Category Archives: 教師

採点

9月27日(金)

昨日の期末テストの読解を採点しました。一番熱心に授業に参加しているJさんが一番いい成績だったという、実にまっとうな結果となりました。授業中もスマホを握りしめている学生たちは、軒並み沈みました。教科書の文章に集中しなければならないのに、右手の指先にばかり神経が行ってしまっていたら、頭の中には何も残りませんよ。

全体的なことを言うと、学生たちは質問文をよく読んでいないんだなということがわかりました。“当時”とはいつのことですかと聞いているのに、“大学生の私”などと答えてしまった学生が1人や2人ではありませんでした。せめて“私が大学生の時”と答えてくれたら、部分点はあげられたのですが…。授業では“筆者が大学生だった時”と教えたような気がするんですが、耳よりも指先に精神を集中していたら、そんなことは覚えちゃいませんよね。

比較的よくできたのは、本文から言葉を選んでくる穴埋め問題でした。これだって、できない学生はとんでもないところから言葉を引っ張ってきたり、5文字分ぐらいのスペースしかない解答欄に無理やり本文1行を押し込もうとしたり(その1行の中のキーワードを答えてほしかった)と、やりたい放題をしてくれました。かなり好意的に採点しましたが、それでも点をあげられない答えがザクザク出てきました。

こんなふうに学生に対して愚痴をこぼしたくもなりますが、こちらにも改めるべき点がなかったかと反省もしています。各段落の、文章全体の肝をつかませるにはどうしたらいいか、これは永遠の課題です。また、Jさんの授業の受け方を、次の学期の学生たちにいかに伝えるか、そして実践してもらうかということもそうでしょう。

今度は、新学期までの期間が短いです。その間に態勢を立て直さねばなりません。

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フル回転

9月26日(木)

学校的には期末テストでしたが、私は養成講座の新しい受講生に文法の講義をしました。普段日本語の文法など意識したことのない人たちに日本語文法の発想法を植え付けていくのが、この文法の講義の主たる役割です。今までとは違う角度から、自分の使っている日本語を見つめ直してもらう、と言ってもいいでしょう。

可能動詞の説明をした後、「さあ作ってみましょう」と動詞を示して作ってもらうと、予想通り、“来れます”“食べれます”という答えが返ってきました。「9割がたの日本人がこう言っていると思いますが、日本語の教科書ではそうなっていないんですねえ」と訂正を求めましたが、“来られます”“食べられます”がなかなか出てきませんでした。それだけ、“来れます”“食べれます”ががっちり定着しているのだと感じさせられました。おそらく、学校の国文法の時間に“来られます”“食べられます”と習ったことはすっかり忘れているのに違いありません。いや、そう習う前から“来れます”“食べれます”と言っていたはずですから、“来られます”“食べられます”と先生が言っても意識されなかったのかもしれません。

ここで説明すると長くなりますから省略しますが、“来れます”“食べれます”は、可能動詞の作り方として合理的な面もあります。上述のように大半の日本人の支持も得ていますから、何がなんでもダメと否定するつもりはありません。でも、教科書が“来られます”“食べられます”となっているのに、教師が“来れます”“食べれます”と言っていたら、学習者は混乱するだけでしょう。

“来られます”“食べられます”に限らず、これから驚くことばかりだと思います。講義終了時に受講生に感想を聞いてみたら、「頭がフル回転しています」と言っていました。次回は来週ですが、しばらくはフル回転を続けてもらいます。糖分をたっぷりとって、脳が栄養十分の状態で講義室にいてくださいね。

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傘を刺す?

8月2日(金)

「漢字は、みなさん、予習してきましたね。調べてもよくわからなかったことがあったら質問してください」と漢字の授業の最初に声をかけると、何人かの手が挙がりました。「泥棒すると盗むは同じですか」「泥酔すると酔っぱらうは同じですか」「刺すは傘にも使いますか」「殺人的は激しいですか」「棒読みはどんな読み方ですか」「足が棒のようになるはどうなるんですか」「殺菌作用の作用と機能は何が違いますか」「日本は1年に何人ぐらい自殺者がいますか」…といった具合に湧き上がってきました。みなさんはいくつ答えられますか。

