Category Archives: 日本語

1合目?

7月22日(月)

コトバデーまでちょうど2週間。そろそろ気合を入れて練習しないと、本番に間に合いません。最初のうちは、学生たちはいたってのんびりしており、教師が引っ張らねばなりません。

私が入ったクラスも、全然まだまだの状態でした。各クラス、音読チームと声優チームに分かれていますが、学生たちは自分がどのチームに属するかだけはわかっています。先週末に割り振りをしましたから。その際に各自のセリフも割り当てられています。しかし、実際に声を出してそのセリフを言うのは初めてという状況でした。

音読チームは棒読み以下でした。台本の文字を1つずつ拾い読みする学生が大半で、音読の全体像が全くつかめていません。しかたがありませんから、私が思い切り感情を込めて範読しました。読み終わると拍手が湧き上がりましたが、うれしくも何ともありません。こんなところで感心するのではなく、どうしたらそう読めるか、少しは研究しろと言いたいです。

声優チームは、動画とセリフが全く合いません。初回はそうでしょうね。セリフの速さに追い付けないのです。去年の各クラスは練習しているうちにだんだん追いついてきて、コトバデー本番では、審査に困るほどのすばらしい発表をしてくれました。

「明日も同じような練習をしますが、あさっては練習した後、それぞれのチームに発表してもらいますからね。そのつもりで自分のセリフをしっかり覚えてください」と、ちょっぴり脅しをかけました。実際に発表する感じで練習しないと、本番で力を発揮できませんからね。

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心のこもったお土産

7月6日(土)

お昼ごろ、仕事をしていると、Dさんが来ました。「先生、一時帰国のお土産です」と言って、小さな手提げ袋をくれました。国のいろいろなお菓子を買って、それを少しずつ詰め合わせてくれたようです。今まで教えてもらった先生ひとりひとりに配っていました。

袋の中を見てみると、パッケージの文字は読めませんが、絵を見ればどんなお菓子かいくらか見当がつきます。トウモロコシの絵の小袋は、とんがりコーンみたいなものでしょうか。手触りからするとおせんべいみたいなもののようですが、Dさんの国にはおせんべいはありませんから、一体何なんでしょう。小さなお菓子も入っていて、すき間なく詰まっていました。Dさんの手作り感があふれていて、心が温まりました。

さて、Dさんは、お菓子を配りにわざわざ学校へ来たのでしょうか。実は、明日のJLPTの受験票を取りに来たのです。学校で一括して出願したら、受験票が届いたのが期末テスト後になってしまい、学生にご足労願っていた次第です。Dさんは国で日本語を勉強していたのかなあ。お土産を配るときの日本語はそんなに怪しくなかったような気がしましたが、果たしてどうでしょう。

また、明日は都知事選挙の投票日でもあります。でも、このままいけば、私は候補者に1人も会わずに投票日を迎えることになります。56人も立候補したのに、実物を見ることはついぞないまま、選挙運動時間の終了時刻が近づいてきています。まあ、選挙公報を見れば入れるべき人は選べるでしょう。

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入学式挨拶

みなさん、ご入学おめでとうございます。世界の各地からこのように多くの方々がKCPに入学してくださったことをとてもうれしく思います。

今年に入ってから、円安の影響もあり、訪日旅行客数が大幅に増えています。このままいけば、今までの最高記録、2019年の約3200万人を上回るだろうと言われています。その訪日旅行客が大勢訪れるところといえば、金閣寺や日光東照宮のような有名な神社仏閣、東京・渋谷や大阪・ミナミのような大都市の繁華街、姫路城や兼六園のような有名建造物や公園、富士山や瀬戸内海などの景観の素晴らしいところ、全国各地の博物館や美術館などでしょう。あるいは、博多どんたく、青森ねぶたといった有名なお祭りを見に行く旅行客も多いのではないでしょうか。

