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SSSSSSS

9月26日(水)

久しぶりというか、初めてかもしれませんね、あんなにいい成績表を見たのは。だって、Aがたった2つですよ、残りの10科目ぐらいが全部Sで。Aが2科目であとがBとCというのは何回も見てきましたが、Sがずらずらっと並んだのを見せ付けられると、圧倒されて言葉を失ってしまいます。こういうのを眼福というのでしょうか。

今年、R大学に進んだYさんが、成績表を見せに来てくれました。R大学は、Yさんにとっては余裕のある大学で、事実、留学生の中では絶対1番だと胸を張っていました。日本人にはかなりできる学生もいるけど、学年全体で上位にいることは確かだと言います。これだけ成績がよかったら来年の奨学金は堅いねと言うと、まんざらでもなさそうに笑っていました。それでも、レポートを始めとする課題は大変だとのことでした。留学生向けの日本語は楽勝だと言っていましたが、KCPの最上級クラスで卒業ですから当然ですね。

卒業したら、大学で入学したかったK大学あたりの大学院に進もうと思っているそうです。R大学にもK大学出身の先生がいらっしゃるそうですから、そういう先生に渡りをつけていただくことも考えておいたらいいでしょう。

鶏口となるとも牛後となるなかれと言います。無理してK大学に入って超低空飛行を続けるよりもR大学でトップを争うほうが、Yさんの人生を長い目で見た場合、よい結果をもたらすかもしれません。いい大学に入っても、ドベを争ううちに負け犬根性が染み付いてしまったら、何の意味もありません。たとえそのいい大学の卒業証書を手にしたとしても、そんな学生をほしいと思う会社はないでしょう。リーダー経験もさせてもらえないでしょうから、起業だってあやしいものです。入学から卒業まで好成績を続けると、プライドも風格も身についてきます。周りから頼りにされることが当たり前となり、リーダーシップも自然に身につきます。

YさんがR大学しか受けないと言ってきた時には少々がっかりもしましたが、こうしてSばかりの成績表を見せられると、これでよかったんだねと思えてきました。

ぽかん

9月25日(月)

期末テストが近づき、授業中に行われる平常テストで不合格だった学生が大量に再テストを受けました。なぜ、「大勢」ではなく「大量に」という言葉を使ったかというと、同じ学生が複数の再テストを受けたからです。複数でも何でも、再テストで合格点を取ってくれればいいのですが、再テストをしても合格点に手が届かない学生がいました。それどころか、最初のテストよりも成績が下がる例すらありました。

勉強せずに再テストを受けたということはないでしょうから、冷たく言い切ってしまえば、実力がないのです。こういう学生には、もう一度同じレベルをやってもらおうと、私の心の中では思っています。サボっていて実力が伸びないのなら、もう一度、こんどはまじめに勉強しなおしてもらいましょう。教師の説明がわからなかったのなら、二度目に聞けばわかるようになるでしょう。今学期わからなかったところを整理しておいて、来学期そこを集中的に聞いて理解することができれば、1回目で理解したつもりになっている学生より確かな実力となることでしょう。

最も厄介なのが、もう限界組です。努力しても、語学に対するカンを持ち合わせていないため、実力が頭打ちになってしまっている人たちです。助詞の用法でも動詞の活用の使い分けでも、理論的に説明できないことはありません。しかし、教師の説明だけで理解しようと思うと、膨大な量の日本語を聞かなければなりません。その日本語を聞いて理解するほうが、そこで説明されている文法を理解するよりよっぽど難しいです。ですから、カンによってそれを補い、少しの説明から応用範囲を広げていく才能が必要なのです。その才能がない人は、そこで打ち止めです。

残念ながら、私のクラスにもそれらしき学生がいます。初級の終わりぐらいの段階でもうそれが来てしまったとは、本人も認めたくないでしょうし、こちらとしてもどうにかならないものかと思ってしまいます。学期の初めはそれ程でもなかった差が、今は歴然としています。教師の地の語りが理解できるようになった学生がいる一方で、それを聞いてもぽかんとしている学生もいます。ぽかんの人たちに、どこかで引導を渡すのも、私たちの仕事です。

まかぬ種は生えぬ

9月21日(金)

来週木曜日が期末テストですから、毎週金曜日のレベル1の授業は、今週が最終回。で、最終回にふさわしい華々しい授業をしたかというと、私はほとんど突っ立ったままでした。期末タスクの準備をしたからです。

