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梅雨明け10日

7月30日(土)

梅雨明け当日のおとといはパッとしないお天気でしたが、昨日から梅雨明け10日の言葉通り、好天が続いています。しかも、熱帯夜にはならず、朝晩はけっこう過ごしやすいです。今晩は隅田川の花火大会です。夏の夜空のキャンバスに、美しい光の芸術が描かれることでしょう。

それは非常に結構なのですが、梅雨明け10日を裏切り、明日から湿っぽい天気が続くとか。関東の南に低気圧が発生し、それが悪さをするかもしれないと言います。月曜日はスピーチコンテストなのに、気懸かりです。予想気圧配置を見ると、低気圧というよりは低圧部という程度ですから、降られてもそんなにひどいことにはならないと踏んでいるのですが、果たしてどうでしょう。

今年のスピーチコンテストは、私の地元・サンパール荒川で行われます。じゃあ、雨に降られても大したことないじゃないかと言われそうですが、自転車に荷物を載せて行くつもりをしていますから、雨は困ります。また、サンパール荒川は駅からちょっとありますから、応援グッズを抱えて傘をさしながら歩くとなると、そこに集まる学生も雨を恨めしく思うでしょう。

教師は朝から最終準備に余念がありません。コンテストを盛り上げようと、あれこれ小技を考えているようです。私は審査担当ですから、審査に使う書類を準備したり集計方法のチェックをしたりしました。司会の学生もお昼過ぎに来て、最終打ち合わせをしていました。スピーカーの皆さんは、きっと家で練習しているのでしょうね。クラスの学生以外にも、受験講座などでかかわりのある学生が何名かクラス代表になっています。千数百の多様な瞳に見つめられてスピーチするのは、緊張のきわみかもしれませんが、それを乗り越えた先にある快感に、是非、浸ってもらいたいです。

荒波にもまれて

7月29日(金)

どこのクラスにも自分のことしか見えない学生はいるものです。外の世界に関心を示さないと言ってもいいでしょう。そういう学生は、スピーチコンテストのような学校行事に進んでかかわろうとはしません。他の学生が応援の話し合いをしているのに、自分だけ英単語を覚えようとしたり、宿題に手をつけたりして、その話し合いの輪に加わろうとはしません。応援の役割を振られても、それを果たそうとしないかあからさまにいやいやながら鈍く体を動かします。

彼らは、自分のことにしか関心がないくせに、自分が周りからどう見られているかには無頓着です。非協力的な態度に冷ややかな視線が浴びせられているのに気付きません。他人の目が気にならないのか、それを気にしようとしないのか、要するに家の外にはいますが、引きこもりと同じです。

引きこもりクンたちは自分のペースを貫き通せばそれでいいかもしれませんが、クラスの応援リーダーは引きこもりクンたちを引っ張り込もうと努力します。人を小ばかにしたような態度に腹を立てつつも、一緒にやろうと誘いの手を差し伸べます。教師からもギャーギャー言われて、ようやく重い腰を上げて練習に参加した引きこもりクンは、スピーチコンテスト当日、あっさり裏切って本当の引きこもりになることもよくあります。そういうやつに限って、応援賞の商品だけはしっかりもらっていくんですねえ。

引きこもりクンと応援リーダーと、このスピーチコンテストまでの期間、いい勉強ができたのはどちらでしょう。もちろん応援リーダーです。人を動かすことの難しさ、その難しさを乗り越えて何かを成し遂げる胆力、何かを得たはずです。今年もそういうややこしいクラスを背負っているリーダーの苦労を見聞きしています。日本語のほかに、世間の一端も知ることができたリーダーたちに幸あれと、心の中で祈っております。

恥ずかしがるな

7月25日(月)

来週の月曜日がスピーチコンテストですから、どのクラスも応援練習に熱が入ります。私の午前のクラスも午後のクラスも、授業時間を少し割いて応援練習をしました。

応援の大筋は決まっているのですが、それを実際に体を動かしてやってみるとなると、なかなか当初思い描いたようにはなりません。その原因は明らかであって、みんな恥ずかしがって小さな演技しかしないからです。クラスみんなで思いっきり体を動かしてステージ上であばれれば、大きく立派に見えます。それに対して、縮こまった動きしかしなかったら、何をしているかわからない、かえって恥ずかしいことになってしまいます。しかし、この単純な原理が、学生にはわからないんですねえ。

