Category Archives: 日本語

しっかりやれよ

6月13日(金)

EJU前最後の授業は、最上級クラスでした。昨日までEJUの勉強に集中すると言って休んでいたZさんも来ています。確かに、KCPの通常のクラス授業ではEJU対策に特化した勉強はあまりしません。数学みたいな日本語以外の科目は、日本語プラスで扱うだけです。だから、うちで1人で勉強した方が効率的だという考えも成り立ちます。しかし、実際には、そう言って休んだ学生がEJUで素晴らしい点数を取ったかというと、わざわざ学校を休まなくても取れたよねという程度の点数しか取っていません。

だから、毎日学校へ来いとそういう学生に言ってみたところで、行状が改まる可能性は低いです。とはいえ、根を詰めすぎるのはよくないです。気散じも必要です。学校はその気散じで十分です。教室で友達と軽口をたたきあうだけで視界が広がることだってあります。ZさんがEJU直前の日に来たということは、まだ脈があります。授業中の顔つきを見ている限り、受験の無限ループに陥ってはいなさそうでした。

Zさん以外のEJU受験予定の学生もみんな来ましたから、このクラスの学生たちは、周りが見えなくなっているおそれは低そうです。いや、遅刻してきたHさんが心配です。もともと遅刻の常習犯のHさん、今週になってもやらかし続けているということは、Zさんとは逆に、緊張感ゼロかもしれません。この調子で明後日も遅刻したら、試験が受けられなくなってしまうかもしれません。

この期に及んだら、私にできることは祈ることだけです。「先生、さようなら」と言って帰宅するKさん、Jさん、Sさんたちに、心の中で「満足のいく成績が取れますように」と声をかけ、学問の神様に向かって手を合わせ頭を垂れました。

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日本語スルー

6月11日(水)

初級クラスで、昨日の宿題を集めました。教科書の内容に合わせたテーマについて、教科書で勉強した文法や語彙を使って10行程度の文章を書いてくるというものでした。出席者全員が提出しましたから、「このクラスはみんないい学生ですね」なんてほめながら学生を調子に乗せ、授業も順調に終わりました。

職員室に戻って内容をチェックしてみると、大変なことになっていました。半数近くの学生が、テーマを無視していたのです。主に成績中位から下位グループの学生たちでした。日本語で書かれていたテーマが読み取れなかったに違いありません。その下に学生たちの母語で書いてあった、“教科書で勉強した文法や語彙を使って…”というあたりは守られていました。

テーマの方が、注意書きよりも3倍ぐらい大きな字だったのですが、レベル1の学生たちには日本語よりも母語に視線が吸い取られてしまったのです。レベル1とはいえ、3か月近く日本語を勉強してきていますから、そこそこ日本語に慣れてきているはずです。いや、授業中には多少複雑な指示も聞き取ってその通りに動けるようになりました。それでもこういうことが起きてしまうのです。

母語の力って強いんですね。そして、その強力な母語の力を振り払って日本語に注意を向けられた学生とそれができなかった学生の境界線が、ちょうどこのクラスのど真ん中を走っていたことにも驚かされました。こういうのをさらに追究していくと、第二言語習得過程に関して興味深いデータが得られるのかもしれませんが、それは私の手に余る仕事です。

的外れな文章を書いてきた学生には、明日の先生から書き直しを命じてもらうことにしました。今度は、こういう行き違いが生じないような形で。

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6月4日(水)

レベル1で漢字テストがありました。私はその中の1問に注目していました。「ともだち」を漢字で書くという問題です。なぜかというと、中級でも上級でも、多くの学生が短文作成や作文などで「ともだち」を漢字で書くと、「達」を間違えるのです。「達」のしんにゅうの上にある部分の下半分は「羊」ですが、これを「半」の上が突き出ていない形、「羊」の横棒が2本の形に書いてしまうのです。間違えた学生に何回注意しても効果がありません。これは毎年クラスに関係なく見られる現象です。

