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成人式がありました

1月15日(月)

私の席から、見るともなく窓越しにロビーに目をやっていると、いつになく着飾った学生が教室へ向かって行くのが見えました。私の教室にも、スーツを着た学生がちらほら。

午前の授業後、講堂で成人式がありました。この場に集まった学生の多くが生まれた1997年は、私が日本語教師養成講座に通っていた年です。その頃に生まれた赤ちゃんが私の目の前に成人として居並んでいるのかと思うと、感慨深いものがありました。

20年前は、北海道拓殖銀行や山一證券などの金融機関がつぶれ、バブル後の日本経済が混迷のどを深めた年でもありました。でも、根が楽天家だからなのでしょうか、日本語教師として生きていくことに大きな不安を感じてはいませんでした。文法や言語学や音声学や日本語の成り立ちなど、理系の教育を受けてきた私が、興味は持っていたけれどもじっくり学ぶことができなかった方面の勉強ができて、かなり幸せを感じていました。

当時の私と今の私とを比べるとずいぶん変わったものだという思いがしますが、成人式の学生たちは、ゼロから親元を離れて外国で1人暮らしをするまでに至っているのですから、ただただ頭が下がります。成人式を機に、さらに大きく伸びていってもらいたいと思いました。

成人式の直後、その成人式に参加していたSさんの面接練習。4月にもう一段の高みに上ろうとしています。力強く進んで行ってほしいものです。

20年後、学生たちはどんなふうにこの成人式を思い出すのかな…。

入学式挨拶

入学式挨拶(2018年1月10日)

皆さん、本日はご入学おめでとうございます。このように多くの学生が世界の各地からKCPに集まってきてくださったことを大変うれしく思います。

さて、一昨年ごろからAIの実力が目に見える形でわれわれの前で発揮されるようになり、人間の仕事をどんどん奪っていくのではないかと危惧する声が強まってきています。昨年あたりは、AIに取って代わられる仕事は単純労働よりも頭脳労働だということが声高に叫ばれるようになりました。皆さんが幸せな未来を切り開いていくには、人間のライバルのほかに、AIにも競り勝っていくことが求められているのです。

AIに勝つには、勝たなくてもいいですから、せめて、共存していくためには、どうしたらいいでしょうか。ただ単に知識を増やすだけではAIにかなうはずがありません。知識の蓄積こそ、AIの最も得意とするところなのですから。皆さんにとっての外国語である日本語ができるだけでも、AIによる翻訳通訳技術は日進月歩ですから、皆さんに安寧をもたらすことにはなりません。

現在のところ、この答えを知る人は、世界中に誰もいないでしょう。七十数億の全世界の人々が、この答えを求めて右往左往しているのが今日であり、これからしばらくの世界のありようです。そういう中で、皆さんは日本へ留学に来ました。皆さん自身の中で留学の意義が明確でないと、この留学自体が皆さんの人生において無意味なものになり、青春の無駄遣いになってしまいかねません。

皆さんが持っている時間は、私などに比べればはるかに長いです。今まではそれをうらやましく思うだけですんでいましたが、AIという強力な競争相手と戦い続けなければならないとなると、同情を禁じえない面もあります。もちろん、同情しているだけでは私たちは役目を果たしたとは言えません。少しでも皆さんの未来を切り開く力になろうと思っています。これこそが、私たちの責務だとも思っています。

新年早々非常に厳しい話になってしまいましたが、AIを使いこなし次世代を築いていけるのは、皆さんのような優秀な若者だけです。その力を養い、どの方向に進めば明るい未来が見えてくるのかを、このKCPで探してください。そのためなら、私たち教職員一同、喜んで力をお貸しします。

本日は、ご入学、本当におめでとうございました。

無計画

1月6日(土)

新入生のプレースメントテストの採点をしていると、Zさんが来ました。「この大学、10日が出願締め切りなんです。今、申し込めば月曜日に出席証明書がもらえますか」「書類の申し込みは時間に余裕を持ってって、何回も注意したよねえ。聞いてなかったんですか。あ、そうか。Zさんは欠席が多かったから、休んでてこの話、聞いてなかったんだ」「すみません。でも、どうしても必要なんです」…と、皮肉も交えて油を絞ってから、結局、書類を作ることにしました。

