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初泳ぎ

4月25日(月)

朝、作文の採点をしていると、「先生、お時間、ちょっといいですか」とO先生。「はい、いいですが」「じゃ、鯉のぼり、上から下ろすんで…」ということで、毎年恒例の鯉のぼりの飾り付けを手伝いました。まあ、私のしたことは、O先生が上の階から投げ下ろした鯉のぼりが取り付けられたロープを、校舎の前で受け取って仮止めしただけですが。

鯉のぼりが泳ぎだすと、一気に初夏という感じがしてきます。ついこの前、桜が咲いたの満開だのって騒いでたのに、もう半袖が珍しくないですからね。今年もまた、順調に季節が進んでいます。学校の前の道を歩く人たちも、鯉のぼりを見上げたり指差したり、中には写真に収めたり。1年で一番明るく清々しい季節を味わっているようでした。午前中は青空でしたから、なおのこと、鯉のぼりが映えたことと思います。

夕方、妙齢の女性が、鯉のぼりにチラッと目をやりながら、受付に。専門学校か大学の方かなと思っていたら、声が聞こえてきました。その声を聞いた瞬間、何年か前の卒業生のCさんだってわかりました。仕事で来ていて、国へ帰る前のわずかなすき間を縫って、こちらに顔を出してくれました。仕事を持ったから顔つきが変わったのか、幼顔から大人の顔になったからなのか、たぶんその両方でしょうが、学校のパンフレットに載っていたCさんの顔を比べると、落ち着いた雰囲気の有能なビジネスパーソンになっていました。

鯉は立身出世を象徴する魚だとも言われています。ちょうど鯉のぼりを出した日に来るなんて、Cさん、きっと、これからますます商売繁盛、どんどん大きな仕事をしていくようになりますよ。

入学式挨拶

皆さん、ご入学おめでとうございます。世界の国々からたくさんの勉学を志す若者が、このKCPに入学してくれたことをうれしく思います。

今ここにいる皆さんの中には、3か月の予定で入学した人もいれば、KCPで2年勉強して、そして日本の大学で4年、さらに大学院にまで進学するつもりの人もいるでしょう。勉強する期間は長短さまざまですが、今、この入学式の場で、私が皆さんに最も申し上げたいことは、10年後の自分にほめてもらえるような留学をしてほしいということです。10年後、2026年の皆さん自身が、今の皆さんに「2016年の私よ、よく日本留学を決意してくれた。そして、一生懸命勉学に励んでしてくれた。そのおかげで今の私があるんだ。本当にありがとう」と感謝したくなるような留学生活を送ってください。

この留学は、皆さん自身が皆さん自身に対して行う投資にほかなりません。勉学という、時間とお金と労力を必要とする投資は、すぐに何らかのリターンをもたらすわけではありません。今日勉強したことが、明日役立つとは限りません。10年後ぐらいに花が咲き、実りをもたらすのです。「10年後の自分からほめられる」ですから、目先のことだけではなく、自分の将来像を思い描きながら留学生活を送っていってください。

すぐに成果が出ないからあきらめてしまうのではなく、成果が出るまで努力を続けるようにしてください。中途半端な投資は、回収もままならず、丸損になってしまいます。皆さんは自分自身に投資し始めたのです。投資対象である自分自身がいい加減な気持ちだと、その投資は全く生きません。見方を変えれば、安易な気持ちで留学生活を送ることは、自分の手で自分の未来を閉ざすことなのです。10年後から叱り飛ばされるようなことは、絶対にしないでください。

もちろん、留学生活を楽しんでももらいたいです。でも、忘れないでください。楽しむだけでは充実した留学生活にはなりません。10年後の自分と相談しながら、今輝くよりも、将来を輝かせる留学を築いていってください。

本日は、ご入学、本当におめでとうございました。

顔を作る

3月7日(月)

大量の卒業生が去ってしまったので、午前中の校舎は寂しいものがあります。使われていない教室が多いためどこか薄暗く、休み時間になっても廊下には学生の姿がちらほらするだけです。職員室も、午前中はスカスカでした。

