Monthly Archives: 11月 2017

月末の憂鬱

11月30日(木)

月末になると、その月の出席不良者リストが送られてきます。受験のための欠席は除いてありますから、病気で休んだか、単なるサボリだったかということになります。親類が急逝したので一時帰国中という学生もいましたが、親類家族の不幸がこんなにたくさんあったら、KCPはかなり呪われていることになります。

私が以前受け持った学生の名前もそこここにありました。こういう形での再会はしたくありませんでしたね。「また休みやがって」と思わずつぶやいてしまう学生もいれば、「先学期はあんなにいい学生だったのに」と、何が起きたか心配になる学生もいました。

現在の私のクラスの学生も数名リストアップされていました。今月ずっとマスクをしていた学生、受験準備と称して休んでいる学生、大学合格後完全に気が緩んでいる学生、どういう角度から見ても休む理由などなさそうな学生、いろいろです。ビザさえあえば何をしてもかまわないと思っているのでしょうか。

このうち、本人が受験準備だと信じて休んでいる学生は、確信犯ですから悪いことをしているとは思っていません。自分の本務は入試に受かることで、日本語学校生というのは世を忍ぶ仮の姿と割り切っているようにも見えます。こういう学生への指導や注意は、のれんに腕押しです。話し合った翌日、何事もなかったかのように休みます。そんな時、コミュニケーションの成り立たない無力感をじわーんと味わわせられます。

学校が楽しくてしょうがない、学校ほど居心地のいい場所はないという声もあちこちで聞きます。そういう学生の期待に応えられるように、楽しくてためになる授業作りに力を注いでいます。そんな授業をもってしても、上述の学生たちの心を動かすには至りません。

そして、確信犯が学校へ来るのは、にっちもさっちも行かなくなったときです。お前みたいに都合のいいときだけ学校を頼ろうとするやつなんかに差し伸べる手はない……と言い切ってやりたいですが、言えないんですよね。

合格後

11月29日(水)

CさんはR大学の大学院に合格しています。来年3月の卒業まで、俗に言う“優雅な老後”を送ることができる身分です。しかし、大学院に進学してからのことを考え、KCP在学中に簿記の試験を受けることにして、インターネットの講義を聞きながら勉強しています。日本語の聴解の訓練にもなるし、一石二鳥というわけです。また、大学院には英語で行われる講義もあるらしく、それに備えて英語の勉強もしています。

Cさんは、専門的な話は専門用語を使いますからほぼ理解できます。しかし、テレビ番組のような日常語をたくさん使う会話は半分ぐらいしか聞き取れません。ですから、日常語を聞いたり話したりする訓練をしたいと、授業にリクエストを出してきました。

というように、Cさんは合格が決まった後も自分の能力を伸ばそうと、帰宅してから何時間も勉強しています。こんな貪欲に勉強していけば、大学院に入ってからも何でも吸収し、Cさん自身の人生の基礎を盤石なものとする有意義な留学となるでしょう。

AさんとKさんはT大学に合格しました。合格が決まってから、欠席が増えました。出席しても、授業中、いまひとつピリッとしません。テストの成績を見る限り、学校以外であまり勉強しているようには思えません。目標を達成してホッとしたと言えば実にその通りですが、こんな生活をあと4か月も続けたら、大学の授業が始まっても勉強モードにならないんじゃないかなあ。去年のWさんみたいに、どこかに受かった後も卒業式直前まで受験しまくる必要はありませんが、たがが緩みすぎると元に戻らなくなってしまいます。

Cさんは自分で動くエンジンを持っているのに対し、AさんとKさんは自分で目標を作れないのかもしれません。大学院進学の学生は学問のコツをつかんでいるのに対し、大学進学の学生は学問の厳しさを知らないとも言えます。そういう意味で、まだこどもなのでしょう。

ラップ

11月28日(火)

上級の学生でも、教科書を読ませるととんでもなく下手くそなのがいます。漢字が読めないだけならまだしも、ひらがなも漢字も一字一字拾い読みする学生には、初級に戻れと言いたくなります。いや、初級の学生だってもう少し文の意味の切れ目を意識して読みますから、初級クラスに入っても平均以下になっちゃうんじゃないかな。

読解の時間にJさんを指名したら、途切れ途切れのラップみたいな読み方をされて、テキストがなかったら文意が全くわからなかったでしょう。あんな読み方では、Jさん自身も文章の意味がつかめているとは思えません。中間テストの成績を調べてみると、案の定不合格。入学以来1年半、順調に進級を重ねてきましたが、“暗記の日本語”でどうにかこうにかテストだけはクリアしてきたに過ぎないのかもしれません。大学院進学が決まっていますが、よくこんなので合格できたものだと感心してしまいます。

