Category Archives: 行事

過半数確保

2月27日(火)

卒業認定試験翌日の上級の教室は、悲惨なものでした。9時1分前ぐらいに教室に入ると、片手をちょっと上回るほどの学生しかいませんでした。階段を駆け上がった方が早いのにエレベーターを待って乗ってくる学生がいますから、その学生たちに合わせてノロノロとタブレットを立ち上げ、出席を取る準備をしていると、予想通り、数名の学生が駆け込んできました。これでやっと過半数が確保できました。

教室を見渡すと、もともと出席率の高い学生と、出席率が悪いのでビザ更新に備えて0.1%でも数字を上げておこうと学校へ来ている学生と、その中間の学生と、それぞれ1/3ずつぐらいでしょうか。私が学生の立場だったら、やっぱり休んじゃうかなあ…。私はケチですから、支払った授業料分は取り返さねばと、しぶとく通い続けるような気がします。

ゆうべから今朝授業が始まる直前にかけて、昨日の認定試験の採点をしました。私が作問したクラスは、どこも「できるやつはできる、できないやつはできない」という順当な結果に落ち着きました。テストの時の“わからなかった”という記憶を学生たちが鮮明に持っているうちにテストの反省会を開きたかったのですが、過半数をやっと超える程度ではその意味も薄れてしまいます。でも、せっかく来た学生には有意義な授業をしてあげたいですから、予定通りに授業をしました。テスト前の授業では気づかなかった点に目を向けられた学生もいたみたいです。

それから、あさってのディズニーシー行きの説明もあったのですが、こちらも欠席組には伝わっていません。ネット経由でアップしてあるしおりを見てもらうほかありません。でも、行事の時って、説明を聞いていない学生に限って何かしでかすんですよね。一抹の不安が拭い切れません。

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20歳のお祝いの言葉

今日は1月15日です。この1月15日は、昔は小正月と呼ばれていました。小正月には、小豆粥を食べたり豊作祈願をしたりなど、それぞれの土地で、その土地ならではの多種多様な行事が行われてきました。その中で、江戸時代までどの土地でも行われていたのが、元服でした。

元服とは、男子の場合は、名前を幼名から大人の名前とし、髪型や服装も大人のものへと変える儀式でした。女子は、元服の際に初めて大人の服を着て、母親などに教えてもらって大人と同じ化粧をしました。要するに、子どもが大人になったことを周りの大人がお祝いするのが元服でした。

1999年までは、1月15日は成人の日と呼ばれ、全国各地で新たに20歳になった若者を祝福してきました。その後、成人の日は1月の第2月曜日となり、今年はちょうど1週間前の8日でした。また、2022年から成人年齢が18歳に下げられ、成人の日の対象者も18歳の人たちにしたところも多いです。

しかし、伝統的な意味での成人の日は、今日、1月15日です。KCPでは、20歳になった、あるいはもうすぐなるみなさんの大人の仲間入りをお祝いしようと、このような式を開いた次第です。

大人になったということは、自分の意志で自由に動けるということです。自分の意志で自由に動くということは、その結果に対する責任も自分で負うということです。江戸時代のさむらいは、切腹という形で最終責任を取りました。みなさんもそれぐらいの厳しさを持って、自分自身を律していってほしいものです。

ですから、寝坊して遅刻したとか、宿題やテストから逃げ回るとかというような、責任ある大人の行動とは到底思えないような行いは、直ちに改めてください。大人の振る舞いの積み重ねが、みなさんを成功へと導きます。若者らしいみずみずしい頭脳と大人としての自覚があれば、鬼に金棒です。

以上が、43年前に成人を迎えた私からみなさんへのはなむけの言葉です。

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入学式挨拶(2024年1月10日)

みなさん、ご入学おめでとうございます。私たち教職員一同、新たなメンバーを迎えられたことを非常にうれしく思っています。

先学期、上級のクラスで、「なくてもいいもの」というテーマで作文を書いてもらいました。現金、婚姻制度、動物実験、国、暴力など、いろいろな意見が出てきました。その中で、ある学生―仮にAさんとしましょうーは「人間」と答えました。どうしてAさんは人間などなくてもいいと主張したと思いますか。

