Category Archives: 成績

希望の星になってくれるかな

7月24日(水)

今学期の受験講座が始まって、もうすぐ2週間になります。私が担当している理科を今学期から受け始めた学生たちは、まだどうにかこうにかついてきています。その中に2人ほど、理科ができそうな学生がいます。

2人に共通するのは、国できちんと理科を勉強してきたらしいところです。物理や化学や生物に関する知識が豊富です。しかも、頭の中に乱雑に知識が詰め込まれているのではなく、系統立てて整理されている気がします。上手に育てれば、KCPの進学実績に大きく貢献してくれることが期待できます。

ただ、こわいのは、天狗になることです。2人とも、自分は他の学生たちよりもできると感じているようなところがあります。これが程よい自信とプライドにつながれば、大きく伸びていくことでしょう。しかし、過信やうぬぼれになったり、他の学生たちを見下したりするようになったら、伸びは期待できません。知識をひけらかすような場面が時たま見られますから、ちょっと気になっています。

こちらとしては、適当なところで天狗の鼻をへし折ってやらねばなりません。へし折られて再び立ち上がった学生は、いわゆる“いい大学”に進学しています。しかし、へし折られたのに気づかず、いつまでも自分は一番と思い込んでいる学生は、気が付いたら進学先がなくなっていたということにもなります。

そういう学生に共通していることは、日本語力をバカにしている点です。理系の進学は理科さえできれば心配無用などと考えている節があります。だから、クラス授業中に理科の問題を解いてみたり、会話練習を軽視したり、汚い字の殴り書きで提出物を書いたりということを繰り返します。教師にどんなに注意されても、改めようとしません。

もうすぐ6月のEJUの結果が学生の手元に届きます。ホープ君たちはどんな成績なのでしょう。

思い出

7月5日(金)

先学期のクラスの個人成績表にコメントを書いています。担任だった2クラスのうち、1クラス分をようやく書き終えました。担任としての最後の責務です。

SさんみたいにオールAのすばらしい成績の学生は、授業中にも活躍した場面が多く、コメントのネタには事欠きません。賛辞とともに、一言だけ課題を付け加えます。

逆に、Hさんみたいな問題児は、出席率が悪いとか文法がわかっていないとか、だから生活の立て直しが必要だとか、これまた書くべき材料が山ほどあります。現に、Hさんへのコメントはこのクラスで一番長くなってしまいました。

Cさんも何となくふらふらしていて、教師を不安にさせる存在でした。でも、どの科目もきっちり合格点を取っていますから、根っこのところは、私が感じていたよりずっとしっかりしているのでしょう。そういったほめ言葉を書いて、少しでも自信を持たせたいです。

また、Mさんみたいなクラスのムードメーカーには、まず、クラスを盛り上げてくれたことのお礼を述べます。みんなを笑わせてくれたり、私のいじりに対してボケたり笑われ役になってくれたりといった、3か月間の思い出が次々とよみがえってきました。

何はともあれ、来学期につながるコメントを書こうと心を砕いています。目立たない学生でも、何か1つエピソードを思い出し、そこを起点に話を広げていきます。だから、担任になったら最後にコメントを書くことを想定して、学生たち1人1人に目を光らせていなければなりません。

明日は、もう1つのクラスのコメントを書きます。今晩、ベッドの中で学生たちとの3か月を思い出しましょう。

試験結果

5月28日(火)

今までの学期なら中間テスト後の面接がたけなわの時期ですが、今学期は面接方式を変えようと考えていますから、まだ始まっていません。すると、学生たちは、中間テストの点数を気にし始めます。先週末あたりから、その問い合わせのメールが届くようになりました。

メールをもらえば、もちろん結果を教えます。場合によっては励ましの言葉を添えたりアドバイスを付け加えたりもします。メールで聞くにとどまらず、Gさんに至っては、職員室まで答案用紙を見に来て、間違えたところを直したり、どうしてもわからない問題を質問したりしていきました。Lさん、Yさんも、答案用紙を見て、あれこれつぶやいて帰りました。

今のところ、成績を聞いてきたのは、成績に余裕のある学生たちばかりです。Lさんなんかは全科目90点以上で、点数よりもどこをどのように間違えたかを知りたかったようです。成績を気にして、直ちに猛勉強をしてもらいたい学生たちは、誰一人聞いてきません。そういう学生たちは、成績を聞くのが怖いという面もあるでしょうが、概して成績に無頓着です。そのくせ、進級できなかったら大いに文句を言うのです。

