Category Archives: 卒業生

2人の卒業生

4月10日(木)

「先生、少し前の卒業生なんですが、先生に会いたいって来てます」と声をかけられ、受付まで出て行くと、Aさんがいました。もう少し正確に言うと、すっかり大人になったAさんが立っていました。KCPで勉強していた時は、まだ幼さが残っていましたが、目の前のAさんは、大人の雰囲気をまとっていました。来日したお母様と一緒だったので、孝行娘が親を案内してきた感じがして、しっかり者になったなあと感じ入りました。

Aさんはオンライン授業やイレギュラー入試を体験した時期の学生で、“お互い苦しい時期を乗り切ったね”という連帯感みたいなものも共有しています。日本へ来たはいいけれども、その後“鎖国”になってしまい、何が何でもKCPで勉強を続けるほかなく、さぞかし心細かったことでしょう。Aさんはそれを跳ね返そうとしていたのか、いつもまなじりを釣り上げて気負っているふうに見えました。語気の強い話し方が印象に残っていました。私に向かって話しかけているAさんは穏やかな目元をしていましたが、語気の強さはあのころと変わっていませんでした。あの頃の教室の雰囲気を思い出しました。

AさんはKCP卒業後Y大学に進学しました。そこを卒業し、今はT大学の大学院に通っています。今の研究を活かして起業するかもしれないなど、夢を語ってくれました。「会社が大きくなったら、KCPに寄付してね」なんて軽口をたたいたら、「もちろんそうします」と、かつてのAさんの口調で力強く宣言してくれました。10年後ぐらいかなあ、寄付が実現するのは…。

その後、ちょっと外に出たら、学校の前に車が止まっていました。3月に卒業したOさんが車のそばに立って、「運転してきました」と言うではありませんか。学校の駐輪場に置きっぱなしにしていた自転車を回収に来たそうです。確かに、卒業の直前に、運転免許の試験で学校を休んだこともありました。その車、1850万円だそうです。こちらは、親のすねをかじりまくる道楽息子のオーラが出まくっていました。

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背中

4月8日(火)

お昼少し前、先日この稿で取り上げたYさんが帰国の挨拶に来ました。明日、帰国するそうです。国で就職先が見つかったとのことですから、こちらもホッと一息というところです。ずっとYさんを見てきたK先生は、学生を引き連れて、4月期の始業日恒例ともいえる御苑の花見に出ていました。Yさんに初級の学生への通訳などでさんざん助けてもらったM先生も、午前中は授業でした。30分ばかり待ってもらい、2人の先生が職員室に戻ってくる頃合にまた来てもらいました。

K先生とは、長い時間話していました。いろいろと積もる話があったのでしょう。努力は、日本での進学という当初の夢をかなえるという形では実を結びませんでしたが、Yさんは、表情を見る限り、別の形で実を結ばせたのかもしれません。K先生にそんな話をしているようにも見えました。そして、午後の授業が始まる少し前に、笑顔で手を振りながらKCPを後にしました。

吹っ切れたと思っちゃっていいのかなという気はしましたが、Yさん、あなたにとってKCPで勉強した月日は、決して黒歴史じゃないですよね。お土産の紙袋を差し出したその手で何かをつかみ、そしてそれを握りしめていますよね。今年もあなたのようなすばらしい学生にめぐりあい、立派に育て上げたいと思っています。

Yさんの姿を目にするのも、おそらくこれが最後でしょう。でも、明るい色合いのスプリングコートをまとって新たな道に第一歩を踏み出そうとしているYさんの背中を、そっと押してあげたくなりました。

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成長

4月3日(木)

3月で上級の多くの学生が卒業していきましたから、今学期は初級のクラスを中心に入ります。初級はカリキュラムを変え、それに合わせて教科書を変え、教えるスタイルも変え、以前とは様相がだいぶ違っています。昨年10月期に週1日だけレベル2に入りましたから、ある程度の見当はつきます。しかし、今学期はレベル1と3にどっぷり入りますから、かなり気を引き締めてかからねばなりません。

午後から、その打ち合わせがありました。レベル担当のO先生から、新しい教科書を使った授業の進め方の手ほどきをしていただきました。口頭説明だけでしたから、なんとなくわかった気にはなったものの、実際の教室で、こちらの思い描いたとおりに学生が反応してくれるだろうか、本当についてきてくれるだろうかなど、不安もいくらかあります。

O先生が強調していたのは、3か月続ければ学生たちは変わるということでした。学期の最初のうちは、例えばシャドーイングも満足にできなかったのが、期末テストの頃には余裕でできるようになるとのことです。そういう成長が実感できるのは、教師としては非常に楽しみです。差も授業をやり慣れているかのごとく振る舞いながら、学生の変化を味わっていくことにしましょう。

