調子がいいだけでは

12月6日(金)

おととい集めた文法のプリントを返しました。このクラスは上級の勉強を2学期続けているレベルで、日本語を普通に理解できる学生たちです。しかし、例文を集めて愕然としました。

鍵をかけて出かけたはずなのに、家に帰ったら(        )。

の空欄を埋める問題が悲惨でした。半分ぐらいの学生が、“ドアが開けていました”と答えていました。

“開(あ)きます/開(あ)けます”の自他動詞のペアは初級で勉強し、今までに何度も書いたり話したりしてきたはずです。しかし、こういう問題になると間違えてしまうのです。もはや、学生の出来が悪いと判断するのではなく、自他動詞は定着が悪いと結論付けるべきかもしれません。

今まで何度も書いたり話したりしてきたはずなのですが、正確に使ってきたかというと、きっと違うでしょう。特に話すとなると、聞き手も話の流れを中断してまでも間違いを訂正したりはしません。言わんとすることがわかれば、“開けています”でも“開いています”でもとがめられることはないと思います。日本語教師も、スルーしてしまうことが多いんじゃないかなあ。

コミュニケーションが取れれば多少の文法の間違いは見逃してもいいというのも、一面の真理です。文法を気にしすぎて何も話せなくなってしまったら、本末転倒のような気がします。しかし、だからと言って、文法は軽く見てよいというわけではありません。文法がおかしかったら、コミュニケーションは取れても、日本語が下手だと思われるかもしれません。それは、この人に難しいことを言ってもわかってもらえるだろうかという心理につながっていくのではないでしょうか。

日本人だって、誤字脱字だらけの文章を書いていたら、信用されなくなります。外国人の場合、日本語力が低いと判定されたら、大事な話が回ってこなくなるおそれが出てきます。勢いで話しているだけじゃ、付き合いは深まりません。

たかが文法で、この人間味豊かな学生たちが不当に低く見られるとしたら、私は残念でなりません。

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