旅行に来たのなら、そういったものを見て、おもしろかった、びっくりしたで十分です。何かを体験して楽しかった、日本料理はおいしかったというだけで満足してしまって構いません。しかし、今ここにいらっしゃるみなさんは、短い方でも2か月間、日本に滞在するのです。長い方なら、KCPで勉強して、大学に入って、さらに大学院に進学して…と考えると、10年単位の年月を日本で過ごすことになります。1週間かそこらで帰ってしまう旅行客と同じ次元で喜んでいるばかりでは、日本に住む、日本で暮らす人としては、内容が薄いと言わざるを得ません。

そもそも、みなさんは日本へ勉強に来ているのですから、勉強を最優先に考えてください。それと同時に、“日本で”勉強するという意義も忘れてはいけません。日本語の勉強は、日本でなくてもできます。現に、約127万人に及ぶ昨年のJLPT受験者の2/3近くが、海外で受験しています。何百万人という人々が、日本の外で日本語を勉強しているのです。みなさんもその一員でした。しかし、みなさんは、決して安くはない渡航費とKCPの授業料を支払って、これから日本で勉強しようとしているのです。

つまり、みなさんの場合、日本でしかできない勉強をし、単なる旅行者とは違った経験をして初めて、この留学が有意義なものとなるのです。日本で進学して、日本で就職して、日本をベースにして生きていこうという人生設計の人なら、なおのこと物見遊山の人と同じ調子で過ごしていてはいけません。

では、日本ならではの勉強や体験とはどんなものでしょう。まず、今すぐできることは、日本人の先生と触れ合うことです。録音された教材ではなく、生身の日本人が話す日本語を味わってください。そして、できれば、日本語教師以外の日本人と話してください。私たち日本語教師は、耳に自動翻訳装置がついていて、変な発音、おかしな文法でも、その人が伝えようとしていることを理解してしまいます。また、目の前の外国人の日本語力を即座に判定して、そのレベルに合わせた日本語を話します。しかし、普通の日本人は、そんなことはしてくれません。そういう人とコミュニケーションが取れるようになることが、みなさんが目指すべき目標ではないでしょうか。

また、この後で紹介されると思いますが、KCPはクラブ活動に力を入れています。そこで苦労しながら、日本語で意思疎通を図る訓練をしてみてください。通じそうで通じないもどかしさを乗り越えた時に、みなさんの前に新たな大地が広がるのです。

そして、自分らしい日本を見つけてください。ガイドブックやどこかのサイト、SNSなどに紹介された日本には、多くの観光客が押し寄せています。東京スカイツリーに上って東京の街を見下ろすのも、話の種に1度ぐらいはいいでしょう。でも、みなさんはそれで終わってはいけません。例えば、スカイツリーの足もとにはいくつかの川が流れています。その川に沿って歩いてみると、みなさんが知らなかった東京の一面が見えてきます。そういう、誰かの経験をなぞるのではない、みなさん独自の経験を積み重ねていってほしいのです。

いかがでしょうか。多少なりとも留学の道筋が見えてきましたか。私たち教職員一同は、みなさんの留学生活をより充実したものにするためのお手伝いなら、喜んで致します。

本日は、ご入学、本当におめでとうございました。

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低空飛行の果てに

6月25日(火)

今学期の出欠状況を見てみると、まだ6月なのに出席率が崩れてしまった学生がいます。本人はあれこれ理由を並べ立てますが、多くは私を含め第三者が納得できるものではありません。

進学のための塾に通っているから、疲れてKCPには出て来られないと言い訳する学生が少なくありません。塾に100%出席しても、KCPを休んだら出席率は下がります。出席率が下がると、最悪の場合、ビザが出ません。ビザが出なかったら、日本で勉強を続けることはできません。

確かに、音楽大学に進学したいという学生に対し、KCPは音楽の専門的な授業はしていません。美術の指導ができる先生はいらっしゃいますが、音楽の指導ができる先生はいらっしゃいません。私も理科系出身ではありますが、大学院入試の物理や化学や数学は全くできません。EJUの試験科目にしても、週末も含めて毎日ビシバシ鍛えるほうが、学生の目には効果的に映るのでしょう。だから、塾に通うななどとは言いませんが、本末転倒はいけません。

