Category Archives: 勉強

声に出すと

2月12日(火)

朝8時半頃、トイレに行こうと職員室を出ると、男の人が声をかけてきました。しかし、その方が何と言っているのかよくわかりませんでした。「は?」と聞き返しても、同じような答え方でよくわからないままでした。姿かっこうからお客様とも見えず、また、この時間帯に学校にいるのはほぼ間違いなく中級以上の学生であり、外国語で話しかけてくることは考えられません。彼が発した言葉をおうむ返しに言ってみると、彼は違うという顔つきでスマホを出し、何か示そうとしました。そのときに発した何回目かのことばで、ようやく彼は例文を書くノートを買いたいのだということがわかりました。クラスと名前を聞こうとも思いましたが、聞いたところで聞き取る自信がありませんでしたから、すぐに事務の職員に引き継いで、当初の目的どおり、トイレに向かいました。

読解の授業で、Cさんにテキストを読んでもらいました。Cさんは文法の理解も早く、気の利いた例文も作れます。日本語のセンスはあると思います。しかし、音読はひどかったですねえ。漢字やかなを1字ずつ拾い読みするのです。聞いている学生たちは、何がなんだかわからなかったでしょうね。Cさんの教科書をのぞき込んだところ、かなり書き込みがあったので予習はしているようでした。でも、黙読と辞書で意味を調べるのとが中心で、一言も発することなく勉強を進めているのでしょう。

今朝の彼もCさんも、JLPTのような日本語試験ではある程度以上の点数を取るでしょう。しかし、音声によるコミュニケーションというか、日本語の声を出すことそのものに関しては、標準以下と断じざるを得ません。KCPはそういうことが内容に、発話教育にも力を入れてきているのですが、学生の側にも私たちの意図をくみ取る感度がほしいです。朝早くから例文ノートを買おうとした学生、きちんと予習して授業に臨んだCさん、2人とも“いい学生”の範疇に入ります。しかし、話せなかったらそのよさを回りに伝えられませんよ。

「話せない学生は合格させない」と人気有名私大の先生が明言なさっていたそうです。Cさんが第1希望の進路をあきらめざるを得なかったのも、この音読レベルの発話力が原因だったかもしれません。

5番の答え

2月7日(木)

「Hさん、5番の答えは何ですか」「…忘れちゃった『ことになる』」「5番は『ことになる』、いいですか」「……(カサコソと、自分の答えを訂正する消しゴムとシャープペンシルの音)」「じゃあ、6番。Gさん、お願いします」……「はい、10番は『わけがない』でいいですか」「いいです」「じゃあ、問題2全体を通して質問ありますか」「先生、5番は『わけだ』じゃないんですか。さっきの先生の説明だと『わけだ』になると思うんですが…」「はい、その声を待っていました。私がいった答えが違っていると思ったらすぐに言わなきゃだめだろう。Fさんが何も言わなかったら、あんたたち間違ったことを覚えて帰ったかもしれないんだよ」

とまあ、授業中こんな意地悪もします。上級の学生なら間違いに気付いて当然ですから、学生が発した間違いをほったらかしておいて反応を見るのです。何でもこちらが説明してくれると思われたらたまりませんから、甘ったれるんじゃないという意味も込めて、わざと教えないで学生から何か言ってくるのを待ちます。

Fさんはこういうときに真っ先に指摘してくる学生です。私の話をよく聞き、それに基づいて論を進め、おかしいと感じたらすぐに質問します。多くの学生は、私が間違った答えを言っても自分のほうが間違っていると思い、「5番」答え合わせのように、正解を誤答に書き換えてしまいます。それに対し、Fさんは教師という権威にも屈することなく、果敢に自分の意見を述べるのです。もちろん、こちらが想定していなかったところで質問が飛んできてあわてることもあります。そういう緊張感を教師に与えてくれるのも、Fさんなのです。

このクラスには4月から進学する学生が大勢いるのですが、Fさんのような積極性がないと、実になる勉強ができません。そういう意味で、カサコソという消しゴムの音に、ちょっと不安も感じました。

カシャッ

2月6日(水)

私のクラスは、3月で卒業する学生と4月以降もKCPで勉強を続ける学生とが半々くらいという構成です。卒業組はほぼ進路が決まり、心の中に消化試合的な無気力感が湧き上がりつつあるようです。学校には出席しているものの、例えばテストで不合格点を取っても平気な顔をしているというように、向上心があまり感じられません。