暗い顔から飛び切りの明るい顔になると、クラスみんなで決めたのに、それができたのはわずかに3名ほど。もう少し基準を甘くしても、せいぜいその倍程度でしょうか。他の学生は、暗い顔をしなければならないところでも照れ笑いしてしまい、暗から明への劇的な変化にならないのです。それをみんなで見て、恥ずかしがりながらする演技は本当に恥ずかしいということをわからせようと思ったのですが、私の思いは通じませんでした。

そのくせ、私が見本の演技をすると、「先生、すごい」とか言いながら、拍手をしやがるのです。私に拍手するんじゃなくて、自分が拍手を取れるようになれって、声を大にして言いたいです。

あと4日間、猛特訓です。

光栄

7月15日(金)

各クラスともスピーチコンテストのクラス内予選が終わり、クラス代表が決定し、クラス全員に伝えられました。私のクラスはXさんです。予選の段階でみんながXさんだろうなと思っていたらしく、「クラスの代表は…」と言いかけた時点で、Xさんに向かって拍手が起きました。私に名前を呼び上げられたXさんは、ちょっとはにかむように下を向きながらも、光栄そうな表情をしていました。

クラス代表となった学生は、だいたいXさんと同じような反応を示します。何だかんだと言いながらも、やっぱり誇らしい気持ちは隠せません。クラス代表になるくらいの学生は選ばれる喜びを知っており、みんなの期待に応えることで自分自身を伸ばしていけるタイプの人たちなのです。

クラス代表になった学生は、これからスピーチコンテスト本番までの間、発表のしかたをがっちり訓練されます。授業が終わってから、毎日のようにスピーチの練習をします。原稿を全部覚え、規定の時間内に発表できるように、そして、聞き手の印象に残るような話し方やパフォーマンスも身に付けていきます。

それ以外の学生は、応援に命をかけます。1人の代表をクラスみんなで盛り上げるにはどうすればいいか、全員で知恵を絞ります。音楽や映像プロデュースなどを勉強してきたまたは勉強しようと思っている学生たちは、この応援が自分の作品だともいえます。本番のステージ上で恥ずかしがらずに堂々と演技ができるようになるまで、これまた日々練習を重ねていきます。

これからスピーチコンテストまでの半月ほどの間、学校中に普段とは違った努力があふれます。

不安です

7月14日(木)

初級クラスでスピーチコンテストの原稿を書かせました。上級に比べ使える語彙が少ないからなのか、似たような文章が多かったです。やはり、自分の身の回りのことが中心になり、「日本の生活は大変ですがおもしろいです」とか、「頑張って日本語を勉強します」とかという結論が続出でした。せいぜい、自国と日本の文化を比べてあれが違いとかここが違うとかいう程度です。

学生たちは一番若くても18歳ぐらいですから、もっともっと深い思索があってしかるべきです。しかし、学び始めたばかりの外国語である日本語でその深さを読み手に感じさせることは不可能です。だから、自分の手が届く範囲で妥協しようというのでしょう。

それはやむをえないことではありますが、クラスのすべての学生に妥協されちゃったら、教師としては立つ瀬がありません。2人ぐらいは無理を承知で分不相応の難しいテーマに取り組んでもらいたい気持ちもあります。みんながみんな、書ける範囲でとなってしまうと、チェックは楽でいいのですが、拍子抜けの感は免れません。

書ける範囲といっても、学生にしたら精一杯背伸びしているのかもしれません。現に、Cさんなどは途中まで書いた文章を何度も私に見せて、これで合っているかと聞いてきました。習ってはいるけれども、自分の考えを表す文章で使うのは、おそらく、初めてだったのでしょうから、不安でたまらなかったのだと思います。

私のクラスに限らず、どこも同じような話だったみたいです。スピーチコンテスト本番までの間に、スピーカーをどこまで鍛え上げるかが、勝負の分かれ目です。

ラジオ体操とリレーと綱引き

5月17日(火)

運動会のたびに思うんですが、日本の学校教育って、捨てたもんじゃありません。開会式直後に準備体操代わりにラジオ体操をします。日本人の教職員は、年齢に関係なくスムーズに体を動かします。学生たちのを見ていると、そのぎこちないこと。学生たちの国では日本のラジオ体操が行われていませんから当然のことなのですが、その裏返しとして、日本人が小中学校でいかにラジオ体操をがっちり訓練されているかがわかるのです。

