Monthly Archives: 12月 2016

推薦書と大掃除

12月27日(火)

仕事納めの日ですが、朝から推薦書を3通書きました。もちろん、推薦書はそう簡単に書けるわけではありませんから、学生の人となりや教室での様子、今学期で言えばBBQ大会などの集団行動での活躍ぶりなどを参考に、書き上げて生きます。志望校や専攻など、これから先のことをどれだけ真剣に考えているかも、当然織り込みます。こういう頭脳労働は、朝の頭がすっきりはっきりしている時間帯に限ります。そして、他の先生方や職員の皆さんがいない静かなときに集中してやります。

そして、大掃除。1年の垢を落として、気持ちよく新年を、新学期を迎える準備をしました。本当は、新学期の準備も多少はしたかったのですが、それは年が明けてから。

さて、私は、明日の今頃は、名古屋です。

はなむけ

12月26日(月)

9時を過ぎたころから、正装した学生がポツリポツリと集まり始めました。朝からすきっとしない空模様だったせいでしょうか、学生たちの出足は今ひとつ思わしくありませんでした。定刻の10時直前にどっと押し寄せて、空席が目立たなくなったところで、2015年1月入学生の卒業式が始まりました。

3月の卒業式に比べると数分の一程度の規模ですが、12月の卒業式は卒業生全員の顔がよく見える卒業式です。今回も、証書授与の後で、全員にスピーチをしてもらいました。卒業生のために集まってくださった先生方からも一言ずつはなむけのお言葉をいただきました。小ぢんまりとしていますが、密度の高い卒業式だったと思います。

卒業生のスピーチですが、司会のM先生が単調な内容にならないようにいろいろと予防線を張ってくださったのですが、急にしろと言われたからかもしれませんが、中には「これで卒業?」と言いたくなるのもありました。それでも、学生たちの心の内を想像すると、感動を呼び起こされました。

私は卒業生たちが入学した時に、出席率が悪くてやめさせられた学生の例を出して、卒業までしっかり勉強するようにと願いを込めたスピーチをしました。しかし、今朝、卒業生の出席率を調べてみると、ひどいのもいましたね。そういう学生に限って、優秀な頭脳を持っているんですよね。

学生たちは、自分の能力とか才能とか可能性とかをどう捕らえているのでしょう。岡目八目じゃありませんが、そういうのは当人ではないほうがよく見えるのかもしれません。本人に見えていたら、それを磨く努力をしたことでしょう。学生たちに気付かせられなかったことが、指導者として悔いの残るところです。

KCPでの勉強は、さらに高度な勉強をするための予備教育です。次の段階は、真に自分の人生を左右する勉強だと思って、今までの比ではなく真正面から取り組んでもらいたいです。若いうちの失敗は許されますが、次第にその余地は狭くなっていきます。それが、大人になるということなのです。

Cさんの悩み

12月24日(土)

午後からCさんの進学相談。国立大学に出願しようと思っているCさんにとっての最大のネックは、TOEFLです。成績そのものではなく、受験した時期が遅かったため、スコアが届くかどうか微妙なのです。早い時期に受けておかなかったCさんが悪いのですが、下手をすると、TOEFLは受けたもののその成績は使わなかったということにもなりかねません。

英語が世界共通語であることは論を待ちません。Cさんが目指している理科系の学問分野では特にそうです。英語がわからないと世界最先端の学問に触れられなくなるとも言えるでしょう。だから、入学時に何らかの形で受験生の英語力を見るというのも理解できます。しかし、同時に、その「何らかの形」がTOEFLでありすぎるような気もします。実際の入試日のはるか以前に安からぬ受験料を払って受験せねばならないというのが、私には解せないのです。自前で英語の試験問題を作るのはかなりの負担なのでしょうが、その負担をすべて受験生の側に回してしまうというのもどうなのでしょうか。

そもそも、日本の教育のいいところとは、日本語で高等教育まで受けられるということだったと思います。それが日本語の価値を高めていたはずです。そう思って日本留学を決意した学生も少なくないでしょう。なのに、英語の試験のスコアが届くかどうかで門前払いに近い仕打ちをするのは、ちょっと理不尽な気がします。

