Category Archives: 授業

峠道

5月22日(水)

中間テストの後からは、来学期中級に上がる予定のクラスでは、漢字の教科書が中級で使うものに変わります。これを機に、授業の進め方を予習前提の中級的なものにしていきます。

昨日の授業でそういう話をしておいたのに、教科書ノートをチェックしてみると、全然予習してこなかった学生が何人かいました。予習してきた学生も、今までの初級的なやり方から抜けられず、教科書に出てくる語句を徹底的に調べてくるというこちらの要求には程遠いものでした。

毎学期、中級の教科書を使った初日の授業は、こんなものです。そして、学生たちは私に激しく突っ込みを入れられ、全く答えられず血まみれになって授業を終えるのです。期末テストまでボコボコにされ続け、少しずつ鍛えられ、漢字以外の科目でも中級の授業についていける力をつけていくのです。

中級以上は、日本語で思考回路を構築しておかなければ、得るものが非常に少ない日々を送ることになります。授業の進むペースがぐっと早くなりますから、母国語に頼っていては理解が追いつきません。日本語で何かをする、日本語を通して誰かとつながる、日本語によってコミュニケーションを図る、そういったことを本格的に学んでいくのです。その第一歩が漢字の授業という位置づけです。

Kさん、Tさん、Sさんあたりは、自分の予習のどこが足りなかったかをつかんだようです。次の漢字の授業までには軌道修正をして、自分で得るところの多い授業を作り出せるようになっているでしょう。でも、何となくぼんやりしていたYさん、Cさん、Iさんはどうでしょう。初級と中級の境目にある峠を越えられるでしょうか。どうにか越えさせなければなりません。

瞬発力

5月13日(火)

「えーと、Kさん、あなたはいつ日本へ来ましたか」「1か月前に来ました」「そうですか。もう、日本の生活に慣れましたか」「いいえ、まだ慣れていません」「うん、いい学生ですね」…と言って、私が板書したのが、「1か月前に日本へ来たばかりですから、まだ日本の生活に慣れていません」という文です。

「~したばかりです」という文法を導入するのが目的で、その直前に勉強した「~したところです」との違いを強調するために、今学期の新入生のKさんに活躍してもらいました。「~したところです」は本当に直後でないと使えませんが、「~したばかりです」は、話し手や書き手がそれをしてから間がないと思っていれば使えるということを訴えるのに使ったのです。

私は教室の中の流れを授業に取り入れることをよくします。教案を立てても現場で変更ということがよくあります。というか、それがほぼ毎日です。むしろ、教室でのやり取りの中から導入の糸口を見つけることに生きがいを感じているといった方が正確です。とっかかりがどうしても見つからなかったら、しかたなく教案の通りにしています。

目の前の状況や学生と教師のやり取りがそのまま文法の導入につながるのですから、学生にとってもわかりやすいだろうと、私は勝手に信じています。少なくとも、授業にきちんと参加している学生は、どんな場面でその文法を使うか実感できるんじゃないでしょうか。

こういう、その場で思いついたことや教室の空気をパッと授業に生かせなくなった時が、私の引退の潮時だと思っています。例文や説明のセリフがすぐに浮かび上がってこなくなったら、日本語教師を続けても面白くないでしょうね。今のところ、まだまだ持ちそうな気がしていますけどね。

わからないですか

3月22日(金)

今学期受験講座を受けてきたYさんは、わからないと如実に顔つきが変わります。日本語クラスのように20名も学生がいると、わかっていなさそうな顔をしていてもスルーしてしまうこともありますが、受験講座、特に理科は受講生が少ないですから、学生の“?”に付き合うことができます。

Yさんがわからなかったら、他の学生もわかっていないでしょうから、そこは言葉を変えたり付け加えたり身近な例をあげたり式の誘導を丁寧にしたり練習問題を通して考えさせたりしながら、理解を深めていきます。そういう意味で、Yさんは眉根を寄せて首をかしげた顔は、教師の暴走抑止装置となっているのです。実にありがたい存在です。

今学期はYさんにとって初めての受験講座でしたから、知識体系が未完成だったでしょうから、授業についていくだけで精一杯だったかもしれません。しかし、来学期は、問題を読めば正解への道筋がおぼろげながらも見えてくる程度にはなっていなければなりません。6月の本番で7割は確保してもらわないと、私立入試以降有利な戦いが進められませんからね。

そういうわけで、来学期は、もう、Yさんも疑問顔をしている暇はありません。学期休み中に今までの復習をがっちりやって、その範囲には何も疑問が残っていない状態で新学期の受験講座に望んでほしいです。また、頭の中に理科のネットワークを築いて、1つのことから連鎖的にあれこれ思い浮かべられるようになっていてもらいたいです。Yさんには理系のセンスが備わっていると思っていますから、ぜひとも伸ばしていってあげたいです。

平常心?

