Category Archives: 自分自身

魔法の杖

1月22日(月)

土曜日にK先生からお借りした杖を持って銀座線に乗ると、席を譲ってもらえました。新宿御苑前から赤坂見附までの丸ノ内線は、高々数分ですから、どっしり腰を落ち着けてしまうと立ち上がる時にかえってしんどそうなので、ドアの際に立っていました。

赤坂見附から上野までは20分ぐらいありますから、実質片足で立ち続けるのは避けたいと思っていました。しかし、入ってきた銀座線はいつもより混んでいるくらいでした。ですからドア際の手すりを確保して姿勢を整えたところ、すぐそばに座っていた若い女性が「どうぞ」と声をかけてくださいました。

私もこういう場面で席を譲ろうとして断られてなんとなく気まずい空気を感じたことがありましたから、ありがたく席に着きました。席を譲ってくださった女性は、新橋か銀座で降りたようです。彼女が降りる時にもう一度お礼を言おうと思っていましたが、見逃してしまいました。

金曜日は杖を持っていませんでしたから、優先席のそばに立ったものの、席を譲ってもらえませんでした。杖の威力は偉大です。逆に考えると、杖を持っていないけれども席を必要としている人が、今まで私の周りにも結構いたということになります。席を譲ることはやぶさかではありませんが、私は席に着くと本を読むことに熱中しますから、譲って差し上げるべき人がそばにいても見逃していたことは多々あるに違いありません。

当分はステッキパワーで席を譲ってもらうとして、足が元に戻ったらちょくちょくあたりを見回して恩返しをしていきたいものです。

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やさしい気持ち

1月20日(土)

けがをした足を引きずって交通機関を利用すると、東京はまだまだバリアだらけだと気付かされます。新宿御苑前駅は、私が生まれる前にできた駅ですから、バリアフリーの発想はありません。地下の浅いところにホームがありますが、そこに至るまではすべて階段。朝、荻窪行きから降りると、私がいつも使う改札口に出るには、階段通路で線路の下を潜り抜けなければなりません。これを避けるためには、新宿三丁目まで乗り越して、ホームの反対側の池袋行きで1駅戻るという手を使うほかありません。また、後付けでエレベーターなどが設置されましたが、KCPとの間の往復の場合、それを使おうとすると、かなり遠回りになります。

乗り換えの赤坂見附はホームの反対側へ移動するだけですが、上野駅はまたしても手すりにしがみつかなければなりません。とどめは自宅最寄りの南千住で、後付けのエレベーターは途中で乗り換えが必要です。

どの駅もそうですが、下りのエスカレーターがありません。しかし、足が悪い者にとっては、上りよりも下りの階段に負担を感じます。こういう話は以前から聞いていましたが、今回身をもって痛感させられました。また、エスカレーターがあっても、エスカレーターから降りる時にバランスを崩しそうになります。もうほんの50センチばかり、エスカレーターの平坦部を伸ばしてもらえると、降りるのが楽になるはずです。

これからは、足の悪い方に少しは優しくなれるような気がしてきました。

今朝、K先生が杖を貸してくださいました。杖を使うと歩幅がだいぶ広がります。昨日は御苑の駅まで15分ぐらいかかりましたが、杖を使って校内を歩いた感じからすると、半分ほどの時間で行けそうな気がします。気持ちが少し明るくなりました。

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骨折

1月19日(金)

昨日の夜、家の近くのスロープを下りていたら、左足をくじいてしまいました。「痛い!」と思いましたが、どうにか歩けましたから、足を引きずりながら家まで帰りました。

風呂に入り、寝て、今朝になると、痛みがひどくなっていました。左足に体重をかけると、痛みが走ります。昨日はまだすたすたと歩けましたが、もう無理でした。でも、午前中、代講が利かない授業を2つ抱えていますから、匍匐前進してでも学校までたどり着かなければなりません。いつもの半分ほどの歩幅で駅に向かいました。駅では、いつもは使わないエスカレーターに乗り、ホームに出ました。

電車は、なんたって早朝ですから、楽勝座れました。しかし、乗換駅では、いつもはダッシュしてきわどいタイミングの電車に乗り込むのですが、もちろんそんなことはできません。そろりそろりと歩いて、いつもより1本遅い電車に乗りました。御苑の駅から学校までも、牛歩戦術でした。いつもは、家から学校まで、スマホの歩数計で1700歩あまりですが、今朝は3300歩を超えました。やはり、歩幅が半分なのです。

教室まで行くのも、いつもは絶対に乗らないエレベーターのお世話になりました。どうにか授業をこなし、午後、学校の近くの整形外科へ行きました。靖国通りを渡る時は、次の青信号まで待ちました。通りの真ん中に取り残されたら寿命が縮まってしまいます。

レントゲンを見た医者は、「足の小指の骨が折れてますね」と一言。痛いわけです。靴を脱がされ、足を固定してもらい、帰ってきました。全治4週間。意外と重かったです。「ほっときゃ治るよ」なんて思わないでよかったです。

さて、これから足を引きずりながら帰ります。固定された足には、整形外科で貸してもらったサンダルが。乗換駅の階段が辛そうだな…。

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ためはだめ?