このクラスでは、質問したら答えるけれども、質問がなかったことには答えないということにしています。質問しなかったことがテストに出て答えられなかったら自業自得になってしまいますから、学生たちも本気にならざるを得ないのでしょう。少なくとも、知りたいという気持ちのある学生には、手応えを感じてもらっているのではないでしょうか。そういう学生にこそ、伸びてもらいたいですからね。

もちろん、学生が質問しなかったことは全く教えないというわけではありません。学生が気付かなかったこと、知っておいた方がいいことには、こちらから触れます。「泥を塗る」「棒グラフ」「盗難はあうと一緒に使う」「強盗はごうとうであり、きょうとうではない」などということを付け加えました。

このやり方は、毎回想定外の質問が出てきますから、教師も緊張を求められます。上述の質問だと、作用と機能の違いがその例でしょうか。このスリルを味わうのが授業の醍醐味だとも思います。

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教師も勉強

6月15日(土)

学生たちは、自分たちは、KCPのテストから入学試験やJLPT、TOEFLまで、日々いろいろな試験があり、毎日勉強しなければならないのに対し、先生たちは自分たちをいじめるテストを作るばかりで、授業も毎学期同じことを繰り返せばよく、あまり勉強しなくてもいいと思っている節があります。

いいえ、決してそんなことはありません。土曜日なのに、いや、土曜日だからこそ、勉強会がありました。ほぼ全員の教師が集まり、日本語教育を専門としている大学の先生のお話を聞き、その後そのお話に基づきグループに分かれてディスカッションをしました。議論が盛り上がり、有意義な勉強会でした。

現在、KCPはカリキュラムを改訂しようと考えています。少しずつ新しいカリキュラムに移行しつつある段階です。その新しいカリキュラムにのっとった教育を円滑に実施していくには、勉強しなければならないことが山ほどあります。勉強会にはこういう背景があるのです。

平日は、授業やら学生指導やらに追われて、勉強する時間がなかなか取れません。それに加えて、私は代講が利かない授業をいくつも抱えていますから、外部の講習会に参加することもままなりません。ですから、大学の先生のお話は刺激的であり、頭の隅々にまで血が巡ったような感じがしました。

教師も勉強をしていますが、やっぱり学生の勉強量にはかないませんね。日中、2階のラウンジで、Cさんなど数名が、明日のEJUに備えて問題集に取り組んでいました。もはや、私たち教師には、学生たちが実力を遺憾なく発揮できるようにと、祈るよりほかにできることはありません。

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みもの

6月7日(金)

新任のT先生の授業見学をしました。今学期はもうすぐ終わりですが、新学期に向けてどんなことに力を入れて研究していただくか、そんなアドバイスができればというわけです。

上級クラスですから、JLPTのN1を意識した授業でした。T先生はきちんと教案を立て、学生に示す例文も考えてきていました。不正解の選択肢についても説明が加えられるよう、例文が作ってありました。私なんかの数倍、いや、数十倍も計画的に授業を組み立ててきていました。

けれども、授業の進行が硬いんですねえ。教案通りに授業が一歩ずつ前へ前へと進みます。でも、そこまでです。教科書はどんどん先へ行くんですが、ゆとりがありません。

Sさんが、教科書の例文中の“見物客”を“みものきゃく”と読みました。T先生は「“けんぶつきゃく”と読んでください」と注意して、問題の答えの解説を始めました。私だったらここぞとばかりに脱線します。“みもの”と“けんぶつ”の違いを、これでもかというほど、でもSさんいじめにならない程度に語るでしょうね。

私の場合、隙あらば脱線するという根性で授業していますから、T先生が“みもの”をスルーしたのがもったいなくてたまりませんでした。脱線と言いますが、学生に印象付けようと思っているのです。学生の1人でも2人でも、“みもの”と一緒にその文に出てきた文法を覚えてもらえたらそれでいいのです。

T先生の教案はきっちり設計されていますから、“みもの”が入り込む余地がありません。それが、授業の硬さとして表れているように感じました。でも、川越でのT先生は、このクラスの学生たちに慕われているようでした。きちんと教えてくれるという誠実な姿が、学生たちに信頼感を与えているのでしょう。

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新顔

1月17日(水)

今学期は水曜日が初級クラスの日です。代講として、いわばパートのオジサン的に入るのではなく、クラスの担当教師として入るのですから、学生をきちんと把握していかなければなりません。

