Category Archives: 自然

28日を有効に

1月6日(月)

今回のお正月休みは、12月28日から始まりました。この“28日”というのが大きいのです。多くの博物館は29日から年末年始休館に入るからです。28日にどこを見学するか3つほどアイデアがあったのですが、私が選んだのは根尾谷地震断層観察館でした。

根尾谷断層は、1891年(明治24年)の濃尾地震の際にできました。というか、この断層が生じたエネルギーによってマグニチュード8.0の濃尾地震が引き起こされたというべきでしょう。すでに130年近くたっていますから、断層でできたがけには草が生い茂り、一部は崩されて県道が走っています。しかし、観察館に保存されている地下の地層は、6mの断層の存在を明確に示しています。さすが、「根尾谷断層を研究しない地震学者はもぐりだ」と言われるだけのことはあります。断層トレンチの前にしばらく立ち尽くしました。

…という書き方では、この感激は伝わらないでしょうね。日本語教師の方々なら、そうですねえ、て形が一発で完璧に入ってしまった学習者を教えた時のようなものだと言えば、多少はわかっていただけるでしょうか。“28日”を有効に使うことができたと思いました。

翌日は岐阜城へ。岐阜はよく通るんだけどもじっくり見たことのない町でした。今回は年中無休で営業している岐阜城を目指しました。岐阜城は金華山の頂上にあるので初日の出スポットなのです。

普通は麓からロープウェイで3分ほどですが、2019年最後の大汗をかこうということで、歩いて登りました。私が選んだ登山道は健脚者向けだけあって、険しい道が続き、岩場のようなところまでありました。駅から金華山麓までは厳寒装備でしたが、頂上に着いたときは半袖短パンになりたいくらいでした。

岐阜城の復元天守閣最上層からは、抜けるような青空の下、絶景が拝めました。屏風を立てたような伊吹山、神様がつまんで持ち上げたら本州ごと持ち上がってしまうんじゃないかというような木曽の御嶽山をはじめ、乗鞍岳、恵那山、北アルプス、中央アルプスの山々が見渡せました。もちろん、名古屋の高層ビル群なんか楽勝です。「今年1年のご褒美かな」と思いました。

さて、2020年も年末にこんな感激が味わえるように、仕事に精を出しましょう。

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汗を流して

5月7日(火)

10連休はいかがお過ごしでしたか。私は予定通り関西を歩き回ってきました。五月山公園、小林一三記念館、小谷城址、佐和山城址、丹波亀山城址、長岡京古跡、神戸海洋博物館、青山高原、犬鳴山、…どうです、一緒に付き合いたくないでしょう。関西出身のH先生も、さすがにすべてはいらっしゃったことがないんじゃないでしょうか。

世界遺産クラスの名所旧跡寺社などは、大昔も含めて一度は訪れていますから、そういうところは避けて計画を立てました。しかし、往復で1120円の電車賃を節約するために、どうしても嵐山を突っ切る必要が生じました。行きは8時台だったので、お寺などの開門前でしたから、サクサク歩けました。しかし、帰りは昼下がりでしたから、インバウンド+10連休の観光客で、とんでもない人込みでした。ソフトクリームやらクレープやらコロッケやら、食べながら歩く人が多く、沿道の店は観光客を捕まえんと手ぐすね引いており、歩道は思うように前に進めません。ホコテンでもないのに歩行者が車道にあふれ、道路交通法上は無法地帯と化していました。観光人力車が車と人に進路をさえ着られ、車夫が苦笑いという始末でした。

やはり、自然を愛で、歴史に思いをはせ、美に浸るには、静かであるに越したことはありません。日々の東京の暮らしでできないことといえば、まさにこういうことです。ホテルの朝食バイキングでがっつり食べて、日中はコンビニもないような山野を駆け巡り、夕方疲れ果ててホテルへ帰りつき、大浴場で手足を伸ばし、早寝をするという毎日を送りました。山城をよじ登るとき、汗が噴き出ると、浮世の穢れも流れ出ていくような気がします。そして、頂上から下界を見下ろすと、身も心も清められた爽快さが味わえます。

これだけ遊びまくったのだから、さぞかし仕事への意欲が湧くだろうと思いきや、心は早くも夏休みです…。

五分咲き? 満開? 八分咲き?

