Monthly Archives: 11月 2018

さすが×3

11月16日(金)

中間テストが終わったとたん、面接練習やら志望理由書の添削やらで、てんてこ舞いでした。

まず、Lさんの面接練習。前回、質問に対する回答が、「貴校にはいい先生がたくさんいらっしゃいますから」など、誰でも答えられる内容だと指摘しました。今回はきちんと練り上げて、具体的な内容、他の受験生は答えられない答え方になっていました。もちろん、文法や語彙の誤りはありましたが、日本語教師ではなくても理解可能な範囲でしたから、あまりねちこち注意するのはやめました。さすが3回目、順調な仕上がりです。あさっての本番では、緊張せずに力を出し切ってもらいたいです。

続いてMさんの志望理由書添削です。一読して、なんだかすごく上手に書けているように思いました。だって、意味がすんなり頭に入ってきたのですから。火曜日に中級の小論文クラスの中間テストがあり、それを毎日読んでいるのですが、二読三読してももやが晴れない文章が多いのです。ですから、流し読みで言いたいことがすっとわかるMさんの志望理由書が輝いて見えてしまうのです。さすが、超級です。でも、よく読むと、「っ」が抜けているなんていう基礎的なミスから、修飾関係を入れ換えたほうが文意が通りやすくなるなどという高度なものまで、いくつか改善点が発見されました。内容的には問題がなく、こちらはそのまま清書して出願となるでしょう。

T先生とS先生の学生が出願書類の作成に呻吟しているところに、今年2人の志望校に入ったHさんが、実にタイミングよく来ました。挨拶もそこそこに2人の出願の面倒を見てもらうと、さすが経験者だけあって、適切な指示を出してくれました。多忙な両先生、大いに助かっています。書類の指導が終わると、受験の心構えも話してくれました。進学して半年あまりで、ずいぶん成長したものです。今、感心しながら耳を傾けている2人の学生も、来年の今頃は感心させるほうに回っているのでしょうか。

手紙はいくら?

11月15日(木)

中間・期末テストの日は、学生の登校時間は早まり、教師の出勤時間は遅くなります。学生はラウンジで教科書を開いて最終チェックをしようと思い、いつもより早く学校へ来ます。教師は前日までに準備した試験問題を粛々とさせるだけで、授業準備が不要なので、のんびりとお出ましになります。定期試験日は、普段とはちょっと違う空気が流れる朝のKCPです。

試験監督は、いつもと違うクラス・レベルの教室に入るので、何かと刺激になります。私はレベル1のクラスの監督でした。監督中に学生が取り組んでいる試験問題をのぞいてみると、“80円の切手を5枚ください”という文を書かせる問題がありました。あれ、今、手紙って80円じゃなかったよねえ…と思いましたが、ちょっと自信がありません。消費税率が8%に上がった時に端数がついたはずだけど、最近郵便料金がまた上がったような話も聞いたし…。つい先日、年賀状を買った時、62円になっていましたからねえ、はがきが。

はがきと封書の郵便料金は、昔は常識でしたが、今はどのくらいの人が知っているのでしょう。先週あたりかなあ、クラスで「電話とメールとどちらが好きか」という話題になり、今はメールよりもLINEだとか、スカイプは電話なのかとかと話が広がりました。そのとき、「先生は手紙を書きますか」と聞かれました。振り返れば、ここ何年も、年賀状以外の手紙は書いていないような気がして、「年賀状だけですね」答えました。学生たちは笑っていました。

その学生たちにしても、出願書類を送る時になって初めて郵便局のお世話になったという例が多いと思います。郵便局という単語はレベル1で勉強しますが、実は学生にとっては縁の薄い存在のようです。そういえば、私も郵便貯金の口座があるはずですが、どうなっているのでしょう。

ネットで調べたら、封書は82円でした。

木枯らしも吹かず

11月14日(水)

今朝あたりはだいぶ気温が下がったと思いましたが、まだまだコートなしでも平気そうです。最近、秋の短い年が続いていましたが、今年は久しぶりに秋を満喫しています。

授業中教室の窓から空を見上げて、真っ青な秋空が目に入ると、思わず見とれてしまいます。冬の乾いた、光ばかりが目立つ青空ではなく、適度な瑞々しさが感じられる、手を伸ばして触りたくなるような青さに心が引き付けられます。こういう秋が、今年はじっくり味わえるのです。

