Category Archives: 卒業生

教授を目指す

4月4日(火)

私が受験生のころには、すでに「駅弁大学」などと大学の大衆化を揶揄するような言葉がありましたが、昨今は大学進学率が50%を超え、東京に至っては高校生の8割近くが大学に進学しています。しかし、それでも韓国などと比べると大学進学率が低く、「日本は低学歴国」と嘆く声もよく耳にします。

進学率は上がっても、それ以上の勢いで少子化が進んでいるのでしょうか、閉学する大学も出てきています。つい先ごろも、恵泉女学園大学が学生募集停止に至ったというニュースがありました。そこそこ名の通った大学でしたから、驚かされました。全国を見渡すと、私立大学の半数近くが定員割れです。そもそも、日本に800校もの大学は多すぎるという意見もあります。駅弁を売っている駅は、800よりもはるかに少ないでしょう。

ちょっと前までは留学生などには見向きもしなかったのに、急に留学生の募集に熱を入れ始める大学が時々あります。そんな大学の担当者がKCPまで留学生の実情を聞きに来ることもたびたびです。誠心誠意留学生に向き合ってくれればと思い、私も好意的に答えています。しかし、中にはあまりに留学生について知らなさすぎるというか、想像力が欠如しているとしか言いようのないところもあります。日本人学生の募集に行き詰ったから留学生に手を伸ばしてみようかというのでは、安易すぎます。

夕方、何年か前の卒業生が来ました。ある大学の大学院の修士を出た後、今は別の大学院の修士で別の専門を学んでいます。博士まで進んで、末は大学教授を目指すそうです。こういう気概のある学生が、日本人には少ないのかなと思うと、少し悲しくなりました。こういう学生の期待に応えられる大学が日本にどれだけあるのだろうかと思うと、心もとなく感じました。

国立大学の予算を削ってばかりだと、世界中の学生から見放されます。大学の研究を金もうけに直結させようというさもしい根性は、捨て去るべきです。

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さよなら、日本

4月3日(月)

お昼過ぎに、だいぶ昔の卒業生Yさんが来ました。残念ながら、“Y”という名前はすぐには思い出せませんでした。マスクの外に出ている眼もとと声に覚えがあり、別の先生がYさんと呼び掛けているのを耳にして、「ああそうだった」となった次第です。

Yさんは関西の大学に進学し、その大学の大学院に進み、大学院を修了して、あさって帰国します。話を聞くと、日本の国の、もしかすると日本人の心の狭さが感じられ、考えさせられることが多かったです。

Yさんの研究内容にも関連があるのでしょうが、就職の際に国籍が問題にされたそうです。日本に帰化していたり、永住権を持っていたりすれば、その会社の研究の核となる仕事に携われたのですが、そのどちらでもないYさんは、修士の学位を持っていても周辺的な仕事しかさせてもらえそうもなく、就職はあきらめざるを得なかったそうです。国へ帰ったほうが、明るい未来が開けそうだということで、帰国を決意しました。日本は、有望な人材を1人失ったのではないでしょうか。

大学院は京大に進学したかったのですが、入試と感染拡大期が重なり、入試がめちゃくちゃになってしまい、やはりあきらめざるを得なかったとか。京大なら、どこの会社でも入り放題だったのではと言っていました。

でも、関西での留学生活は充実していたようです。東京では味わえなかった経験を、あれこれ語ってくれました。そういった経験が、Yさんの留学生活に花を添えたようです。

Yさんで一番印象深いのは、大学を14校受けたことです。1校か2校でお茶を濁そうという学生が多い中、私の知る限り最多記録です。今の学生たちには、その根性を見習ってほしいものです。できれば進学授業でその体験を訴えてほしいところですが、あさって帰国じゃしょうがないですね。

それじゃあ、Yさん、お元気で。

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手がかからない

3月16日(木)

アメリカの大学のプログラムでKCPへ来ている学生の会話テストを終えて1階に下りてきたら、10日に卒業したJさんがいました。JさんはR大学、S大学、T大学などに受かり、4月からT大学に通うことになっています。その体験談を書いてくれた上に、私と一緒に写真に納まりに来てくれました。

