Category Archives: 自然

お天気に恵まれました

1月5日(月)

年末年始は、27日から元日まで、愛知県で過ごしました。

12月28日から年末年始の休館という博物館などが多いので、お正月休みが27日からというのは非常に大きいのです。昨年末は、まず、蒲郡と安城を回りました。朝1番のひかりで豊橋、そこから在来線で蒲郡へ。お目当ての博物館の開館まで1時間ほどありましたから、駅から徒歩10分強の竹島を一周しました。海がきれいでした。地球誕生の頃から現代までの海の生物の博物館と、蒲郡市の歴史博物館を見学しました。どちらも丁寧な展示で、好感が持てました。

安城の歴史博物館は安祥城跡にあるので、城跡見学もできると思っていましたが、城跡は現代的なモニュメントが立っているだけでした。こちらの博物館も、展示は面白かったです。

翌日は小牧山城跡へ。規模的に半日で見終わってしまったらどうしようと思っていましたが、見ごたえたっぷりで、朝から夕方近くまで歩き回りました。これで、清須城、岐阜城、安土城と合わせて、信長の城を全部見学したことになりました。山頂の模擬天守内の資料館も充実していて、さらに最上階の展望回廊からは、御嶽山や伊吹山、鈴鹿山脈といった山々、岐阜城、犬山城といった濃尾平野の城、名古屋のビル街や伊勢湾をまたぐ橋も見渡せました。

29日はツインアーチ138へ行きました。放物線を2つ組み合わせたようなタワーで、木曽川沿いの平地にあるのでよく目立ちます。名古屋から岐阜の東海道線の右手車窓に見えてとても気になっていたのですが、小牧山城からも見えたので行こうと思い立ちました。地上100メートルの展望階からは、小牧山城以上の景観が広がっていました。空気の澄んだ冬晴れの青空を背景に、岐阜・福井の県境の山や、遠く白山まで見えました。28・29の超快晴の日に高いところに上ったのが、今回の旅行における最大のヒットでした。あと数十メートルで岐阜県でしたが、木曽川を越えなかったので、“27日から元日まで、愛知県で過ごしました”となりました。

30日は紅葉で有名な香嵐渓へ行きましたが、もちろん落ち葉になっていました。山にも登りましたが、曇りがちの空でした。31日は名古屋市内をうろうろしました。大晦日の神社やお寺にお参りして、この1年間無事に過ごせたお礼をしました。

元日は2時少し前に目を覚まし、ホテル近くの神社に初もうで。今まで5時頃行ってすいていたので、2時頃行ってみたら、拝殿まで行くのに10分ほど並びました。その後別の神社へ行ったら、こちらは誰もいませんでした。ホテルに戻り、朝風呂に入り、朝食をいただきました。おせち料理も少しありましたから、田作りと昆布に箸を伸ばしました。

中央本線経由で帰ってきました。塩尻から新宿までの特急の車窓が、これまた北岳、甲斐駒ヶ岳など南アルプスの山々、それに富士山も拝ませていただき最高でした。進行方向右側の席を取ったのは、大正解でした。笹子トンネルを抜けるとだんだん首都圏臭くなり、大月からはオレンジの通勤電車とすれ違うようになり、高尾から先は関東平野。新宿の見慣れたビルがどんどん近づいてきました。

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見下ろす

8月25日(月)

夏休みは、丸々福岡にいました。

16日(土)の朝いちばんの飛行機で福岡へ行きました。右手に志賀島を見て、博多港の貨物ターミナルの真上を通り、博多駅の新幹線ホームに降りるんじゃないかというくらいの勢いで市街地に突っ込み、さあ着陸だと、7時55分20秒、21秒、22秒、23秒、24秒、25秒と秒読みしましたが、最後のドスンというショックが来ません。それどころか、急上昇し始めました。筑後川らしき流れが見えてきたころに、機長からアナウンスがありました。「滑走路に鳥が止まっていましたので、着陸をやり直します」とのことでした。エンジンから火を噴いたり、オーバランしたりしたらとんでもないことです。約15分後に再着陸し、無事到着しました。めったにできない体験をさせてもらえました。

福岡城跡・鴻臚館、伊都国歴史博物館・高祖山、宗像大社、志賀島一周、可也山、直方・若松、能古島、板付遺跡・金隈遺跡・奴国の丘歴史資料館といったところを回ってきましたが、みなさんの食指は動きますか。

