Category Archives: 教師

メール2通

9月8日(月)

昨日の夕方、家でメールをチェックしていたら、Yさんからメールが届いていました。さっそく読んでみると、1週間ばかり一時帰国して休養すると書かれていました。

Yさんはクラスの中で活発に発言し、クラスをリードするような存在でした。それが、メールによると精神的に参ってしまい、しばらく休みたいと言います。私には見えないところで苦労・苦悩していたようです。授業中の威勢のよさも、そうすることで精神的な落ち込みを防ごうとしていたのかもしれません。虚勢を張っていたと言ってしまえばそれまでですが、Yさん自身、どうにか自分で処理しようと思っていたのでしょう。

今朝、学校へ来てからメールを見ると、Zさんからメールが来ていました。読んでみると、今学期で退学し、帰国すると書いてありました。確かに、先月初めに面談した時、帰国するかもしれないと言っていました。メールには必要最小限のことしか書かれていませんでしたから、なぜ進学をあきらめるに至ったとか、そもそも本当に進学をあきらめたのかなどはわかりません。でも、状況証拠から見ると、何らかの理由で日本留学を断念したことは間違いないところです。

残念ながら、日本での進学を夢見てKCPに入学した学生が、全員その夢をかなえられるわけではありません。挫折する学生もいます。Yさんは進むか退くかの瀬戸際に立っています。私にはYさんを励ますことぐらいしかできません。帰国を決めたZさんに対しては、これからの幸せを祈ることだけでしょう。自分の無力さを呪います。

明日はZさんのクラスに入りますから、出席していたら詳しい話を聞きます。

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獅子ほどではありませんが

9月6日(土)

レベル1は日本語を勉強し始めて日が浅い学生が多いですからやむを得ないのかもしれませんが、テストをすると助詞を見落として誤答をしていると思われる例が目立ちます。例えば、

しゅくだいは、ボールペンを(     )でください。

という問題に、「かかない」と答えてしまうのです。空欄の前の助詞が「で」ならそれで正解ですが、この問題では「を」ですから、「つかわない」などにしなければなりません。

「ボールペン」は筆記用具ですから、「つかいます」と「かきます」だったら、「かきます」の方が親和性が高いです。だから、「かかない」したくなる方が自然だとも言えます。そういう気持ちに耐えて、助詞「を」をしっかりと目に焼き付けて、ここは「かかない」ではないと判断する…というようなステップを踏んで、正解にたどり着くわけです。思考回路の自然な流れにあえて逆らった先に正解があると言ってもいいかもしれません。

そういう不自然な思考を求めるから悪問だと言いたいわけではありません。「ボールペンでかかないでください」は、その日の授業で勉強したことの確認テストなら適しています。もう一段階上の、多少の応用力も見るのなら、「ボールペンでかかないでください」は易しすぎます。こういうテストで×を食らって、痛い目に遭い、悔しい思いをし、助詞にも目を光らせなければならないということも身に付いていくのです。

千尋の谷に我が子を突き落とす獅子ほどではありませんが、初級の先生も時には厳しく学生に当たるのです。

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母は強し

8月13日(水)

レベル1の漢字の授業で「毎」を教えました。中国語では、下半分が“母”ですから、学生たちがよく間違えます。ですから、声を張り上げて「中国の学生、よく見て」と言ってから、ホワイトボードに大きく「毎」の字を書き、注意すべきところを赤で強調しました。これだけ印象付ければ“母”を書く学生はいないだろうと思って学生の教科書をのぞき込むと、Sさんは練習問題の答えにしっかりと“母”を書いていました。

レベル1の学生に私の日本語が通じなかったのか、脳にもペンを持つ指先にも深く刻み込まれた記憶と習慣の影響から逃れるのが難しいのか、ごく自然に“母”になってしまうんですねえ。中級・上級になっても尾を引き続けるのですから、記憶と習慣が主因でしょう。「毎」は作文や例文で何回直したかわかりません。これに限っては、中国人以外の学生の方が、正答率が高いと思います。

正直に言って、「毎」の下半分が“母”でも「毎」と認識できます。「苺」の下半分が“毋”でも「苺」と認識できます。だから、上記私の指導は重箱の隅的こだわりに過ぎないのかもしれません。でも、“末”と“未”も、“己”と“已”も、“申”と“甲”も、“礼”と“札”も別字です。もちろん、“母”と“毋”も別字です。入試の漢字の書き取りでこれらを取り違えたら、文句なし×です。重箱の隅的こだわりが利いている場合もあるのです。

