Monthly Archives: 12月 2023

今年を振り返ると

12月27日(水)

昨日、所用があって、新宿駅の西口に出ました。ニュースで聞いていましたが、小田急百貨店が跡形もなく消えていて、歩道もバスターミナルのすぐ近くまで迂回していました。あまりの様変わりに、ただただ驚くばかりでした。KCPから西口まで、距離にして1キロちょっとですが、私の守備範囲は紀伊国屋書店までですから、西口の地上を歩くことはめったにありません。調べてみたら、小田急新宿本館の閉店は去年の10月、解体が本格化したのは今年の春ぐらいだったんですね。

考えてみると、この1年、通勤定期の経路の駅で外に出たことがあるのは、上野と日本橋と銀座と新橋ぐらいかもしれません。しかも、そのほとんどが用事を済ませたらまたすぐ地下に潜るという具合で、それぞれの街をゆっくり楽しむということはしていません。新宿だって、駅そのものは利用しましたよ。でも、地上は歩かなかったなあ、この1年。実に狭い世界で生活していたものです。夏休みなどには遠征もしますが、土日の休みに東京都内をもっと見なければいけませんね。いや、そもそも、個人的な用事を通勤定期の範囲内で済まそうというせこい根性からたたき直す必要があります。

というわけで、来年の目標は、「東京23区すべてに足跡を印す」ということにしましょう。数えてみると、今年は12区でした。通過を含めるともう少し増えますが、23区には遠く及びません。また、墨田区、葛飾区、江戸川区、豊島区は学校行事のおかげで足を踏み入れた区です。ですから、倍増ないし3倍増しないと目標は達成できません。容易な目標ではありませんが、挑戦してみます。

よいお年をお迎えください。

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大掃除の誇り

12月26日(火)

年末の恒例行事と言えば、大掃除です。普段目や手が行き届かないところを拭いたり磨いたり掃いたり水洗いしたりします。

私の担当は、まず、朝のうちに1階の給湯室。湯沸かしポット内にクエン酸を入れて、水垢を落とします。落とさなくてもお湯の供給に影響があるわけではありませんが、電熱効率が悪くなりますから、省エネのためにも年に1度くらいは掃除をしておいた方がいいです。それから、流しの排水部の清掃。排水口にたまっていたごみは、先週、流れがあまりに悪くなったので捨てました。ついでに、ごみ溜めも洗っておきました。ですから、今朝はパイプクリーナーを入れてしばらく放置するだけでした。他の先生方がいらっしゃる前に終わらせようと思ったのですが、湯沸かしポットのお湯が沸くのに時間がかかり、少々はみ出してしまいました。

午後は傘立ての受け皿の掃除。各教室とラウンジから受け皿を集めてきて、ひたすら水洗いです。油を吸ったほこりが受け皿にまとわりついていますから、水をかけても水をはじいてしまいます。雑巾を使ってこそげ落としましたが、細かいところは指先で掻き出すような感じでした。要らない歯ブラシをうちから持って来ておけばよかったと思いました。それにしても、こそげ落としたほこりの多いこと。掃除用の流しの排水口が何回も詰まりました。そして、この仕事は、冬場ではなくて夏にするべきですね。半袖短パンで、外の流しで水を勢いよくぶっかけるのが、一番きれいになりそうです。

私が受け皿を掃除している間に、別の先生が傘立て本体を磨いて、ほこりを落としてくださいました。新学期に登校した学生たちはきっと何も気づかないでしょうが、でも、そういう仕事をしたということに、ちょっとした誇りを感じます。

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悩める子羊

12月25日(月)

夕方、先週A大学に出願したPさんが進学相談に来ました。先週末に発表された11月のEJUの結果から、新たな出願校を考えたいということでした。でも、Pさんの成績は6月とほとんど変わりませんでした。それだったら、今までに話してきた大学の中からどこか1校か2校選べばいいのにと思いながら話を聞きました。

よくよく話を聞くと、11月の成績から30点ぐらい下の点数でも入れそうな大学を教えてくれということでした。30点ぐらいの差なら、面接でも逆転可能な場合が多いです。ですから、そんな大学を調べて出願しても、滑り止めになるとは限りません。11月と6月と、点数がほとんど変わらないのですから、すでに出願したA大学に確実に合格できるよう手を打っていくべきです。

そういう話をすると、心配の種が今度は面接の受け答えに移りました。Pさんが出願したのはS学科ですが、N学科の勉強もしたいと面接で言ったら印象が悪くなるだろうかとかと言い出しました。どちらにするか出願の際に悩んだことは確かですが、S学科の方が自分の将来の勉強に役立つと考えて、S学科に出願したのです。今更そこまで立ち帰って迷っても、どうしようもありません。S学科の先生方に、自分はどうしてもS学科で勉強したいと訴えることが肝心だと私が何度言っても、N学科の勉強も必要だという方向に考えが行ってしまいます。私が何か言うと、その瞬間は納得するのですが、いつの間にか考えが一周してN学科に戻ってしまいます。

