Category Archives: 日本語

見せたくない

1月30日(水)

水曜日は作文の選択授業です。私のクラスはEJUに関係のない学生たちばかりですから、作文を書くことを通して、先学期・今学期に勉強した文法や語彙を使ってみて覚えることに主眼を置いています。先週はこちらが想像したよりうまくかけていましたから、今週は少し課題のレベルを上げました。

学生たちには書くのに1時間与えましたが、何名かは時間をかなり余して「できました」と原稿用紙を出そうとしました。受け取って読んでみると、先学期・今学期どころか初級文法を間違えているではありませんか。「間違いがたくさんあります」と言って、作文を学生に差し戻しました。

私に作文を受け取ってもらえなかった学生たちはどことなく不満顔でしたが、読み直し始めました。しかし、自分の間違いに気づいた様子はうかがえませんでした。文法と漢字の教科書は見てもいいことになっていますから、教科書を参考にしていましたが、自分で自分の文章を読んでいる限り、間違いは浮かび上がってこないようでした。

自分の間違いは見えてこなくても、他人の間違いはすぐわかるものです。これを岡目八目と言ってよいかどうかはわかりませんが、となりの友達に目を通してもらえと指示を出しました。しかし、間違いだらけの文を見せるのは恥ずかしいのか、ごく一部の学生しかしませんでした。

…という調子で、早い時間に提出しようとした学生たちは、結局、自分の力だけでどうにかしようとするばかりでした。そして、最終的に提出された作文を読んでみると、直してほしかった部分はほとんど手付かずでした。聞くは一時の恥と言いますが、見てもらうも一時の恥という空気がこのクラスに生まれてこないものでしょうか。

ねちこちと

1月25日(金)

日本語教師の仕事は、日本人にとっては自明である日本語文法に理屈を付け、いかに論理的に外国人学習者に伝えていくかということです。助詞にしたって、その意味や機能を細かく分類し、用法を解き明かし、学習者の頭の中に植えつけていきます。口からの説明に頼りすぎると、授業が難しくなってしまいます。しかし、練習を通して覚えさせていこうとしても、教師側に理論的なバックボーンがないと、見かけ上は同じ形でも学習者にとっては違う働きの言葉をごちゃ混ぜにしてしまい、かえって混迷を深めるなどという結果を引き起こしてしまいかねません。

今、養成講座で私の授業を聞いている受講生の方々は、まさにこの自明の真理を自明としないで話を進めなければいけないことに戸惑っています。“〇〇ってどういうこと?”“××と△△は何がどう違うの?”と、普通の日本人が普段考えないような、「だって当たり前じゃない」としか言えないようなことばかり聞かれ、そのたびに脳みそが裏表になるような気持ちになっているのではないでしょうか。

私は、そういう重箱の隅をどつきまわすようなことが好きでしたから、この仕事をしているのだと思います。学生たちもその点は感じ取れるのでしょうか、受け持ったどのクラスでも文法や単語の意味に関する質問は、私が一番多いようです。初級クラスでも上級クラスでも、私はそういう議論をするのが好きで、これが生きがいになっているとすら感じます。

学期前から集中的に授業をしていたため、今シーズンの養成講座の授業も、あと1回になってしまいました。次は4月までないのかと思うと、ほのかな寂しさも感じます。

答えにくい

1月24日(木)

K大学を受けるYさんの面接練習をしました。挑戦するのが薬学部ですから、留学生にとってはかなりの難関です。志望理由など、普通の面接の質問では足りないと思い、かなり厳しい答えにくい質問もしました。内角胸元をえぐるような球には、EJUで好成績を挙げたさすがのYさんも、答えに詰まっていました。

面接練習は、空振りを覚悟の上でするものです。本番の面接で予想より難しい質問が出てきたら対応できないでしょうが、練習で聞かれた、答えるのに困ってしまうような質問への回答を考えておけば、本番で途方に暮れることは少ないと思います。まあ、面接練習は予防注射みたいなものであり、いろいろなウィルスに対する免疫ができていれば、本番で感染症にかかる心配は減ります。

かなりボコボコにされたYさんは、練習が終わってもしばらくは震えが止まらなかったようです。どうにか立ち上がって退室の挨拶まではしましたが、フィードバックのために再び椅子に腰掛けたら、もう動けませんでした。K大学もここまで受験生を追い込むことはないでしょうから、これに耐えられるようになったら、明るい未来が見えてくるかもしれません。

