Category Archives: 自分自身

強く引いてください

4月27日(土)

先日、お昼に外に出たら、あるお店のドアに「強く引いてください」と張り紙がしてありました。おそらく、建て付けが悪くて、ドアが重いのでしょう。張り紙自体はどうということはありません。

しかし、この反対は何だろうと考えてみると、「強い」の反対は「弱い」だからといって、「弱く引いてください」にはなりません。「軽く引いてください」ぐらいが妥当なところでしょう。とうことは、「強い」の反対には「軽い」もあるということでしょうか。

疑問に思って辞書に当たってみると、「強い」には「大きい力が込められている」という意味があると、ベネッセの表現読解国語辞典に書かれていました。例文として「強く押す」「手を強く握る」があり、これらの反対は「軽く」でしょう。しかし、この辞書以外にはこういう語釈は載っていませんでした。

一方の「軽い」は、ネットのgoo辞書に「動きに力がかかっていない」という意味が載っていて、「ドアを軽くノックする」という例文もありました。「⇔重い」と書いてありましたが、ドアは「重くノックする」のではなく、「強くノックする」ものです。こちらも、この辞書以外にこの語釈がある辞書は見当たりませんでした。

一般に「強い」の反対とされている「弱い」を調べてみると、東京堂出版の現代形容詞用法辞典に、「強く打つ」とは言うが「×弱く打つ⇒軽く打つ」と書かれていました。その辞書で「軽い」を調べてみると、「目を軽く閉じてください」という例文はありましたが、語釈としては「程度が低いという意味である」としか書かれていませんでした。

仮に、「ドアを弱く引く」「手を弱く握る」「目を弱く閉じる」と表現したとすると、「ドアを引く力が足りない」「手を握りたくなさそうだ」「薄目を開けているのではないか」といった、ネガティブなニュアンスを感じてしまいます。@弱く」ではなく「軽く」だったら、ニュートラルに受け取るでしょう。

「軽い」には「軽やかな」というプラスの意味の派生語が控えているのに対し、「弱い」の背後には「弱々しい」というイメージのよくない言葉が見え隠れしています。そんなことも、「強い」の反対語としての「軽い」「弱い」に影響を与えているのかもしれません。

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さっぱり

4月10日(水)

午後、先週入院した慶應病院で抜糸してきました。手術が全身麻酔でしたから、抜糸も大掛かりになるのではないかと心配していました。でも、椅子に座って、仰向けに倒されると、「はい、消毒します」「ああ、傷口、きれいですね」「じゃ、糸を抜いていきます」と声をかけられ、数分で「はい、抜き終わりました」となり、椅子を起こされ、「うがいしてください」で終わってしまいました。

手術の大騒ぎに比べると、何とあっけないこと。治療費もお昼ごはんと同じか安いくらいでした。来月の中頃、もう一度傷跡が順調にふさがってきていることを確認してもらうために通院することになりました。そこでOKがもらえたら、今回の手術は完全に終わりになるのでしょう。

退院時に痛み止めのロキソニンをもらい、痛くなったら飲むようにと言われましたが、1粒も飲むことなく抜糸できました。とはいえ、手術をした左下奥にどことなく違和感が残っていて、軟らかいものでも左で噛むのがためらわれました。ところが、糸を抜いたらその違和感がきれいさっぱり消え去りました。ためしに、病院の帰りにパンを買って食べたら、ごく自然に左で噛めました。

病院から帰って来てから、レベル2の日本語強化のオリエンテーションに参加しました。通常の日本語授業に上乗せして、さらに学びを深めたり広めたりする授業です。そういう授業を希望する学生たちですから、真剣に教師の話に耳を傾けていました。そんな学生の前で話をするのは、やっぱり気持ちがいいものですね。糸を抜いた口が、いつもより滑らかに動いた気がしました。

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心が狭い?

