Category Archives: 社会

堕落

6月20日(木)

もうすぐ区議選だっけ? 2週間ほど前でしょうか、学校の近くの公園に設置された大きなポスター掲示板を見かけたとき、そう思いました。区議選なら何十名も当選しますから、幅数メートルの掲示板でも不思議ありませんが、このバカでかい掲示板が都知事選のものだと知った時、えーーーっと思ってしまいました。確かに都知事選は昔から立候補者が多かったですが、48名分の掲示板は大きすぎるんじゃないでしょうか。ニュース映像などに出てくる県知事選のポスター掲示板は、普通は4人分ですよ。

東京都知事選が告示されました。56人が立候補しました。掲示板は足りませんでした。NHKから国民を守る党は、24名もの候補を立てました。区議選ならともかく、当選者が1名の知事選に1つの党から複数名立候補すること自体がおかしな話ですが、これは百歩譲って大目に見ることにしましょう。これに加え、この党は、立候補者が得たポスター掲示板にポスターを張る権利を、他者に売って利益を得るそうです。候補者乱立を防止するために設定された供託金を没収されても、十二分な収益が上がると報じられています。こういうことは公職選挙法の想定外で規制はなく、法律違反にはならないそうです。

昨日は政治資金規正法の改正案が可決成立しました。政治にはお金がかかるものです。だから、私は政治家がお金を集めることを全面的に禁止せよとは言いません。しかし、この改正法は、昨今問題になっているお金の汚い集め方について何ら規制していません。ですから、自民党のみなさんは、法律に書かれていないという理由に基づき、今まで通りの汚い集め方を続けるのでしょう。これは、NHKから国民を守る党の、ポスター掲示板ぼろもうけの発想と通底しています。

政権与党がこのざまです。いつから、日本人は、法律に書かれていなければ何でもしていいなんて思うように堕落してしまったのでしょう。これが、日本の停滞をもたらしている最大の原因のような気がしてなりません。

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シャープペンシル禁止

6月14日(金)

EJU本番前最後の授業日ですから、EJU受験の際の注意事項を学生たちに伝えました。受験票と一緒に注意事項も送られているはずですが、ろくに読みもせずにほったらかしにしているおそれが多分にありますから、各クラスで注意喚起をしてもらいました。

EJUを実施しているJASSOが公表している注意を読むと、試験会場外と連絡を取っての不正行為に非常に神経をとがらせていることがわかります。シャープペンシルも使ってはいけないというのは、小型の発信機と区別がつかないからでしょう。うっかりシャープペンシルを使って失格にでもされたら、今シーズンを棒に振ってしまうことにもなりかねません。一罰百戒の“一罰”として血祭りにあげられたらたまりません。

昔は、試験での不正行為と言えば、他人の答案用紙をのぞき込んだり、カンニングペーパーを見たりといった古典的手口でした。しかし、昨今は外部の人に答えを教えてもらうなど、大掛かりになりました。通信技術の発展の負の一面と言っていいでしょう。

そんな無理をしてまで進学しても、卒業できなければ意味がないでしょ。留学生の場合、日本語力で背伸びしても、進学先で苦しくなるだけです。分相応の所に進学するのが、その学生にとって一番幸せな結果をもたらします。“いい大学”に入りたかったら、日本語学校でもう1年日本語を鍛えてから挑戦すべきです。

泣いても笑ってもあと2日です。ここまで来たら、勉強するより体調を整えて、ベストコンディションで16日の試験に臨んでもらいたいです。

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アラーム発報

6月3日(月)

午前中T先生の代講をすることになっていたので、朝、1人でその準備をしていると、職員室のあちこちでけたたましい警戒音が鳴り響きました。「地震です、地震です」という声に驚いてスマホを見ると、6:32。「富山湾で地震発生」とスマホは叫び続けます。富山湾から東京までなら1分ぐらいかかるだろうと思うと同時に、震度は最大4ぐらいかなと思いました。いや、緊急地震速報が出るということは、東京でも震度5クラスかもしれません。そうなったら、富山や能登半島は震度7だろうかと、悪い方向に想像が広がりました。

