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脳づくり

7月18日(火)

理科の受験講座が始まりました。前半は先学期以前から勉強してきた学生が対象ですから、EJUそのものからちょっと離れた内容にトライしました。穴埋め問題でも選択肢ではない形式や、簡単な論述問題です。選択肢があると知識や記憶が多少いい加減でも正解を選べてしまうこともありますが、純粋な穴埋めだとそうはいきません。論述ともなれば、いくつかの知識を組み合わせ、それを採点官にわかってもらえる文章にする必要があります。

また、問題文が結構長いですから、読解力も必要です。また、漢字で書かれた専門用語も理解しなければなりません。これは、単語帳を作って覚えるという手もありますが、問題を解くことを通して、問題文をたくさん読むことによって、文脈ごと意味を感じ取ってもらいたいところです。こうすると、専門用語同士の連関も見えてきますから、知識体系が築かれていきます。

学生たちの勉強はEJUで終わりではありません。進学後に今までの勉強や知識をいかに活用していくかが、学問上の勝敗の分かれ目です。それゆえ、丸暗記とか断片的な知識の寄せ集めとかではなく、有機的なつながりのある、1本も2本も筋の通った理科的な頭脳を作り上げていってもらいたいです。

こういう学生に比べると、今学期からの学生が主力のクラスは「まだまだ」という感じが否めません。それだけに鍛え甲斐があるとも言えますが、11月までにそれなりのレベルに持っていかねばならないとなると、プレッシャーも感じます。

授業の最中、教室内にも音が響くほどの雨が降りました。都内には雹だったところもあるそうです。嵐を呼ぶ授業には程遠いですが、学生たちを目覚めさせる授業をしたいです。

いいものはいい

7月13日(木)

スピーチコンテストのクラス内予選をしました。昨日原稿を書かせたクラスとは別の上級のクラスでしたから、どんな話が飛び出してくるか楽しみでした。

昨日のクラスは最上級レベルでしたから、自分の日本語を駆使して社会的な問題に切り込んでいましたが、このクラスはそれより少し下のレベルですから、その分自分の身の回りに寄った話題が多かったです。抽象性が低くなったと言ってもいいでしょう。もう少し正確に言うと、独自の思考によって抽象性を高められた学生が少なかったです。参考にしたネットのページなどに振り回されて、十分に咀嚼せずに文を並べているので、スピーチが聞き手の心に響かないのです。

一方、独自の思考で帰納的に議論を深めていった発表は、聞き手の学生たちの顔つきが違っていました。スピーチにひきつけられ、スピーチを聞くことに知的な喜びを感じていることがわかりました。私自身、なるほどと思わせられ、そこまで自分や社会を掘り下げていったその学生に敬意を払いました。

また、発音の良し悪しの差が明瞭に現れました。きれいな発音の学生は、その辺を歩いているバカ高校生よりよっぽどきれいな日本語を話します。その一方で、上級の端くれなのに日本語教師も理解に苦しむ発音しかできない学生もいます。それに加え、原稿の内容を十分に理解しないままスピーチしたとあれば、聞くに堪えるとか堪えないとかの次元ではありません。

私が「これは!」と思ったスピーチは学生も高い評価を与え、発音の悪いスピーチは学生の評価も散々なものでした。学生たちがここまで真贋を見抜く目をもっているとなると、私など学生たちの前で毎日スピーチしているようなもんですから、何だか背筋が寒くなります。

趣味はスポーツです

7月5日(水)

先週から、アメリカの大学のプログラムで来ている学生たちが勉強しています。お昼を食べて、午後の仕事に取り掛かろうとしていたころ、その中で一番下のクラスの学生たちが、インタビューに来ました。習いたて、覚えたての日本語を駆使して職員室にいる教師に話を聞くというタスクはどこのレベルでもやりますが、一番下のクラスはようやくインタビューできるだけの日本語をどうにか覚えたという段階です。

「はじめまして。〇〇です。どうぞよろしく。失礼ですが、お名前は?」という学生の挨拶で始まります。この挨拶がスムーズに言えるかどうかが最初のチェックポイントですが、「私は金原です」と答えて、“きんばら”、せめて“kinbara”とメモできないようだと、実力的にかなり怪しいと覚悟しなければなりません。