夕方、数年前の卒業生のHさんが来ました。明日、帰国するそうです。日本企業の支社で日本語を使って仕事をするそうです。Hさんは、私のクラスの時は、本当によく寝る学生でした。EJUを日本語しか受けなかったという痛すぎるミスを犯したため、本来の志望校とはだいぶ違うところに進学したものの、大学で大きく伸びたんでしょうね、一流と言っていい会社に就職しました。そして、今回の転勤というわけです。卒業後もどんどん成長している(元)学生を見るのは、心が躍るものです。

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入力

3月28日(金)

2024年度の進学データをまとめています。受験校や進学先などは、基本的に学生の自己申告です。それを、各学生のEJUとJLPTの成績などとひもづけます。これがなかなか大変な作業なんですねえ。

まず、学校名はまだしも、学部学科名、大学院だったら研究科や専攻名があやふやです。「A大学経営学部経営学科」と書いてあるのに、A大学には経営学部はなく、ネットで調べてみると「経済学部経営学科」だったなどというのはよくあるパターンです。学科名がブランクだと、本人に問い合わせることもあります。

TOEFL、TOEICなどの英語の試験の成績も集めています。数字を入力するだけですから、致命的なミスはありません。TOEFL:780、TOEIC:80などという回答は、明らかに入力ミスですから、こちらで書き換えればいいだけです。よく見ると、意外な学生が高得点だったり、そんな点数でよくこんな“いい大学”に入れたねという成績があったり、そんな方向に頭が向かってしまい、作業が遅れてしまうこともあります。

やっぱり、結果を出せなかった卒業生のデータを見るのはつらいですね。Yさんはその典型でしょうか。日本語もよくできるし、授業中の態度も言うことなしだし、発想も豊かだし、協調性もあるし、こんな素晴らしい学生がどこにも受からなかったなんて、不思議でなりません。

私たちは年単位でYさんを見てきましたから、Yさんの優れているところ、秀でた点まで目に映りますが、一発勝負に近い入試だと、そうはいかないこともあるのでしょう。本番で力を出し切るにはどうしたらいいかという指導が足りなかったのでしょうか。

Yさんが入力したデータには、何一つ間違いはありませんでした。不合格校を細部まで入力するのはつらかったでしょうに…。

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困った

3月26日(水)

超級クラスのSさんから、専門学校に落ちたという連絡が入りました。Sさんは超級クラスの学生ですから、日本語に関しては心配ありません。専門学校も、日本語で落とされたのではないことだけは確かです。では何が原因かというと、KCPでの出席率以外に考えられません。

Sさんは、もともとは大学に進学するつもりでした。その気になれば、去年の4月に進学できたかもしれません。しかし、“いい大学”に進みたかったですから、もう1年勉強する道を選びました。結果的には、この選択が裏目に出てしまいました。いろいろな理由で学校に通えない日が増えてしまい、2024年度もあと5日という押し詰まった時期において、行先が決まっていないという状況に陥ってしまいました。

もちろん、KCPも手を拱いていたわけではありません。手を変え品を変え、飴を与えたり鞭で打ったり、相談に乗り指導をし、出席率浮揚策を打ってきましたが、浮かび上がるのは一時期だけでした。やはり、合格には出席率が不可欠なのです。

最近は、出席率90%でも、「どうして10%も休んだんですか」と聞かれることがあるそうです。となると、それよりもかなり悪い数字のSさんは、どう答えても苦しい立場に追い込まれます。病気と答えたら、そんな病弱の体で留学が続けられるのかと追及されるでしょう。

在校生で一番心配なのが、Jさんです。JさんもSさんに負けないくらいの日本語力を持っていますが、Sさん以上に出席率が心配です。来年の今頃、尾羽打ち枯らして「先生、どうしたらいいですか」なんてやっているのではないかと心配しています。

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お土産

3月24日(月)

午後、職員室で仕事をしていると、ついこの間卒業したばかりのCさんが、大きな紙袋を持ってやってきました。卒業式後、九州を旅行し、その旅行の最中にT大学から入試に合格したという通知が来ました。それでうれしくなってお土産をたくさん買い込んで大きな紙袋になってしまったのかどうかわかりませんが、うれしい報告とおやつの差し入れをいただきました。