各グループでテーマを決めて、そのテーマについて他のクラスの学生にインタビューし、回答をまとめてクラス内で発表するというものです。そのインタビューと回答のまとめをしたのですが、みんなの日本語の赤い本がまだ終わっていない程度の日本語で何とか意思疎通を図ろうとしている姿が、とても健気に感じられました。

7月の始業日のころはかたことにも至らないくらいだったのが、曲がりなりにも自分の意見が言えるまでになったんですからね、大したものですよ。インタビューでもその後のまとめの時間でも、知っている単語と文法を組み合わせ、時にはジェスチャーを交え、時には絵を描き、どうにかコミュニケーションを図ろうとしていました。実生活でも同じような場面に出くわしているに違いありません。たくましいなあと思います。

このクラスの学生の大半は、日本での進学を考えています。来年の今頃は受験準備に追われていることでしょう。そこに至るには、今の10倍ぐらいの日本語力をつけなければなりません。胸突き八丁の坂道がいくつもいくつも待ち構えています。へこたれずに登りきってもらいたいと思います。

3連休の宿題は、発表のスクリプトを覚えてくることです。発表当日は、私は受験講座がありますから、応援に行けないのが残念です。でも、レベル1で種はまきました。来年、中級か上級で刈り取る日を夢見ながら、教室を後にしました。

電話をかけなければなりません

9月8日(土)

昨日レベル1のクラスで回収した文法の宿題をチェックしました。レベル1の最初のころは「~です」とか「~ます」とか言っていればいいのですが、期末テストが近づいてくると、反射神経だけではすまないような、頭を使わなければならない問題も出てきます。

例えば、“(駅で)危ないですから後ろから『押します』”とあって、この『押します』を適当な形に変換するというものです。直前の問題の答えが“~なければなりません”だからといって、惰性で“押さなければなりません”などと書いたら、教師の逆鱗に触れてしまいます。“いい天気ですから傘を持って行かないでください”というのも、何も考えずに答えているなと思われてしまいます。

そんな中に、“夜遅いですから、電話を『かけます』”という問題がありました。私の感覚では、「かけないでください」か「かけてはいけません」ですが、「かけなければなりません」という答えが少なからずありました。できる学生でもそう答えていました。もしかすると、学生たちの感覚では、夜遅いからこそ、友達や家族と思い切り話ができる、宿題や受験勉強が終わってからの貴重な気晴らしタイムだという意識があるのかもしれません。

私が学生たちと同じ年代のころは携帯電話がありませんでした(あっても非常に高かった)から、自宅から通っている友人に夜遅く電話をかけるのは気が引けました。でも今は、電話は個々人が所有するものですから、その人が夜型人間だったら、むしろ夜遅くかけるべきなのです。

言葉は生ものですから、その使われ方は世の中の動きにつれて変わっていくものです。「かけなければなりません」に×をつけながら、10年後にこの問題はどうなっているのだろうと思いました。まあ、そのころまでには、宿題の採点は教師するのではなく、AIの仕事になっていて、私の悩みなど雲散霧消するような気の利いた直し方をしているかもしれません…。

亡霊

8月28日(火)

夕方、受験講座が終わって職員室に下りてくると、私のクラスのWさんがK先生と大学院の出願書類について相談していました。「先生、Wさんは授業中大学院の書類を書くなんていうことはしていませんでしたよね」とK先生。「ええ、全然そんなこと、ありませんでしたよ」と私。Wさんが授業中に書類作成するなんて、ありえなかったのです。午前中のクラス授業は欠席していたのですから。

Dさんは美大の大学院を目指す学生です。授業後に面接をすると、作品には自信があるけれども、面接官に何か聞かれたら上手に答えられるかどうかはわからないと言います。入学以来のDさんの成績を見ると、聴解がずっと悪いです。聞き取れないから答えられない、だから「読む」に力を入れてきてそれに頼り切って、その結果が上述の不安なのです。入学から1年余り、「読む」だけでテストの成績を整え進級を続けてきましたが、苦手の克服を怠ってきたツケが出願直前にいたって、覆い隠すべくもなく露になったのです。

先学期までのDさんは自信過剰で、聞き取れなくても話せなくても自分には実力があると思い込んでいました。しかし、今学期、いざ出願するに及んで、自分の作品のすばらしさも語れない、だから面接官にそれを伝えようもなく、日本語教師ではない一般の日本人が話す言葉がさっぱりわからないというコミュニケーション力のなさに愕然としています。

