苦労の末

12月23日(土)

昨日から期末テストの作文の採点をしています。作文の採点とは残酷なもので、おもしろい作文、読み応えのある作文、感心させられる作文、つまり「いい作文」は、採点がすぐに終わってしまいます。論旨が明確であり、誤字誤文も少なく、だから添削もあまりする必要がありません。読後の余韻に浸る間もなく、次の作文へと移らなければなりません。

一方、出来の悪い作文は、「読書百遍意自ずから通ず」ではありませんが、何度も何度も読み返さないと、書いた学生の言わんとすることが見えてきません。主張がわからなければ、添削のしようがありません。誤字ぐらいなら直せますが、それ以上の直しは、安易にはできません。中国人学生の作文の場合は、中国語の辞書まで動員して、日本人からすると変な使われ方をしている漢語や、よくわからない単語をどうにかしていきます。

そうやって頭をひねり続けて、作文の全容を浮かび上がらせます。それで「うん、なるほど、その通りだ」と納得したり、「うーん、この考えには同意できないな」などと反発を覚えたりできれば、時間をかけた甲斐もあるというものです。しかし、理解できた内容がしょうもないものだったら、徒労感、疲労感、寂寥感、無力感、絶望感、嫌悪感、脱力感、閉塞感といった感覚がないまぜになって襲い掛かってきます。

今回は、YさんやZさんのが読解に苦労した作文でした。原稿用紙1枚半にそれぞれ1時間ぐらいかかりました。それでもYさんの言いたいことは理解できたという手ごたえがありましたが、Zさんのは真ん中辺に大きな”?”を残したまま、撤退せざるを得ませんでした。

この2人の作文をAIに要約させたらどうなるだろうと思いましたが、入力する元気もなく、あきらめました。でも、全員分の作文が読み終わり、どうにかお正月が迎えられそうです。

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