Category Archives: 自分自身

教え甲斐

4月13日(火)

受験講座が始まりました。初日は物理です。思えば、先学期の受験講座は完全にオンライン、先々学期はEJU直前とあってオンラインで過去問ばかり、その前の学期もそのまた前の学期もオンラインでしたから、対面授業で受験講座を行うのは1年以上ぶりということになります。

オンライン用にあれこれ手を加えたパワーポイントを使って授業を進めました。でも、いつの間にか教室のモニターの前にしゃしゃり出て、画面をなぞったりたたいたりしながら話していました。私の授業の進め方は、あまりオンライン的になっていないようです。

昨日までレベル1のオンライン授業をしてきましたが、そこでも同じことを考えました。日本語が十分に通じない学生相手の授業となると、体を張って授業をしたくなるのです。手も足も顔も全身を使って、文法や言葉の意味を説明していたことがよくわかりました。デジタルとかアナログとか以前の段階です。

オンライン授業についてもっともっと深く研究し、機器を使いこなせば、動き回ったりレアリアを見せまくったりすることなく学生の理解を進めることもできるのでしょう。ただ、私は学生が確かに理解したという手ごたえを味わいたいのです。学生が放つ“わかったオーラ”を全身で受け止めたいのです。

受験講座・物理の学生たちは、そのオーラを感じさせてくれました。力学の基礎で、国で勉強してきた範囲ですから、私が説明するまでもなくよく理解していたのかもしれません。でも、私の授業から1つでも新しいことを学んでくれたら、モニターの前で暴れた甲斐があったというものです。

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楽しみを奪われました

4月5日(月)

私は、12時ごろから1時半ごろまでは昼食を避けています。混雑のピークに、短時間とはいえ無防備な姿をさらしたくないですから。

2時過ぎでしたが、お昼に入ろうとしたお店はけっこう混んでいました。5人のグループが2つ、食事をしていました。でも、料理の残りが少なかったですから、私の料理が出てくることには食べ終わって出ていくだろうと踏んで、そのまま入りました。もう少し遠くまで行くことも考えましたが、雨が小やみになった瞬間を見計らって出てきていましたから、近場で済ませたかったのです。

注文して、料理が出てくるまでは、いつも本を読んでいます。実は、私のランチタイムは、半分以上読書タイムなのです。ちなみに、今読んでいる本は「大河ドラマの黄金時代」という本です。子どもの頃や学生時代に見た大河ドラマがよみがえってくるので、面白くて時間を忘れてしまいそうになります。

その本を数ページ読んだところで料理が出てきました。5人グループ×2は思ったより食事のスピードが遅く、まだスープをすすったり肉をつまんだりしていました。そんな状況でマスクを外すのは気が引けましたが、お持ち帰りにするわけにもいかず、口も鼻もあらわにして食べ始めました。

食べている最中も、あいつらいつまで食ってやがるんだと、気が休まりませんでした。味やにおいは感じましたから、感染はしていません。5人グループ×2はそのうち食べ終わりましたが、ご歓談が始まっちゃったんですねえ。談笑というほどではありませんでしたが、マスクを外したまま、地味に盛り上がっていました。店員さんが食器を片付けても、まだしゃべっていました。

私も食べ終わってしまいました。本来なら店で食休みも兼ねて読書にふけるのですが、5人グループ×2のじわじわと響いてくる話し声に追い立てられてしまいました。もう1セクションぐらい読めたのになあ…。

政治家や厚労省の宴会もこんな感じだったのでしょう。5人グループ×2よりも大声で派手にやっていたに違いありません。東京中、日本中こんな感じだったら、“まん防”などとのんびりした愛称の規制なんか、効き目がないこと疑いありません。

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五郎さん

4月3日(土)

俳優の田中邦衛さんが亡くなりました。私の世代では、田中邦衛さんといえば「北の国から」の五郎です。DVDなどではなく、毎週金曜日の10時からフジテレビの放送を見ていました。シナリオが発売されたので、それも買いました。誠実だけど不器用で危なっかしい五郎に、引き込まれていました。麓郷までは行きませんでしたが、富良野の街は歩きました。

死因は老衰だそうです。88歳で老衰というのは少し早いような気もしますが、大往生だったのでしょう。少なくとも、去年の志村けんさんに比べれば、やるべきことはやったという感じで天に召されたのではないでしょうか。