Wさんだって、一歩間違えればDさんです。授業をサボってどんなに立派な書類を完成させても、いや、書類が立派なら立派なほど、面接官はWさんの話す言葉とのギャップに愕然とするでしょう。最悪の場合、書類は自分で作ったのではないと判定されてしまうかもしれません。

学生たちはロングスパンの物の見方ができません。だから、学生が目先の事柄に捕らわれすぎていたら遠くを見させるのも教師の重要な役目です。明日からも面接が続きますが、熱に浮かされている学生を目覚めさせるのに苦労する毎日となるのでしょう。

土俵際

8月16日(木)

9:45、教室のドアがノックされたかと思うと、Jさんが入ってきました。私と目が合うと、ちょっと申し訳なさそうに小声で「おはようございます」と言いました。

10:45、後半の授業の出席をとり終わると同時ぐらいのタイミングで、Gさんが入ってきました。授業開始時のどさくさに紛れて席に着こうとしたのかもしれませんが、ちょっと遅かったですね。

授業後、2人に遅刻の理由を聞くと、2人とも「2時ごろまで宿題をしました」と言います。しかし、昨日の宿題は2時までかかるほどの分量ではありませんでした。何時から宿題をはじめたのかと尋ねると、11時からとか12時からとかという答えが返ってきました。「それまで何してたの」と聞くと、Jさんはゲーム、Gさんは何もしていなかったと、蚊の鳴くような声。要するに、勉強よりも遊びを優先したあげく、朝寝坊して、遅刻してしまったというわけです。

遊びっぱなしで寝てしまわなかっただけましかもしれません。今学期の初めごろだったら、宿題はしてこなかった可能性が強いです。少し進歩だなと思いましたが、ここではほめません。でも、JさんもGさんも、そろそろ辛い時期に入りつつあるのかなあとは思いました。

進学という目標は掲げていますが、そのゴールへの道のりははるかに遠く、また、入学当初の日本語ゼロに近かった頃のように自分の実力の伸びを実感できなくなってくるのもこの時期です。心が折れそうになるかもしれませんが、折れてしまったら文字通りの挫折です。折れてしまったら、ゲーム三昧、無気力生活、引きこもりで、奈落の底へ一直線です。

あさってから夏休みです。生活を建て直すチャンスでもあります。再来週また会うときは、吹っ切れて一回り成長していてもらいたいです。

単語

8月8日(水)

日本語は語彙が多い言語で、欧米語の倍ぐらいの単語を覚えないと、新聞などが読めるようにはなりません。ですから、私は、初級のうちから教科書に載っていない単語も何かと関連付けて出しています。上級でも上級なりに取り上げたくなる単語があり、漢字でも文法でも読解でも、チャンスがあれば、学生の頭にあれこれ押し込みます。

N1の文法なんていったら、大人の日本人でも意味を取り違えたり、そもそも全然知らなかったりするものも少なくありません。しかし、知っている単語の数、使える単語の数は、そう簡単に留学生には負けません。KCPの学生たちが進学する大学・大学院の同級生のレベルに追いつくには、相当な努力が必要です。

学生たちの関心も、そういう方面に向いていることが多いです。上級ともなると耳も相当以上に発達していますから、日々の生活で聞きかじった単語を自分も使ってみたいと思うことも多いようです。それゆえ、単語の数を増やすことに興味を示すのです。

方言も学生たちにとっては近寄りがたくもありますが、魅力を感じる分野です。私は親の仕事や自分の就職先の関係で、東京を基準に北方面の言葉も西方面の言葉も、それなりに話せます。感情を込めるなら、むしろ方言のほうが話しやすくすらあります。そんなわけで、怒ったり驚いたり喜んだりすると、思わず出てくることがあります。それが学生に受けて、本来の怒りが伝わらなくなってしまうこともあります。

授業で1回扱ったくらいでは、単語は定着するものではありません。繰り返し触れさせて注意を向けさせていくことがどうしても必要です。

流れない

7月25日(水)

久しぶりに最上級クラスの授業をしました。さすが最上級と思わせられる場面もありましたが、そんなそぶりは学生たちには見せません。まだまだ上を目指してもらわなければなりませんから、ほめるのはもう少し先です。

その一方で、“???”となってしまったこともありました。それは読解の時間に教材としているテキストを読ませたときです。上手に読める学生は、きれいな発音の聞き取りやすい声の大きさで、本当にすらすら読んでいきます。しかし、一部の学生は、つまずきながらたどたどしく読んでいました。まず、漢字が読めません。漢字に関してはほぼ各駅停車で、読めなくて立ち止まったり読み間違えたりするたびに助け舟を出していたら、私が読んでいるのとあまり変わらなくなってしまったなどという学生もいました。