人間は、地球上の一生物種に過ぎないのに、ほかの動物を殺したり、自然環境を破壊したり、生態系に悪影響を及ぼしたりしています。だから、人間はなくてもいいとAさんは訴えました。他の学生の「なくてもいいもの」は、自分にとって、ないしは人間にとって「なくてもいい」物事や事柄でしたが、Aさんは地球にとって、地球上の生物にとっての「なくてもいいもの」として、人間を取り上げました。他の学生とは着眼点の次元が違う、斬新な発想だと思いました。多少文法の間違いもありましたが、評価はAにしました。

人間が絶滅に追いやった生物種は、産業革命以降でも100種を軽く超えます。日本に限っても、ニホンオオカミ、ニホンカワウソなどは絶滅、コウノトリ、トキなどは野生絶滅となっています。絶滅危惧種に指定されているイリオモテヤマネコやクロマグロなどからすると、自分たちの命を脅かす人間は百害あって一利なしで、一刻も早く地球上から消え去ってもらいたいでしょう。「なくてもいい」どころか、「あってはならなない」ものかもしれません。

さらに、人間が化石燃料を消費し続けた結果地球温暖化がもたらされ、その影響で生存の危機にさらされている生物も数多くあります。温暖化による気象災害によって命を落とす人も少なくありません。人間は自分自身の生命すら危うくしているのです。まさしく、「なくてもいいもの」の最たるものでしょう。

これに加え、昨今はAIが急に賢くなってきましたから、このままでは人間の頭脳も「なくてもいいもの」になりかねません。みなさんが知識を覚える勉強を続けていく限り、AIに負けることは火を見るより明らかです。知識を覚えることにかけては、AIは人間の手が届く存在ではありません。みなさん自身が「なくてもいいもの」になりたくなかったら、知識を覚える以外の土俵でAIと勝負する必要があります。これから始まるみなさんの留学は、その土俵探しの第一歩です。

日本語を身に付けただけでは、まだAIの土俵です。翻訳通訳こそ、AIの最も得意とするところですから。身に付けた日本語で何をするかが肝心なのです。大学・大学院で勉強や研究をする、専門学校で技術を学ぶ、あるいはすでに持っている自分の知識や技術や経験を生かして就職をする、そういった確固たる目標、将来計画がありますか。言葉を換えると、自分自身をどのように成長させようと思っていますか。KCPに在籍している間は、みなさんにとって、こういったことをじっくり考えられる最後のゆとりの時間になるかもしれません。

将来、「なくてもいいものはAIだ」などと泣きわめきながら、AIに対して敗北宣言をすることなどないようにしてください。そのためには、向き合うべき問題から目をそらさず、真剣に考え抜き、そしてそこで得られた結論を行動に移してください。私たち教職員は、時には厳しい言葉をみなさんに投げつけるでしょう。しかし、そこには、今私が述べたような事情があるのです。最後まで見放さずにみなさんをフォローしていきますから、安心して私たちを頼ってください。

みなさん、本日は、ご入学おめでとうございました。

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柴又ワンデーワンダーランド

10月27日(金)

目的地の柴又は、私の家からは比較的近く、隅田川沿いをしばらく歩いて京成関屋駅に出てしまえば、電車の乗車時間より京成高砂駅での待ち時間の方が長かったくらいです。

柴又は狭い街ですから、KCPの学生が勢ぞろいして歩き回ったらどこもかしこも大混雑になりかねません。そんなわけで、私が引率したクラスは、まず、江戸川沿いにある柴又公園へと向かいました。公園には何もなく、草地が広がっているだけですから、どうやって過ごそうかと頭を悩ませていました。ところが、公園に待機していたO先生が縄跳び用の縄を見せるや、学生たちはそれに飛びつきました。

大縄跳びが特に好評で、「4人で30回跳べたら草団子をおごる」と言うと、腕(足?)に覚えのある学生が次々と挑戦しました。私はもっぱら縄を回す方でしたが、学生が跳びやすいように回すとなると、腕を大きく回さなければならなくて、思いがけずいい運動をすることになりました。そろそろ出発時間かなという頃に、32回まで記録を伸ばしましたから、あとで跳んだ学生とそれまでに何回も挑戦していた学生に草団子をご馳走しました。

次は柴又のメイン、帝釈天です。ここではおみくじが大人気でした。「あそこにおみくじがありますよ」と案内しただけで多くの学生がおみくじを引き、でもおみくじに書かれていることがわからず、私はおみくじの解説係になりました。帝釈天のおみくじには「凶」がわりと多く含まれているようで、そちらのフォローもしました。

