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アセトアルデヒド、ジエチルエーテル…

2月7日(火)

受験講座化学は、今日から有機化学です。学生たちが最も苦手とする分野です。苦手の原因は、カタカナで表される物質名です。有機化学の理論そのものは国で勉強していますが、物質名は根本的に違います。中国の学生は漢字で覚えてきたし、韓国の学生はハングル表記しか知りません。しかも、有機化学は登場する物質がやたらと多いです。“cyclo”を“シクロ”と読むなど、日本流の英単語の読み方も相まって、エチレン、トルエン…などに学生たちはみんな泣かされます。

EJUの有機化学の問題では英語名が併記されますから、カタカナ語を捨てて英語名で覚えてしまうのも手です。でも、学生たちはそこまでの度胸は持ち合わせていないようで、ぶつくさ言いながらもベンゼン、アセトン…などと一つ一つ覚えていきます。6月のEJUまでに覚えればいいのですが、物質名だけでなく、その性質や周辺の物質との関連なども頭に入れていかなければなりませんから、案外時間がないものです。

現在合格を重ねているWさんやYさん、Zさんなども、1年前は同じように苦しんでいました。それでも何とか食らい付いてきましたから、そのときから温めてきた本命校に挑戦するまでに実力を伸ばしてきました。この時点で粘りきれなかったSさんやLさんは、1年前には思いもよらなかった大学への挑戦を強いられています。

日本での進学は思ったよりも難しかったと感想を述べる学生が、毎年何名かいます。国での競争から逃げてきて楽をしようったって、そうは問屋が卸しません。自分の可能性を切り開くなら、それ相応の苦難が伴うものです。今日の学生たちも、そういう意味で大いに苦しんでもらいたいです。

欲が出た?

2月6日(月)

午後の面接練習の予定がなくなって一息ついていると、Cさんが来ました。「先生、A大学に合格しました」「よかったじゃないか」「はい。先生のおかげです」と、まあ、ここまではうれしい報告。しかし、それに続いて、「先生、A大学は本当にいい大学ですか」と、ちょっと穏やかではない質問が来ました。

「どうして?」「私の学部は、去年は5人ぐらいしか合格しませんでしたが、今年は20人ぐらい合格しました。それに、受験のときに友達になった学生はみんな合格しました」「今年の受験生はそれだけ優秀だったんじゃないの?」「いいえ、私よりEJUの成績が悪い学生も合格しました。その学生は面接で何も答えられなかったと言っていました」と、Cさんは不安の根っこを吐露します。

要するに、スペシャル感が薄まってしまったのでしょう。自分より成績が下の学生が受かっていると不満げに言っていますが、もし、合格者がみんなCさんより上の成績だったら、Cさんが合格者の中で成績最下位ということになります。そうなったら、大学の授業で落ちこぼれてしまうかもしれないではありませんか。しかも、Cさんが言った去年の合格者5人というのは、実は入学者が9人というのが正確な情報で、合格者数は今年とさほど変わりません。

何はともあれ、滑り止めではない大学に受かったのですから、もっと喜ばなければなりません。これで、今月下旬の国立本命大学の入試を、余裕を持って受けることができるではありませんか。Cさんもその準備に本格的に取り組む意志を示していました。さあ、最後の一山です。

不安と喜び

2月2日(木)

夕方、受験講座を終えて職員室に戻ってHさんの宿題を採点していると、YさんがS大学を受験したその足でやってきました。Yさんは既にいくつかの大学に受かっていますが、S大学にはどうしても受かりたいといっていました。

「先生、入試要項には口頭試問と書いてありましたが、口頭試問はありませんでした」「あ、そう。じゃあ、どんなこと、聞かれたの」「志望理由以外には生活のこととか…」と、何だか闘志が空回りして拍子抜けだったようです。Yさんの受けた学科は出願者が4名でしたが、1名欠席したとかで、面接に臨んだのは3名。自分以外の2名に比べて、自分の面接時間が短かったことも、Yさんの不安をかき立てているようでした。

S大学の発表は8日ですが、その日、Yさんは国立B大学受験のため遠征しています。そのB大学の志望理由は少々無理をしてこしらえたので、面接の時に突っ込まれたら怖いといいます。B大学のある町は、独特な雰囲気のある町なので、それを志望理由に加えればいいとアドバイスしました。大学4年間、大学院に進学したらさらに2年間その町に住むのですから、その町に惹かれたというのは、立派な志望理由になります。月曜日に面接練習をすることになりました。