つまり、経過は無視して、結果だけ見ようとするのです。努力の先に結果があるのに、努力という過程を省略して自分の望む結果を欲しがっています。Iさんなんかは、日本にいればどこかの大学に進学できる、潜り込めると思っているのではないでしょうか。確かに、数年前まではそういう傾向がないこともありませんでした。しかし、今はそんな甘っちょろいところはありません。

学生たちの卒業まで10か月ほどですが、早くも手を焼きそうな学生が浮かび上がってきました。

大差

5月27日(月)

先週の水曜日に回収した文法の宿題の出来があまりに悪かったので、金曜日にもう一度説明して、文を作ってくる宿題を出しました。週末によーく考える時間がたっぷりあったはずの学生たちの宿題を集めましたが、チェックしてみると、出題の意図を理解してきちんと文を作ってきた学生と、私の説明を全く聞いていなかったのではないかという学生と、両極端になりました。

Xさんは自分がどこで間違えたかを明確に理解し、2つでいいのに4つも例文を考えてきました。こういう学生には、もう一段階上を狙ってもらうための添削をします。ただ漫然と〇をつけるだけでは、学生の意欲に応えたことにはなりません。

Yさんも、一ひねり加えた例文を書いてきました。自分で難しい課題を設定し、それに向かって進もうという向上心が感じられます。

SさんとJさんは全く同じ例文を書きました。いつも離れた席に座っているので、また、その例文はその文法を使う典型的なものなので、写しあったとは思えませんから、とりあえず〇にしておきます。もしかすると、どこかのサイトの例文を丸写ししたのかもしれませんが、証拠不十分で無罪です。

CさんやZさんは、改善が見られませんでした。文法を理解していないようです。期末テストに向けて、非常に心配な学生たちです。どこが間違っているかを明示し、再々提出させるつもりです。

最悪なのは、宿題をやってこなかった者どもです。わざわざメールを入れたのにやってこなかったとは、やる気なしと判定されても文句は言えません。この中には、中間テストの時点で進級が危ぶまれているKさんもいます。というか、もはや私の心の中では、完全にもう一度同じレベルですね。現レベル以前の間違いも多いし、進級させたら上のレベルの先生方に申し訳ありません。同じクラスになった学生も、できない学生のせいで進度が遅れたりしたら迷惑でしょう。

XさんとKさんとでは、天地ほどの差ができてしまいました。

採点泣き笑い

5月20日(月)

テストが終わると、教師は採点です。中間テスト当日、作文を3人分読んで頭が痛くなり、週末は何もせず、今朝は新規まき直しで読解の採点に取り組みました。

こちらは、問題が易しかったのか、温情をかけるまでもなく、どの学生も合格点を取っていました。文章の内容が理解できていないというよりは、理解した内容を表現するところでつまずいて、失点につながったという学生がほとんどでした。新入生のSさんなどがその典型です。

「よくやった」と言ってやりたいところですが、欠席がちの学生まで合格点が取れているので、そいつらが休んでもどうにかなると変な自信を持つようにならないか心配です。休んだら進級できないんだぞと痛い目に遭わせなければならないのです。こちらはSさんとは逆に、答えるコツを身に付けてしまっているので、勉強不足でもどうにかなっているのかもしれません。

私の採点担当は初級ですが、上級のEさんは、中間テストの直前に、上級の読解はテキストが難しくて、時間をかけて勉強しないと点数が取れないとこぼしていました。上級は、読解に限らずどの科目も、日本人と伍して勉強したり(アルバイトではない)仕事をしたりする際に困らないだけの日本語力をつけることを目標としています。Eさんだって、来年の今頃は、日本語で大学の講義を聞き、日本語の専門書を読み、日本語でプレゼンテーションし、日本語でレポートを書かなければならないのです。たかだかKCPの上級の読解テキストが難しいなどと嘆いている暇はありません。

採点したテストは、明日もう一度見てみます。採点ミスがないかどうかはもちろんのこと、採点基準がぶれていないか、減点幅が妥当かも見直します。そして、成績表に記入します。その時点で、学生の運命が決まるのです。

きれいな教科書

5月16日(木)