私は超級レベルで残っている学生たちを併せたクラスを担当しました。この学生たちは、来学期からKCPの顔になります。そして、この学校をこれから1年間引っ張っていくことになります。そういう存在になってもらわなければ困ります。

少なくとも来学期の行事では、中心的な働きをしてもらうことになります。去年4月期に行われた運動会でも、去年の卒業式以降に残った超級の面々が、競技役員を始め、中心になって働いてくれました。その経験がとても印象深かった、最上級クラスの一員という自覚が生まれたという声も、おととい卒業していった学生たちから聞かれました。彼らは立派にKCPのか落として活躍してくれたと思います。

だから、今朝の超級合併クラスでは、集まった学生たちに自覚を促すと同時に、プレッシャーもかけました。先週までは卒業していった学生たちの陰に隠れてふわふわしていてもよかったのですが、今からはそうではありません。最上級クラスの一員として、先輩として、在校生にもこれから入ってくる新入生にも、模範を示し、KCPを盛り立てていくことが求められます。

このクラスの学生は、進学実績も上げてもらわなければなりません。初日は「お手柔らかに」したつもりですが、明日からはガンガン行きますよ。覚悟しておいてもらわなきゃ…。

卒業証書をもらう

3月5日(土)

9時ちょっと前に四谷区民センターの9階へ行くと、すでに知った顔がちらほら。授業の時とは違い着飾っているので、挨拶の声を聞いて誰なのかわかることも。

卒業式は、卒業証書をもらうか修了証書をもらうかが学生にとって運命の分かれ道ですが、我々教師にとってもその年度の総決算を意味します。今年度は卒業証書がもらえるだろうか、頑張ったけど修了証書どまりだろうか、私は毎年そんなことを考えながら、一人ひとりの学生に証書を渡しています。

Aさんは伸びたと思えれば卒業証書に近づくし、Bさんの出席率は結局改善されなかったと思えば修了証書のほうに引っ張られます。Cさんを無理だと思っていた第一志望校に入れたのは殊勲賞だけど、Dさんの行き先が決まっていないのは指導力不足だったかな。Eさんは苦手の漢字を克服したけど、Fさんの漢字嫌いはどうにもなりませんでした。入学時はあんなに純真だったGさんがやさぐれてしまったのは私たちのせいかな。最後の3か月でこちらを向いてくれたHさんは、KCPにも心を開いてくれたんでしょうか。

毎年、思うところがたくさんあるのですが、今年は去年より卒業生が多い分だけ、私の前に立つ学生の顔を見ながらこの1年の自分自身を見つめなおす時間もたっぷりいただけました。

午後は卒業生と教師の交流パーティー。琴の「ふるさと」に学生たちがKCPを思い出すときのことを重ね合わせ、歌クラブの卒業生・Iさんの涙に心を揺さぶられ、演劇部の演技とセリフの自然さに魅了され、ダンスクラブのパフォーマンスにはこれまで同様圧倒されました。でも、今年の目玉は、教師の合唱です。学生に隠れてこっそり練習した成果を披露すると、Jさんは涙をあふれさせていました。

式は会場の都合上ゆっくりできませんでしたが、交流パーティーは卒業生も教師も十分に感慨に浸ることができました。どの先生も、寿命が10年ぐらい縮みそうなくらい、卒業生に挟まれた写真を撮られていました。

これだけ学生に慕われたのですから、私たちもかろうじて卒業証書をもらえるでしょうか…。

泣くかな

3月3日(木)

今年の卒業式の卒業生代表挨拶は、Kさんにお願いしました。月曜日、Kさんに電話で依頼すると、二つ返事で引き受けてくれました。電話をかける前に説得の言葉をあれこれ考えたのですが、そんなのを動員するまでもありませんでした。

昨日、原稿を見せてもらいましたが、いくつか語句の訂正をした程度で、内容は私なんかが手を入れる必要など全くないすばらしいものでした。KさんはKCPに2年いましたから、語るものもいろいろあったようです。そのなかから厳選して原稿にしたのですから、空虚なものになるわけがありません。

