Monthly Archives: 3月 2017

懐かしくなる?

3月31日(金)

私が毎日通勤に使っている日比谷線の電車が新しくなると、かなり前から駅などで告知されていましたが、今朝、やっと初めてその新しい電車に出会いました。反対方面行きの電車でしたから乗ることはできませんでしたが、駅に止まっている姿をしっかりと目にしました。

日比谷線はラインカラーがグレーですから特別目に鮮やかな色が使われるようになったわけでもなく、新しい電車だからといって劇的な変化はなさそうでした。各車両の北千住寄りに車いすマークが描かれていましたから、きっと車いすが乗れるスペースは増えたのでしょう。銀座線の電車もあれよあれよという間に置き換わりましたから、夏ぐらいには今の電車を懐かしむようになっているのでしょうか。

古い電車を懐かしむといえば、旧国鉄時代に山手線などの通勤区間を走っていた電車が、絶滅危惧種よろしくSL並みに撮影対象になっているそうです。東京地区からはとうの昔に消えてしまい、残っているのは大阪地区だけとのことです。山手線を走っていた通勤電車といえば、お客を詰め込むことを第一に設計され、最初のころは冷房すらついていませんでした。当時は誰もいいイメージを抱いていなかったと思います。文字通りいやというほど見せ付けられていましたから、わざわざ写真に撮ろうなどと考える人もいませんでした。

明日でJRが発足してちょうど30年になります。1987年4月1日の朝は夜勤明けで、工場の敷地から見上げた、JRマークをつけた新幹線がやけに新鮮に感じられたのをよく覚えています。そのときの私と今の私とを比べると、改めて30年という時間の長さを感じさせられます。旧国鉄の電車といえば、それよりもさらに前から走り続けてきたわけですから、表彰状ものかもしれません。

脱皮しようかな

3月30日(木)

新宿御苑前駅の改札口を通ろうとすると、改札口脇に新宿御苑大木戸門の案内が、桜の地の紙に書かれて貼られているのを見つけました。毎年、これが出ると、春本番という感じがしてきます。そういえば、四ッ谷駅の桜も日増しに花が開いてきています。気象庁のページによると、夕方までに大阪や長崎など西日本の各地で桜の開花宣言が出されたようです。

朝はコートを着て出勤しましたが、午前中外出したときはコートを置いていきました。校舎の外に出た直後は寒さが肌に突き刺さりましたが、歩いているうちにどんどん体が温まってきました。私は普通の人より歩くのがかなり早いですから、御苑の駅ぐらいまででも結構な運動量になるのです。この分だったら、もう朝でもコートは着てこなくてもいいかなと思いました。

昼間はいいお天気だったこともあり、スーツの上着すら脱ぎ捨てたくなりました。アメリカの学生のDさんなら半袖のTシャツ1枚でしょうね。最高気温は17.8度、平年を2度あまり上回りました。お昼近くになると、空のかなり高い位置から日が射すようになりました。南中高度は58.1度、影も短くなるわけです。

月曜日は雪までちらついて真冬に逆戻りでしたし、それほどではなくても先週あたりは小さい春を見つけるのが大変でした。それが一気に4月上旬の気温で、わざわざ探すまでもなく、春があふれていました。

学校に戻ってから、Zさんに入学式の在校生代表挨拶を頼みました。去年の4月生ですから、新学期からは一番の先輩になります。今年の秋ぐらいには、Zさんもサクラサクになってもらわなければ困ります。

地下水流

3月29日(水)

最上級クラスの期末テストの採点をしてみると、大学院で日本語教育を専攻することにしているSさんは、さすがにそれだけのことがあるという成績を挙げています。正解者がSさんしかいなかった問題もありました。その一方で、今年大学受験の予定のYさん、Hさん、Cさんあたりは少々振るいませんでした。この学生たちはそれなり以上の難関校を狙うつもりでいるようですが、先行きに暗雲が垂れ込めているような成績でした。

何より、筆答問題に十分に答えられていないのがとても気になります。3人とも話す力は十分ありますが、書く力には不安を覚えざるを得ません。選択問題のおかげでテストの点数は合格点に届いていますが、この学生たちが考えている大学の入試には日本語の独自試験や小論文などがあります。EJUだけで勝負が決まるならともかく、筆答問題を苦手にしていては、未来が開けてきません。

実際の入試までにはまだ少し時間がありますが、今のうちから頭の中の考えを文字化する力を鍛えていかないと、不完全燃焼のまま入試シーズンが過ぎてしまいかねません。私が来学期この3人を受け持つかどうかはまだわかりませんが、新学期の担任の先生には是非引き継いでおきたいです。