Nさんは、昨日とおととい、欠席でした。明日に中間テストを控え、昨日のテストを受けたいと言ってきました。昨日受けた学生たちには採点して返却し、授業中にフィードバックまでしていますから、成績はつきません。それでも勉強のために受けたいとのことでしたから、受けさせました。

Nさんの答案を採点すると、何と不合格点。フィードバックのときにこういう答えはこういう理由でダメだと注意したのをそのまま書いている問題もありました。授業を聞いていないんだなあ。

練習問題扱いとはいえ不合格ですから、教科書やノートを見てもいいから正しい答えを書けと言って、自分で直させました。だいたい直せたのですが、いくつかの問題はどうしてもわからないようでした。Nさんの教科書を手に取り、その問題が書いてあるページを開くと、何の書き込みもないではありませんか。そこを勉強した日に欠席したのか、出席しても教師の話を聞いていなかったのか、Nさんの頭にはその付近で学ぶべきことが全然入っていないことだけは確かです。

他人の教科書をあんまりしげしげとのぞき込むのもいかがなものかと思い、Nさんの教科書を隅から隅まで見ることはしませんでしたが、なんだか妙にきれいな教科書でした。同じ時に買っているはずのXさんやYさんの教科書は、かなり年季が入っているように見えるんですがね。XさんもYさんも、昨日のテストは90点台でした。

Nさんは、自分から昨日のテストを受けたいと申し出ました。だから、全然やる気のない学生だとは思いません。しかし、楽に勉強したいのでしょうね。日本で進学するつもりだそうですが、それが実現したとしても、このままでは実り多き留学にはならないでしょう。中間テストが終わったら、そこから指導しなければなりません。

結論変わらず

4月8日(月)

Sさんは先学期私のクラスにいた学生です。文法の成績が悪く、今学期、もう一度同じレベルをすることになっています。このことをSさんに連絡したのが先月末。何の反応もないので、Sさんはもう一度同じレベルということを受け入れたのだろうと思っていました。

ところが、新学期が始まってから、同じレベルは嫌だと言い出しました。というか、メールでそう訴えてきました。その文面がどんなに素晴らしくても、新学期が動き出していますからレベルを変えるわけにはいきません。ですが、Sさんの文章は、もう一度同じレベルをしてもやむを得ないなと思わせられる内容でした。今まで習った文法や語彙も使いこなせていないし、こちらが進級を考えるに値する新たな事情が含まれているわけでもないし、言ってしまえば情に訴えようとするものでしかありませんでした。

たとえ私が周りの先生方に頭を下げまくってSさんを進級させてたとしても、そこの授業についていけるとは到底思えません。結局、7月の学期にもう一度同じレベルをすることになります。だったら、基礎をしっかり固めてから進級した方が、将来の伸びが見込まれます。

…というのは教師の論理で、学生は同じレベルをもう一度というのを極端に嫌がります。でも、無理やり上がった学生、お情けで進級させた学生が、その後順調に日本語力を伸ばしたためしがありません。学生は目の前の進級にこだわりますが、教師は長期的に見てどうなのかということを判断基準にします。Sさんは大学院進学希望ですが、少なくとも先学期のSさんの話し方や文章や、もっと幅広くコミュニケーション能力は、大学院入試にたえられるものではなく、穴だらけの基礎で研究計画書を書いても口頭試問を受けても、不合格は疑いないところです。昨今の厳しい入試事情なら、なおさらのことです。

先ほどもSさんからメールが来ましたが、昼間のメールと変わるところがありません。Sさんは納得しないでしょうが、同じレベルをもう一度するという結論を変えるつもりはありません。

すばらしいのに

3月2日(土)

水曜日の選択授業の時間に書かせた作文を読みました。今週のお題は、物語の続き。ショートショートを途中まで読んで、その続きを考えて書くのです。クラス全体で読み合わせをし、物語の内容については共通認識を持ち、その後を各自の想像力に任せて創作していきます。

とはいっても、物語の7割方は一緒に読んでいますから、どうしても似通ったストーリーが出てきます。言葉の選び方や習った文法をどのくらい上手に使っているかが、成績の分かれ目となってしまいます。