KCPの校舎から見える狭い青空ではなく、広々とした青空に両手を伸ばしたいです。BBQのときがチャンスでしたが、あいにくその日はそれどころではなく、気がついたらたそがれ時でした。3日は好天でしたが雑用に追われ空を見上げるチャンスすらなく、以後、休みの日はいまひとつ空模様がパッとしません。今週末はどうなのでしょう。

秋を満喫するのはいいのですが、今年はまだ木枯らし1号が吹いていません。去年は10月30日でしたから、すでに半月遅れていることになります。木枯らし1号は、西高東低の冬型の気圧配置の日に吹きます。しかし、これから数日の予想気圧配置図を見ても、西高東低にはなりそうもありません。定義上、東京の木枯らし1号は11月の中旬までに吹くことが必要ですから、もしかすると、今年は木枯らし1号が吹かない年になるかもしれません。そうなると、1979年以来39年ぶりになるのだそうです。

気象庁の長期予報によると、エルニーニョが発生しているので今シーズンは暖冬になるそうです。秋が長いのが暖冬の兆候だとしたら、あまり喜んでばかりもいられません。

1時間待ち

11月13日(火)

午前の前半の授業が終わり、選択科目の教室に移動するために後片付けをしていると、Hさんが教室に入ってきました。Hさんは前半の授業を休んでいます。「どうして休んだんですか」「先生、すみません。踏み切りで1時間止められました」「踏み切りで止められた?」「はい、車に乗っていたんですが、踏み切りで全然動かなくて遅刻しました」「Hさんのうちはどこですか」「池袋です」…。

要するに、友達と一緒にタクシーで学校へ来ようとしたか、友達に車で送ってもらおうとしたかで、運悪く池袋駅近くの開かずの踏み切りに捕まり、1時間身動きが取れなかったようです。それならどうして車を降りて電車で来ようとしなかったかと訴えたかったのですが、次の予定が迫っていたのでHさんを釈放しました。

それにしても、Hさんは東京で1年半も暮らしているのに、車の中でボーっと1時間も待っていたなんて、いったいどういう神経をしているのでしょう。この1年半、日本の社会を全然見てこなかったのでしょうか。日本はクルマ社会ですが、東京で一番信頼できる交通機関は電車であり、クルマは、快適かもしれませんが、時間の計算の立たない移動手段です。こんな、東京人にとっては常識以前のこともわからなかったとしたら、Hさんは家と学校と、せいぜいアルバイト先にしか足を踏み入れていないのでしょう。それも、決まりきった道を通って。もしかすると、国の仲間だけと付き合い、日本のニュースには全く触れず、スマホで国のサイトばかり見ていたのかもしれません。日本語は多少じゃべれるようになったかもしれませんが、これでは社会性はまったく身についていません。

選択授業は、Hさんとは違うレベルの学生向けの小論文でしたが、社会性のある意見が出てくるか、若干暗い気持ちで授業に臨みました。

8つ間違えた

11月12日(月)

昨日でEJUが終わりました。私のクラスのSさんやMさんは、日本語で8つ間違えたけど何点ぐらいかなどと聞いてきました。EJUは、どの問題が何点などと決まっていませんし、間違え方によって点数が違うという噂もあるし、間違えた数だけで点数が予測できるような単純なしくみではありません。

それよりも問題なのは、SさんにしろMさんにしろ筆答問題に弱いということです。いや、この2人に限りません。今年の上級クラスは、記述式の問題になると元気がなくなってしまいます。“~を抜き出しなさい”という、テキストの文言をそのまま引っ張ってくるのならまだいくらかできるのですが、自分の考えを書いたり本文の内容を要約して答えたりする問題となると、白紙のまま手がピクリとも動かない学生が大勢います。

確かに、筆答問題は答えをまとめるのに手間もかかるし、答えに至るまでの過程も長いです。選択式のようにヒントが書かれておらず、それさえも自分で見出さねばなりません。しかし、長い文章の中から自分でそれを見つけ、頭の中を整理し、筆者の言わんとしていることや登場人物の心の動きなどをつかむことにこそ、論説文を読む意義があり、読書の醍醐味を感じるのではないでしょうか。

