Category Archives: 授業

大掃除

6月18日(水)

期末テストの前日、最後の授業日の先生は、その学期の大掃除をします。未返却のテストや宿題があったらそれを返して、必要ならばフィードバックもします。そのレベルで勉強することになっている授業内容をすべて終わらせます。学生から質問があったら、何でも答えます。「明日答えます」は許されません。学期休み中の注意事項を伝えるのを忘れてはいけません。

私のクラス(レベル1)は進度に余裕がありましたから、勉強したばかりの表現の応用として、レベル2でこんな言い方を勉強するよという、予告編みたいなことをしました。子の予告編がすんなりわかり、それに興味を示すような学生は、問題なく進級できます。教師の話を聞きとるだけで精一杯という学生はボーダーライン上です。どうにか上がれるでしょうが、レベル2で苦労することは想像に難くありません。

来学期の展望の一環として、7月に予定されているコトバデーの予告をしました。レベル1ですから、去年参加した学生はいません。アフレコの発表作を見せて、雰囲気を感じ取ってもらいました。そして、去年初級の学生が挑戦したアニメで実際にアフレコをしてもらいました。みんなセリフが速すぎると言いましたから、セリフのスピードを半分にしました。さすがにこれは間延びし過ぎて、かえってつまらなそうでした。

それでも、興味は持ってもらえました。明日の期末テストの後、2週間少々の学期休みをはさみ、新学期を迎えます。そうしたら、あっという間にコトバデーです。ここで種をまいておくことには、大いに意味があります。

種をまくと言えば、今学期受け持ったレベル1のクラス2つで、しっかり種をまきました。今年度の後半から来年度にかけて、中級か上級で実りが味わえると信じています。「今度はレベル4ぐらいの教室で会いたいですね」と、学生に別れを告げました。

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見学

6月2日(月)

私が月曜日に受け持っているレベル1のクラスには、今週、養成講座の実習生が入ります。最終日の6日(金)に教壇実習を行うことになっています。初日は見学なのですが、私の授業では見物にこそなれ、見学にはなりません。しかも、進度の都合上、教師主導で進める授業でしたから、学生から発話を引き出すという理想の形からは程遠い授業となってしまいました。しかし、今ここで進度を稼いでおかないと、教壇実習が予定通りにできないという、ジレンマみたいなものにも陥っています。

案の定、学生たちは後半になると疲れてきて、集中力が落ちてしまいました。スマホをいじったりコーラスに参加しなくなったり、悪い授業の見本みたいな様相を示してきました。こんなことなら、授業の最初が定位置の漢字を、授業の中ほどに持って来て気分転換を図るという手もあったかなと思いましたが、もはや手遅れでした。

そんなさんざんな授業でしたが、実習生のTさんにとっては驚きの連続だったようです。私たちが何気なくやっていることでも、外の人から見ると想像を絶する展開に映ることはよくあります。そういう展開が実習生や見学者の勉強になるかどうかは別として、今まで座学で学んできたことを教室で応用するとこうなるのかと感じているのではないでしょうか。

Tさんは休み時間にクラスの学生に声をかけて、コミュニケーションを取っていました。学生たちの日本語力を肌で知ることは、Tさんにとっては予定戦場を確認する意味もあります。ここは丘になっているとか窪地だとか、川が流れているとか地盤が固いとか、しっかり見て回って、勝利を手にしてもらいたいです。私のような姑息な戦法ではなく、堂々と正攻法で。

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名言

5月16日(金)

最上級クラスは、毎週金曜日に「社会を知る」という授業があります。新聞記事などを読んだり、ニュース映像などを見たりして、“社会”を考え、議論するという授業です。

今週は、13日に亡くなったウルグアイのムヒカ元大統領を取り上げました。2016年に来日した際にはその発言が話題となり、子ども向けの本まで出版されました。そんなこともあり、日本では知っている人も結構いるように思うのですが、学生たちは全然知りませんでした。

