Category Archives: 作文

目指せ35点確保

10月14日(火)

11月のEJUに向けての日本語プラスが始まりました。私の初日は、EJUの記述でした。記述クラスに出る学生の大半はレベル3か4で、記述が初めてです。ですから、EJUの記述とは何ぞやというところから授業を始めます。

EJUの記述は50点満点で、得点は5点刻みです(低得点域は10点刻み)。毎回、一番多いのは35点の得点者で、平均点は35点を少し下回る程度です。ですから、石にかじりついてでも35点は取ってもらわねばなりません。また、“いい大学”に進みたかったら、最低40点は必要でしょう。

KCPの受験生は、毎回平均点が35点を少し上回ります。今年6月のEJUでは、得点分布の山が2つありました。1つは全体と同じ35点で、もう1つは45点でした。45点の山は上級の学生ばかりかというと、必ずしもそうではありません。読解、聴解・聴読解は惨憺たる点数なのに、なぜか記述では45点を取っているレベル4ぐらいの学生が数名いました。そういう学生が、クラス授業でどの程度の文章を書いているかはわかりません。コツをつかんでいるのか、テーマがツボにはまったのか、何かあったのでしょう。

そういうような話をし、大枠の構成を説明し、本番と同じく制限時間30分で書いてもらいました。みんな一生懸命に課題に取り組んでいましたが、採点してみるとまだまだですね。20点ぐらいの人が多いです。EJU本番まで1か月足らずですが、どこまで追い上げられるでしょうか。来週からも厳しい戦いが続きます。

日本語教師養成講座へのお問い合わせはこちらへ

死なせないで

10月3日(金)

最近の研究は、文系理系を問わず、いかなる分野においても、定量性が求められます。“AはBより多い”ではなく、“AはBより15%多い”といったまとめ方がなされます。そういった研究結果を論文にするとなると、必然的に図表が多くなります。その論文から知見を得るには、図表を読み解かねばなりません。つまり、学問をするにはグラフを読み取る力が必要不可欠なのです。

そういうわけで、選択授業小論文の期末テストは、グラフから読み取ったことについて自分の意見をまとめるという課題を出しました。それを採点したのですが、頭が痛くなり、吐き気を催しました。

テストの際、ただグラフを配っただけではなく、読み取りの注意点の解説までしました。私は丁寧に説明したつもりでしたが、学生たちは勘違い大間違いを派手にやらかしました。“10万人当たり3.1件”を3.1%と思い込んだり、「CはDに含まれますから、この2つの数字を足してはいけません」と繰り返し注意したのに、足してしまったりしてくれました。さらに、想像をたくましくし過ぎて、勝手に何百万人も死んだと決めつけて議論を進めた学生も何人かいました。その一方で、容易に想像がつく社会的背景に触れた学生はごくわずかでした。これが入試問題だったら、合格者は2名ぐらいだったでしょう。

小論文クラスの学生は全員上級ですから、私の説明が理解できないはずはありません。グラフが読み取れないがゆえに、あらぬ方向に走ってしまったのでしょう。裏読み深読みを求めたわけではありません。表面に見えている事柄をそのまま書いてくれればよかったのですが、それができなかったんですねえ。

グラフの読み取りは理系人間の専売特許ではありません。ここでどうにかしておかないと、学生たちは進学してから苦労することになります。

日本語教師養成講座へのお問い合わせはこちらへ

筆鋒鋭く

8月9日(土)

火曜日に行った選択授業・小論文の中間テストの採点をしました。5日のこの稿にも書きましたが、グラフから何かを読み取って小論文にまとめるタイプから、グラフなしの問題に変更しました。問題の説明をした時点で学生たちは喜んでいましたが、それが文章にも現れていました。

グラフ読み取りの問題に比べて、学生の文章が生き生きとしています。筆(シャープペンシル?)の勢いが全然違います。600字という制限を大きく超える大作を著した学生も少なくありません。その大作も、水太りで字数だけ増えたのではなく、筋肉太りですから読みごたえがあります。

私が取り上げた題材が学生たちにハマった面もあるようです。ある事件に関する意見を求めたのですが、意見がほぼ真っ二つに分かれました。学生たちにとって、議論のしがいがあるトピックだったようです。この選択授業の初回に説明した小論文の構成に則り意見を述べてくれた学生が多かったです。