今日はその原稿を読む練習をしました。声に出して読むとなると、自分で書いた原稿にしても、留学生にとっては難しいものがあります。卒業生代表挨拶は棒読みではいけませんし、スピーチコンテストの要領ともちょっと違います。感動を誘わなければなりませんからね。

Kさんは、最初は、「っ」の間が十分に取れていませんでしたし、長音の延ばし具合も不完全でした。なんだか急ぎすぎていて、聞き手にしてみると、聞いた内容を吟味する暇がない感じがしました。アクセントとかイントネーションとかいう前に、まず、促音と長音を確実に出すよう指導しました。そうしたら、全体的にペースがゆったりしてきて、最初に比べて次は、20秒も長くなりました。

急ぎすぎがなくなったところで、アクセント、イントネーション、そして、間の置き方の指導です。Kさんの書いてきた原稿にアクセント・イントネーションの記号を付けると、見違えるように自然な話し方になりました。さらにもう10~15秒ほど長くなりましたが、緩慢な感じはありませんでした。

明日、もう一度練習をして、明後日の本番に臨みます。Kさんの挨拶で誰か泣くんじゃないかなって、密かに期待しています。

海を見つめる

2月26日(金)

朝、いつもの時間に、御苑前駅から学校への道の最後の角を曲がると、ビルの隙間からきれいな朝焼けが見えました。思わず真上の空を見渡すと、雲らしき姿はなく、日の出直前の最後の輝きを放つ星が「バス旅行日和だよ」と告げているかのようでした。

出発時刻が近づくにつれて学生たちもどんどん集まってきました。しかし、出発時刻を過ぎても何名かの学生は来ませんでした。もう出発しようと思ったそのときに、Pさんから電話が入りました。学校のすぐそばまで来ているが、バスの止まっている場所がわからないと言います。電話で場所を説明し、Pさんも走っているようではありましたが、これ以上待ったら日程に影響が出かねないという時間になっても姿を現しませんでした。Pさんは切り捨てて出発することにしました。

Pさんは遅刻の常連です。先週の卒業認定試験も朝寝坊で受けず、追試を受けたくらいです。痛い目に遭わないと行いは改まらないと考え、また、時間厳守と言っておきながら大幅遅刻の学生を待ち続けるのは、他の学生の教育上もよくないと思い、Pさんには泣いてもらうことにしました。

アクアラインに入る直前ぐらいに富士山が見えると、車内は大きなどよめきとカメラの音の嵐。海ほたるの展望台からも、横浜の町のかなたに真っ白な富士山がくっきりと見えました。まだ9時台でしたが、日なたは思ったよりも暖かく、多くの学生が富士山を背に記念撮影をしていました。

鴨川シーワールドに着くと、まず、お弁当。クラスまとまって…と思ったのですが、早速展示物につかまる学生が多く、私のクラスは空中分解。でも、私が用意してきたデザートもあっという間に売れてしまい、それなりに楽しいひとときだったようです。

イルカのパフォーマンスを見ました。学生たちは歓声の上げ通しでした。ジャンプも泳ぎもうなるしかないほどの一級品でしたが、私は芸をするたびに飼育員が与えるえさの量が気になりました。小魚か何かなのでしょうが、15分ほどのパフォーマンスの間にイルカが食べた量は半端じゃありませんでした。私もイルカのパフォーマンスには楽しませてもらいましたが、楽しむだけでいいのかなという気もしました。

学生たちは八のパフォーマンスも見に行きましたが、私は体がすっかり冷えてしまい、お土産屋や屋内水族館で体を温めました。体が温まり、また外に出てみると、海岸に結構学生が出ているではありませんか。危ないことはしないようにと、砂浜で学生の見張りをしました。

シーワールドからずっと離れたところに、Jさんがぽつんと立っていました。バスの駐車場からもだいぶ離れたところだったので、あまり遠くへ行かないようにと注意しに行くと、いつになく真剣なまなざしで海を見つめていました。

