Category Archives: 授業

上級になるには

4月16日(月)

今学期は中級のクラスを1つ持っています。私は上級を教えることが多いため、中級というと、そこから逆算して、今最低このくらいはできてほしいと考えてしまいます。7月期か10月期に私のクラスに入るんだったら、中級のうちにこのくらいはできるようにわかるようになっておいてほしい、という発想です。

例えば、読解のテキストに出てきた「見かける」。意味は中級でも十分に理解できます。目にしたり耳にしたりした時に、文脈の理解を妨げるようなことはないでしょう。しかし、自分で文を書いたりまとまった話をしたりするとき、この単語を使うことは絶対にないでしょう。「見かける」が正しく使えていたら、こいつなかなかやるなと思ってしまうくらいですから。中級と上級の差は、語彙力です。文法力よりも、知っている、使える単語の数の差です。それを埋めるべく今から動けば、押しも押されもせぬ超級話者になれることでしょう。

文章を読む時には、行間を読めとまでは言いませんが、単語の意味がわかったら終わりというレベルで止まってほしくはありません。せめて段落単位で文章を眺めて、単語の意味の総和以上の何物かをつかみ取ってもらいたいです。筆者が言わんとしていることを読み取ってほしいです。その補助線となる質問を、次から次へと繰り出していますから、それをヒントに読解の要領も身に付けていけば、上級での長文生教材に耐えうる力も養っていけます。進学希望ならその夢の実現に向けて歩みだすことでしょう。

今学期末にはEJUがあり、次の学期休み中にはJLPTがあり、新年度早々力を蓄え発揮することが求められます。留学の成否を決めかねない緊張の場面が続きます。教師にとっても…。

最優先課題

4月6日(金)

学期中は授業や学生対応を最優先にしなければなりませんから、どうしても目の前の仕事を1つずつ確実に仕上げていくことが中心になります。ですから、学期休み中に長期的な視野を要する仕事をしようということになります。しかし、今回の学期休みは養成講座の授業がたくさん入っているため、思うように仕事が進みません。

養成講座も、次の世代の日本語教師を育てるという意味ではスパンの長い仕事です。私自身の反省も込めて、新しい人たちにより高い位置からスタートを切ってもらおうと思いながら授業をしています。朝、出勤してから9時に授業が始まるまで、その日に何を教え、何を考えてもらうか、そのために何を語るかなどに頭を悩ますことは、非常に知的かつ心地よいひとときです。毎日だとしんどいかもしれませんが、養成講座がある日は心が弾みます。

でも、日本語のクラス授業のために隅に追いやられがちな受験講座理科に頭と時間を使えるのは学期休み中なのですが、今学期はそれができそうにありません。11月のEJUの問題を解いて解説を作るところまではしたものの、それまでです。授業で使う資料をばりばり作りたかったのですが、そこまでには至っていません。学校全体に目を配って方向性を示すのも私の仕事ですが、これもまた当初の計画どおりに進んでいません。

そんなに時間がなかったら、こんなブログなんぞ書いていないで本来の仕事をすればいいじゃないかと言われそうです。でも、こういう駄文を草することも、私にとっては、その日一日を振り返り、社会全体を眺め回し、学校や自分のあり方を見つめ直す貴重な日課なのです。

初授業

4月3日(火)

2018年度初の授業をしました。学生相手の日本語の授業ではなく、日本語教師養成講座の文法の授業でした。養成講座は、日本語は存分に通じる方たちへの授業ですが、日本語の出力を抑える訓練という一面も持っています。属性形容詞とか連用修飾とか連体詞とかという用語は、日本人に対しては使えても、KCPの学生のような日本語学習者には使えません。また、「カリナさんの髪は長いです」よりも「カリナさんは髪が長いです」のような形の文が日本語には多いことを、学習者に対して理屈をこねて説明しても意味を成しません。練習を重ねて後者のタイプが口をついて出てくるようにしていくことが肝心です。

教える内容の10倍の知識を持っていないと教えられないと言いますが、10倍の知識を持っているとそれを全部披露したくなるものです。どうだすごいだろうと威張りたくもなります。しかし、それをしたら、特に日本語学校の初級でそんなことをしようものなら、クラス全体が「???」で包まれます。そして、教師としての信頼を失うことでしょう。だから、出力を抑える訓練をしなければならないのです。