中国語の簡体字の「達」はしんにゅうの上が「大」で、形がまるっきり違います。だから、字形をいい加減に覚えた中国の学生が誤字を書くのだろうと推測しています。その傍証として、アルファベットの国出身の学生は、上述のような誤字を書かないことが挙げられます。

さて、レベル1のクラスのテスト結果ですが、2人を除いてみんな「達」と書きました。その2人のうち1人は、全く見当違いの字でした。結局、中上級の学生と同じ間違いを犯した学生は1人だけでした。他のクラスがどうなっているかはわかりませんが、おそらく「達」が優勢だったのではないでしょうか。だとすると、レベル1の漢字の授業並みに丁寧に教えれば、みんな正しい「達」を書いてくれるのでしょう

でも、不思議なのは、そういうレベル1の洗礼を受けたはずの学生も、中上級まで進級すると、横棒が1本足りない「達」を書くようになることです。その辺のメカニズムがよくわかりません。これは単に「達」にとどまらず、漢字の字形の認識法にもかかわる問題ではないかと思っています。どなたか研究してくださらないでしょうかねえ。

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どうでしたか

5月7日(水)

レベル1のクラスで形容詞の過去を導入し、「○○はどうでしたか」も勉強したので、練習を兼ねて「運動会はどうでしたか」と学生たちに聞きました。私が聞く前に学生同士でQAの練習をしましたから、私の問いかけに対してわりとスムーズに答えが返ってきました。みんな「楽しかったです」「面白かったです」と答えました。それだけではつまらないので、「何が楽しかった/面白かったですか」と突っ込むと、これまたみんな、自分の出場した種目を挙げました。中にはルールを十分に理解せずに競技に加わっていたと思しき学生もいましたが、無我夢中でとんだりはねたりしたのがエキサイティングだったのでしょう。「疲れた」という声もありましたが、若い体が程よく動いた、心地よい疲れだったに違いありません。

その調子で、「連休はどうでしたか」もQA練習させました。その後に何人かの学生に聞きました。ところがこちらはパッとしませんでした。「どこも行きませんでした」が相次ぎ、「うちでゲームをしました」「宿題をしました」という学生ばかりでした。レベル1の日本語力では、どこかへ何かをしに行くとしても、意志疎通が大いに不安でしょうから、うちで勉強の合間にゲームをするくらいが関の山なのかもしれません。

私は、連休中は奈良県桜井市に滞在し、古墳やら遺跡やらを見て回りました。雨が降った昨日は別として、1日3万歩以上歩きました。気温がさほど高くなく、もちろん寒くもなく、外を歩くのに絶好のコンディションでした。

私が古墳や遺跡を好むのは、いくらでも想像力をはたかせることができるからです。姫路城の現存天守閣は美しいです。歴史的価値があります。でも、目の前に江戸時代に建てられた天守閣が屹立していたら、想像力はそこ止まりです。それに対し、下津井城跡や高取城跡には何もありません。想像力ははたらかせ放題です。この延長線上に○○寺跡や××古墳があるのです。説明版を隅から隅まで読んで、何があったか、どんな人が闊歩していたか思い浮かべるのが好きです。そういうところばかり、1日に何か所も訪れたというわけです。

私も運動会の日の学生同様、心地よい疲れを十分に堪能しました。

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ドコモじゃないよ

4月30日(水)

「教室にだれかいますか」「いいえ、だれもいません」「箱の中になにかありますか」「いいえ、なにもありません」というような練習を、レベル1のクラスでしました。

このやり取りで、「だれか」「なにか」は頭高型のアクセント、それに対して「だれも」「なにも」は平板型のアクセントです。これは中級以上の学生にとっても難しいらしく、「だれも」「なにも」を頭高型で言ってしまう学生がおおぜいいます。ですから、初めて習う時につぶしておこうと意気込んで教室に乗り込みました。

初めて出てきたときに、「私の後について言ってください」と指示して言わせてみました。私は、もちろん頭高型と平板型をきちんと分けて、「教室にだれかいますか」「いいえ、だれもいません」と言いましたが、学生のリピートを聞くと、「だれも」は半数以上が「だれか」と同じ頭高型で言っていました。

