Category Archives: 自分自身

早く治りたいです

1月11日(土)

病気にかかっている人やけがをしている人が、「早く治りたいです」と言ったら、みなさんはどう感じますか。もちろん、その人の気持ちは理解できますよね。元気になったら、仕事や勉強をしたり趣味に打ち込んだりしたい、好きな物を好きなだけ食べたい、子どもとスキンシップしたい…、そんな心の叫びを思い描くことは容易なことでしょう。

しかし、ここで問題が生じます。一般に、「~たいです」の“~”の部分には、意志動詞が入ります。ところが、「早く治りたいです」は“治る”という無意志動詞が入っています。“治る”に対応する主格は、“私”ではなく、“病気”とか“けが”とかです。“私が治る”のではなく、“病気/けがが治る”のです。

意志動詞は“治す”です。でも、上述のような状況において、「早く治したいです」とはあまり言わないんじゃないでしょうか。「早く治したいです」と言うと、薬みたいなまだるっこしい治療法ではなく、臓器移植でもしそうな勢いを感じてしまいます。医者が言うなら、「患者の病気/けがを早く治したいです」に何の違和感もありません。

患者では、「私は病気/けがが治りました」は言えます。この望ましい状態に一刻も早く到達したい、そのためには何でもする(“到達する”は意志動詞)という意味で、「早く治りたいです」と言っていると解釈すれば、この言い方もセーフと考えられます。

むしろ、「早く治したいです」は、患者としては意志が強すぎます。数時間にも及ぶ大手術を目前にして、医者が「しっかり治しましょう」声をかけ、患者が「私も早く治したいと思っています」というような状況なら許せますが、普通はそれほどのことはありません。風邪程度なら「早く治りたいです」で十分でしょう。

昨日の夜、電車の中で本を読んでいたら「早く治りたいです」が目に留まり、その後、ずっと上のようなことを考えていました。来週、私は精密検査のため入院します。「早く治したいです」ほどのことがなく済むことを願っています。

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遅れを乗り越えて

1月6日(月)

こだま号が新富士駅に停車し、その横を全速力で走り抜けるはずののぞみ号が速度を緩め、ついには止まってしまいました。ほどなく、「山陽新幹線の相生駅と岡山駅の間で沿線火災が発生したため、ただ今、運転を見合わせています。運転再開までしばらくお待ちください」という車内放送が入りました。

年末年始の連休初日で、新幹線は臨時列車がフルに運転され、新幹線各駅に電車が止まっていることが予想されます。運転が再開されても、岡山の方から順番に動き始めることでしょうから、新富士駅までそれが及ぶには時間を要するかもしれません。でも、目いっぱい運転されているからこそ、どうにかしないと混乱の極みに陥りかねませんから、岡山も新富士も同時に動かすかもしれません。

私は予定に余裕がありましたから、1時間ぐらいの遅れなら許容範囲でした。ですから、比較的すいていたこだま号の車内でうとうとしながら開通を待っていました。すると、45分遅れぐらいで運転が再開されました。目的地の掛川駅にもほぼそのままの遅れで到着し、乗り継ぎが予定より1本遅い電車になりましたが、次の目的地でも時間的に十分余裕がありましたから、穏やかな気持ちでガラガラのローカル線に盛り替えました。

初日の目的地は、天竜浜名湖鉄道の天竜二俣駅です。国の登録有形文化財になっている施設を見学しました。昭和15年に建てられた駅舎や、蒸気機関車時代の機関士たちが煤で汚れた体を洗った浴場や、その蒸気機関車の向きを変えた転車台などを見せてもらいました。私ぐらいの年代になると、こういったものに懐かしさというか、心のよりどころみたいなものを感じるんですねえ。

そんなこんながありましたが、無事名古屋郊外の宿に着き、大浴場で存分に手足を伸ばし、普段ならまだ仕事をしている時間に寝てしまいました。翌日からは、名古屋近郊の野山を駆け巡り、毎日2万歩以上も歩いたというのが、この年末年始でした。

新年学校初日は、養成講座の授業でした。確か、去年も新年最初の日が授業だったような気がします。またよく働く1年が始まったみたいです。

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初めて見ました

12月26日(木)

年末年始の休みの軍資金を下ろしにATMへ。休みが迫っているから混んでいるかなと思ったら、お客さんは1人しかいませんでした。待つこともなく、用が済みました。ATMから出てきたお札をよく見ると、なんと渋沢栄一さんがいるではありませんか。北里柴三郎さんの1000円札は10月ぐらいにお目にかかりましたが、新しい1万円札は、来週はもう来年という押し詰まったこの時期に及んで、ようやく出会えました。