その後、就職試験を控えたHさんの練習にも付き合いました。こちらは予め質問が知らされているのですが、その質問がとんでもないものばかりで、Hさんといっしょに答えを考えました。ですから、正確には練習というよりは相談です。Hさんの希望や今までの経験を踏まえて答えを作り上げるのですが、背伸びやうそは結局Hさん自身の首を絞めることになりますから、あくまでも正直ベースで回答を練り上げました。

夜、卒業生のYさんがひょっこり来ました。そういえば、Yさんも面接練習で泣きが入った口です。でも、大学で3年間鍛えられた今は、堂々としたものです。就活の最中だそうです。夏ぐらいまでには、内定の知らせを聞かせてくれるのでしょうか。

10問10分

1月22日(火)

先学期、初級のときから受験講座に参加してきた学生たちが、今学期は中級になりました。私が受け持っている理科の場合、物理や化学や生物に関する知識が増えて実力がついたことも確かですが、それ以上に、問題を解くのにかかる時間が短くなったと感じています。

例えば生物。正誤問題ではけっこうな量の、引っ掛けもある要注意の文をいくつも読みこなさなければなりません。そのため、3か月前、勉強を始めたばかりのころは、10問解くのに30分ぐらいはかかっていました。しかし、今学期は、同じ10問を10分強ぐらいで解いてしまいます。先学期は図をヒントにして解く問題に優先的に取り組むよう指示を出しましたが、今学期は長い文章の問題でも向かっていきます。

全問とは言いませんが、きちんと正解にたどり着いています。1学期間の日本語の勉強によってもたらされた成果にほかなりません。こうした実例を目の当たりにすると、初級から中級にかけての伸び盛りの時期は、何でも吸収していくのだなあと、感心させられます。今学期の生物の学生たちに、特にそれを感じます。

でも、EJUの生物は生物が得意な学生ばかりが受けますから、毎回ハイレベルな戦いが繰り広げられます。物理や化学なら好成績と言える70点でも、生物ではごく当たり前の成績です。80点ぐらい取らないと、好成績とは言えません。残念ながら、今の生物の学生たちは、そこまでには至っていません。

10問を10分ちょっとで解いたことはほめましたが、同時に、君たちの目指す点数は80点だとも伝えました。6月の本番まで5か月ほどありますから、どんどん鍛えて、80点どころか90点、95点を狙わせたいです。

涙の向こうに

1月21日(月)

職員室の入口にRさんが立っているのが私の席から見えました。こっちを見ているような見ていないような微妙な視線だったので、急ぎの書類作成中だったこともあり、無視していました。A先生から「Rさんがほんのちょっとだけ用事だそうです」と呼ばれたので、Rさんのところへ。「先生、S大学に合格しました」という報告がありました。

S大学は、午前の授業中に、Yさんからはだめだったという結果を聞いていました。RさんとYさんを比べるとYさんのほうが日本語力がありますから、Rさんも落ちたのではないかと覚悟していました。それだけに、よくやったと思いました。

でも、別の見方をすると、RさんはS大学の試験直前、毎晩遅くまで面接練習をしていました。志望理由から将来計画まで、Rさんの専門を取り巻く現況も含めて、入念に想定問答を繰り返していました。A先生からもH先生からも私からもさんざんダメ出しを食らい続けましたが、それでもへこたれることなく練習を続け、受験に臨みました。

一方、Yさんは、どこかで面接練習をしていたのかもしれませんが、私は直接相手をしていません。頭の中でのシミュレーションだけで本番に臨んだとしたら、この結果は当然です。慢心があったのでしょうか。それを見逃していたとしたら、「面接練習しようか」なんて、一言声をかければよかったと心が痛みます。

やはり面接練習をせずに専門学校を受験したWさんも、落ちてしまいました。Wさんの性格から考えて、専門学校をなめていたわけではないでしょうが、どこかに油断があったに違いありません。半べそをかきながら面接練習を受け続けることには、立派に意味があるのです。

私立大学の定員厳格化の影響が各方面に及び、厳しい受験競争が繰り広げられています。Yさんはすぐに体勢を立て直さねばなりませんし、明日はZさんの面接練習が入っています。気合を入れて鍛えなければ…。

