Category Archives: 学校

演技を見ながら

6月10日(木)

今週はKCPのアートウィークです。去年はこの手の行事が何もできませんでしたから、おととしの秋以来となります。在籍学生数は2年前に比べるとがたっと減ってしまいましたが、出展作品数はそこまで減っていません。学生たちも自分の能力を発揮する場がほしかったのでしょう。

午前中、アートウィークのパフォーマンス部門の発表会を見学しました。今年は海外でオンライン授業を受けている学生も、歌やドラムの演奏の作品を寄せてくれました。その映像が流れると、会場の空気が心なしか色づきました。学生たちはインターナショナルな香りを感じたのかもしれません。

講堂のステージに上がってくれた学生たちは、感染防止のためマスクをしての熱演でした。ヒートアップしてくると、やっぱりちょっと苦しそうでした。演技が終わるや人のいないところへ行って水分補給する姿も見られました。ダンスも歌もピアノの演奏も、大いに魅了されました。相当練習しただろうなということが感じられ、手拍子にも力が入りました。

そういえば、2年前のこの場で漫才を披露した2人組は、来年大学院修了です。こういう状況下で研究は進んでいるのでしょうか。すばらしい映像作品を見せてくれた学生はその道に進んでいるはずですが、就活はどうなっているでしょうか。今の学生に目をやりながら、前回活躍した面々のその後に思いをはせました。

午後は、オンラインクラスの学生たちをアートウィーク会場に送り込みました。午前中私が講堂の隅っこから見ていたパフォーマンスを、私のクラスの学生たちは海外の自室に居ながらにして見られるのです。終了後感想を聞いてみると、拙い日本語ながらも心が動かされた様子がよくわかりました。

KCPの芸術の夏は、明日までです。

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もうすぐ運動会?

5月25日(火)

昼食を食べに出た帰りに、陽気に誘われて、外で本を読もうと、花園小学校へ向かいました。校庭の隅っこにベンチがあり、春はお花見、夏は緑陰と、お昼のひと時を過ごすのに絶好の場所なのです。

先客もいないベンチに腰を下ろすと、目の前の校庭では、低学年と思わられる子どもたちが、トラックに沿って、もちろんしかるべき間隔を置いて、丸くなっていました。みんな、赤系統の体操着を着ていました。私たちの頃は赤といえば女の子だったのですが、今は性別による色分けはしないのでしょう。

何が始まるんだろうと、読書そっちのけで子どもたちを見ていたら、音楽がかかって踊りだしました。振り付けは習っていたのでしょうが、全然バラバラでした。教室の中でビデオかなんかを見ながらまねしてみるのと、校庭に出て他のクラスや学年の見知らぬ顔と一緒に体を動かすのとでは、だいぶ勝手が違います。小さな顔も背中も手足も、みんな戸惑っていました。

先生たちの表情まではうかがえませんでしたが、マイクを持った先生は、盛んに児童らをほめていました。どうやら、運動会で披露するようです。運動会は今週末なのでしょうか。だとしたら、これから一気にムードを盛り上げて、みんなをのせて、本番で120%の力を発揮させなければなりません。KCPの受験に気を取られている学生たちを引っ張るよりは熱くさせやすいかもしれませんが、また別の苦労があるのでしょう。

その証拠に、音楽が終わるとすぐにみんなを座らせていました。熱中症で倒れたなんてことは、絶対に起こしてはなりません。私は木陰でしたが、校庭は南中高度75度の直射日光です。用心に越したことはありません。

花園小学校のホームページを見ましたが、運動会の予定は出ていませんでした。現代は、そういうことにも気を使わなければならないんですね。

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初夏のアラーム

5月24日(月)

1階の入り口に設置してある体温測定器のアラームが、朝からやたらと鳴りました。そのたびに事務のTさんたちが学生の手荷物を机の上に置かせ、再測定させていました。今までは、かばんの中に入れた熱い飲み物や手に持った熱い食べ物がアラーム発報の原因でしたから、こうすることでほぼ100%問題解決し、学生は晴れて教室に向かうことができました。

