Category Archives: 授業

花咲か爺さん

3月17日(金)

私のクラスで、ゲストをお迎えして、コロコロ紙芝居をしました。コロコロ紙芝居とは、立方体の箱を4つ組み合わせて、箱の見せる面をコロコロ変えながら、紙芝居のように物語を展開していくというものです。今回は、♪裏の畑でポチが鳴く…という童謡に合わせて、花咲か爺さんに挑戦しました。

花咲か爺さんは、どこかで聞いたことがある学生もいれば初めての学生もいました。ゲストが持ってきてくださった絵本をSさんが読むと、みんな耳を傾けていました。ですが、花咲か爺さんの歌は全員初めてのようでした。ゲストが歌いながらコロコロ紙芝居を次々展開していくと、学生たちの目に好奇心が宿り始めました。

今度は学生たちの番ですが、ゲストに歌ってくださいと言われても、すぐには歌えません。しかもコロコロの操作をしながらとなると、どうしても口の動きがおろそかになってしまいます。それでも何回か繰り返していくうちに歌えるようになり、ソロで歌いながら紙芝居をする学生も出てきました。そんな学生を写真に撮ったりもしながら、楽しんでいました。私も最後に実演させられ、冷や汗をかかされました。これで、今年の忘年会のかくし芸はばっちりOKですね。

上級になると、初級ほど声を出したり体を動かしたりという授業がなくなります。初級のうちは日本語を体で覚える部分もありますが、上級は日本語を日本語で理解することが強く求められますから、頭ばかりを使うようになります。そういう授業はメリハリを付けにくく、ともすると退屈しがちです。時には、歌を歌うなどという、いつもの授業とは対角の授業も刺激になると思います。来学期も何か目新しい企画を実施したいものです。

お正月

3月4日(土)

カレンダー上の1年の終わりは、改めて記すまでもなく12月31日ですが、上級を教えていると、卒業式が大晦日みたいなものです。学生が卒業式会場から去ると、どうにか無事に1年が終えられたと、肩の荷が下りました。夜の食事会がお開きになり、「元気でね」と言いながら卒業生と別れて夜空を見上げると、なんとなく除夜の鐘が聞こえてくるような気がしました。

だから一夜明けたらお正月気分かというと、そうでもありません。午前中、自分のクラスの授業で使ったプリント類を整理していたら、大掃除をしているような感じがしてきました。卒業生の筆跡のテストなどを見ても、まだ思い出に浸ってしまうほどには記憶が発酵していません。淡々と掃除が進みましたすっきりしたクラスのロッカーを見ると、やっぱり気分がいいものですね。

私が寂しくならないようにと気を利かせてくれたのか、今年は私の受け持ったクラスでも、例年より多くの学生が卒業式後も来学期も、KCPに残ります。大掃除が終わったら、この学生たちへの授業内容を考えました。だから、大晦日の次は仕事始めでした。

卒業式後のこの時期に怖いのは、学生たちが妙なお正月気分に取り付かれて、授業を消化試合みたいに感じてだらけてしまうことです。楽しい授業はしようと思いますが、何よりためになる授業を心がけ、学生たちを引き締めていきたいです。また、上級で使えそうな教材やタスクを試してみる絶好の機会でもあります。いくつかの企画を練っています。

結局、私のお正月は、新宿で卒業生たちと別れてから地下鉄に乗るまでのわずか数分だけでした…。

引く

2月15日(水)

超級クラスでは全員にプレゼンテーションをやってもらうことにしています。今までに何人ものプレゼンを見てきましたが、その中で一番はKさんです。

多くの学生が自分の興味の対象を紹介し、下手をすると自分の世界に入ってしまうこともあるのですが、Kさんは自分がどうしてD大学進学を決めたかということを、子供の頃にまでさかのぼって語ってくれました。確かにスーパー個人的な内容の発表なのですが、聞き手の興味をそらさない話し方をしていたことが印象に残りました。

思い入れのないことについてプレゼンしても、心のこもっていない、聞き手に訴えるものの薄いプレゼンになるでしょう。でも、思い入れがありすぎると、もう少し正確に言うと思い入れがあふれすぎていると、話し手は思い入れの海に浮かび続ける快感に浸ってしまい、聞き手のことを忘れてしまいがちです。そうなると、聞き手は置いてけぼりを食い、引いてしまうものです。