ずいぶん前から、現金を使わなくなりました。1万円札を使うのは、nanacoのチャージの時ぐらいでしょうか。万単位の買い物はカード払いだし、それよりもう少し少額だったらnanacoやpasmoだし、結局現金を使うのは神社仏閣のお賽銭と八百屋さんと金券ショップで図書カードを買う時ぐらいのものです。とはいえ、いざという時役に立つのは現金だといまだに信じていますから、お金を下したというわけです。

私が新入社員の頃は、社会人になったら年齢×千円の現金を常に財布に入れておけと教えられました。つまり、25歳なら2万5千円、30歳なら3万円となります。今の私なら、6万円以上財布に入れておかなければならないという計算です。そんなにあったら、半年ぐらいはもっちゃいそうです。

年末年始休みはまた名古屋まで行ってきますが、交通費や宿泊代はカードで済ませます。この時期は、博物館などはお休みですから、野山を歩くことになります。そうすると、また現金を使うチャンスがなさそうです。

新しい千円札と一万円札は手にすることができましたが、五千円札は、一万円札を使って三千円ぐらいの買い物をし、そのおつりとして受け取る以外にお目にかかるすべがありません。発行一年後の来年七月三日までに出会えるでしょうか。

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あいさつ2題

12月25日(水)

朝、病院に向かっている時、前から歩いてきた黄色い帽子をかぶった小学生に「おはようございます」とあいさつされました。私も慌てて「おはようございます」とあいさつを返しましたが、全くの想定外のこととて、あまり大きな声が出せませんでした。小学生に聞こえたかなあと、少し心配になりました。

もちろん、その小学生には全く面識がありません。私が病院に向かう道を歩くのは3か月に1度のことですから。そんな見ず知らずの子どもから朝のあいさつを受けるというのは、気持ちのいいものですね。これから1日、何かいいことがありそうな予感がしました。

でも、私が先に小学生に「おはようございます」とあいさつしたらどうだったでしょう。小学生は怪しい年寄りに声をかけられたと思ったかもしれません。おそらく、知らない大人から声をかけられても無視しろと教えられているでしょうから。病院に歩を進めながらそんなことを考え、ちょっと寂しくなりました。

病院から学校に戻ると、かつてKCPに勤めていたH先生が書類を取りにいらっしゃると事務のRさんが言っていました。“はて、H先生ってどんな先生だったっけなあ”なんて記憶をほじくり返しているうちに、当のH先生が受付に現れました。顔を見た瞬間、記憶が鮮明によみがえりました。ご本人は「重力には逆らえない」などとおっしゃっていましたが、いえいえ、全然変わっていませんよ。

「お久しぶりです」とH先生から声をかけられました。いい響きだなあと思いました。聞けば、H先生がいらっしゃったのは、建て直す前の古い校舎の頃だというではありませんか。中級の問題クラスで一緒に戦っていたころを思い出して、懐かしくなりました。

「メリークリスマス!」と声をかけてくれる人はいませんでしたが、心温まるあいさつが2つも聞けた、充実した1日でした。

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久しぶりのお茶

12月12日(木)

久しぶりにお茶室に呼ばれました。このところ、お茶会に来てくださいと声をかけていただいてもお断りせざるを得ない学期が続いていました。たぶん、今年初めてではないかと思います。

誘ってくれたのは、私の初級クラスの学生Jさん。午後クラスの授業が終わった5時半ごろからでしたから、こちらも日本語プラスが終わっており、時間の都合がついたというわけです。Jさんは今学期で帰国します。3か月間茶道部で稽古を積んだ成果を披露してくれることになっていました。

呼ばれた時間の直前に、急に会議が入ってしまい、だいぶ遅刻してしまいました。それでも、待っていてくれました。足の運び方はお師匠のO先生に注意されていましたが、お茶を点てている姿は堂に入ったものでした。茶筅の動かし方など、素人の私の目には、時代劇に出てくる千利休と変わるところがありませんでした。点てていただいたお茶も、午後は意識してあまり水分を取っていなかったので、スーッとのどにしみこんでいきました。

Jさんは、クラスではにぎやかな学生ですから、寡黙に茶筅と茶碗を凝視してひたすらお茶を泡立てる姿など、想像もつきませんでした。知られざるJさんの秘密を見てしまったような、不思議な気持ちになりました。Jさん自身はどうなのでしょう。新しい自分の一面に気づいたのだとしたら、それだけで留学の成果があったというものです。帰国した後でさらに脱皮して、周りの人たちを驚かすかもしれません。