今朝、9時少し前に私が教室に入ると、カシャッというスマホのシャッターの音がしました。昨日欠席したEさんが、授業中の書き込みのあるCさんの教科書を撮ったのでした。最近は手で書き写すことすらしないのですね。私たちの頃も、ノートのまるごとコピーというのがありましたが、そのコピーした紙にあれこれ書き加えたものでした。スマホの画面だと、それを眺めて覚えるだけなのでしょうか。そんなことで覚えられるのかなあ。チャイムが鳴ったらすぐ始めるテストに関して言えば、一夜漬けにすらなっていません。

そのEさんは卒業組です。“合格=進学先の授業についていける”ではなく、進学後に苦労した学生は数限りなくいます。Eさんもその一員になりそうな気がしてなりません。あと1か月の勉強で急に力が伸びるわけではありませんが、春節だなんだかんだと怠けていたら、4月に授業始まっても耳も目も手も口も思い通りに働かないに違いありません。緊張感を持って勉強し続けていれば、耳も目も手も口も新しい環境にスムーズになじんでいくでしょう。

さて、今朝のテストですが、Eさんも含め、春節を存分に楽しんだと思われる学生たちは軒並み不合格でした。来年4月を目指している学生たちはきっちり点を取ってきました。消化試合組をちょっとでも引っ張り込む授業をと思っています。これが、この学期の一番難しいところです。

懐かしい顔

1月10日(木)

毎学期、始業日の前日は、アメリカの特別プログラムで入学した学生の歓迎会があります。ほとんどの学生が初級に入り、そんなに長期間在籍することもあまりないので、上級を中心に教えている私にとっては一期一会みたいなパーティーです。たまに初級のクラスに代講や試験監督などで入ると、そういえばこいつとパーティーのときに話したっけなあなんて思い出すこともあります。

午前中の養成講座の授業を終えてパーティー会場に駆けつけ、テーブルに並んだ料理をつまもうとしたら、「先生、お久しぶりです」と声をかけられました。こんなところに知り合いはいないはずだけど…と思いながら声がする方に顔を向けると、笑みをたたえたMさんが立っていました。「ああ、Mさん、お元気でしたか。何年前だったっけ」「4年前です」「ええっ、もうそんなになるの? じゃあ、今度はレベル5?」「はい、そうです。あの時、とても楽しかったですから、また来ちゃいました」。

Mさんは4年半前の夏学期に、私のクラスで勉強しました。実力的に余裕があるわけではなく、毎日必死に食らいついていました。悲壮感すら漂わせていました。でも、その甲斐あって、学期の最初はクラスで下位の成績でしたが、期末テストでは全ての科目で優秀な成績を収めました。そして、また日本へ来るチャンスはないかもしれないと寂しげに言い残して、プログラムの終了とともに帰国しました。

Mさんは「楽しかった」と言いましたが、あの鬼気迫る表情からすると、「苦しい」面も多分にあったと思います。それでもまた来てくれたということは、きっと満ち足りた日々が送れたに違いありません。充実感と達成感に浸りたくて、もう1つ上のレベルに挑戦しようと思ったのでしょう。

Mさんのような学生に出会うと、こちらもやる気が湧いてきます。新しいクラスでも、“Mさん”を育てたいです。

初勉強

1月7日(月)

この仕事をしていると、日本語以外にも勉強させられることが多いです。上級の読解教材を選ぶとなると、かなり広範囲にわたって、論説文、小説、随筆、評論などを読み漁らなければなりません。その中から学生に読ませたい、考えさせたい、入試などの面接での参考になるのではないかといった文章を選びます。作文・小論文でも、「団体旅行と個人旅行とどちらがいいですか」などという、まあ、どうでもいいテーマではなく、「AIとの共存共栄」などという学生たちが自分の人生の中で起こりうる問題について書かせようとすると、教師側も一歩踏み込んだ予習が求められます。

Yさんが研究計画書を送ってきました。出願締め切りが今週末だそうで、急いで目を通さなければなりません。経済学という、私の守備範囲外の専攻について書かれた文章なので、一読しただけでは助詞の間違いなど明らかな文法ミス以外は直しようがありません。私が持っている常識をフル活用し、それでも足りない部分はネットで検索し、付け焼刃かもしれませんがそれなりに勉強してYさんの言わんとしていることを探りました。

こういうのが1年に何回かありますから、法学でも宗教学でも観光学でも、半可通ぐらいのレベルにはなりました。全て、学生のおかげです。是枝裕和監督のすばらしさ有能さを教えてくれたXさん、リーガルマインドに触れるきっかけを与えてくれたLさん、文化財保護の手法を勉強させてくれたQさん、今は当たり前になった3Dプリンターをその最初期に活用法を考えさせてくれたYさん、…挙げていったらきりがありません。授業料ゼロで頭の中身が広がっていくのです。いい商売ですね、日本語教師って。ボケ封じにもいいかもしれません。

