちは訓練してきたんですよ。なんだかうれしくなっちゃいました。

自分からきちんと名乗ったところが、KCPの学生らしくないですね。在校生は何回注意しても電話で名乗りません。「お前は声だけで誰だかわかってもらえるほどの有名人とちゃうやろ、アホ!」と言ってやりたいのをぐっとこらえて「すみません、あなたのクラスとお名前は?」と優しく聞いてしまう自分が、少し悲しいです。

「アー」とか「ウー」言わずに、用件を流れるような日本語で伝えてきたところもすばらしいです。たどたどしさがなく、かといって冷たいビジネスライクでもなく、気持ちよくテンポよく話ができました。

6時少し前に、そのEさんが書類を取りに来ました。H大学の大学院に進学したEさん、大学院は遅刻もできないとこぼしつつも、夢が叶ってやりたい勉強ができる喜びを満面に表していました。

立ち直れるか

4月9日(木)

Pさんはちょうど1年前に中級に入学した学生です。大学進学のために来日し、最初の学期は出席率100%でした。しかし、次の学期から失速し、先学期は60%にまで落ちてしまいました。でも。もともとの頭がいいもんですから、テストで点が取れちゃうんですね。だから、順調に進級を続けてきました。

もちろん、今までいろんな教師がPさんに注意を与え指導してきました。そのたびに一時的には出席率が持ち直しますが、いつの間にか定位置(低位置?)に戻ってしまいます。Pさんは努力ができない学生ではありませんが、それを長続きさせられないのです。ちょっとがんばればテストで合格点を取るくらいのことはできちゃいますから、必要最小限の努力しかしないのです。優秀な頭脳が宝の持ち腐れ状態でした。

しかし、これじゃいけないことは本人が一番よくわかっていました。1年で進学ということも考えていたでしょうが、結局昨シーズンは動きませんでした。友達がみんな進学してしまい、気がつけば周りは後輩ばかり。中途半端な気持ちにけじめをつけて、どうやら本気で進学に取り組もうという気になったようです。今度いい加減なことをしたら、後輩に追いつかれ抜き去られますからね。

昼休みに会った時のPさんの目力を信じたいです。去年と同じことを繰り返したら、日本留学はPさんの青春の汚点にしかなりません。背水の陣というか土俵際というか、留学を成功に導くためにはもう妥協は許されません。それがわからないPさんじゃありません。でも、一抹の不安を抱いちゃうんですよね、教師って。どうしてこんなに疑り深いんでしょう。

教科書を買う

4月8日(水)

日中の気温が5度を下回り、みぞれがちらついた寒い1日でした。かなり強力な寒気団が南下しており、しばらくは冬に戻ってしまったかのような日が続きます。そんな中、新学期が始まりました。

私は教科書販売を担当しました。場所が地下室でしたから、キンキンに冷えた打ちっぱなしのコンクリートに囲まれて、暖房をいくら強くしてもどこかうすら寒かったです。

ただ、学生たちは非常に素直に教科書を買っていきました。一昔前なら、この教科書は先輩にもらうからいらないとか、この薄さでこの値段は高いとか、国で使っていた教科書とだいたい内容が同じだから買う必要がないとか、いろいろと難癖をつけて言い訳を構えて買おうとしない学生が少なからずいました。今日の学生たちは、これが必要だと言われればその通りに買いました。

進学を考えている学生が大半で、日本語力がつくなら数千円の教科書代など安いものだと考えているのでしょうか。それだったらなおのこと、教科書選びや教科書作りの責任が増します。その教科書を通して学生たちに何を伝えるのか、その教科書の力をフルに引き出して学生の力を伸ばせるだけ伸ばしているか、新しい教科書に寄せている学生たちの期待を裏切らない授業をしているか、自問自答したくなることが次から次へと出てきました。

午後からは授業。今日は先学期の復習でしたから教科書は使いませんでしたが、身が引き締まる思いの1日でした。

夢を壊す

4月7日(火)

昨日の入学式の挨拶では学生たちに希望を持たせるような話をし、今日の受験講座のオリエンテーションでは学生の夢をぶち壊すようなことを言う――全くもって正反対のことをしています。話しながら、嫌なやつだなと思いました。でも、受験は現実であり競争であり、自分を直視できなければ勝てません。夢と現実との距離を正確に把握し、その距離を埋めるためには何が必要かを認識しなければ第一歩が踏み出せません。

国立大学に入りたいという気持ちはよくわかりますが、国立大学は全国の日本語学校生のみならず、国外(=学生たちの母国)から出願する学生にも人気の的です。国でいい大学に入れなかったから日本でいい大学に入る、などという考えは、あまりにも日本の大学をバカにしています。国でいい大学に入れなかった学生は、よほど奮起しない限り、日本のいい大学にも入れません。

KCPは進学してからのことも考えて教育しています。学生を大学に入れるだけなら、たとえば問題集をひたすらゴリゴリやれば何とかなるでしょう。でも、それでは大学で学生の人生を形作る勉強などはおろか、ろくな交友関係も築けないでしょう。そうならないように、自ら考え発信できる人間に育ってもらおうと思っています。

これは学生にとっては楽な勉強にはなりません。高すぎる要求かもしれませんが、私たちはそういうことを考えて学生に対しています。留学生活は楽しいことばかりじゃありません。特に進学を考えている学生には、自ら進んで苦難の道を歩んでもらわねば困ります。だから、容易に夢は叶えられないという意味をこめて、厳しい話をしたのです。

翻訳が難しい

4月6日(月)

昨日の雨が花散らしになったようで、今朝の桜は明らかに盛りを過ぎたようすでした。式が始まる1時間近く前から、教職員よりも早く新入生がぽつぽつ来始めました。そして、6階の講堂に目いっぱいの新入生が集まったところで、入学式が始まりました。

毎回入学式では挨拶のときに全入学生をざっと見渡すチャンスがあります。1月期は、私の話にとってもよく反応する学生がいました。その学生は上級クラスに入って優秀な成績を残しました。大変快活な学生で、どの教師にも好印象を与えました。今学期は、残念ながらそういう学生はいませんでした。でも、妙にしらけている学生もいませんでしたから、まあ、平均的な新入生というところでしょうか。

卒業式に挨拶は翻訳が入りませんから、その場で好きなことが言えます。学生たちも日本人の思考回路にある程度慣れていますし、半分ぐらいは実際に教えたことがある学生たちですから、翻訳しづらいことも理解してもらえます。しかし、入学式はそういうわけにはいきません。翻訳がディスプレイに映し出されますから、そこからかけ離れたことは言えません。また、日本も日本人も初めてという学生が大半ですから、きちんと翻訳できる内容でないと、こちらの真意がうまく伝わらないおそれがあります。

今日の私の挨拶は、英訳してくださったS先生によると、訳しにくい言い回しがあったそうです。演題からディスプレイは見えませんから、私の挨拶がどう訳されたのかはわかりません。いずれにしても、日本人や日本に長いこと住んでる人にしかわからないような挨拶をしているようじゃ、まだまだ私はインターナショナルな人間じゃないようですね。

あさってからの新学期を控えて、学校の中はばたばたしています。明日は進学コースの学生たちへのオリエンテーションで、また忙しくなりそうです。