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良問ですか

3月4日(水)

初級の進学コースの授業で、学生たちに読解の問題をやらせています。市販の初級向け問題集よりもう少しひねった問題を作っています。出題形式も、実際の入試問題に近づけています。やはり難しいらしく、「〇〇字で答えなさい」というパターンは特に苦しんでいました。初めて出会う形式ですから、そりゃ戸惑うでしょう。でも、大学の独自試験にはそういう問題がたくさん出されていますから、これを何とかしない限りは合格は難しいです。

読解の良問とは、それを解くことによって文章の理解が深まるような問題だと、何かの本で読みました。それ以来、そのことを心がけて問題を作っています。「〇〇字で答えなさい」にしても、その語句を引っ張り出すことによって文章中の離れた部分同士のつながりが見えてきたり、ある物事が別の角度から見られるようになったりすることを期待しています。初級の学生にも、単語レベルや文レベルではなく、せめて段落レベルで文章を理解していってほしいのです。その補助線としての問題ということを常に念頭に置いています。

それは初級の問題であろうと同じで、一読しただけでは見えてこない何かを読み取らせる問題を目指しています。同時に、読んだ内容を日本語で考える訓練もしてもらうつもりでいます。

私の問題が本当に良問かどうかはわかりませんが、機械的な流れ作業で解ける問題にはしないようにしています。1つの文章で少しでも多くのことを考えてもらおうとあれこれ策を練るので、どうしても問題作りに時間がかかってしまう傾向にあります。学生が呻吟する顔を想像しながら問題を作っているなんて、Sでしょうか…。

音読の授業

3月2日(月)

T先生の代講で、上級クラスに入りました。各自が選んだ文章の音読でした。

今学期になってからずっと音読の練習をしてきているはずなのですが、けっこう差がつきますね。RさんやMさんや演劇部のNさんあたりは感情を込めて読んでいたのですが、IさんやSさんなどは棒読みに近いものがありました。Hさんはドラマの脚本に挑戦しましたが、セリフとト書きの区別がつきにくい読み方に。

会話は自然にできる実力を持っている学生たちをもってしても、音読ってかなり高いハードルなんだと思わされました。ただ単に文字が読めるだけじゃ棒読みにしかなりませんからね。それに加えて、文章全体をきちんと読み込んで流れや状況をしっかり把握しないと、聞き手をひきつける音読ってできないでしょう。

もうだいぶ昔ですが、中級で紙芝居を作ってクラス内発表会をしたことがあります。グループで作って、1人が1枚の絵を描いて読むというものでした。時間をたっぷりかけたこともあり、けっこうな質の紙芝居ができたように記憶しています。今は模擬討論会などに取って代わられていますが、感情を込めて音読できるようになるということをゴールとすると、紙芝居を復活させてもいいんじゃないかなと思いました。

いずれにしても、「話す」「書く」という情報を発信する技能を磨くことを、この学校では重視しています。ですから、初級から自然な話し方の練習を授業の中で行っていますし、毎学期会話タスクもあります。ただ、上級の学生の中にはそんな初級での先例を受けずにいきなり中級や上級に入ってきた学生もいますから、音読に慣れていないのかなって勝手に思っています。上手にできたRさんとMさんはKCPの初級からのたたき上げですからねって言ってしまったら、牽強付会かな…。

ごります

2月23日(月)

私の初級クラスは意向形を勉強しました。意向形というと、いつも思い出すのは日本語教師を始めたころに教えたフィリピンからの技術研修生です。ある電機会社の現地工場から送り込まれて、日本で技術と製造装置の運転方法を学び、帰国後現地で指導的な立場になる人たちを教えていました。

お定まりのように、Ⅲグループ、Ⅱグループ、Ⅰグループの意向形の作り方を教え、「食べます」「食べよう」といった調子で変換練習を始めたときです。Rさんが、「先生、『ごります』は何ですか」と聞いてきました。「ごります」なんていう動詞は聞いたことがありません。「ごりる」「ごる」、活用して「ごります」になる可能性のある動詞などありそうもありません。

しかたがないですから、「ごりますってどこで聞きましたか」と聞くと、「イトーヨーカ堂」という答えが。それと同時に研修生たちが「ゴリヨー、ゴリヨー」とだみ声を出し始めました。要するに、彼がよく行くイトーヨーカ堂の鮮魚売り場かなんかのおじさんが「ご利用(ください)、ご利用(ください)」と呼び込みをしていたのが耳に残っていたのです。何を言っているのかわからず、でもそのだみ声がずっと気になっていたのでしょう。それが「食べます―食べよう」と結びつき、「ごりよう」を逆変換し、「ごります」を導き出したのです。

「ごります」は偉大な勘違いでしたが、それを導き出したRさんは実に優秀だったと思います。未知の日本語に興味を示し、それを記憶にとどめ、あくまで追求しようとし、授業中にヒントをつかむや質問してきたのです。KCPの学生たちにも学ばせたいプロセスです。

今日は「ごります」のような質問も出ず、「つもりです」まで進みました。

叱られる日本語

2月20日(金)

私が担当している超級クラスでは、日本人ゲストを迎えての会話がありました。ゲストの皆さんには、「学生を外国人とは思わないでください。手加減しないでふだん使っている日本語で話してください」とお願いしておきました。

学生たちはゲストを迎えるまでは多少緊張した面持ちでしたが、ゲストがいらして話が始まるとそんな様子は見られなくなりました。ゲストの皆さんも、「うーん、っていうかー」なんていう感じで、ご自身がお友達とおしゃべりするときような、ごく普通の日本語を話してくださいました。そばで見ていて、十分にコミュニケーションが取れたんじゃないかと思います。

その授業の後、ちょっとした問題を起こしたSさんに説教をしました。Sさんも上級の学生ですから、普通の日本語が通じるはずの学生です。こちらもSさんのしたことの何が問題なのかきちんと悟らせねばなりませんから、むしろいつもより丁寧目に話しました。しかし、Sさんは何回か聞き返したりわからないという顔をしたりしました。動揺しているから、緊張しているからという面も多分にあるでしょう。どうやら、学生にとっては説教の日本語は日常会話よりも数段上のようです。

同じようなことは、電話口でもよく発生します。たとえば学生が出願書類なんかについて大学に問い合わせたとき、上級の学生であっても「先生、代わって」と言われることがよくあります。厳密な日本語が使われ緊張が強いられる場面となると、いつものようにというわけにはいかないのでしょう。

叱られたり、場合によっては自分が不利な立場に追い込まれたりしかねないような場面での日本語というのには、KCPを出てから頻繁に出くわすでしょう。それに耐えられるような日本語力を付けさせるって、かなり難しいものだと思います。