しかし、1分経っても2分経っても揺れは来ませんでした。気象庁の最新の地震のページはちょっと混んでいましたが、ほどなく入れました。見てみると、石川県の最大震度が5強でした。ということは、気象庁が予測したのに比べてだいぶ弱い地震だったようです。だいぶ弱いと言っても、震度7と比べての話ですから、5強だった地域のみなさんは、さぞかし肝をつぶしたり冷やしたりしたことでしょう。

学生たちは大半が夢の中だったようです。代講のクラスでこの話を持ち出しても、反応は薄かったです。今朝は結果的に何もしなくてもよかったですが、地震大国ニッポンは適切に反応しないと命にかかわることだってありえます。今朝の私だって、何はともあれ机の下に身を隠すべきだったでしょう。

これをお読みのみなさんは、どんな行動を取られましたか。何もなさらなかったみなさんは、今回は結果オーライでしたが、次回も同じだという保証はありません。警報が空振りだったら、訓練だと思えばいいのです。本棚の前の席から動かなかった私も、自戒を込めて警報の後にするべきことを洗い直してみます。

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医学部に挑戦?

5月30日(木)

Sさんは非常に優秀であり、努力家でもあります。成績がよくてもそれに慢心することなく、“もっと上を”という気持ちを決して忘れません。出席率も100%です。授業中は自分から積極的に手を挙げることは少ないですが、教師に話は一言たりとも聞き漏らすことはなく、ここぞという時にクラスのみんなを感心させる発言をします。

そんなSさんは、医学部を目指しています。いくら優秀だとは言っても、医学部はそうやすやすと入れるところではありません。しかも、多くの大学の医学部は、留学生を進んで入学させようは考えていないように見受けられます。面接をしてみて“これはいける”と思った留学生がいたら合格にするけれども、そうでなかったら留学生の合格者はゼロでもいいといった考えではないかと思います。

確かに、日本人の入学生と同等以上にできないと勉強についていけないでしょう。また、将来医者になった時、患者の訴えを確実に受け止められるコミュニケーション力が必要とされます。そうなると、並の日本語力では合格できないのもうなずけます。

しかし、これから先は日本も外国人が増えていきます。患者は日本人だけとは限りません。Sさんの国の人も、数多く日本で生活しています。そんな人たちを診るのは、日本人の医者よりもSさんが向いているかもしれません。また、医学を勉強した人が全員医者になって患者を診るとは限りません。iPS細胞でノーベル賞を受賞した京大の山中先生がいい例です。Sさんなら、ノーベル賞は取らないまでも、医学研究者として足跡を残すことは十分にあり得ます。ですから、医学部はもう少し外国人留学生を入れてくれてもいいのではないでしょうか。

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変わるお祭り

5月27日(月)

昨日は花園神社のお祭りがありました。毎年町内会からお誘いがあり、学生におみこしを担がせてもらっています。おみこしを担いだ学生たちは、異口同音にいい体験ができたと言います。今年も3名の学生が参加しました。その写真を見る限り、満足そうな顔をしていました。

花園神社のお祭りは、KCPの学生のような外国人も加えながら、ずっと続いています。おそらく今後もこういう形で引き継がれていくことでしょう。新宿区は外国籍の方が大勢住んでいます。お祭りのような伝統行事にそういう方を巻き込むことで、地元意識を高めることも考えられているのでしょう。

岩手県奥州市で千年以上も続いてきて、国の無形文化財にも指定された蘇民祭が、今年で幕を閉じました。担い手の高齢化が最大の理由です。残念だという声も上がりましたが、祭りを支える人がいなくては、続けようがありません。花園神社のお祭りは、蘇民祭に比べると、ずっと恵まれています。