留学生を本気で増やしたかったら、こういうところの改善も必要なのではないかと思います。

寒空に

12月23日(金)

天皇陛下には申し訳ないのですが、天皇誕生日の祝日にもかかわらず、KCPは仕事をしました。来週の月曜日が2015年1月生の卒業式だからです。昨日の期末テストの採点のほか、私にはEJUのデータ整理という仕事もあります。そこへ持ってきて進学相談も飛び入りで加わり、想定以上の商売繁盛の一日となってしまいました。

仕事をしながらも、気になるニュースが一つ。それは、昨日の新潟県糸魚川市の大火です。糸魚川へは、何年か前にフォッサマグナミュージアムを見学しに行きました。地学ファンにはたまらない展示内容で、機会があれば、フィールドワークにも行きたいと思っていました。

火事があったのはフォッサマグナミュージアムとは線路を挟んだ反対側で、雁木のある古風な街並みが続く地域です。足早に通り過ぎただけでしたから、いずれ趣をゆっくり味わってみたいと思っていました。それだけに残念でなりません。木造の建物が密集していたから火が広がってしまったとのことですが、その木造の建造物群がえも言われぬ味わいを醸し出していたのです。いずれ再建されるでしょうが、同じ街並みが戻ることはないでしょう。

もうすぐお正月というのに焼け出された方々を思うと、言葉がありません。昨日は南風が吹いて20度まで気温が上がりましたが、アメダスのデータを見ると、夜半から風向きが変わり、日が改まるとともに朝から日中にかけて気温が下がっています。明日以降は冬が本格化するとのことです。3.11直後の寒々とした風景が脳裏をよぎりました。

3.11もそうでしたが、自分の足で歩いたり空気を吸ったりしたことのある町が災害に見舞われた姿を目にするのは、何とも心が痛みます。糸魚川の一日も早い復活を祈ってやみません。

ある退学

12月22日(木)

期末テストの日の朝、まだ7時半にもなっていないというのに、Sさんが来ました。退学手続に来たと言います。もうマンションを引き払い、今晩羽田から帰国するそうです。

Sさんは、先学期、選択授業で受け持ちました。優秀な学生でした。でも、欠席も多かったです。中間テストはすばらしい成績でしたが、期末テストは欠席したので、私の授業は不合格でした。そうです。Sさんは出席率が改善せず、退学を決意したのです。

退学届の退学理由の欄に、Sさんは「もう十分勉強しましたから」と書きました。その文字を見ながら、本当にそう思っているのだろうかと思いました。優秀な頭脳、日本語に対する鋭い勘を持っているのに、授業を休むがゆえに平常点が低く、思うように進級もできず、退学に至ってしまいました。順調に進級していれば、超級の私のクラスにいたかもしれないのに、学籍簿上では「中級」で退学ということになります。遅刻欠席してはいけないというプレッシャーから解放されたからでしょうか、吹っ切れたような笑顔を浮かべていましたが、内心ではこんなはずではなかったという忸怩たる気持ちがあってもおかしくはありません。

専門学校進学という目標のはるか手前でつまずいてしまったのですから、挫折感はあるでしょうね、きっと。この1年ほどを無為に過ごしてしまったと感じているとしても不思議はありません。でも、いたずらに負け犬根性を抱いてほしくはありません。この経験をばねに、日本語に無関係なことでもかまいませんから、再び挑戦してもらいたいです。

まねできない

12月21日(水)

EJUの結果が返ってきました。Yさんは、物理は1問かせいぜい2問間違いくらいの成績でしたが、化学は全問不正解の点数でした。答案用紙にマークシートの塗る欄が3列並んでいたので、左から物理、化学、生物の欄だと思い、化学は左から2列目にマークしたと言います。慰めの言葉も思い当たらないミスです。欄には解答番号が記されているので、それを問題用紙の解答番号と照らし合わせれば、どこにマークすべきかは明らかです。それゆえ、非はYさんにあります。