出席率だけではありません。学校に出て来なくなると、日本語力が如実に落ちます。日本語に対する反応が鈍くなるのです。こちらが何か問いかけても、ぽかんとしていたり的外れな応答をしたりして、コミュニケーションが進展しなくなります。となると、留学生入試に付き物の面接試験で落とされてしまいます。書類審査だけの所に合格しても、入学してから苦労することは明らかです。2年生に上がれずに退学を余儀なくされた学生もいます。

進学してから驚くほど会話力をつけた卒業生もいます。しかし、そういう学生はKCPでその素地を身に付けていたのです。机に向かって勉強することしかしなかったら、そうなる可能性は0と言っていいでしょう。

ところが、少子化にともなって日本人の志願者が減ってしまい、海外で直接募集する大学が増えてきました。しかるべき選抜が行われていれば、日本で勉強したい学生のためになります。しかし、そうでもなさそうなケースも見られます。選抜らしい選抜をせずに連れて来た留学生にどんな教育をするのでしょう。日本に留学したばかりに人生を捻じ曲げられた、などと思う人を量産されたら、日本の国益にも悪影響が及びます。

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地下活動

6月17日(月)

午前中の養成講座の授業が終わって一息ついていたら、「ちょっと地下室まで来ていただけませんか」とN先生に引っ張られました。「あ、練習ですね」と言いつつ下りていきました。

地下室では、演劇部が練習に励んでいました。次の公演は、来学期のコトバデーです。私もチョイ役を頼まれていましたから、どんな感じか見に行ったという次第です。

練習が始まって日が浅いのでしょうか、出演する学生たちは台本を見ながら立ち位置と動きを確認しつつセリフを言っていました。私も台本を渡され、登場場面でセリフを言いました。学生たちは「先生、上手ですね」という顔をしていましたが、こちとら60年以上も日本人をやっていますから、1行足らずのセリフを感情込めて言うくらい、朝飯前です。

以前も演劇部のステージに立ったことがありますが、今回はそれよりもセリフが多いです。最近記憶力が衰えてきましたから、セリフが全部覚えられるかどうか心配です。学生相手出なければアドリブでどうにかするという手も使えますが、突然台本にないセリフを聞かされたら、学生は混乱に陥るでしょう。ですから、せめて台本に近い内容のことを言わなければなりません。

台本がスラスラ読めたのは上級のSさんぐらいで、初級や中級の学生はつっかえつっかえで棒読みにもなっていませんでした。でも、つっかえたところを教え合ったり、身振り手振りを加えたり、動きながらストーリを確認したり、本番を成功させようという意欲はひしひしと伝わってきました。

本格的な練習は新学期が始まってからでしょう。間違っても足を引っ張ることなどないように、私も努力し寝ければ。

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みもの

6月7日(金)

新任のT先生の授業見学をしました。今学期はもうすぐ終わりですが、新学期に向けてどんなことに力を入れて研究していただくか、そんなアドバイスができればというわけです。

上級クラスですから、JLPTのN1を意識した授業でした。T先生はきちんと教案を立て、学生に示す例文も考えてきていました。不正解の選択肢についても説明が加えられるよう、例文が作ってありました。私なんかの数倍、いや、数十倍も計画的に授業を組み立ててきていました。

けれども、授業の進行が硬いんですねえ。教案通りに授業が一歩ずつ前へ前へと進みます。でも、そこまでです。教科書はどんどん先へ行くんですが、ゆとりがありません。

Sさんが、教科書の例文中の“見物客”を“みものきゃく”と読みました。T先生は「“けんぶつきゃく”と読んでください」と注意して、問題の答えの解説を始めました。私だったらここぞとばかりに脱線します。“みもの”と“けんぶつ”の違いを、これでもかというほど、でもSさんいじめにならない程度に語るでしょうね。