さて、今年はこれからどんな勉強ができるのでしょうか。

結果を気にしない人たち

12月28日(金)

毎学期繰り返されることなのですが、期末テストの結果を教えてくれと連絡してくるのは結果の心配などしなくてもいい学生ばかりで、早く結果を知って早く今学期の復習をしてもらいたい学生はいっこうに連絡をしてきません。成績を気にしてメールをよこしたGさん、Sさん、Rさんは、みんなすばらしい成績で進級が決まっています。しかし、Tさん、Nさん、Mさん、Pさんなどは、大いに成績を気にしなければならないのですが、どうしているんでしょうね。

普段から自分の成績を正視し、長所を伸ばし、弱点を補い、実力をつけることに意欲的な学生と、テストを返されたその時はびっくりしたりがっかりしたりするものの、勉強しなきゃと思うのはその一瞬だけという学生とに分かれているのです。前者はたとえ99点でも、そのマイナス1点をなくすためにはどうすればよいか考えるタイプで、後者は合格点さえ取れれば、残りのマイナス40点には目をつぶってしまう学生たちです。59点と60点の差にはこだわるけれども、60点以上はざっくり“いい点数”でしかありません。

もちろん、テストの点数にこだわりすぎるのはよくありませんが、テストで減点されたところは自分の勉強に何がしか不足のあった箇所ですから、それは謙虚に受け止めなければなりません。アニメの言葉が聞き取れればいいとか語学学習が趣味だとかというのなら話は別です。でも、進学や就職のために勉強しているのなら正確さが求められ、そのためにはミスを減らすという態度が必要です。

年が明けたら、Tさんたちも受験に取り組まねばなりません。他流試合を経て勉強の厳しさを味わうことになるのでしょう。挫折を経験して目が覚めた学生も大勢いましたから、来年に期待することにします。

12月6日(木)

授業後、Hさんに呼び止められました。

「先生、2月の旧正月に一時帰国したいんですが、いいですか。久しぶりに家族が集まるので親が帰って来いって言うんです」「Hさんは推薦入学で合格したんですよねえ。推薦入学の学生は気安く欠席しちゃいけないんですよ」「私も最近帰っていないから…」「その推薦入学だって、出席率の基準をぎりぎりクリアしていただけでしたよね。このごろ風邪で休んでいますから、今はもう基準以下かもしれませんね」「でもこれ以外は毎日必ず来ますから…」「来るだけじゃ意味がありません。中間テストの成績はいったい何なんですか。あれが推薦入学の学生の成績ですか。成績優秀な学生を推薦するんです。期末テストだってよほど勉強しない限る合格点は取れないでしょうね。2月にそんなに休んだら、卒業認定試験で合格点が取れないと思います」「卒業まで頑張りますから…」「口ではいくらでも言えます。それが本当に実行できるかです」「はい、大丈夫です」「全然大丈夫じゃないと思います。もう一度考え直してください」

Hさんの現状は、どう見ても推薦入学の学生像から外れています。Hさんには言いませんでしたが、合格させてくださった大学に頭を下げて、推薦を取り下げようとすら思っています。Hさんは遊びまくろうとまでは思っていないでしょうが、気が緩んでいることは確かです。一時帰国に関して、きちんと断りを入れてきたことは認めますが、それで「はいわかりました」とは、絶対に言えません。

推薦入学で進学を決めた学生が、その期待を裏切る振る舞いをするのはよくあることですが、よくあることで済ますわけにはいきません。さて、Hさんにはどう対処しましょうか…。

明日から寒くなります

12月5日(水)

私が持っている初級のクラスで、推量の「ようだ」を扱いました。導入をして、絵を見せて、そこに描かれている事柄について「ようだ」を使って文を作らせました。全体に聞いても答えが出てこないだろうと思って、1人ずつ指名して自分が書いた文を言ってもらいました。ところが、3人目ぐらいから、学生たちが自然に次々と文を言うようになりました。直前の人の文を発展させた文を作り出すなど、大いに驚かせられました。

優秀な学生もいるけど発話力に関しては疑問を抱き続けてきましたが、学期末が近づいてきて、ようやく一皮むけたようです。今学期、これほど学生の力の伸びを感じたことはありません。どうやらクリティカルポイントを越えて、中級にグッと近づいたのではないでしょうか。

