吉報の陰に

10月10日(木)

リチウムイオン電池の開発に大きく貢献した吉野彰さんがノーベル化学賞を受賞しました。いつかはもらうだろうと言われていたのが実現しました。

もちろん、吉野さんと、同時受賞の2氏だけの力で、現在私たちの生活のいたるところに浸透しているリチウムイオン電池が形作られたわけではありません。そのひそかな功労者の一人に、岡野雅行さんがいます。岡野さんは、リチウムイオン電池を収めるケースを作った人です。岡野さんのプレス加工技術がなければ、もしかすると携帯電話にリチウムイオン電池が使われることがなく、そうなるとこの発明の世界に与えるインパクトもけた違いに弱いものとなり、ノーベル賞に値すると認められなかったかもしれません。

日本は科学技術予算がどんどん削られ、もう少ししたら今までのようにノーベル賞受賞者を輩出できなくなるとも言われています。研究者が心置きなく研究に打ち込める環境が失われつつあります。研究者自身が不安定な身分と経済的基盤に甘んじ、研究活動以外に貴重な時間を費消され、思うように成果が上げられず、夢をしぼませています。

同時に、岡野さんのような世界唯一といってもいい技術を持つ町の職人が粗末に扱われている世の中になってしまいました。職人の活躍の場である町工場にまでアベノミクスが及ばず、閉鎖や倒産が相次いていると聞いています。経済的に豊かな暮らしが望めないので若者がこういう職に就きたがらず、技術の伝承に赤信号がともっているとも伝えられます。

だから、技術立国・ニッポンなど、風前の灯です。経済大国の看板も下ろし、技術立国でもなくなったら、何が残るでしょう。少子化が進めばラグビーやサッカーをする若者もいなくなるでしょう。今年の出生数が90万人を切ることは確実だそうです。ノーベル賞受賞のニュースを聞きながら、ちょっとヘッドライトを上向けたら、こんなまがまがしい未来像が浮かび上がってしまいました。

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