3月27日(水)

気象庁から、東京の桜が満開になったと宣言が出されました。ソメイヨシノでは、今年全国で一番早い満開宣言です(奄美沖縄地方の「ひかんざくら」は2月に満開)。21日の開花から、けっこう暖かい日がありましたからね。でも、朝の四ッ谷駅の桜は、まだ五分咲きぐらいに見えました。

そんなニュースを聞いていたので、お昼に出たついでに、花園小学校の桜を見に行きました。私と同じ考えをした人が多かったみたいで、花見に具合がいいベンチは満席でした。だから立って枝をしげしげと見ると、花はかなり開いているものの、つぼみもまだだいぶ残っていて、七分咲きから八分咲きといったところだと思いました。ここの桜は日陰になる時間帯が案外長いですから、靖国神社の気象庁標準木より咲くのが遅れているのでしょう。

午前中から風が強かったので、花びらに分解する前に、花そのままの形で吹き飛ばされているのもあり、なんだかもったいない感じがしました。拾って洗ってお茶か和菓子の上にでもそっと載せれば風流なのでしょうが、私にはそんな趣味はなく、砂ぼこりと一緒に舞う落ち花を見ているだけでした。いずれにせよ、今週末が東京のお花見ハイシーズンでしょう。お天気はパッとしなさそうな予報が出ていますが…。

桜といえば、数日前の新聞に、さいたま市に20キロにわたる桜並木があるという記事が出ていました。地図を見ると、さいたま市の南北を貫く形で数千本もの桜の木が、見沼田んぼを縁取るように植えられています。端から端まで歩いてみたい気にもなりますが、そんなことをしたら、3年ぐらいもう桜は結構ですなんてなるのでしょうか。

3月14日(金)

みなさんは、いつ、春を感じますか。気温、卒業式、梅の花、Jリーグ開幕、ひな祭り、霞、雪解け、虫、花粉、コートを脱いだ日…、人それぞれだと思いますが、私は朝です。

2月初め、私が学校に着く時間帯は、まだ、夜の帳の中です。中ごろになると、御苑の駅からの道を進んで、最後に右へ曲がったとき、ビルの間に見える東の空がわずかに明るく感じられたとき、私にとっての春一番が吹き抜けます。この時期は、雨や曇りの日が続いた後、3日ぶりぐらいに好天になると、同じ時間の同じ空が驚くほど明るくなっています。

3月になると、御苑の駅から外に出て学校への第一歩を踏み出した時に、空の青さが目に飛び込んでくるようになります。3月中旬ともなると、四ッ谷駅で丸ノ内線が一瞬外に出たときに見上げた空が、闇ではなくなっています。そして、学校の前は、もう完全に早朝です。今朝は確かに寒かったです(最低気温3.3度)が、道に落ちている吸殻がはっきり見えるほど明るくなっていました。職員室に入り、ブラインドを上げると、電気をつけなくても室内の様子がわかり、手探りでなくても鞄の中から必要なものを取り出せました。

お昼(と言っても3時過ぎですが)に外に出たとき、花園小学校の桜の木を見てきました。東京地方の桜の開花は21日と予想されています。つぼみはまだまだで、あと1週間で本当に咲くのかなあという感じでした。でも、きっと咲くのでしょうね。そうしたら、毎年恒例、四ッ谷駅の花見が待っています。

夕方、来学期の受験講座の説明を始めようとしたら、学生に寒いと言われてしまいました。その学生は午後のクラスですから、朝に春を感じることはなく、冬と戦っている最中なのでしょう。

束の間の好天

9月28日(金)

通勤電車から、わずかにオレンジ色に染まった東の空が見えました。学校に着いたら、青空。1日中快晴で、久しぶりに明るく伸びやかな気持ちになりました。午前中病院へ行きましたが、このままピクニックでもしたくなるような陽気でした。最高気温は26度でしたが、湿度が低くてさわやかでした。きのうとおとといは最高気温が20度を割り、9月に2日連続で最高気温20度未満というのは10年ぶりだったとか。秋らしさの復活といったところでしょうか。

今朝の最低気温は14.1度でした。私が家を出た頃この気温を記録したはずですが、明日はお休みの私にとって夏装束最終日ですから半袖で出勤しました。肌寒さは感じましたが、我慢できないほどではなく、むしろ気持ちがピリッとして、眠気が覚めました。でも、14度といえば3月ぐらいならコートを着ているかもしれません。人間の感覚って、いい加減なものですね。