1月4日(木)

年末年始の休みに、とあるローカル線に乗ったときのことです。ローカル線ですから単線で、上下列車のすれ違いは、走りながらではなく駅に止まってします。そのすれ違い駅に着いた時、車掌さんが「反対列車との待ち合わせのため、しばらく停車いたします」とアナウンスしました。ほどなく反対列車が来ました。すると、「反対列車到着のため、間もなく発車いたします」というアナウンスが聞こえてきました。

最初のアナウンスは全く違和感がありませんでしたが、発車時のアナウンスを聞いた時には、思わず「へっ?」と言っちゃいそうになりました。「反対列車が到着いたしましたので、間もなく発車いたします」だったら何ら問題はありませんでしたが、「ため」はだめですねえ。

「ため」も「ので」も、接続の形は違いますが、理由を表すことには変わりありません。最初のアナウンスも、「反対列車との待ち合わせをいたしますので~」と言っても、意味も変わりませんし、乗客に対して失礼にも当たりません。でも、なぜ、反対列車が到着した後のアナウンスは、「ため」だと違和感たっぷりなのでしょう。

「文法が不合格のため、進級できません」「全科目合格のため、進級できます」

「雨天のため、予定を変更します」「晴天のため、予定は変更しません」

「電車が遅れたため、遅刻しました」「電車が遅れなかったため、授業に間に合いました」

…どうも、「ため」は、予想外の事態が発生したり、いつもとは違う結末を迎えることになったりした場合に有効みたいです。また、どちらかというと、自分にとって不都合な結果になったときのほうが、相性がいいような感じがします。上記3組の文のうち2番目の文は、もしこれらが言えるとしたら、全科目合格するとは思っていなかったとか、雨という予報だったので予定変更を関係者に連絡しておいたとか、遅刻を覚悟していたのにかろうじて間に合ったとか、それぞれ順当な結果ではなかったニュアンスが感じられます。いずれもレアケースでしょう。

反対列車が到着したことで自分の列車が発車できるということは、予定されていたことであり、不都合なことでもありません。私の違和感の根っこは、こんなところにあったのだと思います。

では、車掌さんはなぜ「ため」を使ってしまったのでしょうか。おそらく、「ため」の持っている改まった感じにひかれたからではないかと思います。「反対列車が到着いたしましたので~」よりも「「反対列車到着のため~」の方が硬い言い方で、車内アナウンスにふさわしいと思ったのでしょう。

さて、仕事始め。いきなり、養成講座の文法の授業でした。今年も、文法を考えながら過ごす1年になりそうです。

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今年を振り返ると

12月27日(水)

昨日、所用があって、新宿駅の西口に出ました。ニュースで聞いていましたが、小田急百貨店が跡形もなく消えていて、歩道もバスターミナルのすぐ近くまで迂回していました。あまりの様変わりに、ただただ驚くばかりでした。KCPから西口まで、距離にして1キロちょっとですが、私の守備範囲は紀伊国屋書店までですから、西口の地上を歩くことはめったにありません。調べてみたら、小田急新宿本館の閉店は去年の10月、解体が本格化したのは今年の春ぐらいだったんですね。

考えてみると、この1年、通勤定期の経路の駅で外に出たことがあるのは、上野と日本橋と銀座と新橋ぐらいかもしれません。しかも、そのほとんどが用事を済ませたらまたすぐ地下に潜るという具合で、それぞれの街をゆっくり楽しむということはしていません。新宿だって、駅そのものは利用しましたよ。でも、地上は歩かなかったなあ、この1年。実に狭い世界で生活していたものです。夏休みなどには遠征もしますが、土日の休みに東京都内をもっと見なければいけませんね。いや、そもそも、個人的な用事を通勤定期の範囲内で済まそうというせこい根性からたたき直す必要があります。