学生たちには柴又の取材という課題が出されていましたから、帝釈天の拝観が終わったところで、学生たちを参道に解き放ちました。どんな取材をしたかは月曜日のお楽しみですが、みんな集合時間ぎりぎりまで参道のにぎわいを楽しんだようです。

出席を取って解散し、チーム縄跳びと一緒に草団子をいただきました。程よい草の香りがおいしさを引き立てていました。その後、午後のクラスの誘導も兼ねて、私も参道をうろつきました。解散してからだいぶ時間が経っても柴又を楽しんでいる学生が少なくありませんでした。そして、概して、そういう学生は成績のいい学生でした。遊ぶときは徹底して遊ぶという具合に、時間の使い方にメリハリをつけているのでしょう。そういう意味で、明らかにうその理由でずる休みを決め込んだ私のクラスのWさん、あなたの今後は暗いですよ。

学生の話によると、柴又は学生の母国ではあまり紹介されていないようです。穴場を訪れたといった感じだったのでしょうか。寅さん抜きでも結構楽しめたことは確かです。次の課外授業はどこにしましょうかね。

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入学式挨拶

みなさん、ご入学おめでとうございます。このように世界中の国々からたくさんの若者がこの学校に入学してくれたことをうれしく思います。

日本語に限らず、語学の勉強は、それを専門にしようと思っている人、あるいは外国語の勉強が趣味だという人以外、それ自体がゴールになることはありません。ある言語を身に付け、それを使って何かをするところにゴールが設定されるものです。みなさんは、日本語で何をしようと思っていますか。

大学院や大学への進学を考えている人は、その進学先での研究や勉強が当面のゴールでしょう。専門性を身に付け、磨き、その後、仕事を通して世の中に貢献しようと考えているのではないでしょうか。芸術系志望の人は、先生からの教えを吸収して自分の技量を上げるために、日本語を学ぶという人も多いと思います。

このように、みなさんにとって日本語は、そしてそれを学ぶ場であるKCPは、人生における通過点に過ぎません。勉強の時期が過ぎたら日本語はそれ以上必要なくなるかもしれませんし、KCPは学歴としてみなさんの履歴書を飾るわけでもありません。しかし、私たちはみなさんにKCPで濃密な日々を送ってもらいたいと思っています。

日本語は、ひらがな、カタカナ、漢字、さらにはアルファベットまで加えれば4種類の文字で構成されるという、世界に類を見ない言語です。それだけに難しくもあり、挑戦のしがいがある言語です。語彙面では擬音語擬態語、文法面では敬語や授受表現など、上級になっても学ぶことが多い、奥深い言語です。

最近は自動翻訳が発展し、レベル1の学生も立派な日本語で欠席理由をメールしてくることもあります。私たちも、時には翻訳ソフトを便利に使わせてもらいます。だからといって、進学先での勉学において日本語の重要度が下がることは考えにくいです。勉強内容が高度になればなるほど、日本語学習の重要度は増します。

日本で就職しようと思っている人は、仕事を円滑に進める上で、日本語は必要不可欠です。大きな仕事をなすためには、良好な人間関係が欠かせません。日本語が理解できずに良好な人間関係を築くことは不可能です。それも、表面的な日本語力ではありません。相手の心の内を推し量れるレベルの日本語力です。

KCPは、このような、いくらでも深掘りできる日本語を、みなさんの実力に合わせて、みなさんが満足するまで教えていきます。みなさんが設定したゴールによっては、みなさんに嫌がられてもそのゴールに到達できるレベルの日本語力にまで、みなさんを鍛え上げていきます。覚悟していてください。

それと同時に、KCPでの生活がみなさんの人生を彩るものとなるように、様々な企画を用意しています。みなさんのクラスには、みなさんにとっての外国人が必ずいます。みなさんが今までに在籍した学校よりも幅広い年齢層の同級生がいます。そういった人たちと刺激し合って、みなさんの人間性を豊かにしていってください。

また、クラブ活動や学校行事も、みなさんの留学生活を豊かにするものと信じています。それらを通して、交友関係を広げたり日本に対する理解を深めたりしてください。こうしているうちに、日本語もKCPも、みなさんにとって単なる通過点ではなくなっていきます。これこそが、有意義な留学生活なのです。

