Category Archives: 授業

質問を見極める

9月18日(火)

「じゃあ、次の課に進んでもいいですか」「先生、ちょっと待ってください。今の問題の6番がわかりません」「あ、そうですか。じゃ、もう一度説明します」…というように、初級クラスのGさんはわからないところは遠慮なく聞きます。教師としては、わからないところはわからないとはっきり言ってもらったほうがありがたいです。わかったふりをしてテストでひどい点を取るのはやめてもらいたいです。

Gさんの質問は、教科書などに出てくる、あまり初級っぽくない言葉や文法の使い方に関することが多いです。初級の先生だったら、そういうのに敏感に反応してきちんと説明なさるのでしょう。でも、上級をずっと教えていると、中級や上級で習うことになっている表現があまりにも自然にはまり込んでいると、ついつい見逃してしまいます。Gさんはそういう私の暴走を止めてくれるのです。

Gさんの質問に答えるべく、説明を追加したり例文を書いたりすると、他の学生たちも一生懸命ノートに取ったりしきりにうなずいたりします。逆にいうと、Gさんが質問しなかったら、他の学生は私の追加説明を聞くことはなかったのです。そういう意味で、Gさんはクラスへの貢献度大です。

私は教師からの質問に答える学生よりも、教師にどしどし質問してくる学生を評価します。その質問が的を射ていれば、さらに評価は高くします。的確な質問ができる学生は、頭の中がきちんと整理されています。Gさんの場合、作文にその頭脳明晰さが現れています。きちんと順序だてて文章が書かれていますから、文法の間違いがあったとしてもすぐわかりますし、だからその間違いが理解の障壁になりません。

そのGさんも受験が近づいています。筆記試験や面接試験のときに、この頭脳明晰さを遺憾なく発揮してもらいたいです。

活力源

9月14日(金)

今週は異常に忙しかったです。連日午前午後みっちり予定が詰まっていて、そのわずかな隙間にスポットのあれこれが入り込み、毎日夕方には精根尽き果てた状態でした。受験の山場はこれからなのにこんな状況では、先が思いやられます。

1人1人の学生は、先生には、例えば自分の書類を作るぐらいの時間はあるだろうと思っているでしょう。実際、本当に1人の書類だけならそれを作る時間は捻出できます。しかし、ちりも積もれば山となるとはよく言ったもので、そういうのが集まると、めまいがするほどの仕事量になります。でも、これを確実に処理していかないと、学生が進学できなくなったり学校全体の仕事が滞ったりしてしまいます。

そんな中、金曜日のレベル1の授業は貴重な息抜きです。いや、授業を息抜きだなどと称してはいけないのですが、学生の力の伸びを肌で感じられるのは何と言ってもレベル1であり、それが快感につながるのです。学生のほうも授業前まではできなかったことが授業後にはできるようになったと実感できるので、その喜びを味わおうと授業に集中するのです。こちらも、今勉強している文法や言葉はこんなところにまで使われているんだよ、これがわかればこんなこともできようになるんだよということを伝え、学生の顔に達成感が浮かぶのを見ると、力が湧いてきます。

しかし、学生たちから得た力を説教に費やすことほどむなしく、同時に力を与えてくれた学生たちに申し訳なく思うことはありません。幸いにも今週はそういうことはありませんでしたが、これからどうなるかまだまだ予断を許しません。無事平穏を祈るばかりです。

欠席メール

9月10日(月)

8時過ぎにXさんから、エアコンをきかせすぎて熱を出したので休むというメールが届きました。熱があるときに休むのはしかたがないことですが、Xさんは最近休みがちで、今月の出席率は60%。このまま休むと50%になってしまいます。そういう意味のメールを送ると、数分後に「じゃあ行きます」という返信が来ました。

Xさんのクラス担当のF先生によると、Xさんは9時には教室におり、ごく普通に授業を受けていたとのことです。Xさんのうちは学校まで歩いて10分ほどですから、私からのメールを見てからうちを出ても、始業には間に合います。9月の出席率に驚いて泡を食って学校へ来たことは明らかで、要するにずる休みしようと思ったのです。