漢字は多少読めても、文字を拾い読みしていて、文全体のイントネーションはおろか、単語のアクセントもおかしい学生もいました。聞いているほうは、耳からの音声が頭の中ですぐには文に再構築されず、理解に時間がかかります。本人は、自宅学習などでは黙読するだけでしょうから、自分の音読の下手さ加減には気づいていないかもしれません。しかし、これだけ下手だと、音読と発話は別だとはいうものの、入試の面接に向けて不安材料が浮き彫りになってきました。

超級クラスには、国でかなり勉強してきたため、KCPの初級を経験せずに、いきなり中級や上級に入った学生もかなりいます。そういう学生の中には、N1の問題にはやたら強いけど、声を出させるとからっきしというパターンもあります。ペーパーテストさえできれば日本での進学はどうにかなると思っている節も見受け荒れます。

語学の学習はゲームじゃありませんから、やはり、コミュニケーションが上手にとれることを目指したいです。

ボコる

7月19日(木)

はじめて本格的な読解をするレベルのクラスの授業をしました。みんな予習をしてきたと言っていましたが、教科書を見ると所々にアンダーラインが引かれている程度で、こちらが考えているような予習がなされているとは到底思えませんでした。そんなわけで、私の意地悪根性がむくむくと芽生えてきました。

学生たちは頭で理解しているだけ、母語に翻訳した上でわかったつもりになっているだけでしょうから、まず、読み取った内容を徹底的に日本語で言わせました。案の定、こちらの質問には単語で答えるだけで、文で答えさせようとするとしどろもどろになり破綻をきたし、発言を板書してはいかにひどい答えかを指摘し、ボコボコにしてやりました。単語の意味をちょこっと調べた程度で予習したつもりになってもらっては困ります。「読解」と名乗る以上は、せめて段落レベルで内容が理解できていなければなりません。学生たちは、明らかにその点が甘かったです。クラス全員が血まみれになり、初めての読解は終了しました。

学生たちは、内容を理解していなかったわけではありません。読みが浅いのと、読み取った内容を日本語で表現する力が弱かったのです。なぜ表現できなかったかというと、初級の文法が十分に使えていなかったからです。前のレベルまでに習った文法が使えるようになっていないと読解の問題には答えられないのです。そういうことをいって、授業のまとめとしました。

これだけやっつけておけば、来週はもう少しまじめに予習してくるでしょう。ここで鍛えておけば、中級上級になったときには読解のコツがつかめているはずです。

わずかの間に

7月13日(金)

今学期も、週末の最後の授業はレベル1のクラスです。さて、その初回。知っている顔は、先週までしていたアメリカの大学のプログラムで来ている学生向けの授業に出ていた2名のみ。そのクラスで一番よくできたLさんと一番ダメだったJさんがいました。一番よくできたといっても、一番下のクラスの中での話ですから、絶対値は大したことありません。一番ダメだった学生は、一番下の中で最下位だったのですから、そのできなさ加減は想像を絶するものがあります。

私にとっては初回でしたが、このクラスも火曜日から始まっていますから金曜日はすでに4日目です。で、カタカナのテストがありました。昨日はひらがなのテストで、再試になってしまった学生もかなりいましたから、こちらはどうなるだろうと心配していました。ところが、昨日の惨敗で目が覚めたのか、ほとんどの学生が制限時間を大幅に余してカタカナの五十音を書き上げました。

Lさんは順当に満点。一画一画を丁寧に書いた几帳面な字が、程よい大きさでマス目を埋めていました。昨日は不合格だったJさんの答案を採点するのは怖かったのですが、〇がどんどん増えていくではありませんか。“ハヒフヘト”になっちゃうあたりはご愛嬌ですが、合格点にわずかに足りないところまで持って来ました。不合格ですからほめちゃいけないのでしょうが、心の中でよくやったと肩をたたいてやりました。

例文を作る宿題も出ていましたが、Jさんはこちらも的外れではない、〇に値する文を書いてきました。わずか1週間かそこらで、ずいぶん伸びたと思いました。Lさんにしたって、先月下旬に来日した時は日本語がほぼゼロでしたから、うっかりすると上級の学生よりずっときれいなひらがなカタカナが書けるようになり、そのきれいな字で気の利いた例文が作れるようになったのですから、これまた長足の進歩です。

週末に、いいものを見させてもらいました。