初級と中級とは連続していますが、初級の終盤には胸突き八丁の坂があります。今、このクラスの学生たちはその坂を上っている最中ですが、どうやら峠の向こう側の景色が見え始めてきたようです。このままの勢いで進んでくれると、みんな進級できそうです。

しかし…。授業後に集めた宿題をチェックすると、つい先ほど感じた喜びが、いっぺんに完全に吹き飛んでしまいました。できるだけ長い例文を書くようにという指示があるのに、超省エネの例文ばかり。「どこかに/どこかで/どこに/どこで」の区別がついていない例文がざくざく。長音、濁音、促音、みんな怪しいです。近づいたかに見えた中級は、蜃気楼のように消え去ってしまいました。

明日の先生への申し送りを書く筆の重いこと。明日からの寒波が身にしみそうです。

やる気

11月28日(水)

午後の授業の前に、Oさんの面談がありました。Oさんはクラスの平常テストをあまり受けていません。受けたテストも不合格ばかりです。追試や再試も、いくら促してものらりくらりと言い逃れをして、結局どうにもなっていません。当然、中間テストは悲惨きわまる成績でした。

まず、この点を追及すると、今学期はやる気が湧かないと言います。だから、一時帰国して心機一転を図りたいと言い出す始末です。一時帰国ではなく永久帰国のほうがOさん自身のためだと言ってやりました。でも、一時帰国から戻ったら、絶対にやる気が戻り、期末テストまで一気に突き進めるのだそうです。私の感覚では支離滅裂な話ですが、Oさんの頭の中では論理性があるのでしょう。

中間テストの文法は、合格点に遠く及ばない点数でした。明らかに勉強しておらず、正解だった答えも今学期新しく覚えた事柄ではなく、始業日の時点でOさんの頭の中にあったと思われる語彙や文法で書かれていました。書の証拠に、今学期習った文法を使って会話を作る問題は、規定の長さを超えたからその分の点数がもらえただけで、会話のセリフはレベルが低すぎる内容でした。

こちらを指摘すると、Oさんは押し黙ってしまいました。「このテストの結果は、10月、11月、この2か月、あなたは全然進歩しなかった、日本語のレベルが少しも上がらなかったということです。無駄な時間を過ごしたということです。日本にいただけ、教室にいただけで、ぼんやり時計を見ていたのと同じです」と、その傷口に塩をすり込むようなことを言ってやると、さすがにこたえたようでした。

Oさんは、今度の日曜日、ろくに勉強しないままJLPTのN2を受けます。そしてそのまま一時帰国します。教師からのプレッシャーから解放され、のびのびできて、活力が戻るのでしょうか。

SSSSSSS

9月26日(水)

久しぶりというか、初めてかもしれませんね、あんなにいい成績表を見たのは。だって、Aがたった2つですよ、残りの10科目ぐらいが全部Sで。Aが2科目であとがBとCというのは何回も見てきましたが、Sがずらずらっと並んだのを見せ付けられると、圧倒されて言葉を失ってしまいます。こういうのを眼福というのでしょうか。

今年、R大学に進んだYさんが、成績表を見せに来てくれました。R大学は、Yさんにとっては余裕のある大学で、事実、留学生の中では絶対1番だと胸を張っていました。日本人にはかなりできる学生もいるけど、学年全体で上位にいることは確かだと言います。これだけ成績がよかったら来年の奨学金は堅いねと言うと、まんざらでもなさそうに笑っていました。それでも、レポートを始めとする課題は大変だとのことでした。留学生向けの日本語は楽勝だと言っていましたが、KCPの最上級クラスで卒業ですから当然ですね。

卒業したら、大学で入学したかったK大学あたりの大学院に進もうと思っているそうです。R大学にもK大学出身の先生がいらっしゃるそうですから、そういう先生に渡りをつけていただくことも考えておいたらいいでしょう。

鶏口となるとも牛後となるなかれと言います。無理してK大学に入って超低空飛行を続けるよりもR大学でトップを争うほうが、Yさんの人生を長い目で見た場合、よい結果をもたらすかもしれません。いい大学に入っても、ドベを争ううちに負け犬根性が染み付いてしまったら、何の意味もありません。たとえそのいい大学の卒業証書を手にしたとしても、そんな学生をほしいと思う会社はないでしょう。リーダー経験もさせてもらえないでしょうから、起業だってあやしいものです。入学から卒業まで好成績を続けると、プライドも風格も身についてきます。周りから頼りにされることが当たり前となり、リーダーシップも自然に身につきます。

YさんがR大学しか受けないと言ってきた時には少々がっかりもしましたが、こうしてSばかりの成績表を見せられると、これでよかったんだねと思えてきました。