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卒業式

3月3日(金)

今年の卒業式は午後からということで、午前中は教師から卒業生に贈る歌の特訓を始め、ぎりぎりまで卒業式の準備をしました。時間があればあるだけ何かしてしまうのがKCPの伝統みたいなもので、9時からの卒業式とは違った質の忙しさがありました。

証書を受け取る練習をしたはずなのに(もしかすると練習日に休んだのかもしれませんが)、ろくにお辞儀もせずに私の手からひったくるように取っていく学生がいる一方で、きちんと礼にかなった受け取り方をして、小さい声で「ありがとうございます」と言い添える学生もいます。毎年のことで慣れてはいるのですが、やっぱり前者の学生は最後に汚点を残したような印象は拭えません。

これまた毎年のことですが、正装した学生のりりしさに驚かされました。普段はろくに入浴もしていないのではという疑惑のあるRさんのこざっぱりとした姿には思わず目を奪われて、証書を渡すタイミングがちょっと遅れてしまいました。いつものめがねをコンタクトにしたCさんは顔つきががらりと変わってしまい、声を聞いてCさんだとわかりました。

Oさんは、その正装が重荷になって、卒業式を休みたいと電話をかけてきました。進学希望ではないため受験の面接もないからラフな服しかないので、会場の外でこっそり証書をもらいたいと言います。ここまで卒業式を立ててくれたその気持ちはよくわかったから式に出ろと答えましたが、Oさんはなかなか納得しませんでした。どうにかこうにか説得を聞いてくれて、ステージに上がって証書をもらってくれました。Oさんも、自分よりラフな服装の学生が何名かいたことに安心したかな…。

今年の卒業生に贈る歌はKCP48(?)の「365日の紙飛行機」でした。歌詞をかみしめればかみしめるほど、味わい深さを感じてきました。聞いていると、証書を渡した学生たちの入学したてのころの顔や、学校行事で活躍した姿や、授業のときの眠そうな目つきや、そういった映像が次々に浮かんできました。来週から寂しくなりますが、来年の卒業式には同じような感動の別れが待ち構えていることでしょう。

タイムスリップ

2月23日(木)

東北道を快走していくと、やがて左手に白銀に輝く日光の山々が見えてきました。新宿を出るときは、空の底が低く、弱い南風に流される雲がはっきり見え、わずかに雨滴も感じました。首都高走行中は時折ワイパーが動くこともありましたが、北へ行くにしたがいだんだん空が明るくなってきましたから、お天気はいいほうに傾いてくれそうかなという予感がしていました。日光宇都宮道路に入ると、頂上は雲の中でしたが、青白い男体山が車窓を占めました。さっそくスマホにその姿を収める学生も。

日光江戸村は、薄日が差していました。駐車場横の休憩所でおなかを膨らませた私のクラスの学生は、入場するや左右の道標やお地蔵さんや水車や、ありとあらゆるものに突っかかって、写真を撮ったりあれこれ感じたことを言い合ったり、さっぱり前に進みません。私は日光江戸村での“大仕事”が控えていますから気が気ではなく、ついに彼らをおっぱなして“仕事場”へ向かいました。

花魁ショーの行われる若松座は、開演直前には桟敷が文字通りすし詰めの満席。この花魁ショーでお大尽を務めるのが、私にとってのバス旅行最大の任務です。学生たちのコールもあって首尾よくお大尽役に選ばれ、舞台袖で衣装とかつらをつけ、幕が開くのを待ちました。舞台上のお大尽の座に就くと、おひねりが飛んで来るのがわかりましたが、めがねをはずした私は桟敷で見ている学生たちの様子がさっぱりわかりません。そばにいる花魁の顔も衣装もぼんやりとしか見えません。

介添え役の太鼓持ちのいっぱちさんに言われて背筋をピンと伸ばすと、桟敷がどよめきました。やっぱり、偉い人は胸を張ってあたりを見渡すような威厳がないといけないんだなあと思いました。ここから先は、これで3回目か4回目のお大尽役ですから、まあ、慣れたものです。会場の気配しか感じられませんが、その空気や熱を盛り上げるほうへと演じるだけです。演じている最中におひねりが飛んでくるのは、意外と気持ちのいいものですね。