幸い天気もよく暖かかったですから、校舎の外の校名板をバックに写真を撮りました。もちろん、マスクを外して。やっぱり、マスクを取ると気持ちがいいですね。

さて、そのJさんの体験談ですが、「金原先生に大変お世話になりました」と書いてあるそうですが、私はあまりお世話をした記憶がありません。理科系志望の学生ということで、先学期、担任のK先生に頼まれて定期面談をしたくらいです。今学期は私の担任クラスでしたが、Jさんは受験で忙しく、私は他の学生の尻を叩くのに追われて、ゆっくり話す暇もありませんでした。

Jさんが私に恩義を感じているとしたら、先学期の面談の際に、私が理科系だったら国立に行けとアドバイスしたことではないでしょうか。それぐらいしか思い当たりません。国立に行けと言いつつも、独自試験の対策を手伝ったわけでも、面接練習をしたわけでもありません。Jさんは実に手のかからない学生でした。無理やりこじつければ、私のアドバイスがきっかけとなって、T大学の試験勉強に身を入れるようになったといったところでしょうか。

T大学は4月1日が入学式で、すぐにオリエンテーションだそうです。Jさんなら有意義な勉強をしてくれるでしょう。将来名を成してくれることを期待しています。

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就職面接

2月13日(月)

KCPの卒業生のPさんは、現在ある団体の非常勤職員をしています。このたび、正職員への登用試験を受けることになり、その面接練習に付き合いました。Pさんは在学中からも、何事に対しても熱心で全力に取り組み、アルファベットの国出身ですが最上級クラスまで上り詰めました。Pさんがいることにより、そのクラスは非常に活気を帯びていました。

そんなPさんですから、就職先でも頭角を現すことは十分想像できました。周囲で働いている人たちからも、強い信頼感を得ているようです。それゆえ、こういうチャンスが巡ってくるのは当然のことであり、このチャンスを生かしてぜひワンランク上を目指してもらいたいと思っています。

大学入試の面接練習は数えきれないほどしてきましたが、就職の面接はとんと記憶にありません。以前の会社は、そういう面接をするほど偉くなる前に辞めてしまいましたから、各方面の面接に関するうわさからどんな質問がなされるのか想像してみました。私が面接官なら、私が経営者なら、こんなことを聞いてみたい、こんなことで評価したいという質問を、Pさんにぶつけてみました。

Pさんは、さすがに社会経験があるだけあって、大学受験の若造とはだいぶ違いました。落ち着いてもいましたし、何かを丸暗記というのではなく、自分の言葉で語ってもいました。私が指摘したのは、自分を売り込む力が弱いという、その一点でした。Pさんはいつの間にか日本人っぽく自己主張が穏やかになりすぎていました。

その点を指摘し、明日の面接に送り出しました。

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穏やかな年の瀬

12月27日(火)

ほぼ1日中、パソコンの前に座って、養成講座の資料作りをしました。昨日のうちに大掃除を済ませてしまいましたから、比較的穏やかな仕事納めの日となりました。でも、ずっとパソコンの画面を見ていたせいでドライアイがひどくなり、朝から何回目薬を差したかわかりません。まぶたを閉じたり開けたりするたびに、バリバリっと音がしそうな気がします。

パソコン仕事以外としては、T大学の指定校推薦の学生としてSさんを選びましたから、それをSさんに伝えました。残念ながら、無条件というわけにはいきません。Sさんの志望理由は素晴らしいのですが、それを理解できるのは日本語学校の先生だけだろうという状況です。話す力が、志望理由に追い付いていません。ですから、年が明けたら特訓を受けてもらわなければなりません。指定校推薦入試とは、KCPの旗竿を背中に差して試験に臨むようなものです。Sさんの話し方が下手だということは、T大学の先生方にKCPの発話教育がなっとらんと思われてしまうことにほかなりません。それは困りますから、試験日までにどうにかしてもらいます。

年末に、何人かの卒業生や在校生の方からお歳暮(?)、クリスマスプレゼント(?)をいただきました。感謝の気持ちを贈り物に込めてくださったことは、非常にうれしく思います。教職員を代表して、御礼の言葉を申し上げます。ありがとうございました。ことに、10年以上も前の卒業生Lさんが、K大学を卒業して日本で活躍していることは、古い教職員間で大いに盛り上がりました。秀才肌の学生ではありませんでしたが、努力を積み重ねて就職先では屋台骨を支える人材となっているのでしょう。そんな楽しい想像を掻き立てさせてくれました。