4月9日(火)

昔はよく車を運転しました。住んでいたのが山口県で、道路状況が著しくよかったのもその一因です。会社から帰って来てから軽く100キロドライブとか、休みの日に山口県一周とか、意味もなく車で出かけたものです。高速道路を使わずとも、渋滞にはまることなく運転そのものが楽しめました。

東京に住むようになってからは、車の運転は縁遠いものになりました。それどころか、バスも含めて車そのものに乗らなくなりました。長い休みに旅行した時ぐらいでしょうかね。

先週入院した時、病室の窓から病院の駐車場が見下ろせました。次から次へと車が来て駐車スペースに止められていくのですが、その止め方にツッコミを入れていました。「アホ! ハンドルの切り方が逆だ」「そんなところからバックしたら隣の車にぶつかっちゃうだろう」「何トロくさいことやっとるんじゃ。車2台待ちくたびれとるぞ」…。中にはほれぼれするような止め方もありましたが、一言物申し上げたくなる動き方をする車がほとんどでした。

私は支配欲が強いんでしょうかね。バスなんかに乗っていても、「こら、黄色で突っ込む気か。渡り切る前に赤になるぞ」「小型車1台ぐらい、前に入れてやれよ」「ここは追い越し車線に逃げるのが常道だろう」「何で右折するんだ。まっすぐ行った方が近いじゃないか」などと、心の中でわめき続けています。バスの運転手さんの方が、運転がうまいに決まってるのにね。

東京でライドシェアが解禁されました。でも、私なんかライドシェアを使ったら、目的地に着くまでにへとへとになってしまうに違いありません。運転のしかただけでなく、道の選び方にも文句をつけかねません。この性格を直さない限り、ライドシェアを使いこなすことはできないでしょう。

自動運転の車に乗ったら、どうなっちゃうのかな。

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入院記

4月6日(土)

先週のこの稿でお知らせしたとおり、月曜日から木曜日まで入院していました。病魔に侵されよれよれになって入院したわけではなく、放っておくとまずいことになるかもしれない、いわば病気の元を予防的に取り除くためでしたから、病棟の他の患者さんたちには申し訳ないくらいぴんぴんしていました。

入院した1日は、簡単な検査をいくつかしただけでした。ベッドを起こしたり倒したり機能を確かめた後はすることがなく、200ページ余りの本を読み終えてしまいました。そして、ブリの煮つけの夕食をいただいて、就寝時刻の夜9時を迎えました。病棟は暖房がよくきいていて、布団の中に入ると暑いくらいでした。

手術日の2日は、朝6時半から飲食禁止でした。熱と血圧を測って手術衣に着替えるとほかにすることがなく、2冊目の本を読み始めました。9時過ぎに看護師が迎えに来て、手術室まで歩いて移動。手術開始直前までメガネをかけていてもいいとのことでしたから、手術室をじっくり観察させてもらいました。ドラマなどで見たのと同じように、無影灯に取り囲まれ、帽子とマスクで表情がわからない手術スタッフに見つめられ、麻酔薬が腕から注入されました。ああ、こうやって気を失うんだなあと思いながら、鼻からガスも吸わされ、意識がなくなりました。

その次の記憶は、「金原さん」と起こされた時でした。入院前の手術オリエンテーションみたいなときに、麻酔から覚めると吐き気を催したり体の自由が利かなくなったりすることがあるかもしれないと言われましたが、そんなことは全くなく、手術はうまくいったんだと、手術室を出る前に勝手に確信してしまいました。

病室に運ばれてスマホの時計を見ると、12:01でした。正味の手術時間は2時間弱だったでしょう。事前に先生に言われた通りでしたから、安心材料がまた増えました。

ところが、ここから6時間ベッドで安静にしていろと言われ、これが最大の苦痛でした。点滴のチューブがつながっていますから、自由には動けません。麻酔はもう切れていますから眠くもありません。私はスマホで時間つぶしをする人間ではありませんでしたが、スマホに頼らざるを得ませんでした。でも、ここで大問題が発生しました。私は左手でスマホを操作しますが、その左腕に点滴の針が刺さっていますから、動かし続けることはためらわれます。そういえば、入院時に病棟に入るとき、「利き腕ではないほうにタグをつけます」と言われ、左手首にタグをつけてもらいました。こんな目に遭うなら、左腕の自由を確保しておくべきだったと後悔しました。右手1本でページをめくりながら、2冊目も読んでしまいました。