花魁ショーが終わって外に出ると、風がちょっと出ていましたが、青空も広がり始めていました。そんな中、「先生、とっても面白かったです」などと言われると、いつもながら少々気恥ずかしいものです。変身処でサムライや町娘などの衣装を着させてもらった学生たちも、友だちにからかわれながら江戸時代にタイムスリップした自分自身を楽しんでいるようでした。私のお大尽も、この一種なのでしょう。

帰りのバスが中野長者橋のランプから山手通りに出ると、学生を現実に戻さなければなりません。今年のバス旅行は諸般の事情で木曜日に実施しましたから、明日は通常授業です。テストがあるレベルもあれば、宿題が出されているレベルもあります。「はい、新宿駅につきました。江戸時代は終わりですよ」というアナウンスで、バス旅行を締めくくりました。

C予報

2月17日(金)

バス旅行が来週の木曜日に迫ってきましたが、週間予報によると、どうもお天気が思わしくないようです。気象庁の予報によると、栃木県は曇り時々雨ですが、日光江戸村は山沿いですので、もう少し悪いかもしれません。他のサイトの気圧配置予想によると、木曜日は低気圧が本州に中央部のさばっていて、悪天候オーラを発散しまくっています。

数年前のバス旅行で日光江戸村へ行ったときは、いろいろなデータから曇りという予報を出しました。確かに、東京は曇りで、東北道も厚い雲の下でした。このまま逃げ切れるかなと思ったのですが、もう少しで江戸村というところから雨が降り出しました。江戸村の背後の山に雲が登っていくのがはっきり見えました。山沿いは雨が多いという気象の基本をいやというほど感じさせられました。

だから、今回の予想気圧配置の低気圧は、とても不吉な予感が伴うのです。1週間先ですから、これから変わる可能性も結構高いという点だけを頼りにしているのです。気象庁も、あまりあてにならないという意味の「C」ランクをつけているのだけが救いです。

雨が降ると、江戸村内のそぞろ歩きができなくなりますから、とても辛いのです。室内のアトラクションも楽しいのですが、学生たちに江戸時代の暮らしの一端を感じ取ってもらうとなると、ぶらぶら歩き回るのが一番なのです。だから、せめて曇りで踏みとどまってもらいたいのですが、一体どうなるのでしょう。

中間テストが終わりました。来週がバス旅行で、再来週は卒業式です。1月期は、毎年、駆け足で過ぎ去っていきます。

玉砂利を踏みしめて

2月3日(金)

例によって、日枝神社へ豆まきを見に行きました。コートにマフラーで出かけましたが、陽だまりは結構暖かく、スーツだけで行ってもよかったかも。暦の上だけでなく、本当に春が来たかのようにも感じられました。

新宿御苑前駅で乗り遅れた学生を待って引き連れて行ったこともあり、例年よりも遅い時間に現地に着きました。既に中級や上級の他のクラスは豆まきが始まるのを今か今かと待っているところでした。しかし、Jさんを始め何人かの学生は、豆まきをする舞台のそばへ行くどころか、そちらを見ようともせず、ひたすらスマホをいじっていました。そういう学生を見るたびに、どうして自分で自分の世界を狭めてしまうのだろうと思います。

その一方で、Hさんなどは日枝神社の祭神を調べてくるといって、由緒書きを探しに境内を歩き回っていました。SさんとEさんがおみくじ売り場を探していたので、案内してあげました。また、K先生はクラスの学生からどうして神社には玉砂利(学生は「小さい石」と言ったそうですが)が敷き詰められているのかと聞かれたそうです。こういう学生は、これからの留学生活でも多く物を得ることでしょう。

豆まきが始まると、いつの間にかHさんも豆の取り合いに参戦し、戦果を私に分けてくれました。今年は力士のほかに晴れ着の女性タレントが多いように思いました。また、ゆるキャラが2体(2人?)いました。どこかで見たような木がするのですが、なんのゆるキャラか思い出せませんでした。

豆まきが終わり、お客さんが引くと、舞台の解体など、後片付けが始まりました。係員が灯籠を保護していた覆いをはずすと、舞台からまかれた豆袋が出てきました。それを見るや、どこかのオジサンがさっと拾い集めました。あんな豆にご利益があるんだろうかと首をかしげながら、あんなオジサンにだけはなりたくないと思いました(もう十二分にオジサンですが)。