期末テストまで、ちょうど1週間。Jさんは、クリスマスはご家族と過ごすのでしょう。クリスマスケーキに抹茶はつり合いませんが…。

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サクッとサクサク

11月28日(木)

今朝、しばらく飾っておいたりんごをいただきました。そうです。毎年いただいている、A先生のご実家のりんごです。最初から赤いのを選んだのですが、1週間ほどカラーボックスの上に置いておいたら、赤みがさらに深まったような気がしました。もちろん、ほのかな香りもふりまいてくれました。

いつもは、朝の果物はバナナ1本なのですか、りんごは口当たりがサクッとしていて、あっという間に1個食べてしまいました。報道によると、りんごは、今年、高値が続いているようです。調べてみると、いただいたりんご1個で、バナナが1房は無理でも、数本は買えそうです。そんなのを一気食いみたいにバクバク食べてしまい、少し後悔の念が浮かんできました。でも、全部食べた時の満足感は、何物にも代えがたいものがありました。

そんな満ち足りた気持ちで出勤すると、机の上には昨日の仕事の残りが、ゆうべ退勤した時のまま鎮座していました。だから満ち足りた気持ちがしぼんでしまったのではありません。その逆に、授業が始まる前にこの仕事を片付けてしまおうと気合を入れるために、りんごを丸ごと1個という贅沢をしてきたのです。

その威力は絶大で、りんごの歯ごたえのごとくサクサク仕事が進み、積み残しは解消しました。義務感にさいなまれ、眠い目をこすり、ドライアイを目薬でごまかしながらしていた仕事が、予定よりかなり早く片付いてしまいました。おかげで、明るい気持ちで授業に臨めました。プチ贅沢って、たまには必要なんですね。

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心地よい疲れ

11月12日(火)

朝から1日中研修を受けてきました。研修なんて、何年ぶりでしょう。別に勉強が嫌いなわけではなく、私の場合、日本語プラスのいろいろな科目を引き受けている都合上、そう簡単に出られないのです。EJUも終わったことだしということで、特別に1日だけ休講にしてもらい、出かけてきたという次第です。

ゆうべは遅かったので睡眠不足気味ですが、学生に授業中寝るなと注意している手前、自分が居眠りをするわけにはいきません。講義が始まる前にたっぷりコーヒーを飲んでおきました。でも、そんなことは全くの杞憂でした。知らなかったことを知るというのは楽しいものです。自分の仕事に引き付けて考えられる内容でしたから、なおのこと興味が引かれました。

昼食は、食べ過ぎると午後からまぶたが重くなりかねませんから、少なめに抑えました。もちろん、食後のコーヒーはたっぷりと。会場の周りを歩いて、体を動かすことでも目を覚ましました。

午後は、午前中の聴講形式ではなく、グループディスカッションでした。ですから、眠くなっている暇などなく、お昼に補った糖分をすべて脳に回して課題に取り組みました。グループのメンバーの発言も、他のグループの意見も刺激になり、脳が活性化されました。私の意見も、多少は他のメンバーに刺激を与えたようでした。

KCPの午前午後の授業時間に相当する時間、講義を聴き、演習に取り組みました。ずっと座っていましたから肉体的には疲れていないはずなのですが、研修が終わってからしばらくは立ち上がれませんでした。日本語プラスをたくさん受講している学生たちも、こんな感じなのでしょうか。

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短い秋

10月21日(月)

先月の今頃は、“暑さ寒さも彼岸まで”というけど、本当にそうなるだろうかと心配していました。その言葉通り、お彼岸を過ぎたら、確かに気温は高いけれども、肌に粘りつくような暑さではなくなりました。衣替え直後は薄手の夏のスーツを着ていましたが、先週から裏地のついたスーツを着ています。日中に外をたくさん歩かない限り、このスーツでちょうどいい感じです。土曜日は真夏日でしたが、スーツを着なかったので…。

しかし、今朝は、外に出て数歩あるくと、スーツ内の暖気が抜けて、ズボンの裾から寒気が入り込んできました。前に進むとワイシャツを通して寒気が胸に腹に当たってきました。カーディガンぐらい着てくればよかったと、少し後悔しました。朝の電車内にはコートや厚手のジャケットを着こんだ人が目立ちました。今朝の東京の最低気温は11.5度、11月上旬並みでした。