毎朝、ホテルのバイキングで意地汚く2食分詰め込み、日中は人跡稀なるところを歩き回り、シャワーを浴びたかのように汗をかいて、夕方ホテルに帰り着くという日々を送りました。毎日、スマホの歩数計で2万歩ぐらい歩きました。おかげで衣服からはみ出た手足はたっぷり日焼けし、冬まで黒白がくっきりしていることでしょう。

上述のように、今回は縄文時代から古代までを中心に見て回りました。そういった時代における、この地方と大陸との距離の近さが実感できました。より一層興味を掻き立てられました。また、標高は数百メートルにも満たないものの、眺めがいい山にいくつも登りました。空気中の水蒸気が若干多めでしたから、めちゃくちゃ遠見が利いたわけではありませんでしたが、山のてっぺんから平野部を見下ろすのは気持ちがいいものです。「あれがこれか」と、実際の景色と地図とを突き合わせるのも、実に楽しいです。

帰りの飛行機は、何事もなく定時出発、定時到着でした。東京は、福岡よりずっと暑かったです。

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フェンスの向こうに

4月5日(土)

お昼に外に出て学校の近くを歩いていたら、花園公園がけっこうなにぎわいでした。園内では、地元の方かこの近くにお勤めの方たちが、ベンチに腰掛けて桜を見上げながら、談笑したりお弁当を食べたりコーヒーを飲んだりしていました。風が少し冷たく感じましたが、そんなに長い時間花見に興じていることはないでしょうから、花に動きが出てちょうどよかったかもしれません。

さて、この花園公園ですが、年度末に工事をして、公園の周りをぐるりとフェンスで囲みました。併設されている小学校と保育園に変な人が侵入しないようにということなのでしょう。夜間は扉が閉められて、だれも出入りできなくしています。1本1本の針金は細くても、それがフェンスの形となると、やはりいくらか物々しさが醸し出されます。桜の美しさを打ち消すほどではありませんが、フェンスの内側に入っても、ちょっと気になるかな。

花園公園の桜はソメイヨシノでしょうが、このまま温暖化が進むと、そう遠くない将来、ソメイヨシノが咲かなくなるかもしれません。ソメイヨシノが咲くには、真冬の厳しい寒さが必要です。寒さがないと、冬が来たと認識できず、冬に備える態勢がずっと続き、気温が高くなっても花芽が育ちません。現に、沖縄の桜はソメイヨシノではなく、ヒカンザクラ(緋寒桜)という別品種です。

「世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」と詠んだ在原業平の時代は、まだソメイヨシノは生まれていませんでした。でも、超暖冬でソメイヨシノが咲かない春を迎えたとしたら、誰の心ものどかではないでしょう。フェンス越しの桜ぐらい、どうってことありませんよ。

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ベスト10

3月27日(木)

気象庁のサイトに、その日の最高気温の全国ベスト(ハイエスト?)10が出ています。それによると、本日の全校最高気温は、新潟県上越市高田で記録され、30.0度でした。おそらくフェーン現象がその原因だと思いますが、平年を17度上回ると言いますから、高田の人々の驚きも半端じゃなかったでしょう。高田は盆地ですから、雪も降れば暑くもなりやすいのです。19年8月には、40.3度という最高気温をたたき出しています。

昨日とおとといは、宮崎県や大分県の観測所で日本一高い気温が観測されました。ベスト10も南九州の観測所が中心でした。しかし、3日前の24日(月)は、沖縄の波照間島が全国最高気温でした。先週、東京で雪が降った日は、沖縄勢がベスト10を占めていました。

このように、冬はやはり沖縄が暖かく、ベスト10で沖縄県以外は東京都小笠原村だけなどという日が大半です。ここに九州勢や本州勢が顔を出し始めると、それは真冬が過ぎて春の輪郭が次第にはっきりしてきた証拠です。だから、高田が全国一ということは、もうすっかり春だと言っていいのです。まさに、雪が降ったのが春分の日の前日でしたから、暑さ寒さも彼岸までですね。

ついでに言うと、夏は、沖縄勢がベスト10になることはめったにありません。沖縄は海に囲まれていますから、高田などに比べると、とんでもない暑さにはなりにくいのです。ですから、沖縄の観測所がベストテンを占めるようになると、冬本番と言えます。