ちなみに、「毎」を漢和辞典で調べてみると、“髪飾りをつけて結髪した婦人”を表した象形文字だそうです。とすると、中国の漢字(日本の旧字体)が本来の姿と言えます。

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発表

7月23日(水)

学校の中は明日のコトバデーの準備で右往左往していますが、私には午前中に発表になった6月のEJUの結果を取りまとめるという仕事が入ってきました。現時点では学校経由の団体申し込みのデータしかありませんが、コトバデーが終わった翌日の金曜日からは、個人で申し込んだ学生のデータも本格的に集めます。

さて、その団体申し込みの学生の成績ですが、日本語の第1位がCさんでした。Cさんはこの3月に卒業した学生で、現在I大学に通っています。残念ながら東京から離れざるを得ませんでしたが、東京の生活が忘れられず、捲土重来を期して26年度入試に挑みます。

私はCさんに、4年間雑音の入らない環境でみっちり勉強して、大学院で東京の大学を狙えと言って送り出しました。しかし、I大学を包み込む清澄なる空気に耐えられず、濁り切った東京の水を求めて、動き始めているのです。私は、I大学に入れたのなら、EJUで高得点を取るための受験勉強なんか、時間の無駄だと思うんですが…。

最上級クラスの面々は、その次ぐらいに位置しています。でも、言わせてもらうと、ちょっと物足りないです。学生たちの志望校を考えると、Cさん並みかそれ以上の成績が必要です。H先生の所には、さっそく難しい相談が舞い込んできました。明日の準備をしながら、学生の話に耳を傾けていらっしゃいました。

現在中級かそれ以下の学生の進路相談にも乗らなければなりません。こちらは持ち点がそれほどでもありませんから、より一層厳しい話になるでしょう。

何だか、明日のコトバデーが、束の間の息抜きに思えてきました。・

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見学

6月2日(月)

私が月曜日に受け持っているレベル1のクラスには、今週、養成講座の実習生が入ります。最終日の6日(金)に教壇実習を行うことになっています。初日は見学なのですが、私の授業では見物にこそなれ、見学にはなりません。しかも、進度の都合上、教師主導で進める授業でしたから、学生から発話を引き出すという理想の形からは程遠い授業となってしまいました。しかし、今ここで進度を稼いでおかないと、教壇実習が予定通りにできないという、ジレンマみたいなものにも陥っています。

案の定、学生たちは後半になると疲れてきて、集中力が落ちてしまいました。スマホをいじったりコーラスに参加しなくなったり、悪い授業の見本みたいな様相を示してきました。こんなことなら、授業の最初が定位置の漢字を、授業の中ほどに持って来て気分転換を図るという手もあったかなと思いましたが、もはや手遅れでした。

そんなさんざんな授業でしたが、実習生のTさんにとっては驚きの連続だったようです。私たちが何気なくやっていることでも、外の人から見ると想像を絶する展開に映ることはよくあります。そういう展開が実習生や見学者の勉強になるかどうかは別として、今まで座学で学んできたことを教室で応用するとこうなるのかと感じているのではないでしょうか。

Tさんは休み時間にクラスの学生に声をかけて、コミュニケーションを取っていました。学生たちの日本語力を肌で知ることは、Tさんにとっては予定戦場を確認する意味もあります。ここは丘になっているとか窪地だとか、川が流れているとか地盤が固いとか、しっかり見て回って、勝利を手にしてもらいたいです。私のような姑息な戦法ではなく、堂々と正攻法で。

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持ち込み可

5月13日(火)

あさっては中間テストです。私が担当している最上級クラスでは、読解は教科書持ち込み可としました。最上級クラスですから、読解の問題文も長文になります。それだけの文章を入力するのも労力が非常にかかりますし、それを印刷する紙だってかなりの枚数になります。それを無駄だとまでは言いませんが、効率的だとは思えません。だから、教科書持ち込み可としたのです。