養成講座の授業をしている私も、自分用のメモにはあれこれいっぱい書き込みをしています。また、書き込み以外のネタも頭の中には仕込んであります。しかし、受講生にはそれを全部伝えているわけではありません。そうするには時間が足りませんし、そうしても聞いている皆さんの頭に残るのはそのごく一部です。

要するに、養成講座受講中に、日本語文法の思考回路を脳内に築き上げてほしいのです。これさえあれば、日常生活で目にしたり耳にしたりする日本語を自分で分析し、そこから学習者の理解を助ける教材を自分で見出せるようになるでしょう。そうなれば、もう一人歩きできる日本語教師です。

先生こそ例文作り

3月24日(土)

養成講座の初級文法の最終回は、例文の作り方を取り上げます。日本語教師を目指す人たちは、とかく文法を言葉で説明しようとします。しかし、特に初級クラスでは、言葉による説明はあまり効果がありません。だって初級ですよ。言葉がわからないから初級にいるのであり、その人たちに言葉で文法や単語の意味を説明しようったって、土台無理な話です。言葉によらずに説明するには、例文が最も有効なのです。

でも、漫然と作っていては、説明力のある例文は生まれません。寸鉄人を刺すような例文を作るにはどうしたらいいかということになるのです。はっきり言って、私の話を聞いたからといってすぐにそういう例文が作れるようにはなりません。文法や単語の意味の構成要素を抽出し、それを際立たせるような例文を考え出します。これができるようになるには、残念ながら訓練を積むしかありません。作り慣れてくれば、文法や単語の意味の特徴が見えてきて、それを組み合わせた例文も、「う~ん」とかうなっているうちに作れるようになります。

また、例文はドリルの基本材料にもなります。単に機械的に言葉を入れ換えていくだけでは、練習する側も流れ作業になってしまい、覚えてほしいことが定着しません。学生の印象に残るドリルのキューは、例文作りから得られるものです。私は授業で遅刻した学生や前日欠席した学生をよくいじります。そういう学生をネタに文法導入するのにも、例文作りの訓練が生きてきます。

受講生の皆さんはどう感じてくれたでしょう。これからも講義やら実習やらが続きますが、例文作りの練習も忘れないでもらいたいです。将来確実に役に立ちますから。

お久しぶり

3月23日(金)

代講で初級クラスに入りました。今学期の受け持ちクラスはみな上級でしたし、先学期も中級以上でしたから、半年ぶりです。不思議なもので、初級の教室に入ると、上級クラスの省エネモードとは違って、挨拶から大きな声が出るのです。文法の説明も、理屈をこねくり回す気はまったく起こらず、練習して体で覚えてもらいたくなってくるのです。学生が変な答えを出すと、あなたの言ったことはこういうことだよとアクションで示して、その不自然さに気づいてもらいます。それがすらっと出て来てしまうんですねえ、初級の教室だと。

単語の意味ならともかく、文法を言葉で説明してわかってもらうのは、初級では厳しいです。私はもっぱら印象付けることに徹します。そのためにアクションで示したり、その日の教室に即した例文を考え出したりします。もちろん、口頭練習がその最たるものです。代講に入ったらクラスの雰囲気を読んで、おとなしそうなクラスだったらこちらが引っ張って何とか盛り上げますし、ほうっておいてもしゃべるクラスだったらそのパワーを最大限利用します。

初級のクラスのいいところ、おもしろいとこと、やりがいのあるところは、手ごたえが感じられることです。上級だとクラスの作り方をちょっと間違えると、のれんに腕押しの毎日になってしまいますが、初級はこちらがその気で立ち向かえば必ず何かはね返ってくるものです。はね返ってくるときは、印象付けがうまくいったときです。毎日初級だとパワーを吸い取られて体がもたないでしょうが、たまになら授業が楽しめます。

さて、このクラスの学生たちも、今年の後半には私のテリトリーに上がってくるかもしれません。そのときの成長ぶりを見るのが楽しみです。

卒業式前日に初級の授業

3月8日(木)