朝からパソコン仕事が続いて目が疲れたので、夕方、花園小学校まで散歩しました。桜は咲いていましたが、風が強かったせいでしょうか、地面には、花びらではなく、5枚の花弁がそのまま飛ばされてたくさん落ちていました。この調子だと、案外早く葉桜になりそうです。

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寒さ、夏服、人新世

10月10日(木)

このところ、急に涼しくなりました。今朝なんか、厚手のジャケットを着ている人や、首にスカーフをまいている人を見かけました。夏物のスーツの私は、外に出た瞬間、寒いと感じました。私が出かけた頃の気温は15度台だったようですから、コートを着ていてもおかしくないくらいでした。

暑さが収まったのは結構なことですが、このところの雨は秋雨前線のなせる業です。10月10日といえば60年前の東京オリンピック開会式の日、きれいな秋晴れの日でした。秋雨前線は、今頃東京近辺をうろちょろしていてはいけないのです。半月ぐらい秋の歩みが遅れていると言ってもいいでしょう。

しかも、天気予報によると、明日からまた夏日が復活しそうな雰囲気です。せっかくスーツの上着がありがたいところまで季節が進んだかと思ったら、また半袖が懐かしい日々に戻るのでしょう。夏物のスーツには、もう少し活躍してもらわなければなりません。

「1950年代から、地球は“人新世”に突入した」という提案が国際地質化学連合に出されましたが、この3月に反対多数で否決されました。人新世は気候変動だけを意味するわけではありませんが、それも含めた地球の変化を指します。秋が消滅しそうな日本は、人新世になっていると言ってもいいような気がします。

この人新世の真骨頂は、人が住んでいないような地域の地層からもプルトニウムが検出されたというところにあります。1950年代に世界中で行われた核実験の結果、プルトニウムが全球的に飛び散り、それが堆積したのです。いやはや恐ろしい限りです。

今学期のBBQは10月25日ですが、「秋」晴れの日にしたいものです。

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何の名月?

9月17日(火)

今晩は中秋の名月です。しかし、日中の最高気温が33.4度では、到底“秋”とは呼べません。昼間の青空の色はいくらか秋めいてきたかに感じますが、蒸し具合はまだまだ夏です。ですから、中秋ではなく、せいぜい晩夏の名月ですね。明日の朝の予想最低気温は26度となっていますから、熱帯夜で迎える中秋の名月となりそうです。そういえば、ススキは穂を出しているのでしょうか。

昨日、おとといあたりは各地でお祭りが行われました。9月の半ばですから秋祭りのはずなのですが、おみこしを担いだり山車を引いたりする人たちにとっては、熱中症に気を使いながらの夏祭りそのものだったでしょう。私が見かけたお祭りも、大汗かきまくりのまさに夏祭りでした。

しかし、週間予報によると、今週末は最高気温が30度を下回るそうですから、その通りならまさに“暑さ寒さも彼岸まで”です。それでも、平均気温に比べるとだいぶ高いのですがね。10月になったらクールビズが終わって、またスーツ姿に戻ることになっていますが、果たして戻れるでしょうか。夏装束をもう半年延ばした方がいいでしょうか。考えどころです。

今年は本当に異常気象だったと思います。お米をはじめとした農作物の実りはどうなのでしょう。どれもこれも不作となったら、冷害ならぬ“暑害”とでも呼ばなければなりません。すでに、昨年、お米は品質がガタッと下がっていますから、“暑害”は既に顕在しているとも言えます。ある種の魚の不漁も、その一つでしょう。

地球温暖化は、もう戻れない一線を越えてしまったのかもしれません。

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巨大地震注意

8月10日(土)

おとといの夜は、昨日までにしておかなければならない仕事がたくさんありましたから、遅くまで学校に残っていました。私が帰った時間帯は、さすがの丸ノ内線や銀座線も、お客さんの数がだいぶ少なかったです。

そんなわけで、昨日は早めに仕事を切り上げ、学校を出ました。夜7時台の銀座線は、私のような通勤帰りのくたびれた顔と、いかにも夏休みのこれから夜遊びするぞと顔に書いてある若者と、大きな荷物を引きずっているインバウンドと、その他種々雑多な人々が乗り合わせて混んでいました。私は、上野駅の改札口に一番近いドアのそばに立ち、本を読んでいました。