6時になり、ようやく立ち上がってもいいと言われ、足を床に付けました。全くふらふらすることもなく、トイレまで行って、用を足してきました。点滴で水分をたっぷり補給されていましたから、膀胱が破裂しそうでした。この日は、食事は全くなし。口の中の手術でしたから、しかたがありません。

3日朝は、待ちに待った食事がでました。3食全粥でしたが、おかずは普通のものでした。肉や魚の塊も出ましたが、手術したのとは反対側の歯で普通に噛んで食べました。

この日は左手が自由に使えましたから、スマホで5月の連休と夏休みの旅行の計画を練りました。それだけではありません。紅麴事件についても調べました。私はサプリは一切口にしませんが、事件について知ると、それで間違っていなかったと思えてきました。でも、スマホを長時間眺めていると、ドライアイの症状が現れてきました。スマホの画面より本の活字の方が目に優しいのでしょうか。でも、本は最後の1冊となっていましたから、大事に読まなければなりません。病室の窓から桜が見えるかなと思って探しましたが、見つかりませんでした。

4日、退院手続きや支払いを済ませ、せっかく慶應病院に入院したのですから、入院中の穴埋めをしてくださった教職員のみなさんへのお礼として慶應グッズでも手に入れようとしました。しかし、病院の売店には手ごろなものはなく、総合案内の方に聞いたら医学部の生協まで行けば何かあるかもしれないとのことでした。そこまでする気は湧かず、うちに戻りました。

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しばらくお休み

3月29日(金)

東京も、ようやく桜が咲きました。昨年より15日、平年より5日遅い開花だそうです。今朝の通勤時に見た四ツ谷駅の桜はまだ全然でしたが、雨が上がる前後からぐんぐん気温があがりましたから、靖国神社の標本木のつぼみがほころんだのでしょう。予報によると、明日から最高気温が20℃を超える日が続きますから、一気に満開まで上り詰めてしまうかもしれません。桜の方だって、寒さによる休眠打破は十分すぎるくらいでしたから、あとは気温さえ上がればと待ち構えていたに違いありません。

こうなると、あちこちお花見に行きたくなるところですが、今年の私はそういうわけにはいきません。来週早々、入院して手術を受けなければならないです。左下の奥歯の根っこの近くに膿の袋があり、それが付近を通る神経を圧迫するおそれがあるということで、その膿の袋を取り除くのです。歯医者で虫歯のレントゲンを撮ったら膿の袋があることがわかり、大学病院で詳しく調べてもらったら間違いないと診断され、手術を受けることになりました。

大学生の頃、親知らずが、上ではなく手前の歯に向かって生えてきて、そのため手前の歯が痛くなり、原因となっている親知らずを抜きました。この時も、街中の歯医者では手に負えず、大学病院で抜歯しました。のみとトンカチで骨を削るという荒っぽい方法で親知らずを抜き取りましたが、日帰りでした。そういう経験がありましたから、今回の手術は1時間ほどだと聞いて、親知らずと同じくらいだろうと思い、「じゃあ、1日で済みますね」と先生に確認したら、「いえいえ、全身麻酔で手術しますから、4日間入院してもらいます」と言われてしまいました。「何考えてるんだ、このアホな患者は」と思ったでしょうね、先生は。

以上のような事情で、4月1日から4日まで、入院します。病室から桜が見えるとは思えませんから、お花見はしばらくお預けです。「春の心はのどけからまし」を地で行くような4日間となりそうです。

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緑の落ち葉

3月27日(水)

このところ、春雨前線と言ってもいいような前線が太平洋岸に停滞し、パッとしない天気が続いていましたが、久しぶりに抜けるような青空が広がりました。昼間に外に出たら、日の光の強さ、まぶしさに驚かされました。桜の開花は遅れていますが、お天道様はもう春の装いなのです。