卒業式を明日に控え、卒業生がほとんどを占める最上級クラスで、KCPでやり残したことは何かと聞いてみました。すると、一番多かったのがクラブ活動でした。このクラスは進学する学生ばかりで、勉強最優先できましたから、こういう答えが出てくるのも、ある意味当然です。大学に受かったらクラブ活動に参加しようと思っていたけれども、受かるのが遅れてつい最近になってしまったので、とうとうできなかったと言っていた学生もいました。

私は、このクラスの学生はクラブ活動には冷淡なのかなと思っていましたから、意外にも感じました。毎朝、クラスでその日の連絡をするとき、クラブ活動の連絡には全く反応を示さない学生たちでしたが、実は一生懸命耳をふさいで、楽しいことに引っ張られないようにしていたのかもしれません。

それから、初級の授業を受けたかったという声も多かったです。このクラスの学生は、多くが国で初級の勉強を済ませ、KCPには中級以上に入ってきました。ですから、KCPの初級の授業を知らないのです。厳しいけど楽しいという噂は聞いているけれども、どんなものなのか見当がつかず、興味津々のようでした。

そこで、コンピューターの中に入っている教材を使って、初級の授業の実演をしてあげました。超級ではめったにないコーラスなんかもしちゃいました。学生たちは、授業の進め方よりも、私のテンションがいつもとまるで違うのに驚いているようにも見えました。超級は省エネ授業もできますが、初級は常にハイテンションで行かないと、20人の学生たちからの熱気と圧力に負けてしまいます。

行き先が決まっていなかった学生がばたばたと国立大学に受かってくれました。明日は明るい気持ちで証書が渡せそうです。

スライドで視力検査

3月7日(水)

今学期の最上級レベルは、各学生に自分が興味を持っているテーマについてのプレゼンテーションをしてもらいました。各学生の発表を聞いてきましたが、感想を一言でまとめると、思いが先行しすぎているとなるでしょうか。

スライドの写真は、発表者のそのテーマへの情熱が感じられ、視覚への訴求力も強く、感心させられるものが多かったです。理解の助けになり、学生たちのセンスのよさも伝わってきました。

しかし、字が小さいんですよね。教室の後ろからじゃ読めないくらいでした。1枚のスライドに欲張って何でも入れ込もうとするのもありますが、どこかのサイトにあった文章をそのまま引っ張ってきたため、字数が多くなってしまったというパターンも見られました。インターネットで調べた内容を引用するのは構いませんが、そのままコピペというのは感心しません。進学先では絶対に注意されるでしょう。もしかすると、内容の要点を把握し、簡潔な表現でスライドにすることができなかったのかもしれません。そうだとすると、最上級クラスの学生としては、ちょっと情けないです。

私も先学期と今学期は、毎週、選択授業の身近な科学の発表資料作りに追われました。しかも、学生たちの発表は10分ですが、私は90分でしたから、スライドの枚数もかなりなものになりました。資料を読み込んで、周辺事項も含めて知識を堆積し、その中から珠玉の一言を選び出し、醸し出し、学生に伝わるような表現にしていきます。学生たちのスライドには、そこが足りなかったと思いました。

でも、これから進学先でビシバシ鍛えられていくことでしょう。来年の今頃には、私なんか足元にも及ばないくらいのプレゼンテーションができるようになっているんでしょうね。

線がつながるまで

3月5日(月)

認定試験が終わり、バス旅行にも行ってきて、卒業生は今週金曜日の卒業式を待つばかりです。だから授業は消化試合みたいなものにしてしまうかというと、そういうわけにはいきません。たとえ最上級クラスであっても、まだまだ勉強することがあるのだよと意識付けることが、私たち教師に課せられた使命です。

そういう発想のもとに、最上級クラスでは「耳で書く」というテキストを読解で扱っています。自分が書いた文章を目で追うだけではなく、声に出して読むと、文章の不自然な点や未熟な表現が浮かび上がってくるという、外山滋比古氏の考えです。この外山氏の文章を読んだのが去年の秋ぐらいで、そのときからこれを卒業学期に最上級クラスで取り上げようと思っていました。