ムヒカさんは数々の名言を残しています。その名言集を配り、どの言葉に一番共感を覚えるかというということで議論してもらいました。

学生たちに人気があったのは、

「貧しい人とは、少ししかものを持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」

「人生で最も重要なのは勝つことではなく、歩み続けることだ」

「日本の子どもたちよ、急いで大人にならなくてもいい。子どもであることを楽しみなさい」

でした。

「日本の子どもたちよ…」を選んだ学生が、ずっと子どものままでいたいようなことを言っていたのが少し気になりました。

また、「人生で最も重要なのは勝つことではなく、歩み続けることだ」は、勝つことを追求する人がいたからこそ、人類は発展してきたと言えないこともありませんから、みんながみんな、この言葉に従ってしまうと、ちょっと心配です。

私は、「物を買うというのは、稼いだ金ではなく、人生の時間で買っているのだ」を選びました。今だって、遊ぶ金欲しさに働いていますからね。

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難しくても

5月9日(金)

今学期の最上級クラスの読解では、日本人の高校生の教材を読んでいます。そのまま読ませると難解すぎて内容が取れないでしょうから、補助教材を用意します。今回は上野千鶴子さんの文章ですから、上野さんの人となりを紹介した後、上野さんが2019年に東大の入学式で祝辞を述べている映像を見せました。当時、その内容がとても話題になった祝辞です。

15分近い映像でしたから、最後までついてきてくれるだろうかと心配しましたが、ごく一部の学生を除いて、興味深げに耳を傾けていました。字幕にも助けられたと思いますが、よくついてきてくれたと思います。ジェンダーによる差を、データに基づいて示し、それが不当であると訴えていましたが、学生たちにはそういう論の進め方が新鮮だったようです。

こうやって、上野千鶴子さんの発想、考え方を大づかみしたうえで、読解テキストに入りました。今回は学生たちに内容を解釈してもらおうと思い、読むポイントをまとめたシートを配り、グループで考えてもらいました。「三人寄れば文殊の知恵」と板書しましたが、これを知っている学生はいませんでした。文殊は知恵の神様だと言ったCさんは、神様ではありませんが、よく知ってるねと褒めてあげました。

小グループになると話しやすいようで、教室のあちこちから議論が聞こえてきました。しばらくしてから話し合いの内容を聞きましたが、まあ、順当なところでした。上野さんの考えも、おおむね理解できたようで、安心しました。来週の授業が、この読解の山場です。脱落者を出さないようにしなければ‥。

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ドコモじゃないよ

4月30日(水)

「教室にだれかいますか」「いいえ、だれもいません」「箱の中になにかありますか」「いいえ、なにもありません」というような練習を、レベル1のクラスでしました。

このやり取りで、「だれか」「なにか」は頭高型のアクセント、それに対して「だれも」「なにも」は平板型のアクセントです。これは中級以上の学生にとっても難しいらしく、「だれも」「なにも」を頭高型で言ってしまう学生がおおぜいいます。ですから、初めて習う時につぶしておこうと意気込んで教室に乗り込みました。

初めて出てきたときに、「私の後について言ってください」と指示して言わせてみました。私は、もちろん頭高型と平板型をきちんと分けて、「教室にだれかいますか」「いいえ、だれもいません」と言いましたが、学生のリピートを聞くと、「だれも」は半数以上が「だれか」と同じ頭高型で言っていました。

そこでいったん止めて、ホワイトボードにアクセント記号を書いて、コーラスさせました。そして、再度挑戦したのですが、まだ5人ぐらいは「だれか」のアクセントで「だれも」を言っていました。

それはとりあえずあきらめて、「箱の中になにかありますか」「いいえ、なにもありません」でやってみても、一定数の学生は「なにも」を頭高型で発音していました。「なにも」という単語レベルなら、正しいアクセントのリピートがそろうのですが、文になると数名は頭高型に戻ってしまいます。

「どこか行きませんか」「いいえ、どこも行きたくないです」でも状況は変わりません。「“どこも(頭高型)”はケータイ!」と言ってやると、気が付いてくすっと笑った学生が2人ほどいました。レベル3だとクラス中がわかるんですがね。「ドコモ」とカタカナで板書したら、大半の学生がわかりました。

意気込んで乗り込んでみたものの、結局不自然なアクセントはつぶせませんでした。長期戦で少しずつ直していくほかないのでしょう。

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4月23日(水)