さて、神社の玉砂利ですが、神聖なところを清浄にし、それを踏みしめることによって心身ともに清めて神前にまかり出て祈りをささげられるようにと敷き詰められているそうです。

大人になる

1月13日(金)

卒業文集の下書きがまだ完成していない学生を図書室へと追い出し、職員室に駆け下り、荷物を置いて、学生に捕まる前に6階講堂へ急ぎました、講堂には新成人が三々五々集まってきていて、友だちとおしゃべりしていました。定刻から数分遅れて、成人を祝う会が始まりました。

私の成人式は30年以上も前のことで、来賓の祝辞の際に聞き手である新成人がざわざわとおしゃべりを続けていたため、来賓が起こって話を途中でやめてしまいました。子供っぽい成人のさきがけだったのかもしれません。

これに比べれば、KCPの新成人たちは実に礼儀正しかったです。私の話の時も、ずっと耳を傾け、真剣なまなざしでこちらを見つめていました。私の成人式の新成人たちよりも、ずっと大人の態度でした。まあ、私の成人式の来賓氏よりも、私のほうが聴衆との距離が近いということもあるでしょうが。

私は大学入学とともに家族のもとを離れましたが、同じ国内でしたから、その気になればいくらでも会えました。私と同じ成人式に出ていた新成人の多くは、親元にいました。親元から海を越えて来ているKCPの新成人たちよりも、ずっと子供だったと思います。今は情報機器によって海の向こうにいる家族の顔は見られるでしょうが、生身で見られない心細さは決して消え去ることはないでしょう。何でも自分でしなければというプレッシャーが、成長の原動力になっているのです。

大人になることとすれっからしになることは違います。行動や考え方は大人になっても、歓談の時間に見せていたみずみずしい笑顔をいつまでも忘れてほしくはありません。

入学式挨拶

1月10日(火)

皆さん、ご入学おめでとうございます。世界の各地からこのように多くの若者がこのKCPに入学してくださったことをうれしく思います。

昨年末のことです。ある学生(仮にAさんとします)の大学入試の面接練習をしました。その質問の一つとして、「あなたの国と日本とで一番違っていることは何ですか」と聞きました。Aさんは「日本人は映画のクレジットを最後まで見ます。私の国ではクレジットを見る人はほとんどいません」と答えました。日本で映画を勉強したいというAさんらしい観点からの答えだと思いました。そこで、さらに、「では、どうして日本人は映画のクレジットを最後まで見るのだと思いますか」と突っ込んでみました。Aさんは、胸を張って、「それがマナーですから」と答えました。

私はこの答えを聞いてがっかりしました。おそらくAさんの頭の中では、日本人はマナーやルールをよく守る国民性を持っていて、それが映画鑑賞の場面でも発揮されたというストーリーができあがっていたのでしょう。Aさんは来日してから約9か月、日本で映画を何本も見て研究に励んできたそうです。そんなに映画をたくさん見てきたのに、君の目には日本人はマナーを守るためにクレジットを最後まで見ているとしか映らなかったのかと言いたくなりました。しかも、それで日本や日本人を理解したかのような答えっぷりが、とても気に障りました。Aさんの志望校は相当レベルの高い大学ですから、この程度の答えなら、面接官はニヤリと笑ってAさんの名前に×を付けるだけでしょう。

私はAさんの日本に対する見方は底が浅いと思います。表面から見えるものだけを見て、触れるものだけを触って、それで日本や日本人を理解したかのように思ってほしくはありません。潜在成長率が0.5%もないと言われている日本において、世界に売り出していけるものといったら、文化ぐらいしかないかもしれません。しかし、その文化は、決して浅薄なものではなく、汲めども尽きぬ井戸のごとく、一朝一夕で理解が及ぶものではありません。私はAさんにそういうことを伝え、映画を含めた日本や日本文化をもう一度捕らえ直すようアドバイスしました。

