秀作ぞろい

7月18日(金)

15日(火)の選択授業・小論文の時間に学生に書いてもらった小論文は、忙しくてなかなか読む時間がなかったのですが、放置3日目にしてやっと読むことができました。

先学期の選択授業・小論文は、何回注意しても原稿用紙の使い方がいい加減でした。そこで、今学期は、初回に原稿用紙の使い方をたたき込み、実際に書いてみて身に付けてもらおうと計画しました。ですから、初回のテーマは地球温暖化防止対策という、上級の学生にしてみればすでに何回も話し合ったり意見を書いたり発表したりしたことのあるものにしました。学生たちにも、内容の良し悪しよりも、原稿用紙の使い方に重きを置いて採点すると言っておきました。

読んでみると、原稿用紙の使い方そのものにミスがあった学生はごく僅かでした。口うるさく言った成果だと思いたいです。その代わり、誤字や誤解を生むような字形が目立ちました。これは、原稿用紙の使い方のミスがなくなったために浮かび上がってきたのかもしれません。原稿用紙の使い方はAでした。

語彙のレベルを上げるようにという注意もしておきました。こちらは多少怪しいのもありましたが、総じて言えば十分合格点があげられます。文法や語彙の誤用もあまりなく、読みやすかったです。

じゃあ内容はというと、これも水準以上でした。学生の頭の中に地球温暖化問題のネットワークができているのではないかと思いました。授業でさんざん取り上げられてきたテーマですから、それに関する文章を読んだり映像を見たり聴解問題として聞いたりしたことがかなりあるはずです。それを通して得た知識やデータなどが堆積し、活用できるまでに熟成していると見たいところです。

地球温暖化に関してはそうだとしても、実際の入試で今さら地球温暖化問題を取り上げる大学は少ないのではないでしょうか。他のテーマに関してもこれくらい書けるようになるには、地球温暖化と同じくらい時間と手間をかけて学生を鍛えなければならないのかもしれません。

学生が初めて取り組むテーマを与えたら、原稿用紙の使い方も語彙のレベルも文法も軒並みC以下になってしまうのでしょうか。そうすると、文字は日本語だけど文章は日本語ではないという“力作”にまみれる日々が麻痺構えているのかもしれません。

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わからない

7月17日(木)

「先生、Kさんは珍しい人ですね。日本語が全然上手になりませんよ。熱心に質問するのはいいんですが、何言ってるか全然わかりません。だから、質問されるとマーカー渡してホワイトボードに書いてもらうんです」と、数学のS先生がぼやいていました。

私の化学と物理の時間にもKさんは質問しますが、質問内容がわからないということはありません。私の答えを聞いているKさんの様子を見る限り、私の答えはKさんにとって的外れではなく、質疑応答が成り立ち、コミュニケーションも取れていたことになります。

S先生と私の最大の違いは、日本語教師であるかどうかです。つまり、Kさんの日本語は、日本語教師には通じますが、そうでない人には通じないのです。日本語教師は日々不完全な日本語にまみれて鍛えられていますから、一般の方には理解できない、ひどい発音やめちゃくちゃな文法もわかってしまうのです。

Kさんは決して不真面目な学生ではありません。出席率も100%です。授業中にいい加減なことをしているとは思えません。話す練習だって、一生懸命やっているでしょう。それでも、一般人のS先生には通じない日本語しか話せないのです。

だとすると、Kさんの資質ではなく、KCPの授業のあり方の問題なのかもしれません。確かに、私たちの授業をきちんと受ければ、大部分の学生は普通の日本人にも通じる話し方ができます。しかし、Kさんのような取りこぼしも出てしまっているのです。

Kさんは今年受験です。面接や口頭試問が待ち構えています。面接官、試験官は日本語教師ではありません。今のままでは、ここで点を稼ぐことは期待できません。どうにかして、この山を越える力をつけさせるのが、私たちの仕事です。

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どんな建築?