Yさんは、そういうふうにマークしたものの、ちょっと不安だったので、会場にいた試験監督官にマークのしかたはこれでいいかと尋ねました。その監督官が「それでいい」と答えたので、そのまま提出しました。しかし、そのマークのしかたは間違っていて、全く点数にならなかったのです。Yさんの実力からすると、このミスによって60点ぐらいが消えてしまったと思われます。いずれにしても、Yさんは自分の人生を大きく左右しかねない痛恨のミスを犯してしまいました。

試験監督官は、マニュアルによって、Yさんがしたような質問に答えることが禁じられているのかもしれません。あるいは、監督官はアルバイトの学生か何かで、本当に「それでいい」と思っていたのかもしれません。世界中で行われるEJUの公平さを保つためには、監督官は余計なことは話してはいけないのでしょう。だから、監督官を責めるつもりはありませんが、Yさんの失ったものを考えると、どこかに何かをぶつけたくなります。

繰り言をつぶやいても問題は解決しません。Yさんの持ち点で勝負できそうな大学を探し出し、面接時の秘策を伝えました。すぐに体勢を立て直さなければなりませんから、もたもたしている暇はありません。

それにしても、今までこういうマークのしかたをした学生はいませんでした。Yさんは発想力の豊かな学生ですが、ここまでオリジナリティーを発揮されると、ちょっとついていけません。その創造性は大事にしてもらいたいですが、発露の場は心得てもらいたいところです。

見つけて

12月20日(火)

H大学の合格発表がありました。受かったPさん、Oさんは喜びを隠せない様子でしたが、残念な結果に終わったWさんは、授業中は精一杯気を張っていたものの、落胆の色が濃い表情をしていました。

合格発表のたびに感じるのですが、大学は、こちらがいい学生だと推薦したいような学生を落とし、よりによってなんでこんなやつをっていう学生を合格させちゃうんですよね。Pさんは日本語力で、Oさんは人間性で受かったと思いますが、Kさんはどうして受かったのか見当がつきません。本人たちを見ている者としては、Kさんより絶対Oさんなんですがねえ。成績的にもWさんのほうが上だと思います。

Wさん自身、どこが悪くて落とされたのかわからないと言っていました。自分で思い当たる節があれば対策の立てようもありますが、これでは次につながる指導もしにくいです。現時点はWさんの気持ちを奮い立たせることが最優先ですが、受験校が決まったとして、合格に向けて何をどうしていけばいいでしょう。

先日、数年前の卒業生のJさんが来ました。JさんがM大学に受かったのも、Jさんには失礼ながら、Kさん並みの番狂わせだと思いました。もちろんJさんは喜びましたが、入学後しばらくして学校へ顔を見せに来た時には、自分にとってレベルが高すぎて大変だと顔を曇らせていました。そのJさんが、数多くのノーベル賞受賞者や著名政治家を輩出しているアメリカのC大学に留学すると報告に来てくれたのです。在学中、普通の頑張りようではなかったはずです。

意外な合格でもこういうこともありますから、それを一概に否定するつもりはありません。でも、KさんとWさんとどちらがJさんに近いかといえば、明らかにWさんです。レベルの高いところに入っても、そこの水に親しんで自分を伸ばしていける力があります。

まあ、いいでしょう。Wさんを拾った大学は、2年後か3年後に、ダイヤの原石を手に入れたことに気がつくに違いありません。とはいえ、土に埋もれた原石じゃどうにもならないので…。

大きな目で

12月19日(月)

超級クラスの読解は、留学生向けのテキストでは易し過ぎるので、今学期は日本人の高校生向け問題集を教科書として使ってきました。これは、やはり、よくできる学生にとっても難しかったらしく、漢字の読み書き以外は選択問題であっても苦戦していました。

学生たちは、本文中の設問部の直前直後に答えがあるものは比較的よく答えられますが、ちょっと離れたところから答えを見つけなければならない問題には非常に苦労しています。要するに、文章を読んではいますが、頭の中にはその文章のごく狭い範囲しか入っていないのです。前の段落との関係なら見えますが、前の前の段落ともなると、あっぷあっぷの状態です。

「この言葉と1ページ後のこの言葉とが対応していて…」というような解説をすると、学生たちが不思議そうな目をすることがよくあります。傍線部があると学生はすぐそばから答えを探し出そうとしますが、実は結論に近い部分まで読み進まないと答えが見つからないことがよくあります。それゆえ、選択肢を読んでも目が点になっていることもしばしばです。

