Category Archives: 日本語

言葉の変化?

1月20日(月)

今学期は、月曜日と水曜日は最上級クラスを担当します。中には1年間ずっとこのクラスで勉強してきたというツワモノもいます。話すときに手加減する必要がないというのが、教師にとってやりやすいところですね。だからといって、気が緩んで山口弁全開などとなったら、最上級クラスでもさすがに通じないでしょうけどね。

初級や中級では、学生たちが知っている文法や語彙を組み合わせて話さないと、意図していることが通じません。それを補うために、時にはジェスチャーなどを交えたり、パワーポイントや板書を活用したりと、あれこれ頭を使います。最上級クラスは、それが省けます。

しかし、その代わり、学生は何でも知っていますから、学生たちの知識欲や向上心を満足させるにはどうしたらいいかという点に気を回さなければなりません。何か考えてもらう、考えさせる、そういう授業を作り上げるにはどうしたらいいかという点が、授業を計画する上での最重要点となります。

初回は、復習ということで、敬語を取り上げました。“書く⇒書かれる”というように、まずは尊敬動詞へお変換。ですが、“降る”みたいに目上の人が動作主になりえないものや、“盗む”みたいに非道徳的な動作で、そんなことをする人は尊敬に値しないようなものも混ぜ込んでおきました。このトラップには引っ掛かりましたね。「“雪が降られます”と言ったら、あなたは雪を尊敬していることになるんですよ」「社長に財布を盗まれた時、社長を尊敬しながら“社長は私の財布を盗まれました”と言うんですか」と指摘したら、気づいたようでした。

謙譲語も引っかかりましたね。目上の人にかかわる動作でないと謙譲語にならないのですが、“お起きする”なんていうのを作っちゃいました。“私は毎朝6時にお起きします”なんて言ってはいけないのですが、学生たちは“毎朝6時に起きる”を非常に丁寧に言うとこうなると思っていた節がありました。

それ以上に、どの言葉に“お”や“ご”を付けるかということを聞いた時に、意外な答えが返ってきました。学生たちが“お”や“ご”を付ける範囲は、私たちより狭いようです。お野菜、お車、ご休憩といったあたりも、付けないと判定していました。学生たちが付き合っている若い日本人はそうなんでしょうかね。

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心配な文化

1月18日(土)

今学期は毎日上級クラスを担当することになっています。火曜日と金曜日は選択授業も受け持ちます。昨日は上から3番目のクラスと、選択授業「身近な科学」でした。

このクラスは先学期からメンバーがほとんど変わっていません。こういうクラスは、往々にして、クラスの文化みたいなものが確立しているものです。このクラスの意場合、その文化は、授業中は静かにするということのようでした。クラス全体に問いかけても、誰も答えません。先学期の中級クラスなら、あちこちから答えが湧き上がってきたものです。間違っていようと的外れであろうと関係なく、何かしゃべらずにはいられない学生がおおぜいいました。これもまた、そのクラスの文化だったのです。

じゃあ、昨日の上級クラスはできない学生の集まりだったのかと言うと、決してそんなことはありません。指名すればまともな答えが返ってくるのです。教科書を音読させれば、先学期のクラスよりずっとスラスラ読めます。引っ込み思案、恥ずかしがり屋の集合なのでしょうか。

というわけで、授業を進めるにはいちいち指名しなければなりません。顔と名前が一致する学生が3人ぐらいしかいないクラスでしたから、名簿を見ながら指名しました。しかし、時には欠席者の名を読んでしまったり、Aさんだと思って読んだら人違いだったりなど、調子が出る前に授業が終わってしまい、選択授業へとなだれ込みました。

昨日は1月17日、阪神淡路大震災からちょうど30年の日でしたから、テーマは地震。去年の能登半島地震、もう少し前の熊本地震、もちろん東日本大震災も取り上げました。野島断層や根尾谷断層など、大きな地震を引き起こした活断層の写真を見せたり、新宿付近にも活断層があるかもしれないと脅したり、こちらは得意分野ですから、好き勝手なことを授業時間いっぱいしゃべって学生の反応を楽しみました。

いちおう授業ですから、評価もしなければなりません。授業内で見せて解説した写真を最後にもう一度見せて、何の写真か説明してもらいました。まじめに聞いていれば絶対答えられると思ったのですが、頭を抱えてしまいました。「阪神淡路大震災で倒れたビル」とでも答えてくれればマルをあげるつもりだったのですが、「強い地震でビルが倒れた」じゃねえ…。上級でこんな答え方なのかと、大いに心配になりました。