学生たちは、頭の中で考えたことを原稿用紙の上に表すことに関しては、かなりの能力を有していることがよくわかりました。しかし、しかるべき根拠を示して議論を展開するとなると、まだまだだと思わざるを得ません。根拠がないので、文末が「~だろう/かもしれない/ではないかと思う」など、断定を避ける表現が目立ちます。

ここを鍛えておかないと、本番の入試の小論文で痛い目に遭いかねません。EJUの記述試験なら、根拠なしでも点が取れますが、“いい大学”の小論文は、それでは勝てません。やはり、グラフで鍛えていくのが、今学期後半の小論文の課題です。

日本語教師養成講座へのお問い合わせはこちらへ

グラフは嫌い?

8月5日(火)

選択授業の小論文は、中間テストをしました。今学期の前半はグラフを読んで小論文を書くということを目指してきましたが、先週の小論文は書けている学生が少なかったですから、中間テストは別の題材にしました。

書けていない原因として、まず、全体的にグラフが読めていないという点が挙げられます。2つのグラフを組み合わせて何か情報を得るということをしてもらいたかったのですが、その域に達している学生は少なかったです。個人作業にせず、数人で話し合わせてから書かせればよかったのかもしれません。三人寄れば文殊の知恵といいますから、額を集めて議論すると、面白い見方ができたのではないかとも思っています。

このまま中間テストでもグラフにこだわったら赤点続出になりかねないと思い、普通の問題に差し替えました。そう宣言した時、表情が明るくなった学生が3人ぐらいいました。グラフって、そんなに嫌なのでしょうか。大学や大学院に進学したら、文献を読むたびにグラフにぶち当たります。そのグラフから筆者の言わんとするところを読み取り、自分の研究に役立てていくということの連続です。その準備段階として、こういう企画を立てたのですが、すべってしまったようです。

来週の火曜日は選択授業以外の各科目の中間テスト、その次の週は夏休みですから、その間に態勢を立て直して夏休み明けの選択授業を迎えたいです。そして、期末テストでは、何とかグラフを読み取って書く小論文を出題したいものです。

日本語教師養成講座へのお問い合わせはこちらへ

上手な日本語

7月30日(水)

レベル1のクラスで、勉強したばかりの課の表現を使って文を書いてくる宿題を集め、チェックしました。そもそも宿題をやって来なかった2名は論外として、やってきた学生の文をよく読んでみると、これまたあれこれ問題が出てきました。

日本語を勉強し始めて1か月弱ですから、表現が拙いのは許せます。自分の言いたいことをきちんと文字化できずもどかしい思いをしていることでしょう。これは、勉強が進んで使える表現が増えていけば、少しずつ解消していきます。問題は、表現のレパートリーがあまり多くないにもかかわらず、助詞の間違いがはびこり始めていることです。「を」と「に」、「に」と「で」がすでに怪しくなっている学生が1人2人ではありません。中間テストの前に復習したほうがいいかもしれません。

更にまずいのは、翻訳ソフト丸写しと思われる文です。既習表現か未習表現かなど全くお構いなしに、規定の行数まで翻訳ソフトが作り出した文を書き写しているのです。漢字にはふりがなをつけろと指示していますが、それも全く無視です。その学生に音読しろと命じても、絶対に音読できないでしょう。意味すら覚えていないに違いありません。

一昔前までは、既習文法を組み合わせてどうにか思いの丈を伝えようという努力が行間から感じられましたが、最近はそういう作品が減ってきました。お手軽に宿題をこなすことに目が行ってしまっているような気がします。それで満足なら、わざわざ苦労して日本で勉強する必要などないじゃありませんか。100万円単位のお金と、年単位の時間を投じていることを忘れてもらっちゃ困ります。

日本語教師養成講座へのお問い合わせはこちらへ

グラフは苦手?