3月15日(金)

「緊張がほぐれたら教室へ行ってもいいですか」「ええ、いいですよ」。日本語教師養成講座の受講生Oさんが、担当のT先生に一声かけてから教室に向かいました。今週は、養成講座の方々の実習ウィークです。Oさんは、午後の初級クラスで教壇実習をするのです。先学期、中上級クラスで実習していますから教壇に立つのは初めてではないのですが、かなり気が高ぶっているようです。肝が据わっているほうだとお見受けしたOさんですら、職員室を離れてリラックスする必要があるのですから。

Oさんを見ていて、授業前に緊張するなんて、絶えて久しくしていないなあと思いました。駆け出しのころは、どんなに下調べをしても、頭の中でシミュレーションをしても、綿密に計画を立てても、不安に駆られたものでした。予想外の展開になったら、学習者にわからないと言われたら、時間を食いすぎてしまったら、…というふうに、心配の種があちこちで芽吹いていました。

でも、いつのまにか、失敗してもどうにかなるさと思うようになってしまいました。経験を積むことによって授業の質が上がってきたというよりは、高をくくれるようになったと言うべきでしょう。取り返しのつかないミスを犯すことはないだろうという自信とともに、小さなミスなら1学期というタームで捕らえればいくらでも挽回可能だと思えるようになったのです。

Oさんの実習はどうだったのでしょう。授業後は私も忙しく、話を聞く時間がありませんでした。今月末に養成講座を修了し、4月からは、担当教師の見守られながらではなく、一人前の教師として学習者を引っ張っていきます。この実習で、そのための何かをつかんだと信じています。

不審者出没?

2月28日(水)

来週の月曜日に卒業式を控え、授業時間を割いて卒業生たちの予行演習をしました。6階の講堂のステージを使い、本番と同じようにステージに上がり、証書をもらい、文集を受け取り、ステージを下りるという動作を確認しました。日本人にとっては当たり前の証書のもらい方も、日本文化に深く傾倒した学生にとってさえ戸惑うもののようです。みんな、私の説明をいつになく真剣に聞いていました。

卒業式は学校で一番大きな儀式ですから、厳かな雰囲気を持たせたいです。ですから、キメるべきところはビシッとキメてほしいのです。だらっと手を出して証書を受け取るようなことはしてほしくありません。いかに親しき仲とはいえ、私に微笑みかけてくるようなこともやめてもらいたいです。そんな細かいことまでは言いませんでしたが、今までとは違うぞという空気は感じ取ってもらえたと思います。

困るのは、この予行演習に参加しなかった学生どもです。授業を欠席するほどですから、そもそもが怪しいやつらです。それに加えて要領をつかんでいませんから、怪しさ倍増なんていうものではありません。月曜日の本番では、おどおどしながら私の前に出てくるのでしょうね。

もう一つ心配なのは服装です。面接試験に着ていくような服を着て来いと伝えましたが、欠席学生には伝わっていません。燃えないごみでも捨てに来たのかと言いたくなるようなかっこうで出現するやからが、毎年何名か必ずいます。私のクラスのCさんも、最近さっぱり姿を見かけません。ジャージ姿のぼさぼさ頭で、眠そうな顔をしながら式場にぬっと現れるのではないかと気をもんでいます。

本当の答えは?