今日、ここにいらっしゃる皆さんは、短い人でも3か月、長い人はこれから進学先を卒業するまで何年もの間、あるいはその後日本で就職するのなら何十年もの間、日本で暮らしていくことになります。ツアーで日本に立ち寄ったのなら、映画のクレジットを最後まで見る日本人はなんとマナーがいいのでしょう、で十分です。しかし、日本で生活する、生きていく、日本人と何かをしていくつもりなら、映画のクレジットを最後まで見る日本人の心性を追究していく必要があります。

今、この入学式の場においては、日本人がなぜ映画のクレジットを最後まで見るのかの答えは申し上げません。それは、皆さんがこの学校を卒業するときまでの宿題です。私たち教職員一同は、皆さんとこういう議論を日本語でするのを楽しみに待っています。そして、卒業の日に、皆さん自身が見つけたその答えを私にささやいてください。その答えが正鵠を射ていることを祈ってやみません。

本日は、ご入学、本当におめでとうございました。

青赤黄

11月22日(火)

明け方まで雨だったところもかなりあったようですが、集合時刻を迎えた国営昭和記念公園西立川口は快晴となり、雪をかぶった富士山がマンションのすき間から拝めました。園内は、錦秋という言葉がぴったりの紅葉と黄葉が抜けるような青空に映えて、目を楽しませてくれました。「京都なんかまで行かなくてもここで十分ですね」とMさんが言っていましたが、まさにその通りでした。

やはり最大のネックは、着火剤1つで炭に火をつけることでした。火のつけ方は各クラスで指導していましたが、着火剤に火をつけてから炭に火が移るまで待つことがなかなかできず、焦ってあおいでかえって火を消してしまうクラスがけっこうありました。火付け役の私は、あおぐのを思いとどまらせたり、消えかけた火を復活させたり、火が起こったクラスには炭を足すタイミングを知らせたり、日差しの強さもあり、この時点でずいぶん汗をかいてしまいました。ヒートテックがちょっと邪魔くさくなってきました。

料理が始まると、各クラスから持ち込まれた料理コンテストの作品の味見に没頭しました。どのクラスも、味にも盛り付けにも工夫を凝らしていて、目で引き付けられ、舌で驚かされ、濃密な審査時間でした。じゃがいも料理というお題でしたから、カレーライスや肉じゃがばっかり出てきたらどうしようと思っていましたが、よくぞまあこんなにいろんなじゃがいも料理を考え出したものだというくらい、バラエティーに富んでいました。自分の発想の貧困さを思い知らされました。

火付け役で見回ったときに、各クラスで串焼きやら焼肉やら、色とりどり素材とりどりの料理が用意されていましたから、じゃがいも料理以外にも舌鼓腹鼓を打ったことでしょう。その一部が差し入れされてきましたが、どれもおいしくいただきました。審査があったのでほんの一口ずつでしたが、クラスの学生の満足げな笑顔が目に浮かぶ料理ばかりでした。

昨日までの空模様と天気予報からは想像もつかない、もしかするとこの秋一番の青空に恵まれ、食後の園内散策から戻ってきた学生たちは、いい1日を過ごしたという顔をしていました。私も、快い疲れを感じました。

名誉

11月18日(金)

各クラスで、来週のBBQの日程説明やメニューをどうするカなどの話し合いが行われました。私のクラスでは、Mさんがどんどん決めていってくれたおかげで、当日はおいしいものが食べられそうな感じです。Mさんは去年のBBQを経験していますから、何をどうすればいいか把握しています。しかも、はきはきと発言しますから、話がどんどんまとまりました。MさんにつられてFさん、Jさん、Zさんたちが、進んでいろいろな役割を引き受けてくれました。

クラスにMさんみたいな学生がいると、教師は楽です。むしろ、張り切りすぎて食材を買いすぎないように、ブレーキ役になることすら必要です。そういう学生がいないと、笛や太鼓で盛り上げなければなりませんから、教師は大変です。こちらがたきつけても、学生側に燃え上がる材料がないと、教師の独り相撲に終わりかねません。まあ、どのクラスも1人ぐらいはイベントに強い学生がいるものですから、たいていはどうにかなります。

