災害に備える

8月2日(木)

毎週木曜日は、もうすぐ中級クラスの読解の日です。今週は地震についての教材でした。私の専門領域の話題ですから、ついつい本文から離れて余計な話をしたくなります。ネタは、90分の選択授業「身近な科学」が2回できるほどありますから、それを噛み砕いて話せば無尽蔵に近いくらいあります。

テキストに書かれている東日本大震災も阪神淡路大震災も、地学マニアとしては語るべきことが山盛りで、文章の精読などしている暇はありません。…などと不届きなことを考えながら、「2011年の3月11日、皆さんは何をしていましたか」と聞くと、大半が「中学生でした」「高校生でした」。「1995年の1月17日は何をしていましたか」「まだ生まれませんでした」「お母さんのおなかの中にもいませんでした」と声を合わせて答えが返ってきました。

ただただ驚くばかりですが、だからこそ、地震に対する心構えを説きたくなります。この先進学して、さらに日本で就職しようと考えている学生も多いですから、地震と上手に付き合っていかなければなりません。いたずらに怖がるだけではいけませんが、むやみに高をくくりすぎても痛い目にあいかねません。正しく恐れることが、地震に限らすあらゆる災害に向き合う姿勢として求められます。

今年は大阪北部の地震、西日本の広い範囲にわたる大雨、そして先月来のこの酷暑。テキストの冒頭に「日本は災害が多い国です」とありましたが、正にその通りの展開です。災害に備え、災害と戦い、時には共存することもまた日本文化だよと、「身近な科学」のときには言いますが、このレベルの学生には難しすぎるでしょうから、そこまでは言いませんでした。それはまた、追ってわかってもらうことにしましょう。

最低点

8月1日(水)

Yさんは入学以来コツコツ努力を重ね、満を持して6月のEJUに臨みました。受験講座での様子を見ている限り、かなり希望が持てるんじゃないかと思っていました。理科は2科目とも80点以上が期待できそうでした。90点をとっても不思議はありませんでした。先日届いた試験結果は、しかし、Yさんにとって厳しいものでした。なんと、理科が2科目とも最低点だったのです。

受験講座のときに話を聞いてみると、マークする場所を間違えたのだそうです。解答欄の1番からマークし始めたのではなく、その隣の列に塗ってしまったようです。理科の2科目を全く同じように塗ってしまったので、どちらの科目とも実質0点の最低点となったというわけです。

これが、マークシートの怖いところなんですよね。ほんのちょっとした不注意が、理不尽なほどひどい結果をもたらすのです。ミスを犯したのですから、減点ゼロではすまないことはわかります。しかし、実力の1/4か1/5の点数しかもらえないというのは、果たしてあるべき教育の姿なのでしょうか。

こうした点も踏まえて、日本ではセンタ-試験を記述方式も含めた形に変更します。でも、そうすると、記述式の部分の採点の公平性という点から疑問が呈されています。私は、何十万という受験生を1つのテストで評価しようという点に無理があると思っています。各大学の入試の簡素化が図れるなどの利点もありますが、テクニックだけで点数が取れてしまうなど、弊害も目立っています。

私は共通一次テスト第一期生です。40年前の批判に十分に答えられないまま、EJUが存在し、大学入学共通テストが生まれようとしています。

山本勘助

7月31日(火)

好きな有名人というタイトルで、自由に会話をさせました。Gさんは山本勘助を挙げました。もちろん、クラスの他の学生はポカンとするほかありません。孫子の兵法がどうのこうのとかと語ってみたところで、学生たちのポカンは一層深まるばかりです。私が多少解説を加えても、どうにもなりませんでした。

Gさんは日本の歴史が好きで、山本勘助の時代に限らず、幅広く多くの歴史小説や新書などを読んでいます。日本史に関する知識は、下手な日本人よりずっと豊富です。チャンスを見出してはその知識を披露しようとしているのですが、悲しいかな、日本語の表現力が知識に追いつかず、今のところ思いが空回りしています。

それをばねに日本語の勉強に集中してくれればいいのですが、残念ながらKCPでの勉強より知識を増やすことのほうがおもしろいようで、勉強はおろそかになっているのが現状です。その証拠に、文法テストは2回とも不合格、漢字テストも不合格でこそありませんが、低空飛行を続けています。