本日は、ご入学、本当におめでとうございました。

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戻る

9月16日(土)

アメリカの大学のプログラムでKCPに来ている学生の期末テストと修了式がありました。普通の学期は期末テストの日に行われるのですが、夏の学期は、アメリカの大学の授業日などの関係で、通常の学生より1週間ぐらい早く期末テストと修了式を行います。

修了式は、いつもの学期と同様に、修了証書をもらった学生が、一言スピーチをします。私がレベル1で教えてきたEさんは、感極まって「みなさん、ありがとうございました」と涙声で言うのがやっとでした。Eさんは、国籍を問わずクラスの全学生と仲良くなり、「じゃあ、この文法で会話してください」となると、目を輝かせて教室中を歩き回り、何人もの学生と楽しそうに話をしていました。そういういつもの姿からするとEさんらしくない感じもしましたが、この3か月間、それだけ全力で勉強してきたのですから、思い出が次から次へと浮かんできたのでしょう。走馬灯状態だったに違いありません。

もちろん、ほかの学生も思い出や感謝の言葉を語ってくれました。その中で、数名の学生が、「またKCPに戻ります」と言ってくれました。戻って来ますと言うべきだ、などというツッコミは入れません。「また来る」のではなく「戻る」のです。「元に戻る」というくらいですから、KCPが元の状態、いわばホームです。これからちっとどこかへ行って、再びホームの土を踏むというわけです。言った本人はそこまで考えていないでしょうが、深層心理にそういう部分があるのです。

うれしいじゃありませんか。そこまでKCPのことを思ってくれているなんて。来年1月に再入学を予定しているEさんも、「戻る」という単語は知らなくても、心の中はきっとそうです。1月の入学式のころは、今と違って寒い盛りです。おしゃれなEさんの真冬のファッションも、今から楽しみです。

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専門学校進学フェア

8月28日(月)

先学期の大学・大学院の進学フェアに続き、専門学校の進学フェアが6階でありました。午前の授業の後、学生対応を済ませて会場へ行くと、各校のブースにそれなりの人だかりができていました。今シーズンは専門学校志望の学生が少ないとも聞いていましたから、一安心しました。

AさんとBさんは大学院志望と言っていましたが、調理の専門学校の話を聞いていました。方向転換したわけでもなさそうですが、少しでも興味のある分野について、具体的な職業、言い換えれば自分の将来についての話が聞けるという点が、この進学フェアの一番魅力的なところではないかと思います。ほかにも、専門学校が第一志望ではないはずの学生が何名か来て、かなり真剣に話を聞いていました。

ZさんとYさんは、最初から専門学校志望で、体験入学に参加したC専門学校のブースに顔を出していました。「体験入学に参加したからもういい」ではなく、何回でもその学校のイベントに行って顔と名前を売っておくことが大切です。学校との相性がいいことをこれでもかというほど確認しておくと、進学してから後悔することがありません。専門学校は、大学に比べるとこういうことができるチャンスに恵まれています。これを利用しない手はありません。Xさんもそんな感じで、D専門学校の顔見知りの先生と話をしていました。

専門学校は9月から入試が始まります。進学フェアで話を聞いたからでしょうか、専門学校の指定校推薦について聞きに来た学生もいました。この稿でも何回か述べていますが、進学は早くから騒ぎ始めた学生が、結局は勝ちます。Aさんたちは何かをつかんだのでしょうか。

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願いが届いたかな

8月7日(月)

七夕をしました。7月7日は今学期の始業2日目で、まだクラスも学校も落ち着いていなかったので、1か月遅れとしたわけです。仙台の七夕も8月6日から8日までですから、ちょうどいいでしょう。

私のクラスは、M先生が金曜日に自分の願いの下書きを書かせ、それを添削してくださいました。非常識な願文はありませんでしたが、こんな文じゃ願いは聞き届けてもらえないだろうなというのはいくつかありました。M先生は、それを丁寧に直してくださいました。

その願文を手作りの短冊に書きます。厚紙の周りを学生たち自身に千代紙などでデコらせて、それを短冊と見立てました。短冊に書く段階で毎年問題となるのが、縦書きです。学生たちは、出身国にかかわりなく、縦書きの経験がほとんどなく、いきなり縦書きをさせると拗音や促音のゃ、ゅ、ょ、っなどをとんでもない位置に書きます。ですから、今年は縦書きの下書きもさせ、必要に応じて微調整を掛けました。