7月14日(月)

午後、Pさんが職員室の入口から、文字通り顔を出して、私を呼びました。今週から始まる日本語プラスの受講について相談したいとのことでした。

Pさんは建築の勉強がしたいです。しかし、高校を卒業してからしばらくは足りていたこともあり、高校で勉強した理科や数学を忘れてしまいました。化学は何とか暗記で行けそうだけど、物理はそれじゃ無理そうだから、日本語プラス物理を受けたいと言います。その前に、日本語プラス物理でどんな勉強をするのか知りたいというので、授業で使うパワーポイントの一部を見せながら、こんなことを勉強した記憶があるかと尋ねました。あるところはうなずき、別のところは首を横に振りという具合でした。

そして、数学や物理を勉強しないで入れて建築が勉強できる大学はないかと聞いてきました。この質問、毎年誰かがします。デザイン寄りの建築ならそういう大学もあります。しかし、耐震建築みたいな建築なら、物理も数学もしっかり勉強しておかないと、大学の授業にはついて行けません。

この点をPさんに確認すると、デザイン系の建築だと言いますから、具体的にB大学の入試科目を示して、これならPさんにも十分可能性があると励ましました。でも、そういう大学に入ったら、将来役に立つ建築の勉強ができるのだろうかと、別の心配が頭をもたげてきたようです。

こうなると、気が済むまで悩むのが一番の解決法ではありますが、来年4月に進学しなければならないPさんに、そんな余裕はありません。文転しようかなどと言い始めたPさんの尻を叩いて、物理の勉強もする、B大学も受けてみるという方向で話をまとめました。

今学期は、こういう相談が次々とやってくることでしょう。

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2000円?

7月11日(金)

教室の学生に「お米、いくらで買っていますか」と聞いたら、5キロで3880円、3450円などという声があがりました。税込みなのか税別なのかわかりませんが、4000円を少し切るくらいが相場のようです。「高いと思う?」と聞くと、高いという声ばかりでした。「いくらぐらいがいい?」と、学生にとっての適正価格を聞くと、2000円と返ってきました。今の買値の半値ぐらいです。

そんなやり取りをして、ニュースの映像を見せました。米不足の原因を探るニュースです。老舗の米屋が売る米がなくなり廃業したとか、農協の倉庫にも米がないとか、その農協が農家を回って米をかき集めているとか、そんな話が続きました。そして、農家の方が、「肥料代も人件費も燃料費も上がっているので、今の米価では全然もうけがない」とぼやくシーンが出てきました。

そんな映像を見て、農家がもうかるように米価を決めたらいくらぐらいになりそうか、学生に聞いてみました。すると、4500円などという意見が出てきました。そこで、4500円の米を買うかと聞くと、みんな買わないと答えました。「じゃあ食事はどうするの?」「パンを食べる」「そうすると、日本文化はご飯じゃなくてパンになるの? 刺身を食べる時もパン?」「農業を機械化すれば人件費がかからなくなる」「でも、さっきの映像で見たでしょ。広い田んぼを1人のおじいさんが機械で田植えしてたじゃない。機械化は進んでるし、人件費もそう簡単に減らないよ」「…」「パン文化にならないようにするには、どうしたらいい?」「政府がお金を払って米の値段を下げればいい」「そのお金はどこから来るの?」「税金」「じゃあ、消費税が15%とか20%とかになってもいい?」「…」「日本は福祉や少子化対策にもお金がかかるよ。そうなると消費税は15%どころか50%になるかもしれないよ。あんたたち、それでも日本に留学する? 大学卒業したら日本で働く?」

今すぐこんなことにはならないでしょうが、日本はそちらに向かって歩み続けていることは確かです。どうすれば米作りをする農家も私たち消費者も幸せになるのでしょう。選挙を戦っている候補者のみなさん、真剣に考えてますか。

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雨のおかげで

7月10日(木)

東京は6時過ぎから18ミリの雷雨がありました。雷の音だけ聞いていると、新宿ではもっと降ったような気もします。この雨とそれを降らせた寒気のおかげで、日中よりも気温が10度も下がりました。朝の最低気温は26度台だったのに、今の気温は23度台です。今夜は、少しは寝やすくなるでしょうか。