Yさんよりも前に、T大学の大学院に受かったIさんが、受験講座の教室までわざわざ報告に来てくれました。IさんはYさんとは違って、なかなか桜が咲かなかった学生です。苦労した末の合格のせいか、目が潤んでいました。

Iさんは、まじめな学生ですが、それが結果につながりませんでした。初級で教えましたけれども、努力しているのに成績に結びつかないところがありました。その後順調に進級を続けて上級まで来たのですから、地力がないわけではありません。入試もどこかで歯車がずれてしまったのでしょう。職員室で面接練習や進路指導を受けている姿を秋口から見てきたような気がします。それだけに、小さい春を見つけたIさんの姿に、そしてそれをわざわざ報告しに6階の教室まで来てくれたIさんの篤い気持ちに、心が温まりました。

甘くないぞ

1月30日(月)

去年の卒業生でJ大学法学部に進学したHさんがフラッと訪ねてきてくれました。単位は順調に取れているようですが、J大学の中では法学部が一番成績評価が厳しく、GPAはどうしても低めに出てしまうそうです。法学部といえばJ大学の看板学部ですから、しょうがないですね。でも、そのため、GPAで勝負が決まる奨学金などでは不利な立場になってしまうと嘆いていました。そうは言いながらも、そんな厳しい世界を自分なりにしっかりした足取りで歩んでいるんだという、自信のようなものが表情にあふれていました。

Hさんはよくfacebookに写真やら近況やらを載せていますから、大学での勉強は大変だと感じつつも学生生活を楽しんでいることは知っていました。実際に顔を見て話を聞いて、本当にリア充のキャンパスライフを送っているんだなと思いました。どうやら順調に滑り出したようですから、心に太い柱が一本通っているHさんなら、このまま学業に励み続けてくれるんじゃないでしょうか。

しかし、J大学にも勉強の意欲を喪失してしまったような学生もいるそうです。日本人の学生なら、たとえ退学してもどこかに居場所はありますが、留学生はそうはいきません。次の居場所を確保するまでは、いやでもその大学にい続けなければなりません。J大学ともなると、名前にあこがれて入ったはいいけれど…という留学生がいても不思議ではありません。残念ながら、KCPにもそうなりかねない学生がいます。大学の名前につられて自分のやりたいことはどこかに置き忘れてしまっている学生です。

Hさんは、1年間大学生活を送った先輩として、KCPの学生に戒めの言葉を残してくれました。進学してからの勉強は、真に自分の人生を決めるものです。いい加減な気持ちで進学先を決めてほしくないし、生半可な心構えで進学先での学問に臨んでほしくもありません。

欲がない

1月26日(木)

SさんがH大学の出願をどうすればいいか聞きに来ました。H大学から大学案内を取り寄せたけれども、参考になる資料が少なくて困っているとのことでした。自分の勉強したいことが本当に勉強できるか確認したいのに、肝心なことがさっぱり書いていないと言います。

どこの大学も学生の確保に必死なのに、Sさんのように本気で勉強したがっている受験生を取り逃がしかねないパンフレットなどあるのだろうかと思いながら、そのパンフレットを見ました。そうしたら、本当に書いていないんですねえ。これじゃあSさんが私のところに相談に来たのも無理はないと思いました。

ないないと言っていても始まらないので、H大学のホームページを見てみました。パンフレットよりはましでしたが、依然として受験生が大学を知るのには大いに不足です。Sさんが狙っている学科にどんな専門の先生がいるのかさえも、最後までわからずじまいでした。研究上協力関係にある機関のホームページに飛ぶのはいいのですが、H大学自身の言葉でその研究について語ってもらいたかったです。他機関のホームページでは、H大学の立ち位置やその研究にかける熱意がわかりません。

それでも、SさんはH大学に行こうと考えています。A大学受験の際に、少し足を伸ばして訪れたHの町に引かれてしまったようです。こんな強力なファンが生まれたのに、そのファンの気持ちを揺るがすような学生募集資料しかないH大学は、欲がなくおおらかでもあり、商売下手で時流をつかみ損ねてもいます。

私もHの町が好きで、その町の人々に尊敬のまなざしで見つめられているH大学の学生はさぞかし幸せだろうと思っていました。それだけに、この広報力の低さにはがっかりさせられました。

先輩後輩

1月21日(土)