個人の教科書ならいろいろな書き込みがなされているのではないかと指摘する人もいるでしょう。でも、その書き込みは、その学生が授業をまじめに聴いていた証です。それを参考にして答えて高得点を挙げたとしても、授業をきちんと聞いていたか、ちゃんと参加していたかをチェックするという、中間テストの実施目的は達成されます。大学入試やJLPTみたいな試験ならそうはいきませんが、学校の定期試験は授業内容の理解度を見る試験ですから、これでいいのです。

でも、問題の作り方は変えなければなりません。穴埋め問題や並べ替えの問題は意味がありません。できれば学生の書き込みが生きるような問題を出してあげたいです。入力の手間が多少省けた分以上のロードがかかるかもしれませんが、これはかける価値があるロードではないかと思っています。

学生たちには、中間テストの読解は教科書がないと問題が解けないと、くどいほど伝えました。明日もダメを押してもらいます。そして、書き込みはいくらしておいてもいいとも言ってあります。これを聞いてわざわざ書き込みを付け加える学生がいるかどかわかりませんが、果たしてテストの結果はどうなるでしょう。

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何か飲まない?

5月12日(月)

「何か飲む?」「うん、飲む」。この会話に現れている2つの“飲む”は、明らかにイントネーションが違いますよね。?付きの方は、語尾でいったん下がったのちに上がって終わりますが、答えの方は下がったままで終わります。この違いは、教科書の文字を読んだだけではわかりません。実際の会話での発音を聞いたり、自分で話してみたりしないと身に付くものではありません。同様に、「何か飲まない?」「ううん、飲まない」(という会話が実際になされることはほとんどないでしょうが)における2つの“飲まない”も、イントネーションによって意味と役割の違いを表しています。「何か飲む?」ができたら、「何か飲まない?」も正しいイントネーションで発話できるでしょう。実際、私のクラスの学生たちは、ガイジンっぽくないイントネーションで話せるようになりました。

では、「何か飲む?」と「何か飲まない?」は何が違いますか。この2つ、レベル1の教科書にほぼ同時に出てきました。学生たちは、私の真似をしてイントネーションはどうにかできるようになったものの、“意味は?”と聞かれると、お手上げです。知っている単語をかき集めて、“丁寧”とか“気持ち”とかと答えますが、それだけでは言わんとしていることがさっぱり伝わってきません。

簡単に言ってしまうと、「何か飲む?」は「あなたは何か飲みますか」であり、「何か飲まない?」は「(一緒に)何か飲みませんか」です。こういう説明を、身振り手振りも交えてしたら、ある学生が「誘う?」などという、レベル1らしからぬ難しい言葉で聞き返してきました。速攻でスマホを見たのかもしれません。たとえそうだとしても、こちらの意図が伝わったことは確かですから、「うん、そうだね」と言って、さらに使う場面を与えました。

文字だけで勉強すると、上級になっても「何か飲まない?」が使えません。そういう芽をしっかりつぶしておくのが、初級の教師の役割です。

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わたしはできる?

4月9日(水)

今学期は、月曜日と水曜日がレベル1のクラスの担当です。レベル1は、言うまでもなく、大半の学生が新入生で、先学期成績が振るわずに進級できなかった学生がぽつりぽつりといる程度です。したがって、顔と名前が一致する学生はいません。プレースメントテストの結果を調べれば、誰ができそうとかあぶないかもしれないとかが、多少は見当が付きます。でも、リーダーシップがあるとか細かいところによく気がつくとか飽きっぽいとかわがままとか、性格的なところは皆目わかりません。“前学期担当の先生”というのがいませんから、引継ぎもありません。予備知識なしで授業に臨むわけです。そういう意味で、最初のうちは授業を組み立てるのに苦労します。

とはいうものの、授業でやり取りを進めていくと、そういったことが自然に見えてきます。まず、こちらは「こんにちは」とあいさつしたのにスマホを見続けているような学生は、要チェックです。出席を取る際に、手をわずかに上げるだけで返事をせず、目も合わせようとしない学生に対しても、警戒信号をともします。こういった見かけ上のアラームは、その後さらに突っ込んで見ていくと解除されることもよくあります。