すると、突然、車内あちこちから一斉に、ピロピロピロという少し不快な感じの電子音が鳴り響きだしました。私のスマホも、鞄の中で騒いでいたことでしょう。時計を見ると、午後7時58分。ほどなく電車のブレーキがかかるとともに、「東京地方で震度4の地震が発生しました」という車内アナウンスが入りました。

“巨大地震注意”なる初めての注意呼びかけが出されています。その巨大地震の影響が東京にも及び、震度4になったのかとも思いました。でも、スマホで情報を調べたと思われる人たちが誰一人として騒ぎ出しませんから、おそらく巨大地震ではないのだろうと推測しました。3分ほど止まっただけで、銀座線は運転を再開しました。

上野駅も、JRなど他の電車が止まっている様子もなく、いつも通りでした。こわいのは、マンションです。数年前、大した地震でもないのにエレベーターが止まり、ひどい目に遭いました。まさか今晩も…と湧き上がる最悪の事態の想像を打ち消しながらマンションの1階まで行くと、ちゃんと動いていました。

“巨大地震注意”といっても、気象庁が言う今後1週間に発生する確率は、1%以下でしょう。でも、もともとがppmで表示するような確率だったのが%で議論するようになったのですから、高くなったことには変わりありません。だから、注意するに越したことはないのです。

ちょうどいい機会です。明日は非常持ち出し袋の中身を点検することにします。

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早い? 遅い?

6月22日(土)

中国地方と北陸地方が梅雨入りし、日本列島はいよいよ雨の季節が本格化…と言いたいところですが、今年は、すでに、おととい沖縄が梅雨明けしています。東京を含む関東甲信地方の梅雨入りは昨日でしたから、東京も沖縄の梅雨が明けてから梅雨入りしたことになります。

気象庁の記録によると、このように、沖縄の梅雨明けより遅れて東京が梅雨入りしたのは、過去に1967年と2007年の2回だけです。どちらも、沖縄の梅雨明けが早かったのではなく、東京の梅雨入りが平年よりだいぶ遅れたためにこうなりました。それで、東京のこの2年は何か特別な気候になったのかと調べてみました。梅雨の期間の雨量は、67年がやや少なめ、07年がやや多めで傾向がつかめず、夏の暑さは前後の年よりやや暑いようですが、67年や07年より暑くなった年もあります。要するに、沖縄の梅雨明けより遅く梅雨入りしたからと言って、特別にどうということはなさそうです。

現在、日本付近はエルニーニョでもラニーニャでもありませんから、その影響でこんなことが起きているわけではなさそうです。そうすると、地球温暖化とか海水温の上昇とかに原因を求めたくなりますが、安易にそちら方面に話を持って行くのはよくないです。もうしばらく思考実験をしてみたいですが、そんなことをしているうちに秋になってしまうでしょう。

何も起こらず、ほどほどに雨が降り、ほどほどに暑い夏が訪れてくれればそれでいいです。KCPの夏休みの期間はいいお天気になってほしいですが…。

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朝日を浴びて

6月19日(水)

昨日は98ミリの雨が降りましたが、帰宅時にはほとんど上がっていました。天気予報も晴れだと言っていたので、チャンスだなと思いました。

今朝4時、空の大部分はまだ暗かったですが、北東の空にはきれいな朝焼けが見えました。あさってが夏至ですから、この時期の朝日は東からではなく、北東に近い方角から昇ります。ネットで調べると、真北から60度東、真東から30度北からですから、昔流の言い方をすれば、寅の方角です。雨の日の翌朝ですから水蒸気が多く、筑波の峰はそのかなたでしたが、気にせず出発しました。

朝の早いこの時期、家から直線距離で3キロちょっと離れた上野駅まで歩くと、途中で夜が明けます。特に今朝のような雨上がりは、空気が澄んでいて、かつ速足で歩いてほどほどに体が温まる程度の気温なので、本当に気分爽快です。

少し遠回りをして、上野公園を抜けました。昨日の雨をたっぷり吸い込んだアジサイが、朝の光を受けて、生き生きとみずみずしく赤、白、青、色とりどりに咲いていました。上野公園と言えば春の花見ですが、この季節もなかなか捨てたものではないと思いました。