残念ながら、現時点での学生のプレゼンはこういうタイプが目立ちます。志向や思考や嗜好が同じ方面を指向しているなら聞いていて楽しいかもしれませんが、そうでないと壁を感じてしまうこともあります。熱意は伝えられても、それ以外のものを聞き手に与えることは難しいでしょう。

話し上手な人は、こういう点の機微がわかっていて、相手の反応を見ながら話のコントロールができます。同時に、話しながら聞き手の興味を引く術を思いつき、それを実行する器用さもあります。今の学生たちにここまで求めるのは酷でしょうが、進学して、就職してと、人生の階段を上っていくにつれて、こういった技能は必須のものとなっていきます。人の上に立とうと思ったら、なおさらのことです。

Kさんのプレゼンが学生たちの刺激になり、聞き手の心を捕らえるプレゼンが続くことを祈っています。

唯我独尊

2月4日(土)

超級クラスの授業でやっているプレゼンテーションの、聞き手の学生が書いたコメントシートをチェックしました。何回分も溜め込んでしまったので、内容を思い出しながら、私の書いたコメントシートと比べてみました。

聞き手が内容を理解するに至らなかったコメントシートは、おざなりのものが多いです。感想も、一言も書かれていないか、「とてもいいです」のような形式的なもの止まりです。評価欄の各項目の点数が高いのに感想がないシートには、私がにらんでいるからとりあえず出しておいたという、聞き手の学生の心理が見えます。

評価が低いプレゼンは、聞き手が内容をそれなりに理解した上でそのプレゼンに物申しているパターンがほとんどです。上のパターンよりもきちんと聞いているからこそ、辛い評価になるのです。辛辣なコメントには、きちんと受け止めたという熱き心が込められています。

真にすばらしい発表の場合、聞き手の学生はここがよかったと具体的によいところを指摘します。パワポがわかりやすかったとか、こういう話に共感したとか反発を感じたとか、議論が成り立ちそうなコメントが返ってきます。そして、惜しみない賞賛を送ります。

発表者の陰から聞き手を見ていると、発表者の独演会のときは、やはり聞き手は引いています。死んだような目つきでパワポを見ているか、それすらせずにうつむいてスマホをいじっているかです。特に、発表者が台本を読むために下を向いてしまった場合に、こういうことがよく起きます。

今学期は自分の世界に入り込んでしまったり、単に物事の紹介だけで、自分の意見や感想が全然なかったりする発表者が多いように思います。もうすぐ進学という学生の多いクラスですから、ちょっと心配です。卒業式前にプレゼンの総括をするときに、一言指摘しておかなければならないでしょう。

代講

1月25日(水)

代講で初級クラスに入りました。初級で教えるときは、いつも上級の学生になってもなかなか定着しない初級の学習事項に力を入れます。というか、力が入ってしまいます。

今日のクラスでは、発音練習で長音がきちんと長音になっていなかったので、そこでまず爆発。学生は、とかく速く話せば上手だと思いがちですが、そんなことより丁寧に発音することが通じる日本語に近づく一歩です。話し言葉には「~してる」みたいな音の脱落や、「~しちゃう」みたいな2つ以上の音がくっついた形もありますが、それにもしかるべき規則があります。やたらとリエゾンさせてはいけません。

文法の時間は「~てくれます」「~あげます」でした。昨日の先生から「~てくれます」の復習をしてほしいと引継ぎを受けていましたから、それをいいことに、ここでもちょっと熱くなってしまいました。おかげで進度の遅れを少々増幅させてしまいました。「~てあげます」も、コンピューターの中に格好の教材がありましたから、それを使って練習していたら、結構時間を食ってしまいました。

上級の学生は必ずしもKCPの初級を通ってきているわけではありませんが、国の学校などで同じことを勉強してきているはずです。それでも「~てくれます」や「~てあげます」が正確に使えないということは、どこの日本語学習機関にせよ、そういった文法項目がきちんと教え切れていないということです。語学には間違えながら覚えていく側面がありますが、学習者がいつまでも同じ間違いを繰り返すということは、教え方か学び方に欠陥があるからにほかなりません。学び方は各学習者独自のスタイルもあるでしょうが、それをよりよいものに改良していく際には教師の力が欠かせません。