ただ、この好天も明日の未明までで、その先は台風の接近にともなって雨模様となるようです。なんだか信じられないというか、信じたくないというか、名残惜しいというか、もう少しこのきれいな青空を見ていたいです。それにしても、今年は台風が多いですね。この台風も含めて、異常気象が定番になりつつあるような気もします。長期予報によると暖冬だということですが、暖冬にもすっかり慣れてしまいました。

病院から戻って来て、午後は期末テストの作文の添削をしました。進歩を感じさせてくれる学生もいれば、同じミスを繰り返している学生もいます。そういうことを最後のコメントで指摘しようと思っています。

激突

9月5日(水)

関西地方は台風21号の風雨によってかなりの被害が出ました。船が激突して橋げたがずれてしまった関西空港連絡橋の画像・映像にはただただ驚くばかりでした。その関西空港は、高潮で数十センチも浸水し、機能不全に陥っています。高潮といえば、芦屋の海岸にも襲ってきて、家が流されそうになったそうです。京都では文化財がかなり損害を受けたと報じられています。

稀に見る強力な台風が上陸したことは確かですが、こちらの想像を絶するようなところに傷跡を残しています。二条城や大覚寺もそうですが、大阪湾にコンテナが漂流しているというのは、阪神淡路大震災のときにもなかったことではないでしょうか。私が毎年春に歩き回っている平穏な街並みで、屋根が吹き飛ばされたり泥水が暴れまわったり車が燃えたりなどということが起こっているのです。にわかには信じられません。

そんな中で、JR西日本を始めとする鉄道各社が午前中から計画運休をし、電車がらみの被害がなかったことは特筆に値します。不満に感じた人も多かったと思いますが、船が激突した時に連絡橋の上を電車が通りがかっていたら、悲惨なことになっていたかもしれません。駅間で停電し、大勢の人が電車に缶詰にされたら大きなニュースになっていたでしょう。関空で5000名が缶詰には及ばないでしょうが。

今年は6月に大阪府北部地震がありました。比較的自然災害が少ないと思われていた関西の平野部に天変地異が集中しているようにも思えます。日本列島は災害列島だと改めて感じさせられました。

7:58

6月18日(月)

大阪北部で地震がありました。マグニチュードは約6ですから、日本では1か月に1回は発生する規模で、決して珍しいものではありません。ただ、発生したのが有馬高槻断層付近ですから、おととしの熊本地震と同じパターンで、数日中にこの地震よりもさらに大きい地震が同じ断層上で起こるおそれがあります。この断層は、秀吉が建てた伏見城をつぶしてしまった慶長伏見地震を引き起こしています。それから400年余りの間にたまった地質的なひずみが今朝の地震を機に解放に向かったとしたら、ちょっとこわいものがあります。

この地震で、小学4年生の女児とお年寄り2名の3名が亡くなりました。女児は、自分が通う市立小学校のプールを囲う目隠しの塀の下敷きになったといいますから、市の責任が厳しく問われることになるでしょう。地震大国の日本に、震度6弱程度の揺れで倒れてしまう公共の建造物があるとは信じがたいものがあります。でも、阪神淡路大震災から20年あまり、1995年当時は健全であっても老朽化が進み危険領域に入ってしまった建物があったとしても、全く不思議ではありません。

東京では揺れを全く感じなかったので、学生たちの間では話題にもなりませんでした。昨日のEJUが難しかったとかいうことを、授業中ひそひそと話しているようでした。私は事あるごとに言っていますが、日本に留学するには、地震と心中する覚悟も必要です。春秋に富む留学生にも無差別に襲い掛かる魔の手が自分の足元から伸びてこないとも限らないのです。

早くも

3月26日(月)

先週、桜の満開宣言が出た東京ですが、私の観測ポイント・地下鉄四ッ谷駅は、私が通過する時は夜が完全に明け切っておらず、花を楽しむことができませんでした。しかし、今朝はほのかに桜色が目を楽しませてくれるくらいの明るさになっていました。今朝の東京の日の出は5:37、私がいつも乗っている地下鉄の四ツ谷発は5:36、まさに朝一番の桜を拝んだことになります。