しばらく経って、昼ごはんを食べに行こうとしていると、今度はLさんが来ました。「この大学、9日が出願締め切りなんです。今からすぐ書類を作っていただけませんか」「大学に提出する書類はKCPの正式書類ですから、わたしがちょこちょこっと書いて、はい、できあがりってわけにはいかないんです。事務的な手続きが必要ですから、今すぐというのは無理です。しかも、もう新入生が来ていますから、事務の先生たちはとっても忙しいんです。あなた一人の都合に合わせることはできません。そもそも、どうして提出書類の申し込みが出願締め切りの直前なんですか。募集要項を見れば何が必要かわかるでしょ」「前に出願した大学はKCPの書類が要らなかったから…」「大学によって必要書類が違うって話、したよねえ」…。Zさんよりさらにねちこちと説教を垂れてから、私も事務のKさんに頭を下げて、何とか作ってもらうことに。

私以外の先生も、連休明け早々が締め切りの大学に出す書類を申し込まれて怒りを爆発させていました。どうして学生たちはこうも計画性がないんでしょうかねえ。最終的には書類を作ってくれると、甘く見られているんでしょうかね。社会の厳しさを教えるのも日本語学校の役目だとしたら、ZさんやLさんの書類は受け付けるべきではなかったのかもしれません。

新学期が始まったら、しばらくはこういう日々の連続です。連休が、嵐の前の静けさです。

大掃除の最中に

12月28日(木)

2017年最後の営業日なので、校舎内外の大掃除をしました。私は外回りを担当しました。枯葉がたくさん舞い込んでいるのは先刻承知でしたが、砂ぼこりも結構たまっていました。また、植え込みの陰や隣の敷地とのすき間に空き缶やポリ袋が落ちていました。いや、見えないだろうと思って誰かが意図的に捨てたのでしょう。電車など乗り物のシートも全く同じで、クッションの隙間のような目立たないところに小さなごみが無理やり突っ込まれていることが多いのだそうです。でも、それは、掃除する人に手間をかけさせるに過ぎません。空き缶(正確には、そこに何か月分もの雨水がたまっていたので七分どおり入っていましたが)を取り出すのも大変だったんですよ。

そんなことをしていたら、京都の大学に進学したGさんがやって来ました。「やせた?」「はい。キャンパスが山の上なんで、よく歩くんですよ」。去年の今頃は受験の真っ最中で、運動不足もあったのでしょうか、まん丸でしたが、今はお腹が一回りか二回りへこんだような気がします。単位も順調に取っているようですから、脳で消費するエネルギーが増えた分だけやせたのかもしれません。

そうなんですよね、Gさんは、KCP史上おそらく最多の大学を受験し、おそらく最多の大学に合格しました。年末年始は面接練習やら何やかやで、毎日大騒ぎでした。期末テスト後も始業日眼も特訓でしたものね。あれから1年、早いものです。

そのあと、在校生のDさんが、大学出願にKCPの書類が必要だけど、1月6日必着だからどうしようと、青い顔をして飛び込んできました。来年の年末は、遠くに進学したDさんがひょっこり現れて、こんなことを思い出させてくれるのでしょうか。

よい新年を迎えたいものです。

特権階級

12月19日(火)

1年に計は元旦にありと言いますが、KCPではちょっと先走って、年内に来年の目標を書いてもらうことになりました。来学期の初日でもいいのですが、1年の反省をしたこの時期に、その反省を踏まえて次の年の目標を定めてしまおうという考えです。

私のクラスの学生たちは、最初はブーブー言っていたのですが、主旨を説明して書かせると、全員結構真面目に取り組み始めました。そして、一人ひとりの目標を見ると、1年後の自分のあるべき姿を言葉に表していました。このクラスの学生は大半が3月で卒業しますが、ここで書いた目標は進学先にまで持って行って、その実現に向けて努力を続けてもらいたいです。

学生たちが真剣に目標を考えた1つの原因は、この目標を書きっぱなしにしなかったことです。学生証に挟める大きさ(小ささ)の用紙にきれいな字で書かせて、学生証と一緒に肌身離さず持ち続けてもらうことにしたのです。目に付くところに目標が書かれていればそれを再認識することも多く、いい加減なことを書いたら自分自身が恥ずかしくなります。

目標を書くことに集中している学生たちを見ているうちに、彼らがうらやましくなりました。学生たちには今年と違う1年が待っています。大きく進歩する可能性を秘めた1年がもうすぐ始まります。私にも今年と違う来年が待っているかもしれませんが、学生たちに比べたら変化に乏しいものになるでしょう。自分の人生の新局面を切り開くような、胸が躍るような1年を迎えることってあるのかなあって考えると、否定的な答えになってしまいます。

