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夢を砕く

11月2日(木)

身近な科学の1つの楽しみは、地震の講義をすることです。学生たちは、日本は地震が多いと言います。でも、その地震がどんなにとんでもない自然災害なのかは、あまりよくわかっていません。そこを集中的につっついて、自身の本当の怖さと、日本にすむ限りその地震からは逃れられないということを力説し、学生たちの日本留学の夢を木っ端微塵に打ち砕くのです。

今学期もその日がやってきました。日本付近は、4つのプレートが交錯し、そのため全世界の10%もの地震が発生します。日本列島は活断層だらけで、断層のずれによる地震はどこでも発生し得ます。東日本大震災の例からもわかるとおり、プレート境界型地震では大津波が発生することがあり、それに襲われたら人間はなす術もありません。また、日本は古来大地震が頻発し、そのたびに甚大なる被害が出ています。そういったことを延々と説き続けました。ことに、地震発生地点を赤い点でプロットした世界地図では、日本は真っ赤になるのに対して、学生たちの母国は真っ白けで、「何でこんな危ない国に留学に来ちゃったの?」と問いかけると、学生たちは笑うほかありません。

でも、これは本当にそうで、日本で暮らすとは地震と共存するということを意味します。揺れたか揺れないかわからないくらいの地震でびくびくしたり大騒ぎしたりしてはいけません。身近な科学では地震のメカニズムなどで精一杯でしたが、地震を想定してふだんからどんな心構えを持つべきか、地震が起きた後いかに行動すべきか、そういうことを日々考えておく必要があります。そうすれば、地震などおそるるに足りないとは言いませんが、地震後を生き抜き、何があっても肝の据わった人間に成長できるんじゃないでしょうか。

授業後のミニテストを見る限り、学生たちは私の話をまじめに聞き、地震についての基礎知識は根付いたようです。

誕生プレゼント

9月4日(月)

8月26日の天気予報によると、愛媛県中予地方は29日まではお天気がよさそうですがそれ以後は曇りがちとのことでしたから、早いほうがいいと思って、27日に予定を決行することにしました。それに、27日は私の誕生日なので、自分で自分を盛り上げるという意味も込めようと思いました。

27日朝、高い雲がかかっていて抜けるような青空ではありませんでしたが、まだ夏の名残の水蒸気が多いこの時期に秋の澄んだ空気を求めるのが無理なお話です。西条駅前のバス乗り場でバス待っていると、ご同業と思われる人々が10人ほど集まってきました。数分遅れで出発したバスですが、地元の人の乗り降りはわずかに1回だけで、実質的にロープウェイ乗り場までノンストップ直行便でしたから、ロープウェイ乗り場には逆に数分早く着きました。おかげで、予定より1本早いロープウェイに乗れました。

ロープウェイの終点は「山頂」と名乗っていますが、手前の山の頂に過ぎません。終点から15分ほど歩いたところに成就社という諸願成就のお宮様があります。そこで無事に登頂してこられることを祈り、お守り代わりに竹の杖を1本借りて、山頂を目指しました。

山頂という矢印に沿って歩いているのですが、道はどんどん下っていきます。楽な道なのは結構なのですが、せっかくロープウェイで稼いだ標高を吐き出してしまうのがもったいなく感じました。また、事前の予習で成就社からしばらく下りが続くと知っていましたが、実際に下り道を歩くとなると、このまま麓まで下りていってしまったらどうしようと不安にさえなってきました。

下り道が尽きると、今度は当然上り道です。登山道が整備されているとはいえ、やはり息が弾んできます。樹林帯の中を歩くことが多いので直射日光を浴びることはありませんでしたが、だんだん汗も流れてきました。途中で休もうと思っても、休むのに都合のよさそうな岩には誰かが腰掛けていて、頂上近くの有料トイレまで歩き続けました。この間ずっと「お先に失礼します」と追い越す一方でした。。