さて、私は、年末年始は関西です。みなさん、よいお年をお迎えください。

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真ん丸

11月29日(火)

昨日の夕方です。職員室で授業中に書かせた例文の添削をしていたら、「先生、卒業生が来ています」と声をかけられました。職員室の入り口付近のテーブルをはさんでA先生が誰かと談笑しています。その顔にはあんまり見覚えがありませんでした。「Sさんですよ」と言われても、ピンときませんでした。近くを見る時用の老眼鏡をかけていたので、遠くがはっきり見えないということもありました。

例文添削の切りのいいところでメガネを取り換えて、“Sさん”のいるテーブルまで行きました。近づいてよく見ると、「あーあ、あのSさんだ」と、線がつながりました。Sさん、太りすぎですよ。そんな真ん丸な顔じゃ、わかるわけないじゃないですか。卒業間際もおなかがかなり危なかったですが、顔まで来ちゃってますよ。

Sさんは、後で調べてみると、2019年に専門学校に進学しました。確か、Sさんと入れ替わりぐらいのタイミングで、妹さんもKCPに入学したはずです。Sさんの方は、専門学校卒業後、日本で就職しました。そして、このたび、転職したそうです。どうやら、技術を見込まれて、責任ある仕事に就くようです。

Sさんのウリは、技術力もさることながら、コミュニケーション力だと思います。日本語会話が上手だというだけではなく、こうして転職の報告にわざわざ来てくれるところがうれしいじゃありませんか。人を引き付ける力があるからこそ、異郷でも地位を築いていけるのです。

大したもんだと思います。確実に上昇気流に乗っていますね。新しい会社でも大きな仕事をして、さらなるステップアップを目指しているのでしょう。自分の手で将来を切り開いているSさんがまぶしかったです。

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変な日本人?

11月17日(木)

「先生、卒業生が来ています」と言われて職員室の外に出てみると、Nさんがいました。サークルのミーティングがKCPの近くであるということで、ちょっと足を延ばしてこちらへ顔を見せに来てくれました。ありがたいじゃありませんか。ついこの前卒業したと思っていたら、来年は3年生になり、サークルの幹部を務めることになっているそうです。同時に就職活動も始めなければならないとぼやいていました。

サークルは250人からの大所帯とのことですから、その中の幹部というと、盛らずとも“ガクチカ”として書いたり話したりできますね。しかも、外国人はNさん1人だけだそうです。でも、よく聞くと、周りの学生はNさんを外国人だと思っていないのだとか。地方から出てきてちょっとなまりのある学生ぐらいにしか見られていないのでしょう。確かに、Nさんと話していると、外国人と話している気がしません。若者言葉がポンポン飛び出してきて、むしろ私のほうが置いて行かれてしまうくらいです。

Nさんに思考回路は日本語で回っているに違いありません。そして、その回転もかなり高速度です。そうでなかったら、あんなに当意即妙に対応できませんよ。GPAも3ぐらいありますから、遊んでばかりの学生生活ではありません。会社に入っても、ONとOFFのメリハリを利かせて、仕事も私生活も充実させることでしょう。企業さんはこういう人材が欲しいんじゃないかな。

「じゃ、先生、また来ます」と言って、Nさんはサークルのミーティングに向かいました。外はすっかり夜でしたが、Nさんの後ろ姿がまぶしかったです。

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少なくなりました

9月8日(木)

あちこちから入手した進学データを加工編集しています。もう出願の季節ですから、早く進めなければなりません。細かな分析をしているときりがありませんから、まずは必要最小限の加工をして、データを見やすい形にし、先生方に進路指導の際に使っていただこうと思っています。

そうやって手を付けてみると、留学生の数が減ったんだなあと実感させられます。例えば6月のEJU日本語の受験者数は13,560人で、全盛期の半分ほどです。11月のEJUの応募者数でも22,000人弱ですから、元に戻ったとは言い難いです。入国規制が緩和されましたが、それで解決できるほどの問題ではありません。

K大学の方が入試の説明にいらっしゃいました。EJUの基準点は変わっていませんから、留学生の数が減ったからと言って、大学に入りやすくなりそうだというわけでもありません。そりゃそうでしょうね。日本語が通じない留学生を入れても、他の学生の邪魔にしかなりませんからね。