S学科もN学科も同じ学部ですから、S学科の必修と授業時間が重なりさえしなければ、N学科の授業だって取れます。自分で勉強して、どうしてもわからないことがあったらN学科の先生に聞きに行くことだってできるでしょう。そういう話をしても。Pさんの心配は一向に解消されませんでした。

帰り際にはS学科に受かるための面接の受け答えを考えるということで納得した体ではありましたが、うちへ帰って一人で考えているうちにどう変わるかわかったものではありません。

この間2時間。作文の採点を終わらせようと思っていたのですが、5人分残ってしまいました。

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苦労の末

12月23日(土)

昨日から期末テストの作文の採点をしています。作文の採点とは残酷なもので、おもしろい作文、読み応えのある作文、感心させられる作文、つまり「いい作文」は、採点がすぐに終わってしまいます。論旨が明確であり、誤字誤文も少なく、だから添削もあまりする必要がありません。読後の余韻に浸る間もなく、次の作文へと移らなければなりません。

一方、出来の悪い作文は、「読書百遍意自ずから通ず」ではありませんが、何度も何度も読み返さないと、書いた学生の言わんとすることが見えてきません。主張がわからなければ、添削のしようがありません。誤字ぐらいなら直せますが、それ以上の直しは、安易にはできません。中国人学生の作文の場合は、中国語の辞書まで動員して、日本人からすると変な使われ方をしている漢語や、よくわからない単語をどうにかしていきます。

そうやって頭をひねり続けて、作文の全容を浮かび上がらせます。それで「うん、なるほど、その通りだ」と納得したり、「うーん、この考えには同意できないな」などと反発を覚えたりできれば、時間をかけた甲斐もあるというものです。しかし、理解できた内容がしょうもないものだったら、徒労感、疲労感、寂寥感、無力感、絶望感、嫌悪感、脱力感、閉塞感といった感覚がないまぜになって襲い掛かってきます。

今回は、YさんやZさんのが読解に苦労した作文でした。原稿用紙1枚半にそれぞれ1時間ぐらいかかりました。それでもYさんの言いたいことは理解できたという手ごたえがありましたが、Zさんのは真ん中辺に大きな”?”を残したまま、撤退せざるを得ませんでした。

この2人の作文をAIに要約させたらどうなるだろうと思いましたが、入力する元気もなく、あきらめました。でも、全員分の作文が読み終わり、どうにかお正月が迎えられそうです。

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どこで影を見るのやら

12月2日(金)

お昼に学校の近くを歩いていると、「本日は冬至です」というアナウンスが繰り返し聞こえてきました。そうかと思って振り返ると、ずいぶん長い影がアスファルトに伸びていました。杜氏の日の南中高度30.9°から計算すると、身長の1.7倍ほどの長さだったはずです。稚内は南中高度が21.9°なので、影の長さは身長の2.5倍近くに及びます。夕方の雰囲気ですね。

以前、夏至近くの沖縄へ行ったことがあります。影なんかほとんど見えませんでした。計算すると、私の身長で影の長さは5センチほど。見えるはずがありません。というか、影が見えない体験をしたくて、わざわざ日を選んで行ったのです。沖縄の梅雨明けは夏至の前後ですからお天気が心配でしたが、頭の真上からの日差しを味わえました。

さて、期末テストが終わると学校は静かになりますが、今朝はちょっとだけにぎわいました。おとといの期末テストの追試が行われたからです。にぎわったと言っても1クラス分の人数にも及ばないほどですがね。でも、残念ながら、その中に私のクラスのKさんの姿はありませんでした。噂によると、Kさんは、おとといの朝、布団の中で「あと3分だけ」と思っていたら、3時間寝てしまって、テストが受けられなかったそうです。追試が始まる時間になっても姿を現さなかったので、担任のM先生がメールや電話で連絡を取ろうとしましたが、応答はありませんでした。

Kさんは、来週、受験校のオンライン面接があるのに、一時帰国を計画していました。「オンラインですから国からでもできます」と言って、私たちが止めるのも聞こうとしませんでした。上述のように時間にルーズなKさんのことですから、時差を忘れて面接が受けられないということだってあり得ます。連絡がつかなかったということは、学校に提出した届よりも早く一時帰国してしまったのかもしれません。