ガイドブックによると成就社から山頂まで3時間あまりなのですが、2時間弱で着いてしまいました。四国最高峰にとどまらず、西日本最高峰である石鎚山の山頂には、成就社に対する頂上社があり、そこで登頂できたお礼に手を合わせました。360度の眺望を楽しんでいるうちにサーッとガスがかかってきたので、予定より早めに下り始めました。すると、一緒のバスに乗って一緒のロープウェイに乗った人たちが上ってくるではありませんか。ちょっとしんどかったけど、早く上ってしまったおかげで絶景が拝めたのです。

下りは上りより時間がかからないはずですが、結果的にはほぼ同じ時間がかかりました。成就社で借りた杖が、帰り道になって役に立ちました。持って行った水の量が少なく、成就社に帰り着いたときには脱水症状気味でした。かき氷で細胞を生き返らせ、ロープウェイで麓に下りてバスが来るまでの1時間ほど、ボーっとしているうちにどうにか復活してきました。

西条の町に戻ったら夜は美味しいものをいっぱい食べようと思っていましたが、それほどの食欲も湧かず、狙っていたラーメン屋さんで790円也の、味がよーくしみたチャーシュー麺をいただいただけで、今年の誕生日は終わりました。

涼しいけれども

8月18日(金)

ここ数日、肌寒い日が続いており、昨日は最低気温が20.9度、おとといは最高気温が22.8度と、9日の最高気温37.1度が嘘のようです。来週の半ばには暑さが復活するような週間予報が出ていますが、昨日あたりまでは月曜日から暑くなると言っていましたから、“来週半ば”が延期されるかもしれません。KCPの夏休みが気温的に秋休みになってしまったら、何だか寂しいです。

秋になると、いよいよ受験シーズンです。このところDさんは毎朝早く登校してきて、志望理由書を書いています。もう間もなく出願で、入試は来月末ですから、夏休み明けぐらいから面接練習をし始めることになるでしょう。Dさんに限らず、出願間近の学生が多数控えていますから、授業の合間を縫って出願書類を見たり面接を鍛えたり、あるいは、そもそも進路相談に乗る日々が、すぐそこに待ち構えています。

来週は指定校推薦の希望者を募集します。既に何名かの学生から、指定校推薦で進学したいんだけどという相談を受けています。Fさんもそんな学生です。確かにできる学生で、成績的には志望校の推薦基準を満たしています。でも、私はFさんを推薦するつもりはありません。授業中の態度がよくないからです。隣の学生とおしゃべりしているのはいつものことだし、おしゃべりに飽きたらこっそり違う勉強を始めることもしばしばだし、推薦に値する学生だとは思えません。相談に来た時にそういう点を注意しましたが、現在までに改まった形跡は見られません。

学生たちは、「推薦」は入学の手段に過ぎないと思っている節が見られます。しかし、私たちはそうは思っていません。4年間、KCPの看板を背負って学生生活を続けてもらわなければなりません。いい加減な気持ちで推薦するのではなく、その大学で勉強するに最もふさわしい学生は誰かという基準で推薦する学生を選びます。それが推薦枠を下さった大学からの期待に応える道であり、推す側の責任です。

来週が過ぎれば、私は炎暑の西日本へ遠征です。

絶壁、盆地、青い仏像

5月8日(月)

連休後半初日の5月3日も、早朝6時前は羽田空港の保安検査場の係員も手持ち無沙汰げでした。大阪行きの飛行機は定刻に出発し、芦ノ湖、山中湖、富士山、天竜川、木曽三川、鈴鹿山地、奈良盆地を見下ろしながら大阪の市街地をかすめ淀川を越えて、定刻に伊丹空港に到着しました。

初日の目的地は中山。阪急宝塚線の北に位置する標高478mの山です。好天とあって、頂上からは麓の宝塚を始めとする阪神間の町並みや淡路島の絶景が期待できます。ガイドブックには「上級」と書かれていましたが、阪急電車の沿線ですからね、ザイルを使うような絶壁なんかあるわけがない、せいぜい上り坂が多少長く続くとかアップダウンを繰り返すとかという程度だろうと高をくくっていました。