もちろん、3人にはこのことをはっきり伝えます。好きなように勉強させておいたら絶対に筆答問題の練習はしないでしょうから、意識してそういう訓練を積むようにアドバイスします。テストの成績とともに、いやでも苦しくてもあらゆることを文章で表現することこそが明るい未来につながると訴えていきます。

3人にとっても、ここでどこまで踏ん張れるかが日本留学の正否を決めます。そして、自分の人生をかけて日本留学をしているのですから、これからの半年あまりが人生の分かれ目なのです。学期休みでのんびりしているかもしれませんが、実は結構大変なことになっているのですよ、Yさん、Hさん、Cさん。

観察記録

3月24日(金)

期末テストの楽しみは、ふだん出会うことのない学生との触れ合いがあることです。午後は初級クラスの試験監督でしたが、知っている学生は1人だけでした。ですから、知らない学生がどんな学生かあれこれ想像を働かせてみます。問題の解き具合を見て、この学生はできそうだとか、進級がちょっと危ないのではないかとか、机に向かう姿勢から、勉強が好きそうだとかそうでもなさそうだとか、妄想を膨らませています。

試験監督の役割は不正の未然防止ですから、まじめな学生のクラスだとこれといってすることがありません。午前中のテストの採点をすることもありますが、熱中してしまうと本末転倒になりかねません。試験問題を解いてみるのもいいですが、それだってすぐに終わってしまいます。そうなると、学生観察に勝るひまつぶしはありません。

問題の解き方を見ているのも面白いですね。Aさんは注意すべき助詞に〇をつけて、慎重に言葉を選びながら答えを書いていました。Bさんはやや小さめの几帳面な字で、上級のよくできる学生たちの書く字に似ています。Cさんは読解の問題文の要所要所に線を引いていますが、その線が多くなりすぎて何が何だかわからなくなりつつあります。Dさんは、選択問題の答えを選ぶと、マークシートよろしくその番号を塗りつぶしました。〇で囲むのが普通で、レ(チェック)をつけるとか、選んだ記号を問題の横に書くとかはよく見かけますが、鉛筆で塗りつぶした学生は初めてでした。

それから、最近の学生は品がよくなったと思います。最後の科目は時間前でも提出したら帰ってもいいのですが、その時いすを机の上に上げます。かつては“ぐわっしゃーん”と隣の教室にも響きそうな音を立てる学生ばかりだったものですが、近頃は音がしないように細心の注意を払う学生が大半です。先生方の教育のなせる業だと信じたいです。

明日から、束の間の静けさが学校を取り巻きます。

寝かせません

3月23日(木)

元NHK記者で、ジャーナリストで、数々の著作のある、東工大などでも教えている池上彰さんと、読売新聞の1面コラム「編集手帳」を担当している竹内政明さんの対談「書く力」(朝日新書)を読みました。達意の文章を書くお二人の言葉にはっとさせられることばかりでした。その中に、私も心がけていることが1つありました。書き上げた文章をしばらく寝かすということです。

相手のある文章の場合、書いたらすぐに送ったり渡したりせずに、可能な限りしばらく時間を置いてから読み返すようにしています。書いている最中やその直後は、そのテーマに対して多かれ少なかれ頭に血が上っていますから、どうしても視野狭窄に陥りがちです。文字通り冷却期間を置くと、自分の文章を相対化して見られるようになり、書いているときには見えなかった周辺事項が浮かび上がってきます。また、自分の文章に対する入れ込みも薄くなりますから、凝ったつもりの文章が不細工に感じてくることもあります。

そうやって、伝えるべきことを冷静に把握し直し、文章の虚飾をはがし、こちらの意図が相手に伝わることを第一に考えた文章が書けるようになってきます。残念ながら、貧弱な文章力と発想力ゆえに、寝かしてから見直しても大して進歩のない場合も多々あります。

この稿は、毎日、1日の終わりに早く帰りたいという気持ちを抑えながら書いていますから、寝かすということはしていません。それゆえ、何かの拍子に以前のブログを読むと、赤面することもしばしばです。だから、「予の辞書に反省という語はない」といわんばかりに、過去は振り返りません。

明日は期末テストですから、おとといまでに作った読解の問題を読み返しました。名問と思った問題が迷問だったり、選択肢が微妙すぎて答えが絞り切れなかったりという問題が出てきました。文法や文字語彙も同様でした。学生たちの努力の成果を計るテストですから、あだやおろそかにはできません。