また、昨日は福島県南相馬市で相馬野馬追祭が行われました。相馬野馬追祭は、去年までは7月下旬に行われていました。しかし、最近の7月下旬は、東北地方でもかなりの酷暑で、祭りに参加する人馬ともども大いに体力を消耗するようになったそうです。それゆえ、今年から2か月早めたというわけです。

報道によると、時期を早めたことは、参加者にも観客にも好評だったようです。7月下旬にこだわっていたら、こちらも中止に追い込まれていたかもしれません。熱中症によって犠牲者が…などとなる前に伝統を変えたことは、英断だったと思います。

担い手が増やせるお祭りや伝統を変えられるお祭りは、生き残れます。高齢化過疎化の大波に耐えられないお祭りは、どんなに見る人を感動させようと、消えていくのです。寂しく厳しい話ですが、これが日本の伝統文化の偽らざる現状なのです。

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大阪の巨星墜つ

5月16日(木)

やはり、キダタローさんが亡くなったことに触れなければならないでしょう。私はもちろんお会いしたことはありませんが、探偵ナイトスクープで深く印象付けられました。

昨年新たに入局した桂二葉に対して、きれいな大阪弁を使っていると評していました。私も、アクセントに乱れがなく、「してはる」という敬語を過不足なく使っていることなどから、聞いていて気持ちがいいなと思っていました。キダタローさんも同じように感じていたのかと、自分の耳に自信を持ちました。

このほかにも、「浪花のモーツァルト」と呼ばれていたり、かに道楽やアホの坂田の作曲をしたりと、常に大阪を愛し、大阪に軸足を置いた活動を続けていました。その活動は、芸能人というよりは文化人というべき幅広さでした。大きく言えば、近松門左衛門からの系譜を継ぐ人でした。

私は東京生まれで東京育ちと言ってもよい人間ですが、そういうキダタローさんが好きでしたし、だから注目もしてきました。そんな方が亡くなり、寂しい限りです。キダタローさんの後が継げる人って誰でしょう。すぐには思い浮かびません。こう考えると、実に偉大な人物を失ったものです。

キダタローさんの死因は報じられていませんが、93歳という年齢からすると、老衰に近かったのでしょうか。でも、老衰というのは、生前のキダタローさんのエネルギッシュさからほど遠い気もします。いずれにしても、今頃は空の上で探偵ナイトスクープ初代局長の上岡龍太郎さんと旧交を温め合っていることでしょう。

ご冥福をお祈りいたします。

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便利さの追求

5月9日(木)

A先生が授業で使おうと思って、最近発売された聴解の問題集を買いました。近頃は、聴解の問題集でも、音声はCDではなくダウンロードするタイプのものが増えました。この問題集もその手のものでしたから、A先生は事前に内容を確認しておこうと思いました。ところが、ダウンロードしようと思っても画面が真っ白になってしまって、結局できませんでした。システムの不具合だそうです。「買う前に言ってよー」とA先生は嘆きましたが、私だったら「金返せ」と叫んでしまったかもしれません。

A先生は出版社に問い合わせのメールを送りましたが、なしのつぶてのようです。やっぱりCDのような現物があった方が安全確実なのでしょうか。ダウンロードの方が、何かと都合のいいことが多いですが、こういうトラブルに巻き込まれると、手も足も出せません。出版社側のシステムなど、私たちにとってはブラックボックスですからね。

昨日、JR東日本が、当分の間みどりの窓口をこれ以上減らさないと発表したと報じられました。以前、この稿に有楽町駅のみどりの窓口が閉鎖されていて驚いたということを書きました。しかし、外国人観光客をはじめ、みどりの窓口を必要とする人が多く、みどりの窓口が残っている駅が大混雑しているそうです。

もう一つ、チケットレス化が予想より進んでいないというのも理由に挙げられていました。スマホかカードを改札口にタッチするだけで座席指定車に乗れるのですから、便利なものです。でも、紙の切符の方が、安心感があるのでしょう。スマホをタッチした瞬間に改札口が閉じられてしまったら、パニックに陥る人もいるに違いありません。チケットレスもブラックボックスです。