私の場合、隙あらば脱線するという根性で授業していますから、T先生が“みもの”をスルーしたのがもったいなくてたまりませんでした。脱線と言いますが、学生に印象付けようと思っているのです。学生の1人でも2人でも、“みもの”と一緒にその文に出てきた文法を覚えてもらえたらそれでいいのです。

T先生の教案はきっちり設計されていますから、“みもの”が入り込む余地がありません。それが、授業の硬さとして表れているように感じました。でも、川越でのT先生は、このクラスの学生たちに慕われているようでした。きちんと教えてくれるという誠実な姿が、学生たちに信頼感を与えているのでしょう。

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書類作成

5月23日(木)

木曜日は初級の学生対象の大学進学授業があります。日本の大学の特徴、大学入学までのロードマップ、EJUの中身、留学生入試には付き物の面接試験の概要などを話してきました。先週は、具体的にどんな大学があるか、画像も交えて紹介しました。

今週は、思い切って出願書類を書いてもらいました。と言っても、まだ具体的な志望校が決まっていませんから、昨年以前の入試の書類を練習用として使いました。予想通り、失敗だらけになりました。

まず、何を書いていいかわかりません。名前だって、漢字で書くのかアルファベットで書くのかカタカナで書くのか、初級の学生にはわかりません。「本国の住所」を「日本国の住所」だと思った学生もいました。履歴書の学歴では、“上段に学校名、下段に所在地”と明記してあるのに、逆に書いてしまいました。所在地にしても、国名しか書ない学生から、番地まで書こうとしたけど番地がわからなくて困っていた学生まで、いろいろでした。職歴にアルバイトを含めるかというのは、上級の学生でも聞いてきます。また、ない場合「なし」と書くというのも、上級の学生もできない人が多いですね。

さらに苦労したのは経費支弁書です。初級の学生には無理なことはわかっていましたが、すぐには書けないこと、親元に送って署名してもらわなければならないので時間がかかることなどを実感してほしかったのです。学生たちは十二分に実感したようです。

志望理由書は、初級の学生の日本語力ではまだまだ書けません。用紙を使わせてもらった大学は1000字を要求していましたが、A4の両面に普通の原稿用紙よりもずっと小さいマス目が印刷されているのを見ただけで、大変さが伝わったようでした。

単に日本語が上手になるのとは別な側面のするべきことが学生たちに見えてきたら、この授業は成功です。毎年、書類不備で書き直させられたり門前払いを食らったりする学生がいますから。

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聞く力

5月14日(火)

留学生の大学入試には、必ずと言っていいほど面接があります。受験生の日本語力を確かめることはもちろん、勉学に対する意欲や、4年あるいはそれ以上に及ぶ留学生活に耐えられるかどうかも見ていることでしょう。そして、各大学のアドミッションポリシーに合致した留学生を選抜していることと思われます。

いろいろな大学の先生方の話を総合すると、面接試験はコミュニケーション能力の試験でもあるようです。日本語でコミュニケーションが取れない学生は、指導のしようがないので入学させないという考えの大学もあります。志望理由や将来の計画など王道的な質問だけでは、暗記してきた模範解答でかわされてしまいます。それ以外に、受験生の人となりや社会性を見る質問もなされます。

さて、コミュニケーションとは何でしょうか。自分の気持ちや考えを相手に伝えられればコミュニケーションは完了でしょうか。いいえ、相手の気持ちや考えを理解することも含まれます。受験生はとかく前者に力を入れがちですが、後者がなければそれは自分の思いの押し付けに過ぎません。

そうならないためには、相手の話をきちんと聞いて受け止める力が重要です。しかし、この力は上級になれば身に付くといったものではありません。日頃からスマホではなく人間に向き合わなければ、この力は伸びません。翻訳ソフトの助けを借りてばかりでは、うわべだけの理解しかできません。その言葉に込められた重層的な意味など、想像の埒外でしょう。

日本語プラスの進学授業で、面接試験の大学側にとっての意義を訴えました。今のうちからそういう意識で準備していってもらえば、文字通り実りの秋が迎えられるはずです。天皇陛下も田植えをされたとのことです。今から秋を楽しみにしていましょう。