このクラスの学生で顔と名前が一致するのは、わずかに1名。先学期、初級の大学進学授業に参加していたGさんだけです。しかし、Gさんはいじられキャラではなさそうですから、Gさんを転がしながら文法導入というわけにはいきそうもありません。それなら正攻法で行くしかないかと思っていたら、Lさんがいい味を出してくれました。Lさんを使いながら授業を進めることにしました。ほかにもTさんやNさんなど、頼りにできそうな学生が何名か見つかりました。このクラスは、こういった面々を軸に授業を組み立てていけそうです。

今学期担当するレベルは、名詞修飾、“たらても”、“んです”、意向形、各種補助動詞など、文の方向性を決める大技から、肝心なところでピリリと利く小技まで、中級以降の日本語力伸長に大きな影響を与える項目が目白押しです。初級でこの辺をいい加減にごまかしてきたから中級以上で苦労している学生を、山ほど見てきています。このクラスの学生にはそんな道に進んでほしくはないですから、こういうところが今学期の運命の分かれ目だよという形で、多少の脅しもかけておきました。

初級の授業は、詳しい説明をするよりも、印象を残すことの方が重要です。初回もそう思ってあれこれやってみましたが、どうだったでしょう。

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力を合わせて

1月11日(木)

始業日はどの先生も、新入生に追加のオリエンテーションをしたり、お情けで進級させた学生に出した宿題のチェックをしたり、忙しく立ち回ります。私は、新入生に日本語プラスの登録をさせました。オリエンテーションは昨日の入学式の後に済ませていましたが、どの受験科目を取るかなどの手続きをしてもらいました。

そういうデータを入力していたら、Kさんに呼ばれました。実は、Kさんは昨日私に電話で、年末に合格したO大学の手続き締め切り日が迫っているが、手続きがうまくできないと相談を持ち掛けてきました。期末テストの翌日ぐらいに一時帰国し、昨日戻ってきたら「あっ、締め切り日!」となってしまったのです。

そもそも、相談先を間違えています。入学金の振り込みがうまくいかないなどと訴えられても、私にはどうしようもありません。O大学に電話して事情を説明し、頭を下げまくって、振り込み方を説明してもらうなり、締め切りを延ばしてもらうなりしてもらうことこそ、まずなすべきことです。そんな伏線があったのです。

どうやら光が見えたようで、Kさんも昨日の湿っぽくとがった声ではなく、明るい笑顔で私を呼びました。話を聞くと、予想通りO大学との交渉は順調で、お金関係のやり取りも進んでいるようでした。もう1校G大学も受験しますが、行先が確保できていますから、力を存分に出して戦えることでしょう。

考えてみれば、この騒動の根本は、入学手続きをほったらかして一時帰国していたということです。やるべきことを片付けてから一時帰国するとか、クリスマスを家族と過ごすならお正月を端折って日本に早く戻るとか、それが受験生として取るべき態度でしょう。

1月期は、クラスの学生をどこかにどうにか押し込むことが私たちの役割です。そのためには全力を傾けます。でも、学生の側にもしかるべき行動をとってもらわないと、このプロジェクトはうまくいきません。学生と教師の協力態勢があって初めて、お互いの願いが成就するのです。

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教師の敵

12月21日(木)

先週から今週にかけて、日本語教師養成講座で「評価・テスト」というタイトルで講義をしています。日本語に限らず、教えたらテストをし、その結果を評価するのが教師の仕事ですからね。

一口にテストと言っても、JLPTみたいな何十万人もの受験生がいるものから、KCPのクラスで行う20人ばかりのもの、あるいはアメリカのプログラムできている学生に実施しているオーラルテストなら1対1という小規模なものまで、種々雑多です。また、入学試験のように合格不合格を判定するテストもあれば、KCPの漢字復習テストのように満点が当然というテストもあります。しかし、どのテストも受験者の日本語力(読解力、語彙力、スピーキング力、…)を正確に把握することを目的としている点は変わりません。

私もそう考えて、できる学生しかできない問題から、できない学生でもできる問題まで組み合わせて、1つのテストを作ってきました。また、学生が勘違いや誤解を起こさないように質問文を考えたり、こちらの意図する答えが出るように問題文や解答欄を工夫したりしてきました。