それから、リレー。バトンパスがめちゃくちゃなんですね。バトンゾーンなんかお構いなしにバトンの受け渡しをしようとするのです。それゆえ、毎年ここでの違反が絶えず、失格とされたチームから必ずクレームが来ます。また、次の走者が立ち止まったままバトンをもらいますから、前の走者のリードが有効に生かせないのです。日本人を4人集めて、突然リレーをしろと言っても、バトンゾーンをそれなりに有効に使い、もう少しカッコいいリレーをするんじゃないかな。今年はバトンゾーンにちょいと工夫を凝らしましたから、バトンパスでの反則はなくなりましたが、日本の体育の先生がご覧になったら、目を覆われることでしょう。KCPにも体育の時間を作って、そこで練習すれば白熱したレースが見られるんでしょうけどね。

これに対して、綱引きは、気持ちが先走って試合開始前に引っ張ってしまうところまで、万国共通なのか、毎回力のこもった戦いが見られます。今年もまた、いつもは温和なGさん、Pさん、Cさん、Eさんなどが口をひん曲げて目をひんむいて腕の筋肉を躍動させて綱と勝利を引き寄せようとしていました。

綱引きをはじめる前に、みんなでKCPの応援歌を歌いました。先週の金曜日と月曜日に練習した甲斐があり、“KCP、KCP”というサビの部分は、体育館中に大きな声が響き渡りました。こういうところで聞くと、この応援歌ってみんなの気持ちを一つにする不思議な力があるなって思います。

忘れてはいけないのが、選手にはならずに裏方に徹してくれた超級の学生たちです。それぞれの持ち場で自分の役割を果たしてくれました。彼らの力がなかったら、運動会は全く進行しなかったでしょう。感謝にたえません。

さて、運動会が終わったら中間テストは目前です。EJUを受ける学生は、本番まで1か月です。今度は、勉強で勝利を引き寄せなければなりません。

尽くす

5月14日(土)

来週火曜日の運動会の準備を進めました。教職員総がかりで、当日使う小道具類を揃えたり、競技の進行の最終チェックをしたりしました。KCPにはこういうイベントの時に燃える教職員が多く、準備を楽しんでいるようにも見受けられます。運動会の企画会議の際も、アイデアを出し合っているうちに異様に盛り上がっていったことが幾度もありました。運動会の主役は学生たちであり、教職員は裏方に回りますが、企画の時はこっちが主役だっていう意気込みでしょうか。企画倒れの意見もたくさん出るんですけどね。

私は、運動会では毎回主審を務めますから、一見すると一番目立ち、私が運動会を動かしているかのように思われますが、実は操り人形みたいなものです。各競技担当者の意向に沿い、競技する学生にも、それを見ている学生にも、みんなに楽しんでもらえるように動いているだけです。他の教職員も、おそらく同じような気持ちでしょう。

これは運動会に限ったことではありません。つい先日の端午の節句でも、毎年夏のスピーチコンテストでも、卒業式直前のバス旅行でも、いつでも同じような考えに基づき、企画し、運営していきます。主役に喜んでもらう、楽しんでもらうには、自分はどう動くのが最善かということを常に考えています。

どんな仕事にも、多かれ少なかれ裏方の要素があると思います。仕事とは主役に尽くすことだと言ってもいいでしょう。尽くすとは、サービス業だけに限りません。製造業は、生活を豊かにする製品を供給することで、主役である消費者に尽くしています。こういう意識の強い工場が生き残り、尽くす気持ちの希薄なところは淘汰されます。

消費者としての私たちは、製品やサービスの中の「尽くす」成分を無意識のうちに感じ取ります。そして、十二分に尽くされたと思えれば喜んでその対価を払い、そう思えなければ「高い」と不満を抱くのです。不満を抱くだけでなく、二度と買うまい、行くまいと心に決めることでしょう。

今、S先生が月曜日に学生たちに配る運動会のしおりを印刷している音が聞こえます。私たちの珠玉の志をこめて…。

手を挙げる

5月11日(水)

来週の火曜日の運動会では、最上級レベルの学生は競技役員として、競技の進行に携わってもらうことになっています。その競技役員とは具体的にどのようなことをするのかについての説明会を開きました。

どんな仕事があるかを説明した後で、その役割を務めてくれる学生を募りました。すると、Mさん、Yさん、Eさん、Tさん、Uさんなどはどんどん手を挙げてくれるのですが、Bさん、Sさん、Kさんなどはできるだけかかわらないようにという内面が透けて見えました。Iさんにいたっては、「やりたくないです」とはっきり言い切ってしまいました。