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学ぶ価値

5月1日(水)

これをお読みのみなさんは、授業料を支払って外国語を勉強するとしたら、何語を選びますか。英語ですか。中国語ですか。韓国語ですか。ポルトガル語ですか。フランス語ですか。アラビア語ですか。

おそらく、上述のような言語ではないかと思います。どこかの小さな島でだけ使われている言葉とか、古代ギリシア語とかという方はほとんどいらっしゃらないでしょう。

ただで教えてもらうならともかく、学費をかけて語学の勉強をするとなると、その学費に見合った何物かが得られるかどうかを考えるのではないでしょうか。それは当然のことだと思います。私だって、英語が話せるようになるならしかるべき対価を出す気持ちはありますが、同じ金額でどこかの国のとある部族にしか使われていない言葉を勉強しようとは思いません。

要するに、出したお金と釣り合うだけの価値を手にできるかどうかという、経済的な問題がポイントなのです。現在KCPで日本語を勉強している学生たちにしても同じだと思います。日本語を学ぶことで有形無形の利益が得られると思うからこそ、決して安くはない授業料や渡航費、生活費をかけてでも勉強しているのです。もちろん、目論見通りにいかない場合だってあります。でも、そういうリスクを織り込んでも、学生たちには期待できる将来像が輝いて見えるのです。

もし、日本の国力が衰えて、何の取り柄もない国になってしまったら、わざわざお金と時間をかけて身に付けようなどという人はいなくなるでしょう。失われた30年が、40年、50年となっていったら、いずれ日本語は世界のだれからも相手にされなくなってしまうに違いありません。そうなったら、日本語教師は全員失業です。

…などという話を、養成講座でしました。先日の選挙で日本の政治が少しでも動いてくれたら、日本語教師は首の皮1枚で命を長らえることができそうですが、果たしてどうでしょう。

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強く引いてください

4月27日(土)

先日、お昼に外に出たら、あるお店のドアに「強く引いてください」と張り紙がしてありました。おそらく、建て付けが悪くて、ドアが重いのでしょう。張り紙自体はどうということはありません。

しかし、この反対は何だろうと考えてみると、「強い」の反対は「弱い」だからといって、「弱く引いてください」にはなりません。「軽く引いてください」ぐらいが妥当なところでしょう。とうことは、「強い」の反対には「軽い」もあるということでしょうか。

疑問に思って辞書に当たってみると、「強い」には「大きい力が込められている」という意味があると、ベネッセの表現読解国語辞典に書かれていました。例文として「強く押す」「手を強く握る」があり、これらの反対は「軽く」でしょう。しかし、この辞書以外にはこういう語釈は載っていませんでした。

一方の「軽い」は、ネットのgoo辞書に「動きに力がかかっていない」という意味が載っていて、「ドアを軽くノックする」という例文もありました。「⇔重い」と書いてありましたが、ドアは「重くノックする」のではなく、「強くノックする」ものです。こちらも、この辞書以外にこの語釈がある辞書は見当たりませんでした。

一般に「強い」の反対とされている「弱い」を調べてみると、東京堂出版の現代形容詞用法辞典に、「強く打つ」とは言うが「×弱く打つ⇒軽く打つ」と書かれていました。その辞書で「軽い」を調べてみると、「目を軽く閉じてください」という例文はありましたが、語釈としては「程度が低いという意味である」としか書かれていませんでした。

仮に、「ドアを弱く引く」「手を弱く握る」「目を弱く閉じる」と表現したとすると、「ドアを引く力が足りない」「手を握りたくなさそうだ」「薄目を開けているのではないか」といった、ネガティブなニュアンスを感じてしまいます。@弱く」ではなく「軽く」だったら、ニュートラルに受け取るでしょう。

「軽い」には「軽やかな」というプラスの意味の派生語が控えているのに対し、「弱い」の背後には「弱々しい」というイメージのよくない言葉が見え隠れしています。そんなことも、「強い」の反対語としての「軽い」「弱い」に影響を与えているのかもしれません。

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