Yさんは毎月出席率が80%を切っているため、事務所で来学期の授業料を受け取ってもらえそうにありません。私のところにどうしましょうと相談に来ましたが、私が言えることは、期末テストの日まで休まずに来いというだけです。Yさんもまた、なんとなく行く気がしないからとかという程度で気安く休み、ここに至ってしまいました。しかも、授業料を受け取ってもらえないのは、今回が初めてではありません。学習しないというか、期末テストまでの2~3週間だけ必死に通えばあとは適当でよいという悪知恵だけつけたというか、困ったものです。

Xさん、Yさんのほかにも休み癖がついてしまった学生が少なくありません。大志を抱いて留学してきたはずなのに、それをすっかりどこかに置き忘れています。Xさんは今学期の新入生ですが、これではさきがおもいやられます。Yさんは高い潜在能力を持っていながら、それが「潜在」のまま終わりそうです。一番残念な思いをするのは、私たち教師ではなく、当の本人なのですがねえ。

災害授業

9月6日(木)

課外授業で、有明にあるそなエリアとパナソニックセンターへ行ってきました。パナソニックセンターは去年の水上バス旅行の際に行きましたが、そなエリアはまるっきり初めてでした。

課外授業における教師の役割は、まず、学生の見守り役です。解散時まで学生の安全を図るのが最大の職責です。しかし、そなエリアの展示物はそれを忘れさせる迫力がありました。ネタバレになりますからあまり詳しくは書けませんが、大震災に見舞われた直後の東京(と思しき街)を再現したり、防災の心掛けや災害に遭ってしまってからの心構えが説かれたり、避難所で使うこまごまとしたものの準備方法が実地で学べたりしていて、思わずのめりこみたくなってしまいます。

そなエリアは首都圏が大きな災害に見舞われたときに対策本部が置かれるところで、その司令室も階上から見学できました。屋上ヘリポートは見に行きたかったのですが、本務を思い出してとどまりました。仕事を離れ、個人的にじっくり見学したいと思いました。

学生もけっこう夢中になっていて、タスクシートの質問の答えを真剣に探していました。中には友達の答えを丸写しする学生もいましたが、じゃあ展示物や体験コーナーに興味を示さなかったのかといえばむしろその逆で、そっちに熱中しすぎて答えを見つけに行くのが面倒くさくなってしまったようです。

今朝ほども北海道で震度7を記録する地震がありました。そなエリアのスタッフも盛んにそれを話題にしていました。学生たちが、日本にいる間にそういう目に遭わなければ幸いですが、その保証は全くありません。不幸にも被災してしまった時に、その傷口をできるだけ小さくし、一刻も早く立ち直れるように、というのがこの課外授業の主旨でしたが、学生たちは感じ取ってくれたかな…。

災害に備える

8月2日(木)

毎週木曜日は、もうすぐ中級クラスの読解の日です。今週は地震についての教材でした。私の専門領域の話題ですから、ついつい本文から離れて余計な話をしたくなります。ネタは、90分の選択授業「身近な科学」が2回できるほどありますから、それを噛み砕いて話せば無尽蔵に近いくらいあります。

テキストに書かれている東日本大震災も阪神淡路大震災も、地学マニアとしては語るべきことが山盛りで、文章の精読などしている暇はありません。…などと不届きなことを考えながら、「2011年の3月11日、皆さんは何をしていましたか」と聞くと、大半が「中学生でした」「高校生でした」。「1995年の1月17日は何をしていましたか」「まだ生まれませんでした」「お母さんのおなかの中にもいませんでした」と声を合わせて答えが返ってきました。

ただただ驚くばかりですが、だからこそ、地震に対する心構えを説きたくなります。この先進学して、さらに日本で就職しようと考えている学生も多いですから、地震と上手に付き合っていかなければなりません。いたずらに怖がるだけではいけませんが、むやみに高をくくりすぎても痛い目にあいかねません。正しく恐れることが、地震に限らすあらゆる災害に向き合う姿勢として求められます。

今年は大阪北部の地震、西日本の広い範囲にわたる大雨、そして先月来のこの酷暑。テキストの冒頭に「日本は災害が多い国です」とありましたが、正にその通りの展開です。災害に備え、災害と戦い、時には共存することもまた日本文化だよと、「身近な科学」のときには言いますが、このレベルの学生には難しすぎるでしょうから、そこまでは言いませんでした。それはまた、追ってわかってもらうことにしましょう。