だから、私が出勤する時間帯も結構な明るさで、もはや夜明けではなく、完全な朝でした。

毎朝出勤すると、学校の前に落ちているゴミを拾います。吸殻はほぼ毎日、食べ物の包装材や紙くず、缶、ペットボトルなどを拾い集めます。時々、マスクも捨てられています。先週は、強風で道路の白線がはがれて学校の前に散らばっていましたから、1か所に集めておきました。

昨年の秋の終わりごろからでしょうか、きれいな緑の葉っぱが落ちているようになりました。触って確かめるまでもなく人工物です。どこから飛んでくるのだろうとあたりを見回しても、それらしき発生源は見当たりませんでした。どこかの打ちの庭先かベランダにあれば疑似観葉植物でしょうけど、KCPの前まで飛ばされてきてしまっては、もはやゴミです。美観を整えていたものが、ほんのちょっとの旅の末に、美観を損ねると私に拾われ、ゴミ箱に直行です。気の毒な気もしますが、しかたありません。

毎朝拾う緑の葉っぱのルーツが気になっていたある日、6階の外階段からぼんやり外を見ていたら、校庭をはさんだ隣のマンションの屋上近くに、あの葉っぱの茂みがあるではありませんか。そこからだとすると、飛ばされたというより舞い落ちたと言うべき軌跡を描いて学校の前までやってきたことになります。

毎朝2、3枚ずつ、風の強い日はもう少し拾っています。塵も積もればというやつで、すでに相当な枚数がKCPのゴミ箱をにぎわせています。1か月ごとぐらいに散った分を補っているんですかねえ。今朝は、雨で拾えなかった昨日おとといの分もあわせて7枚拾ったんですけど…。

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待ちかねる

3月25日(月)

桜の開花が遅れています。現時点で、高知、宮崎、広島の3か所だけです。東京は20日に咲くという予想が出ていましたが、いまだに咲く気配すら見られません。最近は3月中に散ってしまうこともよくありましたが、今年の花吹雪は4月になってから吹き荒れるのでしょう。

小雨と霧雨の間ぐらいの雨が降る中、昼食をとりに外に出ました。コートを着ないで出たら、速足で歩かないと寒くなりそうな感じでした。最高気温で見ると、関東地方はひと月くらい季節が逆戻りしたようです。温かいものを食べましたが、学校に帰り着くまでに温かさが消え去ってしまいました。

午後は今学期最後の日本語プラスの授業をしました。午前中使っていなかった教室を使うので授業の始まる15分ほど前にエアコンを入れておきました。しかし、寒がりのDさんから、「先生、エアコンの温度を上げていただけませんか」と訴えられました。

午後の初級クラスの授業後に、来学期の日本語プラスのオリエンテーションをしました。会場にしていた教室ですが、私が来た時には誰かがエアコンをつけていました。やっぱり、ひんやりしたんでしょうかね。

今年の春は、急に足取りが遅くなってしまったようです。でも、少し前まではこれが普通だったようにも思えます。これぐらいがちょうどいいような気もします。お花見は、4月になってからしたいものです。3月のお花見は気が早すぎるというのは、年寄りの感覚でしょうか。

もう一歩のところで待たされていますから、今年の春はなんとなく期待に胸が膨らみます。いい学生がたくさん入ってきてくれるとうれしいんですがね。

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骨を折る

3月23日(土)

日曜日に母が亡くなりました。母がいた老人ホームの方によると苦しんだ様子はなく、医者の診断によると死因は老衰でした。91歳ですから、寿命と言うべきでしょう。

今年のお正月は、歩行器につかまりながらですが、歩くことができました。耳が遠くなり、会話をするのが大変でしたが、意思の疎通はどうにかできました。

その直後、大腿骨を骨折し、手術のために入院しました。手術はうまくいったのですが、ずっとベッドに寝ていたため、生きる意欲みたいなものが衰えていきました。担当医によると、老衰の一環で、のどで肺へ行く通路と胃へ行く通路とをコントロールする弁の働きが鈍くなったため、誤嚥が激しくなりました。口から栄養を取るのが難しくなり、本人の意欲の低下と相まって、体の衰えに拍車がかかりました。

