ノートの取り方に見る日本語の実力の差

11月7日(木)

今学期は、選択授業で“身近な科学”をやっています。講義を聞きながらノートを取ることを想定した授業です。授業の最初にB5の紙を1枚配り、私の話を聞きながらそれにノートを取り、それを見ながら授業の最後に提示するテスト問題に答えるという形で進めます。最初に配ったB5用紙を集めて、学生たちが私の話をどれぐらい理解しているかわかります。上級というよりは超級の学生向けの授業ですが、KCPの中でもほんの上澄みの学生たちの中でも、実力の差が如実に表れます。

テストでいつも満点なのは、最上級クラスの大学院進学を目指す学生たちです。国の大学で講義の受け方を訓練されていますから、当然のことかもしれません。ノートの部分を見ても、要領よく話をまとめています。また、授業中の表情にも余裕が感じられます。これだったら大学院に進学しても日本人学生以上のパフォーマンスを示せそうだなと感じられます。安心して、すでに合格している一流校の大学院に送り出せます。

その一方で、ノートがすかすかな学生もいます。話の要点をメモすることも、パワーポイントから要点を抜き出すこともできていないと見るほかありません。点数を与えるつもりで出した問題にも答えられていません。授業中はうなずいたりジョークに反応したりしているのですが、頭に残るものは少ないようです。こちらは、進学してから苦労しそうだなと心配になります。私の話は、学生たちにとって聞きなれない言葉や概念が飛び交いますから、ノートがとりにくいことはあるかもしれません。そうだとしても、テストで半分くらいというのは、心もとないですねえ。

身近な科学は、まあ、ご愛敬みたいな授業ですから、ノートが取れなかったとしても実害はありません。でも、通常の文法とか読解とかがこんな調子だったとしたら、由々しきことです。教師の話の大半が右の耳から左の耳へ抜けちゃってるのですから。自分の授業で言いたいことが学生たちに伝わっているか、心配になってきました。

 

 

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