毎年、受験シーズンが進むにつれて“〇〇大学△△学部は入りやすい”というような怪情報が流れ出します。昨シーズンは入管の特例措置が発表されたためか、怪情報に惑わされた学生はあまりいなかったようですが、今シーズンは特例措置はないでしょうから、どうなるでしょう。こちらもしっかり目を光らせていなければなりません。

お昼過ぎに、卒業生のHさんが来ました。D大学に進み、今はR大学の大学院修士2年生で、博士課程はK大学に進学しようと考えているそうです。Hさんの時代は学生がたくさんいて、授業時間以外は面接練習をしていたような気がします。そういえば、Hさんにもデータを見せながら、あなたの持ち点でD大学なら勝負できそうだとか、滑り止めはE大学でどうだとか、そんな話もしましたね。

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いい大学

8月25日(木)

午後、F大学の留学生担当の方がいらっしゃいました。指定校推薦の枠をいただき、それに関する説明を聞きました。KCP卒業生の動向も、教えてくださいました。

F大学は、首都圏では“いい大学”として名が通っていますが、海外での知名度は高いとは言えません。KCPから進学した学生たちも、私たちに薦められてF大学への進学を考え始めました。なぜ私たちがF大学を薦めるのかというと、F大学に進学した学生が異口同音に“いい大学”だと言っているからです。これほど確かな情報はありません。その大学で暮らしている学生たちが真正面から私の目を見て語るのです。その言葉に嘘偽りがあるとは思えません。そういう信頼関係を築いて送り出した学生たちです。

それから、学生がごく当たり前に話している学園生活の中に、大学が学生を大切にしてくれているということがぽつぽつと出てきます。「あんたが第一志望と言っていた大学に進学していたら、絶対そんないい思いなんてできなかったよ」と心の中でつぶやきながら聞いています。こんな感じで、F大学のホームページやパンフレットには載っていない、貴重な現地情報が入ってきて、それをもとに在校生の適当な学生に薦めるのです。

去年は日本語学校の学生そのものが大幅に減ってしまいましたから、F大学も留学生を集めるのには苦労したようです。今年はどうでしょうか。F大学の回し者になったつもりはありませんが、私の頭の中にはF大学に入れたい学生が何人かいます。その学生たちは、おそらくF大学を知らないでしょう。これからどうやって目を向けさせていきましょうかね。

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大成長

7月9日(土)

午後、パソコンに向かってうなっていたら、「金原先生、きれいな女子大生が会いに来てくれましたよ」と声を掛けられました。職員室の入り口に、2年前の卒業生のGさんとWさんが立っていました。KCPにいた頃と比べてすっかりあか抜けていて、掛け値なしに”きれいな女子大生“でした。

話を聞くと、KCPに入学したのは高校卒業直後だったとのことですから、失礼を承知で言わせてもらえば、山出しだったわけです。右も左も日本語もわからず入ってきて、KCPでがっちり訓練され、進学先でさらにもまれて、気が付いたらすっかり大人になっていたのです。そうそう、「あか抜けたね」と言ったら、「そうですか。あんまり変わった気がしないんですが」と、明らかに言葉の意味を理解している反応が返ってきました。

2年前の卒業生ということは、第1波で卒業式が中止になった代です。密にならないように、予約制で証書を取りに来てもらった時にも、GさんとWさんは一緒でした。進学してからはオンライン授業で苦労もしたようです。2人とも授業は対面が好きだと言っていました。

Gさんは、もうすぐインターンシップをします。もう3年生ですから、それぐらい不思議ではありません。就職前提じゃないと言っていましたが、全然考えていないわけでもないでしょう。でも、大学院進学の目もありそうなことを言っていました。

Wさんは、自分の大学の学生課でアルバイトをしています。たくさん書類を提出し、面接に通って採用されたそうです。80%は日本人学生を相手に話を聞いたり指示を出したりで、留学生相手に母国語を使うのはせいぜい20%だとか。日本人学生のアルバイトと同列に扱われているようです。それから、学部で2人しかもらっていない奨学金ももらっているとか。KCPにいた時から頑張り屋さんでしたから、らしいなっていう感じでした。

KCPへ来たのは、別の用事で曙橋まで来て、地図を見たらすぐそばだと気がついたからだそうです。うれしいじゃありませんか。そうやってわざわざ足を延ばしてくれるのは。

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