みんなのために汗をかこうという学生と、自分のことしか考えようとしない学生と、わりとはっきり分かれました。前者には、その心意気に何らかの形で報いてあげたいと思いました。そういう学生が何かしようとしているとき、一肌脱いであげたくもなるでしょう。後者に対して冷たく当たるつもりはありませんが、「この学生は運動会の時にがんばってくれたから…」という、プラスアルファの気持ちにはなれなかったとしても、こちらに罪はないんじゃないかな。

進んで手を挙げてくれた学生たちが何か見返りを求めているとは思いません。純粋な気持ちが感じられたからこそ、その心が尊くいとおしいのです。そして、そういう学生たちと手をつないで、運動会を盛り上げ、成功させ、是非、その喜びを分かち合いたいものです。

説明が終わった後、「気ばたらき」ということばを出して、これこそが運動会を成功に導くキーワードだと強調しました。何でも引き受けてくれたYさんたちには、私が言いたかったことがきっと伝わったと思います。思い出深い運動会を作り上げようと、こちらの決意も新たにしました。

端午の節句の陰で

5月2日(月)

5日が休日なので、端午の節句を前倒しして行いました。連休前に飾りつけた五月人形を見ながら、柏餅をいただくという趣向です。

もちろん、単に見るだけでは何のことやらさっぱりわからない学生が大半ですから、教師が説明したり事前学習で調べてくることになっていたりします。最近の若い人は、うっかりすると、桃太郎や金太郎はauのキャラクターだと思ってしまうかもしれませんが、さすがに日本語教師はそんなことはなく、平成生まれの先生方もきちんと説明なさっていました。

柏餅が配られると、毎年のことですが、すぐパクついてしまう学生が絶えません。今年もそんなフライングの学生が何名も先生に注意されていました。それから、柏餅を桜餅と混同して、葉っぱごと食べてしまおうとするシーンも、毎年の恒例です。

全クラス共通の行事は「柏餅」ですが、各レベルでは、それぞれ、端午の節句の意義付けを考えさせる活動をしています。私が担当したレベルは、連休前に自分の名前の由来を調べてくるという宿題を出しました。親や親戚などに聞いて、それ用の用紙にまとめてくることになっていました。

ところが、Uさんは「わかりません」と一言だけ書いた紙を出そうとしました。担当のS先生が受け取りを拒否すると、そのままふてくされてしまいました。Uさんは特別な家庭環境にある学生ではありません。明らかに宿題をほったらかして、学校へ来てからやっつけたに違いありません。

Uさんはふだんからそういう学生です。教師を敵に回していることに気がついていません。私たちは何でも素直に言うことを聞く学生ばかりを求めているわけではありませんが、何ごとにも消極的、非協力的な学生と、その反対の学生とだったら、後者を応援したくなりますよ。心が狭いと言われようとも、私はそうです。

桃太郎も金太郎も周りを味方にして大きな仕事を成し遂げました。Uさん、たかが宿題をしてこなかっただけでそんな態度をとることが、あなたをどんなに不利な立場にしているか、考えたことがありますか。

意外なリーダー

4月27日(水)

最上級クラスでグループ活動をさせてみました。私の担当した日は個人活動ばかりだったのですが、授業に変化を付けるのと、学生に喝を入れるのとを兼ねて、4~5人1組で課題に取り組んでもらいました。

リーダーになってくれそうな学生を各グループに分散させ、国籍や性別を考慮してグループを作りました。いざ、活動に取り掛かると、予想外の学生が活躍し始めました。いつもは反応が薄いCさんやKさんなどがいつの間にかリーダーになっていたり、逆に引っ張っていくことを期待していた学生がぶら下がり役立ったりと、意外な展開が繰り広げられました。

授業での発言の多寡で、無意識のうちに、リーダー役を期待したりダメだろうと決め付けたりしていたことに気がつきました。20人の前には立てなくても、数人相手だったら仕切っていける人がいても不思議ではありません。自分の得意分野なら、語れるものを持っているテーマなら、グループの他のメンバーから頼りにされて、いつの間にかリーダーになっていたっていうこともありえます。

また、このクラスは大半が初めて受け持つ学生ですから、性格がつかめていないというか、気心が知れていないというか、学生たちには私の知らない面がたくさんあります。それゆえ、学生を眺める角度がちょっと変わっただけで、学生が非常に新鮮に見えてくるのです。

来月の運動会では、最上級クラスの学生には、競技役員として競技の進行を支えてもらうことになっています。その際、どの学生にどんな役を割り振るかを見極めなければなりません。その参考資料をこっそり集めてもいるのです。CさんやKさんには、ちょっと重要な仕事をしてもらおうかな…。