ここ数日、最高気温が35度前後の日が続いていましたが、明日以降は30度を下回るという予報が出ています。そうなってくれると、午後の授業が楽になります。実は、昨日もそうでしたが、午後授業の教室は暑いのです。教室のエアコンの設定を23度とかにしても、とても23度とは思えない生ぬるい空気が吹き出してくることがあります。各教室でエアコンを強力な設定にしますから、校舎全体としての冷房能力が追い付かないのでしょう。教室には若さの塊のような、熱をいっぱい放散しそうな学生たちが大勢いますから、弱々しい冷房では熱の方が買ってしまうのです。一方、職員室は年寄りばかりで、しかも人口密度も教室ほどではありませんから、設定温度をそれほど下げなくてもそこそこ涼しいです。

気温が上がらないのは結構なことですが、そうすると学生の風邪が心配です。昨晩までの熱帯夜と同じ調子でエアコンをガンガンに利かせて、上に何も掛けずに寝たら、やられちゃうでしょうね。学生は意外とひ弱ですから。今朝、「熱中症かもしれない」と欠席メールを送ってきたSさんは、今晩は健やかに寝られるでしょうか。それとも風邪への道をまっしぐらということになってしまうのでしょうか。

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7月9日(水)

今学期も、水曜日はレベル1です。このクラスには、よくできるけど授業にあまりまじめに参加しない学生がいると引継ぎがあり、ちょっといじめてやろうかなと思って教室に入りました。

うわさ通り、Aさんはコーラスの際に口を開きません。でも、指名するとすらっと答えます。隣の人とのペア練習では、相手になったCさんに引っ張られて、会話をしていました。「隣の人じゃない人と練習してください」と指示すると、練習相手を求めて教室中を歩いていました。でも、やっぱり、つまらなそうな表情でコーラスに参加しない様子を見ていると、何かツッコミを入れたくなります。

少し複雑な自己紹介の練習をする時です。AさんとCさんにモデル会話をしてもらいました。

C:はじめまして。Cです。先月、アメリカのボストンから来ました。

A:はじめまして。Aです。先月、アメリカのシカゴから来ました。

と、こちらの計算通りの会話をしてくれました。そこで私が乗り出して、「Cさん、言いました。「先月、アメリカから来ました」。Aさん言いました。「先月、アメリカから来ました」。いいですか」とクラス全体に聞きました。大部分の学生はポカンとしていましたが、勘のいいPさんが、「私も」と自信なさげにつぶやきました。

それを待っていたのです。助詞“も”は、昨日勉強しました。Aさんの立場で、“も”を使ってほしかったのです。「私も先月、アメリカのシカゴから来ました」とした方が、親しみが感じられます。“も”を使うことで、あなたと私は同じだよという親近感がにじみ出てくるのです。初対面では、この親近感が大切です。

Aさんがさすがなところは、Pさんの「私も」を聞いて、すぐに軌道修正できるところです。言い直して、めでたくモデル会話の役を果たしてくれました。

君はよくできるけど、まだまだ勉強しなければならないことがたくさんあるよ――という、私からのメッセージは届いたでしょうか。

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読む難しさ

7月8日(火)

今学期は、火曜日と金曜日に、上級に進級したばかりのクラスを担当します。まだ上級2日目ですから、なんちゃって上級です。例えば、みんな張り切って読解の予習をしてきましたが、それがまだまだです。語彙リストに従って意味や漢字の読み方を調べてきた点は評価しますが、品詞まで調べてきた学生はほとんどいませんでした。「この中で“する”をくっつけて動詞になるのはどれ? “な”をくっつけて形容詞になるのはどれ?」と聞いてみても、すぐには答えは返ってきません。慌ててスマホで調べて答えようとしますが、すべてを見つけることは難しいようです。

中級あたりの学生がよく犯す間違いに、“熱心する”“熱中な”があります。「A先生は進路指導を熱心します」なんていう文を平気で書いたり言ったりします。言わんとすることはわかりますが、○はあげられません。この手の類の誤用を撲滅したいのです。