2月15日(金)

昨日の宿題の答え合わせをしました。

「Oさん、2番、空欄に答えを入れて読んでください」「君は宿題を忘れ(っぽい)なので、十分に注意してもらいたい」「はい、2番は『っぽい』でいいですか」「……」「じゃ、いいですね、次はPさん、3番、お願いします」

首をかしげているXさんやSさんの存在は無視して、最後の問題まで進みました。

「はい、ここまで、何か質問ありますか」「……」 XさんもSさんも声を上げません。Tさんがきょろきょろしながら、おそるおそる「先生、2番ですけど、忘れっぽいと忘れがちと忘れ気味は何が違いますか」と質問してきました。

違いを説明し終わると、ようやくXさんが「じゃあ、先生、2番は「がち」じゃないですか」と発言。「はい、その答えを待っていました。どうしてすぐに言わなかったんですか」

毎度おなじみ、消極的なクラスへのショック療法です。口を開けて待っているだけでは何も得られないことを示さなければなりません。教師と質疑応答できるくらいの日本語力は持っていてしかるべきレベルのクラスですから、なんでも無条件に教えるつもりはありません。それだと日本語に対するカンが養われません。頭で考えて話すのではなく、直感的に正しい日本語が出てくるようになってもらいたいのです。

来週の月曜日は中間テストです。卒業生にとっては卒業認定試験であり、KCPでの学生生活の締めくくりの試験です。最後にいい加減な成績を残すことのないようにしてもらいたいです。また、4月以降もKCPで勉強を続ける学生たちには次につながる成績を取ってもらいたいです。

それはさておき、このクラスの学生たちに「っぽい」「がち」「気味」が定着したかなあ。

十人十色

2月14日(木)

木曜日は超級クラスの授業。超級と言われるだけあって、このクラスの学生はできます。しかし、でき方に問題があるというか、能力に偏りがあるというか、一見できないように見えたり、ペーパーテストでしか力が出せなかったりなどと、誰がどこから見ても“できる”学生は少ないです。

Yさんは来週のバス旅行を欠席するので、欠席理由書を書かせました。感服しました。欠席はいけないことですが、心のこもった理由書の文章は文句のつけようがなく、説教を忘れてしまうほどでした。Kさんにも書かせましたが、こちらは説教する気すら起こらない、おざなりを絵(文字?)にしたような内容でした。Kさんだって根本的に悪い学生ではありません。読解などでは深いところまで読みきっていることを示す発言をするんですが、どうして読み手の神経を逆なでするような文章を書いちゃうかなあ…。

「ここまでの授業について、何か質問はありませんか」とクラス全体に聞いたとき、質問してくるのはFさんやZさんです。Fさんの質問は本質をずばりと突いてくることもあれば、そんなこと教科書をもういっぺん読めばわかるじゃないかということもあります。でも、疑問点をうちへ持ち帰らないという点は高く評価できます。Zさんは興味本位で質問してくることがあります。授業の本筋とは離れてしまうこともありますが、話題を広げるという意味では貴重な質問です。

授業前に、Gさんに進路のことで質問しました。すごい答えでしたねえ、文法のハチャメチャぶりが。レベル3の学生だってもう少し要領よく答えるんじゃないかな。私が教室に入るなりいきなりつかつかと近寄って質問してきたので、Gさんは緊張していたのかもしれません。でも、超級ですからね、どんな条件でもそれなり以上に答えられなきゃ。こう書くとGさんはダメ学生の代表のように見えちゃいますが、頭脳明晰さはクラスで1、2を争うと思います。

Lさんはいつも授業後にこそっと質問してきます。その質問を授業中にしてくれたら他の学生も参考になったのにと思うのですが、気恥ずかしいのでしょうかね。……バレンタインのチョコレートを1粒くれました。

5番の答え

2月7日(木)

「Hさん、5番の答えは何ですか」「…忘れちゃった『ことになる』」「5番は『ことになる』、いいですか」「……(カサコソと、自分の答えを訂正する消しゴムとシャープペンシルの音)」「じゃあ、6番。Gさん、お願いします」……「はい、10番は『わけがない』でいいですか」「いいです」「じゃあ、問題2全体を通して質問ありますか」「先生、5番は『わけだ』じゃないんですか。さっきの先生の説明だと『わけだ』になると思うんですが…」「はい、その声を待っていました。私がいった答えが違っていると思ったらすぐに言わなきゃだめだろう。Fさんが何も言わなかったら、あんたたち間違ったことを覚えて帰ったかもしれないんだよ」