そこでいったん止めて、ホワイトボードにアクセント記号を書いて、コーラスさせました。そして、再度挑戦したのですが、まだ5人ぐらいは「だれか」のアクセントで「だれも」を言っていました。

それはとりあえずあきらめて、「箱の中になにかありますか」「いいえ、なにもありません」でやってみても、一定数の学生は「なにも」を頭高型で発音していました。「なにも」という単語レベルなら、正しいアクセントのリピートがそろうのですが、文になると数名は頭高型に戻ってしまいます。

「どこか行きませんか」「いいえ、どこも行きたくないです」でも状況は変わりません。「“どこも(頭高型)”はケータイ!」と言ってやると、気が付いてくすっと笑った学生が2人ほどいました。レベル3だとクラス中がわかるんですがね。「ドコモ」とカタカナで板書したら、大半の学生がわかりました。

意気込んで乗り込んでみたものの、結局不自然なアクセントはつぶせませんでした。長期戦で少しずつ直していくほかないのでしょう。

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「に」は重い?

4月28日(月)

先週に続いて、レベル1の文法テストの日に当たってしまいました。

“おんせん(   )はいりたいです。”という問題がありました。答えは、言うまでもなく「に」です。でも、「を」という誤答が目立ちました。助詞の「に」を「を」としてしまう誤りは、中級上級になっても尾を引きます。だから、何もないまっさらなレベル1の頭に「に」を印象付けたいところです。しかし、授業開始から半月余りで「を」の魔手が学生たちに襲い掛かり、その犠牲者が多数出てしまいました。

助詞「に」は、母語にかかわりなく、日本語学習者にとって難解のようです。“電車を乗ります”のような誤用は日々目にしています。「に」は、主格の「が」や目的格の「を」と違って、漠然と守備範囲が広いです。“(場所)に”にしたって、“(場所)で”と競合関係(?)にあり、テストでも作文でも、学生たちはよく間違えてくれます。

日本語文法の助詞の問題で、正解がいちばん多いのが「に」だそうです。私も、文法の問題を作るとなると、やはり「に」を問う問題を多く作ってしまいます。JLPTのような大規模テストでも、「に」が正答になることが多いように見受けられます。「に」が正しく使えるかどうかは、日本語教師にとってその学習者の力を測るバロメーターみたいなものなのです。逆の見方をすると、「に」を間違えずに使っている学習者は、相当できると見ていいでしょう。

これをお読みの日本人のみなさん、あなたの身の回りの外国人はいかがですか。同じくこれをお読みの日本語学習者のみなさん、ご自身の日本語はいかがですか。日本語が上手だと思われたかったら、「に」を磨いてください。

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腰痛、御苑、カラス

4月24日(木)

Lさんは会話に自信がありません。KCPでは会話を重視していますから、何かと負い目を感じることが多いようです。それで、今学期は、授業後に残って、その日クラスを担当した先生と会話の練習をすることにしました。

そういう密命を帯びて、Lさんのクラスに入りました。このクラス、私は木曜日だけですから、Lさんと言われても顔が思い浮かびませんでした。まず、出席を取るときに顔と名前と声を同期させ、授業中に何回か指名して、実際に話す力がどの程度なのか把握しました。

さて、授業終了のチャイムが鳴りました。チャイムが鳴るや否や、Gさんが「先生質問です」と、教科書を持って駆け寄ってきました。Lさんが帰ってしまうのではないかと気が気ではなかったのですが、Gさんもこのクラスの学生ですから、その質問には誠実に答えなければなりません。質問は1つではありませんでしたから、すべてに答えるまでに10分ほど要しました。フッと振り返ると、Lさんが椅子に座って待ち構えているではありませんか。かなり本気なんだなと思いました。