頂上まではその通りでした。山頂やその付近の見晴らしの利くところからは、予想以上の絶景が拝めました。冷たい麦茶がとても美味しかったです。それから下りにかかったのですが、これがとんでもなかったですねえ。私は“Travel Light”を信条としていますが、それでも4泊5日ともなればそれなりの荷物があります。それを背負い込んでいることもあり、機動性がいつもより劣っていたのも災いしました。足をどこに置けばいいか考え込むような岩場が続き、かといって引き返すにも登ってきた時より急な坂をよじ登らねばならず、なるほど、これが上級の登山かと痛感させられました。いつぞやこの稿で大阪は山が近いということを書きましたが、阪急電車で梅田から30分ほどの、住宅地の裏山みたいな山に進退窮まるような登山道が存在するのです。東京で言えば、よみうりランドや多摩動物園が絶壁の上にあるようなものです。

5日は生駒山地縦走を試みました。こちらは中山よりもずっと楽な道のりでした。尾根筋から見下ろす大阪平野は、東京人の感覚からすると盆地かと見紛うほどです。北は北摂の山並み、西には海があるのですがそのすぐ向こうに淡路島の山々があり、山に囲まれているように見えるのです。反対側を見れば本物の盆地・奈良盆地があり、それと比べれば大阪は明らかに平野ですが、縦走路の展望台から都心のビル群まで指呼の間です。大阪ドームもはっきりわかったし、花園ラグビー場なんか、足元ですよ。やっぱり大阪は山が近いのです。

その間の4日は、吉野まで足を伸ばし、金峯山寺蔵王堂の秘仏・蔵王権現像を拝んできました。3体の仏様は、ネットやテレビで見るよりもずっと品のよい青い色をしていて、しばらくその前から動きたくなくなるような魅力を発していました。来年もまた訪れて、この荘厳さにまた浸りたいと思いました。

大阪から吉野までは、新宿から箱根までより20キロ余り近いのですが、山奥度合いは吉野のほうが数段上です。なんたって、修験道の聖地ですからね。ここでも大阪は山が近いと感じました。

6日は竹内街道を歩く予定でしたが、雨が降るという予報が出たので、ホテルの近場の博物館を見学しました。竹内街道は、来年に持ち越しです。

大阪の山の近さを改めて実感した連休でした。

ロビーで花見

4月12日(水)

午前の学生たちが教室に納まって少し静になったころ1階のロビーに出てみると、階段の上り口に桜の花びらが3枚落ちていました。学生の家の近くに咲いていた桜が、靴の裏にでもくっついて運ばれてきたのでしょう。

四ッ谷駅の桜は今が盛りで、今朝も、ほんの数十秒でしたが、花見をさせてもらいました。そして、お昼は花園小学校の校庭の桜を見に行きました。こちらも満開で、見とれるような淡い桜色でした。仮校舎のころは、花園小学校は通勤経路でしたから、朝のみずみずしい桜と夜桜と、毎日2回眺めていましたが、現校舎が完成してからは、とんと足が向かなくなりました。1月末に卒業クラスを連れて合同授業に行って以来です。

新宿通りから御苑に目をやると、大木戸門前の桜が見えました。あした、あさっては、各レベルが御苑へ花見に行きます。ソメイヨシノは散り初めぐらいかもしれませんが、御苑にはいろいろな桜がありますから、いや、そもそも桜以外にも多種多様な花がありますから、何かきれいな花が見られるに違いありません。

そんな昼食がてらの散歩から帰ってくると、卒業生のYさんが来ていました。Yさんは事情があって先月の卒業式に出られなかったので、証書と文集を受け取りに来たのです。職員室にいらした先生方の前で証書をもらい、拍手を受け、ちょっぴり照れていました。

その後、大学の様子を聞いたら、「留学生の新入生の中では、日本語が一番上手です」と胸を張って答えてくれました。そりゃそうですよ、KCPの超級で鍛えられたんですから。

脱皮しようかな

3月30日(木)

新宿御苑前駅の改札口を通ろうとすると、改札口脇に新宿御苑大木戸門の案内が、桜の地の紙に書かれて貼られているのを見つけました。毎年、これが出ると、春本番という感じがしてきます。そういえば、四ッ谷駅の桜も日増しに花が開いてきています。気象庁のページによると、夕方までに大阪や長崎など西日本の各地で桜の開花宣言が出されたようです。