しかし、今朝は荷物を置いて手ぶらで再測定してもアラームがけたたましくなる例がいくつもありました。学生の髪や服が熱くなっているようでした。5月下旬、夏至まで1か月を切りました。一年で最も日が高い時期です。9時ごろでも、10月半ば過ぎぐらいの真昼の太陽高度があります。晴れていれば日差しも強いです。7月中旬から下旬並みと言ったら、かなりの強さだということがおわかりいただけると思います。その日差しをたっぷり受けた黒い髪や黒い服は、私たちの想像以上に熱を持つのでしょう。

学生たちは、気が気じゃありません。アラームがなかなか鳴りやまないこともそうですが、1階で足止めを食っていたら、遅刻になってしまいます。朝一番でテストだとしたら、試験時間が短くなって、点数も取れなくなりかねません。遅刻ギリギリだからと走ってくると、体表面が本当に37.5度以上になり、こうなると脈拍が落ち着くまで測定値は下がりません。だから、時間に余裕を持たなければいけないのです。

去年の今頃は、まだオンライン授業でした。その後通学授業が復活してからは、体温測定はおでこにピッでした。そういえば、おでこにピッでも真夏は5分後に再測定なんていう学生がたくさん出ましたね。

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変わった?

5月8日(土)

朝、パソコンを立ち上げると、だいぶ前にKCPをおやめになったW先生からメールが届いていました。大学院に進学しようと思っている留学生の面倒を見ているそうです。KCPでの経験が、多少は役に立っているのでしょうか。文面からはお元気なご様子がうかがえ、いつもにこやかでやる気満々だったW先生のお姿が頭の中に浮かび上がってきました。同じ釜の飯を食った仲というよりは、同じ学生に悩まされた仲とでもいうべきW先生です。ずいぶんとお会いしていませんが、太い絆の連帯感がよみがえってきました。

W先生は、現校舎ができてからまだいらっしゃったことがないとのことですから、おやめになったのは震災の直後ぐらいだったのでしょうか。そのころと比べると、確かに教師の顔ぶれは変わりました。でも、毎日学校へ来ていると、その変化に気づかないんですよね。私自身はどれくらい変わったでしょうか。毎朝一番に出勤し、日本語を教え、理科を教え、養成講座を担当し、行事のたびに天気予報をし、…というあたりは、W先生がいらっしゃった頃と変わりありません。オンライン授業をするようになった点が変化といえば変化ですが、いろんな機材を使いこなしているわけではありませんから、進歩とは言えませんね。

緊急事態宣言が解除されたら旧交を温め合いたいと思いますが、いつのことになるやら。ついに1000人を超えてしまいましたからね。他県でも過去最多が目立っています。まずはこれからさらに大きくなりそうな波を乗り越えなければなりません。

ということで、W先生にお会いしていない間に一番大きく変わったのは、世の中そのものですね。

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鎧兜

4月30日(金)

去年は全然何もできなかった学校行事が、やっと復活しました。端午の節句です。毎年連休の直前に行っていましたが、去年はオンラインで細々と触れた程度でした。でも、今年は2年ぶりに五月人形を飾り、日本の伝統文化の一端を学ぶとともに、ちょっとしたゲームも楽しみました。

私たちにとっては、五月人形は珍しくも何ともありませんが、学生たちはしげしげと眺め、写真を撮っていました。教室で一通り説明を受けて来ても、いや、受けて来たからこそ、興味津々だったのでしょう。鎧兜姿の大将、桃太郎、菖蒲の花など、飾ってあるものすべてにスマホを向けていました。

ゲームは、桃太郎にちなんで鬼退治です。軍手を丸めて作ったボールを、厚紙で作った鬼に向かって投げ、鬼が倒れたら点がもらえるというものです。単純なゲームでしたが、思いのほか盛り上がりました。クラスメートの投げるボールにまさしく一喜一憂で、久しぶりに学生の歓声を聞きました。

おととしまでは、クラスみんなで柏餅を食べましたが、今年はもちろん中止。6階の講堂の半分で五月人形を見て、もう半分で柏餅を食べながら歓談という流れでしたが、幸いにも(?)学生数が減ったため、クラス完全入れ替え制でも時間にゆとりがありました。

その代わり忙しかったのがO先生たちで、この行事を海外でオンライン授業を受けている学生たちに中継するために大いに汗を流していました。モニターで見る限り、オンラインの学生たちも画面を通して端午の節句を味わっていたようです。