その印刷も終わり、ほっと一息つきながらこれを書いています。そして、寝かせることなく投稿してしまいます…。

春の息遣い

3月22日(水)

昨日はさっぱり見えなかった四谷の桜でしたが、今朝は快晴でしたから、かすかな光を集めた心持ちピンクっぽい枝が明けきらぬ車窓から見られました。夜中から北寄りの風が強く、朝はコートが欠かせませんでしたが、最高気温は15度を超えました。陽射しの確かさは、春のものです。

授業後、Sさんが進学相談に来ました。Z大学を受けたいので、その情報がほしいということでした。過去に合格した学生のEJUの成績は、Sさんなら十分に手が届きそうな点数でした。今からしっかりと狙いを定めてそれに向かって努力を続ければ、受験本番の秋ごろには十分な実力が蓄えられていることでしょう。志望校についての研究を深めていけば、面接でも有利な戦いができるに違いありません。

わけもわからずただ有名だというだけで志望校としているようでは、いずれ破綻を来します。そういう学校には到底手が届かないとわかってから動き始めても、後手に回って弥縫策の連続となり、望ましい結果は得られません。そういう指導をしているつもりなのですが、そういう学生が後を絶たないのが現実です。

それだからこそ、Sさんのような学生が来るとうれしくなってしまいます。確たる裏づけのある希望に満ちた話を聞くと、こちらもその希望の実現にぜひとも手を貸したいという意欲が湧いてきます。そして、そういう話をしているSさんからは、これから伸びていこうという勢いも感じました。

ほころび始めた桜と同じように、KCPの中でも新しい芽吹きが見えてきました。何だかんだと言いながらも、やっぱり春なんですね。

開花

3月21日(火)

全国に先駆けて、東京で桜の開花宣言が出されました。もう少し正確に言うと、ソメイヨシノの開花宣言です。沖縄や奄美大島では、すでに1月にヒカンザクラの開花宣言が出されています。九州から北海道南部まではこのソメイヨシノが桜の開花宣言の対象となり、道央、道東、道北はエゾヤマザクラが開花の標準木となります。今日の最高気温は平年を2度ほど下回りましたが、先週後半から比較的暖かい日が続いたおかげで、開花宣言となったのでしょう。

昨日は暖かかったので、窓を思いっきり開けて大掃除をしました。冬物を片付ける勇気はありませんでしたが、窓を開けるのが億劫でなかなか行き届かなかった部分の掃除まで手がけることができました。そんなこともあり、そろそろ桜が咲くかなと思い、今朝は私の定点観測地点である四ッ谷駅の桜を見ようと思ったのですが、日の出直前なのと雨雲で暁光がさえぎられたのとが相まって、何も見えませんでした。明日は朝から晴れのようなので、桜のつぼみの膨らみ具合をしっかり観測したいと思っています。

そんな雨の中、今夜の夜行バスで関西に旅立つXさんが別れの挨拶に来ました。Xさんは、本当は24日の期末テストまでKCP勉強しなければならない学生ですが、今のアパートの契約が今日までなので、今夜進学先の関西へ向かうことになったのです。お世話になった先生方へと、ドーナツを買ってきてくれました。私も、ずいぶんお世話しました(?)から、お相伴にあずかりました。

Xさんの“サクラサク”は、東京の桜と違ってとても遅かったですが、つぼみがほころびつつあります。満開になるかどうかは、関西へ行ってからの勉強次第です。

あっちへ行く

3月18日(土)

私が本を読むのは、興味の対象に関してより深く知りたいという知識欲もありますが、小説などの物語の世界に引き込まれたときの快感を味わいたいという面もあります。作家は、よく、小説を書いていくと登場人物がひとりでに動き出して、自然に筆が進んでいくことがあると言います。読者としてこの感覚にはまることがあり、そのときのエクスタシーというか高揚感というか、要はあっちの世界へ行っちゃったような気分が何とも言えないのです。ささやかな現実逃避をしているようなものかもしれません。司馬遼太郎、吉村昭、東野圭吾、有川浩、まだまだいますが、こういった作家の本では必ずトリップします。

いちばん最近思いっきり泳がせてもらったのは、山崎豊子の「約束の海」です。山崎豊子の遺作が文庫本になったので買っておいたのを、今週、ようやく手に取ったのです。400ページあまりを2日ほどで読了してしまいました。朝も夜も電車を乗り過ごしそうになり、お昼のお店ではご飯そっちのけになり、存分に楽しませてもらいました。