とまあ、授業中こんな意地悪もします。上級の学生なら間違いに気付いて当然ですから、学生が発した間違いをほったらかしておいて反応を見るのです。何でもこちらが説明してくれると思われたらたまりませんから、甘ったれるんじゃないという意味も込めて、わざと教えないで学生から何か言ってくるのを待ちます。

Fさんはこういうときに真っ先に指摘してくる学生です。私の話をよく聞き、それに基づいて論を進め、おかしいと感じたらすぐに質問します。多くの学生は、私が間違った答えを言っても自分のほうが間違っていると思い、「5番」答え合わせのように、正解を誤答に書き換えてしまいます。それに対し、Fさんは教師という権威にも屈することなく、果敢に自分の意見を述べるのです。もちろん、こちらが想定していなかったところで質問が飛んできてあわてることもあります。そういう緊張感を教師に与えてくれるのも、Fさんなのです。

このクラスには4月から進学する学生が大勢いるのですが、Fさんのような積極性がないと、実になる勉強ができません。そういう意味で、カサコソという消しゴムの音に、ちょっと不安も感じました。

ねちこちと

1月25日(金)

日本語教師の仕事は、日本人にとっては自明である日本語文法に理屈を付け、いかに論理的に外国人学習者に伝えていくかということです。助詞にしたって、その意味や機能を細かく分類し、用法を解き明かし、学習者の頭の中に植えつけていきます。口からの説明に頼りすぎると、授業が難しくなってしまいます。しかし、練習を通して覚えさせていこうとしても、教師側に理論的なバックボーンがないと、見かけ上は同じ形でも学習者にとっては違う働きの言葉をごちゃ混ぜにしてしまい、かえって混迷を深めるなどという結果を引き起こしてしまいかねません。

今、養成講座で私の授業を聞いている受講生の方々は、まさにこの自明の真理を自明としないで話を進めなければいけないことに戸惑っています。“〇〇ってどういうこと?”“××と△△は何がどう違うの?”と、普通の日本人が普段考えないような、「だって当たり前じゃない」としか言えないようなことばかり聞かれ、そのたびに脳みそが裏表になるような気持ちになっているのではないでしょうか。

私は、そういう重箱の隅をどつきまわすようなことが好きでしたから、この仕事をしているのだと思います。学生たちもその点は感じ取れるのでしょうか、受け持ったどのクラスでも文法や単語の意味に関する質問は、私が一番多いようです。初級クラスでも上級クラスでも、私はそういう議論をするのが好きで、これが生きがいになっているとすら感じます。

学期前から集中的に授業をしていたため、今シーズンの養成講座の授業も、あと1回になってしまいました。次は4月までないのかと思うと、ほのかな寂しさも感じます。

寝る子は育たない

12月19日(水)

ああ、また寝ているなあ…。初級クラスのTさんは、毎日授業の後半になると居眠りを始めます。指名すると、当然答えられません。隣の学生に教えてもらって、かろうじてつじつまを合わせます。Tさんは口移しで答えるだけですから、勉強にはなりません。教えてもらえるだけの人間関係を作っているのは偉いと思いますが、その人間関係を有意義な形で活用してもらいたいです。

Tさんは早朝ホテルでアルバイトをしています。朝5時からですから、4時ぐらいには起きているのでしょう。ですから、午後授業の後半、3時過ぎは眠い盛りだというのは容易に想像が付きます。朝が早いので、授業後は食事・入浴だけで寝てしまいます。早寝早起きは健康にいいのですが、勉強の時間がほとんどありません。

そんな調子ですから、成績だっていいはずがありません。いや、健闘はしていると思います。でも、合格点には及びません。暗記問題、選択肢の問題はどうにかなりますが、応用問題、筆答問題となると、まるっきりです。現状では次学期の進級は見通しが暗いです。

国のご家族や親戚は、Tさんが日本の大学に進学してくれることを期待して、留学に送り出しました。しかし、Tさんの生活や成績は、それとは反対方向に進んでいます。生活が大変なことはわかりますが、それに流されて勉強をする時間を作ろうとしなくなっています。安易な道に進もうとしています。それを何とか食い止めようと担任のK先生も手を尽くしていますが、壁は厚いようです。

Tさんは、このままでは日本語力も伸び悩み、進学も難しくなるでしょう。現に、今学期は明らかに伸び悩んでいます。どうやら、徹底的な生活指導から始めなければいけないようです。