私が心ゆくまで文法の復習や導入や練習や発音指導などをしていたら、進度が今の半分になってしまうかもしれません。完璧主義はいけませんが、上級の学生から「願書を見せてもいいですか」などと願書チェックを依頼されると、初級のうちにそういう芽をつぶしておきたくなるのです。

請うた

1月23日(月)

超級の漢字の時間に「許しを請う」という文が出てきました。超級の学生たちはこれくらいの漢字はどうにかなりますから、ちょっと意地悪してみたくなり、「昨日許しを…」だったらどうなるかと聞いてみました。まず、当然のごとく、た形を作る規則どおりに「請った」という答えが出てきました。でも、学生たちは規則どおりだったら私がわざわざ聞くわけがないと訓練されていますから、半信半疑の顔つきです。スマホで調べた学生もいたみたいですが、正解にはたどり着けませんでした。

「請うた」と正解をホワイトボードに書くと、大学院の日本語教育専攻を目指す学生たちも含めて、「えーっ」という表情になりました。「大阪弁みたい」という感想もありました。「買うた」は学生たちも耳にするチャンスがありますからね。「請うた」を使った例文1つと、「問う―問うた」も同じパターンだと紹介すると、みんなノートにしっかり書き込んでいました。

KCPの超級の教材は、難関大学と言われている大学の留学生向け日本語教材よりもずっと難しいと、実際に進学した学生に言われたことがあります。そのぐらいの教材を平気な顔してこなしてしまうやつらに驚きと新鮮さを与えるとなると、こちらも相当な覚悟を持って臨まなければなりません。毎日「請うた」みたいなネタがあればいいですが、そうとも限りません。日々新しいことの連続のレベル1も大変ですが、超級も苦労が絶えません。

学校へ行ったけど何も学ぶことがなかった――では、授業料がいただける授業をしているとは言いかねます。かといって、小難しい理屈を教科書に盛り込めばいいというものでもありません。そんなバランスを取りながら、毎日授業しています。

理科の先生

1月18日(水)

金原先生は日本語も教えますか――受験講座・物理の授業終了直後、Sさんに聞かれました。受験講座でも教えていることを驚かれたことはありますが、日本語教師だとして驚かれたのは初めてです。Sさんは先学期から物理と化学の受験講座に出ていますが、私はSさんの日本語のクラスは担当していません。それゆえ、Sさんの目には、私は日本語教師として映らなかったのでしょう。

受験講座が始まってから10年以上、その前身の特別講座・数学を起点とすると15年以上にわたって受験科目に携わってきました。でも、あくまでも日本語教師が主で、理科や数学の教師は従という位置づけでした。また、校長として学校行事などでわりと目立つ仕事をしていましたから、私を理科の教師として認識している学生がいるとは思いませんでした。

日本語に関しては、初級から超級までどこでも教えます。初級のクラスで、「私はレベル1、2、3、4、5、6、7、その上のMSレベルの先生です」と言うと、ぽかんと口を開けて雲の上の学生を教える先生はどれだけすごいのだろうと、尊敬のまなざしで見つめられてしまいます。超級クラスで今学期は初級も教えると言うと、私が初級を教える姿なんて想像もつかないとか、初級を教えるときはとどんなことをするんですかとか、不思議そうな顔をされます。

日本語学校に勤めていますから、広い枠組みでは日本語教師ですが、私は幅広くやらせてもらっています。初級と超級では、授業の進め方も授業に対する心構えも学生への接し方も、みんな違います。また、日本語を教えるのと理科を教えるのとでは、使う脳ミソが違います。おかげで、波乱万丈の教師生活を送らせてもらっています。

プレゼン

1月16日(月)

超級クラスでは、パワーポイントを使ったプレゼンテーションをしています。今日はGさんとEさんがしました。

Gさんはよく通る声で話してくれて学生の目を引き付けていたのですが、Gさん自身の意見が聞けなかったのが残念でした。単なる物事の紹介だけでは、超級のプレゼンとしては物足りません。Eさんは今の社会問題を取り上げて考えさせられる内容でしたが、パワーポイントの文字が小さくて、読みにくかったです。スライドが発表の補助資料になりきれていなかったきらいがあります。