12月に卒業したJさんが、C大学に受かったとメールで知らせてきてくれました。卒業式後の懇親会のときに、面接練習を頼まれ、年明け早々、C大学の試験前日にやりました。はっきり言って危ない状態でしたが、面接の答え方のポイントを訓練し、Jさんを送り出しました。新学期準備や始業直後の忙しさにかまけてC大学の入試のことはすっかり忘れていただけに、Jさんからのメールに喜びもひとしおでした。昨日のこの欄でLさんの不義理を嘆きましたが、Jさんは面接練習のお礼まで、メールできちんとしてくれました。

Jさんはおとなしくて目立たない学生でした。でも、KCPの初級から始めて超級まで上り詰めました。教師が指示したことは確実に実行し、着実に力をつけてきたのです。爆発力や瞬発力はありませんが、持久力に富んだ学生という感じです。C大学は、Jさんにとっては実力以上の大学かもしれませんが、コツコツと努力を続けて、大きな成果を手にしてもらいたいです。

そのC大学に通っているFさんとPさんがひょっこり来てくれました。Fさんは、大変だと言いながらも、好成績で単位を確実に取っているようです。Pさんは、試験微に休んで落とした単位があるとか。KCPにいたときの2人の行動様式そのままです。Fさんは、在校時に演劇部の一員として出演した新入生向けマナービデオの映像と全く変わっていません。Pさんは、勉強はそこそこ頑張っているようですが、顔が丸くなり、おなかはぽにょぽにょの肉に包まれていました。肉が引き締まるくらい勉強に励んでくれるともっといいんですがね。

Jさんのほかにも、C大学には何人かの学生が進学します。FさんやPさんのように、堂々と遊びに来られるくらいのキャンパスライフを送ってもらいたいです。そうすれば、名門C大学ですから、得るものも大きいでしょう。

報告

1月20日(金)

「先生、聞いてくださいよ。Lさんったら、M大学に受かってたんですよ」「え、本当ですか」「ええ、私が聞かなかったら、ずっと黙ってたかもしれませんよ、あの調子じゃ」と、授業から戻ってきたR先生は怒りをぶちまけていました。

確かに、学則上も、もちろん法律的にも、学生には学校や担当教師に大学合格の報告をする義務はありません。しかし、Lさんは受験前にさんざんR先生から指導を受けていましたから、R先生に受験の結果を報告するのが1人の大人として取るべき態度です。古い言葉でいえば、仁義です。

ところが、これができない学生がけっこういるんですねえ。調べてみると、M大学の合格発表は先週の金曜日でした。R先生は、その日も含めて、Lさんのクラスに3回入っています。それなのに自分から合格を伝えなかったのは、いったいどういうつもりなのでしょう。学生が教師や学校を踏み台にして、より大きく高く伸びていくことに異存はありません。でも、踏み台にも五分の魂と言いましょうか、不義理をはたらかれちゃあ、いい気持ちはしません。

落ちてもきちんと報告に来る学生がいますから、学生たちの国にはこういう文化がないわけではなく、個人の資質なのだと思います。そして、それを形成するのは、学校や家庭で受けてきた教育です。ここまで考えると、KCPにおけるしつけがいい加減だと、卒業生が進学先で低い評価を受けかねないことが見えてきます。他山の石などと言ってしまったら親御さんたちに申し訳ありませんが、戒めとしなければなりません。

お金持ち

1月5日(木)

年明け早々から、学生がひっきりなしに訪れてきます。面接練習とか、出願書類のチェックとか、これから受験や出願の大学などにかける学生たちが、まだまだたくさんいます。さすがにここまで来ると出願の段階で教師に怒鳴られるような間抜けはいないと思いきや、Hさんなどは経費支弁の書類が全然整っていなくて、やり直しを命じられていました。

そんな中で悠然と構えているのがGさんです。Gさんは現時点で3勝3敗、つまり行き先は確保してありますが、これから私立の本命校と国立大学を狙います。予定通りに出願・受験するとなると、全部で14校になるとか。ここまで来ると、受験が趣味なのではないかと疑いたくなります。

でも、Gさんは決して闇雲に受けているのではありません。勉強したいことが勉強できる学部学科に焦点を定め、理想とする学校から滑り止めまで、それぞれ狙い撃ちしています。それにしても14校です。受験料だけでも数十万にも及び、既に支払った入学金や遠隔地受験の交通費などまで計算に入れると、100万円にも達するのではないでしょうか。私はGさんの経済状況についてとやかく言う立場にありませんが、こういう受験を許してくださるGさんの実家は、かなり裕福なんだろうなと想像しています。