私のクラスの学生だけじゃありません。選択授業で資料調べをさせていますが、ごく一部の学生を除いて「調べ」になっていません。たまたまネットで引っかかったサイトの内容を丸写しなのですから。日本語という外国語で調べるのは学生たちにとって荷が重いでしょうが、大学院はもちろん、大学でも進学したらそういうことの連続です。進学した卒業生たちは異口同音にそういっています。私が面倒を見ている学生たちは、そういう学問研究生活に耐えられるでしょうか。不安でなりません。

はさみで勝つ

11月10日(土)

外部の研修会でNIE(教育に新聞を)を勉強してきたM先生を中心に、授業で新聞を扱う先生が増えました。私は朝日と日経のデジタル版の有料購読者ですから、10日前ぐらいからの新聞記事を紙面の形で印刷することができます。ですから、パソコンでこれはと思う記事を見つけた先生から、その記事をいかにも新聞から切り抜いたかのように印刷してくれと頼まれることがこのごろよくあります。

今朝もA先生から、トランプ大統領とCNNの記者の記事ということで依頼されました。検索するとそれっぽい記事が引っかかってきましたが、それは大きな記事の中の一部でした。大きな記事だと字数も多すぎるし、扱っている範囲も広すぎるし、授業で使ったらもてあましそうです。でも、A先生がほしい記事だけピンポイントで印刷することはできません。しかたがないですから、大きい記事を印刷して、必要な部分だけ切り抜くことにしました。

A先生は、はさみを手にしながら、「なんだかアナログだねえ。Sさん、これ、パソコンの中でどうにかならない?」と、ITに詳しいSさんに聞きました。「できるけど、手でやるほうが早い。何でもコンピューターにやらせようとしちゃだめだよ。手の方が効率的なことだってある」とSさん。「パソコンでこんなことがしたいんだけど」と相談すると何でも解決してくれるSさんの言葉ですから、重みがあります。

いろんなアプリやら小道具やらがあります。それを上手に使いこなせば確かに便利です。楽です。そういうものが使えるように仕事をやり方を変えることも業務の効率化の一つです。しかし、何でもそれを基準に考えるというのは、人が機械に振り回されていて、人間の主体性が奪われているように思えます。人間がAIに負けるというのには、こういう面もあるのかなと、Sさんの言葉に感じました。

合格報告

11月9日(金)

Mさんが入学したのは今年の4月でした。国で日本語を勉強してきたのにプレースメントテストでレベル1に判定されたのが少し不満そうでした。ひらがなの読み書きから始めるクラスで、自分はこんなクラスにいるべき学生じゃないんだとばかりに、難しい文法(と言ってもレベル2で勉強するくらいの文法ですが)を盛んに使っていました。

お昼過ぎ、そのMさんが「先生、これ、見てください」と、スマホを差し出して見せてくれたのが、S大学の大学院の合格通知でした。レベル1の時からずっとそこに行きたいと言っていて、言うだけではなく着実に準備を進め、見事に初志貫徹したのです。やるべきことはきちんとやってきたのですから、当然の結果かもしれません。

T先生は「そうやって前にお世話になった先生のところにきちんと報告に来るような人だから合格したんですよ」とおっしゃっていました。確かにその通りで、必要なことを計画的にしてきたことがうかがわれます。また、そういうMさんなら、大学院進学が決まったからこれから卒業まで遊びまくるというのではなく、残された4か月ほどの間に可能な限り日本語力をつけて、進学先で日本語で困ることがないようにしていくでしょう。

それに比べて、私が受け持っている最上級クラスは、こっそり受かっている学生が続出で、噂を聞きつけて昨日聞き取り調査をしたら、Jさんなど2校も受かっていました。Jさんは、Mさんより日本語はできますが、進学してからそこの社会・コミュニティーに溶け込めるでしょうか。若干不安を覚えます。

これからとこれまで

11月8日(木)

初級の学生向けの受験講座は2本立てです。11月のEJUを受ける学生がいますから、無理を承知で過去問をしています。その過去問の解説を通して、物理や化学や生物の基本事項を教えていきます。日本語を読む力がまだまだですから、問題文を読むのに上級の学生の3倍ぐらいかかってしまいます。ですから、今度の日曜日の本番でも、彼らが思い描いている大学に手が届くほどの得点は挙げられないでしょう。今回はどのくらい難しかったか、時間が足りなかったか、できなかったか、緊張するか、母国の入試と雰囲気が違うかなどが実感できれば十分です。