今の時代、どこの大学・大学院でも、授業で学生がプレゼンテーションをするのが当たり前になっています。パワーポイントを使えば手軽に発表用の図表が作れます。聞き手を引き付けるアニメーションなどもちょこちょこっとクリックするだけで導入できます。だから、発表のネタや、ストーリーの組み立てや話し方、そういったことがプレゼンの上手下手を分ける分水嶺となります。それゆえ、進学を控えた学生たちにはがんがん口頭発表をさせているのです。

それから、2人ともスマホに入れてきた原稿を読むような話し方だったのが気になりました。発表原稿をちゃんと考えてきたのは偉いですが、それを読み上げるような発表では、せっかくの原稿も台無しです。要点をメモするだけにとどめ、そのメモをもとに聞き手の反応も見ながら、話を膨らませていくことができるようになってもらいたいです。これができたら、日本語教師が務まってしまいますがね。

今学期のプレゼンは今日が第1回で、これから卒業式直前まで続きます。来週はどんな発表が聞けるでしょうか。今から楽しみです。

ある退学

12月22日(木)

期末テストの日の朝、まだ7時半にもなっていないというのに、Sさんが来ました。退学手続に来たと言います。もうマンションを引き払い、今晩羽田から帰国するそうです。

Sさんは、先学期、選択授業で受け持ちました。優秀な学生でした。でも、欠席も多かったです。中間テストはすばらしい成績でしたが、期末テストは欠席したので、私の授業は不合格でした。そうです。Sさんは出席率が改善せず、退学を決意したのです。

退学届の退学理由の欄に、Sさんは「もう十分勉強しましたから」と書きました。その文字を見ながら、本当にそう思っているのだろうかと思いました。優秀な頭脳、日本語に対する鋭い勘を持っているのに、授業を休むがゆえに平常点が低く、思うように進級もできず、退学に至ってしまいました。順調に進級していれば、超級の私のクラスにいたかもしれないのに、学籍簿上では「中級」で退学ということになります。遅刻欠席してはいけないというプレッシャーから解放されたからでしょうか、吹っ切れたような笑顔を浮かべていましたが、内心ではこんなはずではなかったという忸怩たる気持ちがあってもおかしくはありません。

専門学校進学という目標のはるか手前でつまずいてしまったのですから、挫折感はあるでしょうね、きっと。この1年ほどを無為に過ごしてしまったと感じているとしても不思議はありません。でも、いたずらに負け犬根性を抱いてほしくはありません。この経験をばねに、日本語に無関係なことでもかまいませんから、再び挑戦してもらいたいです。

いいよ×2

12月16日(金)

上級ともなると、授業中にコーラスすることがあまりありません。コーラスさせようとしても学生がなかなか乗ってきません。単語やら漢字やら文法やらを1つでも多く覚え、長い文章を少しでも速く読んでその内容を理解し、自分の考えをかっこよく書き表すことこそが、自分たちの喫緊の課題だと思っている節が見られます。

そんな上級クラスですが、コーラスさせちゃいました。「お昼、牛丼にしない?」「いいよ」「じゃ、今日はぼくがおごるよ」「いいよ、悪いよ」っていうスキットの、2つの「いいよ」のイントネーションをはっきり使い分けるという課題を出したら、コーラスになっちゃったんですねえ。自然なイントネーションは、学生たちにとって永遠の課題ですから、ネイティブたる教師の口真似を進んでしようとするのです。

ちょこっと練習したところできれいなイントネーションがすぐに身につくわけがありませんが、やらないよりはやったほうがましと考えているのでしょう。もちろん、ふだんから自然なイントネーションで話す学生もいますが、多くはイントネーションまで考えが及ばずに、頭の中に浮かんだ文を口から吐き出しているのです。このままではいつまでたっても“変なガイジン”の域を脱することはかないません。

教師側も、読解やら文法やらにかまけて、自然な話し方の練習には手が回りかねています。上級は、初級や中級の貯金で話している面が見られないでもありません。KCPの初級を経験していない、上級からの入学生が、入試の面接練習の段になって、イントネーションやアクセントの指導を受けていることもあります。

次の学期は卒業の学期です。こんなことを上級の学生への手土産にしてあげたいです。