午後からは初級クラスでBBQの説明がありました。一番下のレベルのクラスはまだて形すら入っていませんから、教師の言葉が十分に通じません。そこで活躍するのが、上級の学生たちです。各国の上級の学生に通訳を頼み、教師の説明を学生に伝えてもらいます。通訳の学生は、自分の経験にも照らし合わせて、自分がよくわからなかったことを手厚くフォローするようです。初級の学生にとっても、教師の言葉より同国人の先輩のことばのほうが身近に感じると見えて、耳を傾ける態度が違います。

この通訳、学生にとっては名誉な仕事のようです。頼まれた学生は、ほぼ間違いなく二つ返事で引き受けてくれます。わざわざアルバイトの時間をずらしてまでも引き受けてくれることさえあります。どうしても都合がつかなかった学生は、とても残念そうな顔をします。

さて、今年はどんな料理が食べられるのでしょうか。今から楽しみです。

晴れるかな

11月17日(木)

学校行事が近づくと、胃が痛くなる日々を迎えます。天気予報担当としては、行事をする土地の行事の時間帯のお天気を予測しなければなりませんから。来週火曜日にBBQが迫っていますから、学校のパソコンで得られる情報をかき集めて、当日の日中のBBQ会場方面におけるお天気をあれこれ予測しています。

お天気は自分の手で変えることができませんから、他力本願の最たるものです。「悪い」という予報になったら、もうどうしようもありません。気圧配置が変わるのを祈るほかありません。私にできるのは、どのくらい悪いのか、何とか行事が実施できる目があるのかないのか、そんなことを予測するぐらいしかありません。

来週のBBQはどうかというと、今のところお天気はどうにかなりそうな雰囲気です。ごく弱い低気圧が発生するおそれは残っているものの、BBQに支障をきたすようなお天気にはならないだろうと読んでいます。11月も下旬となれば初冬であり、東京地方は冬晴れパターンに入るころです。多少寒いのは着込めば済むことだし、料理の最中は煮炊きをしますから、そこそこ暖かくなります。心配なのは、風です。冬の季節風が吹き荒れると、BBQ日和とは言えなくなります。当日は火付け担当として火がつけられないクラスの火おこしのお手伝いもしますから、強い風が吹くと商売繁盛しすぎて困ってしまいます。

さて、明日のクラスでは、BBQで何を作るか話し合います。盛り上がりすぎて、週末に大量の食材を買い込んでしまうなんてことのないように、手綱を引き締めなければなりません。

黒板

8月1日(月)

午前10時、入場したばかりで落ち着きがない場内に、O先生渾身の力作のオープニング映像が流れました。すると、単なるざわめきが支配していた会場がウォーッというどよめきに包まれました。スピーチコンテストなんてうざってえなあと思っていた学生も、この映像で一気に気持ちが吸い寄せられたようです。

今年の司会は最上級クラスのLさんとKさん。時々かむことはありましたが、さすがに最上級クラスだけあって、聞き取りやすい安定した話し方でした。特にLさんの声はよく通り、マイクがなくても会場中に響くんじゃないかと思えるほどでした。

例年のように、各クラスとも応援+スピーチという形で進んでいきました。今年は先生方のご指導が行き届いていたようで、ほとんどのクラスが応援もスピーチも制限時間を超えることなく収めていました。応援は、もう少し練ってくれると訴えるものが強かっただろうなと感じるクラスもありました。そういうクラスに限って、よくできた他のクラスの応援を見て、自分たちももうひと頑張りすればよかったと後悔するものなのです。教師が鉦や太鼓をいくらたたいても、学生たちがその気にならなければ観客を引き付ける応援はできません。

今年のスピーチコンテストは、最優秀賞が、なんと、レベル1のDさんでした。日本語を勉強し始めてからわずかな期間ですが、自分のわかる単語や文法で、自分の気持ちや考えを、実に的確に表現しきっていました。「最優秀賞はDさんです」というアナウンスに対して、会場全体が納得していました。かつては、ただひたすらみんなにわかるという点だけがウリの初級のスピーチでしたが、ついに大会を制覇するに至りました。

コンテストが終わって後片付けをしていると、スピーカー控え室からステージに向かう通路にかかっている黒板に、メッセージがいくつも書かれていました。スピーカーがお互いを励ましあうために書いたのでしょう。日本語だけでなく、自分たちの母語での一言もありました。スピーカーたちはライバルであると同時に、同志でもあったのです。