会話が苦手ということは、私が相当引っ張らないとしゃべってくれないのだろうと思い、「お待たせしました。すみません。あ、Lさん、コートを着ていますが、寒いんですか」と話しかけました。Lさんは、「はい、少し…」と、言いたいことがうまく言えないようなそぶりを見せました。「Lさんは中国の南の方から来ましたか」「いいえ、北です。私は腰が痛いです」「ああ、腰を冷やさないようにコートを着ているんですか」…といった会話を続けているうちに、Lさんの口はだんだん滑らかになってきました。

Lさんは、日本語の文の作り方に難があるようです。しかし、次から次と話題が展開していって、私が意気込んでリードするまでもありませんでした。Lさんが話した言葉を、私が要領のいい日本語に直し、それをLさんがリピートするというパターンを何回か繰り返しました。その間に、Lさんは腰痛で医者に通っていること、新宿御苑の年間パスポートを買い、週に2、3回通っていること、新宿御苑は、今、桜がきれいで、観光客やいろいろな学校の団体がよく来ていること、日本のカラスとネズミは大きくて怖いこと、…など、話がどんどん広がりました。この調子でクラスの教師が毎日相手をすれば、日本語らしい文の作り方も身に付き、話す力も大きく伸びることでしょう。

気が付いたら、30分近く経っていました。午後のクラスの学生が、教室の前で待っていました。

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初テストの出来栄え

4月21日(月)

レベル1のクラスで、初めての文法テストをしました。入学後2週間ですから、文法と言っても「コーヒーをのみますか。――いいえ、のみません」などという程度です。「ありがとうございます。でも、刺激物は控えておりまして…」なんていう答えは求めていません。

試験時間は20分。早々に解答し終えた学生もいましたが、その答えを覗き見ると、随所に間違いがありました。試験中ですから、学生個人に対しては間違いを指摘するわけにはいきません。「はい、あと5分です。みなさんの答え、本当にいいですか。“てんてん”、小さい“やゆよ”、小さい“つ”、長い音、大丈夫ですか。もう一度よーく見てください」と全体に注意するのが精一杯です。これだって、こういう注意をしなかったクラスに対して不公平だと言われてもしかたありません。

Mさんは、私の注意を聞いて、間違いを見つけて、直しました。しかし、Yさんは見直そうともしませんでした。レベル1だと、見直しても間違いに気づかない学生の方が多いものです。中級になると、こちらの思い通りに直してくれる学生が出てくるものなのですが。

さて、採点です。満点に近い学生からかろうじて0点を免れた学生まで、予想以上に点差が付きました。Sさんは不合格になってしまいました。来日が1週間近く遅れたので、授業で勉強・練習しなかったところがたくさん出たのが痛かったです。でも、この先必死に勉強すれば、まだまだ十分挽回可能です。

そのSさん、授業後に来日前に行われたテストの追試を受けて帰りました。また、授業に入った直後に行われたテストの不合格者への課題も提出しました。どちらも完璧な出来でした。昨日の宿題も、むしろ他の学生より高い内容を書いていました。この調子なら、次のテストは間違いなく合格でしょう。ただ、話す力がまだまだなのが気がかりです。

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入学式挨拶

4月7日

皆さん、ご入学おめでとうございます。世界の各地から、このように多くの方々がKCPに入学してくださったことを非常にうれしく思います。

皆さんはこれから日本語を勉強していくわけですが、その日本語教育が、今、大きく変わりつつあります。

まず、日本語学習者の日本語力を測る尺度が変わりました。以前は漢字の読み書きがどれだけできるか、文法をどれだけ知っているか、日本人を相手にどれくらいペラペラしゃべれるかといったことが評価基準でした。しかし、最近は、日本語を使ってどんなことができるかが、日本語学習者の日本語力を表す基準になってきました。