Cさんは2年前に入学して、レベル1から、すなわち、ひらがなカタカナの読み方・書き方から勉強を始めました。その後毎学期進級を重ね、今学期は超級クラスで卒業しました。入学から卒業までの成績表を見てみると、ずば抜けてすばらしい成績を挙げているわけではありませんが、毎学期クラスの上位に位置していました。学校の授業を確実に身に付けて実力を伸ばしてきたと言えます。

また、面接記録を見ると、入学時から高い目標を掲げていました。入学時に「志望校はT大学」などと言ってしまう学生は大勢いますが、そのアドバルーンがいつの間にかしぼんでしまう学生がほとんどです。入学時にCさんと同じクラスだったDさんは、レベル1の成績はCさんより上でした。しかし、今学期の成績は、Cさんの足もとにも及びませんでした。Cさんは努力が長続きする学生だったのです。

そう思って改めてCさんを見てみると、推薦を受けて外部の奨学金を受給し、いろいろな学校行事でも活躍し、卒業時の出席率も100%でこそないものの、ほぼ100%と言っていい数字でした。KCPを存分にしゃぶりつくしたうえで、T大学に進学していきます。ということは、KCPの教育って、徹底的にすがってくれれば、大きな成果につながるっていうことですね。いい教育をしてるんだって、自信を持たなきゃ。

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もう1年?

3月17日(月)

朝、S先生がご病気でお休みになるという連絡が入りました。S先生は中級クラスの授業をすることになっていましたから、代講を立てなければなりません。中級レベル担当のH先生に授業内容を聞くと、読解を力ずくででも進めなければなりません。となると、慣れない先生ではなく、この読解をやったことのある先生が適任です。ということで、急遽、私が代講をすることになりました。別の仕事を予定していたのですが、授業に穴をあけるわけにはいきませんから、引き受けることにしました。

教室に入ると、顔と名前が一致するのは2人ぐらいで、完全にアウェー状態です。でも、最初の30分がテストでしたから、その間に答案用紙の名前とその学生の雰囲気(学生は机の方を向いているので、顔は見えません)を一致させたり、答案を盗み見てその学生はできそうかどうか見極めたりして、態勢を立て直そうとしました。

テストの次は漢字です。「予習してきてわからなかったことがあったら質問してください」と全体に聞いたら、何人かが手を挙げました。その質問に対してぱきぱき答え、ここでこちらのペースに持って来て、山場の読解になだれ込みました。

読解は水についての読み物でした。水なら化学屋の端くれとして得意分野ですから、教科書の本文を元にして、新たな情報を付け加えたり、関連事項を学生に考えさせたり進めていきました。どうにか目標到達地点に達しました。代講教師としての義務を果たしました。

胸をなでおろしながら1階に戻ってくると、先週卒業したばかりのKさんがいました。「先生、もう1年、KCPで勉強させていただけませんか」と聞いてきました。留学ビザでの日本語学校在籍期間は、最長2年と定められています。学校としてはとてもうれしい申し出なのですが、法律的にかなえてあげることはできません。また、Kさんは最上級クラスまで上り詰めていますから、4月以降、Kさんの日本語力をさらに伸ばしてあげられるような授業ができるかどうかわかりません。そういうことを伝えて、「ごめんなさい」と言いました。

午前中の中級クラスに遅刻してきたNさんも4月から進学です。KさんよりもNさんに「もう1年勉強」という気持ちを持ってもらいたいところです。でも、手ぶらで教室に入って来たNさんには、そんな気持ちはみじんもないでしょうね。

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早い!

3月14日(金)

数年前の卒業生のSさんが来ました。SさんはR大学に入り、そのまま大学院に進学しました。「就職が決まりました」と報告してくれたのですが、実はまだ修士の1年生で、入社は来年の4月です。なのに、もう内定をもらったのだそうです。何という早さでしょう。…と言って驚いているのは、私ぐらいなのでしょうかねえ。

この時期に内定をもらったということは、大学院入学早々から就職活動を始めて、去年の秋ぐらいから面接を受けまくっていたのでしょう。そう思って聞いてみたら、実際にその通りでした。面接はオンラインがほとんどで、東京の外の会社も受けました。Sさんが就職するのは、その東京から離れたところの会社です。勤めることになる土地へは、まだ1度も行ったことがないそうです。

私が就職した時は、修士2年になってから動き始め、内定したのは6月か7月ごろだったでしょうか。それでも早く決まったと友人に自慢したものです。1年生の頃は、企業研究なんか、まともにしていなかったんじゃないかな。今、こんなことをしていたら、就職戦線に出遅れてしまい、不戦敗になってしまうかもしれません。