最近、発話や音読など、声を出すことを軽視している学生が目立ってきたと感じています。EJU、小論文、英語、理系の数学など、声を出さなくてもすむテストをどうにかこなせば合格できちゃう面があります。また、留学生(の家庭)が豊かになったせいか1人あたりの出願校が増え、どこの大学も受験生が多くなり、面接も決まりきったことを聞くだけで、定番の質問の答えを暗記しておけばぼろを出さずに済むことも多いようです。面接練習でがっちり訓練して臨んだSさんが、肩透かしを食らったようなことを言っていました。だから、声を出す練習よりもペーパーテストをそつなくこなすトレーニングを重ねたほうが効果的だと思ったとしても、不思議はありません。

Lさん、Kさん、Gさんなど、Jさんと同じにおいのする学生はいくらでもいます。1人1人はばかじゃありません。でも、コミュニケーションという観点からは、不安が一杯です。みんな、まだ行き先が決まっていません…。

面の皮

11月27日(月)

私は、面の皮があまり厚くないので、普通の2枚刃のかみそりなどでひげをそると、わりとたやすくかみそり負けしてしまいます。そこで、電気シェーバーを使っています。ところが、最近、何年前に買ったかわからないくらい長期間愛用してきたシェーバーが、スイッチがなかなか入らなくなりました。1回でうなり出すのは稀で、数回から十数回スイッチを押さないと反応しなくなりました。もう寿命だとしても全くおかしくないので、新しいのを買うことにしました。

というわけで、先日、家電量販店でシェーバーを見ていると、「いらしゃいませ」(「っ」が落ちている)「何〇お探しですか」(“〇”は「か」と「が」の中間の発音)と声を掛けられました。こういう場面で、発せられた日本語で値踏みしてしまうのは、職業柄悪いクセだと百も二百も承知しつつ、中国人の店員だと思って振り向くと、それっぽい名前の名札を下げていました。

「こちらはおすすめの機種ですよ」とさらに声をかけてきましたから、「恐れ入りますが、しばらく一人で見させていただけませんか」と言うと、その店員はちょっと怪訝そうな顔をして、去っていきました。こんなばかっ丁寧な言葉遣いをされるのは初めてだったのかもしれません。乱暴な言葉を投げかける日本人ばかり相手にしてきたとすれば、日本人を代表して謝りたいです。

その後もあれこれ見比べて、買うと決めた品物をレジへ持って行くと、レジにはロシア人っぽい名前の店員さんが立っていました。家電量販店へ行くのも久しぶりでしたが、ずいぶんと外国人が働いているものだと感心させられました。KCPの学生たちも、時には私のような悪いお客にいじられながら、精一杯働いているのでしょう。また、進学し、そこを卒業したら、日本社会の構成員として、日本で生活していこうと考えている学生も少なくありません。その時には、少しは面の皮を厚くして、よい意味でふてぶてしく生き抜いてほしいものです。

森の重箱

11月24日(金)

授業が終わると、Lさんが質問に来ました。Lさんは、いつも、その日の授業内容や、それ以外に日頃自分が疑問に思っていることなどを質問します。とても勉強熱心で、自分の力を伸ばそうという意欲がひしひしと感じさせられる学生です。

じゃあ、順調に力が伸びているかというと、必ずしもそうではありません。どうしてかというと、木を見て森を見ず的なところがあるからです。細かいところに目が行き過ぎて、物事を大づかみすることが苦手なようです。重箱の隅をどつきまわして重箱を壊してしまうタイプです。

Lさんの読解の成績は、上級になってから下がっています。勉強を怠けたからではなく、大きな目で文章全体を眺めるということができていないのです。慎重な性格ですから、わからないことを残したまま前に進むことができず、局地戦ばかりを続け、大局的な戦局を見失い、勝機を逸しているように思えてなりません。

読解の時には、小説などだったらその場面を頭の中で思い描きながら読めと指導しています。論説文なら具体例を考えながら読めと指導しています。ところが、文章理解のキーとなる単語の意味を「この文章の中ではどういう意味ですか」と聞いても、辞書的な意味しか答えられない学生が多いです。さらに、わからない単語の解説をして、語句レベルでは不明な点がないようにしても、少なからぬ学生がその場面を具体的にイメージできません。

私が英語を勉強した時はどうだったかなあと思い返してみると、乏しい想像力を駆使して文章をイメージ化していました。私もLさん同様単語の意味や文法にこだわるたちでしたが、それと文章の読解は別と割り切っているところがありました。

Lさんはまだ行き先が決まっていません。志望校を見る限り、ここで脱皮しないと苦しいです。木をじっくり見ることは美質でもありますが、それを封印することも、後にその美質を生かす上で必要なのです。

ある退学

11月22日(水)

Eさんが退学することになりました。出席不良のためです。今学期の選択授業は私のクラスなのですが、まだ一度も顔を合わせていません。ですから、出席の悪さは推して知るべしといったところです。