初めて本気で勉強

7月23日(月)

Aさんは、私が持っているレベル1のクラスの学生です。先週の金曜日、私が前日の宿題を集めたところ、Aさんは提出したものの、ほとんど白紙に近い状態でした。授業中もどこか落ち着かず、だから指名しても何を答えていいかわからず、隣の学生に教えてもらってどうにかたどたどしく答える始末です。ということを担任のK先生に報告したところ、授業後に呼び出して、通訳を入れて事情聴取することになりました。

職員室へ来たAさんは、まず、宿題をやってこなかったことに対しては、宿題ノートと同じようなノートがあるので、どれが宿題かわからなくなったと言い訳しました。初日にどれが宿題ノートかはっきり示しており、授業中もそのノートを使っていますから、これは言い訳としては不成立です。

そんなことを指摘しても始まらないので、毎日授業のほかにどのくらい勉強しているかと聞いたら、最初、1時間弱と答えました。じゃあ1日40分か50分かしか勉強しないのかと確かめたら、まずいと思ったのか、学校へ行く前と帰ってきてから、1回1時間、1日2回勉強すると言い直しました。本当に1日2時間きっちり勉強していたら、授業内容はもう少しわかるはずです。

最後に、白紙に近い宿題をやってから帰るように命じました。教科書もノートも見ていいが、友達に聞いてはいけないと付け加え、図書室に送り出しました。

1時間半ほどしてから、Aさんは職員室に戻ってきました。所定の宿題のページを見ると、まだ答えがない問題がありました。ノートと教科書を出せというと、落書きだらけのノートと、買ったときのまんまに近い実にきれいな教科書が出てきました。宿題は教科書の問題をちょっとひねっただけですから、教科書のどこにそれと似た例文があるかがわかれば、あっという間にできてしまうはずなのです。でも、Aさんは教科書のどこに何が書いてあるかさっぱりわからないのです。いかに勉強していないか、1日2時間なんて嘘っぱちだということが、図らずして証明されました。

おそらく、Aさんは日本へ来てから、KCPに入学してから、これほど勉強したことはなかったのではないでしょうか。全部答えにたどり着くと、授業中にも見せたことのないさわやかな笑みがこぼれました。

神様が冷や汗

7月20日(金)

午前中の養成講座の授業には、昨日私の授業を見学したIさんがいました。他の受講生もいる前で感想を述べてくれたのですが、神様でも見てきたかのような口っぷりでした。もちろん私は神様でも何でもなく、どう考えても4か所は失敗しているのですが、それには気づかなかったようです。また、こういうところにも気を使って教えるんだよという見本をわざと織り込んだのですが、そこも気がついたかどうか…。

初めての授業見学ですから、見るポイントがわからなかったのだと思います。もちろん、事前に何か見学の際のアドバイスは受けていたと思いますが、想像を絶する授業内容だったのでしょう。旅行に行くとき、インターネットやガイドブックなどで下調べをするものの、実際に現地に足を踏み入れると、そういった予習など木っ端微塵に吹っ飛んでしまうほどの迫力に圧倒されてしまうことがあります。そんなのと同じだったのかもしれません。

理論だけではなく、授業の進め方そのものを勉強してからだと、また目の付け所が違ってきて、初めてのときには見逃してしまった点が見えてくるでしょう。その時に昨日の授業見学を思い出してもらえると、なるほどこういう意味でああいうことをしていたのかとか、失敗したというのはあそこのことかもしれないとか、感じられるかもしれません。

そして、午後は一番下のレベルの授業。予定外のことがあれこれ持ち上がり、ほとんど何も準備せずに教室に入りました。この授業を見学されていたら…と冷や汗をかきながらの授業でした。

例文の表情

7月17日(火)

先週末に、先学期習った文法で例文を作ってくる宿題が出ており、それを回収しました。冒険をせずに、教科書の例文にちょっと手を加えただけの文を書いてきた学生もいれば、独自のアイデアで例文を作ってきた学生もいました。もちろん、後者の例文は読んでいて面白いですし、その学生の人となりもうかがわれて、新学期早々で学生の顔と名前が完全に一致していない教師としてはありがたい限りです。