ここまでである程度(かなりの程度?)学生の実力を判断し、次の質問を待ちます。「趣味は何ですか」ときたら、実力に応じて、「スポーツ」「音楽」「旅行」などと答えます。間違っても「特殊な地層を見て歩くことです」などと口走ってはいけません。話がそこで終わってしまいますから。

趣味はスポーツと答えると、次は「どんなスポーツが好きですか」ときます。これまた実力に応じてゴルフ、サッカー、ジョギング、バスケットボール、野球などという答えを用意しておきます。でも、今回の学生は、なぜか「私はスイミングが好きです」と自己主張する人が多く、その中の1人は乏しい語彙とジェスチャーを織り交ぜて、自分は何千メートルも泳げるんだと訴えてきました。

そして、準備した質問を聞き終わっても所定の時間にならないとなると、苦し紛れの質問が出てきます。趣味の話の後、突然、「昨日の夜、何を食べましたか」ときかれました。「トマトとヨーグルトを食べました」は聞き取れないでしょうから、「ラーメンを食べました」。そうすると、「私もラーメンが好きです。ラーメンはおいしいです」と、会話が続きます。「冷やし中華」じゃ、こうはいかないでしょうね。

そんなこんなをしているうちに、時間が来ました。学生たちはほっとした表情で「ありがとうございました」と言い、次のインタビューターゲットへと向かいました。

いいとこ取り

7月4日(火)

養成講座の授業をしました。今学期と来学期は養成講座と日本語の通常授業と受験講座の3種類の授業を並行して進めることになります。使う脳みその場所が少しずつ違うので、忙しくもありますが、気分転換にもなります。

私はいろんな職場で働きましたが、どこへ行ってもつぶしが利くというか何でもこなすというか、何か1つをどこまでも深く追究するという仕事のしかたをすることがありませんでした。それはそれで面白いのですが、元研究者の端くれとしては、心のどこかに1つの分野を掘り進みたいという気持ちはあります。

私が養成講座で担当しているのは文法を中心とする科目で、掘り下げようと思えばいくらでも掘り下げられる分野です。独自の文法理論を打ち立てようなどとは思っていませんが、自分なりに日本語文法を矛盾なく理解したいとは思っています。私にとって日本語教師養成講座は、その成果の発表の場でもあるのです。

ですから、私の授業は、諸先生の理論のいいとこ取りをして、さらに私の実感を加え、それらを私の独断で組み合わせて、1つの体系っぽく仕上げたものです。ある先生の理論に沿って教えていこうと思っても、どこかに納得のいかない部分が生まれ、それを何らかの形で補っていくうちに、こんな形になってしまいました。

じゃあ、すべてのことが丸く収まっているのかといわれると、そうでもありません。疑問に思いつつ教えている部分もあります。日本語がわからない学習者に教えていく分には大きな問題は生じないだろうと頬かむりをしている項目も、実はあります。それがどこかは、学生には秘密ですけどね。

明日も授業です。授業を楽しみたいです。

会話テスト

6月16日(金)

今週ずっと、「金曜日に休んだら今学期の会話の成績はFですよ」と言い続けてきた甲斐があって、私のクラスの会話テストは全員出席でした。学生をペアにして、各ペアに課題を配り、その課題に沿って会話を作ってもらうというテストです。もちろん、今学期習った文法や語彙を使います。

ペアAは、2人とも少し緊張気味。ストーリーに飛躍があり、また焦って早口になり、それでも制限時間オーバーであえなく沈没。努力が空回りのようでした。

ペアBは実に滑らかな日本語でした。聞いていた学生たちから、ウォーッと、会話のはずみように感心した地鳴りのような驚きの声があがりました。しかし、教師の耳は文法のミスを次々とキャッチし、評価的には1番にはなりませんでした。この2人は、気合と勢いで話しますから、予想通りといえばまさにそうです。

ペアCは意外性を狙いました。何かの間違いだと思って聞いていたのが間違いではないとわかってから、学生たちは安心して笑っていました。こちらの予想を上回る会話を作ってくれました。

どのペアも今学期勉強した項目を織り込んで会話を作ってきました。そういう意味では合格点ですが、でもそれは会話テストというしゃっちょこばった条件の下でよく考えてその場に臨んだからこそできたのです。肩肘張らない雰囲気だと、まだまだ易しい言葉や文法の方に流れて、初級っぽい口の利き方になってしまうだろうと思います。今学期勉強した日本語が自然に口をついて出てくるのは、数か月先のことでしょう。