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2通りの読み方

1月17日(金)

授業が終わって職員室に戻り、メールをチェックすると、T先生から昨日から話題になっていたある学生に関する報告が入っていました。それをずっと読んでいくと、最後に「…今日本人に確認します」と書いてありました。

さて、みなさんは、この「今日本人に確認します」をどう読みましたか。私は、最初、「いまにほんじんにかくにんします」と読んで、“???”となってしまいました。その後、「きょうほんにんにかくにんします」と読むんだと気付き、腑に落ちました。「今日、本人に確認します」と読点をしっかり打っておいてくれればすんなり読めたんですがね。

つまり、「今日本人に確認します」は、読点の打ち方によって2通りの意味の取り方が可能です。これを英訳ソフトにかけたらどうなるかなと思って、実際にやってみました。

DeepLは、“I’ll check with the Japanese today.”と訳しました。todayが気になりますが、「いまにほんじんにかくにんします」派です。代案として出された訳も、にほんじん派でした。Google翻訳も同じでした。みらい翻訳も“I will check with the Japanese now.”と、にほんじん派。

しかし、Weblio 翻訳は“I confirm it to the person today.”でしたから、「きょうほんにんにかくにんします」派でした。

このように、翻訳ソフトでは、にほんじん派が優勢なようでした。T先生の意をくんでくれたのは、Weblio 翻訳だけでした。私の頭はコンピューター並みということにもなりますが、これは喜んでいいものでしょうか。

それ以上に、こんな不思議な挙動を示す文はほかにないものか、作れないものかと考えてみました。残念ながら、簡単には見つかりませんでした。もう少し、考えてみます。

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早く治りたいです

1月11日(土)

病気にかかっている人やけがをしている人が、「早く治りたいです」と言ったら、みなさんはどう感じますか。もちろん、その人の気持ちは理解できますよね。元気になったら、仕事や勉強をしたり趣味に打ち込んだりしたい、好きな物を好きなだけ食べたい、子どもとスキンシップしたい…、そんな心の叫びを思い描くことは容易なことでしょう。

しかし、ここで問題が生じます。一般に、「~たいです」の“~”の部分には、意志動詞が入ります。ところが、「早く治りたいです」は“治る”という無意志動詞が入っています。“治る”に対応する主格は、“私”ではなく、“病気”とか“けが”とかです。“私が治る”のではなく、“病気/けがが治る”のです。

意志動詞は“治す”です。でも、上述のような状況において、「早く治したいです」とはあまり言わないんじゃないでしょうか。「早く治したいです」と言うと、薬みたいなまだるっこしい治療法ではなく、臓器移植でもしそうな勢いを感じてしまいます。医者が言うなら、「患者の病気/けがを早く治したいです」に何の違和感もありません。

患者では、「私は病気/けがが治りました」は言えます。この望ましい状態に一刻も早く到達したい、そのためには何でもする(“到達する”は意志動詞)という意味で、「早く治りたいです」と言っていると解釈すれば、この言い方もセーフと考えられます。

むしろ、「早く治したいです」は、患者としては意志が強すぎます。数時間にも及ぶ大手術を目前にして、医者が「しっかり治しましょう」声をかけ、患者が「私も早く治したいと思っています」というような状況なら許せますが、普通はそれほどのことはありません。風邪程度なら「早く治りたいです」で十分でしょう。

昨日の夜、電車の中で本を読んでいたら「早く治りたいです」が目に留まり、その後、ずっと上のようなことを考えていました。来週、私は精密検査のため入院します。「早く治したいです」ほどのことがなく済むことを願っています。

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国でのんびり

1月10日(金)

新学期が始まりましたが、年内にA大学に合格したOさんの姿は教室にありませんでした。先学期の担任のM先生が状況調査をしたところ、まだ国にいることがわかりました。進学先も決まったことだし、できることならこのまま4月の大学の入学式まで国でのんびりしたいというのが、Oさんの本心かもしれません。

Oさんの日本語が素晴らしかったら、そのぐらいの余裕をかましてもA大学でそれなりにやっていけるでしょう。しかし、Oさんはそんなレベルではありません。A大学がよく合格させたねと言いたくなるくらいのコミュニケーション力しかありません。3か月も国でのんびりしていたら、日本語をすっかり忘れて、授業で大学の先生が何をおっしゃっているのかさっぱりわからなくなっているでしょう。

どこの大学でも、留学生入試は日本人入試より早い場合が多いです。ですから、入試の時点での日本語力では、進学してからの勉学には不足です。その後数か月日本語学校で勉強すれば大学で求められる日本語力に達するであろうという見込みに基づいての合格なのです。ですから、Oさんはいい気になっていてはいけません。