こういうのが、若さの特権なのですが、当の若者は往々にして気付いていないようで、もどかしい限りです。

級風

12月13日(水)

各家庭に家風が、各学校に校風があるように、各クラスにも級風とでもいうものが感じられます。今学期私は3つのクラスを担当していますが、それぞれ色が違います。

Aクラスは、朝、どんなに寒くても、だれもエアコンのスイッチを入れません。コートやジャケットを着込んだまま、手をこすりながら教師が来るのを待っています。Bクラスはしっかり暖房が入っており、教師が指示を出さなくても机をコの字型に並べて授業を受けます。Cクラスは黙々と勉強するのが得意ですが、声がさっぱり出てきません。

それぞれのクラスの色は違いますが、例えばAクラスの学生がBクラスに入ったらやっていけないかといったら、そんなことはないでしょう。きっとBクラスの級風に染まり、違和感なく溶け込むことと思います。級風になじめず、クラスを変えてくれと訴えてくる学生もいますが、ごく稀なことです。

いい級風が生まれるかどうかは、学期初めの数日間、極論すれば始業日にかかっているとも言えますが、学期途中の行事を境にガラッと変わることもよくあります。Cクラスは欠席が目立って心配だったのですが、グループタスクが始まってからグッと改善されてきました。でも、Aクラスはグループ活動では空気は変わりませんでした。

授業中静かでも、寒中我慢大会でもかまいませんが、勉強しようという気風はクラスに漂っていてほしいです。みんなで上を向いて進もうと思う学生が1人でも多いクラスを作りたいです。でも、これは教師1人の力でどうにかなる問題ではありません。学生にもクラスに思い入れを持ってもらいたいです。

火消し

12月8日(金)

日本は世界有数の地震国です。しかし、KCPの学生の多くは、地震が少ない国や地域から来ています。「地震が起きたら机の下に入れ」という知識は持っているでしょうが、知識だけでは、実際に地震が発生したとき、ただおろおろするしかできなかったということにもなりかねません。そこで、地震発生という想定で訓練を行いました。

KCPの建物は3.11以降の最新の建築基準で造られていますから、地震でどうにかなることはないでしょう。しかし、学生が住んでいる建物はどうだかわかりません。また、地震には耐えられても、火事が発生したら話は全く別です。煙を吸わないようにハンカチで口を覆いながら外に逃げる訓練もしました。

今回は、それに加えて消火器を使った消火訓練もしました。消防署の方の説明を聞いてから、クラスの代表の学生が消火器で火を消しました。火災を発見したら、大きな声で「火事だ」と叫び、周りの人に知らせるようにという指導を受けた学生たちは、思ったより大きな声でちゃんと「火事だ」と叫んでから、消火器を手にして火元へ前進。近づき過ぎないようにという指示も守り、数メートル離れた所から教わったとおりに消火器を操作して、見事に火を消していました。

教室から非常階段を使って校庭まで避難するときはにやけている学生もいましたが、消防の方の巧みな話術もあり、校庭ではみんな訓練に集中していました。実際に火を消した学生も、それを見ていた学生も、消火器の扱い方は印象に残ったことでしょう。もちろん、机の下に身を隠したり、消火器を使ったりする機会など訪れないに越したことはありません。でも、備えあれば憂いなしです。有意義な留学生活を送るには、自分自身で自分自身を守る術も身に付けておくべきです。

月末の憂鬱

11月30日(木)

月末になると、その月の出席不良者リストが送られてきます。受験のための欠席は除いてありますから、病気で休んだか、単なるサボリだったかということになります。親類が急逝したので一時帰国中という学生もいましたが、親類家族の不幸がこんなにたくさんあったら、KCPはかなり呪われていることになります。

私が以前受け持った学生の名前もそこここにありました。こういう形での再会はしたくありませんでしたね。「また休みやがって」と思わずつぶやいてしまう学生もいれば、「先学期はあんなにいい学生だったのに」と、何が起きたか心配になる学生もいました。

現在の私のクラスの学生も数名リストアップされていました。今月ずっとマスクをしていた学生、受験準備と称して休んでいる学生、大学合格後完全に気が緩んでいる学生、どういう角度から見ても休む理由などなさそうな学生、いろいろです。ビザさえあえば何をしてもかまわないと思っているのでしょうか。