その中で、Gさんの作品が際立って光っていました。他の学生とは発想が違っていて、思わず引き込まれてしまいました。確かに、教師の目で見れば誤字脱字や文法の間違いはありました。でも、テンポのよい展開で、最初の読んだときはそれが感じられませんでした。もちろん、A評価。クラスの学生に、こんなすばらしい「続き」を考え出した学生がいたんだよと教えてあげようと思い、Gさんの作品をそのままワープロに打ち込みました。

ただ、残念なことに、Gさんは来週月曜日で卒業ですから、今回が最後の作文の授業だったのです。みんなの前でほめてあげたかったのになあ。いや、それよりも、何をきっかけに読み手の心をわしづかみにするストーリーが生まれたのか、是非聞いてみたかったです。

さらに残念なことに、Gさんはこの選択授業をよく休みましたから、学期を通しての成績がAになりません。こんなにすばらしいストーリーを紡ぎ出せるのに、初級文法を間違えて意味不明の文を羅列する学生と同等かそれ以下の評価にしかならないのです。Gさん、学校はやっぱり出席ですよ。

気が重いクリスマス

12月25日(火)

“いい学生”というのは、人によって定義は違うと思いますが、出席率がよく、授業に積極的に参加し、もちろん成績もそれない以上というのは共通していると思います。困っている人に自然に手を差し伸べるというのもそのなかに入っているでしょう。

Dさんは地味ですがまじめな学生で、担当したどの先生も“いい学生”として高く評価しています。11月のEJUの成績が規定の点数を超えていれば、O大学に推薦することも決まっていました。しかし、お昼過ぎに学校へ来てEJUの結果通知のはがきを開いて中を見たDさんの表情が固まりました。そして、「推薦はできなくなりました」と、だれに言うともなくつぶやきました。

はがきをのぞき込むと、日本語が約40点下がるなど、マークシートの塗る位置が1つずつずれてしまったのではないかと思えるほどの尋常ではない成績でした。O大学の推薦基準は決して低くはありませんが、Dさんなら十分手が届くと思っていただけに、日本語をはじめどの科目も惨敗という結果に私も言葉を失ってしまいました。

試験は水物といいますが、中級で受けた6月よりも大きく実力を伸ばしたと自信を持って受けた11月で、まさかの大失敗を犯したDさんの心情はいかばかりでしょう。Dさんと同じぐらいの力の学生が330とか350とかの点数を取っているのを、Dさんはどんな目で見ていたでしょう。しかも、受験のためにDさんに残された時間は決して長くはありません。

期末テストの翌日に届いたEJUの成績通知のはがきが、事務所の棚に積み上がっています。そのなかにDさんみたいな学生がいないとも限りません。

赤点

10月31日(水)

「はい、3時ですから15分休みましょう」と言って職員室へ帰りかけたところにKさんが来ました。「授業の後で先週の漢字テストの再試を受けてもいいですか」「はい、いいですよ」。

そして、授業後。発音チェックを受ける学生に混じって、Kさんが再試のテスト用紙をもらいにきました。制限時間10分ですが、発音チェックを2人こなした5、6分後に解答用紙を持って来ました。即、採点を始めると、Kさん、小さい声で「あっ!」。自分で自分の答えの間違いに気づきました。その間違いも含めて85点で、合格でした。

しかし、Kさんはまた新たな再試を抱えてしまいました。授業の最初に行った今週分の漢字テストでが、また不合格だったのです。どうやらKさんは漢字が徹底的に弱いようです。苦手意識が先立って、合格点を取るのをあきらめてしまっているのかもしれません。来週の水曜日もまた、再試を受けるのでしょう。

Mさんにも同じようなところがあります。Mさんは大学進学を考えていますが、EJUの成績が伸びません。話をさせると、難しい漢語も使って抽象的な話もかなりできます。ところが、読解問題は漢字が読めないので解けないと言います。だから、11月のEJUでは、読解は捨てて、聴解・聴読解で可能な限り高い点を取るという作戦に出ることにしています。

KさんもMさんも、漢字ができないことにへこたれず、自分の日本語力を必死に伸ばそうとしています。しかし、漢字をどうにかしない限り、その努力が、EJUの点数のように、目に見える形を成すことはないでしょう。KさんやMさんを直接見ている教師は、2人を力のある学生だと認めますが、大学の入試担当者は、数字を見て判断するでしょうね。気の毒ですが、これが現実です。

職員室への帰り道は、なんとなく足取りが重かったです。