今月上旬、看取りをするという意味で、住み慣れた老人ホームへと戻りました。手術前に病院で見舞ったときは私が手を握ると握り返してくれましたが、退院直後はそういう反応も非常に薄くなりました。そして、まさにろうそくの火が消えるように亡くなりました。

死亡診断書によると、直接の死因は老衰ですが、老衰を促進したのはベッドに寝たきりになったことであり、その原因は骨折です。今まで「高齢者が骨折をすると急に衰える」という話はよく耳にしましたが、母はまさしくその道を歩みました。体が動くということが生きる意欲に直結するんだということを、強く感じさせられました。

この稿をお読みのみなさん、ご高齢の方の骨折は文字通り命とりです。骨を折らないよう、お骨折りください。

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祝? 開業

3月16日(土)

北陸新幹線が敦賀まで延伸開業しました。敦賀は、10年以上昔になるかと思いますが、1度だけ行ったことがあります。気比神宮という立派なお宮さんがあり、かつて大陸への連絡船が出港した港町です。山が海に迫り、鉄道も高速道路も狭い平野部を目指して集まり、いかにも交通の要衝といった感じがしました。歴史ファンとしては、金ヶ崎城跡は外すことができず、しっかり見てきました。城を築きたくなる山の上にありました。その近くの金ヶ崎宮で、小豆袋守を授けていただきました。織田信長が浅井長政に裏切られた時、妹の市姫から届いた小豆袋で危機を察知し、際どく京まで逃げ切ることができた故事から、難関突破、開運招福のご利益があります。学校の机の一番上の引き出しにしまってあります。

新幹線ができた代わりに、北陸本線が第3セクター化され、北陸と大阪・名古屋の間を鉄道で行き来しようとすると、敦賀駅での乗り換えが必要となりました。JRは8分で乗り換えられると言っていますが、JRの職員が予行演習したところ、13分かかったとか。開業初日はどうだったのでしょう。ネットで見る限り、大きな混乱は起こっていないようです。

そもそも、計画から完成まで半世紀もかかっているということが大きな問題です。“北陸まで新幹線が通じれば便利になる”ことは間違いありませんが、どこをどう通って北陸に至るか、そこでもめ続けた半世紀と言っていいでしょう。乗り換えを嫌う客がJRから高速バスに流れたら、何のための半世紀という時間だったのか、わからなくなってしまいます。

東海道新幹線を造った十河信二は、「新幹線が経済的に成り立つのは東京・大阪間だけ、甘く見て岡山までだ」と言ったそうです。その十河信二が敦賀開業を見たら、どう思うでしょうか。

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少し復活

2月17日(土)

昨日、4週間ぶりにギプスが取れました。包帯で縛り付けるような感じから、サポーターで軽く足首付近を固める感じになりました。まだ足を全面的に自由に動かせる段階には至っていませんから、歩き方には若干不自然なところが残ります。でも、専用サンダルから普通の靴が履けるように戻ったのですから、大きな改善です。

ギプスの頃は、赤信号にならないうちにと一生懸命歩いて横断歩道を渡っても、小学校に入ったばかりくらいの小さな子供にあっさり抜かされました。しかし、昨日ギプスを外してもらった後、靖国通りの横断歩道を渡ったときは、普通の大人に置いていかれることなく渡り切れました。

とはいえ、骨折以前と同じようには歩けません。ゆうべだって、駅からうちまで歩いた時の疲れ具合が違いました。レントゲン写真を見た医者は、足の筋肉が衰えたため、骨がもう少ししっかりくっついたらリハビリが必要となるかもしれないと言っています。う~ん、結構な大けがだったんですね。昨日の時点で治ったと考えても全治4週間です。全治4週間と言えば、大けがの部類ですよね。

でも、リハビリが必要なら早くはじめて早く元に戻しておかなければなりません。5月の連休は関西遠征をし、飛鳥地方を1日20キロぐらい歩く計画を立てています。航続距離もさることながら、ある程度のスピードも要求されます。山越えのコースの日もありますから、足が動かないのでは話になりません。来週からは、エレベーターを使わずに、階段で教室まで行き来することにしましょう。

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