Sさんにはこれから修論が待っています。修論が通らなかったら、内定は取り消しでしょう。日本人なら「バカなやつだ」と笑われるぐらいで終わりでしょうが、外国人であるSさんはビザの問題が絡んできますから、話は複雑です。むしろ、これからが大学院生活の正念場です。本当に笑えるのは、来年の今頃でしょう。

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ちょっと違った卒業式

3月12日(水)

朝、マンションの外に出ると、道が濡れていました。学校に着く直前に、ごく弱い雨に降られました。卒業式で四谷区民センターまで移動するのですが、傘は使いたくないんですが…。

8時頃、和服にコートという和洋折衷みたいな恰好のKさんが、「寒い、寒い」と言いながらロビーに入ってきました。和服とは言うものの、浴衣に近いものですから、そりゃあ、寒さに打ち震えたくもなるでしょう。その“和服”も着崩れてしまって、冷たい空気が直接懐に流れ込んできますから、よけいに寒いのです。ロビーの壁際に立っているKさんの前をいろいろな先生が通るたびに、着方を直されていました。見るに見かねて手を出したくなる着崩れようなのです。

開場の9時近くに区民センターのホールへ行くと、すでに10名ほどの学生が来ていました。みんな正装していました。入試の面接試験のためにそろえたスーツを着てきたのでしょう。LさんやSさんは、Kさんとは違って本格的な和装でした。歩き方がぎこちないのは、やむを得ないところでしょうか。

今年は会場の都合で、区民センターは午前中だけで、午後からはKCPの講堂で続きを行うという形です。卒業生ひとりひとりに証書を手渡すのは午後の部です。午前中は理事長から祝辞をいただき、皆勤賞などの表彰をし、演劇部と琴クラブの発表がありました。私がセリフを4つ5つ言った演劇部は、みんな堂々と演技し、卒業生から大きな拍手をいただきました。琴クラブの演奏は、たぶん初めての曲じゃなかったでしょうか。長い曲でしたが、一糸乱れぬきれいな音色がホール中に響きました。

そして、教職員による歌。私は皆さんの足を引っ張らないように隅っこに立っていましたが、N先生やY先生たち実力派の先生方のリードによって、卒業生たちの気持ちを引き付けることができました。

ここまでで午前の部が終わり、私は大急ぎで学校へ。卒業生が三々五々移動してきたところで、証書の授与式。区民センターよりもずっと小ぢんまりした会場ですから、和気あいあいといった感じで式が進みました。コスプレも何名かいました。証書授与後の挨拶も、その雰囲気に合わせて、いつもよりやわらかめにしました。こういう、学生と教師との距離の近さが、KCPのいい所なんじゃないかなあと、笑い声に包まれたステージ上で思いました。

卒業生が去っていきます。明日から、KCPの新しい1年が始まります。

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日本人客?

6月21日(金)

養成講座の授業の休憩時間に1階に下りると、ロビーでL先生、F先生と親しげにしゃべっている人がいました。学生と同じくらいの年頃ですが、見かけぬ顔です。7月期の新入生にしては、話が弾みすぎています。L先生とF先生を相手に談笑しているのですから、怪しい人ではないのでしょう。そんなに時間の余裕もありませんから通り過ぎようとしたところ、「先生、Mさんですよ」とF先生に呼び止められました。改めてしげしげと顔を見ると、確かに卒業生のMさんでした。

Mさんはもうだいぶ前の学生で、W大学の大学院に進学しました。大学院修了後、F先生の地元の近くの会社に就職したそうです。昨日の夜行バスに乗り、今朝早く新宿に着いたとのことでした。

在学中のMさんは、午前クラスなのに夕方まで学校にいる学生でした。今目の前でしゃべっているみたいに、いろんな先生を捕まえては話をしていました。本当は違うかもしれませんが、私にはそんな印象が残っています。よっぽど学校が好きだったんでしょうね。

話し好きでしたから、会話力は高かったと思います。大学院でも就職してからも、周りの日本人にどんどん話しかけているのでしょうね。その会話力にさらに磨きがかかっていました。相槌の打ち方やちょっとした言葉の返し方が、日本人そのものでした。発音・イントネーションもタイミングも、違和感がみじんもありませんでした。いや、外国人だと思って聞くと、逆方向の違和感が湧き起こってくるくらいです。

学校の友達は同国人ばかり、授業後は国の言葉で教えてくれる塾へ、買い物は自動販売機か無言でセルフレジ、食事は国の言葉が通じる店、アルバイトはせずにまっすく帰宅…という毎日を送っている学生は、話す力が付くわけがありません。期末テスト前なら、Mさんにお説教をしてもらうところなんですがね。

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