Gさんはやたらとお酒をテーマにしています。「私は酒を飲むのが好きです」と、ど真ん中の直球を投げ込まれると、思わず笑ってしまいます。大学院志望の学生ですから、お酒を飲んではいけない年齢ではありませんが、飲みすぎが気になります。でも、こういう学生がよくクラスの核になってくれるんですよね。

このクラスの学生は海を見るのが好きらしく、「海はいい景色」関係の例文が4名ほど。学生たちの出身地までは把握していませんが、海は憧れの的なのでしょうか。北海道も人気で、3名が取り上げていました。週末は猛暑が続きましたから、北海道になおのこと惹かれるのかな。

気になるのはWさんで、「友達が私の教科書を持ってきてくれました」と、文法的には整っていますが、いったいどういう場面なのだろうと首をひねらざるを得ない例文を提出してきました。本人の頭の中では、例えば「私が学校に忘れた教科書」とかいうことで破綻が生じていないのかもしれませんが、自己完結している点が問題です。明日の先生に、返すときに真意を確かめてもらいます。

初級の学生の例文ですから、“文は人なり”などとは言いません。でも、学生の本当の表情を垣間見ながら、楽しく添削できました。

差をつける

7月11日(水)

夕方、3月にKCPを卒業してM大学に進学したLさんが遊びに来ました。大学は楽しく、日本人の友達もできたけど、日本語の授業は簡単すぎると言っていました。Lさんは最上級レベルまで進みましたから、大学の留学生向けの日本語授業では、物足りないに決まっています。留学生の中では自分の日本語が1番だという自信があるとも、誇らしげに語っていました。

それどころか、日本人の学生よりも日本語のテストの成績がいいこともあるそうです。つい先日、敬語のテストがあり、そのテストでは合格点が取れなかったおおぜいの日本人学生を尻目に、Lさんは余裕の合格点だったとか。日本人の大学生は、大学に入ると受験勉強で身に付けた知識を忘れ、敬語は就活の直前に覚え直しますから、KCPでがっちり訓練していたLさんの敵ではなかったようです。

KCPの超級では、普通の社会人が読む文章を教材に使っています。新聞記事や小説や新書やエッセイや対談など、広範なジャンルを扱っています。うっかりすると、読書時間ゼロなどとのたまっている大学生などより、よっぽど日本語の活字に触れています。ですから、LさんがM大学の日本人学生よりもいい点数を取ったとしても、全く驚くには当たりません。このままいけば、卒業生代表も夢じゃないね‥‥なんて、からかってしまいました。

今学期から、上級では授業の進め方をガラッと変えました。考えて議論して発表してと、寝ぼけてぼんやりしている暇など1秒たりともありません。こんな授業をしていたら、日本人学生との間にますます差がついてしまいますね。大学から抗議されてしまうかもしれません。

微妙な間合い

7月10日(火)

新学期の初日は、教師のほうも緊張します。上級は持ち上がりのこともあり、それだと知った顔ばかりですからそうでもないのですが、中級や初級はまるっきり新しい顔と出会うわけですから、プレッシャーも感じます。今朝はどことなくそわそわしたベテランの先生方が大勢いらっしゃいました。

私も全然知っている名前のないクラスに入りました。そういえばこの顔はどこかで見たなあというのが2、3人いましたが、職員室で説教されているところだったり運動会の何かの種目でちょっと目立っていたりということで、私と直接的なつながりのある学生はいませんでした。こういう場合、最初にどのくらいの距離をとればいいかが意外と難しいんですねえ。1人でもよく知っている学生がいれば、その学生を突破口に距離を詰めていけるのですが、全員全然知らないとなると何か細工を施さねばなりません。

でも、私は1回の授業だけで学生に近づこうとは考えていません。半月ぐらいかけて信頼関係が築ければそれでいいと思っています。1学期は3か月ですから、残りの2か月でその信頼関係をベースに、クラスの学生たちを伸ばしていくことを考えます。学生のほうから相談を持ちかけられるようになります。こうして生まれたつながりは、その学生が卒業するまで続きます。

明日、あさってと、それぞれ別のクラスに入ります。そのクラスでも同じように信頼関係の種をまきます。じっくり育てて、学期末には大きな果実を収穫するつもりです。