というわけで、来年の目標は、「東京23区すべてに足跡を印す」ということにしましょう。数えてみると、今年は12区でした。通過を含めるともう少し増えますが、23区には遠く及びません。また、墨田区、葛飾区、江戸川区、豊島区は学校行事のおかげで足を踏み入れた区です。ですから、倍増ないし3倍増しないと目標は達成できません。容易な目標ではありませんが、挑戦してみます。

よいお年をお迎えください。

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大掃除の誇り

12月26日(火)

年末の恒例行事と言えば、大掃除です。普段目や手が行き届かないところを拭いたり磨いたり掃いたり水洗いしたりします。

私の担当は、まず、朝のうちに1階の給湯室。湯沸かしポット内にクエン酸を入れて、水垢を落とします。落とさなくてもお湯の供給に影響があるわけではありませんが、電熱効率が悪くなりますから、省エネのためにも年に1度くらいは掃除をしておいた方がいいです。それから、流しの排水部の清掃。排水口にたまっていたごみは、先週、流れがあまりに悪くなったので捨てました。ついでに、ごみ溜めも洗っておきました。ですから、今朝はパイプクリーナーを入れてしばらく放置するだけでした。他の先生方がいらっしゃる前に終わらせようと思ったのですが、湯沸かしポットのお湯が沸くのに時間がかかり、少々はみ出してしまいました。

午後は傘立ての受け皿の掃除。各教室とラウンジから受け皿を集めてきて、ひたすら水洗いです。油を吸ったほこりが受け皿にまとわりついていますから、水をかけても水をはじいてしまいます。雑巾を使ってこそげ落としましたが、細かいところは指先で掻き出すような感じでした。要らない歯ブラシをうちから持って来ておけばよかったと思いました。それにしても、こそげ落としたほこりの多いこと。掃除用の流しの排水口が何回も詰まりました。そして、この仕事は、冬場ではなくて夏にするべきですね。半袖短パンで、外の流しで水を勢いよくぶっかけるのが、一番きれいになりそうです。

私が受け皿を掃除している間に、別の先生が傘立て本体を磨いて、ほこりを落としてくださいました。新学期に登校した学生たちはきっと何も気づかないでしょうが、でも、そういう仕事をしたということに、ちょっとした誇りを感じます。

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レオナルドダビンチ

12月15日(金)

昔、会社勤めをしていたころ、私の課長が「便利屋をバカにしたらいかん。どんなことを頼まれてもそこそここなさなければならんのだから、それなり以上の能力を持っているってことなんだ」と言っていました。課長の上司である部長は、何かというと課長に仕事を命じていました。他にも課長はいたのに。課長が命じられた仕事の一部は、私のところに流れてきました。その際に、上述のような、愚痴とも余計な仕事を命じる言い訳ともつかぬ、うがった見方をすれば私を便利屋にしようと教育しようとしていたのかもしれない言葉を私に掛けたのでした。

午前中の授業が終わって、明日大阪の大学の面接試験を受けに行く学生に最終の指導をしていたところに、急な代講を頼まれました。面接指導が終わり、レベル担当のF先生から簡単な説明を受け、漢字の教科書を持ってそのまま教室へ向かいました。今日案も何もあったもんじゃありません。

代講の場合、学生の顔も名前も満足に知らないクラスに入るのが普通ですから、本来の先生ほど授業をスムーズに進められません。でも、だからと言って、授業の質を落とすわけにもいきません。特に、今は学期末ですから、次回以降の授業で挽回という手は使えません。

私は、一番下から一番上まで、各レベルで1学期を通して教えたことが何回かあります。ですから、「教科書のこのページ」と言われれば、どうにかできます。ここが、便利屋の面目躍如のところです。日本語授業に加えて、理科や数学までやっているのですから、まぎれもない便利屋です。

「便利屋」という言葉にはネガティブなニュアンスが伴いますが、「万能の巨匠」だと思えば立派なものじゃありませんか。私は、この仕事を楽しんでいます。

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「ば」考

12月9日(土)

夜になると随所でイルミネーションがきらめき輝き、それにスマホを向ける人たちは、美しさに酔うというよりは、獲物get!といった顔をしています。そんな人たちを包むように、街にはクリスマスソングが流れています。

毎年繰り返される光景ですが、毎年気になることがあります。それは、「ば」です。

クリスマスソングの定番「恋人がサンタクロース」の歌詞には「ば」がたくさん出てきます。“今夜8時になればサンタがうちにやってくる”“大人になればあなたもわかる”“明日になれば私もきっとわかるはず”…という具合です。

日本語文法では、一般に、確定条件においては、前件を「ば」ではなく「たら」で表すとされています。「ば」は仮定条件で使うと、どの文法書にも書かれています。「駅に着いたら連絡します」は〇だけど、「駅に着けば連絡します」だと、駅にたどり着けるかどうかわからないような感じがしませんか。