でも、それだけに、この本が遺作だということが残念極まりありません。登場人物が歩き出し、感情を持ち、その顔立ちが脳裏にくっきり描かれたところで、彼らは動きを止めてしまいました。山崎豊子自身、壮大な展開を考えていたようなので、なお一層登場人物のその後が気なってなりません。

私の未読の本棚には私を別世界に誘い込んでくれそうな本が並んでいます。来週期末テストが終われば、次々と手を出していこうと思っています。

花咲か爺さん

3月17日(金)

私のクラスで、ゲストをお迎えして、コロコロ紙芝居をしました。コロコロ紙芝居とは、立方体の箱を4つ組み合わせて、箱の見せる面をコロコロ変えながら、紙芝居のように物語を展開していくというものです。今回は、♪裏の畑でポチが鳴く…という童謡に合わせて、花咲か爺さんに挑戦しました。

花咲か爺さんは、どこかで聞いたことがある学生もいれば初めての学生もいました。ゲストが持ってきてくださった絵本をSさんが読むと、みんな耳を傾けていました。ですが、花咲か爺さんの歌は全員初めてのようでした。ゲストが歌いながらコロコロ紙芝居を次々展開していくと、学生たちの目に好奇心が宿り始めました。

今度は学生たちの番ですが、ゲストに歌ってくださいと言われても、すぐには歌えません。しかもコロコロの操作をしながらとなると、どうしても口の動きがおろそかになってしまいます。それでも何回か繰り返していくうちに歌えるようになり、ソロで歌いながら紙芝居をする学生も出てきました。そんな学生を写真に撮ったりもしながら、楽しんでいました。私も最後に実演させられ、冷や汗をかかされました。これで、今年の忘年会のかくし芸はばっちりOKですね。

上級になると、初級ほど声を出したり体を動かしたりという授業がなくなります。初級のうちは日本語を体で覚える部分もありますが、上級は日本語を日本語で理解することが強く求められますから、頭ばかりを使うようになります。そういう授業はメリハリを付けにくく、ともすると退屈しがちです。時には、歌を歌うなどという、いつもの授業とは対角の授業も刺激になると思います。来学期も何か目新しい企画を実施したいものです。

横綱登場

3月16日(木)

昼休み、「先生、卒業生が是非金原先生にお会いしたいと言っていますが…」と呼び出され、ロビーに出て行くと、Zさんがにっこり笑いながら「先生、お久しぶりです」と声をかけてきました。

ZさんはR大学に進学し、この4月から4年生になるか、ちょうど卒業ぐらいの計算になります。だから、「何年生になるの? それとも卒業?」と聞くと、「先生、大学やめました」と言うではありませんか。「えーっ、じゃあ、今、何してるの?」「4月から専門学校です」

もう少し正確に言うと、Zさんは大学をやめたのではなく、やめさせられたのです。犯罪に手を染めたとかそういうのではなく、留年を繰り返したためです。Zさんが進んだR大学は、私が受験生だった頃も進級基準が厳しくて大量の留年が出ることで有名でした。だから、R大学の卒業生はがっちり鍛えられた精鋭ぞろいだと高く評価されてきました。ZさんがR大学に入るとき、そういう話をして、R大学は入ってからも必死に勉強しないと卒業は難しいと強く戒めました。Zさんと同期のWさんは、この話を聞いて、R大学にも受かっていたのに、M大学に進みました。

KCPにいたときのZさんは、日本語力は「ちょっと…」という感じでしたが、理数系にはきらりと光るものがありました。何より、理科が大好きでしたから、R大学に進学したら大きく花開くのではないかと期待していました。しかし、Zさんが言うには、1年生の時から勉強が難しくてついていけなかったそうです。

専門分野がどんなに好きでも、日本語力が伴っていなかったら、やはり大学での勉強は無理なのでしょうか。Zさんにとって、R大学はレベルが高すぎる大学だったのでしょうか。R大学には今年も何人か進学します。その面々を思い浮かべると、少々不安を禁じえません。R大学以外にも、自分の実力以上の大学に進学する学生もいます。今はそういう大学で勉強できる高揚感に包まれているでしょうが、それが苦しみと後悔へと変質するのは、意外とたやすいことなのかもしれません。

専門学校に進学しなおすことをわざわざ報告に来てくれたZさんは、目標を設定しなおして吹っ切れたような顔をしていました。何より、KCP時代と同じような明るい笑顔と、大台を突破してすっかり丸くなった体つきから、前を向いて進んで(転がって?)いこうという強い意志がほとばしり出ていました。