神様を生む

1月8日(火)

「留学生って、すごいんですね」――何がどうすごいんだと思いますか。養成講座の文法で日本語の動詞の話をしたら、養成講座の受講生のみなさんが異口同音にこんな感想を漏らしました。

普通の日本人は、動詞の種類とか活用形とか意識しません。意識しなくても使い方を間違えることはないのですが、五段動詞か一段動詞かとか、活用形を導き出すルールとかを問われると、すぐには答えられません。授業見学でそういうのをすらすら答えたり、あっという間に活用形を作り出したりする留学生を見ていたので、「留学生はすごい」という感想になったのです。

日本語の動詞は、英語やフランス語やドイツ語などの動詞に比べたら活用の規則性が高いです。しかし、活用形を作るルールは厳然と存在し、日本語学習者はそれを覚えて瞬時に使いこなさなければなりません。その日本語学習者に日本語を教える日本語教師は、そのルールについて精通し、少ないとはいえ存在する例外も落とすことなく教えていかねばなりません。

感心したりつまずいたりで、動詞の話は1回では終わりませんでした。これも想定内のことです。でも次回は自動詞、他動詞、瞬間動詞、継続動詞、状態動詞、第4の動詞、変化動詞、動作動詞など、今回以上の山場が待ち受けています。そのまた次は助詞ですから、さらにもっと大発見とその反動の大混乱があるでしょう。それを通り抜けた頃には、留学生は神様になっているかもしれません。

日本語教師は、その神様を育て上げる職業です。聖職者であってもおかしくないのですが、神様の受験指導をしていると、泥臭い聖職者だと思わずにはいられません。

準備

1月5日(土)

来週から養成講座が始まります。私の担当は文法で、前期まで使ってきたレジュメもありますから、特に準備をする必要はありません。でも、同じ講義の繰り返しでは進歩がないので、そのレジュメに少し手を加えることにしました。そう思って、去年のうちから資料を集めたり個人的に研究を進めたりもしてきました。さらに、講義の際に出てきた質問や学生の誤用や養成講座の教室でひらめいて私がしゃべったことなども、適宜取り込むことにしました。

私のレジュメは、全てを網羅するというよりは、文法を考えるヒントとして使うことを目指しています。普通の日本人が、日本語教師というちょっと変な日本人になるためには、自分の使っている日本語をこんな目で見る必要があるんですよっていう、考え方の見本みたいなつもりで作っています。もちろん、日本語教育能力検定試験は意識していますが、それだけに狙いを定めているわけではありません。

私は文法や言葉の意味をねちこち考えるのが好きですから、養成講座の文法なら今の倍ぐらいの授業時間をいただいても喜んでやっちゃいます。そのために文献を漁ったり用例を探したりという過程にも魅力を感じます。でも、新学期が始まったらやはり通常授業に力を入れざるを得ませんから、こうして養成講座に時間を割けるのも今のうちだけです。

今の受講生の皆さんは、やる気も能力もお持ちの方々ですから、それに堪える講義をしていく義務があります。義務というと苦役のように響きますが、私にとっては楽しみな時間がもうすぐ始まります。

遅すぎる

12月27日(木)

夕方、とんでもない超大物が現れました。研究計画書の書き方を教えてくれと学校にやってきたDさんです。研究計画書や志望理由書に関する指導は今年に入ってからずっとしてきました。Dさん個人に対してではなくても、Dさんが参加できる授業で取り扱っています。その授業を聞いていなかったのか、聞いてわからなかったことをそのままにしておいたのか、とにかく全く身に付いていなかったというわけです。

私もDさんを受け持ったことがありますが、良く言えば打たれ強いのですが、実態は無反省です。何度注意しても同じ間違いを繰り返し、間違えたことがわかっているから次は大丈夫だと言います。でも、本当に大丈夫だったためしがありません。全く意味不明の作文を書いて出され、添削に半日時間を取られたこともありました。漢字テストで間違えたところを直させようとしたら、間違えた漢字をそのまま書いてよこしてきたこともあります。文法も、勢いで書いたり話したりしているだけですから、不正確きわまる答えばかりでした。

受験もその調子で、どうにかなるとなめてかかっていたのでしょう。私たちに相談することなく、受けては落ちを繰り返してきたのだと思います。だんだん出願できる学校が少なくなり、にっちもさっちも行かなくなったあげくに、救いを求めて来たに違いありません。目を覚ますのが1年、いや、少なくとも半年遅かったです。

私は、Dさんは高等教育を受けるより違う道を進んだほうが幸せになると思います。でも、今さら国には戻れないのでしょうね。それにしても、無反省の超楽天主義はどうにかしたほうがいいと思います。

相談しないほうがいい?