ニュースでは代表作として「北の国から」を挙げています。ご本人もその気持ちは強かったでしょう。そういうだれもが認める代表作が持てたことを誇りに思っていたのではないかと思います。田中邦衛さんが五郎を演じたのが50歳になる直前。あまりに若いときに代表作を持ってしまうと、それが重荷になってしまうこともよくありますが、アラフィフならそんなこともありません。絶妙の時期でした。

その年齢に、純と蛍、吉岡秀隆さんと中嶋朋子さんがなっています。純と蛍はお2人にとって20年以上演じ続けた分身のような役ですが、それに押しつぶされることなく立派な俳優に育っています。ここでもう一つ、田中邦衛さんのように後半生を代表する作品に巡り会えると、名優として語り伝えられるでしょう。

ご遺族によると、葬儀は行わないそうです。でも、純と蛍はお別れとお礼の言葉をかけたいんじゃないかな。葬式は生きてる人のためにあるって言いますが、本当にそうだと思います。

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待てない

3月12日(金)

だいぶ時間がかかってしまいましたが、昨年11月のEJU・理科の模範解答をどうにか作り終えました。単に解くだけならすき間の時間にできますが、受験講座で使うつもりで解説まで書くとなると、ある程度まとまった時間が欲しいところです。学生が見るだけではありません。何か月か後で私自身がそれを読んで授業をするのですから、そこまで考えて模範解答を作っておく必要があるのです。

物理と化学と生物で50問余りを解きましたが、1問だけ問題集についている正解が納得できません。問題を読み返しても選択肢を再チェックしても、問題集の正解表の答えが正解だとは思えませんでした。日を改めて解き直してみても、やっぱり正解表の答えにはなりません。私が持っている教科書や参考書をひっくり返しても、結果は同じです。その問題を忘れたころに、もう一度やってみるつもりです。

私は博物館や名所旧跡などで、掲げられている説明や解説をわりとじっくり読みます。すると、明らかな間違いが意外と多いのです。誤字脱字もありますが、人名地名などの固有名詞が間違っていたり、年号が変だったり、前後の解説板で内容が矛盾していたり、などというのによく出くわします。そういう時は、もう二度と来ることがないかもしれないからと、係の方に伝えます。時には私の勘違い記憶違いだったりすることもありますが、ほとんどは「ご指摘ありがとうございました」となります。

今回もそのたぐいかなと思います。でも、だいぶ前に、最初は正解表が間違っていると思ったのですが、しばらく経ってから解き直してみると、巧妙なひっかけ問題だったということがありました。だから、もう少し待ちます。

私は待てるからいいですが、実際に受験した学生たちは待てません。偉いなあと思います。

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10年

3月11日(木)

気が付いたら、2:53でした。午後クラスではオンラインで黙とうをすると聞いていましたから、私もひそかに黙とうをささげようと思っていたのですが、タイミングを逸してしまいました。2:46は、たぶん、お昼を食べた店から学校へ戻るためにわき目もふらず歩いている最中だったのでしょう。

十年一昔と言いますが、旧態依然としている面も多々あります。原子力行政なんか、その最たるものでしょう。原発への依存度を多少は下げるようですが、基本が動いたとは思えません。社会のあまりの変わらなさに業を煮やした神様が、新型肺炎というショック療法を与えたような気すらします。

冗談はさておき、震災でも大きく変わらなかった日本社会ですが、新型肺炎の流行を契機に、大きく変わろうとしているように思えます。少子化の影響も看過できないレベルにまで達し、AIによる技術革新など、もろもろの因子が相乗的に働き、変革の波を起こしつつあります。

13日(土)にJRをはじめ、多くの鉄道会社でダイヤ改定が行われます。目玉は終電の繰り上げです。リモートワークや夜の活動自粛で乗客が減ったこともその一因ですが、夜間工事の要員確保が難しくなったことも理由に挙げられています。また、電車の自動運転が試験的に行われるそうです。

もし、昨年何事もなくオリンピックが行われ、今も2019年の延長線上だったら、こういうダイヤ改定にはならなかったにではないでしょうか。いずれ行わざるを得ないとしても、今年ではなかったように思います。そういう意味で、社会が根底から動き始めた感じがするのです。

報道によると、復興どころか衰弱し続けている被災地が多いとのことです。今、起き始めている変革が、被災地を明るい方向に引っ張ってくれることを切に祈っています。

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雑談好き

2月19日(金)

午前中は、仕事で日本へ来ているPさんのプライベートレッスン。一応教科書はありますが、それにとらわれず、会話(雑談?)をしながら日本語を身につけていくというスタイルです。Pさんはビジネスパーソンですから、動詞や形容詞などの活用をドリルしながら覚えるというのではなく、公私を問わず興味のある話題について何かを語るのに必要な文法や語彙を覚えていこうとしています。JLPTなどの日本語力を測る試験も受験する予定がないそうなので、カリカリした雰囲気はありません。