会話テストを終えた学生たちは、あさってのEJUと来週木曜日の期末テストに向けて進んでいきます。

延長戦か打ち切りか

5月30日(火)

毎学期、中間テストの後にクラスの学生との面接を行っていますが、いつもながらいろいろな声が出てきます。

Jさんは、先生にはあまり授業を延長してほしくないと言ってきました。一生懸命教えてくださるのはありがたいけれども、チャイムがなったら学生たちの心は教室の外に出て行ってしまっているので、それほど効果的ではないという、教師としては耳が痛い言葉もいただきました。

私はチャイムが鳴るのと同時に授業を終わりにする主義ですから、教室の時計を学生に気付かれないようにチラ見しながら、こちらのセリフの長さを調整したり学生の発言・発話をコントロールしたりします。10時半と3時の休み時間は、学生たちは2階の自動販売機に並ぶのに命を懸けています。また、終業後は、私自身予定が詰まっていることがよくありますから、必然的にぴったりに終わらせなければなりません。

そうでなくても、予定の授業内容が予定の授業時間内に終わらなかったら、教師の負けだと思っています。すべての学生がこちらの想定どおりに動き、理想的な授業展開になることなどめったにあるものではありませんが、そういう流動的な要素も織り込んだ上で授業時間内にピシッと終わらせてこそ、プロだと思うのです。質問が百出して授業が進まなかったというのは、こちらの教え方に抜けがあったのかもしれません。授業が盛り上がることは大切ですが、前に進めなくなっては盛り上がりすぎであり、教師の指導力不足を指摘されてもやむを得ません。

もちろん、私も予定ほど進めなかったことは数限りなくあります。ですが、テスト範囲が終わっていない場合でもない限り、授業時間を延長してまで取り返そうとは思いません。負けを認めて、次の授業では同じ失敗を繰り返さないようにします。

学生にとっても教師にとっても、時は金なりです。

与太話

5月24日(水)

N先生が急病のため、超級のクラスの代講に入りました。今学期はこれまで代講も含めて初級ばかりで、先学期末以来約2か月ぶりの超級クラスでした。

私はその場のひらめき(思いつき?)で授業を進めることがままあります。たとえば文法を教える例文で、予定していたのより面白そうなのが突然思い浮かんだら、それを使ってしまうこともあります。ある単語に関連した語彙に急に思い当たったら、それも紹介してしまうこともあります。また、ついでに触れておきたい日本社会の一面なんかも、授業の最中によく出現します。

しかし、初級ではそれをそのまま学生に披露したら混乱を招きかねません。ですから、ひらめきの大半は涙ながらに葬り去ることになります。それでも何のためにもならない無駄話を1日に何回かはしています。

それに対し、超級ではひらめきをそのまま利用しても、どうにかなってしまうことが多いです。ですから、授業があらぬ方向に進み、話の中の要点を聞き逃さずにつかみ取る訓練と化していることもあります。こちらは好き勝手なことをしゃべってボケ倒すだけですから気楽なものですが、それを聞かされている学生は、つられて笑っているだけでは済まされませんから、苦労が多いことでしょう。今日も、大坂城を造ったのは豊臣秀吉とされるが、秀吉の大坂城は徳川家によってつぶされて、今の大阪城は徳川が諸大名に造らせた城を元にしている…という、どうでもいいにも程がある話題に進んでしまいました。

初級の既習文法で上記のような話をするのは無理ですから、こういう話をしたくなっても自動停止装置が働き、おとなしく教科書に戻ります。でも、可能な限りそのラインを追求し、習った文法や語彙でこんなことまでできるんだ、こんな難しい話もわかるんだという自信を植え付けようと思っています。

のどがかわきました

5月22日(月)

一番下のレベルの代講をしました。自分が担当しているレベルとは違うレベルを教えるときには、代講で自分が教えるべき項目をしっかり頭に入れておくことはもちろん最重要ですが、これまでに何を勉強しているかの確認も怠ってはいけません。初級では未習の単語や文法は使ってはいけませんから、自分の言語中枢をそのレベルに調節しておくことが欠かせません。

今学期は初級クラスを担当していますが、そのクラスはもうすぐ中級というレベルですから、一番下のレベルとは日本語力がかなり違います。いつもの調子でしゃべったら、“???”となってしまいます。ですから、頭のねじを思いっきり戻して、「のどがかわきました」なんていうのを、説明というよりは実演するわけです。

