Monthly Archives: 1月 2018

1月5日(金)

初授業をしました。養成講座が、今年最初の授業でした。正月休みは、完全に打ち破られました。日本語学校の始業日は来週の金曜日ですから、他の先生方より1週間早い“教え初め”です。今年は誰を相手にどんな授業をどれくらいすることになるでしょうか。

夕方はDさんに数学を教えました。Dさんは技術系の専門学校への進学を考えていますが、数学が弱いことが現在のところの最大の問題点となっています。いや、数学というよりは計算問題が苦手なのです。勉強したい技術は明確ですが、その技術を教えてくれる専門学校に入るためには数学(算数?)のテストがあります。でも、今のDさんを見ていると、Dさんには数字に対する感覚が欠けているように思えてなりません。

昔気質の職人に弟子入りするなら数学のテストなど不要です。非常に厳しい修行が待ち受けているでしょうが、その技術を身に付けたい一心のDさんには耐えられるかもしれません。しかし、弟子入りではビザは出ません。それゆえ専門学校に進まざるをえないのですが、そこにはDさんにとっては鬼より怖い数学のテストという、関門があるのです。Dさんはそれを乗り越えるべく昨年末から果敢に挑戦を続けています。その成果が少しずつ現れつつあるとはいえ、数的感覚のなさは覆うべくもなく、心安らかならぬ日々がしばらく続きそうです。

職員室では新学期の準備が着々と進められています。養成の授業とDさんの数学以外の時間は、私が担当する超級クラスの教材作りに励みました。超級の学生たちには、市販の教材では歯ごたえがありません。“まだまだ勉強すべきことがあるんだぞ”ということを示すには、独自の教材を作り上げるしかないのです。

そうそう、受験講座の準備もしなければね。

雪国

1月4日(木)

年末年始は例年通り名古屋に。「先生は毎年名古屋へ行きますが、名古屋ってそんなに面白いですか」と、ある先生から聞かれました。名古屋は毎年行っていますが、年末年始ですから博物館や公共施設などは多くがお休みで、行っているわりには有名なところを見ていないのです。徳川美術館も東山動物園も行っていません。名古屋城に登城したのは日本語教師になる前のことです。

行き場が限られていますが、今回はミッドランドスクエアの一番上まで上ってきました。私が行った大晦日は、朝は雨で、午後は上がりましたが遠見は利きませんでした。でも、名古屋市内とそのもう一回り外側までは何とか見渡せました。そして、次回の割引券をいただきました。

その前に熱田神宮へ行きました。数年前にも一度お参りしたことがありますが、昨年から日本全国の「神宮」を訪ねようと思い立ちましたので、改めて詣でた次第です。私は初詣はせずに、12月30日か31日にその年が無事過ごせたことへの御礼のお参りをしています。そういう名目で祭神である熱田大神に手を合わせました。

その熱田神宮の1900年の歴史を述べ連ねたパネルが参道にあったので熟読していくと、何と、私でもわかる誤記があるではありませんか。“1909年(明治39年)”とありましたが、1900年が明治33年なので、明らかな間違い。これを社務所に知らせたら、いたく感謝されました。

元日は、名古屋から金沢を回って帰京しました。太平洋側と日本海側の天候の違いを1日に2度も体験できるのは、気象マニアとしてはたまらない魅力です。

名古屋は快晴。岐阜も快晴ですが、行く手に雲が。大垣は曇り、あっという間に地面が白くなり、関ヶ原では雪が舞っていました。北陸線沿いの山間部はかなりの積雪でした。金沢は曇り、道路脇には除雪された雪が。糸魚川の海はまさに冬の日本海。大火の後が片付いているようで、復興し始めたのでしょうか。長野は街が白かったですが、トンネルを抜けた上田は快晴。善光寺平と佐久平(上田を佐久平と言ってしまうのは、無理がありますが…)でこんなにも気候が違うものかと、改めて感心させられました。金沢や糸魚川の湿った風景が趣があっていいなどと言えるのは、私が冬晴れ地方の人間だからでしょう。

北陸よりももっと北国から、Sさんが来ました。吹雪になると大変だとか、寒くて起きられずに午前の授業は休みがちだとか、車を買ったとか、近況を伝えてくれました。どうやら北国の地に根付きつつあるようです。卒業する頃には今よりずっと骨太になっていることでしょう。