この先感染拡大がどうなるか見通せませんが、こうして少しずつ平常を取り戻していきたいです。

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懐かしい顔

4月20日(火)

午後の授業の準備をしていたら、A先生がいらっしゃいました。A先生は、去年の春先に出された最初の緊急事態宣言直前まで、上級クラスを教えていました。2月末に全面オンライン授業になってから、ずっと休んでいました。お年を召していますから、授業をお願いして無理に外出させてはいけません。そういうわけで、1年余りのご無沙汰でした。

A先生ご自身もあまり家の外には出ず、新宿も本当に久しぶりだとおっしゃっていました。でも、何より、声の張りも1年前とまったく変わらず、お元気そうなご様子でした。感染状況が改善すれば、今すぐにでも教壇に立てそうな雰囲気を放っていました。

東京は711人。先週の火曜日より201人増えたそうです。3度目の緊急事態宣言が現実味を帯びてきつつありますが、オオカミ少年みたいになってきています。まん延防止などという中途半端な規制のおかげで、国民側の緊張感が薄れています。今晩は日中の暖かさが残っていることでしょうから、お酒とおつまみを買って外で盛り上がる人たちが大勢出るんじゃないかと思います。

もはや悠長に聖火リレーなどしている暇ではありません。せっかく走者に選ばれた方々には申し訳ありませんが、オリンピック自体、もう死に体です。選手だって、ワクチン未接種者が大半の国になんか、足を踏み入れたくないんじゃないかな。

A先生は、事態がさらに悪化しないうちにご挨拶したいという義理堅い理由でお越しくださいました。やっぱり、オリンピック中止で、1日も早くA先生に復活していただきたいです。

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変な人…じゃなかった

4月17日(土)

昨日の夜、見慣れぬ顔の人が学校に入ってきました。花束を手にしてこちらに微笑みかけていますから敵意悪意はなさそうですが、明らかに教職員ではなく、また、学生ではない年恰好でした。H先生が名前を聞くと、「Bです」と言います。さらに聞くと、ちょうど現校舎ができた時に卒業したとのことでした。確かに、以前、Bという学生がいました。

Bさんは今年大学院を修了して就職したそうです。その配属先がKCPの近くなので、会社の仕事が終わってから来てくれたというわけです。Bさんの就職先は一般人には有名じゃありませんが、その業界では知らない人がない会社です。「いいところに入ったじゃん」と、思わず肩をたたいてしまいました。

在学中のBさんは、こんなことを言っては失礼ですが、どこかあか抜けない感じの、線が細く印象の薄い学生でした。でも、今、目の前にいるBさんは、落ち着いた雰囲気を醸し出す優秀な若手会社員です。進学したS大学でがっちり鍛えられたのでしょう。私の心の中で、S大学の株がまた上がりました。

日本で就職するという夢を抱いてKCPに入学する学生もたくさんいます。もちろん、有名会社、大企業にと思っている学生が大半です。しかし、夢破れる学生も大半です。そういう厳しい競争を勝ち抜いて、立派な会社に就職したBさんには、ぜひ、その経験を後輩に語ってもらいたいです。私たちがあれこれアドバイスや注意をするより、実際に成功を手にした先輩からの言葉の方が100倍も効き目があることでしょう。

Bさんはまだ研修中でわからないことばかりだと言っていました。今度来るときには、有能なビジネスマンになっているでしょうか。

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恩讐の彼方に

4月12日(月)

午後の授業が終わって職員室へ降りてくると、この3月に卒業したNさんがいました。進学したJ大学は対面授業を行っており、授業が終わってからKCPにまで足を運んでくれたとのことでした。感染者数が増えていますからこの先どうなるか予断を許しませんが、大学の講義に関しては、満足そうな顔をしていました。

このNさん、実はJ大学への進学に関してひと悶着あった学生です。一時は進路指導の教師と冷戦状態に陥りました。卒業式でも、証書授与の際に私の顔を少し上目遣いに見ていました。いくばくかの後ろめたさを感じていたのでしょう。そのぐらい、何が何でもJ大学という思いが強かったのだと思います。