次は、本文の内容に入る前に、読解の教科書を音読させました。“ゲームクリエイター”という単語が出てきましたが、これを山型のアクセントではなく、“ゲーム、クリエーター”とあたかも2語のように読むのです。ゲーム研究者、ゲーム業界も、注意しても山型に読んでくれません。要するに、せいぜい単語レベルでしかテキストを見ていないのです。“ゲーム”という非常になじみ深い単語が目に飛び込むと、その次の“クリエーター”は目に入らないのです。これも、上級としてはいただけません。

それから、「遊びを欠いた」というフレーズも、「遊びを書いた」のごとく読んでくれました。“欠く”と“書く”のアクセントの違いを示した辞書は少ないでしょうからしかたがありませんが、次回からはきちんと読んでもらいたいです。

1学期かけて、上級らしいテキストの読み方ができるようになれば、私としては目標達成です。

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上がりたい

7月7日(月)

始業日の授業を終えて職員室に戻ると、Xさんが待ち構えていました。Xさんは先学期レベル1で教えた学生です。しかし、文法と会話の点数が合格点に少し足りなくて、レベル2に進級できませんでした。足りないのは“少し”だから、どうしてもレベル2に上がりたいというのが、Xさんの主張です。

“少し”とはいうものの、中間テストより期末テストの方が、点数が下がっています。下がり具合は決して“少し”ではありません。教師の目で見ると、レベル1の後半は授業が理解できなかった、実力が伸びなかったという感じがします。だから、このままレベル2に上げてもレベル2は合格できず、10月期もレベル2を繰り返すのは明らかです。それどころか、1月期もレベル2をしなければならないかもしれません。

Xさんは、レベル2を勉強しながらレベル1の復習をすると言います。しかし、レベル1の後半がわからないのにレベル2を勉強しても、その勉強が身に付くわけがありません。そのなれの果てが、上述のような“レベル2の主”です。いいことは何1つありません。

Xさんは、来年4月に専門学校に進学したいと言います。JLPTのN3と日本語学校在学1年で受験できる専門学校があるので、レベル2に上がればそういうコースで進学できるとXさんは訴えます。進学できたとしましょう。しかし、N3程度の日本語力で専門学校の授業についていけるとは思えません。ついていけたとしたら、その専門学校の教育レベルは高が知れたものです。そこを卒業しても、知識や技術も身に付かず、日本での就職もまず不可能でしょう。

レベル1の前半は理解できているようだから、その間に先学期よくわからなかったレベル1の後半の勉強をしておき、レベル1の後半の勉強がよくわかったところでレベル2の勉強を始めれば、レベル2の日本語もしっかり身に付くはずだ――という構想を示し、もう一度レベル1をすることを納得させました。

…こう書くと、激しい議論が行われたように見えますが、実は、Xさんは翻訳アプリを使っていましたから、ほとんど日本語を話しませんでした。だから会話が不合格だったのです。知っている日本語を組み合わせて自己表現しようという気持ちが働かないようなら、レベル2など到底無理です。

上を見ることは大切ですが、上ばかり見ていると、いつまで経っても上へは行けません。

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入学式挨拶(2025年7月5日)

みなさん、本日はご入学、おめでとうございます。世界のいろいろなところから、このように多くの方々がこのKCPに入学してくださったことを、本当にうれしく思っています。

みなさんは、コスパ、タイパという日本語を聞いたことがありますか。コストパフォーマンス、タイムパフォーマンスの略語で、このところ至る所で使われています。かけたお金や時間に見合うだけの収穫があったかどうかを問う概念です。

このうち、コストパフォーマンスは昔から使われていました。資本主義体制下の私企業、営利企業は、第一に利益を追求しますから、その根っこの部分にこういう発想があってしかるべきです。私が社会人になった1980年代では、就職して最初に叩き込まれる考え方でした。これが一般に広まり、コスパと略されるようになったのは、2000年以降ではないかと思います。

タイパは、コスパの発想を時間にも拡張したもので、コスパよりも少し遅れて2010年頃から人口に膾炙するようになったと記憶しています。

コスパもタイパも、物事を合理的に要領よく進めよう、無駄を省こうという考え方に基づいています。“安くておいしい”を具現するとコスパのいいレストランになり、でも長時間並ぶとなると“タイパはちょっと…”ということになります。また、タイパの究極の姿が、いつでもどこでもスマホを見る習性に結びついているのではないかと私は思っています。