Kさんの出身地は、鹿児島と同じくらいの緯度です。とすると、影の長さは身長の1.4倍程度。東京より多少短い影を引きずって街の中を闊歩しているのでしょうか。それとも家の中でゲームでもしているのでしょうか。面接の準備をしているような気は、全くしません。

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教師の敵

12月21日(木)

先週から今週にかけて、日本語教師養成講座で「評価・テスト」というタイトルで講義をしています。日本語に限らず、教えたらテストをし、その結果を評価するのが教師の仕事ですからね。

一口にテストと言っても、JLPTみたいな何十万人もの受験生がいるものから、KCPのクラスで行う20人ばかりのもの、あるいはアメリカのプログラムできている学生に実施しているオーラルテストなら1対1という小規模なものまで、種々雑多です。また、入学試験のように合格不合格を判定するテストもあれば、KCPの漢字復習テストのように満点が当然というテストもあります。しかし、どのテストも受験者の日本語力(読解力、語彙力、スピーキング力、…)を正確に把握することを目的としている点は変わりません。

私もそう考えて、できる学生しかできない問題から、できない学生でもできる問題まで組み合わせて、1つのテストを作ってきました。また、学生が勘違いや誤解を起こさないように質問文を考えたり、こちらの意図する答えが出るように問題文や解答欄を工夫したりしてきました。

ところが、ここに受験テクニックというものが立ちはだかります。これを使えば、読解本文の内容を理解しなくても答えが導き出せたり、選択肢を見ただけで答えが浮かび上がったりしてきます。これでは本当の日本語力を測定したことにはなりません。読解力がなくても読解テストでいい点が取れたら、その瞬間の学生はうれしいでしょう。しかし、そんな読み方ばかりしていったら真の読解力がつかないので、進学してから苦労することになります。N1やN2に合格しても、EJUで高得点をあげても、日本語がさっぱりわからない学生がいるのは、こんなところにその原因の一端があると思います。

私もそんな受験テクニックを教えることがありますから、被害者面ばかりはできません。いずれはこんなテクニックなしでも日本語を受け止められる人になってもらいたいです。

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安全確実?

12月20日(水)

期末テストの試験監督から1階に戻ってくると、Fさんが職員室の前で待ち構えていました。昨日から進学相談がしたいと言われていたのですが、昨日の午後は代講でしたから、「明日、期末テストが終わったら1階まで来てね」ということにしていました。

まず、「先生、592点で入れる大学、ありますか」と聞かれました。592と点は、Fさんの6月のEJUの読解(記述を除く)+数学(コースⅡ)+物理・化学の成績です。A大学ならこの成績で十分勝負できるとして出願するのですが、さらに安全・確実な大学はどこかというわけです。

もうすぐ11月の成績が出るじゃないかと聞くと、今、自分が手にしている成績で確実なところを知りたいと言います。堅実なのか、11月の結果に自信がないのかわかりませんが、リクエストにお応えすることにしました。

データを見せながら、B大学やC大学など、いくつか紹介しました。そのたびにFさんが気にするのは、その大学を卒業すると東大や東北大など、一流大学の大学院に進学できるかということでした。入学したばかりの頃のAさんは、何が何でも東大と言っていました。それが収まり、現実的な選択ができるようになった、大人になったと思っていたら、根っこのところは全然変わっていませんでした。

確かに、私は「理科系は大学院入試でもう一度勝負できる」と言いました。だから、東大にこだわるなとアドバイスしました。しかし、それは学部生として入学する大学を東大大学院の予備校として考えろという意味ではありません。大学院は研究内容が合うかどうかが一番です。研究計画書が東大の先生の心をとらえられるかどうかです。それを無視して名前だけで大学院を判断したら、不幸な留学生活を送ることになるでしょう。

そもそも、「592点の大学」として私が提案したD大学、E大学は、志望理由書を書かなければならないから出願したくないなどと言っているようでは、東大の先生の心を動かす研究計画書など、100年かかっても書けるわけがありません。

さらに、これからA大学の出願書類を書くと言います。そのお手伝いならやぶさかではありませんでしたが、なんと、明日必着というではありませんか。何で先週のうちに仕上げておかないんだよと思いながら、履歴書から宛名カードまで、書き方を指導しました。

昨日の初級の代講以上にexhaustedでした。

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必死に聞く

12月19日(火)

午前中は養成講座の授業でした。落ち着いた雰囲気の中で、日本語教育の歴史を語りました。歴史となると脱線ネタがたくさんあります。しかし、午後の予定を考えると力をセーブしておく必要があったので、ほどほどのところで抑えておきました。

午後は、代講で初級クラスに入りました。会話のテストをしました。普段受け持っていないクラスですから、学生の顔と名前が一致しません。ですから、ロールプレイをしている様子は録画しておき、本来の授業担当のY先生に見ていただくことにしました。そう伝えると、学生も安心したようでした。