お昼に外に出たら、御苑の駅付近にあたりをきょろきょろしている人が大勢いました。駅から出てきた人みんなが御苑へ行きそうな感じすらしました。朝お掃除に来てくださるHさんによると、昨日の御苑は芝生が敷物で埋め尽くされるほどの人ごみだったそうです。大木戸門から入ろうとする人が新宿門近くまで並んでいたとか。

今週は暖かい日が続くという予報が出ていますから、もうすぐ花吹雪で、今週末には葉桜でしょうね。そう考えると、ウィークデーの日中にもかかわらずこの人出というのもうなずけます。平年は開花が3月26日で、満開が4月3日ですから、今年はかなり気の早いお花見シーズンです。冬の寒さが厳しく、3月になってから暖かくなると、このように桜がハイペースで咲くそうです。

どうやら今年は期末テストの採点などをしているうちに、桜が終わってしまいそうです。花園小学校の桜も、急いで見ておかないと散ってしまいます。明日は期末テストですから、午前の試験監督が終わったら、お弁当か何かを買って、花を愛でながらお昼ご飯としましょうか。

5:46

1月17日(水)

23年前、震源から300kmほど離れた山口県徳山市(当時)でもかなりの揺れを感じ、私もその揺れで目を覚まし(そのころは、今ほど早起きはしていませんでした)、テレビをつけました。神戸が壊滅していたのがわかったのが、地震発生からしばらく経ってからだったこともよく覚えています。あの日からしばらく、衝撃的な画像や映像が数え切れないほど目に入ってきました。

神戸とは特別濃密な関係はありませんでしたが、私も何かしなきゃという気持ちになりました。会社が派遣する被災地支援要員に選ばれなかったのが残念でなりませんでした。神戸ほどの街がつぶれたというのは、当時の日本人にとっては、かなりのショックでした。

山陽新幹線が復旧してから神戸を通り抜けましたが、ブルーシートに覆われた町には言葉を奪われました。初夏の陽光に輝く青に、かえって痛々しさを感じました。

超級クラスの授業で、阪神淡路大震災を取り上げました。学生たちの多くは、地震のない地域から来ています。日本は地震とは切っても切れない縁があること、日本文化には地震との共存や地震からの復興も含まれていることを訴えたかったです。事実、阪神淡路大震災後も東日本大震災やおととしの熊本地震をはじめ、死者が出るほどではなくても、多くの人々を恐怖に陥れる強い地震が、毎年発生しています。東海地震をはじめ、相当規模の地震が近い将来襲ってくることが予測されています。日本で暮らすとは、そういうことを前提に生きていくことなのです。

春になったら、野島断層を見に行こうと思っています。

夢を砕く

11月2日(木)

身近な科学の1つの楽しみは、地震の講義をすることです。学生たちは、日本は地震が多いと言います。でも、その地震がどんなにとんでもない自然災害なのかは、あまりよくわかっていません。そこを集中的につっついて、自身の本当の怖さと、日本にすむ限りその地震からは逃れられないということを力説し、学生たちの日本留学の夢を木っ端微塵に打ち砕くのです。

今学期もその日がやってきました。日本付近は、4つのプレートが交錯し、そのため全世界の10%もの地震が発生します。日本列島は活断層だらけで、断層のずれによる地震はどこでも発生し得ます。東日本大震災の例からもわかるとおり、プレート境界型地震では大津波が発生することがあり、それに襲われたら人間はなす術もありません。また、日本は古来大地震が頻発し、そのたびに甚大なる被害が出ています。そういったことを延々と説き続けました。ことに、地震発生地点を赤い点でプロットした世界地図では、日本は真っ赤になるのに対して、学生たちの母国は真っ白けで、「何でこんな危ない国に留学に来ちゃったの?」と問いかけると、学生たちは笑うほかありません。

でも、これは本当にそうで、日本で暮らすとは地震と共存するということを意味します。揺れたか揺れないかわからないくらいの地震でびくびくしたり大騒ぎしたりしてはいけません。身近な科学では地震のメカニズムなどで精一杯でしたが、地震を想定してふだんからどんな心構えを持つべきか、地震が起きた後いかに行動すべきか、そういうことを日々考えておく必要があります。そうすれば、地震などおそるるに足りないとは言いませんが、地震後を生き抜き、何があっても肝の据わった人間に成長できるんじゃないでしょうか。

授業後のミニテストを見る限り、学生たちは私の話をまじめに聞き、地震についての基礎知識は根付いたようです。