ところが、ここに受験テクニックというものが立ちはだかります。これを使えば、読解本文の内容を理解しなくても答えが導き出せたり、選択肢を見ただけで答えが浮かび上がったりしてきます。これでは本当の日本語力を測定したことにはなりません。読解力がなくても読解テストでいい点が取れたら、その瞬間の学生はうれしいでしょう。しかし、そんな読み方ばかりしていったら真の読解力がつかないので、進学してから苦労することになります。N1やN2に合格しても、EJUで高得点をあげても、日本語がさっぱりわからない学生がいるのは、こんなところにその原因の一端があると思います。

私もそんな受験テクニックを教えることがありますから、被害者面ばかりはできません。いずれはこんなテクニックなしでも日本語を受け止められる人になってもらいたいです。

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ペットボトル

10月13日(金)

学生がみんな出た後、教師は教室をざっと確認します。机の中をのぞいて忘れ物がないか見ます。机の中に限らず、教室中を見まわします。もちろん、授業の最後に忘れ物がないかどうかよく見てから帰れと注意します。傘の忘れ物はそのまま傘立てに置いておきますが、机の中に突っ込まれたごみは回収するほかありません。次に教室を使う学生たちにも気持ちよく使ってもらいたいです。ごみに紛れて、返却したテストや宿題が丸まっていることもあります。こういうテストや宿題は、概して成績が悪いですから、他のクラスの学生には見せるわけにはいきません。このクラスの恥です。これも回収して、翌日の先生から説教の上、本人に渡していただきます。

午後の授業が始まって受付が落ち着いた頃、Eさんが来て、「教室にペットボトルを忘れたんですが、届いていませんか」と尋ねられました。水筒ならきちんと回収して翌日本人に返すようにしていますが、飲みかけのペットボトルは、回収して中身を流してボトルも捨ててしまいます。大量生産の飲み物なら翌日誰のか聞いてもわからないでしょう。翌日まで取っておいたら、中身が発酵してそれを飲んだ学生がお腹を壊したなどということも起こりかねません。すぐお腹が痛くなって休む学生たちですから。

そういうわけで、Eさんのものらしいペットボトルもありましたが、すでに処分してしまいました。そう伝えると、たった一口しか飲んでいなかったのにと、盛んに残念がりました。そんなに残念がるのなら、なおさら机の中や周りをよく見て、忘れ物をしないようにしておいてもらいたかったです。

おとといは、Wさんが財布を丸ごと机の中に置いて帰りました。本人も気づいて、メールを送ってきました。飲み物なら100円台ですが、Wさんの財布は、カードも入っていましたから、全財産だったかもしれません。こういう忘れ物は困りますが、1学期に何人かいるんですよね…。

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役得

9月19日(火)

レベル1のクラスは、「~たり~たりします」でした。基本的な練習をした後、Cさんに「昨日、何をしましたか」と聞きました。「洗濯したり買い物したりしました」とでも言ってくれたら十分でしたが、Cさんは小説をどうのこうのと言い始めました。「小説を読みましたか」と聞くと、首を振ります。「じゃあ、小説を書きましたか」と聞いても違うようでした。Cさん自身、自分の訴えたいことが日本語にできず、もどかしい思いをしているようでした。

レベル1だと、いくら学期末だとはいえ、知っている単語の数が非常に少なく、頭や心の中を表現するには全く不十分です。Cさんもまさにその例で、結局私はCさんの思いをくみ取れず、Cさんは言うのをあきらめてしまいました。授業の進行上も好ましくなく、気まずい雰囲気をごまかしながら次に進みました。

後刻、別方面からの情報で、Cさんはいろいろな小説を読んで、自分の小説の構想を練るのが好きなようです。それを昨日したのでしょうが、そうだとしたらレベル1で一番よくできる学生でも日本語で表現することはできないでしょう。中級レベルの力が必要です。

このように、初級の学生は、多かれ少なかれ、自分の言いたいことが教師に伝えられず、隔靴掻痒の思いをしてきました。翻訳ソフトでだいぶ解消されてきたとはいえ、学生から見ても教師から見てもまだまだの部分が多分にあるに違いありません。Cさんにしたって、翻訳ソフトを頼ったにせよ、それを「~たり~たりします」に落とし込むことは難しかったのではないでしょうか。

来週の月曜日が期末テストですから、このクラスの授業は今回が最後です。「今度は中級か上級の教室でみなさんに会いたいです」と言って締めくくりました。中級になったCさんは、休日にしたことをどう表現するのでしょうか。今から楽しみです。そう、こうして種をまいておくことが、初級の授業の役得なのです。

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