Eさんは去年の7月に入学しました。中級クラスに入り、理科系の受験講座も取りました。私が指定した参考書も買い揃え、11月のEJUでいい成績を取り、17年4月に大学進学という計画で、気合十分で私の授業を受け始めました。知識もあり、授業も最前列で受け、やる気もありましたから、Eさんの計画は決して無謀なものとは思いませんでした。

ところが、それが続いたのは1か月でした。中間テストのころから受験講座に出なくなり、次の学期は受験講座を取ることもありませんでした。日本語クラスの出席率も急降下し、クラスの先生によると、学校へ来ても「出席」というよりは「存在」に過ぎないようでした。アルバイトはきついけれども、学費のためにやめるわけにはいかないと言っていたそうです。17年4月大学進学など、自然消滅でした。

その後、学校から厳しく注意されると一時的にはよくなるものの、すぐまた元に戻るということが繰り返されました。アルバイトを減らしたりやめたりしても、効果はありませんでした。もはや、心が完全に折れてしまっています。退学は賢い選択だと思います。

出席不良で退学となると、形の上ではEさんの留学は失敗だったとなってしまいます。しかし、本当の失敗にするかどうかは、これからのEさん次第です。若いうちの失敗は、むしろ成功の基です。入学当初の輝きのエネルギー源は何だったのか思い出し、再び炎を燃え立たせ、今度はこの留学での経験を生かして、にっこり笑ってもらいたいものです。

十人十色

11月21日(火)

授業後、奨学金受給生との懇談会に参加しました。司会役のDさんの意向で、将来社会に対してどんな貢献をしようと思っているかについて、各学生に語ってもらいました。みんな、自分の将来についてしっかり考えていることに驚かされました。私は、大学に入るころは言うに及ばず、大学院進学時でさえ、将来に対するおぼろげなビジョンすら描いていませんでした。来年3月までのKCPを背負って立つ学生たちですから、また、それぐらいしっかりした考えの学生を選んで奨学金受給生にしていますから、当然のことなどかもしれません。いや、学生時代の私のようにぼんやりしていたら、グローバルな競争にはついていけないに違いありません。

時間ぎりぎりまで奨学金受給生の話を聞き、大急ぎで受験講座へ。先週からしている口頭試問の練習です。実際にホワイトボードを使って説明させてみると、予想通り頭の中の知識が素直に出てきません。抜け落ちだらけの説明だったり、突っ込みに口ごもってしまったりして、学生たちはまだまだ感を抱いて教室を後にしました。

授業直後、Jさんの志望理由書をチェックして、指定校推薦の学内面接をしました。Kさんは悪い学生ではありませんが、いまひとつ決め手に欠く感じが否めません。私たち面接官の心を揺さぶる、ほとばしるような意欲や目の輝きは見られませんでした。心の叫びを聞きたかったです。

それからすぐ、Sさんの面接練習。ハキハキ答えてくれたのですが、答えの内容に若干疑義があり、いくらか軌道修正することに。Sさんが勉強しようとしていることは、Sさんが抱いている夢の実現とは少し方向性が違うような気がしました。本番でそこを突かれるとぐだぐだになりそうでしたから、再考を促しました。

いやあ、いろんな人の話を聞いたものです。明日も、昼休みから息つく間もなく予定が詰まっています。受験シーズンのピークですから、しかたありません。正月休みを夢見ながら、歯を食いしばります。

話す力

11月20日(月)

EJU以降の受験講座の理科は、口頭試問の練習をしています。口頭試問は知識を持っているだけでは通用しません。その知識を聞き手である面接官に正確に伝えられて初めて点数になります。また、ちょっとひねった出題によって、応用力が試されることもあります。

この講座を受けている学生たちは、EJUではそこそこの成績が挙げられているはずです。もちろん、まだ正式な結果は出ていませんから断言はできませんが、それだけの実力は持っていると私は見ています。しかし、一部の大学は、受験のテクニックが通用してしまうEJUの成績だけで理科の実力を判定することはせず、科学的な発想ができ、論理的に推論でき、合理的な結論を導き出す力を、口頭試問によって見極めようとします。同時に、頭で考えたことを日本語で伝える力も見てしまおうと、一石二鳥か三鳥をもくろんでいます。

私が出題すると、学生たちは惜しいところまではいくのですが、なかなかこちらの思ったところまで到達してくれません。もう一歩、踏み込んでほしいところなのですが、二の矢が次げずに口ごもってしまうことが多かったです。学生たち自身も、きっともどかしく感じているのでしょうね。

EJUのような選択肢の問題は、大学の勉強にはなじみません。やはり論述問題です。また、最近は理科系学部でも授業での口頭発表が増えていると聞いています。その基礎が、こういった口頭試問にあると思います。日本人学生に比べて日本語にハンデがある留学生が、今からその面を鍛えておくことには意義があります。