そういうNさんが、こんなに早い時期に学校へ顔を見せに来てくれるとは全然思っていませんでした。私はゆっくり話すことができませんでしたが、Nさんをずっと見てきたA先生とは談笑していました。わだかまりが完全に消えたかどうかまではわかりませんが、とげとげしい空気は漂っていませんでした。

今までも、在校中は反抗的だったり、全然学校を頼ろうとしなかったり、教師を信用していない風に見えたりする学生がいました。そんな学生が、卒業後にひょっこり学校を訪ねてくると、教師側が逆に盛り上がることもよくありました。戦友とは違いますが、ある共通の空気を吸っていたという気持ちになるのです。

思いでは美化されると言いますが、美化されうる思い出を共有できるのは、お互いを認め合った仲に限られるのではないかと思います。そういう意味で、私たちはNさんの実力も勉学に対する姿勢も認めていたし、Nさんも私たちの真意を理解していたのだと思います。この関係をこれからも維持していきたいです。

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学生を作る

4月7日(水)

「地位は人を作る」ということわざがあります。林家正蔵師匠を見ると、本当にそうだなあと思います。こぶ平時代は、面白いけど父親の三平には届かないという感じでした。正蔵の名跡を継いだ時は「えーっ」と絶句しました。名前につぶされるんじゃないかとさえ思いました。

でも、今はどうでしょう。どっしりとした風格を感じます。誰と向き合っても貫禄負けすることはありません。本人もかなり精進したそうですが、「正蔵」だからこそそうしたのであり、「こぶ平」のままだったら中途半端なお笑い芸人のままだったかもしれません。

もう一人、歌舞伎の松本白鴎さんも、地位に作られた方だと思います。私はNHKの大河ドラマ黄金の日日で呂宋助左衛門を演じた「市川染五郎」の時から知っています。私から見ればかっこいいお兄さんといったイメージの方でした。程なく「松本幸四郎」を名乗るようになると急に風格が出てきて、若々しさから円熟を感じさせられるように変わりました。そして、松本白鴎です。円熟を超えて伝統の重みがほとばしり出てきました。正蔵師匠同様、名跡にふさわしい芸を磨き続けたのでしょう。

明日から新学期です。私はレベル1を担当します。今学期レベル1に入学した学生は、2年後の卒業の学期には超級クラスに在籍しているはずです。日本語も日本もわからずおどおどしていた学生が、進級するにつれて自信を持ち、卒業の頃には押しも押されもせぬKCPの看板にまで育っている――そんな成長のドラマを見ていくのが楽しみです。

KCPでは、レベルが学生を作るのです。

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ありがたさ

4月6日(火)

先週の入学式に続き、進学コースのオリエンテーションをオンラインで行いました。学生のいる場所を選ばずに話し掛けられるのは結構なことですが、やっぱり手ごたえが頼りないです。生身の学生を目の前にすると、良くも悪くも感情が湧き上がってきます。オンラインは、それが弱いのです。

昔、東海道新幹線が開通した時、東京・大阪間が日帰りできるようになり、仕事がはかどると期待されました。しかし、実際はそれほどでもなかったそうです。「遠いところ、わざわざおいでくださった」という無言の推進力が亡くなってしまったからではないかと、作家の宮脇俊三氏は分析していました。

私は新入社員の時、山口県の工場に配属されました。たびたび東京まで出張し、社外の人に会いました。「山口県…」と所在地が書かれた名刺を渡すと、ほぼ一様に「遠いところわざわざ…」という感謝と恐縮が入り混じったような反応を示されました。私がいたところは航空便が使いにくく、また、当時はのぞみ号が運転される前でしたから、東京までひかり号で約6時間かかりました。

千葉に転勤になってから同じように東京で名刺を渡しても、山口の名刺の神通力はありませんでした。気安く呼び出されることも多くなったような気がしました。

オンラインは海を越えてつながることができます。でも、万里の波濤を乗り越えてKCPまで来てくれたという、学生への畏敬の念が、私の心の中で薄まってしまったような気がします。日本へ来られなくて気の毒にという同情心もありますから、それでプラスマイナスゼロかな。

出張の代わりに激増したと言われているオンラインでの商談は、どのくらいうまく進んでいるのでしょう。今の若い人たちは、生身で会うのと同じように仕事ができると信じたいです。

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