朝はコートを着て出勤しましたが、午前中外出したときはコートを置いていきました。校舎の外に出た直後は寒さが肌に突き刺さりましたが、歩いているうちにどんどん体が温まってきました。私は普通の人より歩くのがかなり早いですから、御苑の駅ぐらいまででも結構な運動量になるのです。この分だったら、もう朝でもコートは着てこなくてもいいかなと思いました。

昼間はいいお天気だったこともあり、スーツの上着すら脱ぎ捨てたくなりました。アメリカの学生のDさんなら半袖のTシャツ1枚でしょうね。最高気温は17.8度、平年を2度あまり上回りました。お昼近くになると、空のかなり高い位置から日が射すようになりました。南中高度は58.1度、影も短くなるわけです。

月曜日は雪までちらついて真冬に逆戻りでしたし、それほどではなくても先週あたりは小さい春を見つけるのが大変でした。それが一気に4月上旬の気温で、わざわざ探すまでもなく、春があふれていました。

学校に戻ってから、Zさんに入学式の在校生代表挨拶を頼みました。去年の4月生ですから、新学期からは一番の先輩になります。今年の秋ぐらいには、Zさんもサクラサクになってもらわなければ困ります。

春の息遣い

3月22日(水)

昨日はさっぱり見えなかった四谷の桜でしたが、今朝は快晴でしたから、かすかな光を集めた心持ちピンクっぽい枝が明けきらぬ車窓から見られました。夜中から北寄りの風が強く、朝はコートが欠かせませんでしたが、最高気温は15度を超えました。陽射しの確かさは、春のものです。

授業後、Sさんが進学相談に来ました。Z大学を受けたいので、その情報がほしいということでした。過去に合格した学生のEJUの成績は、Sさんなら十分に手が届きそうな点数でした。今からしっかりと狙いを定めてそれに向かって努力を続ければ、受験本番の秋ごろには十分な実力が蓄えられていることでしょう。志望校についての研究を深めていけば、面接でも有利な戦いができるに違いありません。

わけもわからずただ有名だというだけで志望校としているようでは、いずれ破綻を来します。そういう学校には到底手が届かないとわかってから動き始めても、後手に回って弥縫策の連続となり、望ましい結果は得られません。そういう指導をしているつもりなのですが、そういう学生が後を絶たないのが現実です。

それだからこそ、Sさんのような学生が来るとうれしくなってしまいます。確たる裏づけのある希望に満ちた話を聞くと、こちらもその希望の実現にぜひとも手を貸したいという意欲が湧いてきます。そして、そういう話をしているSさんからは、これから伸びていこうという勢いも感じました。

ほころび始めた桜と同じように、KCPの中でも新しい芽吹きが見えてきました。何だかんだと言いながらも、やっぱり春なんですね。

開花

3月21日(火)

全国に先駆けて、東京で桜の開花宣言が出されました。もう少し正確に言うと、ソメイヨシノの開花宣言です。沖縄や奄美大島では、すでに1月にヒカンザクラの開花宣言が出されています。九州から北海道南部まではこのソメイヨシノが桜の開花宣言の対象となり、道央、道東、道北はエゾヤマザクラが開花の標準木となります。今日の最高気温は平年を2度ほど下回りましたが、先週後半から比較的暖かい日が続いたおかげで、開花宣言となったのでしょう。

昨日は暖かかったので、窓を思いっきり開けて大掃除をしました。冬物を片付ける勇気はありませんでしたが、窓を開けるのが億劫でなかなか行き届かなかった部分の掃除まで手がけることができました。そんなこともあり、そろそろ桜が咲くかなと思い、今朝は私の定点観測地点である四ッ谷駅の桜を見ようと思ったのですが、日の出直前なのと雨雲で暁光がさえぎられたのとが相まって、何も見えませんでした。明日は朝から晴れのようなので、桜のつぼみの膨らみ具合をしっかり観測したいと思っています。

そんな雨の中、今夜の夜行バスで関西に旅立つXさんが別れの挨拶に来ました。Xさんは、本当は24日の期末テストまでKCP勉強しなければならない学生ですが、今のアパートの契約が今日までなので、今夜進学先の関西へ向かうことになったのです。お世話になった先生方へと、ドーナツを買ってきてくれました。私も、ずいぶんお世話しました(?)から、お相伴にあずかりました。