どんなことができるようになりたいか、すなわち到達目標は、個々の学習者が何を目指すかによって違います。

たとえば、日本に留学したい学習者なら、日本語で行われる講義が理解できるとか、先生に質問して自分の知りたいことが聞き出せるとかでしょう。一方、日本で就職したい学習者なら、上司や同僚、あるいは社外の人と協力して仕事が進められるとか、いろいろな交渉を有利に進められるとかといったことが考えられます。そもそも日本で生活していくためには、ゴミの分別などの地域のルールを理解してその通りにできるとか、自分が欲しいものを店員に伝え、それを買うことができるといったような能力が求められるでしょう。この到達目標に対して、どこまでできるようになったら中級だとか上級だとかと判定します。

それにつれて、学校の教え方も変わりました。KCPの場合は日本で進学する学生が多いですから、「長い学術論文が読める」「説得力のある意見が言える」「専門的な内容をかみ砕いて説明できる」などということを最終的な目標に据え、これに向かって初級から勉強していくという形で、各レベルの学習内容を組み立てています。そして、これを基に日々の授業内容を決めていきます。

ですから、勉強したことをどう使うかではなく、目標に到達するには何が必要かをベースにした授業を行います。漢字や文法をひたすら覚えるのではなく、ゴールを見据えて話したり書いたり聞いたり読んだりする練習をします。これは、みなさんにとってはなじみの薄い勉強方法かもしれませんが、KCPを卒業し、進学や就職など、次のライフステージに進んだときに必ず役に立つ日本語が身に付きます。JLPTのN1に合格したとしたら、それは立派です。私たちも心から「おめでとう」と祝福します。しかし、そこで立ち止まっていてはいけません。N1を取ったのに何もできない学生を、今までに何人も見てきました。N1を取って何をするのか、何のためにN1を取ったのか、それを突き詰めて初めて、生きたN1になるのです。

日本語からさらに視野を広げてみても、知識や技術は、持っているだけでは何のメリットもありません。知識や技術を集めて喜ぶのは、趣味の世界での話です。その知識や技術を何に使うか、何のために知識や技術を学ぶのか、これを考えることこそが、皆さんに豊かな未来をもたらします。つまり、成功を手にすることができるのは、目的意識を持って自律的に勉強していける人なのです。

ここにお集まりの皆さんは、それぞれなにがしかの夢をお持ちのことと存じます。私たち教職員一同は、皆さんの夢の実現を全力で支えてまいります。どうか、皆さん、私たちを信じてついてきてください。

本日は、ご入学本当におめでとうございました。

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逸材

3月18日(火)

Xさんは4月からN大学に進学します。去年の4月にレベル1に入学して、ちょうど1年で進学ですから、優秀な学生です。レベル1の時、進学の授業で会いましたが、そのころから自分の考えをはっきり言える学生でした。このまま順調に伸びてくれれば、きっと“いい大学”に入れるだろうと思っていました。現に、レベル3で受験した昨年11月のEJUでは、レベル3でトップであるのみならず、できの悪い上級の学生をも上回っていました。

Xさん自身も2年計画で“いい大学”を狙っていました。しかし、家庭の事情により1年で進学せざるを得なくなりました。N大学の受験も、そういう緊急事態の中での決断でした。その時点で受験可能な大学の中で、Xさんの勉強したいことが勉強できる最高の大学がN大学でした。準備期間が短かったものの、持ち前の頭の回転の速さと語学的センスを生かし、合格を勝ち得たのです。

授業後に、たまたまばったりXさんに会いました。「Xさん、N大学に合格したんだって?」と声をかけると、口元目元に笑みを浮かべながら「はい」と答えてくれました。ふてくされたような顔で答えられたらどうしようと思いましたが、どうやら本人も納得しているようで、安心しました。「いいところに受かったね。Xさんが勉強したいことに関しては、N大学は一流だよ(これはXさんへの慰めでもお世辞でもなく、本当にそうです)。確かにあまり有名じゃないけど。きっといい勉強ができるから、頑張って」「はい、ありがとうございます」と目を輝かせながら、明るい声で応じてくれました。

環境の変化を嘆くことなく、それに打ち勝って自分で新たな道を切り拓いたXさんは、私が思っていた以上にすばらしい学生だったようです。そういう学生を手放すのは惜しいことですが、Xさんの将来に光あれと祈るばかりです。

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