「激しい運動をした後などで、水分が非常にほしくなった状態」とかって言っても、そもそも「激しい」がわかりませんから、無意味です。せいぜい、「たくさんスポーツをしましたから、とてもとてもとても水がほしいです」ぐらいまででしょうね、言葉で説明するとしたら。今学期の私の担当クラスなら、スポーツの最中も熱中症予防にために水を飲めとかって付け加えられるでしょう。上級なら、「のどがかわく」の「かわく」は漢字でどう書くかなんて小ネタも織り交ぜるでしょう。

上級なら、「教師の言葉がわからないのは、お前の勉強不足のせいだ」と言い切ってしまうこともできますが、初級では、教師の言葉がわからないのは教師の力不足にほかなりません。ここでの力不足とは、語彙コントロールの未熟さでもあり、理解させる手段を考え出す発想力不足でもあり、学習者の側に立つ思いやりの欠如でもあります。こういう方面にも頭や心を使わなければなりませんから、初級の授業は気疲れがするのです。

私は、初級の授業は頭の体操になるので好きです。確かに疲れますが、授業中は楽しいものです。

東京一極集中

5月20日(土)

「東京の人口は増えていますか」「はい、最近のデータによると増えているそうです」――というやり取りをする練習が教科書にありました。この練習をした後、私が「今、日本の人口は増えていますか」と聞くと、学生たちは「いいえ、最近のデータによると減っているそうです」と模範的な答えをしてくれました。

そこで、「本当に、今、日本の人口は減っているのに、東京の人口は増えています。じゃあ、人も東京に集まる、お金も東京に集まる、何でも東京に集まることを何というか知っていますか」と聞いてみると、「……」。学生を黙らせるのはいい授業ではありませんが、私はここで“東京一極集中”という言葉を覚えてもらいたかったのです。このクラスは受験生が多いですから、これくらいは知っておいたって損はありません。また、教科書だけでいっぱいいっぱいの学生たちばかりじゃありませんから、余計なことも入れてみました。

こんなふうに、私の授業は教科書を離れてふらふらすることがよくあります。一番下のレベルの授業でも、クラスの様子を見ながら、それまでに勉強した日本語で理解できる“日本の社会”を入れます。この学校に入る前は、ビジネスパーソンが相手だったこともあり、“毎朝6時に起きます”程度の日本語力でも学習者は日本について知りたがりました。そして、それに答える授業をすると、とても喜ばれました。

ですから、私は教科書を読んだだけではわからない、インターネットでもなかなか調べがつかない、学校で勉強しているからこそ手に入れられる何かを付け加えたいのです。これが、私の授業の色だと思っています。

謎解き

5月17日(水)

他の専任の先生方は明日の中間テストの問題作りや印刷などに忙しい中、私は、今学期はどこかのレベルの責任者ではないため、そういったことはしません。時間が少しあったので、上級の教材作りをしました。10月期か1月期にはきっと必要になるでしょうから、今のうちから少しずつ作りだめをしておこうというわけです。ちょっとした謎解きの文章で、これをお読みの皆さんにも是非挑戦していただきたいところですが、この教材を使うことになりそうな学生の中にもこれを読んでいる人がいますから、ここでそれを紹介することは控えておきます。なぞを解いて頭の体操をしたいという方は、個人的に私のところへお越しください。学生の皆さんは、あと半年ほどお待ちください。

KCPの超級は、市販の留学生向け教材では手応えがなさ過ぎて学生の力が伸ばせませんから、新聞記事やエッセイや小説などの生教材や、教師がない知恵を振り絞って生み出した文章や、日本人の高校生向けの問題なんかまでも総動員して、教材を作り上げていきます。時には思い入れが強すぎて教師の意欲が空回りすることもありますが、こうして鍛えられた学生は進学先で十分に日本人学生に伍していけるだけの日本語力を身に付けて卒業していくのです。

読書は私の趣味であり娯楽でありますが、頭のどこかでは「教材」ということを考えています。新聞も情報を得るためだけではなく、半年後に振り返っても学生の心をつかめそうかという目でも読んでいます。息苦しそうに聞こえるかもしれませんが、日々是教材探しという生活も、結構楽しいものです。