本当に、学生というかその実家というか、あるいはその出身国が豊かになったと思います。KCPのほかに塾にも通う学生のほうが普通になりましたし、アルバイトをしなくても生活できる学生がほとんどで、Gさんほどではないにせよ、併願校の数も増えました。投資の配当で生活費を出している学生もいます。かつては「学生=貧乏」と自他共に認める方程式が成り立っていましたが、今は教師よりもいい生活をしている学生も多いんじゃないでしょうか。

学生の学習環境もよくなったはずですが、学生が平均的に優秀になったかというと、そうでもない感じがします。塾に通っている学生がすばらしい成績を収め、“いい学校”に進学しているかというと、そうでもありません。厳しく接しても優しく接しても、勉強に向かおうとする姿勢を見せようとしない学生が増えました。Gさんなんか、お金を有効に使っているほうだと思います。

新学期も、そういう学生がたくさん入ってくるのでしょう。心して指導に当たらねばなりません。

Cさんの悩み

12月24日(土)

午後からCさんの進学相談。国立大学に出願しようと思っているCさんにとっての最大のネックは、TOEFLです。成績そのものではなく、受験した時期が遅かったため、スコアが届くかどうか微妙なのです。早い時期に受けておかなかったCさんが悪いのですが、下手をすると、TOEFLは受けたもののその成績は使わなかったということにもなりかねません。

英語が世界共通語であることは論を待ちません。Cさんが目指している理科系の学問分野では特にそうです。英語がわからないと世界最先端の学問に触れられなくなるとも言えるでしょう。だから、入学時に何らかの形で受験生の英語力を見るというのも理解できます。しかし、同時に、その「何らかの形」がTOEFLでありすぎるような気もします。実際の入試日のはるか以前に安からぬ受験料を払って受験せねばならないというのが、私には解せないのです。自前で英語の試験問題を作るのはかなりの負担なのでしょうが、その負担をすべて受験生の側に回してしまうというのもどうなのでしょうか。

そもそも、日本の教育のいいところとは、日本語で高等教育まで受けられるということだったと思います。それが日本語の価値を高めていたはずです。そう思って日本留学を決意した学生も少なくないでしょう。なのに、英語の試験のスコアが届くかどうかで門前払いに近い仕打ちをするのは、ちょっと理不尽な気がします。

留学生を本気で増やしたかったら、こういうところの改善も必要なのではないかと思います。

見つけて

12月20日(火)

H大学の合格発表がありました。受かったPさん、Oさんは喜びを隠せない様子でしたが、残念な結果に終わったWさんは、授業中は精一杯気を張っていたものの、落胆の色が濃い表情をしていました。

合格発表のたびに感じるのですが、大学は、こちらがいい学生だと推薦したいような学生を落とし、よりによってなんでこんなやつをっていう学生を合格させちゃうんですよね。Pさんは日本語力で、Oさんは人間性で受かったと思いますが、Kさんはどうして受かったのか見当がつきません。本人たちを見ている者としては、Kさんより絶対Oさんなんですがねえ。成績的にもWさんのほうが上だと思います。

Wさん自身、どこが悪くて落とされたのかわからないと言っていました。自分で思い当たる節があれば対策の立てようもありますが、これでは次につながる指導もしにくいです。現時点はWさんの気持ちを奮い立たせることが最優先ですが、受験校が決まったとして、合格に向けて何をどうしていけばいいでしょう。

先日、数年前の卒業生のJさんが来ました。JさんがM大学に受かったのも、Jさんには失礼ながら、Kさん並みの番狂わせだと思いました。もちろんJさんは喜びましたが、入学後しばらくして学校へ顔を見せに来た時には、自分にとってレベルが高すぎて大変だと顔を曇らせていました。そのJさんが、数多くのノーベル賞受賞者や著名政治家を輩出しているアメリカのC大学に留学すると報告に来てくれたのです。在学中、普通の頑張りようではなかったはずです。

意外な合格でもこういうこともありますから、それを一概に否定するつもりはありません。でも、KさんとWさんとどちらがJさんに近いかといえば、明らかにWさんです。レベルの高いところに入っても、そこの水に親しんで自分を伸ばしていける力があります。

まあ、いいでしょう。Wさんを拾った大学は、2年後か3年後に、ダイヤの原石を手に入れたことに気がつくに違いありません。とはいえ、土に埋もれた原石じゃどうにもならないので…。