7月28日(月)

先週の授業で書かせた小論文を読み返していますが、どうもよろしくありません。グラフを見てそこから言えること、感じたこと、意見を書いてもらいましたが、グラフから読み取れることと意見とがごちゃごちゃになっている人が多かったです。そのグラフの読み取りも表面的なものが多く、大学の採点官をうならせるには至らなさそうな小論文が大半でした。また、学生たちはやりつけないことをやらされたので、文法や語彙の選択にまで注意が回らなかったようです。その前の週の小論文と比べると、誤用が目立ちました。

私は理系人間なので、グラフが出てくると喜び勇んで隅から隅までつっつき回します。小論文の試験だったら、グラフをねちこち見ているうちに時間がどんどん経ってしまい、結局何も書けなかったということになりかねません。学生たちは、私とはだいぶ違って、グラフをどう見たらいいのかよくわからなかった面もあるようです。

でも、それじゃ困るんですねえ。進学したら、文献を読んでそこに載っているデータから何かを探り当てるという作業を繰り返し、自分の論を打ち立て、それを検証していくということの繰り返しです。グラフを見て小論文を書くというのは、その前半部分のミニチュア版です。ここでつまずいているようだと、違うタイプの小論文試験で合格したとしても、進学後に苦しみそうです。進学後に日本語で困ることのないような実力をつけさせて学生を送り出すというのが、私たちの使命です。それに照らし合わせると、ここはもう一つ厳しくいかねばならないようです。

日本語教師養成講座へのお問い合わせはこちらへ

秀作ぞろい

7月18日(金)

15日(火)の選択授業・小論文の時間に学生に書いてもらった小論文は、忙しくてなかなか読む時間がなかったのですが、放置3日目にしてやっと読むことができました。

先学期の選択授業・小論文は、何回注意しても原稿用紙の使い方がいい加減でした。そこで、今学期は、初回に原稿用紙の使い方をたたき込み、実際に書いてみて身に付けてもらおうと計画しました。ですから、初回のテーマは地球温暖化防止対策という、上級の学生にしてみればすでに何回も話し合ったり意見を書いたり発表したりしたことのあるものにしました。学生たちにも、内容の良し悪しよりも、原稿用紙の使い方に重きを置いて採点すると言っておきました。

読んでみると、原稿用紙の使い方そのものにミスがあった学生はごく僅かでした。口うるさく言った成果だと思いたいです。その代わり、誤字や誤解を生むような字形が目立ちました。これは、原稿用紙の使い方のミスがなくなったために浮かび上がってきたのかもしれません。原稿用紙の使い方はAでした。

語彙のレベルを上げるようにという注意もしておきました。こちらは多少怪しいのもありましたが、総じて言えば十分合格点があげられます。文法や語彙の誤用もあまりなく、読みやすかったです。

じゃあ内容はというと、これも水準以上でした。学生の頭の中に地球温暖化問題のネットワークができているのではないかと思いました。授業でさんざん取り上げられてきたテーマですから、それに関する文章を読んだり映像を見たり聴解問題として聞いたりしたことがかなりあるはずです。それを通して得た知識やデータなどが堆積し、活用できるまでに熟成していると見たいところです。

地球温暖化に関してはそうだとしても、実際の入試で今さら地球温暖化問題を取り上げる大学は少ないのではないでしょうか。他のテーマに関してもこれくらい書けるようになるには、地球温暖化と同じくらい時間と手間をかけて学生を鍛えなければならないのかもしれません。

学生が初めて取り組むテーマを与えたら、原稿用紙の使い方も語彙のレベルも文法も軒並みC以下になってしまうのでしょうか。そうすると、文字は日本語だけど文章は日本語ではないという“力作”にまみれる日々が麻痺構えているのかもしれません。

日本語教師養成講座へのお問い合わせはこちらへ

文章を書く

6月26日(木)

もうじわじわと2026年度入試が始まっていますが、最近は志望理由書など受験生が頭を使って考えなければならないはずの書類も、生成AIに書いてもらうのが常識となりつつあります。大学側もそれを前提に書類を受け取り、別の方法で学生の真の力を測ろうと方向転換を始めています。

だいぶ前になりますが、ZさんがA大学の志望理由書を持ってきました。文法的には直すところがほぼありませんでした。構成も非常に整っていて、このまま出してもそこそこ以上の評価はしてもらえそうでした。でも、同時に、どこかつかみどころのない、つるんとした印象も残りました。チャット君に書いてもらったのかなと思いましたが、本人に確認は取りませんでした。

私は“つるん”にとがった何かを取り付けようと、Zさんにあれこれ注文を付けました。Zさんの勉強したいことも知っていましたから、それが際立つようにと「このあたりはばっさり切ってしまえ」なんてアドバイスもしました。読み手の心に引っかかり、面接の場で議論になることを期待しました。