Kさんは出席を取った時点で要注意リストに名前が載った学生です。連絡事項を伝えてから、昨日の宿題を回収しました。清音、濁音、半濁音のひらがなを書いてくることになっていました。ひとりひとりから用紙を集める時も、Kさんから受け取った用紙に素早く視線を走らせると、ひらがなから若干の違和感がにおいました。その直後、ひらがなのディクテーションをしました。単語を読み上げながら学生の字を見て回ると、なんと、Kさんは半分ぐらいのマスが空欄でした。音声と文字が一致していないのです。宿題は家で時間をかけてやりましたからどうにか乗り切れたものの、聞き取ってすぐに書かなければならないディクテーションとなると、お手上げだったのでしょう。もはや、第一級、いや、超特級の要観察学生です。授業後、事情聴取をしようと思っていたら、あっという間に消え去ってしまいました。警戒レベルは、さらに上がりました。

宿題をチェックしたり日報を書いたりした後、引継ぎを兼ねて担任のN先生に報告すると、Kさんは、昨日、レベル1ではなくレベル2のクラスに入りたいと言ってきたそうです。日本人の友達がいて、すでにアルバイトも始めているとか。日本人の友達とは、雰囲気や勢いでコミュニケーションができてしまうのでしょう。でも、KCPでの勉強は、それではすみません。日本での進学を希望しているのなら、なおさらのことです。

できるだけ早くKさんの発想を変えさせてあげないと、悲惨な運命が待ち受けています。

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背中

4月8日(火)

お昼少し前、先日この稿で取り上げたYさんが帰国の挨拶に来ました。明日、帰国するそうです。国で就職先が見つかったとのことですから、こちらもホッと一息というところです。ずっとYさんを見てきたK先生は、学生を引き連れて、4月期の始業日恒例ともいえる御苑の花見に出ていました。Yさんに初級の学生への通訳などでさんざん助けてもらったM先生も、午前中は授業でした。30分ばかり待ってもらい、2人の先生が職員室に戻ってくる頃合にまた来てもらいました。

K先生とは、長い時間話していました。いろいろと積もる話があったのでしょう。努力は、日本での進学という当初の夢をかなえるという形では実を結びませんでしたが、Yさんは、表情を見る限り、別の形で実を結ばせたのかもしれません。K先生にそんな話をしているようにも見えました。そして、午後の授業が始まる少し前に、笑顔で手を振りながらKCPを後にしました。

吹っ切れたと思っちゃっていいのかなという気はしましたが、Yさん、あなたにとってKCPで勉強した月日は、決して黒歴史じゃないですよね。お土産の紙袋を差し出したその手で何かをつかみ、そしてそれを握りしめていますよね。今年もあなたのようなすばらしい学生にめぐりあい、立派に育て上げたいと思っています。

Yさんの姿を目にするのも、おそらくこれが最後でしょう。でも、明るい色合いのスプリングコートをまとって新たな道に第一歩を踏み出そうとしているYさんの背中を、そっと押してあげたくなりました。

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成長

4月3日(木)

3月で上級の多くの学生が卒業していきましたから、今学期は初級のクラスを中心に入ります。初級はカリキュラムを変え、それに合わせて教科書を変え、教えるスタイルも変え、以前とは様相がだいぶ違っています。昨年10月期に週1日だけレベル2に入りましたから、ある程度の見当はつきます。しかし、今学期はレベル1と3にどっぷり入りますから、かなり気を引き締めてかからねばなりません。

午後から、その打ち合わせがありました。レベル担当のO先生から、新しい教科書を使った授業の進め方の手ほどきをしていただきました。口頭説明だけでしたから、なんとなくわかった気にはなったものの、実際の教室で、こちらの思い描いたとおりに学生が反応してくれるだろうか、本当についてきてくれるだろうかなど、不安もいくらかあります。

O先生が強調していたのは、3か月続ければ学生たちは変わるということでした。学期の最初のうちは、例えばシャドーイングも満足にできなかったのが、期末テストの頃には余裕でできるようになるとのことです。そういう成長が実感できるのは、教師としては非常に楽しみです。差も授業をやり慣れているかのごとく振る舞いながら、学生の変化を味わっていくことにしましょう。

夕方、数年前の卒業生のHさんが来ました。明日、帰国するそうです。日本企業の支社で日本語を使って仕事をするそうです。Hさんは、私のクラスの時は、本当によく寝る学生でした。EJUを日本語しか受けなかったという痛すぎるミスを犯したため、本来の志望校とはだいぶ違うところに進学したものの、大学で大きく伸びたんでしょうね、一流と言っていい会社に就職しました。そして、今回の転勤というわけです。卒業後もどんどん成長している(元)学生を見るのは、心が躍るものです。

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