その代わり、来年の6月が勝負の試験です。来週の受験講座からは、それに向けて体系的に勉強していきます。断片的な知識の堆積ではなく、日本語による脳内の理科ネットワークの構築を目指します。国で勉強してきたこともベースにして、“一を知って十を知る”みたいな頭になったら、実力が飛躍的に伸びます。今は私の日本語が苦しいでしょうが、ここを我慢すれば、進学してから日本語で勉強や研究ができる思考回路が築けるのです。

上級の学生向けの受験講座は、今週が最終回です。1年以上も私の授業に付き合ってくれた学生たちには、同志に似た感情すら生まれます。私には、もう、学生たちの健闘を祈ることしかできません。毎度のこととはいえ、気体と不安がない交ぜになったこの気持ちは、達成感とも自分自身の力不足を嘆くのとも違う、何とも形容のしようがないものです。

来週からは、受験講座をしていた時間に面接練習がバンバン入りそうです。

お前の目は節穴か

11月7日(水)

自分の間違いを自分で発見し、自分で直せるようになったら、一人前に一歩近づいたと言えるでしょう。学生たちのノートをチェックすると、同じレベルでもこの力の差がけっこう大きいことに気づかされます。

クラスでディクテーションをして、何人かの学生に答えをホワイトボードに書かせ、その正誤をみんなで判定し、間違った部分を赤で直し、全学生がその正答を確認しています。しかし、後日ノートを集めて点検すると、細かいところまできちんと直している人もいれば、明らかな間違いを放置している人もいます。学生の性格によるところもあるでしょうが、概して成績のよくない学生は間違い放置組みにいます。日本語がゼロに近い学生なら直してあげもしますが、そこそこ日本語がわかるはずのレベルの学生だと、「自己責任」を取らせたくなります。でも、そうするとその差がますます広がるばかりなので、あーあと思いながら赤を入れます。

間違いに気づかない学生は、自分の答えは絶対に間違っていないと信じ込んでいるのでしょうか。その面々を思い浮かべるに、そこまで傲慢な人たちだとは思えません。これも、社会心理学などでいう正常性バイアスの一種だと思います。教師が「ここはみんなが間違えやすいから気をつけろ」と言っても、自分は間違えることなどないだろうと勝手に決め付けてしまい、正しい判断をせず、したがってしかるべき処置もとらず、間違いが放置されるのです。教師がチェックして直せば、そして、その教師の指摘を受け入れれば、テストで減点されるなどの最悪の事態は免れます。しかし、そういうバイアスのかかった目で見ると、教師の入れた赤も学生の目には映らないことだってあるかもしれません。

今度の日曜日はEJU、来週の木曜日は中間テスト。今学期も時間がどんどん流れていきます。

赤からの出発

11月6日(火)

先週の選択授業で学生たちに書かせた小論文を返しました。でも、その前に、各学生の文章から1つずつ選んだ誤文を並べ、それを直させました。先週書き上げたときには、書いた本人は気がつかなかった間違いを、違った目で見て直すのです。

他人の間違いは蜜の味なのでしょうか、思いのほか真剣に取り組み、岡目八目なのでしょうか、わりと要領を得た答えが返ってきました。書いた本人にどこまで響いたかはなかなか測り難いのですが、同様のミスが少しでも減ってくれればやった甲斐があるというものです。

私が担当しているのは中級クラスで、前回が初めての小論文でした。ですから、まず、小論文の型ができているかどうかで成績をつけました。客観的な論理や深い考察があればそれに越したことはありませんが、いきなりそれを求めるのは無理というものですから、上級の文章を見る目は封印しました。

そんなふうに甘めの採点でしたが、ほとんどの学生は原稿用紙が血まみれになりました。前後を入れ換えたほうがいいとか言い方を変えたほうがいいとか、もちろん、誤字脱字とか、隙間なく赤が入って変わり果てた自分の小論文を見て、呆然としていた学生もいました。

ひとつ気になったのが、「~と思う」の多用です。日本語の限らずどんな言語でも、言い切りの形が主張を最も強く表現するものです。しかし、学生たちの小論文にはいたるところに「~と思う」があり、ひ弱な印象を受けました。上述の間違い探しにも入れ、読み手の印象を薄くする「~と思う」について解説しました。

もし、学生たちが批判を恐れて言い切りを使わなかったとしたら、由々しきことです。批判も起きないような意見は存在意義がありません。万人受けする意見は、毒にも害にもなりません。学生たちには、毒にも害にもなるスパイキーな小論文を書いてもらいたいです。