しかし、Zさんが書き直した改訂版は、初版とあまり変わりませんでした。私の意見は、チャット君に却下されたようです。私がZさんの心を動かせなかった、AIに負けたということです。でも、大学の先生はこんなに甘くはありません。A大学のようなレベルの高い大学なら、どこまで本気で考えているか、厳しく問うてくることでしょう。

最近、「Aiに書けない文章を書く」(前田安正、ちくまプリマ―新書)を読みました。「Aiは、文書は書けるけれども文章は書けない」と筆者は述べています。文書と文章の違いについて触れるとネタバレになりかねませんから、ここから先は「AIに…」をお読みください。

Zさんは志望理由書という文書を作成し、私は文章にしようとしたけど果たせなかったというのが、Zさんと私のやり取りの結果です。面接の場で志望理由書を文章にすべく、Zさんを鍛えていくほかないでしょう。

日本語教師養成講座へのお問い合わせはこちらへ

地ならし

6月21日(土)

学生の作文は、最低2回は読みます。まず、誤字脱字、文法の間違いを訂正しながら読みます。そして、主張を理解すべく精読します。残念ながら、99%の作文は、間違いを直して初めて、学生の意見や考えが浮かび上がってくるのです。私は、この1回目の読みを、秘かに地ならしと呼んでいます。

私が今学期担当した作文は、上級の小論文でした。上級なら間違いも少なくて地ならしもすぐにすむだろうとお考えになるかもしれませんが、決してそんなことはありません。上級の学生にはプライドがありますから、難しい表現をしたがります。これがピタリと決まれば言わんとすることがすっと入ってくるのですが、そんなことはめったにありません。多くの場合が空振りか暴投で、地ならしをしないと「大変だ」ということぐらいしかわかりません。

「SNSを観察すると、動画や文章のタイトルが大抵同じだという結論を認める。」って、要するに、「SNSには同じようなタイトルの動画や文章が並んでいる」ということですよね。こんな文は中級の学生には書けませんが、原稿用紙2枚にわたってこんな文がてんこ盛りになっていたら、お腹いっぱいどころか吐き気を催してきます。だから、まず、吐き気を催さない程度の文にしておく必要があるのです。

そうやって浮かび上がらせた主張は、さすが上級だけあって、首肯できるものが多いです。結論を認めちゃった学生も、「言葉を正しく学び、多様な表現を身に付けることが、これからの社会をよりよくするために必要不可欠である。」なんて、まっとうな意見を述べています。

朝から急ぎの仕事をいくつもしましたから、まだ1/3ぐらいの学生の小論文しか読んでいません。でも、月曜日中には読み終われそうな光が見えてきました。

日本語教師養成講座へのお問い合わせはこちらへ

日本語スルー

6月11日(水)

初級クラスで、昨日の宿題を集めました。教科書の内容に合わせたテーマについて、教科書で勉強した文法や語彙を使って10行程度の文章を書いてくるというものでした。出席者全員が提出しましたから、「このクラスはみんないい学生ですね」なんてほめながら学生を調子に乗せ、授業も順調に終わりました。

職員室に戻って内容をチェックしてみると、大変なことになっていました。半数近くの学生が、テーマを無視していたのです。主に成績中位から下位グループの学生たちでした。日本語で書かれていたテーマが読み取れなかったに違いありません。その下に学生たちの母語で書いてあった、“教科書で勉強した文法や語彙を使って…”というあたりは守られていました。

テーマの方が、注意書きよりも3倍ぐらい大きな字だったのですが、レベル1の学生たちには日本語よりも母語に視線が吸い取られてしまったのです。レベル1とはいえ、3か月近く日本語を勉強してきていますから、そこそこ日本語に慣れてきているはずです。いや、授業中には多少複雑な指示も聞き取ってその通りに動けるようになりました。それでもこういうことが起きてしまうのです。

母語の力って強いんですね。そして、その強力な母語の力を振り払って日本語に注意を向けられた学生とそれができなかった学生の境界線が、ちょうどこのクラスのど真ん中を走っていたことにも驚かされました。こういうのをさらに追究していくと、第二言語習得過程に関して興味深いデータが得られるのかもしれませんが、それは私の手に余る仕事です。

的外れな文章を書いてきた学生には、明日の先生から書き直しを命じてもらうことにしました。今度は、こういう行き違いが生じないような形で。

日本語教師養成講座へのお問い合わせはこちらへ