今学期の終わりには、模擬口頭試問にも堪えられるくらいの実力を付けさせたいと思っています。

川面から東京を見る

11月17日(金)

隅田川を下る水上バスの船乗り場は浅草ですが、私はもう4.5キロほど上流から川下りを始めました。そうです、自宅のすぐそばから隅田川遊歩道を歩いて、水上バスの旅の集合場所まで来たのです。晩秋を感じさせるススキの穂を見ながら、朝の冷気を頬に感じつつ、でも集合場所に着いたらうっすら汗をかいていました。

学生たちの集まりは結構よかったのですが、それだけに遅れてきた学生が目立ちました。やっぱりねと言いたくなる学生たちが定刻過ぎに駆け込んでクラスの列の後ろにつきました。

水上バスは満席と言ってよく、それだけに活気が感じられました。私のクラスは2階席で、椅子がたくさん並んでいるだけでしたが、1階席はテーブルを挟んで向かい合う座席配置のため、テーブルの上に食べ物や飲み物を広げて談笑するクラスもありました。

隅田川の遊歩道は、月に1回ぐらい、清洲橋か永代橋、調子に乗ると勝鬨橋まで歩き通すことがあります。右岸も左岸も歩いたことがありますが、川の真ん中を通り抜けるのは初めてです。でも、学生の様子を見に船の中をあちこち動いていると、景色どころではなく、気がついたら右手に浜離宮が見えていました。

「あ、豊洲の新市場だ」と、水上バスには何度も乗ったことがあるLさんの声にそちらを向くと、それらしい建物が建ち並んでいました。すると、程なくレインボーブリッジをくぐって終点のお台場海浜公園到着。もっとあれこれ景色を楽しみたかったなあというのが、正直な感想です。学生たちも、アトラクションで騒いでいるうちに着いちゃったというのが本音かもしれません。

お台場はいろいろな名所がありますから広く感じるかもしれませんが、せいぜい1.5キロ×2.5キロ程度です。ゆりかもめの駅がいくつもありますが、ゆりかもめ自体都電を高架線に上げたようなものですから、2つ先の駅ぐらいなら歩いていけちゃいますし、ブーツのような路線ですから、お台場海浜公園―青海など、駅は4つめですが、直線距離は600mに過ぎません。小ぶりな県庁所在地の中心街といったところでしょう。

私のクラスはそんなお台場を、約4.5キロ、ちょうど私のうちから浅草までと同じくらい歩きました。学生たちの中にはブーブー言っていたのもいましたが、若いうちから足腰を鍛えておかなきゃ年取ってから歩けなくなっちゃいますよ。

解散してから、私はレインボーブリッジを歩いて渡って帰りました。見学か所内や船内を歩いた距離を加えると、20キロぐらい歩いたかもしれません。心地よい疲れが襲ってきました。

激務に耐えかね

11月16日(木)

Rさんは国で外科医をしていました。医者をやめて学生に戻るなど、日本では考えにくい進路です。日本で健康管理の勉強をして、そういう方面の仕事に鞍替えするつもりです。日本で働きたいですが、たとえ国へ帰ることになっても医者には戻らないと言っています。

国では、Rさんは毎日朝6時から夜11時まで手術の連続で、5人の患者さんに3時間ほどの手術を施してきました。昼ごはんは、患者に麻酔が回るまでのわずかな時間を利用して軽食をかき込むだけ、夕食はほとんど取れません。糖分不足で倒れてしまったこともあったそうです。もちろん、休日に急患の手術をすることもありました。こんなにハードな仕事なのに、給料は安く、患者やその家族からは尊敬されず、患者が亡くなってしまおうものなら遺族がナイフで刺しに来るなど、身の危険を感じることもしばしばでした。

Rさんは、日本は街の中に小さい病院があって、そこにも患者さんがいると驚いていました。Rさんの国にも街の小さな医院がありますが、多くの人は風邪をひいただけでも大学病院クラスの大病院へ行くそうです。新幹線で100キロ先の大病院まで遠征するのもざらです。そんなことをしたら、かえって悪くなるような気がしますが…。そして、Rさんが勤めていたのはその大病院ですから、並の忙しさではなかったわけです。

日本では、かつてほどではないにせよ、医者の地位は高いです。Rさんの病院のようなブラックな病院はありません。しかし、高齢化により病人は増え、少子化により医者のなり手は減るとなったら、医者の負担は増えていくでしょう。割の合わない仕事だと思われてしまえば、さらになり手が減るという悪循環にも陥りかねません。

東急田園都市線が最近よくトラブルに見舞われているのは、電設会社に社員が集まらず、技術が低下した結果だとも言われています。Rさんの話声とともに、少子化のクリティカルポイントでがけが崩れ落ちる音が聞こえてきました。空耳だといいのですが…。