A先生も、授業準備の段階でダウンロードがうまくいかないことがわかったからよかったようなものの、スクリプトだけ読んで授業に臨み、ダウンロードできないとなったら、平常心は保てなかったでしょう。授業に大きな穴をあけることにもなりますしね。

紙の切符を持って、CDウォークマンで音楽を聴きながら旅をしていたころが、人間の本能に一番負荷がかからなかったのかもしれません。

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たくさん歩きました

5月7日(火)

連休は大阪に野暮用があったので、3日の朝いちばんの飛行機で伊丹へ。隣り合わせた親子連れが大阪と奈良のるるぶを出していましたが、「道頓堀であれ食べるこれ食べる」とか「奈良公園でどうするこうする」とか話し合っていましたから、私のライバルではないと判断しました。この親子、「連休は何をしましたか」と聞かれたら、「大阪と奈良で人を見てきました」と答えるんだろうなと、気の毒になりました。

着陸態勢に入ると、窓から大和三山が見えました。あのあたりがこの連休の予定戦場かと思いながら地図と見比べました。

大阪で用事を済ませ、上本町から近鉄に乗り、八木に着いたのがお昼少し前。まず向かったのが、藤原宮跡です。私は「跡」が好きです。もちろん、世界遺産の姫路城や法隆寺の価値は認めます。姫路城を見ればその威厳ある姿に身が引き締まります。法隆寺の夢殿や五重塔からは心が洗われるオーラを感じます。しかし、姿がはっきりしていますから、そこ止まりです。一方、下津井城跡とか豊後国分寺跡とか上淀廃寺などというと、何もないだけにいくらでも想像が広がります。ここに七重塔があったらとか、五層の天守がそびえていたらとか、頭の中に無限の風景を描くことができます。

藤原宮跡は、そういう意味では第一級の史跡です。草ぼうぼうの野原に大極殿跡とか朱雀門跡とかが示されているだけです。近鉄電車から見える復元平城京みたいなものだろうか、それよりもさらに荘厳なものだろうかと、思い切り空想を暴走させました。大和三山に囲まれた藤原宮跡は、朝飛行機から見下ろした予定戦場のど真ん中でした。

4日は桜井から多武峰を抜けて飛鳥へ。だいぶ昔に自転車で談山神社まで行きましたが、途中から自転車を押して急坂を上る羽目に陥りました。体力を使い果たし、談山神社の十三重の塔を見たら下り坂でバスを追い越すほどのスピードを出して桜井まで戻りました。今回は、歩いて多武峰を越えようと企画しました。多武峰は新緑が美しく、山道から見下ろす飛鳥の里ものどかな感じがして、浮世の穢れが洗い流されました。

多武峰の飛鳥川の麓にある石舞台古墳は、以前見たこともあるし、人も大勢いましたからパスして、その付近にある展望所から棚田・段々畑的な景色を楽しみました。私は観光客でしたから「楽しみました」と言えますが、そこにずっと住んでいたらのんびりしすぎて、刺激が欲しくなるでしょう。都会人は心のゆとりを求めて田舎を旅し、のどかな里の人々は刺激を求めて都会を歩きたくなるものではないかと思います。でも、それが毎日となると、お互いかえって疲れてしまうのではないでしょうか。

5日は、卑弥呼が眠っているのではないかと言われている箸墓古墳をはじめとする纏向遺跡を歩き、大神神社のご神体である三輪山にも上りました。箸墓古墳は宮内庁管理ですからまわりを一周する以外は何もできませんでしたが、他は古墳の頂上に登ったり建物の礎石に腰を下ろしたりなど、わりと自由にできました。

三輪山に登るには入山料を納め、神社の方から心得を聞き、輪袈裟をかけてご神体に向かいます。細く険しい山道ですから、上り下りとも譲り合いが肝心です。この道を譲るのが、えもいわれぬさわやかさを伴います。譲ってもらったときに「ありがとうございます」と答えるのも、気持ちのいいものでした。見ず知らずの人たちとのこうしたふれあいの場として、ご神体は懐をくつろげているのではないかとさえ思えました。