その場でペアを発表し、課題を与え、セリフを書き、それを練習し、そして発表という段取りです。ペアと各ペアの課題を発表すると、教室中が喧騒に包まれました。会話”テスト“ですから、教師を利用するのはご法度です。私は教室中をうろちょろ歩き回って、母語で相談していないか監視します。喧騒の中でも日本語以外の言葉は耳に違和感が残りますから、案外わかるものです。“Aさん、国の言葉が上手になりますよ”というと、学生は恥ずかしそうに下を向いて、再び顔を上げた時から日本語に切り替えます。

さて、発表です。自然な発話をしてもらうため、ノートやメモを読み上げるのは禁止です。そうすると、文法がまだそんなに複雑ではないこともありますが、多くの学生が自然な発話に近づきます。このクラスも、自分たちが作ったストーリーを、情感を込めて演技してくれました。観客側の学生も、友達の演技を少しでも理解しようと、真剣に耳を傾けていました。

発表は時間を10分オーバーしました。それだけ長く会話を続けられるようになったと評価したいです。学生たちには、その点は褒め、今のうちから日本語を日本語で聞き、日本語で考え、日本語で反応するように、要するに、母語を介在させるなとアドバイスしました。今のうちからそういう訓練を積んでいけば、上級になるころには素晴らしい日本語話者になっているはずだと励ましました。

授業が終わったら、やっぱりexhausted状態でした。

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12月18日(月)

9時のチャイムが鳴り終わり、「おはようございます。では、出席を取ります」と宣言した時には、Jさんの姿はありませんでした。全員の名前を呼び終わる少し前に教室に入ってきたので、かろうじて遅刻は免れました。やけにさわやかな顔をしていたので、週末の入試面接はうまくいったんだろうなと思いました。

JさんはR大学の面接で痛い目に遭っています。機先を制されたというのか、調子を狂わされたというのか、とにかく緊張させられっぱなしで、まるで実力が破棄できずに面接が終わってしまいました。話すことにかけては相当な自信を持っていたJさんですが、天狗の鼻を折られた感じでした。

ですから、その次のO大学の面接は、同じ轍を踏まないようにと、慎重に準備を進めていました。先週の金曜日に、面接の最終チェックということで、こういう場合はどう答えたらいいかなど、私にあれこれと質問してきました。私は、JさんのR大学でのことを考え、面接官のペースに乗せられるなとアドバイスしました。

その甲斐があったのかどうかはわかりませんが、私に向かって親指を立てて、「先生、今度は手ごたえがありました」とにこやかに報告してくれました。もっとも、授業が始まっていましたから、Jさんばかりをかまっているわけにはいきませんでしたが。

これから先も、G大学やK大学を受けると言っています。年が明けたらそれらの大学の出願があります。もう慣れていることでしょうから、私が世話を焼く必要はないと思います。こちらも、試験本番直前に面接練習の相手をするくらいでよさそうです。

O大学の合否は、年内ギリギリにわかります。

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レオナルドダビンチ

12月15日(金)

昔、会社勤めをしていたころ、私の課長が「便利屋をバカにしたらいかん。どんなことを頼まれてもそこそここなさなければならんのだから、それなり以上の能力を持っているってことなんだ」と言っていました。課長の上司である部長は、何かというと課長に仕事を命じていました。他にも課長はいたのに。課長が命じられた仕事の一部は、私のところに流れてきました。その際に、上述のような、愚痴とも余計な仕事を命じる言い訳ともつかぬ、うがった見方をすれば私を便利屋にしようと教育しようとしていたのかもしれない言葉を私に掛けたのでした。

午前中の授業が終わって、明日大阪の大学の面接試験を受けに行く学生に最終の指導をしていたところに、急な代講を頼まれました。面接指導が終わり、レベル担当のF先生から簡単な説明を受け、漢字の教科書を持ってそのまま教室へ向かいました。今日案も何もあったもんじゃありません。

代講の場合、学生の顔も名前も満足に知らないクラスに入るのが普通ですから、本来の先生ほど授業をスムーズに進められません。でも、だからと言って、授業の質を落とすわけにもいきません。特に、今は学期末ですから、次回以降の授業で挽回という手は使えません。

私は、一番下から一番上まで、各レベルで1学期を通して教えたことが何回かあります。ですから、「教科書のこのページ」と言われれば、どうにかできます。ここが、便利屋の面目躍如のところです。日本語授業に加えて、理科や数学までやっているのですから、まぎれもない便利屋です。

「便利屋」という言葉にはネガティブなニュアンスが伴いますが、「万能の巨匠」だと思えば立派なものじゃありませんか。私は、この仕事を楽しんでいます。

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