秋冬物のスーツが暑苦しくなく、コートなど他の衣類も必要としないのが秋だと秘かに思っていますが、今年の秋はもう終わりなのでしょうか。9月末まで半袖シャツで出勤していましたからここまでを夏とすると、秋はたったの1か月? 秋がたけなわになる前に冬将軍ですか。それじゃ短すぎますよ。

今週金曜日はバーベキューです。どうやら寒くはなさそうですが、現時点では雨がぱらつく可能性を否定できません。そういえば、今年はきれいな秋晴れの日がないような気がします。ここは一発、お天気の神様に、25日(金)に快晴を恵んでもらえるよう願うばかりです。

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行くべ

10月7日(月)

新学期の準備が着々と進んでいますが、私は毎日のように養成講座の授業をしています。養成講座はオンラインでも受講できますが、わざわざこちらまで足を運んでくださるのですから、オンラインではできないサービスをしています。

その1つが、辞書や参考書の紹介です。最近は何でもネットで調べられますが、ネットでは調べがつかないことが載っている辞書や参考書の実物をお見せします。「日本語類義表現使い分け辞典」などというのは、その代表格でしょう。また、学習者向けの参考書も、普通の日本人が普通に日本語を使う際には全く不要ですが、日本語教師にとっては学習者の視点を知るうえで大いに役に立ちます。「セルフマスターシリーズ」や、「日本語文法演習」のシリーズがこれに当たるでしょうか。まだまだお見せ」していない本がありますから、追い追い紹介していこうと思っています。

もう1つ、方言の日本語文法なんていうのもやることがあります。もちろん、授業で正式に取り上げるのは共通語であり、学習者に教えるのも共通語です。これは東京近辺で使われている日本語が元になっています。しかし、地方地方に方言があります。その文法の根幹は共通語と同じですが、細部において違っていることがあります。

例えば、主に東北地方で使われる「べ」です。「行くべ」(実際の発音は“イグベ”に近いですが、文法解説上“イクベ”にしておきます)といえば、相手に声をかける状況なら「行きましょう」、その場にいない人についていうなら「(彼は)行くでしょう」となります。つまり、東北地方における「べ」は、共通語の「ましょう」と「でしょう」という、接続する動詞の活用形が違う2つの文末表現に相当するのです。さらに、終止形が“る”で終わる動詞に付くときは、「(帰るべ⇒)帰っぺ」「(食べるべ⇒)食べっぺ」のように、音便もあります。

共通語においては、ナ行五段動詞は「死ぬ」しかありませんが、山口県では「いぬ(去ぬ)」もあります。「今日は早ういなにゃいけん(今日は早く帰らなければならない)」「太郎は、はあ、いんだでよ(もう帰った)」のように、ごく当たり前に活用します。

こんな話をすると、その地方出身の受講生は、「ああ、そうだ、そうだ」という顔をされます。そうじゃない方は、「えっ、そんな日本語あるの?」と、目が点になります。

方言の日本語文法を系統的に研究したら、さぞかしおもしろいだろうなあと思います。

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熱帯化

8月31日(土)

台風10号は、潮岬の沖から、三重県、滋賀県、福井県方面に北上しそうな予報が出ています。関東地方へは来ずに低気圧になりそうです。しかし、雨を中心とした影響は、数百キロ離れた関東地方にも及び続けるようです。直撃こそ免れそうですが、油断はできません。

台風10号の元になる熱帯低気圧が生まれたのは、私が福岡を歩き回っていた21日でした。発生の頃は、26日か27日に関東地方を襲うようなことが言われていましたから、福岡のホテルで休校するかどうか判断しなければならないかもしれないと覚悟をしていました。帰りの飛行機が飛ぶかどうかまで心配しました。

しかし、当の台風はのんびりちんたら迷走し出し、九州の南へと向かい、上陸したのは、おととい、鹿児島県薩摩川内市でした。その後も千鳥足の歩みで今に至っています。夏休みが1週間遅かったら、ホテルに缶詰めになっていたかもしれません。

このような台風の進路も地球温暖化の影響だそうですが、私が注目しているのは、日本近海で熱帯低気圧が発生していることです。日本付近においては、寒気と暖気が衝突して発生する温帯低気圧は、四季を問わず佃煮にするほど生まれていますが、高い海水温を必要とする熱帯低気圧は、そう簡単に生まれるものではありませんでした。それが気安く発生するようになったということは、海水面が熱くなっているということです。また、最近頻発しているゲリラ豪雨は、夕立ではなく、熱帯のスコールを思わせます。

仕事の合間に空を見上げると、雲がけっこうな速さで流れていました。今は風も弱く雨も降っていませんが、まだまだ気を抜くわけにはいきません。

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