どんな話題が出てくるかわからないという面はありますが、Pさんのような学習者は、私にとって一番やりやすい相手です。また、Pさんは日本の文物に大いに関心を持っていますから、私としては雑談のしがいがあります。雑談を通して多様な日本を見せていこうとすると、いくらでも話がはずみます。

日本語教師になって最初に教えた人たちが、ビジネスパーソンでした。銀行員、個人経営者、技術者など、多様な職種のさまざまな国籍の老若男女を教えました。語学の学習ですから「若」に偏ってはいましたが。ですから、Pさんのレッスンをしていると、どこか懐かしさが湧いてきました。20年ぐらい前のことですから、社会情勢も大きく変わりましたし、私も経験を積んで気持ちに余裕が持てるようになりました。ビデオを撮って学習者への対し方を比べたら、ずいぶん違っていることでしょう。

Pさんは、先週末の地震のとき、仙台にいたそうです。大きな揺れに非常に驚いたと、熱弁してくれました。新幹線が動いているところまで車で送ってもらい、日曜日にどうにか東京へ帰りついたとのことでした。こういうビビッドな話ができるところが、ビジネスパーソン相手のプライベートレッスンの醍醐味です。

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いい陽気ですね

2月2日(火)

初級クラスの漢字の時間に、「陽」の字を教えました。「陽」を使う熟語として「陽気」が挙げられていました。「陽気」には形容詞の用法と名詞の用法があります。形容詞の方は、教科書に出ている英語訳が“cheerful”、中国語訳が“快活的”となっており、「トムさんは陽気な人です」という例文も、まあ問題ないでしょう。

もう一方の名詞の「陽気」の英語訳は“weather”、中国語訳は“天気”となっていました。「天」の字を勉強した時に日本語の「天気」を勉強しており、その英語訳、中国語訳も“weather” “天気”でした。これだと、陽気=天気になってしまいます。

例文として出ている「いい陽気になりましたね」は、日本人の感覚では、絶対に「いい天気になりましたね」と同じではありません。後者は「晴れました」「青空が広がりました」に近い意味ですが、前者はそういう意味ではありません。2月の初旬に「いい陽気になりましたね」と言ったら、「暖かくなりましたね」でしょう。

じゃあ、天気と陽気は何が違うのでしょう。「東京は、5月が1年でいちばん陽気がいい」と言ったら、過ごしやすいという意味です。そもそも、「悪い陽気」とか「陽気が悪い」とかって、あまり言わないんじゃないでしょうか。「じめじめした陽気」ということもありますが、一般には「快適」というのが暗黙の了解になっていると思います。

お天気マニアとしてはいい加減に済ますことができませんから、無理を承知で初級の学生にそういう話をしました。しかもオンラインですから、こちらの気持ちがどれだけ伝わったかはなはだ心もとない限りです。初級担当のT先生がご覧になっていたら、即刻授業停止命令が出たことでしょう。

朝はけっこうな雨が降ってどうなることかと思いましたが、午後からはいい陽気になりました。124年ぶりの節分にふさわしい2月2日でした。

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余力があり過ぎます

1月25日(月)

レベル1のクラスの代講に入りました。レベル1の授業そのものは面白いと思いますが、オンラインだとどうもリズムに乗れません。指名して、学生がマイクをオンにして答えがこちらに届くまでのわずかなタイムラグが、その原因です。0.5秒にも満たないくらいの短い時間でしょうが、そのためにペースがなかなかつかめないのです。

私の場合、初級は、何はともあれ、口を開けさせるという考えで授業を組み立てます。上級なら、多少教師が語っても授業は成り立ちますが、初級は、特に一番下のレベルは、一言でも多く話させることが授業の肝です。それが、わずかなタイムラグのせいでつまずいてばかりというのが、私の授業の現状です。

ブレークアウトセッションを多用するというのも一つの解決手段です。しかし、学生が見えないところへ行ってしまうのが、どうも怖いのです。初級のクラスは話したくてたまらない学生たちばかりですから、ブレークアウトセッションでだんまりを決め込むことはないでしょう。でも、こっそり母国語で話しているのではないかという疑心暗鬼を抑えきることはできません。