授業が午後からでしたから、朝から昨日の選択授業で書かせた小論文を読みました。先週から始まり、昨日は第2回でした。先週の小論文は、どうにか規定の字数で原稿用紙のマス目を埋めたにすぎないような文章が大半でした。ですから、昨日それを学生に返すとき、次はこういうところに気を付けて書いてほしいとフィードバックしました。

その1つが「だろう」を多用しないことです。学生に「だろう」はどんな時に使うかと聞いたところ、推測とか予想とかという、正しい答えが上がりました。「今年の夏も暑くなるだろう」とか、「与党が参院選で勝つのは難しいだろう」というような使い方です。「毎日8時間勉強すれば、志望校に手が届くだろう」などという、仮定の表現と組み合わせてもいいでしょう。

しかし、現実は、そういうことがわかっていながら、学生たちは「バブル崩壊後、日本経済は低迷し始めただろう」「札幌はラーメンの本場だろう」というように不要な「だろう」をあちこちにばらまいていました。おそらく、断言するのが怖いからなのだと思います。「札幌はラーメンの本場だ」と言い切った後で、「博多こそラーメンの本場だ」と突っ込まれ、そこで変な論争に巻き込まれたくないという心理が働いているのかもしれません。

でも、論争覚悟で自分の意見や考えをぶつけるのが小論文です。尻尾をつかまれないようにと逃げてばかりでは、読み手の共感を得ることはできません。当然、採点官の心を揺さぶれるはずなどありません。

さて、朝から読んだ小論文ですが、確かに無駄な「だろう」は激減しました。しかし、有害無益な「だろう」の陰に隠れていた難点が、かえって目立ってきてしまいました。それを添削するのに、また一苦労しそうです。

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聞くは一時の恥

4月22日(火)

日本語プラス化学は、先週宿題にしておいた過去問の答え合わせをし、わからないところの質問を受け付けました。答え合わせは私が作った問題解説を配って自分でしてもらいますが、その問題解説を読んだだけでなぜその答えになるか理解できるかとなると、おそらくそう単純なものではありません。

そう思って質問タイムを設けたのですが、だれも質問しません。質問がないわけではなく、どう聞けばいいかわからない、何から聞けば理解が進むかわからないというのが本音だと思います。今学期2回目ですが、先週はオリエンテーションですから、実質初回です。しかもメンバー同士顔見知りでもなく、やっぱり質問しにくいのでしょう。

この場面を救ってくれたのが、Cさんでした。Cさんは日本語プラス3期目ですから、今回の問題も授業の各単元のどこかで見たことがあるかもしれません。「7番の問題を説明してください」と口火を切ってくれました。

どうやって7番の問題の答えを導き出したか解説し、その後、関連のある問題をいくつかまとめて解説しました。他の学生は、私の板書を写したり、パワーポイントを見て反応式か何かを書きとったりしていました。みんな、何かきっかけが欲しかったようです。

さらに、授業後、Kさんが質問に来ました。とてもいい質問でしたから、授業中にしてもらいたかったです。そんなことを言っても始まりませんから、Kさんにわかるように答えました。お互い牽制し合っているみたいです。化学クラスの学生同士、何でも言い合えるような雰囲気作りが必要です。聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥です。

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早口言葉?

4月18日(金)

金曜日の最上級クラスには、「社会を知る」という授業があります。現代の社会問題に関して、動画を見たり新聞記事を読んだりなどして理解を深め、議論もするという内容です。たとえ理科系の学部や大学院に進学するにしても、現代社会に対して無知ではいけません。文科系なら面接や口頭試問、あるいは小論文において問われることだって考えられます。

授業の最初に、米の値段は高いかと聞いたら、全員が高いと感じているようでした。値段を聞くと4000円から5000円くらいで、現時点においては相場です。毎日ではないにせよ、自炊しているとのことですから、そのぐらいの出費はこたえるのでしょう。

その後、動画を見せ、それだけではわからない点を補足説明し、備蓄米放出までの背景や米不足に陥った原因などについて知ってもらいました。減反政策は、不思議な政策に映ったようでした。農家の高齢化も、学生にとっては気づきにくい点でした。