そもそも、そう休んでいたら、ビザが出ません。合格はしたけどビザがもらえなかったとなったら、大学に納めた学費は戻って来ません。お金も時間も無駄になります。残念ながら、KCPの先輩にもそういう実例がありました。そういう最悪の例もあるんだよと言っても、自分に都合のいい例を信じようとするんですよね、学生は。

さて、来週、Oさんの日本語はどうなっているでしょう。

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再挑戦

1月8日(水)

あさってから新学期ですが、学生たちはぎりぎりの攻防を続けています。先学期の成績が振るわなかった学生に「もう一度同じレベル」という連絡をしたところ、どうしても進級したいという学生が何名か現れました。毎学期のことですが、今学期はお正月休みが長かったため、始業日の直前までごたごたが続いています。

Bさんは“もう一度”の連絡を受けた1人です。進級したいと訴えてきたため、一番点数の悪かったテストを受け直してもらうことにしました。もちろん、誰にでもこういうチャンスを与えるわけではありません。Bさんは意見を積極的に発表するなど、授業への貢献が大でしたし、授業中の活動を見る限り進級する学生に劣るとは思えませんでしたから、チャレンジさせようと思いました。結果は、こちらの期待に応えてくれました。

Cさんも同様に訴えてきました。授業中の発言などからは進歩が感じられました。しかし、Bさんに比べてどのテストも成績が劣り、特に文章力のなさが目立ちました。再チャレンジも意味不明の文が多く、あえなく失敗となりました。今学期は卒業の学期ですから、卒業証書が手にできるように努力してもらいたいものです。

Dさんも力及ばずでした。Dさんはすでに進学先が決まっていますから、無理して難しいことを勉強してわからないことを増やすより、先学期よくわからなかったことを確実に身に付けて卒業したほうが、進学してからのためになります。

まるっきり問題外のEさんからは、何の反応もありませんでした。本人も納得しているのでしょう。Eさんはこれから受験の本番ですから、それどころではないのかもしれません。

職員室には、新学期の教科書や教材が積み上げられて、学生たちを待ち構えています。

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おいしい難問

1月7日(火)

夕方、先学期初級で教えたDさんが、自分で作った麻婆豆腐を持って来てくれました。容器のふたを開けると、おいしそうなにおいが鼻腔を刺激しました。麻婆豆腐とはいうものの赤くなく、ほのかに生姜の香りも感じられました。Dさんの話によると、Dさんの出身地ならではの味付けなのだそうです。

味わってみると、確かに赤唐辛子も入っているのですが、しょうがの辛さが勝っていて、普通の麻婆豆腐とは文字通り一味違っていました。のど元を過ぎてしばらくすると、生姜がじんわりと効いてきて、額や首筋が汗ばんできました。日本の中華料理屋でかく汗と違ってサラッとした汗のような気がしたのは、気のせいでしょうか。

Dさんは、ペーパーテストはよくできる学生でしたが、会話はさっぱりでした。担任のN先生と一緒にごちそうになりながらいろいろな話をしましたが、なかなかスムーズに話せませんでした。Dさんはスマホの翻訳アプリに頼ったり、英語を交えたりしながら意思疎通を図ります。こちらはDさんの言いたいことを察して、Dさんにわかりそうな日本語で聞き返します。それが図星ならDさんは微笑みながら同じ言葉をリピートし、違っていたら髪をかきむしりながらまた言葉を探し始めるというのの繰り返しでした。

Dさん自身も、自分の思ったことが日本語にできず、もどかしいそうな顔つきを何回もしていました。でも、そのもどかしい顔つきの現れる頻度がだんだん下がってきました。1時間ほど話し込んでいるうちに、思考回路が日本語で回るようになってきたのでしょう。ということは、Dさんは、毎日1時間とは言わないまでも、30分ぐらい会話練習を続ければ、滑らかに話せるようになるに違いありません。

でも、この“続ければ”が、学生にとっても教師にとっても難しいんですよね…。

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授業が終わったら

12月24日(火)

お昼に外に出ると、“恋人がサンタクロース”など、クリスマスソングが流れていました。しかし、私は養成講座の2024年最後の授業でした。

授業の内容は、テスト結果の分析でした。とかくクラスの平均点を出してお茶を濁しがちですが、それでは本当にお葉を濁したにすぎません。平均点はクラスの得点分布が正規分布(きれいな山型の分布)をしている時に意味をなし、その形が崩れれば崩れるほど意味をなさなくなります。中級クラスで言えば、毎日行っている漢字の復習テストなどは満点を取って当然のテストですから、日々の平均点の変動を見てもあまり意味がありません。