このうち、本人が受験準備だと信じて休んでいる学生は、確信犯ですから悪いことをしているとは思っていません。自分の本務は入試に受かることで、日本語学校生というのは世を忍ぶ仮の姿と割り切っているようにも見えます。こういう学生への指導や注意は、のれんに腕押しです。話し合った翌日、何事もなかったかのように休みます。そんな時、コミュニケーションの成り立たない無力感をじわーんと味わわせられます。

学校が楽しくてしょうがない、学校ほど居心地のいい場所はないという声もあちこちで聞きます。そういう学生の期待に応えられるように、楽しくてためになる授業作りに力を注いでいます。そんな授業をもってしても、上述の学生たちの心を動かすには至りません。

そして、確信犯が学校へ来るのは、にっちもさっちも行かなくなったときです。お前みたいに都合のいいときだけ学校を頼ろうとするやつなんかに差し伸べる手はない……と言い切ってやりたいですが、言えないんですよね。

ある退学

11月22日(水)

Eさんが退学することになりました。出席不良のためです。今学期の選択授業は私のクラスなのですが、まだ一度も顔を合わせていません。ですから、出席の悪さは推して知るべしといったところです。

Eさんは去年の7月に入学しました。中級クラスに入り、理科系の受験講座も取りました。私が指定した参考書も買い揃え、11月のEJUでいい成績を取り、17年4月に大学進学という計画で、気合十分で私の授業を受け始めました。知識もあり、授業も最前列で受け、やる気もありましたから、Eさんの計画は決して無謀なものとは思いませんでした。

ところが、それが続いたのは1か月でした。中間テストのころから受験講座に出なくなり、次の学期は受験講座を取ることもありませんでした。日本語クラスの出席率も急降下し、クラスの先生によると、学校へ来ても「出席」というよりは「存在」に過ぎないようでした。アルバイトはきついけれども、学費のためにやめるわけにはいかないと言っていたそうです。17年4月大学進学など、自然消滅でした。

その後、学校から厳しく注意されると一時的にはよくなるものの、すぐまた元に戻るということが繰り返されました。アルバイトを減らしたりやめたりしても、効果はありませんでした。もはや、心が完全に折れてしまっています。退学は賢い選択だと思います。

出席不良で退学となると、形の上ではEさんの留学は失敗だったとなってしまいます。しかし、本当の失敗にするかどうかは、これからのEさん次第です。若いうちの失敗は、むしろ成功の基です。入学当初の輝きのエネルギー源は何だったのか思い出し、再び炎を燃え立たせ、今度はこの留学での経験を生かして、にっこり笑ってもらいたいものです。

作戦立案

11月11日(土)

職員室のあちこちから、水上バスを降りた後のお台場ツアーのプランを話し合う声が聞こえます。通常のバス旅行だと、例えば富士急ハイランド内をどう歩き回るか、どんなアトラクションをどんな順番で回るかという話になるのですが、お台場は有料無料のアトラクションが多すぎて、一筋縄ではいきません。また、富士急ハイランドなら絶叫マシンに乗ってしまえばあとはのどがかれるまで叫び続けるだけで、そこには国籍も日本語レベルもありません。しかし、お台場はそういうわけにもいかず、教師の頭を悩ませるところとなっています。

私のレベルは行き先が決まっていますが、予定している昼食会場から約2.4キロあります。私は歩くのが大好きで、しかも速いですから、お台場みたいなまっ平らなところの2.4キロなら、どう考えても30分はかかりません。しかし、学生を引き連れていくとなると、下手をすれば1時間近くかかってしまうかもしれません。学生たちが何十分もの行軍に耐えられるとは思えません。ゆりかもめで移動してもいいですが、あの狭い車内に一気に何十人も乗り込むと、その便だけとんでもない混雑になってしまうことも十分考えられます。

さらに、上級の学生はなまじ日本語ができますから、単独行動に走るおそれも否定できません。富士急ハイランドや日光江戸村などで迷子になると、東京まで帰り着けないかもしれません。しかし、お台場なら、ゆりかもめに乗っているうちに東京タワーや山手線が見えてくることでしょうし、りんかい線だったら気がつけば新宿などというラッキーパターンもありえます。そんなことをされたら、教師の心臓はいくつあっても足りません。だから、私たちと一緒に歩いていくと面白いことに出会えるよという企画を立てねばならないのです。

さて、明日はEJU。対策講座に出た学生たちには、今晩は8時に寝るように言っておきました。すっきりした頭で実力を遺憾なく発揮し、気持ちよく水上バスの旅に参加してもらいたいです。