「何を見ているんですか」

「母を思っています」

そう答えると、Jさんの目から涙がこぼれ出しました。鴨川の海はJさんの国とは反対向きですが、海には人の心を揺さぶる偉大な力があるものだと、大いに感心させられました。富士山よりも美しい絵を見せてもらいました。

冷たい南風

2月23日(火)

寒い日が続いています。日曜日は例外的に暖かかったですが、それ以外は10度にやっと届くかどうか、あるいは数字は高くても体感的にはパッとしない日々です。心配なのは、バス旅行の日、金曜日の鴨川の気温です。お天気はまあまあみたいですが、予想気温が10度と出ています。目的地のシーワールドはその名の通り海っぱたですから、風が強いでしょう。ということは、10度といっても5度か7度かそんな感じかもしれません。

以前バス旅行で鴨川シーワールドへ行ったときは夏でしたから、風が心地よいくらいでした。でも、今は2月ですからそうはいかないでしょう。気温で20度近くまで上がってくれないと、暖かいって感じはしないでしょうね。

海っぱたの風で思い出すのが、新入社員の実習で行った北海道の工場です。その工場は北海道に南岸にありましたから、海風は南風でしたが、あんなに冷たい南風は、あとにも先にもあの時だけです。5月とはいえ、海から吹き込む風はかなり強く、私にとってはブリザードに近いものがありました。

さすがに鴨川ではブリザードにはならないでしょうが、ある程度の覚悟はしていかないといけません。南房総の2月といえば菜の花のイメージですが、そんなつもりで行くと1日中震え上がっていなければならないでしょう。

問題は、学生たちにそれをどうやって伝えるかです。彼らは若いですから、私のような年寄りよりもずっと寒さへの耐性があるのかもしれません。でも、私よりもずっと風邪を引きやすいということは、それは耐性ではなく、寒さの感受性が鈍いだけかもしれません。

明日は各クラスでしおりを配って日程などの説明をします。卒業直前に集団風邪なんてことがないように、がっちり注意していきたいです。

大仕事

2月1日(月)

卒業文集には卒業生の作文のほか、各クラスで撮った動画も載せます。今日の私のクラスは、その動画の撮影日。大きな白い紙に各自がメッセージを書(描)いている様子を映すというものです。準備万端整い、朝からすぐ撮影のつもり…だったのですが、出席をとると、肝心の大きな白い紙を持って来ることになっているPさんがいないではありませんか。カメラが借りられるのは授業の前半だけだし、どうすればいいかと頭の中ですばやく計算し始めた時、4分ほどの遅刻でPさんが教室に駆け込んできて、事なきを得ました。

Hさんが指示を出しながらカメラを回し、学生たちは黙々とメッセージを書き、撮影は粛々と進みました。先週、何を書くか決めてくることを宿題にしておいたので、紙を目の前にして考え込むような学生はいませんでした。みんなかなり力のこもった言葉を書いていたので、ちゃかしたり冷やかしたりすることもなく、ふだんの授業よりも厳かな雰囲気でした。

美術系の大学に進学することが決まっているOさんには、特別枠で大きな絵を描いてもらいました。将来、Oさんが有名になったら、このDVDは価値が出るよなんて言ったら、Oさんははにかんだように笑っていました。そして、最後に、その巨大な寄せ書きを掲示板に張って、みんなその前に集まって記念撮影。Oさん以外はみんな一言しか書いていないのに、とっても大きな仕事を成し遂げたかのような満ち足りた顔をしていたのが印象的でした。“作品”をこのまま卒業式まで張っておきたいというので、午後の先生に断って、掲示板をしばらく占拠させていただくことにしました。

最近は、国で勉強ばかりしていて、クラスや学校全体で一つの仕事を成し遂げるという経験をしていない学生が目立ちます。スピーチコンテストやバーベキューなどの学校行事、そしてこうした卒業制作みたいなことを通して、そういうことの楽しさを味わってもらっています。今日のこの経験も、このクラスの学生たちに何物かを残したと信じています。

ひねた子どもたち

1月15日(金)