6階の講堂で短冊に願文を書き、その短冊を飾り立てたのですが、飾り立てる方はこちらの想定を上回る作品がいくつも現れました。千代紙をそのまま短冊の四方に貼り付ければいいように切っておいたのですが、その千代紙をさらにきれいに小さく折ったり、四方ではなく上部に兜の前立てのように飛び出させたり、短冊の裏側をきれいにしたりと、学生のアイデアは尽きるところがありませんでした。

その一方で、願文はいつになく慎重に書き込んでいました。添削してもらっているのに、さらに「これでいいですか」と確認する学生もぽつぽついました。真剣に願文を考えたので、織姫牽牛に願いを聞いてもらいたい、そしてかなえてもらいたいのでしょうね。

私も願いを書くつもりでいたのですが、学生たちのお世話であっという間に時間が過ぎ、クラス写真を撮ってもらっただけで教室に戻ってきてしまいました。

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いざ盆踊りへ

8月1日(火)

Eさんは私が教えているレベル1の学生です。いつも明るく活発で、クラスの中心的存在です。国籍性別年齢学歴一切関係なくどんどん話しかけますから、上達も早いです。

午前中、職員室で仕事をしていると、そのEさんがドアからひょこっと顔を出しました。いつもと違って、頭にはピンクの髪飾りが。そして、なんと、浴衣を着て登校してきたのです。授業の後、花園神社の盆踊りに行くためです。「きれいな浴衣ですね」と言うと、にっこり笑って2階に上がっていきました。ラウンジか図書室で予習をするのでしょう。お昼も食べるのかな。

Eさんが来たころから空模様が怪しくなってきましたが、午前の授業が終わるころにはかなり激しい雨が降りました。学生たちは折り畳み傘というものを持ち歩きませんから、1階は帰るに帰れない学生たちでいっぱいになりました。当然、貸し傘はあっという間に底を尽きました。Eさんと同じクラスのJさんからは、土砂降りの雨の映像と、だから外に出られないので遅刻するというメッセージが。

花園神社の盆踊りが中止になるのではないかと心配になりましたが、気象庁の観測データによると雨雲はほどなく途切れ、お天気は回復しそうだということがわかりました。午後の授業の最中には、薄日も差してきました。

授業中、Eさんの浴衣姿は、やはりクラスメートの注目を集めました。こちらもそれをネタに授業を進めました。授業が終わると、Eさんは「先生、さようなら」と、勢いよく教室を飛び出していきました。日が暮れるころ、引率の先生に連れられて、花園神社へ向かいました。

引率の先生から、Eさんが躍っている写真がLINEで送られてきました。

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花火大会

7月29日(土)

4年ぶりに隅田川の花火大会が催されます。見に行くと言っていた学生も何人かいます。先週から今週にかけて、学校で浴衣販売や浴衣の着付け教室をやったのも、隅田川をはじめとする花火大会のシーズンだからです。このように、隅田川の花火大会は、日本社会にとっては、以前の姿に戻れた、夏の風物詩が復活したということで、好ましいことでしょう。でも、私にとってはあまりありがたいことではありません。

私のうちは隅田川のそばにあります。ベランダから隅田川が見えます。ですが、花火が上がるのとは反対側ですから、花火の音は聞こえても、夜空に映し出される光の芸術を楽しむことはできません。それどころか、退勤時の電車が超満員になり、駅のホームも駅からうちまでの道も身動きができないほどになりますから、帰宅するのも一苦労です。ですから、仕事が終わったら、新宿で時間調整をします。紀伊国屋に閉店までいれば、大混雑は避けられるんじゃないでしょうかね。

40年近く前、就職2年目の私は車を買いました。花火大会があるというので、その車で会場近くの山に登りました。山の頂上からなら、街や工場の夜景を背景に、花火が映えるのではないかと思ったのです。ところが、中途半端な距離の中途半端な高さの山からだと、花火は上がっても斜め下ぐらいで、ひどくしょぼいものに見えました。見上げてこそ花火なんだなあと、強く思いました。でも、スカイツリーからだと足もと直下に光のパフォーマンスが繰り広げられますから、また話は別なのでしょう。

来週は、もう8月です。そして、2週間足らずで夏休みです。

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