「恋人がサンタクロース」の歌詞はいかがでしょう。“大人になればあなたもわかる”は、わかるための条件が大人になることだとも受け取れるので、ぎりぎりセーフかもしれません。でも、“今夜8時になればサンタがうちにやってくる” “明日になれば私もきっとわかるはず”はそういう見方もできません。とはいうものの、聞き慣れてしまったからなのでしょうが、さほど強い違和感もまたないのです。みなさんはいかがでしょうか。

養成講座の初級文法では、確定条件には「ば」は使えないと言い切っていますし、レジメにも明記してあります。「恋人がサンタクロース」は偉大なる反例なのですが、なぜ変な感じがしないのか、そこが気になっているのです。

うちの前のショッピングモールは、今夜も「恋人がサンタクロース」を流していることでしょう。それを聞きながら、「ば」に違和感がないことに違和感を抱きつつ、足早に通り過ぎるのでしょう。

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あちこちのクラスで

11月28日(火)

午前中は中級クラス、午後は初級クラスの代講に入りました。代講は決して嫌いではありません。日本語プラスなどを通して知っている学生の実態が見られたり、以前教えた学生のその後を知ることができたり、隠れた才能を見いだせたり、あるいは悪名がとどろきわたっている学生の現状を観察できたりなど、通常クラスの授業をしているだけでは得られない情報が得られたり、思わぬつながりができたりするからです。

午前中の注目は、Kさんです。日本語プラスでは地頭の良さを見せていますが、日本語の授業ではどうなのでしょう。ランダムに指名しても答えられるし、全体に問いかけた時にも口火を切ってくれるし、日本語クラスでも活躍しているようです。仲のいい友達とのおしゃべりが少々気になりましたが…。また、Dさんは日本語プラスのときよりもしゃべれるのにちょっと驚きました。

4月期に教えたPさんとSさんは、相変わらずやる気があるのかないのかわからない授業態度でした。Sさんは隣のRさんがスマホいじりに熱中するとつついていましたが、自分だってスマホを決してしまおうとしません。全く変わりませんね、半年前と。

午後のクラスには、先学期教えたJさん、Lさん、Hさんがいます。漢字が弱かったJさんは、指名するとやっぱり漢字が読めませんでした。よく宿題を忘れていたLさんは、漢字の宿題をやってきていませんでした。Hさんの字の汚さも、全く変わっていませんでした。でも、Jさんの会話力はピカ一だったし、Lさんの勘の良さも健在だったし、Hさんのひたむきさは、教師としてはうれしいものです。

今学期は代講要員的な面もありますから、これからもあちこちのクラスに入ることでしょう。入ったクラスごとにそのクラスの飾らぬ姿を見せてもらうことにします。なんだか、水戸黄門の諸国漫遊みたいになってきました。

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職権乱用

11月21日(火)

中間テストからちょうど1週間たち、各クラスの採点結果が出そろいました。日本語プラスや以前受け持ったクラスなどの学生や、問題ありで目を付けている学生、逆に希望の星として追いかけている学生、そんな学生たちの成績をこっそりのぞき見するのが、この時期の私の楽しみです。

「目標は東大です」と言い切った新入生のTさんは、残念ながら不合格の科目があります。テスト形式に慣れていなかった面もあるかもしれませんが、暗雲が漂い始めています。勉強のしかたが悪いとなると、今後無駄な努力を積み重ねかねません。早く手を打ちたいところです。

先学期レベル1で私のクラスで優秀な学生だったFさん、Pさん、Wさん。今学期も素晴らしい成績です。この勢いだと、中級か上級でまた教える時期も、案外早く来るかもしれません。変なものにつまずかないで、順調に伸びていってください。病欠がきっかけで崩れていった例が山ほどあります。健康に気を付けてください。

日本語プラスでお世話しているDさんとLさんは、まあまあの成績でしょうか。日本語力がついてくれば、受験勉強も弾みがつきます。2人とも理解力がありますから、何でもどんどん吸収していけるはずです。来年6月のEJUに照準を合わせていますが、大いに期待が持てます。

Kさん、Sさん、Aさんは、成績が入力されていません。中間テストの日に欠席し、追試も受けなかったのでしょう。来学期進級できないことがほぼ決定です。進学の方もうまくいっている気配はありません。こういう何にもしようとしない学生に限って、最後にこちらを頼るんですよね。KCPの教師は阿弥陀如来ではありません。

あ、そうだ。選択授業のクラスの学生たちを忘れてた…。

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