翻って、語学留学を考えてみましょう。パンデミック以降、オンライン授業が充実し、自分の国に居ながらにして外国語を身に付けることも容易になりました。そういう意思を持った学習者向けの教材も驚くほど出ています。これらを使えば、日本まで来なくても日本語は勉強できます。現に、KCPで1年かかる勉強を半年で済ませて入学した学生も今までに何人かいました。タイパから言うと、留学は旗色があまりよくなさそうです。

また、日本で勉強するには、まず、日本までの渡航費が必要です。それから、ご家族と一緒に住んでいればかからない住居費もかかります。食費も、一人暮らしになると、ご家族と一緒だった時に比べて割高になります。もちろん、KCPの授業料も支払わなければなりません。百万円単位のお金をかけているのですから、相当高度な日本語を身に付けない限り、コスパでも留学は厳しいものがありそうです。

こう考えると、日本留学は、する価値があるのでしょうか。コスパ、タイパの面からは、やめた方がいいという結論に至っても不思議ではありません。にもかかわらず、なぜ、日本中で10万余もの留学生が日本語を勉強しているのでしょう。100名を優に超えるみなさんが、この入学式の場に集っているのはどうしてでしょう。

得がたい経験をしたいからだと言う人もいます。生の日本語、生の日本文化に触れるには日本で勉強するのが一番だともよく言われます。ある人は、自立するためだと言います。

確かにそうです。これらを成し遂げるには、コスパ、タイパを度外視しなければならないこともあるでしょう。しかし、同時に、それ相応の覚悟が要求されます。3食をコンビニ弁当で済ますなら、1日中全く日本語を使わないで過ごすことも可能です。日本文化に触れるという名目で、スマホかパソコンで日本のアニメを見るだけなら、日本にいる必要など全くありません。原宿や秋葉原で遊び回るのであれば、留学などという小難しいお題目を唱えず、観光旅行で十分です。その方が、生活上の縛りが緩く、存分に楽しめます。

そうではなく、留学という道を選んだからには、KCPで必死に何かをつかみ取ってください。私たち教職員はみなさんを満足させるだけの授業や活動や、留学生活の支援などを用意しています。ですから、みなさんはそれをしっかりと受け取ってください。そして、お金と時間をかけて日本へ来てよかったと思える留学生活を送ってください。コスパ・タイパ至上主義を笑い飛ばしてください。

本日は、ご入学、本当におめでとうございます。

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デビュー戦

7月4日(金)

Sさんは最上級クラスの学生です。読解も作文もよくできて、クラスの中でもトップを争う成績です。最上級クラスの首席をうかがうということは、KCPで一番日本語力が高いということです。唯一の弱点は、口数が少ないことで、こちらから水を向けないと授業中一言もしゃべらないことすらあります。でも、グループワークでは、ユニークなアイデアを出したり他のメンバーが気づかない点から発言したりしていますから、クラスのみんなから一目置かれています。

そのSさんに入学式の通訳を頼んだのは、期末テストの直前だったでしょうか。断られるかなと思ったら、「できると思います」と返事をしてくれました。Sさんにはこういう晴れの場で自信をつけて、さらに力を伸ばしてもらいたいと思って、通訳に選んだのです。

入学式の通訳は、基本は司会の教師の日本語を自分の母国語で新入生に伝えるのが任務です。台本がありますが、それを読み上げるだけではありません。臨機応変に対応しなければならないこともあります。また、入学式の後は新入生との懇談会(?)で自分の体験を披露したり、時には留学生活のアドバイスをしたりします。ですから、ただ単に日本語が上手なだけでは務まらないのです。

通訳は、自分の語学力を他人のために使う仕事です。人助けという面もあります。やさしい気持ちにもなります。ですから、やり遂げた時の充実感、高揚感が大きいようです。それを味わったSさんの笑顔を、今から楽しみにしています。

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