まず気になるのが、授業の受け方が雑なことです。ノートも取らないし宿題の字も汚いし教師の注意も聞いていないし不合格のテストの再試も受けないし、このままでは進級できないでしょう。そして、危険な状況にあることに本人が気付いていないことが、最大の難点です。

Gさんが日本語力をつけて日本史の研究に携われば、きっと大きな業績を残すことでしょう。しかし、今のままではその研究に携わることが認められません。こんないい加減な日本語では、どこの大学・大学院でも受け入れてくれません。自分は日本語ができないんだと謙虚になり、基礎からもう一度積み上げ直すべきです。プライドが許さないなんでけちなことを言っているうちは、将来が開けません。

励まし戒め

7月30日(月)

先週末に届いた6月のEJUの結果を見ての相談が相次いでいます。どこかしらが思わしくない成績となってしまった学生が、当初考えていた大学にそのまま出願すべきか、併願校をどのように組み合わせたらよいか、国立大学に行きたいのだが、どこだったら入れそうかなど、毎年おなじみの相談が繰り返されています。

日本人高校生の大学入試にはセンター試験があり、その成否で合否が左右されます。留学生入試におけるEJUもその点は同じですが、そのウエイトはセンター試験より重いと思います。この点数いかんで志望校を決める学生が多く、より高いレベルの大学へという意識が日本人より強いからです。

最近の日本人の受験生はあまり冒険をしなくなったと聞きます。また、地元意識も強くなり、私が受験生の頃なら東大を狙ったと思われる力の高校生が、無理して東大を受けずに地元の国立大学に進む例も増えているとのことです。留学生は、そもそも母国を出ていますから、ちょっとでもレベルの高いところへという意識が強いです。それゆえ、EJUの結果に一喜一憂する度合いも強いのです。

そうはいっても、詳しく見ていくと大学の独自試験で逆転する例がかなりあります。日本語の場合、合格者の最低点と不合格者の最高点で、前者が後者より50点以上低い例はざらにあります。EJUの成績が思ったほどではなかった学生には、だから面接や小論文に力を入れろと励まし、思いのほかよかった学生には、だから油断は禁物だと戒めます。

さて、先週末から私のところへ来た3名は、どちらかと言うと励まし組でした。有名大学のほかにもこんなすばらしい大学があるのだと紹介し、この点数ならそこは十分狙えると勇気付け、新たな目標意識を持たせます。明日もあさっても同じような相談が続くでしょうから、こちらも気合を入れてかからねば…。

わが道を行く

7月28日(土)

T専門学校が、KCPを卒業してそこに進学し、そこを卒業した学生の進路を報告してきてくれました。その報告には、2年前の卒業生・Cさんの名前もありました。Cさんの欄には帰国と記されていました。

Cさんは、KCPに入学したときは、大学院進学希望でした。弁も立ち、文章も書け、読解力もありましたから、学力・能力の面では大学院進学に関して問題はありませんでした。しかし、Cさんは、自分が本当にやりたいことは大学院に進学したら実現できないのではないかと当初の計画を考え直し始めました。さんざん悩んだ末に出した結論が、T専門学校への進学でした。国の両親ともだいぶ議論を戦わせたようでした。

T専門学校に進学した後、何回かKCPに顔を出してくれたようですが、私が会えたのは1度だけでした。そのときは、T専門学校での勉強はとてもおもしろく、進路を変更してよかったと生き生きとした顔で語ってくれました。しかし、Cさんが選んだ専門は日本での就職は非常に難しく、送られてきた報告によると、やはり日本には残らなかったようです。

やりたいことは趣味としておき、大学院に進学していれば、Cさんの優秀さからすると、日本で就職できたに違いありません。私はそう考えて今まで生きてきています。でも、Cさんはそういう生き方を潔しとしなかったのでしょう。やりたいことを徹底的に追及するのも若さの特権だと判断したのかもしれません。

Cさんが国で就職できたかどうかはわかりません。楽しい思い出だけでは食べていけないことも事実です。でも、尾羽うち枯らしたCさんの姿は想像したくはありません。自分のやりたいことをやりとおしたのだと自信を持って歩んでいてもらいたいです。

9時から7時まで

7月27日(金)

金曜日はレベル1担当です。今週から勉強が遅れ気味のHさんとYさんの会話練習の相手をすることになりました。会話といっても学期が始まって2週間ほどのレベル1です。食べますとか行きますとか基本的な動詞がやっと入った程度ですから、深い話ができるわけではありません。