その後、桜井市立埋蔵文化財センターに入りました。そこで、普通に読むと7世紀に建てられたはずのお寺が鎌倉時代に建てられたことになってしまう説明文を発見しました。学芸員の方に指摘しました。すると、専門家にとっては常識の説明が抜けており、それを補うと確かに7世紀に建てられたことになりました。旅の最中も日本語教師であることを忘れない金原でした。

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学ぶ価値

5月1日(水)

これをお読みのみなさんは、授業料を支払って外国語を勉強するとしたら、何語を選びますか。英語ですか。中国語ですか。韓国語ですか。ポルトガル語ですか。フランス語ですか。アラビア語ですか。

おそらく、上述のような言語ではないかと思います。どこかの小さな島でだけ使われている言葉とか、古代ギリシア語とかという方はほとんどいらっしゃらないでしょう。

ただで教えてもらうならともかく、学費をかけて語学の勉強をするとなると、その学費に見合った何物かが得られるかどうかを考えるのではないでしょうか。それは当然のことだと思います。私だって、英語が話せるようになるならしかるべき対価を出す気持ちはありますが、同じ金額でどこかの国のとある部族にしか使われていない言葉を勉強しようとは思いません。

要するに、出したお金と釣り合うだけの価値を手にできるかどうかという、経済的な問題がポイントなのです。現在KCPで日本語を勉強している学生たちにしても同じだと思います。日本語を学ぶことで有形無形の利益が得られると思うからこそ、決して安くはない授業料や渡航費、生活費をかけてでも勉強しているのです。もちろん、目論見通りにいかない場合だってあります。でも、そういうリスクを織り込んでも、学生たちには期待できる将来像が輝いて見えるのです。

もし、日本の国力が衰えて、何の取り柄もない国になってしまったら、わざわざお金と時間をかけて身に付けようなどという人はいなくなるでしょう。失われた30年が、40年、50年となっていったら、いずれ日本語は世界のだれからも相手にされなくなってしまうに違いありません。そうなったら、日本語教師は全員失業です。

…などという話を、養成講座でしました。先日の選挙で日本の政治が少しでも動いてくれたら、日本語教師は首の皮1枚で命を長らえることができそうですが、果たしてどうでしょう。

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こいのぼり

4月30日(火)

朝、外階段から教室へ行こうとしたら、校庭上空にこいのぼりが泳いでいるのが目に入りました。先週土曜日は何もなかったし、今朝出勤した時も曇り空しか広がっていませんでした。きっと、O先生が飾り付けてくださったのでしょう。

今週は連休の谷間で、授業日は3日だけです。5月2日(木)に、年中行事として端午の節句を予定しています。その一環として、毎年恒例のこいのぼりを揚げました。曇り空だと今一つ映えませんが、風になびくこいのぼりは、やはり初夏の風物詩です。

そういえば、学校以外でこいのぼりを見かけていません。私の行動範囲が、ほぼ家と学校との往復に限られていて、しかも地下鉄経由ですから、そもそも外を見るチャンスがあまりないというのが大きな要因です。おとといと昨日は家の近くを歩き回りましたが、小学校にも幼稚園にもこいのぼりは揚がっていなかったように思います。最近はそういうことをしなくなったんですかね、学校でも。

KCPの近くにある花園小学校と花園幼稚園も見てきました。わずかに幼稚園の掲示板に折り紙のこいのぼりが張られているだけでした。校舎や教室の中には何か飾り付けがなされているのかもしれませんが、外から見る限りいつもと変わらぬ姿でした。コンビニも、恵方巻は派手に宣伝していましたが、柏餅はあまり目立ちません。令和の端午の節句は、通奏低音のごとく地味に行われるのでしょう。

午後、化学の授業をしたら、うっすら汗をかきました。端午の節句は地味でも、季節は夏の入口なんですね。

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