中間テストや期末テストは、学生の実力を見る意味合いもありますから、正規分布に近い分布をしてもらいたいところです。しかし、そうは問屋が卸しません。大きな山のほかに、極端にできない学生の山ができてしまうことがよくあります。平均点でクラスを評価しようとすると、できないグループの数名が足を引っ張ってしまい、クラスの実態を正確に表さないことがあります。そういう場合には中央値や最頻値を用いるとか、分布の全体像を見比べるとか、いろいろな手があります。

そんな話を、EJUやJLPTの実際のデータも交えてしていきました。この授業資料を作る際に私自身も新たな発見をし、勉強になりました。

今年の養成講座の授業はこれで終わりですから、受講生のAさんはそのままご実家に帰省なさるとか。新年早々ハードな授業が始まりますから、心身ともに十分に休んできてもらいたいです。今頃(18:03)は、もう、ご家族とクリスマスパーティーをしているころでしょうかね。

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退学届

12月19日(木)

3時頃、Qさんが退学手続きに来ました。配偶者のDさんの就職が決まったので、家族滞在ビザにするそうです。今学期何回か「次の学期も勉強すれば卒業だよ」と誘ってみましたが、最終的に退学の道を選びました。

QさんもDさんも初級クラスで受け持ちました。Qさんはともかく、Dさんはいつも日本語より英語が先に出てきてしまい、なかなか上達しませんでした。今では初級レベルの主みたいな学生です。Dさんの場合、日本で就職することが来日の主目的であり、できることなら日本語の勉強はしたくなかったのです。そのため、授業も上の空で、仕事のことばかり考えていました。

「日本語ができると早く就職できるよ」と気持ちを勉強に向かわせようとしましたが、決して揺らぐことはありませんでした。Dさんにとって、KCPは就職活動の足場でしかありませんでした。どうやら仕事が決まったようですが、Dさんの日本語力からすると、仕事で使うのは国の言葉なのでしょう。

QさんはDさんに比べればずっと日本語の勉強に力を入れていました。曲がりなりにも中級まで上がってきたのですから。そのQさんにしても、授業料を払わずに日本にいられるのならそっちにしようという考え方なのです。もう少し勉強を続ければ、日本語で仕事ができるくらいにはなると思うんですがねえ。

日本で暮らすなら日本語ができなければならない――とまでは思いませんが、同国人のコミュニティーの中に閉じこもって生きていくというのは、どうなのでしょう。Qさんたちはそんな生活をしていくのではないかという気がしてなりません。狭くて息苦しいような気がしますが、そうでもないんですかね。

夕方、Dさんも退学の手続きに来ました。2人に幸あれと祈るばかりです。

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意外な、差の感じ方

12月18日(水)

T先生の代講でレベル8のクラスに入りました。今学期授業をしてきたレベル5のクラスに比べると、やはり数段上という気がしました。授業は、期末の前日でもあり、発話力テストとしてのプレゼンテーションでした。ですから、私が感じた差は、話す力の差です。

プレゼンテーションで使われたスライドは、レベル5でも8でも大差ありませんでした。むしろ、映し出された字が大きい分だけ、レベル5の方が優れているとも言えます。しかし、そのスライドで語られる日本語は、8の勝ちです。

どこが違うのかというと、まず流暢さでしょう。Kさんなど、全くよどみなく話を進めていました。レベル5で最も話す力があると思われるJさんをもってしても、足元にも及びません。訥弁という印象が強いFさんも、原稿を持たずにすらすらと10分弱の発表をこなしていました。しばらく見ないうちに話す力がずいぶん伸びたものだと感心させられました。

最近は、こういう発表をさせると、原稿づくりの際にこっそり翻訳アプリを用いる学生がいます。レベル5だと、翻訳アプリの日本語レベルに話す力が追いついておらず、その翻訳文が妙に浮き上がってしまいます。レベル8にも翻訳アプリを使った学生がきっといたことでしょうが、その日本語が浮き上がって来ないのです。難しい言葉遣いに負けない発話力が備わっているのです。

こういう人たちが翻訳アプリを使うなら、それは実に有力な武器になります。人間がコンピューターを使っている図になります。しかし、レベル5あたりの学生だと、コンピューターに負けてしまっていますから、アプリ翻訳の文をそのまま使うと、もれなく違和感がついてくるのです。

こういうところにも、中級と上級の差が横たわっているのだなと思い知らされました。

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