2人は約束どおり11時半に職員室へ来ました。あいさつもそこそこに、「Yさん、朝、何時に起きましたか」と聞くと、Yさんは目を白黒するばかり。Hさんが助け舟を出してくれて、ようやく10時半に起きたことがわかりました。そのHさんもよくわかっているわけではありません。「Hさんは、毎日、うちで何時から何時まで勉強しますか」「くじからしちじまで勉強します」。こんな答えを聞いたら、ええっと驚くのが普通ですよね。そういう私の反応を見ても、Hさんはどこがおかしいのだろうと、怪訝そうな顔をながら「ごごくじからごぜんしちまで勉強します」と説明を付け加えます。腕時計の文字盤で“くじからしちじまで”を示すと、ようやく自分の誤りに気づき、「午後9時から午前1時まで勉強します」と正しく答えてくれました。

2人がわかる範囲の単語を組み合わせてあれこれ聞き出してみると、2人は国にいたときから仲が良かったそうです。母親同士が同じ学校の教師で、もう10年近く付き合ってきました。幼なじみが連れ立って日本留学したわけです。昨日の晩は2人で餃子を作って一緒に食べたとか。

30分ぐらい話すと、ようやく多少は言葉がスムーズに出てくるようになりました。その後、2人はお昼を食べて、授業の教室で再び顔を合わせました。先週までと比べて滑らかに話しているように感じたのは、ひいき目が過ぎるでしょうか。来週の金曜日にはさらに話が弾むことを祈りながら、教室を出て行く2人の後姿を見送りました。

塗り絵ではなく

7月26日(木)

今学期の受験講座理科の上級クラスは、EJUの勉強を離れて筆記試験の練習をしています。物理は計算経過やそれに基づいた議論を論理的にわかりやすく示すよう指導しています。化学は計算問題で戸惑わないように訓練しています。また、理由の説明などの文で答える問題では、落としてはいけないキーワードをきちんと取り込む練習もしていきます。

生物の筆答問題を見ると、穴埋め問題が少なからずあります。専門用語や物質名などを正確に覚えているか、現象や理論を正確に覚えているかなどを見ることが、こういった問題の出題意図なのでしょう。しかし、これを改めて見てみると、穴が開けられたことで日本語の文章としての難易度が上がっていることがわかりました。意味の取りにくい文章になっているのです。それがそのまま留学生入試に出されると、留学生は日本語の理解だけでもかなり時間がとられそうな気がします。

実際、優秀なPさんやHさんやYさんも、やらせてみるとなかなか筆が進まなかったようです。答えを聞いて苦笑いしたり、専門用語の意味を確認したりしていました。穴の埋まった文を読み返し、その内容を理解しようとしているようにも見えました。

また、「10字程度で答えよ」という問題では、“耐熱性”などと3字で答えるのではなく、“高温でも変性しにくい”と、制限字数をフルに使い、もう一歩踏み込んで答える練習もしています。まだ答え方に慣れていないので、気の利いた答えはなかなかでてきません。そこまで要求するのは、今の学生たちには無理かもしれません。

6月のEJUの結果を見たPさんは、日本語が思ったほど取れなかったので、独自試験に重きを置く大学を狙うことにしました。そうなると、より一層こういう鍛錬が必要となってきます。

流れない

7月25日(水)

久しぶりに最上級クラスの授業をしました。さすが最上級と思わせられる場面もありましたが、そんなそぶりは学生たちには見せません。まだまだ上を目指してもらわなければなりませんから、ほめるのはもう少し先です。

その一方で、“???”となってしまったこともありました。それは読解の時間に教材としているテキストを読ませたときです。上手に読める学生は、きれいな発音の聞き取りやすい声の大きさで、本当にすらすら読んでいきます。しかし、一部の学生は、つまずきながらたどたどしく読んでいました。まず、漢字が読めません。漢字に関してはほぼ各駅停車で、読めなくて立ち止まったり読み間違えたりするたびに助け舟を出していたら、私が読んでいるのとあまり変わらなくなってしまったなどという学生もいました。

漢字は多少読めても、文字を拾い読みしていて、文全体のイントネーションはおろか、単語のアクセントもおかしい学生もいました。聞いているほうは、耳からの音声が頭の中ですぐには文に再構築されず、理解に時間がかかります。本人は、自宅学習などでは黙読するだけでしょうから、自分の音読の下手さ加減には気づいていないかもしれません。しかし、これだけ下手だと、音読と発話は別だとはいうものの、入試の面接に向けて不安材料が浮き彫りになってきました。