12月26日(水)

学生が教師に進学相談の依頼をするという想定で、「先生、進学について相談しませんか」という言葉を直すという問題を期末テストに出しました。超級レベルの学生たちが、「~相談していただけませんか」などという誤答を書いてくれました。

もちろん、テストにいきなり出したわけではありません。授業で取り上げています。それどころか、中級以降何回もいろいろな教師が手を替え品を替え同じことを注意しています。しかし、学生たちは同じ過ちを飽きもせず繰り返します。実際に学生が教師に相談を依頼するときも、「相談していただけませんか」「えっ?」「あ、相談してくださいませんか」「えっ?」「うーん、相談、いいですか」などというやり取りの末、退歩してしまうのです。

「Aしていただけませんか」は、相手がAすることによって、自分に利益があるときに使います。ですから、「詳しく説明していただけませんか」とか「作文を直していただけませんか」は正しいです。しかし、「相談する」は自分がすることによって自分に利益があるので、このパターンは使えません。

ではどうすればいいかというと、1つは「相談に乗る」を使うことです。これなら「Aしていただけませんか」のパターンに当てはまります。「進学のご相談をしたいんですが、お時間いただけますか」なんて答えてくれたら、5点の問題でも10点あげたいくらいです。せめて、「ご相談したいんですが…」ぐらいは書いてほしいですね。「相談させていただけませんか」は、私はあまり言われたくありませんが、「相談していただけませんか」ではいけないということに気付いただけでもよしとしなければなりませんから、〇にしました。

同じ間違いが頻発するのが「借りていただけませんか」、いや、これは初級の単語なので、「借りてください」です。これだとバブルの頃の銀行みたいですね。「貸してください」がスムーズに出てくると、「コイツ、なかなかやるな」と思います。これだって、超級の学生も油断していると間違えますからね。

「相談していただけませんか」のおかげで、私のクラスは赤点続出でした。来学期は、1問50点ぐらいの問題として卒業認定試験に出して、これができなかったら卒業証書がもらえないようにしようかな…。

もう一度

12月18日(火)

先週から私が担当している上級クラスで実習してきた養成講座のKさんが、教壇実習で読解の授業をしました。授業の最初に「初めて教壇に立ち、緊張で膝ががくがく震えています」と言っていました。そういえば、私も教師なりたてのころは心臓がドキドキしたりのどがからからに渇いたりしたものだと思い出しました。もう、久しくそんな感覚とは縁が切れています。

昨日まで毎日のように教案を書いてきて私が手を入れるというやり取りをしてきました。今朝、最新版をいただき、Kさんはそれに沿って授業を進めます。私は教案の各項目に実施時刻を書き入れます。Kさんは、最初のところで予定をオーバーしてしまい、最後のほうをはしょわざるをえなくなってしまいました。Kさんの偉いところは、はしょったにせよ、予定時間内に授業を終わらせたところです。時計が一切目に入らず、長時間の大演説をしてしまう実習生を今まで大勢見てきました。そういう方々に比べれば、この点だけでも評価に値します。

授業後、Kさんに聞いてみると、「もう一度同じところの授業をしてみたい」と、開口一番感想が出てきました。自分で自分の教案の不備に気付き、自分のパフォーマンスの不足を感じ、そこを直して再挑戦したいというのです。その意気やよしといったところでしょうか。教案の通りに進める難しさ、教案の通りに進めても押し寄せる未達成感、こういったことを乗り越えた先に本職の日本語教師があります。

私だって、毎日予定とは違った授業をし、ああすればよかった、これはするんじゃなかったなどと思いながら職員室に戻ります。でも、Kさんとは違って「予の辞書に“反省”という文字はない」とばかりに、すぐに忘れてしまいます。Kさんは伸び盛りですから、しっかり反省して次の実習に臨んでもらいたいです。