また、該当箇所を抜き出せという問題は何とか答えにたどり着きますが、それを要約したり言い換えたりしなければならないとなると、とたんに手も足も出なくなります。字数制限を無視して長々と本文を抜き出すような答えが目立ちます。字数制限がなくても、概して長ったらしい答えになりがちです。国によっては、筆答問題では答えがなければ長いほど高く評価されるとのことですが、日本は決してそんなことはありません。むしろ、簡潔さこそが高い評価を得ることが多いです。

3か月間悪戦苦闘しましたが、果たしてどれだけ力を付けてくれたでしょうか。国立大学を始め、これからこの手の読解と向き合わなければならない入試が控えています。その場でここで鍛えた力を存分に発揮してもらいたいと思っています。

いいよ×2

12月16日(金)

上級ともなると、授業中にコーラスすることがあまりありません。コーラスさせようとしても学生がなかなか乗ってきません。単語やら漢字やら文法やらを1つでも多く覚え、長い文章を少しでも速く読んでその内容を理解し、自分の考えをかっこよく書き表すことこそが、自分たちの喫緊の課題だと思っている節が見られます。

そんな上級クラスですが、コーラスさせちゃいました。「お昼、牛丼にしない?」「いいよ」「じゃ、今日はぼくがおごるよ」「いいよ、悪いよ」っていうスキットの、2つの「いいよ」のイントネーションをはっきり使い分けるという課題を出したら、コーラスになっちゃったんですねえ。自然なイントネーションは、学生たちにとって永遠の課題ですから、ネイティブたる教師の口真似を進んでしようとするのです。

ちょこっと練習したところできれいなイントネーションがすぐに身につくわけがありませんが、やらないよりはやったほうがましと考えているのでしょう。もちろん、ふだんから自然なイントネーションで話す学生もいますが、多くはイントネーションまで考えが及ばずに、頭の中に浮かんだ文を口から吐き出しているのです。このままではいつまでたっても“変なガイジン”の域を脱することはかないません。

教師側も、読解やら文法やらにかまけて、自然な話し方の練習には手が回りかねています。上級は、初級や中級の貯金で話している面が見られないでもありません。KCPの初級を経験していない、上級からの入学生が、入試の面接練習の段になって、イントネーションやアクセントの指導を受けていることもあります。

次の学期は卒業の学期です。こんなことを上級の学生への手土産にしてあげたいです。

はようけんかい

12月15日(木)

期末テスト1週間前ですから、テスト範囲を発表しました。期末テストが近づいてきたということは、再試や追試も早く受けなければならないということです。身に覚えのある学生は、今まで目を背けてきた現実に正対しなければなりません。各クラスの教師は声をからして早く受けろと叫び続けていますが、学生たちの動きは鈍いままです。

私が受け持っているクラスは、今週から声をかけていますが、月曜日から木曜日までで受けた学生はわずかに2名。不合格のテストをいくつも抱えている学生が何名かいますが、彼らは動く気配すらありません。上級ともなれば、受けるべきテストを受けなかったらどうなるかわかっているはずです。それでも何とか逃げ切れればという淡い期待を抱いているようです。

テストは逃れることができても、その範囲の文法や語彙や漢字などが覚えずじまいで終わってしまったら、いずれはそのツケを払わなければなりません。学生は、というか、若者は一般に、テストみたいな、追い立てられるような強制力がないと勉強しないものです。そのきっかけを与えているのが学校なのです。そこのところを理解できず、後悔するのが中年過ぎです。

いいや、中年まで至らずとも、進学してすぐに後悔の念にさいなまれる卒業生は枚挙に暇がありません。A大学に受かったBさん、あんた今のままじゃ授業が始まって1週間で、漢字が読めなくて落ちこぼれちゃうよ。5月病のはるか以前に引きこもりになっちゃいますよ。昨日T専門学校から合格通知をもらったJさん、その専門学校は授業が厳しいことで有名なんですよ。今のままじゃ教科書すら読めずに2年間終わっちゃうよ。

…何はともあれ、尻をたたき続けねばなりません。