こういうように「社会を知る」ことがこの授業の主たる目標ですが、日本語の授業の一環ですから、普通の日本人と同じレベルの日本語理解力を着けていくこともまた、授業の太い柱です。学生たちに見せた動画の中に、2人の出演者のうちの1人がやたらと早口なのがありました。学生の様子を観察すると、途中からスマホをいじり始める学生が何人かいました。見終わった後で聞くと、やはり、早すぎてわからなかったと言っていました。

このクラスの学生が束になってもわからないとなると、少なからぬ日本人もわからないのではないでしょうか。それでは何かを訴えたことにはならないと思います。その方面では結構なのある方のようでしたが、本当に理解してもらえているのでしょうか。心配になりました。

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返却物を上手に使え

4月17日(木)

今学期は、週1回のクラスが3つあります。先週は初めての授業で、今週は2回目の授業でした。しかし、中6日で登板となると、先週覚えたつもりだった学生の顔と名前が、ものの見事に消え去っていました。非常に特徴のある学生は覚えていましたが、それ以外の学生は顔つきがかすかに記憶に残っている程度でした。

顔と名前をどうやって覚えるかというと、テストの時を利用します。テスト用紙に書かれた名前と外見を一致させます。学生たちは下を向いて問題を解いていますから、顔はよく見えません。そして、テストの時間が終わってテスト用紙を集めたら、それを見ながらどんどん指名し、テスト時間中に覚えた外見と名前と顔を一致させます。金髪短髪で丸顔の緑のジャケットはAさん、長髪小柄で茶色いフレームのメガネをかけているのはBさん、…というふうに記憶していきます。

返却物があると、ラッキーです。名前を読み上げると返事をしてくれます。その学生の席まで足を運んで、しっかり顔を合わせて渡し、記憶を強化します。返却物が複数あると、ラッキーと叫びたくなります。

木曜日のクラスも週1で2回目でした。名簿を見て顔が思い浮かぶのは、せいぜい5人。でも、昨日回収したと思われる例文が返却を待っています。名前を覚えることも練り込んで授業を組み立てていきました。

名簿を見ながらたくさん指名し、返却物は最後の仕上げに使いました。迷わず等の学生の席まで行って手渡せました。これで頭の中に入ったかな。でも、1週間たったら忘れているかもしれません。来週の木曜日が楽しみのような、怖いような…。

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間違って登録

4月14日(月)

先週末に日本語プラスの学生登録をし、各学生にメールで時間割を送りました。週が明けると、あちこちから登録訂正の依頼が来ました。こちらの入力ミスかもしれないと思い、学生がこちらに送ってきたデータと照らし合わせてみると、入力ミスはありませんでした。学生の入力ミスか勘違いばかりでした。

入力フォームはそんなに難しく作ったつもりはないんですがねえ。やっぱり、日本語が読み取れていないんだなあと思いました。入力フォームには時間割表までつけておいたのに、同じ曜日・時間帯の科目を2つ登録してしまった学生がいました。文系と理系の数学の両方にチェックを入れた学生もいました。

時間割を見ながら自分に必要な授業を見つけ出して科目登録するというのは、大学に入ったら毎学期必ずすることです。大学の科目登録よりもはるかに単純なKCPの日本語プラスの登録すら満足にできないようだと、先行きは明るくありません。

こういうことも含めて、日本で勉強していくには何が必要か、日本語でこんなことができるようになっていなければ進学先で困ってしまう、などということも実地に示して指導していくのも、日本語学校の役割です。そう考えて、メールを見て違うと訴えてきた学生には、ちゃんと話を聞いて、最終的には修正に応じます。

だから、一番困るのは、何も訴えてこない学生です。日本語プラスの時間割が送られてきているよとクラスの先生から言われているにもかかわらずメールをチェックせず、登録した授業に出ず、結局不本意な進学に甘んじざるを得なかった学生が、毎年必ず出てきます。

いずれにしても、2026年度入試の戦いはもう始まっています。2か月後の6月のEJUが最初の決戦です。

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