さて、学校は期末テスト。期末テストの日は、アメリカの大学のプログラムで来ている学生の修了式があります。今学期はいつもの学期と違って、琴クラブの発表会がありました。もうすぐ帰国する学生が、見事な演奏を披露してくれました。

朝のすがすがしい空気の中を歩いて始まった一日が、美しい琴の音色で終わりました。

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たくさん歩きました

5月7日(火)

連休は大阪に野暮用があったので、3日の朝いちばんの飛行機で伊丹へ。隣り合わせた親子連れが大阪と奈良のるるぶを出していましたが、「道頓堀であれ食べるこれ食べる」とか「奈良公園でどうするこうする」とか話し合っていましたから、私のライバルではないと判断しました。この親子、「連休は何をしましたか」と聞かれたら、「大阪と奈良で人を見てきました」と答えるんだろうなと、気の毒になりました。

着陸態勢に入ると、窓から大和三山が見えました。あのあたりがこの連休の予定戦場かと思いながら地図と見比べました。

大阪で用事を済ませ、上本町から近鉄に乗り、八木に着いたのがお昼少し前。まず向かったのが、藤原宮跡です。私は「跡」が好きです。もちろん、世界遺産の姫路城や法隆寺の価値は認めます。姫路城を見ればその威厳ある姿に身が引き締まります。法隆寺の夢殿や五重塔からは心が洗われるオーラを感じます。しかし、姿がはっきりしていますから、そこ止まりです。一方、下津井城跡とか豊後国分寺跡とか上淀廃寺などというと、何もないだけにいくらでも想像が広がります。ここに七重塔があったらとか、五層の天守がそびえていたらとか、頭の中に無限の風景を描くことができます。

藤原宮跡は、そういう意味では第一級の史跡です。草ぼうぼうの野原に大極殿跡とか朱雀門跡とかが示されているだけです。近鉄電車から見える復元平城京みたいなものだろうか、それよりもさらに荘厳なものだろうかと、思い切り空想を暴走させました。大和三山に囲まれた藤原宮跡は、朝飛行機から見下ろした予定戦場のど真ん中でした。

4日は桜井から多武峰を抜けて飛鳥へ。だいぶ昔に自転車で談山神社まで行きましたが、途中から自転車を押して急坂を上る羽目に陥りました。体力を使い果たし、談山神社の十三重の塔を見たら下り坂でバスを追い越すほどのスピードを出して桜井まで戻りました。今回は、歩いて多武峰を越えようと企画しました。多武峰は新緑が美しく、山道から見下ろす飛鳥の里ものどかな感じがして、浮世の穢れが洗い流されました。

多武峰の飛鳥川の麓にある石舞台古墳は、以前見たこともあるし、人も大勢いましたからパスして、その付近にある展望所から棚田・段々畑的な景色を楽しみました。私は観光客でしたから「楽しみました」と言えますが、そこにずっと住んでいたらのんびりしすぎて、刺激が欲しくなるでしょう。都会人は心のゆとりを求めて田舎を旅し、のどかな里の人々は刺激を求めて都会を歩きたくなるものではないかと思います。でも、それが毎日となると、お互いかえって疲れてしまうのではないでしょうか。

5日は、卑弥呼が眠っているのではないかと言われている箸墓古墳をはじめとする纏向遺跡を歩き、大神神社のご神体である三輪山にも上りました。箸墓古墳は宮内庁管理ですからまわりを一周する以外は何もできませんでしたが、他は古墳の頂上に登ったり建物の礎石に腰を下ろしたりなど、わりと自由にできました。

三輪山に登るには入山料を納め、神社の方から心得を聞き、輪袈裟をかけてご神体に向かいます。細く険しい山道ですから、上り下りとも譲り合いが肝心です。この道を譲るのが、えもいわれぬさわやかさを伴います。譲ってもらったときに「ありがとうございます」と答えるのも、気持ちのいいものでした。見ず知らずの人たちとのこうしたふれあいの場として、ご神体は懐をくつろげているのではないかとさえ思えました。

その後、桜井市立埋蔵文化財センターに入りました。そこで、普通に読むと7世紀に建てられたはずのお寺が鎌倉時代に建てられたことになってしまう説明文を発見しました。学芸員の方に指摘しました。すると、専門家にとっては常識の説明が抜けており、それを補うと確かに7世紀に建てられたことになりました。旅の最中も日本語教師であることを忘れない金原でした。

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