超級クラスには、国でかなり勉強してきたため、KCPの初級を経験せずに、いきなり中級や上級に入った学生もかなりいます。そういう学生の中には、N1の問題にはやたら強いけど、声を出させるとからっきしというパターンもあります。ペーパーテストさえできれば日本での進学はどうにかなると思っている節も見受け荒れます。

語学の学習はゲームじゃありませんから、やはり、コミュニケーションが上手にとれることを目指したいです。

7月24日(火)

最近、大学関係者にお会いしてお話を伺うことが多いのですが、文部科学省が打ち出した都内の大学の定員厳格化についてお聞きすると、皆さん留学生入試にも影響があるとおっしゃいます。どうやら、残念ながら、入りにくくなる方向に動いているようです。定員をオーバーしたらお金を出さないぞというのですから、キャンパスの国際化より先立つものが優先されたとしても、強く責めるにはあたりません。

もともと私は、留学生が東京の大学にばかり入りたがるのを好ましいことだとは思っていませんでした。だから、これを契機に留学生が東京以外の大学にも目を向けること、そして、日本のいたるところに興味を持ってほしいと思っています。東京は日本を代表する都市ですが、日本のすべてを表しているわけでも、すべてが集約されているわけではありません。遊ぶには興味が尽きない街かもしれませんが、青春を捧げるのに、一生涯持ち続ける価値観を形成するのに最も適した街ではないように思えます。

そういったものは、無機質ではなく、具体的な人と人との濃密な関係性の中で発生するものだと思います。私は学生時代を東京で送りましたが、この意味において実に平凡な町で過ごしてしまったと、わずかばかりの後悔とともに振り返ることがあります。

だから、東京の大学には、自分の大学が東京になくても学生が吸い寄せられるような魅力を築いてほしいです。それさえあれば、文科省の方針がいかにぶれようとも、それに乗せられて右往左往することはないでしょう。学生の背中を押すのが役割の者としては、それがあるかどうかを、あらゆる手段を使って見極めていきたいです。

初めて本気で勉強

7月23日(月)

Aさんは、私が持っているレベル1のクラスの学生です。先週の金曜日、私が前日の宿題を集めたところ、Aさんは提出したものの、ほとんど白紙に近い状態でした。授業中もどこか落ち着かず、だから指名しても何を答えていいかわからず、隣の学生に教えてもらってどうにかたどたどしく答える始末です。ということを担任のK先生に報告したところ、授業後に呼び出して、通訳を入れて事情聴取することになりました。

職員室へ来たAさんは、まず、宿題をやってこなかったことに対しては、宿題ノートと同じようなノートがあるので、どれが宿題かわからなくなったと言い訳しました。初日にどれが宿題ノートかはっきり示しており、授業中もそのノートを使っていますから、これは言い訳としては不成立です。

そんなことを指摘しても始まらないので、毎日授業のほかにどのくらい勉強しているかと聞いたら、最初、1時間弱と答えました。じゃあ1日40分か50分かしか勉強しないのかと確かめたら、まずいと思ったのか、学校へ行く前と帰ってきてから、1回1時間、1日2回勉強すると言い直しました。本当に1日2時間きっちり勉強していたら、授業内容はもう少しわかるはずです。

最後に、白紙に近い宿題をやってから帰るように命じました。教科書もノートも見ていいが、友達に聞いてはいけないと付け加え、図書室に送り出しました。

1時間半ほどしてから、Aさんは職員室に戻ってきました。所定の宿題のページを見ると、まだ答えがない問題がありました。ノートと教科書を出せというと、落書きだらけのノートと、買ったときのまんまに近い実にきれいな教科書が出てきました。宿題は教科書の問題をちょっとひねっただけですから、教科書のどこにそれと似た例文があるかがわかれば、あっという間にできてしまうはずなのです。でも、Aさんは教科書のどこに何が書いてあるかさっぱりわからないのです。いかに勉強していないか、1日2時間なんて嘘っぱちだということが、図らずして証明されました。

おそらく、Aさんは日本へ来てから、KCPに入学してから、これほど勉強したことはなかったのではないでしょうか。全部答えにたどり着くと、授業中にも見せたことのないさわやかな笑みがこぼれました。