国民の祝日としての成人の日は1月の第2月曜日に移動したものの、私たちの世代にとっては成人の日は1月15日のほうがしっくりきます。

大人になるとは、周りの人や状況など、自分以外のものに合わせて行動できる人、誰かのために、何かのために動ける人だと思います。逆に言うと、どんなに年齢を重ねていても、自分のことしか考えられない人は、まだ子どもなのです。こういう目で見ると、世の中にはひねた子どもが大勢います。

まず、吸殻のポイ捨てをする人。毎朝校舎の正面を見て回ると、たいてい吸殻が落ちています。多くは校舎前の道路ですが、敷地内に投げ込まれたと思える吸殻も珍しくはありません。一服の快楽が得られれば、後は野となれ山となれなのです。

それから、電車のシートに中途半端に座る人。詰めればもう一人座れるのに、込んでいても詰めようとしない人は毎日のように見かけます。ちゃんと規定の人数が座れるようにシートがくぼんでいても、そのくぼみを無視してまでゆったり座ろうっていうのは、どういう神経なのでしょう。

電車ついでに、駆け込み乗車してドアに挟まれ、車掌にドアの開閉をやり直させる乗客は、その電車1本の全乗客の時間を奪っていることに気付いていないんでしょうね。乗客1000人の電車で再開閉に10秒かかったとすると、10000秒=2時間46分40秒が無駄になります。新幹線に乗れば新神戸か八戸まで行けます。北陸新幹線なら終点の金沢で降りて、タクシーで香林坊まで行けちゃうかもしれません。

昼の時間にKCPの成人式がありました。大勢の新成人が集まりましたが、この中には上のような“子ども”はいないですよね。

入学式挨拶

皆さん、ご入学、おめでとうございます。このように多くの国から多くの学生がこのKCPに集まってきてくれたことをうれしく思います。

私は上級クラスを受け持っていますから、毎年この時期は進学指導に忙しいです。今年も、新年の仕事始めの日から、大学入試の面接練習をしました。この大学入試での面接で最も大切な力は、何だと思いますか。それは、コミュニケーション力です。面接官が何を知ろうとしているかを察知してそれに応える、これがコミュニケーション力です。

コミュニケーション力は、大学入試にとどまらず、就職試験やアルバイトの面接でも重視されますし、そもそも円滑な日常生活を成り立たせる上で必要不可欠なものです。日本語という皆さんにとっては外国語によって、皆さん自身の心や頭の中身を目の前の人に伝え、日本語で思考回路を働かせ、それを日本語によって訴えようとしている日本人の考えや気持ちを感じ取ることは、たやすいことではないでしょう。たとえ面接試験なしで進学や就職ができたとしても、その後その進学先や職場で暮らしていく際にはコミュニケーション力なしでは済みませんから、この力を伸ばしていくことはこの国で生きていく上で何より優先すべきことです。ペーパーテストの点数が高いだけでは、勉強も仕事もはかどりませんし、日本での生活自体が楽しいものにはならないでしょう。

日本の文化を知ろうと思ってこの留学を思い立った皆さんは、なおのことコミュニケーション力が物を言います。どこまで日本文化の深い部分に触れられるかは、ひとえにコミュニケーション力にかかっています。日本文化を表面的になでるだけなら、翻訳や通訳を通せば十分できます。でも、それならインターネットによって国でもできるでしょう。日本でしかできない経験を求めるなら、それが日本文化の真髄に近いものいであればあるほど、日本語によるコミュニケーション力を身に付けなければならないことは疑いようがありません。

KCPは、日本語によるコミュニケーション力を付けることに主眼を置いています。初級の教室で、国籍の違う学生が、まだまだ不十分ではあるけれども、お互いの共通言語である日本語によって意志の疎通を図っている姿を見かけると、“ああ、やってるな”と、思わずニンマリしてしまいます。そうやってコミュニケーション力を伸ばそうとしている学生は、実に生き生きとした表情をしています。皆さんにもその輝く笑顔を振りまいてほしいのです。こういうコミュニケーション力を手にすることができたなら、必ずや皆さんの留学は実りの多いものになることでしょう。

本日は、ご入学、本当におめでとうございました。