私はここに書かれていることを実際にやっているし、やった結果効果があると思っています。ですから、KCP卒業後進学してから日本語の文章をたくさん書くことになる学生たちにも是非実践してもらいたいのです。このブログにも出来不出来がありますが、不出来の日は、書きっぱなしでそのまんま登録しています。我ながらよく書けたと思える日は、少なくとも心の中で朗読してから登録しています。

ところが、そういう気持ちがどうも学生に伝わっていないようで、読解を始めてもぽかんとしている学生が多かったです。本文中に出ている悪文の例も、文法的には正しいからこれで構わないと反論されてしまいました。そうじゃないんだ、リズムの問題なんだと強調しましたが、わかってくれたかなあ。

KCPで勉強したことがすぐにピンと来なくても、卒業してしばらく経ってからなるほどと思ってくれたら、それで十分です。

声に出して読む

2月27日(火)

今学期の火曜日の選択授業は、「声に出して読む日本語」という科目で、ニュースの原稿を読んだりエッセイを朗読したりしました。卒業生中心のクラスなので、今回が最終回で、期末テストをしました。学期の最初から読んできたエッセイの最後の部分を声に出して読んでもらいました。

採点するつもりできちんと聞いてみると、学生ごとの読み方の癖が浮かび上がってきました。それは同時に、留学生全体の日本語の発音やイントネーションの弱点でもあります。

一番多かったのが、清音を濁音に近い音で読むパターンです。例えば、「見て」が「見で」となってしまうのです。濁音というくらいですから、きれいには聞こえません。文全体のイントネーションがよくても、気持ちを込めてセリフを読んでも、濁音がみんな帳消しにしてしまいます。

それと同じぐらい目立ったのが、促音の脱落です。「そんなことがあったっけ」みたいに、促音が続くとうまく発音しきれない学生がかなりいました。テストを早く終わらせようと急いで読むと、「そんなことがあたけ」と聞こえてきてしまいます。超級の学生でも、促音のリズムを正確に刻むのは難しいようです。

これらに対して、長音はみんなわりときちんと音を伸ばしていました。毎回かなりしつこくしてきた甲斐が、いくらかはあったようです。もう1学期続けて授業ができるなら、促音の不正確な発音をしつこく指摘し、早口でも促音を落とすことなく読めるようにできたかもしれません。

でも、このクラスの学生たちはもうすぐ卒業です。ここから先は、進学先で日本語を使いながら鍛えてもらうことに期待をかけましょう。

勉強好き

2月26日(月)

受験講座から戻ってくると、YさんがT先生に叱られていました。どうやら、授業中にEJUの勉強をしていたようです。現在初級のYさんが6月のEJUで高得点を挙げるとなると、やはり相当な勉強が必要となります。塾にも通っているYさんは、きっと授業中に塾の教科書を開いていたのを先生に見咎められたのでしょう。

そういうふうに焦りたくなる気持ちはわかりますが、焦ってもいいことは1つもありません。まず、日本語の勉強がおろそかになります。今、Yさんたちのクラスが勉強していることは、初級と中級をつなぐ文法で、これがいい加減だと中級以上の文法だけにとどまらず、作文も書けないし、長文の読み取りもできないし、聴解で話の流れもつかめないしということで、日本語力が伸びなくなります。

日本語以外のEJUの各科目も、問題を理解するには日本語力です。よしんばそこは受験のテクニックを駆使しまくって切り抜けたとしても、面接の受け答えで苦労します。そこもある程度はテクニックでカバーできますが、進学してからはごまかしが利きません。大学に入るのが留学の目的ではなく、入ってから自分の人生に資する勉強をすることこそが目的のはずです。

そう考えると、たかだか3か月半ほどのスパンの勉強のために、日本で暮らしていく間はずっと必要になる日本語の基盤の勉強を怠ることが、いかに愚かなことか見えてくると思います。1日3時間ぐらい、必死に日本語を鍛えることすらできずに、どうして他の勉強の力が伸ばせましょう。日本語学校で日本語を勉強しないのなら、日本語学校に在籍する意味がありません。ビザのためだけに籍を置く学生は要りません。