Xさんの“サクラサク”は、東京の桜と違ってとても遅かったですが、つぼみがほころびつつあります。満開になるかどうかは、関西へ行ってからの勉強次第です。

青赤黄

11月22日(火)

明け方まで雨だったところもかなりあったようですが、集合時刻を迎えた国営昭和記念公園西立川口は快晴となり、雪をかぶった富士山がマンションのすき間から拝めました。園内は、錦秋という言葉がぴったりの紅葉と黄葉が抜けるような青空に映えて、目を楽しませてくれました。「京都なんかまで行かなくてもここで十分ですね」とMさんが言っていましたが、まさにその通りでした。

やはり最大のネックは、着火剤1つで炭に火をつけることでした。火のつけ方は各クラスで指導していましたが、着火剤に火をつけてから炭に火が移るまで待つことがなかなかできず、焦ってあおいでかえって火を消してしまうクラスがけっこうありました。火付け役の私は、あおぐのを思いとどまらせたり、消えかけた火を復活させたり、火が起こったクラスには炭を足すタイミングを知らせたり、日差しの強さもあり、この時点でずいぶん汗をかいてしまいました。ヒートテックがちょっと邪魔くさくなってきました。

料理が始まると、各クラスから持ち込まれた料理コンテストの作品の味見に没頭しました。どのクラスも、味にも盛り付けにも工夫を凝らしていて、目で引き付けられ、舌で驚かされ、濃密な審査時間でした。じゃがいも料理というお題でしたから、カレーライスや肉じゃがばっかり出てきたらどうしようと思っていましたが、よくぞまあこんなにいろんなじゃがいも料理を考え出したものだというくらい、バラエティーに富んでいました。自分の発想の貧困さを思い知らされました。

火付け役で見回ったときに、各クラスで串焼きやら焼肉やら、色とりどり素材とりどりの料理が用意されていましたから、じゃがいも料理以外にも舌鼓腹鼓を打ったことでしょう。その一部が差し入れされてきましたが、どれもおいしくいただきました。審査があったのでほんの一口ずつでしたが、クラスの学生の満足げな笑顔が目に浮かぶ料理ばかりでした。

昨日までの空模様と天気予報からは想像もつかない、もしかするとこの秋一番の青空に恵まれ、食後の園内散策から戻ってきた学生たちは、いい1日を過ごしたという顔をしていました。私も、快い疲れを感じました。

初雪、地震、睡眠

10月20日(木)

北海道の各地で、平年よりやや早い初雪が降りました。気圧配置を見ると立派な東高西低で、雪が降ってもおかしくない等圧線の込みようです。山間部ではこれから15センチの積雪になりそうだといいますから、本格的な冬景色に染まるのでしょう。

今年の北海道は夏に多くの台風に見舞われ、山間部を中心に、その被害の爪あとがいまだに癒えていません。雪が降り積もったら復旧作業どころではありません。来年の春まで約半年間、作業は中断を余儀なくされます。気になるのは、雪の時に頼りになる鉄道が不通のままだということです。大雪によって陸の孤島が出現しないことを祈るばかりです。

さて、東京はというと、最高気温が27.7度で、冬の気配どころか夏の名残を感じるほどでした。10月にはいってから、最高気温が25度以上の夏日がこれで9日目です。約半分というのは、平年に比べるとかなりの多さだと思います。11月に入ったらすぐコートかなと思っていましたが、果たしてどうでしょう。

選択授業が始まりました。例年通り「身近な科学」を担当します。暇な学生ばっかりなのか、いつもより受講者が多くて、気温の高さと相まって、教室は上着がうっとうしいほどでした。初回は、“居眠りこいたら許さねえぞ”というメッセージも込めて、「睡眠」について話しました。毎年、寒さが厳しくなったら当日の冬型の天気図を示して、「日本の気候」を取り上げるのですが、今のところ、しばらくお預けのようです。授業中地震があって(私は気がつきませんでした)学生たちは騒いでいましたから、こちらが優先ですね。