コーラスをさせても、「はい、今、4人“っ”を言いませんでした。もう一度!」などということができません。個々の学生の発音をいかにチェックしていくかも、大きな課題です。初級なら、助詞の抜け落ちや誤用にも厳しく目を光らせ、間違いを見つけ次第直ちに指摘して訂正させなければ、悪い癖がついてしまいます。それがなかなかできないもどかしさもあります。

オンラインだと、授業後の疲れ具合が対面に比べて、半分どころか一桁違う感じがします。養分を吸い取られたという感じがしないんですねえ。逆の見方をすると、学生たちにこちらが持っているものを与え切っていないんでしょうね。

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鼻の悦び

1月21日(木)

昨年末に辞書を2冊買いました。三省堂の「新明解」と大修館書店の「明鏡」です。新版の出版が重なりました。どちらもずっとお世話になっている辞書ですから、紀伊国屋ポイントカードでため込んだポイントの有効期限も近いことだし、両方とも買い込んでしまいました。

旧版の辞書と収録語彙や語釈をくらべてニヤッとするほど暇ではありませんが、よりブラッシュアップされた語義解釈は手元に置いておきたいものです。言葉を商売道具にしているのですから、この程度の投資を惜しんではなりません。

すでに約1か月使っていますが、いまだに新刊書特有の、紙のにおいともインクの香りともつかない独特の芳香が、辞書を引くたびに立ち上ります。マスクを通しても感じられるのですから、辞書を開いて鼻を近づけて直接かいだらもっと快感に浸れるかなと思って、今朝、まだ誰もいない職員室で、こっそりマスクを外してその香気を吸い込んでみました。思ったほど強くはありませんでしたが、お上品に私の鼻孔をくすぐってくれました。私が通勤電車の中で読む本は文庫や新書が主力ですから、買ってから1か月も経ったら気が抜けています。新明解にしても明鏡にしても、辞書本体はケースに入っていますから、新刊書の香りは逃げにくいようです。

今どき、紙の辞書を使う人は少ないでしょう。充実した辞書サイトにも簡単に入れます。しかし、紙の辞書は読めますから好きです。調べようと思った単語の語義を見てそれで終わりではなく、その隣の単語を起点に思わぬ大旅行をすることもよくあります。1冊の辞書にとどまらず、数冊の辞書を読み比べるところにも、紙の辞書の魅力があります。今朝も、養成講座の授業準備の際に少々楽しませてもらいました。

次は、岩国あたりが改訂にならないかな…。

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最後の腕時計

1月4日(月)

大晦日のお昼ごろ、チラッと腕時計を見ると、急げばぎりぎり快速電車に間に合う時間でした。駅の階段を駆け上がり、息を整えながらホームでもう一度時計を見ると、あと30秒ほどで電車が来るはずでした。しかし、1分経っても3分経っても電車は来ず、やっと来た電車は全然違う行き先でした。何気なく駅の時計を見ると、私の時計より15分も進んでいるではありませんか。いや、駅の時計は、よほどの田舎の鉄道でないかぎり、きわめて正確ですから、私の時計が15分も遅れていたのです。

そういえば、大晦日は、朝から、だいぶ時間が過ぎたんじゃないかなと思って時計を見るとほんの数分しかたっていなかったということが2、3回ありました。そして、時計の針をよく見てみると、秒針が不整脈を起こしていました。ツツツッと進んだかと思うとしばらく止まってしまうというのを繰り返していました。朝、家を出るときは正確でしたから、その後おかしくなったのです。

私の時計は電波時計ではありませんが、12秒進みという状態で安定していました。ですから、秒針まで信用していました。それがみごとに覆されたのです。でも、この時計を買ったのは前世紀です。日本語教師を始めたばかりで、KCPにお世話になる前でした。やはり、それまで使っていた時計が突然止まってしまい、次の仕事までの合間に大急ぎで買ったものです。それ以来、入浴時以外はほとんど外すことなく、海外へも行ったし、日本国内は1都1道2府43県すべて連れて行きました。

20年以上も公私にわたって付き合ってくれた時計ですが、どうやら寿命のようです。用事を済ませたあと、時計屋に立ち寄りました。腕時計に対する条件は、電池交換不要なこと、文字盤がアラビア数字で書かれていること、カレンダーなど余計な機能がないことです。電波時計ならさらにありがたいのですが、そういう時計はなく、電波時計はあきらめました。

大晦日は古い時計をはめて寝て、1月1日から新しい時計を使っています。この時計が古い時計と同じだけもったとすると、私は80歳を超えています。その頃はもう楽隠居で、新しい腕時計は必要ないかもしれません。そう思うと、この時計をより一層大事に扱いたくなりました。

これが、年末年始の最大の出来事でした。

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